2021年後半

2021年後半

難民認定

2021年前半

2021年5月28日、フクダ電子アリーナでカタールW杯アジア2次予選の日本代表対ミャンマー代表の試合が、開催されたが、試合前に目を疑うような光景が繰り広げられた。

ミャンマー代表として試合を行うことは軍政を「国家」として認めることになるために抗議したということのようだが、みんな複雑な気持ちで代表チームに参加しているのに決まっているのに、その思いに馳せようともしない、あまりにも教条的で理解できない感覚だった。そしてその試合の国歌斉唱の際、第3GKだった選手が軍政に対する抗議の象徴だった3本指を掲げた。

その後、彼は帰国すれば身の危険が及ぶということで、難民認定申請をし、8月20日、異例の速さで認められた。背景には当時悲願の入管法改正を控えていた入管が、無用なトラブルを避けたことが考えられる。ちなみに彼の父親も兄も国軍関係者で、兄からは帰国を促されており、はたして本当に”身の危険”があったかは、はなはだ疑わしい。

ちなみにクーデター以前より、在日ミャンマー人には偽装難民が多く、そのせいで2019年からしばらく留学生の在留資格がほとんど交付されなくなったという事情があった。私の在日ミャンマー人の友人の中にも多くの難民認定申請者がおり、そのバックグラウンドは実家がヤンゴンだったり、仏教徒だったり、ノンポリだったり、およそ政治的迫害の対象になりそうもない人ばかりだった。高野馬場に専門業者がいて、数万円ほどで難民認定申請に必要な書類を作成してくれるらしい。

以下はNPO法人「難民を助ける会」の柳瀬房子名誉会長の2021年4月に行われた衆議院法務委員会での証言である。この発言により柳瀬氏は件のNPOの名誉会長職の退任を余儀なくされたが、著書の一覧を見ればわかるが、彼女はモノホンのリベラルな人物である。

「私自身、参与員が、入管として見落としている難民を探して認定したいと思っているのに、ほとんど見つけることができません」「したがって、難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非御理解ください」

その他参考になる論稿↓

ただ政治情勢が悪化したことにより、2021年には32人、2022年には26人のミャンマー人の難民認定申請が認められている。

その後彼は、J3のサッカーチームに入団したが出場機会がなく、フットサルに転向したもののまったく通用せず、やがて練習にも行かなくなり退団。現在は都内でアルバイト生活をしているのだという。

NUGが宣戦布告宣言

9月7日、NUG副大統領ドゥワラシラーが、国軍に対して宣戦布告を宣言、全国民に一斉蜂起を呼びかけた。いまだ国際的承認が得られず、さらに前月アフガニスタンでタリバン政権が成立したことにより、国際社会の注目がミャンマーから離れつつあったこと、大した戦果が上がらない武装闘争に国民の間から不満の声が上がっていたこと、PDFに軍事訓練を施していた少数民族武装勢力から押されたことがその背景と言われている。いわば”民主派の焦り”の結果だった。ちなみにこの時NUGの国防大臣の「NUGは空軍を結成した」というにわかには信じがたい発言があったが、結局、出鱈目だった。

この唐突な宣戦布告宣言に、民主派支持者からは困惑の声が上がっていたが、それは国軍に対して武力介入の口実を与えるとともに、これまで「国軍の自作自演の可能性」と強弁していた、民間人をも巻きこんだPDFの武装闘争を誤魔化しきれなくなったからだ。民主派を支援していた某日本の国会議員は「若者の命が奪われている現状を指摘し、これまで平和的非暴力の手段で対抗してきたが、国民の命、財産を守るために、戦わざるをえない状況に追いこまれた旨の発言がありました」と述べていたが、これは真っ赤な嘘であり、前述したように実際はNUG結成当初から、PDFの武装闘争は始まっていた。案の定、この宣戦布告宣言は、後に「民主派の道徳的優位性の喪失」と評価されるようになり、かなり下手を打ったと言えよう。「戦争になっても食糧も避難所もない」とNUGに宣戦布告宣言の撤回を求めたカレン民族同盟(KNU)の幹部もいた。

ちなみにこの宣戦布告宣言の後、デモや募金活動をしていた在日ミャンマー人の数が激減した。その真意はわからないが、宣戦布告宣言に良い印象を持たなかったことはたしかのようだ。以前はデモに入れこんでいたけど止めてしまった知人のミャンマー人女性と街中を歩いている時、たまたまミャンマー人の募金グループと邂逅したのだが、それを目にした瞬間、彼女は私の背中の後ろにサッと隠れてしまったということがあった。在日ミャンマー人の間にも分断が生じているようだった。

エスカレートするPDFの暴力

NUGの宣戦布告宣言後、彼らの思惑どおり、行政官公務員、USDP関係者、密告者(ダラン)の疑いをかけた者など国軍派と見なされた者に対するPDFの暗殺事件や学校などの公共施設インフラ破壊が激増し始め、一般市民、時には子供も巻きこまれ犠牲となった。繰り返すが、彼らは皆、丸腰の市民である。USDPの発表によると、クーデターから2022年3月までの1年間で1327人のUSDP関係者がPDFによって殺害されたのだという。そして国軍派のレッテルを貼られれば、誰の身にも危険が及びかねないという恐怖が人々を支配し始めた。もともとミャンマーは民族、宗教、階層による分断の激しい社会だったが、これに民主派VS国軍派という分断が加わった。

「これらのことは、反国軍派が用いるあらゆる戦術が許容されることを意味するものではありません。部外者、特に子供の殺害がここ数ヶ月で増加していることは由々しき事態であり、これらの犯罪の加害性は国軍に勝るとも劣らない」出典

「ヤンゴンをはじめマンダレーなどの大都市では、親軍部の密告者を暗殺する反政府組織が活動しており、暗殺の対象が密告者の家族にまで拡大していることから、過度な連座制的処罰だという批判の声も高まっています」出典

「私の友人で1988年の騒動のリーダーの1人は話合いでの解決を主張したところ、一部過激派から軍政に傾いたとの批判を受けて生命の保証はないとの脅迫状が届き、現在、家族共々一年以上も身を隠している…彼は1988年の民主化騒動と大きく異なるのはSNSの存在だという。無責任な過激派のフェイクニュースが氾濫して国民が冷静な判断が出来ない情況になっており、事態収拾のための話合いを全く認めていないことであると、10数年にわたる厳しい監獄生活を生き延びた彼は嘆いていた」笹川陽平氏

「防衛戦を始めるまで、民主派は国軍の抑圧に対して平和的に抗議する姿勢が支持されていた。武装闘争路線への転換で、最近は民主派への批判が『内外で高まっている』とも述べた」国連ミャンマー担当特使・ブルゲナー

またPDFの現状についてもレポートが上がり始めた。全体的に士気は高いが、NUGのコントロールは効いておらず、兵器も弾薬も資金も不足し、リーダー不在で、焦燥感に駆られている様子が窺える。

「訓練キャンプへの参加者は途切れず、都市部に戻って戦おうとするが、身近にあるのは竹の棒だけ。『武器が手に入らない。指揮系統もみえない』」「NUGは掛け声だけだ」出典

「PDFは指揮官と兵器・弾薬の不足を訴えている」「実体のないPDFや国軍が作った似非PDFもある」「NUG指揮下にあるPDFは全体の3分の2」「民間人の犠牲者を出すPDFに対する不満も募っている」出典

「リーダー不在を懸念している。PDFも数百あり、統制されていない。発言力を増している指導者もいるが、政治力や軍知的戦略がどの程度か未知数だ」「スーチーの次のリーダーがいない」出典

訓練生はネットも電話もなく、食事も粗末な生活を余儀なくされ、寄付金で生き延びている」「訓練終了後はPDFではなくカレン民族同盟(KNU)に忠誠を誓えと言われ、拒否するとダラン呼ばわりされ、殺すと脅迫された」「逃亡を図ったが捕まり、殴られて顎の骨を折った」「2ヶ月後の強制労働の後、KNU支配地域内のPDFに配属された」「軍事訓練を受けた者の40%がPDFに配属されず、KNU支配下の軍事組織に入隊させられたり、足止めを食らっている」「私たちは独裁者から逃れ、新しい独裁者に出会ってしまったのです」出典

なおKNU支配地域では仏教徒のPDF兵士の一部がキリスト教に改宗しているらしく、さらにその一部が現在過激化してFacebookで「ミャンマーの内戦が国際社会に注目されないのは、犠牲者が少ないからだ」と主張し、無差別大量殺人を呼びかけている疑いが持たれている。今後の動向に要注意である。

一方、NUGは仮想通貨、国債、宝くじを発行など”ユニークな”方法で資金調達に励んでおり、この時期、日本円にして400億円近い資金を集めたと豪語していたが、実態は不明である(その後、国債は発行停止された)。

また宣戦布告宣言後も、NUGをミャンマーの公式政府と認める国は現れず、一時、EUがNUGを公式政府と認めたというニュースが、SNSを駆け巡ったが、EUの声明には「the only legitimate representatives of the democratic wishes of the people of Myanmar(ミャンマー国民の民主的願望の唯一の正当な代表者)」と書かれているのに、アジビラは「the legitimate representatives government of Myanmar(ミャンマーの正当な代表政府)」と書き換えられており、幼稚なデマだった。

対する軍政については、バーティル・リントナーは、国軍の金脈・人脈は欧米から経済制裁を受けていた90年代から築かれたものであり、ゆえに経済制裁は効かず、北部の翡翠鉱山からの利益だけでもGDPの半分ほどであり、麻薬からの利益も同じくらいではないか?と指摘していた。少数民族武装勢力の動きについては、チン州とサガイン管区が激戦区になっていることが伝えられていた他、カレン州、カレンニー州、カチン州などで散発的に戦闘のニュースが流れてきたものの、PDFの誇大発表や独立紙の裏取りしていないフェイクニュースが多く、実態はよくわからなかった。

こうしている間にもミャンマー経済は低落を続けており、2021年の経済成長率は-18%、雇用は2020年の2050万人から2021年には1890万人まで減少、都市部の貧困率は37.2%(2017年は11.3%)、貧困層が全人口の50%に達する恐れ……といった散々なレポートが多数上がってきた。海外からミャンマーへ流入する外貨は、主に①諸外国・国際機関からのODA②外資系企業からの投資③輸出代金の3つだが、そのうち①と②が消えたので当然の結果である。

また理の必然から、生活に窮した若い女性が売春を余儀なくされているという話も耳に入ってきた。現地の日本人によれば、街中では、以前はほとんどいなかった立ちんぼの姿をよく見かけるようになったのだという。

と同時に、ヤンゴンにはド派手なナイトクラブが乱立するという不思議な現象が起きていた。ヤンゴンの街中には以前は見なかったような高級車が走り、バンコクからヤンゴンへのフライトにはブランド品のお土産をいっぱいに手にしたミャンマー人の富裕層が多数搭乗しているという話も聞いた。そのメカニズムについては詳らかには知らないが、貧富の差が激しい社会では貧富の差が開くのも速いということなのだろうか?

クーデターから約1年後の現地からのレポート↓

「こんなこと言うとに怒られるけど、軍部が非合理的なのは分かっているのだから、国民を守るためにするべきことは柔軟に交渉してクーデターを起こさないことだったよね…今後もこの国が大きな内戦に入る可能性は低い。軍部と反軍部の間の武力には途方もない差があるからだ。どこかの国が反軍部の人々に大量に武器を提供したとしても、反軍部の人々は利害関係の異なる民族集団からなっていて、その人たちが大同団結するのは極めて困難だと思う…反軍部の人々は道路に検問を設けるようになった。軍部がクーデター直後に全国に置いたものを模倣しているのだろう。現地の社員によると、ある程度統制がとれている軍部よりも、統制が取れておらず銃火器の扱いにも慣れていない反軍部の検問のほうが怖いとのことだった…今の反軍部勢力の人々が政権を取ったら物事はうまく運営されるのかというと、正直疑問だ。今のような行動が続くと、反軍部勢力に対する民衆の支持も失われていくのではないだろうか


2022年前半