2022年後半

2022年後半

ミャンマー赤軍

2022年前半

前述したように国軍の”蛮行”については、ある程度報道されていたが、PDFのそれについては中央銀行副総裁暗殺未遂事件や芸能人殺害くらいで、それ以外具体的な事件の報道は少なかった。↓のようなアジアローカルニュースは時々取り上げていたが、読者は限られており、人口に膾炙していなかった。

PDFは都市部で暗殺、銃撃、爆弾テロなどを行う一方、農村部では学校CDMを強制して、子供たちを学校に行かせず学力を低下させた挙げ句、度々政治集会を開いて子供たちを”革命戦士”に育て上げていた。まさに洗脳で、「農村から都市を包囲する」をテーゼとして、孤児を純粋培養して殺人マシンに育て上げていたビルマ共産党(CPB)とまったく同じやり口である。民主派はこれを「地方では革命が盛り上がっている」と盛んに喧伝していて、まったく恐れ入る。この子供たちの将来は一体どうなってしまうのだろうか?

新興宗教の信者たちの顔に浮かび、北朝鮮の善男善女たちの顔に浮かぶ、あの不気味な明るい笑顔は、啓蒙の欠如によるものではない。啓蒙の光に照らし出された闇の欠如によるものなのだ呉智英

アメリカ平和研究所(USIP)によれば、PDFは以下のように分類される。

①PDF(狭義)…NUG・EAOsの指揮下で広範囲に渡って活動するより正規化された軍隊。 

②LDF(Local Defense Forces)…NUG・EAOsの指揮下に入らず地方レベルで自律的に活動する民兵組織。 

③PDT(People’s Defense Team)…NUGが結成した地方レベルで地域の防衛と治安維持を担う民兵組織。

この中で比較的統率が取れ、規律があるのが①で、③は機能しておらず、②が民間人殺害など傍若無人の振る舞いをしていることが徐々に明らかになってきた。またPDFと言うと、ミャンマーではエリートに当たる大学生をイメージしやすく、実際、メディアに登場するのはそのような人々ばかりだが、実際には暴力的性向が強い教育のない若者が多いということだった。問題を起こしているのは主に彼らで、翌年には大学生のPDF兵士の多くが離脱して、故郷に戻ったというレポートも上がってきた。

とすれば、彼らが喜々として学校の教師を殺害(閲覧注意)するのも、自身が落ちこぼれて将来を閉ざされたミャンマーの教育制度に対する復讐心が動機と思えば納得が行く。彼らはミャンマーの紅衛兵であり、PDFは赤軍であり、”革命”は文化小革命なのだ。NUGは「PDFが学校教師を密告者(ダラン)として殺害しているのは間違っている」という声明を出しているが、いまだに一向に収まる気配がなく、NUGがPDFをコントロールできていない現状を如実に物語っている。

ただクーデターから1年経ってもPDFの兵器不足、弾薬不足、資金不足という問題は解消されていないようだった。兵器は、子供たちに拾い集めさせた金属片を材料にした粗末な自家製兵器が主で(子供の人権侵害の告発を受けていた)、制作中や試射中に死者・負傷者が多数発生しており、兵士のせいぜい武装率は20%~50%、無論、大砲・対空兵器・対装甲兵器のような高性能兵器はなく、闇市場の兵器・弾薬の価格も高騰していて、なかなか入手できない。せっかくの自家製兵器を手にしても、できることはせいぜい待ち伏せ・ゲリラ攻撃くらいで、高性能兵器を持つ国軍に反撃されれば、退却するしかない…というPDFの悲惨な現状を描いたレポートが上がってくるようになった。

なお日本人ジャーナリストの中では舟越美夏氏が秀逸なレポートを上げていた。ただ彼女も翌年にはミャンマー関連のレポートはほとんど書かなくなった。需要がないのだろう。

またPDFは国軍関係者の暗殺だけではなく鉄道、道路、電波塔などのインフラ破壊も行っていた。地方の駅を爆弾で吹っ飛ばして、民間人が巻き添えになったことや航空機を銃撃して乗客に負傷者を出したこともあった。国軍の輸送網を破壊することが目的だが、当然、市民生活にも悪影響を及ぼす。NUGが市民の反感を恐れて、インフラを破壊しても戦果を誇らないようにPDFに口止めしているので、国軍の発表に頼るしかないが、クーデターから2023年1月までに、利用者の多いバゴー~モーラミャイン間において、橋梁の爆破が5回、線路の爆破が3回、鉄道の爆破・IED(即席爆破装置)の発見が6回、ミャンマー全体では、駅周辺への地雷設置・爆破が105回、鉄道橋の爆破・破壊が34回、駅への放火が9回あったのだという。

しかしイスラエルからスパイウェア、中国からCCTVを導入したことにより、国軍のZ世代が仮想空間におけるPDFとの戦闘も徐々に制するようになってきた。イスラエル製の通信ネットワーク監視するシステムは、携帯端末の位置の特定、会話の盗聴、端末のハッキング、テキストや暗号化されたメッセージの抽出まででき、中国製監視カメラは、PDFの動きを追跡し、活動家同士のつながりを把握し、隠れ家やその他の集合場所を特定し、活動家が使用する車やバイクを認識し傍受することができた。また銀行口座開設のためにプロバイダに顔写真、ビデオ、身分証明書のコピー、携帯電話番号、SIMカード番号を提出しなければならなくなり、さらに500万Ks以上の携帯取引を可能とする口座を維持・開設する場合は、地元の行政官と警察から書面による推薦を受けなければならなくなった。これにより民主派は資産管理に四苦八苦するようになり、資産が差し押さえられるケースも出てきた。PDFやCDMに参加している医師、教師、公務員の逮捕が相次ぎ、CDMに参加した公務員が海外の大学に留学しようとした際、国軍が先に手を回して大学の奨学金の取り消したり、ブラックリストに載ったCDM参加者の再就職がままならなかったり、旅券事務所や空港で逮捕される人も出てきたりした。国軍がCNF(チン民族戦線)の軍事拠点の詳細を正確に把握しているという報道もあった。結果、都市部のPDFは著しい人材不足・資金不足に陥り、紛争地帯のPDFに合流する者が相次ぎ、都市部の治安は急速に回復していった。

国民の支持を失うNUG

配下のPDFをコントロールできず、そのPDFが各地で蛮行を繰り返していることから、NUGは国民の支持を徐々に失っていった。

それだけではない。NUGの誇大宣伝もまたその支持を失う要因となった。

NUG首相が「ミャンマー国土の45%を少数民族武装勢力とPDFが実効支配」したと発言したり、ササが「抵抗勢力は200万人」と発言したり、NUG報道官が「ザガイン管区とマグウェ管区の主要な道路を支配下に置き、ほとんどの村で市民による統治が行われている」と発言したり、NUG国防相が「2023年に革命が成功する」と発言したり、にわかには信じがたいことばかり言って、革命成就の件については、PDFから「我々の装備は実にお粗末だ。十分な武器を装備しているPDFもあるが、大半の組織は武器が不足している。このような状態で2023年に革命を成功させるのはとても難しい」と苦言を呈されたり、著名なジャーナリスト・アンソニー・デイビスから「PDFの無茶な対国軍攻撃を加速させ回復不能な敗北を喫する可能性が高い」と批判されたりした。NUG副大統領・ドゥワ・ラシ・ラーもNUG閣僚たちに無責任な発言を慎むように苦言を呈していたが、その彼にしても革命の勝利宣言をしたり、ミャンマー全土が戦火に包まれると発言したりと五十歩百歩だった。

私はこんな馬鹿げたことをミャンマーの人々は本気で信じているのか?と訝っていたのだが、親しい友人数人に尋ねたところ、皆、「バッカじゃない?!」という反応だったので安心した。

またNUGは、国軍からの脱走兵についても、”戦果”として度々誇らしげに語っているが、実際には2021年から2022年にかけて脱走兵は8000人から2000人に激減、警察官は2000人から1000人に半減していた。しかも脱走兵は下級兵士ばかりで情報源としてあまり役立たず、PDFに参加したのもたった500人ほど。中にはスパイも混じっていて、彼らが漏らした情報でPDFの軍事拠点が攻撃されたこともあったのだという。

また”政策”と称するNUGの愚策連発支持を失う要因だった。

実行できるわけもないのにミンアウンフラインの邸宅や土地を競売にかけたり、逆にスーチーの邸宅を国の文化遺産に指定して、その売買を禁止したり、ミャンマー国内の企業に課税して、「非現実的」という批判を浴びたり、ミャンマー国民に対して海外就労許可証を発行したものの、どこの国も認めず発行中止に追いこまれたり、クーデター後に認可された投資の中止を要請し、要請に従わなければ企業名・氏名を公表すると脅迫したり(PDFに暗殺されかねない)、CDM不参加の公務員を処罰すると発表したりとあまりにもひどい愚策連発で、ミャンマー人の間でも失笑を買うほどであり、NUGに政権担当能力がないことは明らかだった。「NLDからスーチーを引いたら何も残らない」と言われたものだが、NLDからスーチーを引いたNUGはまさかのマイナスだったというわけだ(NLD政権がいかに駄目だったかは「『不完全国家』ミャンマーの真実」を参照)。

もとよりNUGはネット上の仮想空間政府に過ぎず、国民も領土も独自の軍隊もなく、その存在意義は欧米諸国・国際社会から支援を引き出せるか否かにかかっていた。しかし在米ミャンマー人が総力を上げてロビー活動を行い成立させたミャンマー民主派支援を定める2022年ビルマ法によってアメリカがやったことと言えば、国際機関を通じての人道支援だけであり、これが彼らのファイナルアンサーだった。既に世界の警察の看板を下ろし、ベトナム戦争の失敗の苦い経験があるアメリカが、たいして利害関係のないミャンマーの内戦に首を突っこむ道理は何もなかった。ビルマ法成立の少し前には、グローバルタウンホール2022なる外交政策の課題を議論するライブ配信会議に、NUGの閣僚2名が参加予定だったのだが、国連が「紛争の当事者に肩入れすることになる」と茶々を入れ、出席が取り止めになったということがあった。いくら民主化活動家や民主派シンパの独立紙が反国軍プロパガンダを垂れ流そうとも、百戦錬磨の欧米、東アジアのパワーエリートたちの目を誤魔化すことなどできないのだ。

欧米諸国・国際社会から支援を引き出せないとなれば、少数民族武装勢力にとってもNUGの存在意義は薄い。なんとなれば、彼らの目的はあくまでも自分たち土地に自分たちの自治区を築くことであって、民主主義云々の話には何も興味がないから。この点、シンガポールの閣僚が「ミャンマーの戦いは多数派ビルマ民族の中心をめぐる、国軍とスーチー率いるNLDの争いだ」とうっかり口を滑らせてしまい、ミャンマー独立紙のイラワジ紙が猛抗議するという一幕もあった。が、その際イラワジ紙は、カレンニー州の有力PDF・カレンニー民族防衛軍(KNDF)議長・クンベドゥがNUGの副大臣を務めていることを反証に挙げたのだが、そのカレンニー州にNUGが自治組織を結成しようとしたところ、カレンニー州の老舗武装勢力・カレンニー民族進歩党(KNPP)が猛抗議して、撤回に追いこんだ事実には頬かむりしていた。

無論、ミャンマーにも事態を冷静に見ている人たちはいた。イラワジ紙と並ぶ私の愛読紙・フロンティア・ミャンマー(Frontier Myanmar)には、NUGに対する建設的批判記事が頻繁に載るようになった。

「クーデターから1年経ってもNUGは国際社会の正式承認を得られず、資金援助も軍事援助も得られてない。これらを得るためには将来の国家ビジョンを示し、それを実現する能力があることを示さなければならないのだが、NUGが『国土の半分を支配下に置いた』と豪語しても、その支配下にあるとされる地域が国軍の猛攻撃に遭っていては説得力がない。またPDFによる民間人の殺害が横行しており、これはNUGの統治能力に疑義を挟むに十分である。NUGの勝利を説得力を持って示さなければ誰も助けてくれないだろう」出典

「NUGは宝くじ、国債などで資金調達をしているが寄附金額は減少傾向にある。必要な予算を8億ドルと見積もっているが、実際にあるのはその16分の1に過ぎない。最近は中国やタイが監視を強めており、闇市場における兵器の入手が困難になった。NUGは各PDFに対して兵器と資金の支援をしているが不十分であり、各PDFは住民の寄付、バイト、私物の売却などで独自に資金調達する必要に迫られている。しかしネット規制と度々の停電によりネットを通じた資金調達は困難を極め、結果、各PDFは極端な兵器不足に陥っており、せっかくの新兵も面倒を看きれず、追い返している。あるPDFは200人の兵士のうち実際に戦闘に従事しているのは20人だけ、他のあるPDFは1500人の兵士のうち戦闘に従事しているのは100人だけ、他の兵士は訓練や警備をしているだけであり、ゆえに実際の戦闘ではPDFは常に劣勢に立たされ、ほとのどの場合地雷を設置してすぐに退却しているだけである。欧米は美辞麗句を並べた声明を出すだけで実際の資金・武器支援は拒否しており、アメリカは凍結した国軍の資金をNUGに提供することさえ拒否した。アメリカがNUGを支援しないのはミャンマーの優先順位が低いからであり、ミャンマーの内戦はロシアと違って安全保障上の脅威ではない。またイギリス外交筋は『 ミャンマーへの兵器の流入を増やすことは、死傷者や避難民を増やし、悲惨な人道的状況を招くだけだ』とまで述べている」出典

「NUGにゼレンスキーのようなリーダーがいないことが、国際的支持を得られず、民主派の結束力と戦略にひびを入れている原因。民主派内では今でも意見調整に難渋している。NUG閣僚には多数の少数民族出身がいるが、名目だけで実権はなく、NUGはNLD出身者に支配され、いまだにスーチーに固執している。国軍に揺さぶりをかけられれば、民主派は分裂する恐れがある。例えばスーチーが解放されて、彼女が武装抵抗に異議を唱えれば、同調して国軍と妥協する者と最後まで戦う者に分裂するだろう。ゆえに仮にスーチーが解放されても抵抗運動を指揮することはできないと思われる」出典

しかしフロンティア・ミャンマーは2022年12月をもって、ミャンマー語版の配信を止めてしまった。国際ジャーナリスト連盟(IFJ)とミャンマー・ジャーナリスト・ネットワーク(MJN)が、ミャンマー人ジャーナリストに正当な賃金を支払うように世界中のメディアに要請するくらいだったので、経済的理由からかもしれない。外国メディアはミャンマー人ジャーナリストが命懸けで取材した情報や映像に僅かな報酬しか支払わず、彼らのクレジットも入れていなかった。小規模なミャンマー独立系メディアの記者の月給はわずか5万ksほど(24ドル)だったそうだ。

また私がイラワジ紙やフロンティア・ミャンマーの優良記事をFacebookでシェアしても、ほとんど読む人はいなかった。Twitterにいるミャンマー人アクティビティストたちは、イラワジ紙やフロンティア・ミャンマーの記事に呪詛の言葉を投げつけていた。どうやら彼らの頭は民主主義と国軍に対する憎悪で思考停止しているようだった。

カルト民主主義

10月21日、ミャンマーは金融活動作業部会(FATF)のブラックリストに入った。その影響については不透明な部分も多いが、金融機関から様々な制限がかけられるなど不都合が生じているらしい。国軍が金融システムの公正化・透明化を図れば、かえってNUGが打撃を受ける可能性があるという指摘もされた。ちなみにFATFのブラックリストに入っているのは他に北朝鮮とイランしかない。また失敗国家ランキングンでもミャンマーは10位に入った。上位はアフリカの国々ばかりで、アジアでは堂々の1位である。

この頃になると、麻薬の蔓延臓器売買の流行、中東に出稼ぎに行ったミャンマー人女性たちが人身売買被害に遭っているといった貧困に伴う悲惨なニュースも耳に入ってくるようになった。

それにしても

民主派の人々の弱者・貧困層に対するこの過酷なまででの冷酷さは一体なんなのだろう?スーチーにしても当初は欧米諸国に対して執拗に軍政に対する経済制裁を求め、弱者・貧困層の生活は省みない様子だった。

ミャンマーのドル箱産業の1つ・縫製業において、人権団体の様々な圧力にも関わらず、ヨーロッパ資本の企業は「企業や工場の閉鎖は、間違いなく市民社会に影響を与え、現在の政治状況下で困窮しているミャンマーの人々の貧困を拡大させる」と主張して、厳しい経済状況の中でもほとんど撤退していないのだが、その彼らに対してミャンマーの労働組合連合は「大量の雇用が失われるという危機感よりも、クーデターによる経済的影響で数百万人が既に飢えに苦しんでいるという事実の方が重要だ」という詭弁を弄して、あくまでも全面撤退を要求している。縫製工場の女工たちは農村部の貧困層出身で、仕事を失えば売春婦になるしかないのに、そんなことお構いなしの体なのだ。

この民主派の思考パターンは、クーデター後初のデモをマンダレーで行った医学生・タイザーサンの発言によく表れている。「失うものは何もなく、革命に身を投じるほかはない人々の姿でした」「軍事政権の行為が残酷であるほど、人々がより革命的になる」「私たちの悲しみ、怒り、恨みを『革命の思考』に変えましょう」「彼らは自分の命を必要なときには犠牲にすると決めていて、もはや悲しみやショックを感じていません」ーこれは完全にカルトの思想、他人に思考停止を求めるカルト民主主義である。要するに彼らは人々を貧困のどん底に陥れれば、春の革命に参加さぜるをえなくなると考えて、国民総貧困化政策を推し進めているのだ。もっとも実際は国民が貧困化したことによって、NUG・PDFに対する寄付も激減し、自分たちが困窮しているのだが。彼らとしては春の革命に失敗すれば、ジャングルで一生涯極貧生活を強いられることになるので、もはや引くに引けないのだろう。

振り返ればNLDは自由と民主主義を重視するリベラル政党と思われているが、労働者階級を代弁するイギリス労働党、労働者や黒人などのマイノリティを代弁するアメリカ民主党と違って、NLDは反国軍で連帯しただけの民主主義イデオロギー集団だった。折しもNLDの主力である88年世代が青春を送った80年代後半から90年代前半は、フランシス・フクヤマの民主主義普遍論が席巻した時代で、さすがに欧米や東アジアのパワーエリートは思想のアップデートができているが、長い間軟禁下に置かれ、引きこもり生活を余儀なくされていたスーチーは、このあたりで時間が止まっていたのかもしれない。またスーチーの側近にはビルマ共産党(CPB)の元党員が多数おり、政権を取る前には共産主義者らしく”ビルマ革命の敵”のブラックリストまで作っていた。ちなみにこのリストには現国民民主党幹事長・榛葉賀津也氏と外交官の矢ヶ部義則氏の日本人2名も入っており、前者の”罪状”はUSDP本部に招かれたことだった。同じくリストに入れられた高名なミャンマー学者・デヴィッド・I・スタインバーグは、このようなリストを作るメンタリティについて、①教義の厳格性②信条の要求③多様な選択肢に対する不寛容性④自らの正統性の強制と分析している。

おまけにミャンマー人は階層意識が非常に強く、中産階級にとって、貧困層は救済の対象であっても、普段はまったく交流しないた。しかもその救済も功徳を積んでより良い来世を期待するためにやっているのであって、利他的である以上に利己的な動機に拠っていた。彼らにとっては貧困層の人々など所詮革命の駒にすぎず、スーチーという煙幕が消えて、その本質が露わになったということなのかもしれない。

ちなみに貧困層の人々は特に民主派の大学生をひどく恨んでいる。”春の革命”を先導したくせに、いざ国の状況が悪くなると、いち早く留学生や正規労働者として外国に脱出し、安全圏から革命を煽って、ますます状況を悪くしているからである。ボイコット運動が起こったヤンゴンのデパート・ミャンマープラザで買い物をする人たちに対する批判が起きたのも、そんな場所で買い物できる中産階級の人々に対する貧困層の人々の嫉妬が原因だった。


↓こちらはクーデター2年後の中西嘉宏氏の論稿です。

ミャンマー クーデターから2年でどうなった?専門家に聞く


2023年前半