加藤正見、日本を再生する
加藤正見、日本を再生する
(昭和21年、戦災孤児たちとともに。加藤正見ー中央、24歳)
加藤正見の思想と社会的実践
加藤正見(1922年生)は、戦後日本における宗教家・社会活動家・思想家である。24歳、1946年から戦災孤児救済活動に取り組み、後に日蓮宗の要職を歴任し、さらにライオンズクラブ国際協会理事・ライオンズ日本財団理事長として人類に奉仕を続けた。
彼の生きざま・思想は、彼の人生が「宗教的価値」「国家的倫理」「未来への責任」をいかに統合していたかを物語っている。彼が多くの政治家や実業家から慕われた所以でもある。彼の戦災孤児救済活動の一環である「孤児寮治生学園」は、映画「鐘の鳴る丘」のモデルの一つでもある。
氏が亡くなられて20年、いま世界の大転換期を迎えて、大混迷に陥る人類に、氏の思想は力強く進むべき道を照らしてくれている。(2025年9月20日)
加藤正見の思い
武士道による民主主義の再生 2003年
西ドイツから来たジャーナリスト、イリヤ・マンは、1980年の著書「強い日本人・弱い日本人」の中で、当時の日本について次のように分析し、提言している。「日本は、占領という外科手術を通じてアメリカ依存の体質に改造されてしまった。戦後日本のデモクラシーはナショナリズムというジョーカーを抜いて骨抜きで育てられたのである。日本の現状には大いに失望しているが、しかしなお武士道を民主主義の中で再生させれば、日本は最高形式のデモクラシーを持つことになるのではないか。」
武士道による民主主義の再生、それはイリヤ・マンの言う通り最高のデモクラシーだと思われる。しかし、武士も武人も消滅した現代で、はたしてそれは実現可能なのだろうか。新渡戸稲造は、日本が日清戦争に勝利して世界の舞台に登場したばかりの1899年、著書「武士道」において、すでに次のような悲痛な叫びをあげている。「我が国において駸々として進みつつある西洋文明は、すでに古来からの日本人としての訓練のあらゆる痕跡を拭い去ってしまったであろうか。一国民の魂がかくのごとく早く死滅しうるものとせば、それは悲しむべきことである。外来の影響にかくもたやすく屈服するのは、貧弱なる魂である。」と。
しかし、それでもなお、新渡戸稲造の悲痛の叫びに耳を傾けながらも、なお、あらためて日本人の真の「魂」を取り戻すべく、努力を続けたいと思うのである。
(加藤正見 2003「日本人は子孫に何を残せるか」より要約)
加藤正見の思想と社会的実践
加藤正見の思想の核は、まず経済発展などの物質ばかりを追うのではなく、精神的誇りと倫理的伝統を次世代に残すことを重視(精神的価値の継承)することから始まり、 次に日蓮宗の教えを単なる教えにとどめず、孤児救済や国際奉仕などにおける実践(宗教に基づく社会的実践)に生かし、さらに国家の再建は国民の精神的成熟なしには成り立たないという倫理観に立脚(国家と未来への責任)してその啓蒙活動に取り組んだ。そしてこれらの思想を宗教・教育・福祉・国際協力などを横断して実践に変換し続けた(思想と行動の統合)。その姿は、日本の縄文時代から脈々と流れる日本人本来の文化的社会的あり方に深く根差したものである。
加藤正見の思想と社会的実践、各論
— 宗教・国家・未来への志向、「精神的価値の継承」と「社会的実践」をめぐって―
1)精神的価値と民族的誇りを重視する
著作『日本人は子孫に何を残せるか』の紹介文に、「世界の時流に押し流されるか、他国から一目置かれる国として再生するか。日本が直面している戦後最大の節目にあたり、日本人は己をどのように処すべきか…」と記されている。また別の紹介箇所には「平和と豊かさに馴れきっている日本はこのままでは日本人の誇りも持てずに、時流に押し流されてしまう」とある。経済復興に偏重しがちな戦後社会において、世界の時流に流されない強い意志を以て精神的な誇りと民族的価値の再建に焦点を当てている。
2)宗教観と社会奉仕への志を持つ
加藤正見の生きざまを見れば、彼がどのように宗教的立場と社会的実践を結びつけたかが読み取れる。1946年に戦災孤児救済事業に従事し、「孤児寮治生学園」を経営、翌1947年には日蓮宗総本山身延山久遠寺の渉外部長に就任し、以後、日蓮宗の要職を歴任する。まさに宗教の社会的使命の実践を体現している。
さらに1955年以降、ライオンズクラブにおいて「地区ガバナー、同国際理事、同日本財団理事長などを歴任しており、宗教・福祉・国際奉仕活動を通じて、宗教の枠を超えた公共性を追求している。
3)国家観、国民の倫理的自覚を期待する
著作『日本人は子孫に何を残せるか』では、「己をどのように処すべきか」、「日本人の誇り」を掲げ、国家や民族に対する倫理的責任を重視する姿勢を貫いている。戦後の国家の再建とは、政治や経済のみならず、国民一人ひとりが持つ「精神の成熟」にこそ基礎がある。
4)実践主義としての思想 — 孤児救済と宗教活動
戦災孤児救済活動と宗教的奉仕を結びつけた氏の姿勢は、思想を現実の社会に転化する「実践主義」として評価される。孤児寮経営という社会事業と、宗門の渉外活動、さらには国際的奉仕活動への関与、これらすべてが、加藤正見の思想が単なる理念にとどまらず具体的行為として表現されたことの証左である。
(左から渡辺秀央、A・ヤング、梶山静六、加藤正見)
(加藤正見、夫人と広島原爆公園にて)
(左から武見太郎、加藤正見、小坂徳三郎。 北村西望「日蓮像」の前で)
加藤正見から現代日本人への提言
(加藤正見、孫の直大氏に面打ちの稽古。腕前は剣道六段)
(板前割烹「重よし」にて)
加藤正見著「日本人は子孫に何を残せるか」は、日本の現状と将来に対する深い危機感を背景に、私たち日本人が未来の世代に何を引き継ぐべきかを問うている。
著者は、経済的な豊かさや物質的な遺産だけでなく、目に見えない価値の重要性を強調する。さらに単なる現状批判に留まらず、日本人としてのアイデンティティを再確認し、希望と誇りを次世代に引き継いでいく方法論を具体的に提言している。
2003年の著作であるが、2025年現在の日本の危機にもピタリとあてはまる。(加藤正見著「日本人は子孫に何を残せるか」より)
提言の骨子
1)精神的な遺産を再評価せよ
戦後の日本が経済成長を優先する中で失ってきた、武士道精神や勤勉さ、そして自然を尊ぶ心などの精神的・文化的な価値を再評価すべきである。これらは、困難な時代を乗り越えるための知恵となり力となり、次世代の心の支えになる。そのためには、勤勉さ、自然を尊ぶ心、そして利他的な精神といった、日本固有の精神的文化的価値を再評価し、現代社会に根付かせること、特に、経済成長を優先する中で失われた倫理観や道徳観を立て直すことが重要である。
2)社会の持続可能性を直視せよ
経済成長至上主義の限界の問題、直面する環境問題や人口減少といった問題を直視しなければならない。単なる経済的繁栄ではなく、持続可能な社会を築くための新しい価値観を確立すること、資源の無駄遣いをやめ、循環型社会を目指すことが重要である。
3)教育を正しく再構築せよ
子どもたちに、単に知識を詰め込むだけでなく、自分で考え、行動する力を育む教育を実践しなければならない。また、日本の伝統文化や歴史を正しく伝え、次世代に誇りを持たせる教育を行うことが必要である。日々、家庭で、学校で、社会で取り組まなければならない。
4)個人の意識改革に努めよ
こうした大きな課題に対し、個人個人がどう向き合うべきか。一人ひとりが目先の利益に囚われず、長期的な視点で物事を捉え、行動することが重要である。地域社会とのつながりをたいせつにし、再構築し、互いに支え合う共同体意識を取り戻すことが豊かな社会を築く鍵である。
これらの提言は、現代の課題を乗り越え、より良い未来を築くための具体的な指針として示されている。
加藤正見、プロフィール
大正11年生まれ。昭和18年、立正大学文学部哲学科卒業。陸軍予備士官学校を首席卒業したため、中部軍管区司令部参謀部付を経て参謀本部第二部第六課出向など、23歳にして職業軍人なみの立場で従軍する。そのため、戦後、一時B級戦犯の追及を受け、A級戦犯の岸信介や児玉誉士夫らとともに巣鴨刑務所に留置される。
昭和21年、24歳、釈放されるとすぐに戦災孤児救済活動に没頭、孤児寮「治生学園」を立ち上げる。昭和22年には25歳で日蓮宗総本山身延山久遠寺渉外部長に就任し、以後、日蓮宗の要職を歴任する。
昭和30年代よりライオンズクラブ国際協会の活動にも参加、地区ガバナー、国際理事などの要職を経て、平成4年、財団法人ライオンズ日本財団を設立、理事長に就任する。
多くの政治家、財界人、フィクサーらから慕われながら、生涯人類と社会に奉仕する人生を貫いた。
参考文献
加藤正見編『交友録【勿体ない】』(1997年)
加藤正見著『日本人は子孫に何を残せるか』(2003年)
オンライン人物プロフィール「加藤正見」
上記脚注資料のリンク先
以後、本シリーズでは、加藤正見の著書・記録・伝聞などから、わたしたちの人生の参考になる氏のエピソードを、そこに込められた精神を炙り出しながら掲載してまいりたいと思います。