(1)明治大学人文科学研究所・総合研究
「模倣と創造 日本とヨーロッパにおける文化継承の現象学」(京都セッション)
2013年10月19日(土)・20日(日)、同志社大学志高館において、明治大学人文科学研究所・総合研究「模倣と創造 日本とヨーロッパにおける文化継承の現象学」(京都セッション)を本学会の後援として共同で開催しました。この総合研究は明治大学の合田正人会員、大石直記会員らを中心に推進されているもので、上山安敏会員、徳永恂会員ら京都ユダヤ思想学会の会員諸氏とともにセッションをおこなうべく企画されたものです。第1日は「第1部:神話の科学、あるいは、神秘主義と科学」、「第2部:ディディエ・フランク教授特別講演:現象学から神学へ」、第2日は「第1部:(宗教)解釈学、文学および思想と翻訳行為――ミメーシス」、「第2部:ポール・リクールと解釈学――生誕100年に寄せて」がおこなわれました。本学会からは、小野文生「形なすものと力――ブーバー=ショーレム論争への一視角」、大石直記「森鴎外と美的モデルネの問題――その方位と帰趨と」、合田正人「アレクサンドル・コイレにおける神秘主義と科学」、上山安敏「イスラエル建国神話の両義性――バル・コホバとヤヴネ」、伊藤玄吾「聖書解釈と翻訳――リシャール・シモンの場合」、徳永恂「思想史の方法としても図像解釈学――三つの絵(カイザー・ノルデ・クレー)をめぐって」、合田正人「リクール、レヴィナスと解釈学」(以上、発表順)の各会員が発表や講演、対論をおこないました。両日とも、50名を超える参加者を得て、盛況のうちに幕を閉じました。(小野文生)
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(2)講演会:"Nation-state, Jews and Antisemitism: A comparative approach between United States and France"
日時:2013年10月25日(金)、15:00~18:00 会場:京都大学楽友会館
この講演会は、パリ第一大学名誉教授であり、政治社会学者のビルンボーム氏による「国民国家、ユダヤ人、反セム主義――アメリカとフランスの比較アプローチ」という題目での公開でなされたものであった。
ビルンボーム氏の講演におけるアプローチの特徴は3つあった。一つは、近代のユダヤ人問題、反セム主義を国民国家との関連で捉えるものである。つまり宗教的、経済的反ユダヤ主義は、世界中どの場所でもみられ、ユダヤ人は完全なスケープゴートとして差別、排除されるが、政治的反ユダヤ主義と呼べるべきものは、国民国家社会においてのみ見られるものである、ということである。すなわち、メリトクラシー的な競争によって国家構造に参入することが可能なフランスのような「強い国家」においては、ユダヤ人は裁判官や将校や大学教授となりうるが、だからこそ国家からユダヤ人を排除しようとする政治的な反ユダヤ主義を生み出すことになり、ドレフュス事件が典型的な例であるように、数千人の群集が「フランスはフランス人だけのもの」として暴動を起こしていたことなどが語られた。
もう一つが第一のアプローチと関連して、反セム主義を「強い国家」と「弱い国家」という国家構造の相違を通じて、比較するということであった。ともすれば、近代の反ユダヤ主義はドイツを事例として語られるが、19世紀のフランスとアメリカとの比較、つまり「強い国家」であるフランスでは国家からユダヤ人を排除する政治的反セム主義であるが、「弱い国家」であったアメリカでは、反セム主義は主に宗教に基づくものであり、ユダヤ人の本格的な国家参入は1930年代のニューディール期まで待たねばならず、そこに至ってようやく政治的な反ユダヤ主義がみられるようになったとのことであった。
最後が歴史社会学的アプローチということであり、それは二つのスタンスによって構成される。一つ目が、ある概念が歴史的に構成されていくものであることを前提に、歴史的文脈に沿ってある概念の意味内容、使われ方、区別を考える必要があるということである。二つ目が、個人に焦点を当てる個人史的アプローチの重要性ということであり、ある歴史状況においてある個人がいかに対応していくのかを見る必要があるということであった。
講演後、「なぜアメリカの同化ユダヤ人がシオニストとなったのか」という質問がなされたが、それに対して「躊躇するシオニスト」として、アメリカのシオニストは、社会的上昇にめぐまれているため、ユダヤ人国家(state)建設を目指す政治的シオニストではなく、文化的シオニストであること、パレスチナに行き入植することはほとんどないことなどの説明がなされた。また経済的反セム主義と政治的反セム主義の区別や意味内容について質疑応答がなされたが、そこではやはり国家構造への参入の仕方と反セム主義のあり方の変容や具体的様相、事例についての説明などがなされた。 (池田有日子)