第13回(2020)中世ユダヤ教聖書解釈の諸相:キリスト教世界とその周辺

日時: 2020年9月13日(日)

会場: オンライン(Zoom)

■大会プログラム

【個人研究発表】

研究発表① 「上海無国籍避難民指定居住区の運営実態―實吉敏郎海軍大佐の未発表文書をもとに―」

   発表者:菅野 賢治(東京理科大学)

     司会:平岡 光太郎(同志社大学)

研究発表② 「パトナムとベルクソンの時間論 ―相対性理論をめぐって―」

   発表者:吉野 斉志(京都大学非常勤研究員)

    司会:渡名喜 庸哲(立教大学) 

研究発表③ 「ラヴ・アブラハム・イツハク・ハ=コーヘン・クック研究における『八文集』(שמונה קבצים)の意義について」       発表者:福山 弘泰

           司会:後藤 正英(佐賀大学)

【シンポジウム】 「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相:キリスト教世界とその周辺司会:大澤耕史(中京大学助教)


「聖書解釈の広がりと深み —中世キリスト教文化との対話のなかで—」志田雅宏(東京大学講師)

「ピユートにおける聖書解釈」勝又直也(京都大学准教授)

「迷える者たちの翻訳者 —中世ユダヤ教聖書解釈におけるヒエロニュムス—」加藤哲平(日本学術振興会特別研究員)

「マソラー再評価をめぐる16-17世紀の聖書理解の新展開」手島勲矢(関西大学非常勤講師)

「宗教改革とヴェネツィアのユダヤ人 —レオネ・モデナの聖書解釈—」李美奈(東京大学大学院博士課程)

           

■要旨集録

【個人研究発表】

「上海無国籍避難民指定居住区の運営実態 ――實吉敏郎海軍大佐の未発表文書をもとに――」

菅野 賢治(東京理科大学)

1942年4月から1943年6月まで、上海・海軍武官府特別調査部長の座にあって、現地のユダヤ居留民対策の陣頭指揮をとった實吉敏郎・海軍大佐の日誌と書簡が、3年前、子孫のもとで発見された。過去2度の学術大会では、この未発表文書にもとづき、あるフィクショナルな記述から発して一部の書き手たちのあいだで史実として受容されてきた「日本軍主導のユダヤ絶滅計画」というエピソードの信憑性を疑義に付し、1943年2月、事実上ユダヤ難民専用の管理機構として構想された「上海無国籍避難民指定居住区」(いわゆる「上海ゲットー」)の実際の設置過程を解明することに努めた。これに続き、本発表では、1943年2月以降、實吉大佐と、「無国籍避難民処理事務所」所員(のちに所長)久保田勤による同居住区の運営実態を、国内外の先行研究(国外では、なかんずくDavid Kranzler、国内では関根真保のそれ)との摺り合わせのなかで検証する。この作業をつうじ、当初、現地のユダヤ居留民たちからナチスの差し金による絶滅計画への予備段階ではないか、とも疑われ、恐れられた指定居住区の機構が、実のところ、ドイツからの教唆、指示、介入などとはまったく無縁のところで発せられたものであることが、再々度、確認されるだろう。むしろ中心的議論は、1942年1月1日、ヒトラーにより国籍の無効を宣言されたドイツならびにドイツ占領地区(オーストリア、チェコ、ポーランドなど)出身のユダヤ難民たちの処遇をめぐり、海軍武官府特別調査部、大東亜省、領事館、陸軍ならびに憲兵隊といった複数の部署間にくすぶり続けた意見の対立を、實吉大佐とその二人の部下、久保田勤、関屋正彦の実際の対応のなかからあぶり出す作業に絞られてくるであろう。

「パトナムとベルクソンの時間論 ―相対性理論をめぐって―」

                                吉野 斉志(京都大学非常勤研究員)

アメリカの哲学者ヒラリー・パトナムは論文「時間と物理幾何学」で、特殊相対性理論から決定論が導かれると論じた。同様の論から、物理学は「永遠主義」と呼ばれる時間観を支持すると見なされることも多い。この主張に反論する論者の場合も含めて、この議論は現代の分析哲学での時間論に大きな影響を与え続けているように思われる。

しかしパトナムの議論を検討すると、そこには「現在瞬間説」とも言うべき前提が存在するのが見いだせる。彼は時空間の中の数学的点のような瞬間と、「市井の人」の考える「現在」を当然のように同一視している。そして現代の議論も、この前提を疑問視していないものは珍しくない。

パトナムに半世紀近く先立って、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンも著書『持続と同時性』で相対性理論を論じていた。ただし、初期著作からベルクソンが主張してきた時間論は、「時間と物理幾何学」のパトナムとは大きく前提を異にするものである。ベルクソンにとって、数学的点のような「瞬間」という考えはすでに、時間本来の性格を大きく損なう「時間の空間化」に基づいて成立している。そうした瞬間として「現在」を考えるなら、そのような「現在」は「これほど存在しないものはない」のである。この立場からすれば、空間的な線として表現される時間軸の上に「現在」を位置付けようとする企てはそもそも見当違いなものとなろう。

本発表では物理学者による論を含めた最近の論争も参照して、このような時間に関する根本的な捉え方の差異を考慮した時にその論争に何がもたらされるかを示したいと思う。ベルクソン的観点を参照する時、この問題に関して分析哲学で展開されてきた論争の少なからずはそもそも不要であるか、少なくとも異なる形を取りうると思われるのである。


「ラヴ・アブラハム・イツハク・ハ=コーヘン・クック研究における『八文集』(שמונה קבצים)の意義について」

       福山 弘泰(京都ユダヤ思想学会会員)

本発表は、日本の近現代ユダヤ思想研究で手薄なラヴ・クックについて研究するにあたり、研究の前提となる彼の著作物の底本をめぐる問題点を確認することを目的とする。

海外ではラヴ・クックの思想研究の蓄積があり、一部には彼の著作は多面的な人格を反映しており、彼の人格を狭く捉え特定のレッテル貼りをすることに警鐘を鳴らしているものがあるが、大半は「ラヴ・クック=宗教ナショナリスト」として描かれている。

ある先行研究では、現在流通しているラヴ・クックの文献は、息子ツヴィや弟子が編集し、文章の加除、意味転換、時制の変化、他の語による置換など、個々の文章の構造にまで手を加えたものであることが判明している。また、ラヴ・クックの死後、彼の「著作」が出現し始めたことにも注意すべしとする研究もある。つまり、彼の著述が既存の出版物で改変されているとする。とりわけ息子ツヴィは熱狂的な宗教シオニストであり、ツヴィが父の著作の編集にあたりナショナリスティックな側面を高めたと指摘する研究もある。加えてラヴ・クックの著作は、彼の弟子が創設したMossad ha-Rav Kookが出版したものが一般に流通している点も重要である。他方、1999年にツヴィらの手が加わっていない著作集『八文集』が、故ラヴ・エリヤフ・シュロモ・ラアナンの家族により出版され、海外では近年『八文集』を底本とした研究や、底本をめぐる文献学的研究が盛んになりつつある。

以上のように、ラヴ・クックの著作を研究する際、そもそも何を底本とするかという問いを避けては通れない。発表者は、安易にMossad ha-Rav Kook版に拠らず、『八文集』と比較・対照する意識が必要であると考える。さもなければ、「ラヴ・クック=宗教シオニスト」という言説の再生産に終始し、彼の多面的な人物像に迫ることができない。

こうした問題意識に立ち、ラヴ・クックの人物像と底本の観点から先行研究を整理する。そしてツヴィらによる編集の事例を紹介し、日本では手つかずである『八文集』の重要性を指摘したい。

【シンポジウム】 「中世ユダヤ教聖書解釈の諸相:キリスト教世界とその周辺

 今年のシンポジウムでは、キリスト教世界の文化と対峙する中世ユダヤ教におけるさまざまな聖書解釈の営みに注目し、五名の登壇者による提題をおこない、みなさまとともに議論を進めていきたいと考えております。聖書学習や宗教論争、典礼詩やユダヤ教思想など、その聖書解釈の機会は多岐にわたり、そのつど聖書の言葉はユダヤ教世界に新たな息吹をもたらしてきました。シンポジウムでは大澤耕史会員による司会のもと、手島勲矢会員、加藤哲平会員、志田に加えて、勝又直也氏(京都大学)と李美奈氏(東京大学大学院)をお招きし、それぞれの専門分野から五つの提題をおこないます。その後、参加者のみなさまとの全体討議によって論点を明らかにし、彩り豊かなユダヤ教聖書解釈の諸相をともに描いていきたいと思っております。ご参加をお待ちしております。

(シンポジウム企画担当:志田雅宏)

「聖書解釈の広がりと深み:中世キリスト教文化との対話のなかで」

志田雅宏(東京大学講師)

 本報告では、中世キリスト教世界におけるユダヤ人のさまざまな聖書解釈の営みを取り上げる。ユダヤ人とキリスト教徒は、ときに聖書の正しい意味をめぐってキリスト教徒たちと論争をおこない、ときに聖書の「ヘブライ的真理」(Hebraica Veritas)を求める知的探究のなかでともに聖書テクストを学んだ。また、聖書に描かれた族長たちの物語や預言は、ユダヤ人にとって、ときにキリスト教世界の起源や運命についてほのめかすものであり、ときに彼ら自身が体験した迫害や暴力を乗り越えていくための慰めを与えるものでもあった。また、キリスト教世界のユダヤ知識人や思想家たちは、聖書テクストの深みへと潜っていき、カバラーや哲学の思索を存分に展開した。そうした思想は、聖書の言葉に新たな光を当てるだけでなく、ユダヤ教の日常的な宗教実践のひとつひとつに生き生きとした風を吹き込むものでもあった。

 本報告の目的は、キリスト教世界のユダヤ教聖書解釈というテーマの導入として、全体の枠組みとなるものを提供することである。キリスト教徒たちの社会において、ユダヤ人は「共生と対抗」という生のあり方を自分たちに課した。ラビ・ユダヤ教の教典タルムードにはしばしば強烈な反キリスト教的言説がみられるが、中世のユダヤ人法学者たちはそれを同時代の現実に合わせて解釈しなおし、共生の道を切り拓いた。その一方で、民衆による暴動や宗教論争に巻き込まれたときには、ユダヤ人はキリスト教文化への対抗によって、自分たちのアイデンティティと生命を守らなければならなかった。この「共生と対抗」という生のなかで、聖書を読むという営みもまた、きわめて大きな意義を持ったのである。

 報告では、中世キリスト教世界のさまざまなユダヤ人学者・思想家たち——ラシやヤコブ・ベン・ルーベン、ナフマニデス、ハスダイ・クレスカスらとなるであろう——のテクストを手がかりに、彼らの聖書解釈の営みにみられるキリスト教文化との対話の作法を明らかにしていきたい。

「ピユートにおける聖書解釈」

勝又直也(京都大学准教授)

ピユートとは、安息日や祭日におけるシナゴーグでの礼拝の際に詠まれるヘブライ語の典礼詩であり、古代末期から中世にかけて、中東やヨーロッパのユダヤ共同体において、パイタンと呼ばれる典礼詩人らによって盛んに創作されてきた文学ジャンルである。イェシヴァーでのタルムードの学びを中心とするラビ・ユダヤ教の伝統では、シナゴーグにやってくる大衆に向けて詠われたピユートは、必ずしも権威のある文学ジャンルとはみなされていなかった(ピユート、パイタンという言葉自体が、ポイエテースというギリシャ語からの借用語であることから、ラビの側からの蔑称である可能性もある)。しかし、19世紀末のカイロ・ゲニザ文書の発見からもわかるように、当時のユダヤ共同体においては、いわゆるラビ文献の範疇にとどまらない、柔軟で活発な創作活動が数多く行われており、ピユートはその重要な構成要素であったのだ。

 ピユートは、アミダーやクリヤット・シェマといった、ユダヤ教における義務の祈りの枠組みの中で謡われることから、扱わなければならない内容があらかじめ決められている。例えば、クリヤット・シェマの祈りの中で謡われたヨツェルというジャンルの詩の第二ピユートでは、天使について言及しなければならない。それと同時に、パイタンは、そのピユートが詠われる日の特殊性も詩の中に入れようとした。それは他でもない、毎週の安息日や祭日において朗読されるトーラー(モーセ五書)やハフタラー(預言書など)の箇所である。古代末期のパレスチナでは、トーラーをセデルと呼ばれる部分に細かく分け、3年半ほどで読み終えたが、後にはバビロニアの伝統が支配的になり、トーラーをパラシャーと呼ばれるより大きな部分に分け、一年間で読み終えた。例えば、アミダーの祈りの中で謡われたクドゥシュタというジャンルの詩においては、第一ピユートと第二ピユートでその週のパラシャーが、第三ピユートでその週のハフタラーが引用されている。

 このように、ピユートとは、1)祈りの枠組みで要求される内容と、2)トーラーやハフタラー朗読の内容とを大胆に融合させる試みであり、一般のユダヤ人に向けて毎週提供された、新鮮で大衆的な(時に娯楽としての)聖書解釈という側面がある。さらに、時代や場所に応じて、3)ビザンツ、イスラーム、キリスト教といったマジョリティ文化の影響も垣間見ることもできる。本報告では、ゲニザ写本の解読に基づいたテキストを具体例として用いながら、1)~3)のダイナミックな関係性について紹介したい。

「迷える者たちの翻訳者 ——中世ユダヤ教聖書解釈におけるヒエロニュムス——」

加藤哲平(日本学術振興会特別研究員(京都大学))

中世のユダヤ教聖書解釈者たちがキリスト教徒と宗教論争をするに際し、切り崩すべき牙城は「ウルガータ聖書」に他ならなかった。ウルガータ聖書とは、古代末期のラテン教父ヒエロニュムスによる翻訳を基礎として成立したキリスト教会のラテン語訳聖書のことである。アドリア海近くで生まれ、長じてはローマに遊んだヒエロニュムスは、回心体験を経て東方諸国を遍歴したあと、遂にはベツレヘムで聖書研究に挺身し、膨大な聖書注解書をものす傍ら、古ラテン語訳福音書の改訂とヘブライ語原典に基づく旧約聖書の翻訳を完成させた。ヒエロニュムスの死後、「普及版(ウルガータ・エディツィオ)」と呼ばれるようになったこの翻訳聖書は、中世を通じてキリスト教会の聖典として大きな権威を持つようになった。こうした権威に基づき、中世のキリスト教徒たちは聖書に関してユダヤ教徒と論争する場合、このラテン語訳聖書の記述をしばしば引き合いに出した。これに対しユダヤ側は、その翻訳を吟味して誤りを指摘することで、論争相手に対するこの上なく強力な反論材料を見出そうとしたのだった。本発表では、ウルガータ聖書やヒエロニュムスに言及している中世のユダヤ教聖書解釈者たちを取り上げ、彼の翻訳や解釈をどのように論争に利用したかを検証する。具体的には、ラシュバム、アブラハム・イブン・エズラ、ダヴィッド・キムヒ、ナフマニデス、著者未詳の『セフェル・ニツァホン・ヤシャン』、ヨセフ・アルボ、イツハク・アバルバネル、エリアス・レヴィタ、アザリヤ・デイ・ロッシ、トロキのイツハク・ベン・アブラハムらの著作を扱う。彼らは、一方では、ヒエロニュムスをキリスト教の代表者、すなわち「迷える者たちの翻訳者」と呼んで蔑み、その翻訳や解釈の誤りを取り上げて激しく攻撃した。しかし他方では、彼のユダヤ教聖書解釈への造詣の深さを称えつつ、彼をあたかもユダヤ教の代表者であるかのように見なすことで、むしろその主張に耳を貸そうとしない他のキリスト者たちを批判することもあった。発表の中では、フィロンやアウグスティヌスなど、ヒエロニュムス以外のギリシア・ラテン世界の聖書研究に関する釈義家たちの言及についても紹介したい。

「マソラー再評価をめぐる16-17世紀の聖書理解の新展開」

手島勲矢(関西大学非常勤講師)

16世紀にはフマニスムスと宗教改革の二つの精神の顔がある。その二つの知的な潮流が17世紀に向けて一つの大きな流れ、とりわけ聖書解釈の意識変化となって、ルターの「聖書のみ」のスローガンを生み、それまでの社会や文化の価値観を根底から覆すことになるのだが、その世界観の変化は、キリスト教会内だけに限定されるものではなく、ユダヤ教社会にも影響が及んでいて、事実、『メオール・エイナイム』(1573年)の著者アザリア・デ・ロッシは教会の聖書(七十人訳)についてヘブライ語で同胞たちにも紹介するーその事実にユダヤ教徒とキリスト教徒の距離の近さは確認される。

このような16世紀の聖書解釈の意識変化を後押ししたものの一つが、ダニエル・ボンベルグによるユダヤ・ヘブライ書籍の出版事業である。そのヴェネチアでなされた出版事業は、まさにフマニスムスと宗教改革の精神を両方合わせたような事業であり、とりわけヤコブ・ベン・ハイムのラビ聖書(1525年)は、マソラーの伝統の厚みを広くヨーロッパのキリスト教徒に知らしめる一方で、ユダヤ人読者も数字の章立てなど教会の聖書伝統をはじめて意識させられることになる。またエリヤ・レヴィータのヘブライ語文法及びマソラー入門書『マソレット・ハマソレット』(1538年)は、キリスト教徒が関心を持つユダヤ教の母音記号とアクセント記号のモーセ起源に対する考察も行っていて、それは、ある意味、ヘブライ語で書かれた初めてのマソラー批判の萌芽といえる。その後、アザリア・デ・ロッシは、そのレヴィータの見解に対して、ラビの聖書解釈とは一致しないマソラーのアクセント伝統の側面に注目して、歴史的な思考の反論を試みている。

なぜこのようなマソラー批判がこの時期にユダヤ教側に生まれたのかの説明として、エリヤ・レヴィータ、アザリア・デ・ロッシ、またヤコブ・ベン・ハイム、いずれもユダヤ教徒とキリスト教徒の両方に共有されるべき、歴史知見を土台にした新しい聖書理解を模索していた点は注目に値する。三人が始めた歴史としてのマソラーの理解は、ある意味で、それまでのユダヤの解釈伝統への挑戦でもあって、したがって、それぞれの文脈の中で同胞からの厳しい批判にもさらされる。このような16世紀のユダヤ学者の聖書理解は、それ以前の理解と比べて何か違うのか?新しい印刷時代の聖書解釈のニューノーマルの輪郭を考えてみたい。

「宗教改革とヴェネツィアのユダヤ人——レオネ・モデナの聖書解釈——」

李美奈(東京大学大学院博士課程)

 近世イタリアでは、宗教改革の波が押し寄せるなかで、伝統的なキリスト教の権威が激しく揺さぶられた。それと同時に、キリスト教徒の学者たちのあいだでユダヤ教への関心が高まり、ヘブライ語やヘブライ語聖書テクスト、ユダヤ教思想を学ぶヘブライストたちが現れた。彼らはユダヤ教のなかに、同時代のキリスト教から失われてしまった本来の教えが守られていると考えたのである。そして、こうしたキリスト教世界の変化は、同時代のイタリアにおけるユダヤ教の聖書解釈にも影響をおよぼした。本報告では、その重要な事例として、17世紀のヴェネツィアのラビ、レオネ・モデナによるキリスト教反駁書『盾と剣』(Magen ve-Herev)を取り上げてみたい。本作品において、モデナはキリスト教の諸教義の誤りを指摘すべく聖書解釈を展開するが、その方法は、ユダヤ教の伝統を引き継ぎつつも、同時代のキリスト教世界の知的関心を反映したものであった。

 モデナは主に、聖書を理性的に読むことを主張する。この場合の理性は科学的な思考というよりももっと素朴なもので、一般人にも想像が可能なことである。比喩的な解釈や難解な哲学的思考を通さずに理解できなければ信仰に誤りが生じるとする彼の主張は、聖職者を通した聖書理解ではなく直接一般信者が聖書を読み理解することを目指した宗教改革者たちの信念に通じるものがある。他方で、カバラーを通してキリスト教の真理を発見しようとするクリスチャン・ヘブライストらに反して、モデナ自身は神秘的な解釈も否定し、あくまで字義的な読み方にこだわる。カバラー支持者はゲマトリアなどを利用して聖書の本文からは隠れた「本来的な」解釈を引き出そうと試みたが、モデナの目には、その方法はラビ・ユダヤ教の伝統を脅かす危険性を孕むものと映ったからである。

 さらにモデナは、原罪や三位一体に反論する際に、パオロ・サルピやピエトロ・ガラティノらキリスト教神学者による論争を根拠として引用する。モデナは、ユダヤ教から本来の教えを引き出そうとするヘブライストらの動きに同調し、自ら積極的に関わっているように思われる。ただし、クリスチャン・ヘブライストが、ユダヤ教をキリスト教の原型として位置づけ、キリスト教の「本来の」姿をそこに見出そうとするのに対して、モデナはその「ユダヤ教的な」原型とその後のキリスト教のあいだの乖離を強調する。モデナはイエスの奇跡や言行を否定せず、むしろ福音書を熱心なユダヤ教指導者の記録と捉え、その記述がキリスト教教義と離れていることを示す。

 モデナがキリスト教への反論として聖書を読むとき、彼の念頭に置かれていたのは、同時代のキリスト教世界の改革者たちのユダヤ教観であった。改革者たちは、教会批判と結びつくかたちで、ユダヤ教をキリスト教の源泉として再評価し、二つの宗教を接近させることを試みた。モデナは彼らの知的関心に影響を受けつつも、むしろそこからキリスト教への批判を展開し、聖書解釈を通じて、ユダヤ教とキリスト教の間に新たな境界線を引く作業を行なったと言えよう。