33年ネット諸兄姉どの(2026.1.25)
衆議院が解散して総選挙になった。各党の政策も公表された。しかし「政治とカネ」の問題は全く消えてしまった。「政治とカネ」が現実となった。そんなこと言っている場合かということでしょうか。
以下はBranko Milanovic,Capitalism,Alone:The Future of the System That Rules the World, Harvard Universty「不平等・所得格差の経済学――ケネー、アダム・スミスからピケティまで 」単行本 2025/2/17ブランコ・ミラノヴィッチ (著), 立木 勝 (翻訳),解説梶谷懐 明石書店 2025.2の「政治とカネ」に関する論説の抜粋である。
★上位層は自己永続的か
永続的な上位層を築くことは、その階級が政治的な指揮をとらないかぎりは不可能だ。政治だけが、この目的で用いれば上位層が頂点にとどまることを保証できる。
だが理屈で言えば、これは民主主義のもとでは不可能なはずだ。投票権は誰にでもあるし、大多数の国民に関心があるのは、権力を持つ金持ちにその地位を永久に維持させないようにすることだ。とはいえ、アメリカの金持ちが政治に不釣り合いな影響力を発揮していることは、大量の証拠から明らかである。政治学者のマーティン・ギレンズ、ベンジャミン・ペイジ(ギレンスと)、そしてクリストファー・アーヘンとラリー・バーテルズ(アメリカの政治学者)は、金持ちが政治的により大きな力を持ち、政治システムが民主制から寡頭制―アリストテレスの定義によれば「財産のある者が国制の主権をにぎる」システム に移ったことを、歴史上初めて実証的に確認した。たとえばギレンズは、アメリカの上・下両院議員が、中間層と貧困層だけにとって重要な問題よりも、金持ちに関心のある問題について論じ、票を投じるほうがはるかに多いことを発見した。ギレンズの結論では、中間層の問題が検討されるとしたら、それが金持ちの関心事とたまたま一致したときだけだという。
このような発見はじつに驚くべきことだが、それはその確たる実証性や政治に及ぼす影響だけが理由ではない。これが政治と経済の両面で中間層が重要な役割を果たしていると従来からみなされてきた、世界屈指の由緒ある民主主義国家の話だからだ。世界で最も中間層を支持するこの社会(少なくともィデオロギー的な言説では)においてすら、中間層が政治的な力を持つのは金持ちと意見を共にする場合に限られるなら、他の国々の中間層と貧困層はなおさら政治的な力など持てそうにない。
だが金持ちは民主主義国家でいかにして政治の場を牛耳っているのか。これを説明するのは容易ではない。それは金持ちが、特権を持つ法的に別個の集団ではないというだけでなく、現代の民主主義国家では、政治家が特権階級から自動的に選ばれるわけではないからだ。それに対する反論として、完全な選挙権に似せたにすぎない過去の条件下では、政治家階級はたいてい金持ちの出身だったし、よって政治家とそれ以外の金持ちには共通の見解や共有する利害、相互理解があったと主張する人もいるかもしれないo だが今日の民主主義国家ではそうとは言えない。政治家は出身階級も背景もさまざまだし、彼らの多くは金持ちと社会学的に共有するものをほとんど持たない。アメリカのビル・クリントンやバラク・オバマ、イギリスのマーガレツト.サッチャーやジョン・メージャーは、全員がごく普通の家庭の出身だが、上位1 %の利害をすこぶる効果的に支援した。
★上位1 %が支配する政治
では金持ちの影響はどこから生じるのか。答えはじつに明快である。 つまり政党や選挙活動への資金提供を通してだ。アメリカはその典型だが、それは企業が政治家に資金提供できること、そして個人献金にほぼ制限がないからだ。したがって所得ないし富の分布の頂点にいる人びとからの政治献金が過度に集中することになる。 2016年上位1%のうちの1%(これは誤植ではない) 選挙用の献金総額をしていた。それどころか政治獣金の分配は富の分配よりもさらに集中している。政治献金を出費と考えれば、これもまた、間違いなくョツトやスポーツカーにかける出費と同じ類いの、とりわけ超富裕層に限った出費のひとつなのだ。
この発見は、選挙を左右するのに必要な金額と政治献金の広がりを除けば、とくに新しいものではない。
1861 年のエッセイ 『代議制統治論』 でジョン・スチュワート・ミルは次のように述べている。「政治家たちの間でこれまで買収防止に向けた実際の真剣な取組が全然なかったのは、金のかかる選挙をなくそうと本気で望んでいなかったからである。金のかかる選挙は、多くの競争相手を振り落とすので、出費をまかなえる人物にとって有利になる。 この問題はなにもアメリカに限ったことではなく、選挙費用がもっと管理されているはずのドイツやフランスにも存在す。 まだできて間もない多くの民主主義国家では、この問題はさらに深刻で、政治資金のルールはさらに明瞭さを欠き、しばしば強制すらされていない。ョーロッパにおける最近の政治スキャンダルのほとんどは(たとえばヘルムート・コール(注イチハタ以下同じ;ドイツ首相、再統一の功労者、闇献金疑惑)、ニコラ・サルコジ(フランス大統領汚職事件で有罪)、シルヴィオ.ペルルスコーニ(イタリア首相脱税事件で有罪))、個人的な汚職ではなく政治的な動機による汚職に関連したもので、政治家が金銭を違法に受けとり、それを選挙運動に使ったとして告発され、場合によっては有罪判決を受けている。この問題はインドでは桁外れの規模で発生し、多額のヤミ献金は日常茶飯事で、候補者はもらった金の一部を自分の懐に入れ、 一部を所属政党にまわしてい。東欧や南欧では、選挙に必要な金額(世論調査員や活動家に報酬を支払い、新聞や電子メディア、テレビで広告を流すための)と、合法的な出所から受けとったと報告される金額とに、目をむくほどの不一致がある。とはいえ、この問題は往々にして黙過されるか無視されている。勝者はどうやって選挙に勝ったかを問われることはないし、敗者のほうも、自分たちの財源についても同じ質間をされかねないと承知しているからだ。
では、金持ちはその寄付に見合うものを手にしているのだろうか。金持ちが望むことを政治家はしてくるのか。このセクションの前半で、政治家は金持ちが重視する問題のほうにより注意を払う実証的な証拠について触れた。だが経済学もまた、この点について方法論的洞察を提供する。ひょっとしたら、こうした問いを投げること自体、奇妙なことかもしれない。答えがあまりにわかりきっているからだ。それは金持ちに、彼らが買った大きな家が好きかどうかを訊くのと同じだ。つまり、何かしらの見返りを期待せず金を払う者など誰もいない。それが大きな家を持つことの満足感だろうと、政治家に好ましい課税政策を採用させるこ
とだろうと。見返りも期待せず金持ちが選挙運動に献金するなどと言い張るのは、金持ち(彼らの大半は、従業員や供給業者、顧客から最大の余剰を搾りとって金持ちになった)の通常の行動とは真逆なばかりか、常識的にも、また人間の性質についての私たちの理解にも反している。こうした筋の通らないことをおおっぴらに口にできるのは政治家だけだ。たとえばヒラリー・クリントンは、ゴールドマン・サックスが自分の選挙運動に高額の献金をした見返りに何かしら期待しているはずだと国民が考えていることに、さも驚いたふりをし
た。ヒラリー・クリントンの発言を信じるなら、金持ちの献金者が決まって2年か4 年ごとに、揃って一時期、頭のネジが飛ぶのだと信じるほかない。つまり金持ちは(ほかの誰でも同じだが)、それが国債の購入だろうが、選挙資金の寄付だろうが、自分たちの出した金に見返りを期待する。それは正常な行動のひとつにすぎない。
★権力と富が結びつく
金持ちがその政治献金によって買うのは、彼らにとって有利な経済政策だ。高額所得の課税率の引き下げ、控除の拡大、企業部門の減税によるキャピタルゲインの増大、規制緩和などなど。こうした政策は金持ちがトップにとどまる可能性を高めてくれる。これこそが、純所得に占める資本シェアの上昇が、リベラル能力資本主義のもとで永久もしくは長続きする上位層の形成へとつながる鎖の最後の輪になるのだ。たとえこの最後の輪っかがなくても、上位層はその地位にしがみつくための強い追い風を享受するだろうが、この最後の輪がはまることで彼らの地位は不動のものとなる。これでサークルが閉じられる。したがって本セクションの冒頭で述べたように、政治的な支配は上層部が永続的に存在するのに不可欠なのだ。
★エリートが高額な教育を選ぶのは権力を強化するため
とはいえ、この新たな資本家上位層を旧来のもののレプリカとみなすのは軽率だろう。前に見たように、その構成員がいくつかの点で異なっているからだ。彼らは高学歴で、勤勉に働き、労働からかなりの割合で所得を得て、同類婚が多い。また子どもの教育にすこぶる熱心だ。現代の「新資本家」上位層は、自らの財産ばかりか、コネや金で買える最高の教育など、多岐にわたる無形の優位を子どもに確実に引き継ぐことに余念がない。そう考えると、高額な私教育の役割に対して、まったく新たな見方ができる。私立の高等教育にかかる費用は、アメリカでは生活費や世帯の実質所得よりも何倍も速く上昇し、中間層の家庭が子どもの
教育にかけたくても、どうにも手の届かないものになってい。 アメリカの上位38校の大学の学生は、所得分布の下位60%の家庭よりも上位1 %の家庭の出身者のほうがますます多くなってい。 子どもの数は裕福な家庭でも貧しい家庭でもほぼ同じだとすれば、超富裕層の家庭に生まれた子どもが一流校に通うチャンスは、貧しい家庭のみならず中間層の家庭に生まれた子どもよりも60 倍も高。「レガシー枠」(親戚の誰かがその学校の卒業生であるという理由で入学を許可される学生)は、アメリカの上位100 校の大学の学生のうち10 分の1 から4 分の1 を占めている。(日本からの留学生はこの「レガシー枠」で入学しているどれだけいるのかしら?)
加えてアメリカの高等教育制度では、大学に入ることがその学校を卒業することに等しいので、親子の努力はもっぱら大学に入ることに向けられる。そして、まさにここで金持ちが計り知れない優位を享受するの
だ。また私立の中等教育、さらにさかのぼって私立の初等教育、そして幼児教育すらも重要な意味も持つ。それらが一流大学に入るルートだからだ。したがって上位の私立大学と、たとえば州立大学との費用をたんに比べるだけでは誤解を招くだろう。子どもの教育期間、すなわち大学に入る前の14 ー16年間における私立と公立の費用の差にも注目する必要がある。無事に入学できて、こうした投資がついに実を結んだら、入学した学生はたいてい卒業できるので、もっと競争の厳しい環境に置かれたらとうてい卒業などできそうにない金持ちの子息子女でもさほど心配は無用である。ジョージ・w ・ブッシュを例にあげれば、彼にとってはイェール大学に入学することだけが何より大事だったので、 一族はそれが確実に保証されるべくはからった。いったん入学したら、ブッシュはおざなりの努力をするだけで、あとはくれぐれも派手なスキャンダルを起こしたり、ドロップアウトしたりしないよう気をつけさえすればそれでよかった。
高額な教育費は、 一流大学の実際の、あるいは見たところの教育の質と組み合わさることで二つの効果を発揮する。まず教育の頂点を独占する上位の資産所有者に対し、それ以外の者が競争することを不可能にすると同時に、こうした学校で学んだ者は金持ち家庭の出身というだけでなく知的にも優れているはずといった強力なシグナルを送るのだ。
これらの要因(高額な教育費と高い教育水準)のどちらも不可欠であることに注目してほしい。 費用がさほどかからなければ、金持ちの子どもはもっと苛烈な競争にさらされるだろう。また学校の質が劣っているとみなされれば、金持ちの子どもにたんに専門の資格をあたえるだけで、実社会でとくに尊敬されるわけでもないお飾りのものにすぎなくなる。だがこうした学校は費用がかかり(したがって競争相手が減る)、同時に良質でもある(知的に優れていることをシグナリングする)ことから、どちらの問題も金持ちは回避できる。 また優位性が生まれるのは、大学や大学院の学位を取得した者の教育プレミアムが上昇するからだけでなく、同じ年数の教育を受けた卒業生のあいだにも格差が広がるからだ。大学に入学して10年後、すべての大学の卒業生のうち高所得者の上位10 %では、給与の中央値が6 万8000 ドルだったが、上位10 校の大学の卒業生では、給与の中央値が22 万ドルだった。(22/6.8=3.2倍になる)
だからこそ公教育の相対的な質を改善し、上位の学校に進む機会を平等にするための抜本的な対策を何も打たなければ、この状況はアメリカでさらに度を越したものになるし、それが他国にも広まることも予想される。歴史的に強固な公教育制度を誇ってきたョーロッパ諸国でも、まだ初期の段階ではあるものの、同じプロセスが起きつつある。
★相続財産
最後に、相続資産について見てみよう。金融資産の相続だけの重要性を見るためにフランスについての計算をとりあげるが、ただし、さらに高水準の富の不平等が存在するアメリカなどの国では、おそらくその重要性は増すはずだ。
「21世紀の資本』でピケティは、次の二つの問いを投げかけた。 年間に総じてどれほどの資産が相続されるのか。さらに、ある年に人ロの何%が、賃金分布の下半分にいる平均的なひとりの労働者(ここでは簡単に「平均労働者」と呼ぼう)が資本化した生涯賃金よりも多い資産を相続するのか。この問いがなぜ重要かというと、こうした額を受けとる人ロのパーセンテージが高ければ高いほどー ほかの条件がすべて同じである場合ー不労所得者の取り分が多くなるからだ。だが問題は不労所得者の取り分ではないとしてもー たとえば利子だけで暮らす人間にはなりたくないと人びとが思ったとしても そうした人の数が増えれば増えるほど、金持ちの優位性は大きくなる。(中略)
フランスでは、現在の相続資産対GDPの比率が国民所得の約15 %を占めている。ではフランスの人ロの何%が、平均労働者が資本化した生涯賃金と同等ないしそれ以上の相続資産を受けとるのか。それは12%から15%のあいだである。この集団は一日たりとも働かずに生涯にわたって平均労働者の生活水準で暮らすことができる。
富の不平等がもっと大きい国では、おそらくこのパーセンテージはさらに高くなるが、それは主として μ(生存者の資産と比べた故人の資産)が上昇するからだ。さらに相続の分配が金持ちにひどく偏っているような富の不平等が著しい国では、仮にきわめて高額の相続(すなわち、その値が平均労働者が資本化した生涯賃金を上回る相続)のパーセンテージが低い可能性を調整しても、人ロのかなりの割合が、何もまたはほんのわずかしか相続しない人びとと比べて桁違いの優位を享受するはずだ。
★上位層は部外者に開かれているか
リベラル能力資本主義のもとでの上位層の特徴のひとつは、それが部外者に比較的開かれていることだ。上位層は他の人びとと法的に違いがないことから(貴族の場合とは異なる)、そしてその重要な、実際には唯一の特徴がお金にあることから、スキルや運を使ってあらゆる障害を乗り越え、どうにかして金持ちになった個人にその門戸を閉じてはいない。過去の時代とは違って現代の上位層は彼らに開かれているし、彼らを見下すこともない。むしろ尊敬の眼差しで迎え入れることだろう。トップにたどりつくまでに彼らはもっと困難な道を歩まざるをえなかったのだから。下からのぼってきた新参者にも扉が開かれていることは、最上位層を次の二点で強化する。まず下位層のうち最高の人間を取り込めるし、さらに、上にのぼる道は完全に閉ざされているわけではないとのメッセージにもなるからだ。こうして最上位層による支配を筋の通ったものに見せ、よってその支配をさらに揺るがないものにできる。
ここ数十年そうだったように、技術の進歩が速く、莫大な富をすぐに築くことができる場合、新参者への扉はさらに大きく開かれることもありうる。新たな億万長者をざっと見わたすだけで、多くの者が裕福な家の出ではあるものの、上位1 %出身か、あるいは飛び抜けた社会的優位を享受していた者はごくわずかだとわかる。このことはアメリカの億万長者についてのデータで確認できる。アメリカの億万長者の総資産に占める相続資産の割合は、1976 年に約50 %だったが、2001 年には35 %、2014 年には30 %強にまで継続して下がっている。ほとんどの億万長者と、おそらく多くの百万長者は、その両親よりもはるかに高い所得水準と相対的な地位を享受している。彼らは絶対的ならびに相対的な世代間の上昇移動を経験しているのだ。
イチハタ