8月2日は、今回のツアーの公式な最終日だった。その後は有志によってマラッカでのイベントに参加することになっていた。
シャロンから最後の日の夜は、パパの家でフェアウエル・パーティーをやろうと、提案されていた。嬉しい提案だった。「福岡では食事会で佐藤さんの家族と会うことができたから」と言って、今回はパパの家でのパーティーを企画してくれていた。
シャロンのパパはデイヴィスといって、マレーシアでレストランを経営している。シャロンによれば、子どもの頃、狭い家には食材が溢れていて嫌だったのだという。やがてパパのレストランは軌道に乗り、今や人気のレストランチェーンになっている。パパは「シャロンを学校にやれたのはローストチキンのおかげだ」と言って豪快に笑った。
パパの家はラジオ収録を行ったPJ地域の近くにある。KLのベッドタウン、新興住宅地といった目的で開発された地域だった。家にバライのバスで送ってくれた。住宅地の入り口からはバスは入れず、一行は教えられたブロック番号を探しながら歩いていた。しばらく歩いてもその番号が無く、うろうろしていたら、通報があったのかセキュリティーのバイクが近づいてきた。こんな場所に日本人の一行は明らかに不審だ。番号を尋ねると親切に教えてくれたが、ちょっとひやっとした。
パパの家は素敵だった。われわれのためにパパが美味しい食事を準備して待ってくれていた。お酒の好きそうなパパであった。われわれは、ツインタワーの三越で買った日本酒をお土産に持っていったのだが、実は麦焼酎が好きなのだという。
「日本の味噌汁は世界一のスープだ」と言っていた。以前日本に少しだけ立ち寄って、その時に飲んだ味噌汁がもの凄く美味しかったらしい。しばらく味噌汁の話しをしていると、相当な日本食好きだということが分かった。「ダシにはコバヤシが大切だ」と力説していたが、どうやらカツオブシと言いたかったようだ。本当に愉快で豪快な面白いパパだ。
食事をしてしばらくすると、随分気持ちよくなってきて、隣にいたマスヌールに「マレーシアはひとつだろう! アーティストはタブーを持っちゃダメだ! おまえたちがやらなきゃ!」と力説している。マスヌールは酒を飲まないので苦笑いをしていたが、シャロンが困った顔をしていた。たぶん、お店がうまくいくまでは中国系であるということで、苦労をしたのだろう。マレーシアにはそういう差が厳然とある。
しばらく勧められるままにウイスキーなどを飲んで楽しんでいると、仕事を終えた長男夫妻が帰ってきた。シャロンのお兄さんだ。
パパは「これから息子がピザを作ってくれるよ。彼のピザはマレーシアで一番うまいよ」といってくれ、お兄さんが手際よくピザを作ってくれた。これが本当に美味しかった。仕事終わりで疲れているだろうに、遅くまで一緒に付き合ってくれた。
バライのバスが帰らなければならない時間になると、「みんなタクシーで帰れよ」と言って引き留めてくれた。メンバーの数人が残って、もう少し飲むことになった。九州の父親みたいだな、と思い出したりしていた。最後はこんな感じになっていた。最後はママとシャロンに2階の寝室に連行されていった。この感じもまさに、九州のおやじみたいだなと思った。