人民民主戦線(People’s Democratic Front)

(1951~1955)

巨大与党・反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)に対抗して結成された左翼政党の連帯組織。PCPはアウンサウンが作った義勇兵組織・PVOから派生したグループ、RBAは国軍内の親共産党グループ、APLPはウ・セインダという民族主義者のラカイン族の僧侶が作ったグループ。

1951~1952年の下院選挙で19議席を得たが、1958年にPCPとAPLAは政府に帰順し、RBAはCPBに合流。武装闘争においては何もなしえなかった。

民主民族主義者統一戦線(Democratic Nationalities United Front)

(1956~1958)

1958年にMPFとPNLAが政府に帰順して解散。

民族民主統一戦線(National Democratic United Front)

(1959~1975)

親共産主義同盟。 民族より階級を重視するCPBとの意見の相違により解散。その際、各組織も分裂した。

民族解放同盟(Nationalities Liberation Alliance)

(1960~1963)

KRCはKNUから分裂した親CPBグループ。ヌーム・スク・ハーンはシャン族の武装勢力。当初から機能不全で、1963年KRC議長・ソー・ハンター・スワメ(Saw Hunter Thwame)が政府に逮捕され解散。

統一民族戦線(United Nationalities Front)

(1965~1966)


何もせずたった1年で解散。

民族統一戦線(Nationalities United Front )

(1967~1973)

左派連合。1969年、左翼的すぎるという理由でNMSPが脱退し、組織は1973年に解散。

革命民族同盟(Revolutionary Nationalities Alliance)

(1973~1975)

より穏健な組織。1975年民族民主戦線(National Democratic Frontに引き継がれる。

民族民主戦線(National Democratic Front

(1975~1990年代半ば)

革命民族同盟(RNA)→連邦民族民主戦線(Federal National Democratic Front)→民族民主戦線(NDF)とKNUのボーミャ議長が結成に尽力した組織。長年にわたりKNUの本拠地マネプロウで定期会合を開き、この時点で唯一維持に成功した同盟組織。しかしCPBに協力するか否かで路線対立が露わになり、90年代に入って次々と加盟組織が政府と停戦合意を結ぶに及び、有名無実化した。

全民族人民民主戦線(All Nationalities People’s Democratic Front)

(1989~?)

ビルマ共産党(CPB)から支援を受けていた小規模な武装勢力がCPB崩壊後結成した組織。DPAは1988年民主化運動の後CPBが自らの軍隊・人民解放軍(PLA)を再編成した組織。DPAは1994年頃に消滅し、他の武装勢力も政府と停戦合意を結ぶに及び、消滅。




井本勝行の助力により2011年の民政移管を機に結成。武装勢力がまとまって政府と停戦合意を結ぶことを目的としており、連邦軍まで備えていた。2013年4月に代表団が来日し安倍首相を表敬訪問。2013年10月30日から11月2日までKIOの本拠地ライザで加盟組織以外の組織も加えた17組織が一同に会したサミットが開かれ、全国停戦合意調整チーム(Nationwide Ceasefire Coordination Team)を結成した。しかし所属組織の脱退が相次ぎ、2019年活動を停止した。

軍事同盟。KIAはグループの一部の旅団が参加するにとどまり、その他3つの武装勢力は3兄弟同盟(Three Brotherhood Alliance)を名乗っている。結成以来、国軍との衝突を繰り返しており、もっとも動的な同盟の一つと言える。2023年10月には1027作戦を敢行し、コーカン自治区一帯を奪還した。

UWSA主導で中国と国境を接する武装勢力によって(AAはラカイン州の組織だが、このあたりの武装勢力と縁が深い)結成された同盟。議長はUWSA総司令官パオ・ユーチャン。強力な軍事力を有する。