33年ネット諸兄姉(2025.09.28)
先日、横須賀に英国航空母艦がプリンス・オブ・ウェールズ」寄港した。昭和16(1941)年12月10日、マレー沖海戦で同名の英国戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」は日本海軍航空隊の魚雷と爆弾多数を受けて沈没した。今から84年前の話だ。もちろん僕もやったなと思った。翌年2月15日にシンガポールが陥落した。たしか、20日に大提灯行列をやったような記憶がある。Mediaはエチケットとしていわなかったのだろう。
これは1996.3.15初版、「日本史の七つの謎」の講談社文庫の中の第六章「太平洋戦争はなぜ始まったか」
の井上ひさし(1934年 〈昭和 9年〉 11月16日 - 2010年 〈平成 22年〉 4月9日)、 森本忠夫(もりもと ただお、1926年11月17日[1] - 2015年5月11日[2])日本の実業家、文筆家、京都府生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍した。1952年京都大学経済学部卒業後、東洋レーヨン(現・東レ)に入社する。東レ取締役[2]、東レ経営研究所社長を経て、龍谷大学経済学部教授(1999年まで)、大江志乃夫 (おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)の鼎談の要約で、わたしなりに整理・加筆したものである。
すでに三人とも故人ですが、井上ひさしは同年、あとの二人は年上で戦時体制下、青春時代を過ごした人々である。
1.18世紀の世界
大江 (この前に森本が日本は、富国強兵(実際は貧国強兵)と貧国故に対外拡張主義の転換を主張する)
もう一つの日本の問題点は、国際関係の処し方にあるんじゃないでしょうか。日露戦争後、日本は世界の列強の仲間入りができたかに見えます。十九世紀の列強の世界は強者が弱者を食うという、いわばジャングルの掟で 成り立つてまいりました。いよいよ日本が食ベようかという時になって、第一次大戦が終わって国際連盟ができ、べルサイユ体制(1919年)が成立します。世界のル—ルが、ジャングルの 掟から話し合いに変わったわけです。だけど日本の為政者たちはこの変化がまったく理解できなかったんですね。ベルサイユ 条約批准の議事録を読みますと、国連に加盟するのは主権の侵害ではないかとか、軍備縮小は憲法の天皇大権に触れるといった審査報告をしているんですよ。
井上 (米国主宰により)1922年ワシントン(軍縮)会議がありますね。日、米、英、中国など9カ国が集まって軍備縮小を話し合うわけですが、このときのアメリカの態度(原文はアメリカとなっているが日本の誤りではなかろうか)は山東を占領し、中国に21ヶ条の要求を出そうというものです。これは大問題だと思いますが、要するに、日本がアジアでほしいままにふるまっている、なんとか抑えたいということでしょう。
(軍備縮小に関しては、米国が主力艦(戦艦)の建造の10年間の休止と主力艦の保有トン数の制限およびその国別の比率とを提案、協議の結果米・英・仏・日にイタリア王国を加え、主力艦保有率を米英5、日本3、フランス、イタリア1.67とするワシントン海軍軍縮条約が締結された。日本は対米英6割を受諾せざるを得なかった。全参加国により、中華民国の領土保全、門戸開放、新たな勢力範囲設定を禁止する九カ国条約が締結された。Website)
2.18世紀の日本の世界
①神話の世界・正当性の確立、天皇制を使う
森本 ぼくは、教育の問題も大きいいと思いますよ。皇国教育によって、拡張主義そのものが、八紘一宇という世界を支配する唯一の原理だと正当化されたんですから。
井上 八紘一宇という言葉はカッコいいですからね (笑 )。
森本 そうですよ。それに教育水準でいうと、大学卒は非常に少ない。だから批判的にものを見られる層があまりいない。八紘一宇ついては前回辻田真佐憲の要点だけ再掲する。「にわかに公的な用語として注目されるようになった八紘一宇は、(中略)いずれにせよ、ここで注目すべきなのは、八紘一宇が初代の天皇(天照大神)に由来するとされる点だ。明治維新 においても ,「神武創業に立ち返る」ことが 掲げられ、 幕府の権威が否定されたように、「もともとはこうだった」という 主張は、しばし後世の 理念や政策に正当性を与えるため 用いられる。八紘一宇も、まさにそのようして遡行的に「発見」された国是だった。」(「あの戦争」は何だったのか 辻田真佐憲 2025.7.20 講談社現代新書p119)
④戦前の日本経済の状況
井上 戦前の日本の農業にも言えるんえるんですね。 1916年から20年までの水田小作料の全国平均が51%から55%、 昭和に入ると青森では66%くらいです。小作人の収穫量 の3分の2を地主に払っていたわけです。そこへ凶作がくるものだから、農民はどんどん貧しくなっていく。当時働く人の55%が農民ですから、これは国内にモノを買う力がないということを意味します。したがって 日本資本主義としては外国にモノ売るしかない。それから農村が貧窮化していますから、どうしても農村からら人を出さなければいけない。そこで海外に満州のようなところが必要になる。つまり体のいい 移民ですね。このあたりに、日本が満州を 占領し、ズルズルと太平洋戦争までいく一つの要因あるのではないかと思うんです。
3.国防政策の変質
①日露戦争(1904年から1905年(明治37年~明治38年))
森本 農民を 収奪して、それを 工業の 原資にする。農民が 貧困だから国内市場は大きくならない。しかも人 口が爆発的に増えますから、対外的には拡張主義に向かわざるをえないんです。その意味で注目すべきなのが、明治40年の初度国防方針 だと思います。それまでの日本の国防方針は防衛主義的な性格なんですが、ここで一気に攻勢主義に転換します。明治37年の 日露戦争がきっかけになっていますが、ここに私は近代史の最初の大きな 悲劇があると思うんです。
②教育の変質
森本 教育水準でいうと、大学卒は非常に少ない。そこに脳髄の真空地帯がありまして、軍国主義がスイスイ入っていって、国民 非常にファナティツク(fanatic、意味は主に「狂信者」)にしてしまつた。しかしそこでそういう一般国民の一人一人に戦争責任があったと言うと、ちょつと過酷じやないかと思いますが。強制的にそういう教育体系に入れられたんですから。
井上 それはよく分かっているつもりです。国を変える権力のある人と、結局は犠牲になっていく人とは、分けて考えなきゃいけないと思います。もちろん天皇には責任があるんだけれども、どうも僕の印象だと、一番熱心だったのは近所の旅館の親父だった (笑 )。そういう国民の責任も考えたいような気がするんです。
大江 日露戦争後、日本の教育体系が再編成されますよね。小学校教育では天皇制ファナテイシズムを教え込む。中学校あるいは実業の中等教育になると、単なるファナティシズムではダメだから、それを指導していく実務教育を教え込むんです。これが高等教育、つまり専門学校、大学になると、天皇制よりもむしろ帝国主義を教えるんですね。つまり、支配者としてどうやっていくかという教育です。
井上 国民意識の高揚ということで言いますと、もう一つ、ナチス・ドイツの電撃戦の成功というのがあります。ヨーロッパでフランス、オランダ、イギリスが、ドイツに目茶苦茶に負かされたでしょう。それを聞いて、僕らは子供ながらに、これは東南アジアのフランス、オランダ、イギリスの領土、植民地が取れるぞ、「今だ」という感じがしましたよ。
森本 国民が総軍国主義化されたわけですからね。
大江 たとえば、南京陥落の提灯行列とか旗行列とか。
井上 四十万人の大提灯行列ですものね。あのときは 相場大暴騰して大儲けして、 南京成金と言われるにわかお大尽がわんさと出ました。 当時の新聞を見ると、軍需産業で儲かった。
③中国への21カ条の要求(日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題)、山東省問題(1898年: ドイツが膠州湾を租借。山東省に権益を獲得した。1914年: 第一次世界大戦。日本、ドイツに宣戦し、青島に出兵した。のちに撤兵)
森本 アメリカの対日軍事戦略は、アリュ—シャン列島 ハワイ、グアム、フィリビンを結んだ線までという意識で、当初はそれ 以上は東半球に出るつもりはなかったんです。あくまでも大西洋が アメリカの第一の戦略正面ですから。ところが 日本は中国へ進出するし、イギリスやフランスは植民地にしている。アメリカ も自分の中国に対する利権を意識し始めるんですね。それが太平洋戦略にも反映される。
大江 たしかに21ヵ条の要求と山東問題は大きかったですね。
あれで中国は一挙に反日になるし、アメリカは日本への警戒心を強めます。まさに火事場泥棒のような要求ですから。
井上 中国の人は、21ヵ条は火事場泥棒であると 言ってっていますね。つまり、太平洋戦争というのは一気に起こったのではなくて、すでにこの頃から、アメリカはアジアにおける 日本のやり方がフェアじゃないという疑惑と不信を徐々に養っていったんじゃないかと思うんです。
大江 そうですね。アジアでアメリカがとりついていたのは、実は朝鮮だったんです。朝鮮政府の宮中顧問をはじめとして、実業家がずいぶん出ていっています。それが 日露戦争の結果、 朝鮮を日本に譲り渡す、そのかわりに満州でのアメリカの経済活動の余地を与える
4.太平洋戦争 海軍の戦争
①当時の経済状況
森本 まず、太平洋戦争に突入する前の日本経済ですが、驚くべき事態です。 戦前の日本の国民総生産がピ—クに達したのはなんと昭和14年なんですよ。日中戦争をやってる時です。そのピークを過ぎて15年からドツと下がっていく。開戦は昭和16年12月8日ですが、当時の日本の G N Pは大体90億ドルドルぐらいです。それに対してアメリカが1100億ドルですよ。なんと8.2パーセント。
大江 大体11倍か12倍と云われてますね。
森本 ええ。つまり日中戦争だけでももう耐えられないなかで、しかも 昭和14年の経済の最後の高揚期がすぎたあとに、三正面作戦をやったわけです。第一の正面はソ満国境、二番目は中国戦線、三番目は太平洋でしょう、いわば四面楚歌ですよ。こんな小さい国が三正面作戦をやって泥沼からはい上がれるということは絶対にありえない。しかも最大の戦であるはずの太平洋に投入された臨時軍事費は、昭和16年から20年までの間、かって一度も、中国及び満州に投入されている軍事費を超したことがないんですよ。これは驚くべ事態です。
大江 兵力の投入の仕方も同様でしょう。
森本 そうなんです。海主陸従の戦いだということで、陸戦兵力はあまり投入しないんです。そして18年2月にガダルカナルを撤収せざるをえなくなったときに、初めて陸軍は満州とか中国にあった陸戦兵力を南方へ転用する。もう手遅れですけどね。この背景にあるのが山本五十六の戦略です。積極戦法、連続攻略戦法、前方決戦主義、拡張主義。 これを満たすのは真珠湾の奇襲しかないという結論に達したわけですから。その延長でマーシャル諸島のほうまで行って、離島作戦を展開する。個々の離島に分力化した形で陸軍が駐兵している。
②石油問題
森本 とにかくあの頃の海軍は、何もしなくても一日に500トン(約3,665バレル)ずつ石油が減っていくわけです。 開戦時の戦時の石油の保有量はアメリカが14億バレルというのに、日本はその722分の一、194万バレル
大江 海軍が持っていたのが650万トン(約47,645.5バレル)
森本 海軍にとっては石油がなかったら船が動かせないし、飛行機も飛ばせません。だから作戦当事者としては一日も早くという、ものすごい焦りがあった。しかもすでに石油はアメリカから禁輸されているわけですから。
大江 禁輸前の日本の一年間の石油の輸人量が400万トン(約3000万バレル)
ぐらいです。当時の日本の経済規模というのは、そんな程度のものだった。
森本 そうですね。海軍の石油備蓄量は昭和16年で、4,889万ばレルです。 今の15日分ぐらいですか。よくやったもんだ (笑 )。しかもアメリカに対する日本の石油の依存というのは80%だったんですよ。その大動脈を握られているアメリカと戦争するんですから。
井上 今だったら、まったく成り立たないと僕らでも思うんですが、当時は成り立つという気分があったのでしょうか
③真珠湾攻撃
森本 だけどハワイには450万バレルの石油が備蓄されていたんですよ。日本の年間生産量の二年分以上です。もし、あれに手つけておれば、アメリカの反攻は3カ月以上遅れたはずです。
江 そうですね。もし真珠湾のときに加藤(1922年のワシントン 会議に出た加藤友三郎全権大使)の発想(アメリカの海軍基地を西海岸まで追い帰したほうがという戦略眼)があったら、戦艦を一隻や二隻やるよりは、ハワイの石油タンク燃やしたと思うんです。そうすればハワイの艦隊は西海岸まで後退せざるをえないですから。加藤友三郎の戦略論が、海軍のどこで消えてなくなったのか、不思議なんですけどね。
④大艦巨砲主義と一直性
森本 それはもう、海軍がずっとひきずっている 大艦巨砲主義の問題ですよ。とにかく直接的な攻撃目標として相手の戦艦をつぷしたいという一種の視野狭窄症があって、総力戦をやつているという意識はないんですから。しかも、攻撃された旧式戦艦は、アメリカの技術をもってすればニカ月で生き返ってくるてくるわけです。
それが、サイパン、テニアンなど に対してどんどん 砲撃してきています。
大江 結局、その発想は最後まで 変わりませんよね。だから同じあやまち、レイテ沖で栗田艦隊が やるでしょう。目の前に輸送船団をみながら 、こっちに機動部隊が現れるとそれを追いかけてゆく。
森本 輸送船を撃沈しないで、敵の戦艦を沈めるというのは、海軍独特の基本的考え方のですからね・
大江 ガダルカナルの第一次夜戦のときもそうでしょう。護衛の駆逐艦や巡洋艦はやっつけたけど、かんじんの護衛されている輸送船は攻撃しない。
それから、ちよつと調べてみたんですが、機動部隊はハワイからずっと、休養なしでミッドウェー海戦に出ていったでしよう。あれは無茶ですね。
森本 一直制の戦力って、ああいうもんですよ。それでいて戦艦大和、武蔵は繋留したまま、ホテルみたいになっています。(辻田真佐憲は第一次世界大戦の衝撃1914 (大正三 )年から1918 (大正七 )年にかけて行われた第一次世界大戦は、国家の総力をぶつけ合う総力戦の時や資源の多寡が 戦争の 勝敗を左右する決定的な 要因となった。この新しい戦争の実態を把握するため、日本も将来有望な若手軍人をヨ—ロッパに派遣した。かれらエリー卜 はすぐに総力戦の本質を見抜いたが、 同時に厳しい現実 直面した。それは、 日本が国力や資源を決定的に欠いており、このままでは総力戰に耐えられず、敗北は避けられないということだったと説明しているが結論は明快ではない。わたしは結局帝国主義に傾いていったと思う。)
5.日本の植民政策
森本 その通りですよ。日本の植民地政策は完全な収奪政策ですから、資源をどんどん掘りまくって、 再生産はぜんぜん考えずに自分の軍備と重工業にだけあてます。やらずふったくりです。だから 結局、現地の人々をレジスタンスに追いやることになる。中国はもちろんのこと、フイリッピンでもインドネシアでも同じやり方です。バー・モーというビルマ(現・ミャンマー)親日家は、日本は客観的に見れば大東亜を列強支配から解放したにもかかわらず、これほど 嫌われた民族はいない、自分の尺度でしかもの を考えない国民だ、と言っています。大東亜共栄圏の名において、そういう強烈な印象を与えたんでしょうね。
6.アメリカという国
大江;アメリカという国は、考え方のわからない国があっても力が弱いうちは放っておくけれども、自分たちに理解できない考え方をする国が武力を持って強くなると異常な恐怖を抱き、過敏にチェツクする性格がある。その国と、戦争という共通言語で一種のコミュニケ ーションを交わして、徹底的にやっつけてから、その国に自分たちの理想を植えつけていく。日本に対してもそうでしたし、湾岸戦争でイラクに対した時もそうでしょう。そこに相手国の独善性もあるし、アメリカの限界もあると云う気がします。
6.外国人、ヨーロッパ系の人から見た日本国
森本 これは哲学の問題だろうと思うんです。ファーレフェルトという「一億人のアウトサイダ ー』という本を書いたドイツ人の友人がいるんですが、彼はこう言います。憲法9条というのがある。ここじゃ戦力の保有を禁止している。しか自衛隊はあきらかに戦カだ。ドイツ人としての観点から言えば、 憲法を改正するか、それとも 自衛隊を解散するか、どっちかだ。日本人はその両方をやらないで、なんとなくやってきている。これはドイツ人には、まつたく理解の範疇を越えると。
井上 昭和の初期から見ていると、いろいろな意見が出た場合、必ず併用というのが起きるでしょう。
大江 そうなんです。両論併記。
井上 これが自衛隊とつながるんじゃないでしょうかね。なんだか甲乙がきめられない。
森本 そういうときは必ず両論併記ですね。
政府の地震調査委員会は26日、南海トラフ地震の発生確率について、算出法を見直し発表した。複数の計算方法を採用し、今年1月の時点で30年以内に「80%程度」としてきた数値を、今後は「60~90%程度以上」または「20~50%」と併記する。一つの地震の発生確率を併記することは異例。
これに対して、非難が殺到しているという、しかしいくら考えてもわからにことに併記するというのも日本文化の一つだろう。
イチハタ