レヴィナス哲学とユダヤ思想

Post date: Dec 26, 2011 2:28:09 AM

2011年11月15日 ジェラール・ベンスーサン公開講演会

主催:京都大学グローバルCOE「心が活きる教育のための国際的拠点」・京都ユダヤ思想学会

場所:京都大学吉田キャンパス

講師:Gérard Bensussan(ストラスブール大学哲学部教授)

テーマ:» Naasé venichmah dans l’œuvre de Levinas «

「レヴィナスの作品におけるナアセー・ヴェニシュマー〔われわれは行い、聴く〕」

通 訳:西山達也(東京大学UTCP)

コメンテーター:合田正人(明治大学)・杉村靖彦(京都大学)

司 会:小野文生(京都大学)

ベンスーサン氏の講演は、レヴィナス哲学の核心にある「同のなかの他」という倫理的主体の応答責任の「構造」を問い直すものであった。他者への応答責任を主体はいかなる意味において担うのか、応答するためには応答する主体があらかじめ〈私〉なるものを肯定し構築しておく必要があるのではないか、とレヴィナスに対してしばしば投げかけられる批判(たとえばリクール)がある。それに対し、主体は他者に対し「世界のうちに遅れてやってきている」のであり、「自らの決して触れえない根拠のうえに根拠づけられて」いるのであって、存在論的な自由、意識、コギトの絶対性へは逢着しないと述べるレヴィナスを、ここでは全面的に擁護する立場で講演はすすめられた。とくに、出エジプト記のよく知られた箇所「ナアセー・ヴェニシュマー」(私たちは行い、聴きます)が「現在のたんなる継起とは異なる時間の筋立てを要求するもの」であるとして、根源的な受動性、無-始原といったレヴィナス特有の術語と関連づけて読解された。さらに、これもまたよく知られたピルケー・アヴォートのラビ・ヒレルのことば、「今でなければいつ ?」の三つの章句を例証にしつつ、「今」という時間が「いつ?」に対する絶対的な先行性をもっていること、したがって「先行するもの」としての「他者に対して」生じる主体は、いわば(表裏の反転ではなく)「表なしの裏返し」として生じる同一性であることが指摘され、「私であること」の唯一性が時間のアナクロニズムの「構造」として解釈された。

つづいて、本学会よりレヴィナス研究の第一人者である合田正人氏に、ゲストとしてリクール哲学の専門家でもある杉村靖彦氏にご登壇いただき、討議をおこなった。両氏のコメントはじつに多岐にわたるもので、しかもそれぞれがレヴィナスの問題の核心に切り込んだ鋭い指摘であり、ここではそのほとんどを割愛せざるを得ないことはまことに残念である。合田氏は、フランス語圏におけるレヴィナス研究、およびユダヤ思想研究を蔽う雰囲気や環境について文脈を補ったうえで、アルケーがない、無‐始原として主体を語るレヴィナスにおいてもやはりある種の主体の超越論的構造が再構成されてしまうという「反転」の問題性について、そしてレヴィナスが多大な影響を受けた(という事実さえそもそもほとんどレヴィナス研究者たちは考慮していないと氏は指摘する)ジャン・ヴァールの「根底的経験論」概念から、経験論を排すると称したレヴィナスを再考する可能性について、問いを投げかけた。杉村氏は、リクールの立場から主に三つの問いを投げかけた。すなわち、(1)レヴィナスのいう受動性はひとつの「行為」として規定しなおせるのではないか、(リクールとは違って)レヴィナスがそれを「行為」として正面から扱わないのはなぜか、(2)「決断」というハイデッガー的な術語を、ハイデッガーに抗したレヴィナスの思想の解釈に適用することの問題と意味は何か、(3)レヴィナスのいう倫理的主体は「啓示(Offenbarung)を起点として」知解され、こうした啓示は「デリダ的な開示性(Offenbarkeit)のもつ構造的な意味での」それであると講演で述べられている。デリダにおいて啓示と開示性のいずれが根源的かは「決定不可能な問い」だったが、レヴィナスの場合、それは彼のいう「両義性」ないし「あいまいさ」とかかわるのではないか、そうだとしたら、その「両義性」はどのようなものとなるか。

両氏が投げかけたこれらの問いに、ベンスーサン氏からの応答があり、その応答に対しさらに両氏から丁々発止の応答が相乗され、こうしたセレモニカルな講演会にありがちなものとはまったく違う、まれにみる知的刺激に満ちた討議が繰り広げられた。平日にもかかわらずお集まりいただいた 40 名を超える聴衆にとって、豊かな時間となったとおもう。ベンスーサン氏、合田氏、杉村氏、そして通訳の西山氏にこころより感謝申し上げます。(文責:小野文生)

2011年12月18日 レヴィナス『全体性と無限』刊行50周年記念シンポジウム

主催:京都ユダヤ思想学会

後援:科学研究費補助金・若手研究(B)「「現実‐潜在」関係に関する思想史的研究」(課題番号22730616)

場所:京都大学大学院文学研究科 新館第6講義室

テーマ:『レヴィナス哲学とユダヤ思想』

■開会の挨拶&シンポジウムの趣旨説明

小野文生(京都大学)

■Session1「宗教学と解釈学」

司会+コメント:小田淑子(関西大学)

「ラビの聖書解釈の特徴――レヴィナスの関心から知られること」

市川 裕(東京大学)

「レヴィナスと解釈学論争」

合田正人(明治大学)

■Session2「哲学と倫理」

司会+コメント:田中智志(東京大学)

「レヴィナスにおける『女性的なもの』について」

発表者:中 真生(神戸大学)

「倫理をめぐるレヴィナスとカントの交差点」

発表者:後藤正英(佐賀大学)

■Session3「ディアスポラとヘブライズム」

司会+コメント:臼杵 陽(日本女子大学)

「ヘブライ語圏のレヴィナス解釈――ユダヤ思想の展開の一断面」

手島勲矢(元同志社大学)

「へブライズムにおける顔理解――レヴィナスとブーバーのヤコブ解釈より」

堀川敏寛(京都大学)

■Session4「聖書と伝統」

司会+コメント:西平 直(京都大学)

「レヴィナスと聖書――〈顔〉〈わたしはここに〉〈隣人〉などをめぐって」

竹内 裕(熊本大学)

「詩篇、韻律、ハルモニア――詩としての聖典の解釈をめぐって」

伊藤玄吾(同志社大学)

■閉会の挨拶

芦名定道(京都大学)