モン民族解放軍
Mon National Liberation Army
対話路線
モン族は東南アジアでもっとも古い文明を持つ民族であり、文字や仏教をミャンマーに伝えたのもモン族。かつてミャンマーではタトン王朝やペグー王朝といった国を建国したが、1757年にコンバウン朝のアラウンパヤー王に滅ぼされてからはその勢力は著しく衰え、イギリス植民地時代にビルマ族、インド人、中国人労働者が開墾目的でモン族の住む下ビルマに大量に移住してきてからは、モン族文化は壊滅的打撃を受け、ビルマ族への同化が進んだ。
1930年代に入ってようやくモン族の民族運動が芽生え始め、1938年、モン族の政治活動家、教育者、実業家等がモン族の文化的自治を求める全モン・ラモアンヤ協会(The All Mon Ramoanya Association:AMRA)を設立。第二次世界大戦中はアウンサウンらのビルマ族中心の独立運動に参加して政治感覚を育み、1946年にはモン族の進歩的な政治指導者たちがモン政治同盟(The Mon Political Alliance:MPA)を結成。1947年の制憲議会選挙に臨んだが議席獲得はならなかった。
1948年、ミャンマー連邦が独立すると、MPAは地方自治の自治権やモン州知事、州警察庁長官、州裁判長の任命権を中央政府に要求したが拒否され、これに怒ったモン族の若者たちが武装化してMPAの軍事部門・モン人民戦線(The Mon People's Front:MPF)を結成。1948年8月19日、モーラミャイン近郊のザール・ター・ピン(Zar Tha Pyin)村の地元政府のピューソーディー(民兵)を襲撃し、モン州全域に反政府武装闘争の火が燃え広がった。8月19日はモン族抵抗記念日となっている。
MPFの武装闘争はカレン民族解放軍(KNLA)と協力しながら10年以上続いたが、1958年7月23日、政府と停戦合意を結び、その合意の中でモン州の設置が決定された(1974年憲法で正式に設置)。
ナイシュエチン
しかしこれに不満な者が、同年、ナイシュエチン(Nai Shwe Kyin)を中心に新モン州党(NMSP)/モン民族解放軍(MNLA)を結成。武装闘争を続け、最盛期には3000人の兵力を擁したが、他の少数民族武装勢力と同じく国軍のフォー・カット作戦に遭って徐々に弱体化。大量の難民を国内だけではなくタイにも流出するに及び、1995年政府と停戦合意を結んだ。背景には①マルタバン湾にある天然ガス田からパイプラインを引きたいタイの圧力②1995年にKNU/KLNAの本拠があるマナプロウが国軍の攻撃により陥落したことがあった。が、これに一部幹部が反発、また自軍を国境警備隊(BGF)へ編入されることを拒否したため、結局、停戦合意は無効となった。
ナイホンサー
現在NMSPの議長を務めているのは、当時停戦合意に反対して降格されたナイホンサー(Nai Hong Sar)である。2012年2月1日、あらためて政府と停戦合意を結び、2018年2月13日、全国停戦合意(NCA)にも遅れて署名した。また以前はカレン民族同盟(KNU)(KNLAの政治部門)と盟友関係にあったが、現在は領土問題で揉めており、モン州南部のモーラミャイン県はMNLAの支配下、北部のタトン県はKNUの支配下となっている。
ナイカオロット
2021年クーデター後、NMSPは対話路線を取って、政府と和平交渉を続けており、住民からも支持を得ている。モン州の各政党の統一組織であるモン統一党(Mon United Party:MUP)の幹部の中には国家行政評議会(SAC)の委員に任命された者までいる。この路線について、NMSPの若い党員の中には不満な者も多いようだが、もとよりNMSPの軍事部門・MNLAは弱小勢力なので現実的選択を取っているとも言える。またNMSPとNLDの折り合いが悪かったこともその一因である。2017年にはNLD政権がモン州の地元の橋をアウンサウン将軍橋と強制的に名づけ、住民の大きな反発を生んだこともあった。
「モン族であるために国は必要ありません。重要なのは文化、言語、そして本です 」
(スエド・ガジャゼニ)(出典)
ただNUGの国防副大臣はMNLAの元大佐・ナイカオロット(Nai Kao Rot)が務めている。カオロットはまたNUG傘下の抵抗組織・モン州連邦評議会(MFSC)の代表も務めている。なおNUG傘下の抵抗組織には他にモン州協議評議会(MSCC)というのがあるが、この組織はモン族よりビルマ族が多いモン州北部から選出された国会議員を含む元NLDのメンバーで構成されている。MFSCとMSCCは合併交渉を進めているが、今のところ実現していない。
またクーデター後はKNLAがモン州での影響を強めている。NMSPが事態を静観していることに失望した若者たちが、KNLAで訓練を受け、武器を得てPDFを結成する動きが出てきたのだ。その中にはナイナガール率いるモン州抵抗軍(MSRF)もある。しかしPDFの活動が活発化したことにより、国軍の報復攻撃を受け住民にも被害が出、またMNSP/MNLAの長年のライバルであったKNLAの影響が強まることに不安を覚えている住民もいて、KNLAがMNSP/MNLA支配地域に第8旅団を創設するという噂まで流れている。ゆえにモン州のPDFは住民の信頼を得るまでに至っておらず、慢性的な資金難に陥っている。
2023年12月にはMSRFがMFSCの指揮下に入り、モン州軍の設置を目指して、政治部門をMFSCが、軍事部門をMSRFが担うことが発表された。
2024年2月、MNSPの対話路線に不満な一部がMNSP(反独裁)を結成。NUG・PDFと協力し、武装闘争によって軍政を倒すと宣言した。
続き→モン国民解放軍(MNLA)