日本の話芸と幽玄
日本の話芸と幽玄
大東亜戦争の敗戦、そして戦後の高度経済成長期、世界のユダヤマネーやユダヤハリウッド文化が日本の一般庶民にも浸透していった。反対に日本人の輝く魂を掘り起こしてきた浪曲、講談、古典落語などの日本の文化はどんどん衰退していった。
戦前はNHKのラジオ放送で、浪曲、講談、落語、民謡、民話、歌謡曲、バラエティーなどの番組の中で圧倒的に一番人気だったのが浪曲(浪花節)であった。二番人気が講談である。毎日のように放送されていたのだ。
昭和20年の敗戦以降、GHQが日本人の精神を弱体化するために滅ぼしていったのは、日本の神話や精神教育と並んで、浪曲、講談、古典落語などの日本人の精神文化であった。しかし、そういうGHQやGHQの子分になった売国日本人の圧力下でも日本人庶民の魂はそれらを求め、再び昭和30年代に浪曲や講談が復活して大人気になっているのである。そして再度これら日本人の精神文化にとどめを刺したのが、昭和40年代からバブル期まで続く高度経済成長の時代になだれ込んできた極悪なユダヤアメリカ文化やその制度であった。もちろん日本の学校教育とマスコミがグルになっている。やがてバブルが崩壊すると、以降、日本人の精神文化の壊滅とともに、日本人の精神力も日本の国力もどんどん崩壊していった。
してみると戦前の日本軍に見られる強靭な日本人の精神、そして戦後昭和期の高度経済成長を支えた強靭な日本人の精神とは、じつは日本人庶民の身近にあった浪曲や講談などによって掘り起こされていた精神だったのではないだろうか。
(フミヤス・サンタゲバラより)
名人 柳家小三治
浪曲
初代京山幸枝若 大石と垣見
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は主君の仇討決行のため、大阪の天野屋利兵衛が用意した武器を江戸に運搬しなければならない。しかし天下ご法度の武器を運ぶので関所で咎められる恐れがある。
ときに「九条関白家の名代、垣見左内が禁裏御用のための品々を京から江戸に運搬する」という情報が入った。関白家の名代なら関所の役人も恐れ入って荷を調べることもない。もはや討ち入り決行までの日数もない。悪いことではあるが、この垣見の名を詐称して武器を江戸へ運搬しよう。垣見左内が中山道を江戸に下ることが判ると、大石たちは東海道を下っていった。
そして無事に神奈川宿まで到着し、明日は江戸というとき、運悪く本物の垣見の道中とでっくわしてしまった。垣見は大石より二日早く江戸に着いて無事に務めを果たし、京への帰りは東海道を上ることにしたのだった。ここで大石と垣見という人物と人物、男と男の対決と情けが展開される。
古典落語
大工の熊は腕がいいが酒癖が悪い。酒におぼれると仕事にも出ない。よくできた女房だったが、ある日、酒の勢いで大喧嘩してとうとう追い出してしまう。熊は吉原の女郎を引っ張り込むが、その女郎はご近所との応対もできない。家事も、読み書きも、家計のやりくりも、針仕事もできない。毎日寝てばかりで、たまに起きると長屋のどぶ板を伝って歩いて花魁道中のけいこをしている始末だ。三月も経たずにどこかにいなくなってしまった。
その日以来、熊はいっさい酒を断ち、一生懸命に働いて、大工の棟梁として身を持ち直す。そして初めて元の女房の有難さや子供の愛しさに気づく。しかしもう遅い。ただただ一生懸命に働きながら、ひとり長屋に帰ると後悔する日々。
ある日のこと、お得意先の番頭のお供で木場に行く途中、元の女房と一緒に出て行った息子の亀吉とばったり会う。じつに3年ぶりだ。9歳になって大きくなった亀吉を見て感動する熊。酒もやめて立派になった父親を見てびっくりする亀吉。
女房のことを遠まわしに聞くと、「おっかさんは今でも独り身だよ」と言う。近所の仕立て物をしながら、貧しくも、女の身一つで立派に亀吉を育てていた。そして今でも「お前のおとっつあんは本当はいい人で、お酒があの人をダメにしているんだ」といつも言っているという。それに父親がいないことでときに肩身の狭い思いをし、辛い目に会っていることを知り、熊は愕然として涙がこぼれる。亀吉に五十銭の小遣いを渡し、「明日、鰻をご馳走してやる」と約束した。