縄文日本人の考察
―― 神霊の世界から現代日本人の在り方が変わる ――
―― 神霊の世界から現代日本人の在り方が変わる ――
以下、目次建て予定です。アットランダムに掲載されます。
新たな史跡やDNA解析などの発見があれば変更・加筆されます
縄文人は旧石器時代から続いている
縄文時代は17000年前から始まるとされているが、縄文人はさらに数万年前の旧石器時代から日本列島に住まわっていたことがわかってきた。
縄文人より古い旧石器時代の港川人と縄文人との関係はこれまで不明だったが、東邦大学や総合研究大学院大学などの研究チーム は、解析が比較的容易な細胞の小器官ミトコンドリアのDNAを分析する手法を採用して港川人と縄文人の関係を明らかにした。母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAは、突然変異によって地域特有の痕跡を残すため、比較すれば集団の由来をさかのぼれる。
DNA解析の結果、旧石器時代の港川人1号は、縄文人、弥生人に多く見られるタイプの祖先型の遺伝子を持つことがわかった。港川人そのものが縄文人の直接の祖先ではないものの、旧石器時代から日本列島に住んでいる人々が湊川人や縄文人の祖先にあたることを示唆している。
総研大の五條堀淳講師(自然人類学)は「日本列島のヒトの集団は、旧石器時代から現代に至るまで、遺伝的につながっていそうだとわかった」と話す。
2万年前のウイスコンシン氷河期(最終氷河期)の海面は現在より140mほど低下していた。海面を140m下げると、山地形の海嶺が海の上に浮かび上がる。琉球海嶺の諸島は連続した地形となり、台湾と沖縄諸島は陸続きとなる。伊豆・小笠原・マリアナ海嶺の諸島も切れ切れの連続した地形となっていた。日本列島を中心にして大きな湾になっていたのである。
こうして世界最大の暖流である赤道海流はこの湾の南口から流れ込み、北上して日本列島に打ち寄せて太平洋に出ていく。また一部は温かいままこの湾に淀んだ。地球全体がもっとも厳しい氷河期であったウイスコンシン氷河期において、暖かい赤道海流は日本と東南アジアで形成するこの湾を熱し、世界で最も暖かい天国のような地域を誕生させたのである。
この地域は果物の宝庫であり、陸に湿地があれば直播(じかまき)で稲も収穫できた。また赤道海流が魚類を次から次へとこの誘導してくる。さらにユーラシア大陸は氷に覆われていたが、ナウマンゾウやニッポンカモシカの狩りができた。
縄文の人々はこの大きな湾をのびのびと行き来した。火山が爆発すれば他所へ移動した。氷河期の3万年間、東南アジア湾の人々は、温暖で、食糧が豊富で、戦いのない平和な時代を過ごしたと考えられるのである。
―地形の視点― 新経世済民新聞
冬、ユーラシア大陸は一気に冷え、空気は重くなり高気圧となる。赤道直下の南のインド洋は暖かく低気圧となっている。シベリア高気圧は、低気圧のインド洋に向って流れ込もうとするが、ヒマラヤ山脈にブロックされてインド洋に行くことができない。やむをえず、シベリア高気圧は、気圧の低い太平洋に流れていく。そのルート上に日本列島がある。日本海で一杯の水蒸気を含んだ冷たいシベリア高気圧は、日本列島の脊梁山脈にぶつかり雪を置いていく。
日本人はこの積雪の雪解け水を上手に利用した。春の雪解けの水で、冬に固くなった田の土を柔らかくした。「代掻き」を考えた。代掻きのあとの「田植え」という効率的な稲作手法を確立した。世界に例のない高度の稲作技術を構築した。ヒマラヤ山脈がなくて、寒気団が直接インド洋に吹いたら、日本に高度な稲作文明は誕生しなかった。夏になると気圧は逆の流れになってまた様々な恵みを与えてくれる。
日本人のアイデンティティーは稲作にある。日本の稲作を支えている気象と自然は、日本人に与えられたものである。
世界の民族は「戦争が人間の本能である」という歴史を歩んできた。現在もユダヤネオコンに見るまでもなく、この戦争の本能に基づいて政治もビジネスも生活も構築している。しかしこれに全く反して、少なくとも縄文日本人は「平和が人間の本能である」という歴史を事実として歩んできた。
縄文人の暴力による死亡率は限りなくゼロに近かった(岡山大学)
縄文時代には、暴力による死亡率が極めて低かった。山口大学と岡山大学の研究グループの調査によると、さまざまな地域や時代の他国および日本の弥生時代以降において暴力による死亡率は10数%である。しかし縄文日本人の暴力による死亡率はその5分の1以下の1.8%である。世界で唯一縄文日本だけが特異なほど長く平和な時代が続いたことが確認された。
研究グループは約1万年にわたる縄文時代の受傷人骨データを全国242カ所から2582点収集したが、このうち傷を受けた痕跡があったのは23点のみであった。
ただし最近は、受傷の痕跡があったのが23点のみであったことから、その傷がすべて暴力によるとは限らず、事故によるものも多分にあったのではないかという議論も出てきた。そうなると縄文日本人の暴力による死亡率というのは限りなく0に近づく可能性がある。今後の研究が楽しみな分野だ。
そしてさらに重要なことは、これは、人間の本能がそのまま戦争につながるという全世界の国際的主張に再考を迫ることになることだ。ヨーロッパでは先史時代から大量虐殺を示唆する人骨がたくさん発掘されており、「戦争が人間の本能である」とする主張が根強く広まっている。しかし本研究によるとそれはヨーロッパやアラブや中国のことであり、人類全体に一般化できるものではないということになる。少なくとも縄文日本人だけは「平和が人間の本能である」という歴史を事実として歩んできたのである。
縄文時代から現代に至るまでの日本人ゲノムの変遷を示すグラフ。本州での現代日本人集団は古墳時代に形成された3つの祖先から成る三重構造を維持している(金沢大学)
ゲノム解析に使われた試料の人骨が出土した遺跡の場所。○は新たな人骨ゲノムデータが得られた遺跡(金沢大学)
2021年9月、金沢大学などの共同研究グループは、縄文、弥生、古墳時代の遺跡から出土した人骨のゲノム解析した結果、現代日本人のDNAは3つの集団を祖先に持つことが分かった。
共同研究グループには金沢大学、アイルランドのダブリン大学、鳥取大学、岡山理科大学、富山県埋蔵文化財センターらが参加した。
縄文時代早期の上黒岩岩陰遺跡(愛媛県久万高原町)、縄文時代前期の小竹貝塚(富山市)、船倉貝塚(岡山県倉敷市)、縄文時代後期の古作貝塚(千葉県船橋市)、平城貝塚(愛媛県愛南町)、古墳時代終末期の岩出横穴墓(金沢市)の 6 遺跡で出土した人骨から計12人分のゲノムを取得し解析した。そして既に報告されている国内の他の遺跡や大陸の遺跡の人骨ゲノムと比較した。
その結果、縄文人の祖先集団は、2万~1万5000年前に大陸の集団(基層集団)から分かれて渡来して1000人ほどの小集団を形成していたことが分かった。そして弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が、また古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ渡来してその度に混血があったと推定できる。
この研究成果は、大陸の集団から分かれた縄文人が暮らしている日本に古墳時代までに2段階にわたって大陸から遺伝的に異なる集団が流入したことを示唆している。そして研究グループは、従来の「二重構造モデル」に対して、新たに「三重構造モデル」を提唱した。
金沢大学プレスリリース 2021年9月21日
日本人は三つの祖先(K1、K2、K3)の混合によって最もよくモデル化できる。 K1成分は沖縄、K2成分は東北、K3成分は関西で最も高い値を示す。
日本人の祖先は3つの祖先系統(理化学研究所)
2024年4月、理化学研究所(理研)などの研究グループは、日本人3000人以上のゲノムを解析した結果、日本人の祖先は3つの系統に分けられる可能性が高いことが分かったと発表し、2021年9月の金沢大学の「三重構造モデル」を大量のデータで裏付けた。
研究に参加したのは、理化学研究所、東京大学、静岡県立総合病院、静岡県立大学など。多くの人の血液や遺伝情報を保存している「バイオバンク・ジャパン」を活用し、北海道、東北、関東、中部、関西、九州、沖縄の7地域の医療機関に登録された日本人3256人のDNAの全配列を詳細に分析してゲノムの特徴を明らかにした。
理化学研究所の以前の研究により、日本人が縄文人および東アジア(主に漢民族)の祖先を持つことが示唆されています。また最近の古代ゲノムの分析からは、北東アジアの祖先の影響も指摘されています。この背景のもと、縄文、東アジア、北東アジアの現代および古代の遺伝データを今回のデータと共に分析した。
縄文の祖先比率については、沖縄が最も高く(28.5%)、次いで東北(18.9%)が高い。一方、関西が最も低い(13.4%)と推定された。これによって沖縄と東北の人々は縄文人と高い遺伝的親和性があり、また関西地方は漢民族と遺伝的親和性が高いことが明らかになった。
さらに中国、韓国、日本から報告された古代人ゲノムデータを使って、東北と関西の間の遺伝的親和性の違いを評価した。その結果、関西人と黄河またはその上流地域の中新石器時代および後新石器時代古代中国集団との間に顕著に密接な関係があることが見受けられた。対照的に、東北地方の個体は、縄文人との遺伝的親和性が顕著に高く、また沖縄の宮古島の古代日本人ゲノム(高い縄文比率を持つ)や韓国三国時代(4~5世紀)の古代韓国人とも高い遺伝的親和性を持つことが示された。
あらゆる存在に宿る精精霊から、あらゆる存在に宿る八百万の神々へ、そして生きとし生けるものに宿る仏性へ