国際社会では、日本人は自己主張が下手である、自我が弱い、集団を大事にして自立していない、などと批判されてきました。
しかし私は日本人の自我が弱いとは思いません。そうではなく、露骨に自己主張しないだけで、相手に言わせておいて多くを語らず反論する傾向があります。自我をむき出しにしないのも、農耕民族で隣と仲良くせざるを得なかった民族の伝統であり、文化です。狩猟文化や牧畜文化と違います。
自立している、自己主張できるのは良さそうに見えても、わが国で生きていくには、周りの人との軋轢を増やします。自己主張は内に秘めて、ポイントを押さえて意見を言っていくのが日本人らしいやり方です。自立は望ましいのですが、相手を配慮しての自己主張でいいと思います。
侍の妻は表面上は控えめでしたが、経済面や子育てなどの実権を握っていて、うまく夫を操っていたという気配が濃厚です。賢い人は表面で自己主張しなくても、実質的に自己主張が相手に伝わればいいのです。日本は長年そのような奥ゆかしい文化だったのです。
これも、相手を気遣っているからです。確かに二元論の欧米では馬鹿にされがちですが、奥ゆかしい文化です。自分の意見は秘めながら、婉曲にものをいう方が意見が通ったりします。言葉を省略しても伝わるのは、俳句や短歌にも示されています。
庄内弁の武士の一分より
国際社会では、我が強いことはいいことかもしれませんが、わが国で表面だけ真似をすると、今度は、歪んだ自己主張が、クレーマーに変身します。病院でのモンスター・ペイシェントや学校でのモンスター・ペアレントで、現場がどれだけ疲弊していることか。以前は全くなかったことです。
米国留学時驚いたことの一つは医療以外も訴訟が多いことで、私にはくだらないとしか思えないことに何と文句を言う人が多いことか。たばこを長年吸って肺がんになったのは、たばこ会社のせいだとか、カフェで自分でコーヒーをこぼしてやけどしたが、熱すぎたからだとか、話になりません。弁護士の多さはトラブルの多さに比例します。
でも日本はこの点でもアメリカ化していませんか。成熟した自我の持ち主は、賢いやり方で相手を傷つけないで自分の言い分を訴えることができます。昔の日本にはこちらの人が多かったのです。
欧米人と話すときは、あちらのルールに従わないと、誤解され損をするので、あちらのルールに合わせ、きちんと自己主張するべきでしょう。
日本人同志なら、阿吽の呼吸を知っていますし、空気も読めます。良い意味での根回しもします。
まず、我々は欧米コンプレックスを捨てるべきです。欧米人は足が長くて、洋服が合っていますが(伝統だから当然)、日本人には体型的にも和服が似合います。逆に私の見方では、欧米人の和服姿はしっくりきません。
欧米人にもコンプレックスがあって、肌は白い方がいい、金髪の方がいい、青い目の方がいい、女性の胸は大きい方がいい、というものです。米国の白人は意外と茶色い目が多く、青い目は1割程度でしょうか。それをコンタクトレンズで青くするひとがいます。マリリン・モンローやクリントン夫人も茶髪を金髪に染めてより人気が出ました。
私は日本人に美しくあってほしいとは思いますが、背が高い方が、足が長い方がカッコいいのでしょうか。なぜ背が低いからと劣等感を持つのでしょう。