公明正大(こうめいせいだい)

投稿日: 2013/08/15 11:11:19

全日本剣道連盟の「剣道試合・審判規則」第1条は、

「剣の理法を全うしつつ、

公明正大に試合をし、

適正公平に審判すること」

を目的としています。

つまり、試合者は第一条の精神に則って試合を行い、審判も試合者同士が第一条の精神に適った試合を行うよう、試合を進行させるのです。

現状はどうでしょうか。

多くの優勝常連者は、反則を有効に使う。

たとえば、

「境界線付近で無抵抗の相手を明らかに打突の意思なく執拗に押し出す行為。→押された相手の反則。」

「鍔迫り合いで相手の竹刀をこれまた執拗にはじき落とそうとする行為。→竹刀を落されたほうの反則。」

「鍔迫り合いから逆交差で相手の肩に竹刀を掛けて打たせない行為。→明らかに不当な鍔迫り合いだが巧みに反則を取らせない。また審判が取ろうとしない。」

最近は、相手が「あと1回で反則負け」という重大な場面で、故意に相手に2回目の反則を誘発することが多く見受けられます。

こういった卑しい行為がはびこる要因は、審判にもあります。

第1条の精神に則って「公明正大」に試合者が試合を行うよう審判すれば、試合者が故意に行う反則ギリギリの行為に対し、勇気をもって合議をかけ、反則を取って良いのです。

「倒れた相手に何度も打ち掛かる」ような行為が散見されるのは、試合者が倒れて「一呼吸」間を置いて「やめ」をかけるというルールを、不利な相手に対して「やめ」が掛かるまでは「何度でも打て」という誤解を招いています。

審判には、武士の時代の「果たし合い」における「見届け人」のような「公明正大」さが求められます。

試合者も同様、その時代、「果たし合い」で背中から斬りつけて勝ったのであれば、卑劣な行為として「審判」され、切腹を申し付けられたというくらい武士道精神は正々堂々を重んじます。

勝利至上主義の指導者も責任重大です。

剣道を良くしたいのか、ただ勝たせたいだけなのか?

「指導者の美学」も問われるところです。

今の時代、第1条に「指導者は公明正大に試合するよう剣道を指導し、」と追記しなければならなくなったのでしょうか?