第2回気象学史研究会「北海道初期の気象観測」開催(2017/11/1)のお知らせ

第2回気象学史研究会「北海道初期の気象観測」開催(2017/11/1)のお知らせ

主催:日本気象学会気象学史研究連絡会

後援:日本科学史学会北海道支部

わが国最初の気象官署は1872年(明治5年)に開拓使により函館に設立されたものとされています。また国内初の開港場であった函館ではそれ以前の幕末期にも来日した外国人による気象観測が行われています。このように特徴的な北海道の初期の気象観測について、財部氏からは御雇米国人による米国の観測法導入と明治期気象事業への発展過程について、財城氏からは幕末期ロシア人による観測データの発掘とそれを利用した気候復元についてご紹介いただきます。

なお、本研究会は気象学史研究に関心を持つ多くの方の間の情報・意見交換をうながすため、当学会員であるかどうかにかかわらずどなたでもご参加いただけます。(当日「参加者名簿」へのお名前の記載にご協力お願いいたします。)

1 概要

第2回気象学史研究会「北海道初期の気象観測」

2017年11月1日(水)17:30~19:30(日本気象学会2017年度秋季大会第3日目夜)

北海道大学学術交流会館第1会議室(札幌市北区北8条西5丁目・大会C会場)

プログラム

財部香枝(中部大学)「明治初期北海道における気象観測:御雇米国人の活動を中心に」

財城真寿美(成蹊大学)・三上岳彦(帝京大学)「19世紀の在箱館ロシア領事館における気象観測記録」

参加費:無料。どなたでもご自由にご参加ください。当日「参加者名簿」へのお名前の記載にご協力お願いいたします。

2 講演要旨

・明治初期北海道における気象観測:御雇米国人の活動を中心に

財部香枝(中部大学)

ヨーロッパ、ロシア、およびアメリカ合衆国における気象観測体系や国家気象事業は、複雑だが幾分類似の発展過程を辿った。1800年以前は、古く発達した科学者共同体を有する国々が、観測を収集・蓄積しようとする国際的プロジェクトの組織化を先導した。19世紀後半になると、国家の気象観測体系が出現したのであった。

こうした中、アメリカでは、1848年から1874年にかけて、スミソニアン協会初代長官ジョセフ・ヘンリーJoseph Henryが推進したスミソニアン気象事業Smithsonian Meteorological Projectは、アメリカ大陸全域の観測者に均一な一連の手続きおよびいくつかの標準測器を提供し、国家規模的気象研究センターとしての役割を担った。

スミソニアン気象観測法は、わが国で気象観測法が全国統一されるまで、とりわけ北海道にて浸透していった。本発表では、スミソニアン気象観測法を概観した上で、ヘンリーと札幌農学校や開拓使の御雇米国人たちが、同観測法の導入過程にいかに与ったかを検討し、明治期気象事業の組織化の一端を明らかにする。

・19世紀の在箱館ロシア領事館における気象観測記録

財城真寿美(成蹊大学)・三上岳彦(帝京大学)

函館の公式気象観測は、1872 年に設立された函館気候測量所(現在の函館地方気象台)で始まったが、それ以前の1859年~1862年の4年間にわたり、函館山北麓の沿岸部で行われた在箱館ロシア領事官付医師 H. H. Albrechtによる毎日の気温、気圧等の詳細な観測記録が残されている(財城ほか 2014)。旧ロシア領事館での気象観測は、1日3 回(7 時、14 時、21 時)行われており、1859年~1862 年の1月と7月の平均気温を、函館気象台の平年値と比較すると、1月は0.9℃低く、さらに7月は4. 3℃も低いことが明らかになった。また、水戸の「大高氏日記」や秋田の「山脇弁治日記」の天候記事からも、1860年7月末に異常な寒気が発現していたことが認められた。これらのことから、函館ロシア観測が行われた1860年前後は、東北地方以北で夏季に異常低温であった可能性が高いと考えられる。

函館での気象観測のように、観測地点が沿岸部から内陸部へ移転した場合の影響について検討するために、現在函館市内の沿岸部(北星小学校)と内陸部(北美原小学校)の百葉箱内に気温データロガーを設置し同時観測を行っている。今後は、函館気象台(内陸・市街地)を加えた3地点における気温の特性についても解析を進める予定である。

(2017/8/24。20179/4後援を追加)