パオ民族解放軍

Pa-O National Liberation Army

・活動時期:1949~,2009

・活動場所:シャン州南部

・宗教:仏教

・主義主張:パオ民族主義、分離主義

・兵力:400

パオ民族機構(Pa-O National Liberation Organisation)の軍事部門

クーデター後、パオ族同士で激しく衝突

ウー・フラペ

独立直後の1949年にタトン出身のパオ族政治家・ウー・フラペ(Thaton U Hla Pe)が結成。タトンのパオ族はカレン族やモン族と関係が深く、ゆえに彼もパオ族代表としてカレン民族同盟(KNU)に参加して、副議長まで務めていたのだが、独立後、諸民族が反政府武装闘争に入った際にPNOを結成した。1973年以来,ビルマ共産党(CPB)と連携するターカレイ(Tha Kalei)率いるシャン州民族人民解放機構(Shan State Nationalities People’s Liberation Organization:SSNPLO)と、アウン・カム・ティ(U Aung Kham Hti)率いるパオ民族軍(PNA)・パオ民族機構(PNOに分裂。PN0は非共産党系少数民族武装勢力の連帯組織・民族民主戦線(NDF)にも参加した。

PNOは、1988年に少数民族武装勢力とビルマ族民主派を結集するビルマ民主同盟(DAB)にも参加。1991年にはミャンマー政府と停戦合意を結んだが、これに不満なメンバーの一部がパオ人民解放戦線(PPLO)を結成したちなみにSSNPLOは1994年に政府と停戦合意を結び、その後、崩壊した。

このようにパオ族の武装勢力は離合集散を繰り返してきたが、2008年憲法ではパオ自治区の設置が認められ、PNOが統治することが定められた。一方、2009年にはPPLO、SSNPLOなど5つの反政府武装組織が合併してパオ民族機構(PNLO/)パオ民族解放軍(PNLA)を結成。PNLOは2012年8月25日政府と停戦合意を結び、2015年10月15日全国停戦合意(NCA)にも署名して、彼らもまたパオ自治区の統治の一部を担った。

2021年のクーデター以降は、PNOのみならずPNLOも対話路線を取っていたが、2022年9月15日、PNA兵士がPNLA兵士5名を殺害する事件が発生。さらに2023年3月、ピンラウン郡区で国軍とのPDFとの間で戦闘が勃発、僧院に避難していた僧侶3人を含む民間人23人が殺害される事件が発生。国軍はカレンニー民族進歩党(KNPP)、カレンニー民族防衛軍(KNDF)など反政府武装組織の仕業と非難し、PNOもこれに同調した。同年5月には、ASEANの高官を乗せた車両が、シセン郡区で狙撃されるという事件が発生。国軍はこれもPDFなど反政府武装組織の仕業と非難したが、事件が起きた場所はPNOの管轄下で、PNLOはPNOによる工作だと非難した。

こうしてPNOとPNLOとの間で緊張が高まり、2024年1月、国軍の戦闘機がPNLOの本部があるナウンタウ(Nawng Htaw)を爆撃するにおよび、PNLOはNCAから正式に離脱し、独裁政権が消滅し、ミャンマー全国民のための連邦民主主義体制が確立されるまで軍との闘うという声明を発表。その後、国軍、PNAとPNLAとの間で激しい戦闘が繰り広げられ、約7万人の避難民が発生したと報じられた。