2022年前半

変わないミャンマー

2021年後半

クーデター1周年早々、国連ミャンマー担当特使・ノエリーン・ヘイザーの「重要なのは交渉のプロセスを開始することだ。皆が望む最終的解決策をすぐに提示することができなくても、国軍が実行支配している現状、何かを解決しなければ。それが交渉のプロセスというものです」「全面的な政治変革のために、多くの若い人々が死を覚悟して戦っていることは知っている。しかしどんな政治変革にもプロセスが必要であり、一夜にして実現するものではない。私は彼らに死ぬためでなく、生きるための何かをしてほしい」「この権力分立状態が長期的にどのようなものになるかについて交渉する必要があるのだ。そのために彼らは交渉のテーブルにつく必要がある」という極めて穏当な発言が、ミャンマーのSNSで炎上し、謝罪に追いこまれた。2月28日付の朝日新聞の記事には「今のミャンマーは黒か白」「中間派は国軍派とみなされる」「SNSが抵抗運動を人々に強要」「学校CDMや医療CDMに不満があっても怖くて口に出せない」「CDM不参加の公務員は名前住所が晒され殺されることも」というミャンマーの狂気じみた現況が描かれていた。

1年に1度もミャンマー最大のお祭り・ダジャン(水かけ祭り)も、民主派が参加しないように”要請”し、現地では閑散としていたのだという(に隠れて祝っていたようだが)。一方、東京では2年ぶりに日比谷公園で東京ダジャン祭りが開催され、全国からミャンマー人が集まり盛大に祝われた…のだが、SNSに祭りに集まったマナー違反が多数報告されるという事態となった。曰く会場外で酒を飲んだり、煙草を吸ったり、立ち入り禁止区域に入って草花を踏んづけたり、道端にゴミを捨てたり等々。これを見たミャンマー滞在歴のある知人が「国軍の悪口言って、貧乏で、それでも幸せって言って彼らは生きていくんだろう」と言っていたのが、印象的だった。歴史がひっくり返るような事件があっても、彼らは変わることができなかったのだ。

ウー・フラというミャンマー人の青年実業家が1936年に日本を訪れて書いた「ビルマ商人の日本訪問記」という本には、当時の日本の様子とともにミャンマー人に対する苦言が書かれているが、これらはすべて今も通用するように思う。

「われわれビルマ人には、自分が不運なのだとか、世が無常だとか言いたいことを言って厭世的になる者がいるが、結局のところ、怠惰や無能力でしかない…ビルマ人の多くは1日のうち、本当に労働と呼べるほどの労働をしている時間は、平均1時間あるかないかというところである。無為、無能、無益たことを考えるに熱中し、互いにくだらないことをしたり、話したり、思いついたりしてる人を多く見受ける」

「よその国々では、物の売り買いだ、経済だ、発展だと忙しくしているのに、われわれビルマ人はどうだろう?いまだに自分たちだけの内輪揉めにかまけ、外国人の目からはビルマ人は本当に人間の仲間に入るのかと見られているのではあるまいか」

「もしビルマが従来からの行動規範、知恵、精神を脱しえず、このまま打ち過ごしているのであれば、いずれ民族として滅び去ること必定である…原因はビルマ人が経済的発展の土台である大小の商いや取引を価値のないくだらないことと勘違いしている点にある…外国人が栄えれば栄えるだけ、わが民族の宗教や誇りを傷つけられ、民族の滅亡といった事態もさらに拍車がかけられることになる」

Google検索のトレンド(2021年1月1日ー2023年11月3日) 

🟨ミャンマー🟩アフガニスタン🟥ウクライナ🟦イスラエル

日本の過激派に取りこまれた在日ミャンマー人の民主化運動

クーデターかた1年経っても、民主派の在日ミャンマー人によるデモや集会は行われていたが、2月24日にロシアがウクライナを侵攻して、世間の注目がウクライナに集ったことにより、ミャンマーへの関心はますます薄れていき、募金の額も減少していた。ウクライナのデモとの連帯も画策していたようだが、そんなことをしても募金額が増えるどころか、減るかもしれないウクライナ人にとっては良い迷惑だったろう。ちなみにウクライナは国軍に兵器を提供している国の1つなのだが、その点に矛盾を感じなかったのか疑問が残る。このサイトによれば、2022年前半の日本の大手新聞3社による、世界全体の武力紛争に関する報道において、ミャンマーの内戦の報道量はわずか0.2%だったのだそうだ。

またわずかに残ったデモや集会も前年の暮れあたりから様子がおかしくなってきた。中核派、全学連、勤労千葉などの過激派左翼と一緒にデモをする光景を見かけるようになったのだ。彼らの主張は「日本とアメリカがミャンマーを拠点にして中国に侵略戦争をしかけている」という実に頓珍漢なもので、それら過激派の幟に隠れて、一見、ミャンマーの民主化デモとはわからないくらいだった。88年代の在日ミャンマー人が、90年代に社会党の村山富市と面会している写真をどこかで見たことがあるので、おそらくは古い付き合いなのだろう。このあたりでミャンマーの民主派を支援していた人々も二分し、このノリに付いていけない人たちは、貧困層救済に的を絞った支援をするようになった。

そしてさらに事態はエスカレート。在日ミャンマー人のデモ隊は、9月27日に予定されていた安倍晋三元総理の国葬に、駐日ミャンマー大使を招待したことに抗議するだけならともかく、国葬反対演説をぶって、日本のSNSで大炎上、「内政干渉」「冒涜」と多くの日本人の反感を買った。これにはミャンマー人のFacebookでも苦言を呈する人が散見された。その後、デモ隊は入管法改正反対のデモや集会にも駆り出されて、ロヒンギャの青年が代表してメディアに度々登場していたが、2023年6月、改正入管法が成立するとその姿も見なくなり、在日ミャンマー人の民主化デモもほとんど見かけなくなった。

なお立花隆の「中核VS革マル」に掲載されていた中核派の武装蜂起論なるものは、NUG・PDFの戦略とそっくりである。

①平和ストライキとデモ

②デモとストライキの戦闘化。その貫徹のための初歩的な武装。警察力との衝突。占拠=砦化。

③ストとデモの革命貫徹のための比較的水準の高い武装とレーニンのパルチザン戦争(非正規軍による戦争)との結合。

④一斉蜂起をはっきりと準備しつつ、ゼネスト・デモを基底にしての小戦闘・部分的放棄と広範に発展したパルチザン戦争との結合

⑤一斉武装蜂起。

デモをやっている中高年のミャンマー人男性は充実した顔をしている。そりゃそうだろう。彼らはミャンマーでは高学歴かもしれないが、日本では下働きだ。おそらく正規の仕事に就いている人は少なく、せいぜい零細自営業者が関の山。しかし一度デモに繰り出せば、肩書は~民主協会、~民族同盟の会長、議長、書記長となり、人前で演説をぶち、拍手と尊敬をもらえる。ミャンマーは上下関係が厳しい社会なので、年下には絶対服従の命令を下せる。まさに”権力の蜜の味”である。

在日ミャンマー人の民主化運動については、以下の論稿が参考になる。

↑は2010年に書かれた在日ミャンマー人の民主化運動についての論稿である。①民主化運動団体は、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)にも資金援助しており、募金や寄付金が兵器の購入に使われている可能性がある(なおABSDFは連合赤軍もかくやの壮絶なリンチ事件を起こしたことで知られている)②在留特別許可目的でデモ・集会に参加する者も多くいて、団体の幹部や真剣に民主化運動を行っている人たちとの間に溝がある③民主化運動している人々から差別や嫌がらせを受け、民主化運動に怖いイメージを持っている人がいるなどなど興味深いことが書かれている。

↑は2021年以降の在日ミャンマー人の民主化運動についての論稿。これによると、①ミャンマー人としてのアイデンティティが深まる②少数民族への理解が深まる③ミャンマー人同士の交流が増えるというメリットがあったものの、逆に民主化運動に関わる人々と距離を置くミャンマー人もいて、①デモ参加者、募金金額の減少②年長者と若者の間の世代対立③少数民族のビルマ族不信④ロヒンギャは相変わらず排斥されたまま といった問題点があるとのことである。

それにしてもである。

在日ミャンマー人の民主化運動を見て、違和感を感じるのは、自分たちの道徳的優位を訴え、支援を求め、それに応えなければ相手を罵倒するという態度である。これでは余計な敵を作るだけでは?と思うのだが、彼らは止めようとしない。そう思っていた時に、この論稿で「ツァーリ(ロシア語で皇帝)が知ってさえいれば」という言葉に出会い、はたと膝を打った。英語圏独特の言い回しらしく、その意味は「虐待的なヒエラルキーのトップにいる者が虐待に気づけば、それを止めるために行動を起こす」ということだそう。これは一種の「王への具申」みたいなものであり、民主主義とは真逆のものである。件の論稿は『ツァーリが知ってさえいれば』というタイプの提唱は、アメリカの指導者たちが我々の大義の正しさを知りさえすれば、全面的に支持するだろうという前提に立っている。しかしこれは道徳的な物語を優先するあまり、アメリカの外交政策における複雑な考慮事項を曖昧にしてしまう危険性がある」 「アメリカの支援は、立派な人に与えられる報酬ではない」と結んでいるが、民主派の人々は、この「複雑な考慮事項」については、アメリカに丸投げというわけだ。つまりこれは、1人1人が投票結果によって形成された社会に責任を持つ民主主義社会の実現を訴える者の思考ではなく、王国ないしは軍事独裁国家に生きる人間の思考パターンである。ミャンマー人と付き合ったことのある人間であればわかると思うが、彼らは常にぶら下がれる対象を探している。権威にぶら下がって、その威光を借りて安住することしか考えていない。自分たちで自分たちの社会を、国家を作るという意気ごみだけはあるが、責任は持とうとはしない。

軍政に虐げられた人々が、民主主義を知っているという保証は何もない。むしろ軍政の支配下にあるうちに、その思考パターンに染まってしまい、軍政と同じように暴力との親和性が高いと、今の民主派を自認するミャンマー人を見ていると思わずにはいられない。タンミンウーは「民主主義が本当にビルマの目的に適ったものなのか?」と問うたが、私は「民主主義が本当にミャンマー人の資質に適ったものなのか?」と問うてみたい。

偏向報道

クーデターから1年経って戦闘は激化。SNS上では「ミャンマーの話、ほとんど聞かなくなった」という声が散見されたが、日本でもそれなりに報道されていた。むしろそれは関心が薄れていたことの証左だろう。

しかし報道もSNS上の発信も、国軍によって殺害された人々や焼き討ちされた村、空爆されて瓦礫の山と化した画像や映像を流して、「国軍は残酷だー」と連呼するだけで、とてもではないが人の興味を引くような代物ではなく、三島由紀夫の言うところの「女子供の理論」に支配された「国軍=悪、民主派=正義」に彩られた単調で偏向に満ちた代物だった。

例えば国軍が町や村を無差別爆撃しているという話だが、戦闘機が1回出動するだけでも莫大な費用がかかり、爆弾も時間も有限、国土は日本の1.8倍、しかも戦線は拡大しているのだから、国軍がそんなことをするわけがなく、標的を絞って撃っているに決まっている。国軍に批判的な記事の中にもPDFの幹部ら重要人物がいる地域や、国軍施設への攻撃に対する報復で村が攻撃を受けるという証言が得られた出典レジスタンスの拠点と目される村が見つかれば、攻撃機で爆撃し、焼き払ってしまう出典軍はまず空爆を行い、その後、地上部隊がやってきて家々を焼き払った。空から攻撃されたので、PDFは退却するしかなかった(その家々の中にPDFが潜んでいた)出典「軍は最近、PDFを支援する村で民家に放火」(出典とつい本音ただ漏れの記事が散見された。

これは現地にいる日本人の方から聞いた話だが、地方ではPDFが村にやってきて、逃げた人々の空き家を占拠して軍事拠点とし、逃げ遅れた人々に重労働を課したり、食糧を提供させたりしているのだという。そして逃げた人々が助けを求めて国軍に通報し、国軍が村に潜むPDFを攻撃、当然、PDFが潜んでいる家屋には火を放って燻り出すーこんなものは通常の戦闘行為であり、虐殺でもなんでもない。国軍が教会や学校を襲撃したという報道も多いが、それはPDFが教会や学校に潜んでいるからで、ハマスまったく同じやり口である。繰り返しになるが、弾薬も時間も有限なので、国軍に無差別攻撃をする余裕などないのである。ビルマ人権ネットワークという組織も各少数民族武装勢力に民間人居住区を利用した攻撃を止め、国際法を遵守するように要請している。

この記事では国軍の兵士が根拠なく人びとを拘束し、人権侵害を加えていることがわかる。ひどいことが起こっている。しかしながら、国軍兵士たちがこうした行為に及ぶ理由はわからなくはない。戦闘地域では、誰が敵か判別しきれないからだ。民主派勢力はゲリラ戦で国軍に対して抵抗している。真正面から戦うわけではなく、少人数で奇襲や待ち伏せ攻撃をかけ、すぐに撤退する。よくあるのが国軍の車列を襲撃してはすぐに逃げるという手法である(Irrawaddy 2023)。追いかけても民主派勢力の戦闘員は村や町の人々に紛れてしまうため、誰が敵なのかわからない。ゆえに国軍兵士は一般の人々に対しても「敵かもしれない」という不安にかられる。周りから狙われているかもしれないという恐怖と、自分たちを襲撃した民主派勢力への怒り。それが一般の人々に対する暴力へとつながる。 そうした不安から逃れるために国軍兵士たちが取るのが、村人を一掃するという作戦である。すなわち、家々を焼き払い、村を住めなくし、村人を追い払うのだ。民主派勢力が「民」にまぎれているのであれば、それを追い払ってしまえばよい、と考えるのだ。こうした状況があるからこそ、ザガイン管区では多くの国内避難民が生じている出典

7月には元ヒップホップ歌手で、スーチーの側近だったピョーゼヤートー(Phyo Zayar Thaw)ら4人の死刑が執行された。46年ぶりの死刑執行と報道されたので、おそらくクーデターを計画したオーチョーミン(Ohn Kyaw Myint)以来の死刑執行だったのだろう。国軍では”粛清””失脚”と言っても命を奪うことまではせず、自宅軟禁、懲役・禁錮刑がせいぜいで、長期の懲役・禁錮刑を受けても年に3回ある恩赦で減刑されることが常なのだが、あえて死刑執行に踏み切ったということは、丸腰の国軍関係者の狙ったPDFによる暗殺が頻発し、国軍関係者の不満が溜まっており、そのガス抜きということだったかもしれない。

しかしピョーゼヤートーは、自宅にこれだけの兵器を隠し持っていたということだ(画像)。無論、国軍側の言い分なので、その信用性には疑問が残るが、事実だとすれば内乱罪相当あの犯罪であり、死刑は免れられないところだろう。他の3人は同じく兵器を隠し持っていた民主化活動家と密告者(ダラン)の疑いをかけた女性を殺害した男性2名だった。なおピョーゼヤートーの妻は夫の死刑執行後にインタビュー応えていたが、自衛権にはヤンゴンでのゲリラ攻撃も含まれているのか」という質問には、「.話したくない」、「もし春の革命が成功しなかったらどうするか?」という質問には、「その質問は聞きたくない」と不誠実な態度に終始していた。

たしかに死刑になった4人の罪状には疑問が残る。しかしたとえ不公正でも少なくとも裁判という手続きを経て、その刑は執行されたのに対し、PDFはそんな手続きをすっ飛ばして、丸腰の国軍関係者を殺害しまくっていたのである。

10月にはヤンゴンにあるインセイン刑務内の面会所で、小包爆弾が爆発し、8人が死亡、15人が負傷する事件が起きた。亡くなった人の中には学生民主化活動家の母親や子供が含まれていたので、これはミャンマーでも非難轟々だった。しかし報道では「爆発があった後、監視塔の治安部隊が現場付近に向けて発砲した」(出典)「爆発に動転した監視タワーの警備員が差し入れ所に向けて無差別に発砲」(出典)などと国軍側の発砲によって犠牲者が出たという表現がなされ(ネタ元は地元紙)、実行犯のPDFも「国軍側の銃による反撃により、命が失われたことを深く後悔する」(出典)と頑として自分たちの責任を認めなかった。

しかし事件現場の写真を見てほしい。窓ガラスが吹っ飛ぶような大きな爆発であり、これで爆弾による犠牲者がいなかったというのは、にわかには信じがたい。たとえ発砲があったにせよ、すべての責任を国軍に負わすのは不公平というものだろう。

同月、カチン独立機構(KIO)支配地域内のKIO創設62周年記念パーティーが行われていた”コンサート会場”を国軍の戦闘機3機が空爆し、地元の歌手や観客を含む50人以上が死亡、100人以上が負傷するという事件が起きたという報道があった。この事件についても「民間人に対する不当な攻撃」という内外の批判かまびすしかったが、動画と画像をよく見てほしい。場所はどこぞの山奥、建物はどう見ても軍事基地、出席者は軍服を着ている。これは基地内で行われていたパーティー会場を国軍が空爆したというのが真相と思われる。音楽もコンサートというより余興だろう。実際、当初空爆に巻きこまれて死亡したと伝えられた芸能人は、その後全員の無事が確認された。またKIO自身の発表でも死者62名中KIO関係者は45人、負傷者62名中KIO関係者は34人だった。

以下は国軍報道官・ゾーミントゥンの記者会見の概要である。

①KIAはサガイン地域のPDFを訓練しているだけでなく、武器・弾薬・地雷も提供している。押収された武器のうち大部分は KIA のもの。マンダレー地区で押収された武器もすべて KIA のものだった。KIA将校が関与していたという証拠がある。

②空爆した地域はKIA支配地域だとKIAの報道官自身が認めている。

③その地域へは民間人は行くことはできず、行くのは簡単ではない。Kanse経由でそこに行くなら、廃墟となったBuzadee村とUru川沿いを通らなければならない

④ネット上に出回っている写真を見れば犠牲者がみんな制服を着ていることがわかる。民間人はいなかった。

⑤死んだと噂されているアーチストは誰?どこで死んだ?KIAの制服を着ているアーチストまでいますね?どうやって現地に辿り着いたんですか?実は生きていると言われているアーチストもいます。

 ⑥国軍が非武装の民間人を攻撃することはない。10月12日、某PDFが Monywa・Kyaw間の道路のKandaunk村近くで15人の乗客を連れ去った。国軍の部隊は 10月19日、20日に YinmabinタウンシップのYinbaungtai村、Shwehlan村周辺で捜索・救助活動を開始。KIA/PDFのグループと3回交戦して、最終的に女性、子供、公務員、村人を含む26人の人質を救出した。人質の中には2~12歳の子供も含まれ、7ヶ月から1年間監禁されていた者もいた。これが証拠だ。

一方、国軍の”人道的”行為についてはほとんど報道されることがない。例えば投降したPDF兵士の社会復帰プログラム、PDF兵士や避難民のための社会復帰センターの設立、PDF・CDM参加者に対する「法秩序の領域に戻るなら斟酌する」と投降の呼びかけ等々。ちなみに1988年民主化運動の際は、少数民族武装勢力に身を投じたものの、変心して投降を希望した若者たちのために、国軍は飛行機を飛ばして彼らを迎えに行き、ヤンゴンに連れ戻したということがあった。

暴力が暴力を誘発すると同じくらいに、不公平な報道・情報発信も暴力を誘発する。自分のことを正当に評価してくれないというのなら、誰が他人の批判に耳を貸すだろうか。ネルソン・マンデラは言った。「自分たちの反対者の人間性を無視し、悪に仕立て上げるということは、不和を平和的に解決する可能性を放棄し、相手への暴力を正当化しようとすることにつながる 


2022年後半