水上 治
一般財団法人国際健康医療研究所理事長
医学博士・米国公衆衛生学博士
2020年10月16日 10:31
2 いのちの最小単位――細胞
その発生と受難、そして死
3)細胞の一生――生老病死
生:私達の細胞は1個の受精卵から始まりますが、倍々ゲームで刻々成長し続け、大人になる頃には、300種類ほどの分化(専門化)した成熟細胞、例えば神経細胞や胃粘膜細胞、骨髄細胞など、形や働きの全く違う細胞に成長します。細胞を分化に誘導する因子は何なのかは解明されていませんが、分化した細胞の見事な多様性には驚かされます。全細胞は約1年ですべて入れ替わることもわかっています。今の自分は細胞レベルでは1年前と別人になっているので、あまり過去を引きずらないで生きていきたいものです。
老:細胞は頑張り屋さんであり、いろいろな試練にもかかわらず、けなげに生き続けます。しかし当初は若くて元気満々だった細胞も、年々老化することを免れず、様々な病気にかかりやすくなります。
病:細胞に病的な変化が起こると病気になります。心臓の筋肉細胞に病気が起これば心筋症になり、肺の細胞に炎症が起これば肺炎になり、脳細胞にベータ・アミロイドが溜まれば認知症になります。病気とは、細胞の異常にほかなりませんから、病理医は顕微鏡を見て病気を診断します。
死:死とは全身の細胞死です。心臓停止が血液循環を停止させ、全細胞への酸素の供給が不能となり、細胞死を迎えます。細胞が病気になることによる死もあります。寿命による細胞死も防ぐことができません。細胞は50回位分裂すると、必ず死を迎えます。細胞に死の情報が組み込まれているからです。現時点において、永遠に生きる細胞はありえません。
2020年10月09日 10:50
2 いのちの最小単位――細胞
その発生と受難、そして死
2)いのちの最小単位――細胞はあまりに複雑で美しい
細胞がいのちの最小単位です。人体は37兆個ほどの細胞からできています。これは想像を絶する数で、世界人口ですら77億です。細胞1個は1mmの1/100程度の大きさ(細胞によって違う)ですから、もし全細胞をつなげたら、その37兆倍、37万kmに達します。すなわち地球8周分になりますから、我々が一生かかっても歩けないであろう距離です。細胞膜を集めたら、900m四方の面積になります。
顕微鏡で見ると、細胞は実に美しいのです。1個の細胞には、細胞膜(細胞を包む膜)・細胞質(細胞膜の中の核以外の半透明な液体で、様々な代謝を行っている)・核(遺伝情報が詰まっている)・ミトコンドリア(エネルギーを生み出す)・小胞体(遺伝子の命令に沿ってタンパク質を合成する)・ゴルジ装置(小胞体で造られたタンパク質に糖を付加し、安定させて必要な場所に送り届ける)・リソソーム(不要になったタンパク質などを分解する)・エンドソーム(タンパク質を輸送する)・ペルオキシソーム(活性酸素を分解する)などが存在します。一つでも欠けると死が待っています。
細胞を電子顕微鏡で数百万倍に拡大しても、実態の解明にはほど遠いのです。なぜなら細胞は、標本を創った瞬間に死んでしまうからです。スルメを見ても、生きているイカのほんのちょっとのことしかわかりません。
しかも全身の細胞が決して喧嘩せず、見事な調和を保ちながら、精密にネットワークを組んで、一瞬一瞬いのちの維持に働いています。
この事実だけでも、奇跡的だと思いませんか。
私はそこに調和と愛を見ます。
2020年10月02日 13:58
2 いのちの最小単位――細胞
その発生と受難、そして死
1)日常臨床での細胞との邂逅
いのちは美しいものです。内視鏡で見ると、消化管の内部は見とれるほど美しく、実に合理的にできているのがわかります。その中で、妙に赤い(炎症?)、変に白い(乏血状態?)、荒れている(炎症?)、出っ張っている(ポリープ?がん?)、など美しさに欠けている場所が見られれば、何らかの病変の可能性が高いと判断されます。良性腫瘍の表面はきれいであり、がんはいかにも汚らしい毒々しい塊です。
診断確定のために、内視鏡から延ばした針金の先端の鉗子で腫瘍の一部が削り取られ、病理室に運ばれます。手間暇かけて標本が創られ、スライドグラス上の病理標本を病理医が一枚一枚丁寧に顕微鏡で見て、がん細胞があるか、どんなタイプか(腺がんか扁平上皮がん)か)、悪性度が高い(進行が速い)か、どこまでがん細胞が広がっているか、などを微に入り際にわたって判断し正確に記載します。病理学とは細胞を見て病気を正確に診断する学問です。人間の細胞は美しいものですが、がん細胞は形が崩れ、核も不整形で、いかにも美しくない細胞です。後日その結果を患者さんは担当医から聴くことになります。
最新の内視鏡では、病変が超拡大されて各細胞がくっきり見え、核の変形までわかり、その場でがんかそうでないかを診断できるようになりました。その診断も人工知能がかなり正確につけてくれるのですから、将来病理医が要らなくなるかもしれません。古い世代の私達から見れば、革命的な進歩です。
がん臨床とは日々の医師のがん細胞との邂逅(出会い)であると言えます。がん細胞をゼロにすることを目標にしているからです。患者さん同様、医師もできればがん細胞と邂逅したくないし、あるのは正常細胞だけであってほしいと願っているのです。このようにがん細胞の動向に一喜一憂しているのが、我々医師の実情です。
2020年09月25日 14:34
1. 与えられたいのちをどう生きるか
4)いのちはどこから来て、どこに行くのか
ゴーギャン晩年の傑作の絵「われわれはどこから来たのか?われわれは何者なのか?われわれはどこに行くのか?」を都内の展示場に見に行ったことがあります。何とも説明不能の決して忘れられない特異な絵です。人生を通しての彼の根源的な問いに対して、きちんと答えられる人は誰もいません。科学はこの重大な質問に沈黙を守るのみです。
いのちは偶然の産物だから、人生に意味はなく、虚無的に生きて当然だ、と考えることは可能です。しかし、人のために生きるいのちは美しいと感じませんか。本来いのちは美しい、品位あるものだと私は思います。
5)大宇宙の中のたった一つのいのちはいとおしい
あなたは大宇宙の中のたった一つの生命体であり、いのちです。家族や友人の一人一人もいのちであり、世は多数のいのちによって構成されています。そしてお互い支え合っています。だからこそ、自分だけでなく人のいのちも大切にすべきなのです。利己的な生き方は、いのちの法則に反し、病気を招きやすいことがわかっています。
この貴重ないのちは、残念ながら、いつ取り去られるか分かりません。自分がいつ死ぬか、わかる人はいません。それにもかかわらず、仏のモラリスト、ラ・ロシュフコーが「太陽も死も直視できない」と言ったように、人は死を直視したがりません。いのちがはかないからこそ、自分のいのちが尽きることについて、日頃から準備をしておくべきです。いのちがはかないからこそ、いとおしいのです。
6)いのちいとおし
いのちは自分が創ったのでなく与えられたものです。私たちは勝手に生きているのでなく、生かされているのです。いのちは奇跡そのものです。与えられている自分といういのちに感動し感謝して、他のいのちと支え合いながら、美しく一瞬一瞬を生きることが悔いのない人生だと私は確信しています。そして「いのちいとおし」の生き方が、より健康的で幸せな人生を送りやすいことを、患者さんを通して教えられてきました。
やはり、いのちはいとおしいのです。
2020年09月18日 11:20
1. 与えられたいのちをどう生きるか
3)いのちは精密の極致で美しい
37兆ほどの細胞で出来ている私たちの体は、あらゆる部位を取ってみても実に精巧にできていることに驚かされます。しかも多少の破損には自動修復機能があります。
目の構造を見てみましょう。情報は水晶体から入り、網膜で像を結びます。網膜には1億個以上の光覚細胞があります。網膜で複雑に変換された情報が視神経を通して脳に運ばれ、視覚を統合する分野で瞬時に処理され、人は正確な情報を得ます。最新のテレビカメラでも、足下にも及ばない色彩と精密さに圧倒されます。
聴覚についても考えてみましょう。鼓膜は10億分の1センチのかすかな振動を感じとることが出来ます。振動は耳小骨(ツチ骨・キヌタ骨・アブミ骨)を経て22倍のエネルギーとなり、内耳のリンパ液に伝わり、各種の繊毛が微妙に震えることで、振動が音情報に正確に変換され、聴覚神経を経て、脳でどんな音か判定されます。どんな微妙な音も立体的に瞬時に聞き分ける能力のある聴覚は驚嘆ものです。
心臓も肺も、肝臓や腎臓も、食道や胃腸も、子宮・卵巣、精巣も、甲状腺・副腎などの内分泌系も、脳も、実に素晴らしく出来ています。人工腎臓はうまく出来ていますが、単なる濾過装置ですから、本物に相当劣ります。人工心臓もしかりです。人工肝臓は永遠に作成不能でしょう。股関節はうまく使えば100年以上持つのですが、本物より優れた人工股関節を創ることが出来ず、20年もすればまた摩耗して取り替える必要があります。
これだけ科学が進歩していても、人間が解明できているのは、いのちのごく一部に過ぎません。いのちはとてつもなくすごいのです。
また、細胞を拡大してみると実に美しいのです。図鑑での確認をお勧めしますが、1個1個の細胞も組織も驚嘆すべき美しさです。私の愛読書の一つは、解剖学の教科書の図です。いのちに接すれば接するほど、その精密さ・美しさに、私は感動します。
2020年09月11日 10:30
1. 与えられたいのちをどう生きるか
2)いのちの不思議
生まれたてで元気に泣いている赤ちゃんはいのちを連想させますが、不思議なことに、1年前にはこのいのちはなかったのです。精子と卵子が受精し、1個の細胞から細胞分裂が始まり、200種類以上の細胞に分化してミニ版のあらゆる臓器を創り始め、胎児がゆっくりと成長し、極小の心臓が動き出し、手足ができ、脳が大きくなり、胎動を始め、羊水が貯まり、臨月に誕生に至り、母乳しか受け付けない脆弱な赤ちゃんが日々たくましく成長し、知恵をつけ、大人になっていく。この至極当然の過程も、よくよく考えれば、全く奇跡的なことです。
人間の体はどうしてこのようにうまくできているのでしょうか。いのちはなぜ成長するのでしょうか。1個の細胞を無数に増加させ号令に従うかのように正確に体を創っていく司令塔は何でしょうか。いのちの根源は一体何なのでしょうか。全く何もわかっていません。
医師として患者さんを診ていて毎日驚くのは、人間の生命力、いのちのすさまじさです。骨折してもちゃんとくっつきます。転んで膝をすりむいても、勝手に出血は止まり、肉芽が盛り上がり、元通りになります。外科手術がうまくいくのも、切除部位の修復と言う治癒力があるからです。
16世紀のフランスの偉大な外科医アンブロワーズ・パレが言ったように、「我包帯するのみ、神癒したもう」です。
インフルエンザだろうが新型コロナだろうが、罹っても大抵の人は1週間もすれば自然に治ります。末期的ながんでも難病でも、時に完治するのは、いのちのおかげと言えます。言うまでもなく、我々の体の自己治癒力は、生命力あるいはいのちと言い換えても良いでしょう。私たちは病気にかからないよう、罹っても治るよう、実にうまく設計されているのです。当初から、遺伝子などにこの重要ないのちの情報が書き込まれていると言えます。いのちによって生かされていることに感謝あるのみです。
健康の原点、それは、いのちです。
2020年09月04日 10:31
1. 与えられたいのちをどう生きるか
1)いのちに直面している日々
半世紀近く内科医として、患者さんといういのちに向き合ってきた私の最大の関心は、いのちとは何か、ということです。私は、いのちの神秘に惹かれて、この仕事を選びました。病院は、いのちの誕生から死までを扱う唯一の場であり、私たち医療従事者は否応なしに、日々刻々患者さんのいのちに直面しているために、絶えずいのちについて感じさせられ、考えさせられています。
私の日常は、いのちの本質を追求することだけで展開しています。患者さんを診ていても、医学論文や哲学書を読んでいても、私の頭を去来するのは、いのちです。
人の誕生は、誰もが新たないのちの息吹を素直に喜ぶ瞬間です。重い病気に罹り、辛い症状に苦しんでいれば、自分のいのちの危機を感じざるを得ません。事故などで一瞬にして消え失せるいのちに直面すると、そのはかなさに、呆然とします。死に至るかもしれない病気が回復して来たら、いのちのありがたさをしみじみ実感します。奇跡的な治癒を目撃するたびに、いのちの神秘性を痛感させられます。同じ治療をしても、どうして治る人と治らない人がいるのか。どう考えても、いのちの差が歴然と存在します。いのちなんて、最新医学をもってしても、ちっとも解明できていないんだ、とつくづく思います。
長年の臨床で、私は確信を持っています。いのちが良好なら健康を保ち、より幸せな人生を送ることができる、いのちが低下していれば病気になり、夢の実現の妨害になる、これは絶対間違いありません。
今生でのたった一回きりの人生です。己のいのちを精一杯輝かして日々を送りたい、人生を全うしたい、そういつも思います。皆さんもそうでしょう。
改めて問います。いのちって、何でしょうか。
私と一緒に、いのちを探求する旅に出かけませんか。