ここでは、重装備やトレーニングが必要な登山(文学研究)というのではなく、手軽に楽しめるトレッキングのように読書を楽しむことをめざした報告を集めました。この報告をもとにしてブリコラージュ通信に原稿をまとめたりもしています。
一 最初この小説をうまく読めなかった
相性がいいとか、波長が合うということは確かにある。人との出会いだけでなく、小説との出会いにもそれはいえる。一読して面白い、好きだということもあれば、なんだこれはと、次の作品を忌避してしまう場合もある。しかし、言うまでもないが、最初の印象がいつも、あるいはいつまでも正しいとは限らない。
「ポトスライムの舟」を初めて読んだ時、僕はうまく読めなかった。今振り返れば、文体の持つ奥行がとらえられず、小説の表層しか見えていなかったのだろう。なんだたいしたことないな、と早とちりし、併載されている「十二月の窓辺」を読む気にもならなかった。
だいぶ経ってから、あるきっかけでデビュー作の『君は永遠にそいつらより若い』を読み、強い衝撃を受け、これはちょっと無視できない現代作家だなあと思った。
改めて「ポトスライムの舟」を読んでみたら、『君は永遠にそいつらより若い』の文体の強烈さが、いわば免疫として働いたのか、「ポトスライムの舟」の印象は一変した。僕はそれから短期間で津村記久子の全小説を読んだ。津村記久子の核心部がわかった。作品に出来不出来はあっても、津村記久子に対する評価は変わることはない。もう揺らぎはしなかった。田辺聖子風に言えば、「わが愛の津村記久子」になったわけだ。
二 タイトルの意味をとらえなおす
津村記久子は小説のタイトルの付け方がうまい。『君は永遠にそいつらより若い』『カソウスキの行方』『アグレリアとは仕事はできない』『ワーカーズ・ダイジェスト』『とにかくうちに帰ります』など、とても読書欲をそそる。タイトルにはどこか謎めいた部分がある方がいい。「そいつら」って誰を指すのだろう、「アグレリア」(やっぱり女性かな)「カソウスキ」(なんとなくロシア人っぽいよなあ)ってどんな人物なんだろう、と読者に興味を持たせることができたらひとまず成功だ。
ただ凝りすぎると、読者が引いてしまうかも。「サイガさまのウィッカーマン」、「バイアブランカの地層と少女」はタイトルだけではどんな話なのか見当もつかない。『ポースケ』なんて、人の名前(たとえば「呆助」)かと誤解を生みそうだ。(本文を読めば、ポースケがノルウェー語で「お祭り」だというのはすぐにわかるから、まあいいのだけれど)
小説のタイトルは、読者が最初に触れるもので、作品の看板のようなもの、先行きを暗示するもの、内容を象徴するもの、などいろいろなタイプがある。
そして、タイトルは読後にもう一度ふりかえるべきものかもしれない。作者がタイトルにテーマの所在を示唆している場合があり、読者自身がそのタイトルに意味づけをすることで小説が一層よくわかる場合もある。
それで問題は、「ポトスライムの舟」だ。この象徴的なタイトルを、僕は最初上手くとらえられず、軽く読み飛ばしていた。
小説を読み終えた時、タイトルの意味を、改めて自分に訊ねてみればいい。答えられるかどうか、どう答えるか、で作品理解の程度や質がわかるはずだ。「ポトスライムの舟」って何のこと?
この小説で「ポトス」にはいくつかの意味づけがされている。今簡単にメモしてみる。
①職場のロッカールーム「共用のテーブルの上に飾ってある、百均のコップに差した観葉植物のポトスライム」
②恵奈と二人で留守番をしていた雨の日、恵奈があれなに?と訊いてきた。「好きではないが、すごい」。二人でポトスの水差しを。廊下にずらりと並べる。「もしこの家を出ていく日が来たら」「餞別として持っていき」
③ポトスを食べている夢を見る。
(本当にお金がなくなってしまったら、ポトスを食べればいい)
④工場でもポトスのことばかり考えていた。食べ方を岡田さんに相談すると「ポトスの天ぷら」
⑤ポトスにも毒があることがわかり、思い入れが低下、その間、恵奈が水やりを。
⑥りつ子母子の新しい家に、ポトスを持っていく。
⑦病気で一週間以上水を替えていないが、世話をする気力がない。
⑧夢で、シングルアウトリガーカヌーに乗って、あちこちの島へ、ポトスの水差しを配ってまわる。ある島では水がないからと返される。
⑨ポトスを育てることは最低課金の娯楽であると学んだが、……
⑩雨水タンクを買う。ポトスの水を替える。
⑪恵奈の自由研究は「食べられる観葉植物」
ついでに「舟」の方も見てみると二ヶ所しかない。
①「世界一周のクルージング」のポスターの写真が、カヌーに乗った現地の少年。カヌーはパプアニューギニアのシングルアウトリガーカヌー。シングルの方が波に乗る力が長けていて安定している。
②病気で会社を休んだナガセはアウトリガーにポトスを積んで島に配ってまわっている夢を見る。(「ポトス」の意味のメモの⑧と同じ)
つまり、「ポトスライムの舟」というのは、ポトスライムの水差しをいくつも積んだ舟ということで、病気で会社を休んだ主人公ナガセが見た夢の場面をさしているのだ。それならば、この夢にはどのような意味づけがなされるのだろうか。(続く)
三 世界一周クルージングとタトゥー
夢の場面を詳しく検討する前に、まず「世界一周クルージング」の問題に触れておこう。この小説の冒頭は、主人公のナガセが工場の休憩時間に眺める二枚のポスターから始まる。右は「さるNGOが主催する世界一周のクルージング」と、左は「軽うつ病患者の相互扶助を呼びかける」ポスターだ。この二枚のポスターに、小説のテーマが象徴的に示されている。「前の会社を辞めた直後はともかく、それからもう数年が経っているのに、そういうものにお世話になっている場合ではないのだ」、というナガセの内言に促されて、読者も「世界一周クルージング」のポスターの方につい目を奪われてしまうが、「そらされた視線」にこそ深く隠された意味があるのだ。
ナガセは「新卒で入った会社を、上司からの凄まじいモラルハラスメントが原因で退社し、その後の一年間を働くことに対する恐怖で棒に振った経験」を持っている。作者津村記久子自身、最初に入った会社で同性の上司からパワーハラスメントを受け、退職を余儀なくされている。私小説ではないので、登場人物と作者は分けて考えるべきだが、それでもこのナガセには作者自身の経験が色濃く投影されているとみるべきだろう。
同時期に執筆された「十二月の窓辺」には、上司からのハラスメントが具体的に書き込まれている。主人公の名前も違うし、連作でもないので、「十二月の窓辺」と「ポトスライムの舟」は互いに独立した中編として読んで差支えないが、「経験」をどのように「作品化」しているかという観点で、比較して読むことは可能だ。「十二月の窓辺」は、パワハラ被害の真只中を、「ポトスライムの舟」はパワハラ被害のその後を描いている。
話をポスターにまで戻す。このクルージング費用一六三万円が、工場で働く自分の一年間の給料とほぼ同額だと思い当たって、彼女は一年かけてこの額を貯めようか、と思う。工場の給料には手をつけず全額残し、夜の喫茶店でのアルバイト代や、休みの日のパソコン教室の講師料、データ入力のお金などだけで一年間生活しよう。この彼女の考えは「極めて不自然なもの」だし、その実行にあたって、ナガセが節約生活を自分に強い、細々と使ったお金の額を手帳に書き留める姿は、読んでいて息苦しさを感じるほどだ。何故、ナガセは「一六三万円」を貯めようとするのか。これを、世界一周、憧れ、夢などという言葉でとらえると、この小説全体を誤読してしまうことになる。
この目標を立てる直前までナガセがとらわれていたのは『今がいちばんの働きざかり』というタトゥーを腕に掘り込みたいという突飛な考えだった。この刺青をめぐっての一連の語り口は、いかにも津村記久子らしいもので、「熱い思い込み」と「冷静な思い直し」との振れ幅の大きさ、ジグザクな思いの迷走が面白い所だ。今、それを抜粋してみる。
《『今がいちばんの働きざかり』と、よく考えたら、文面の今は二十九歳になったばかりの今であるのに対して、刺青ずっとはそこにあるものだから、どうしたって矛盾しているのだが、先週はとにかく、いつでも自分自身に見えるところにそう彫らなければ、とずっと考えていた。一文字いくらなのだろう。いちばん、は、一番、にしたほうが安くあがるだろうか。でも自分としてはひらがなのほうがしっくりくるのだが。字体はゴシックがいい。》
《……マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーがステレオフォニックスのアルバムの名前を彫っていると知って、やっぱり自分もやるべきだと思い、いつものようにデータ入力の仕事を零時までに済ませた後に一文字いくらか調べようとしたが、眠ってしまった。起き抜けにすぐ、土曜のパソコン教室に出かけて、お年寄り達にメールのBCCのやり方について教えている時に、やはりこれからの季節、工場での仕事はいいとしても、このパソコン講師の仕事に刺青は不利なのではないか、とふと思い直した。》
何故刺青を入れたいなどと思ったのか、と彼女は自省する。
《たぶん自分は先週、こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う。》
ナガセは、『今がいちばんの働きざかり』という劇薬のような言葉を、自分の生の頼りなさを紛らせるために必要としていたのだが、今はその渇望のピークは過ぎたと、自分を少し冷静に見ている。そしてこの言葉の次に、ナガセを捉えたのが「世界一周のクルージング」の費用が一年間の給料に等しいという考えなのだ。
つまり、こういうことだ。ナガセはパラワラによる精神的なダメージから立ち直ったとはいえ、まだその後遺症をかかえていて、自分がいつ「働きたくなる」かわからない不安をずっと抱えている。自分の気持ちを支えるものとして、「タトゥー」や「一六三万円」を仮に設定しているのだ。この二つが同じものだということは、ヨシカの「あんた、そんなことゆうて腕にタトゥー入れたいとかいうのはどないしたん」という冷静な言葉とナガセの「そんなこともゆうてたわな」という答がそれを示している。
「ポトスライムの舟」は、パワハラによる精神的な傷からの回復途中にある、いわば「病後小説」なのだ。そして「病後小説」ととらえたときに、「ポトスライムの舟」は、働きすぎによる双極性精神障害に陥った主人公を描く絲山秋子の「イッツ・オンリー・トーク」と同じ位相の現代小説であることがはっきりと見えてくるだろう。(続く)
一 四十年経って再読してみた
もう四十年以上前のことになる。僕が一年半の教養学部を終えて、文学部へ上がった頃、1972年の秋、それまでハーバード大学へ行っていた野口武彦先生がアメリカから帰ってきて、谷崎潤一郎について集中講義をされたことがあった。(そうそう思い出した、その頃猪野謙二先生は体調を崩されて入院されていたはずだ。)
野口先生は翌年の1973年8月に『谷崎潤一郎論』を出版され、亀井勝一郎賞を受賞されるのだが、あとがきによると、アメリカで七章の半ばまで書き、残り一章半は帰国してから書き上げたということだ。
つまり、僕が初めて聞いた野口先生の講義は、この『谷崎潤一郎論』執筆最中だったことになり、いわば最も膩の乗り切った時期の講義だったのだ。
学部へ上がってすぐで、少し緊張もしていた僕にとって、その講義はとてもハードで刺激的な講義だった。やっぱり専門の授業は違うなあと思った。集中講義だから、連日のことになるが、毎日一作品は読んでいかなければならない。それまで谷崎潤一郎など、名前を聞くくらいで、読んだこともなかった僕は、講義について行くのに必死だった。さすがに「細雪」を一日で読み切ることは無理だったが(それでも後日読み切った)、「刺青」「痴人の愛」「卍」「盲目物語」「蘆刈」「鍵」「瘋癲老人日記」など主要な作品をなんとか読んで講義に臨んだ。大きな負荷のかかった講義に真面目に取り組んだことは、大きな経験になった。40代になって六甲全山縦走をした時と、同じようなものだ。(ちょっと違うか)
事前に問題が予告されていたその時の試験で、僕は自分が一番面白いと感じた「瘋癲老人日記」について書いた。自分の欲望、妄想を思う存分「カタカナ書きの日記」で展開しながら、最後に付け足された形の「佐々木看護婦看護記録抜粋」「勝海医師病床日記抜粋」「城山五子手記抜粋」が、その妄想を一気に相対化する、という点を力説したと思う。(これは伊藤整の論に共感して書いたように思うが、今、伊藤整の『谷崎潤一郎論』で、該当箇所を探したけれど、うまく見つけることができなかった。)
NHK文化センターの講義の準備で、久しぶりに再読してみて、改めて「瘋癲老人日記」の面白さを痛感した。若い二十歳の頃の自分にはもう一つピンと来ていなかった所が六十歳を超えた自分にはよくわかる。一般的に言っても、再読することは、その小説をより深く読むのに有効だが、とりわけ「瘋癲老人日記」の場合、二十歳の読みの深さと六十歳のそれとは全く違う。
何より、この小説は「病気小説」だった。若い頃にはその意味がよくわかっていなかった、血圧の細かい記述が、今なんと実感的にわかることか。
二 固有名詞の氾濫
「瘋癲老人日記」はこのように始まる。
《十六日。……夜新宿ノ第一劇場夜ノ部ヲ見ニ行ク。出シ物ハ「恩讐の彼方へ」「彦市ばなし」「助六曲輪菊」デアルガ他ノモノハ見ズ、助六ダケガ目的デアル。勘弥ノ助六デハ物足リナイガ、訥升ガ揚巻ヲスルト云フノデ、ソレガドンナニ美シイカト思イ、助六ヨリモ揚巻ニ惹カレタノデアル。》
勘弥、訥升のあとも先々代羽左衛門、団十郎、先代歌右衛門(福助)、芝翫等、歌舞伎役者の名前が次々にあげられ、さらに新派役者若山千鳥、山崎長之輔、先代嵐芳三郎と続く。執筆当時の1961年ならばともかく、50年以上たった2014年現在、これらの役者を知っている読者がどれだけいるか疑わしい。
川端康成の「眠れる美女」と谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」はともに老人の性を描いた小説として対比的に語られることが多い。その比較はいずれするつもりではあるが、「眠れる美女」が固有名詞を極力排した、普通名詞中心の小説であるのに対して、「瘋癲老人日記」は固有名詞が横溢した小説である。
金井美恵子の『文章教室』にこんな一節があったことを、また思い出してしまうのだが。
【……出席者の一人だった女流作家は、《それに、ダイアルを廻した、という表現にしても、十年か二十年後の読者には通じなくなってしまうかもしれません。ダイアルというものがなくなってしまっているでしょうしね。そういう時代によって古びてしまう表現は避けたい》とデリケー卜なことを言った。もう一人の出席者である若い批評家が苛立って、二十年後にも読まれるほどの古典だったら国文学研究者か編集者が注をつける、と言い、これは原稿でけずられ、《ヒッチコックの『ダイアルMを廻せ!』なんてどうなるんでしょうね》と書き変えられていたのだが、……。】
この若い批評家の結局は削られてしまう「二十年後にも読まれるほどの古典だったら国文学研究者か編集者が注をつける」という痛快な発言は、本当にその通り。新潮文庫の『鍵・瘋癲老人日記』は全部で450ページ足らずだが、その約1割、50ページ以上が注解に当てられている。
そして固有名詞は語り手(この小説の場合、老人卯木督助)の関心の在り所を示している。
セルバシール、アダリン、ノブロン、シノミン、アリナミン、ドルシン、パロチン、ザルソブロカノン、ピラビタール、イルガピリン、パロチン、ドリデン、ブロバリン、ノクターンなど薬の名前の氾濫が、「瘋癲老人日記」が「病気小説」であることの傍証となる。
三 川端、マルケス、谷崎
「病気小説」などとつい先走ってしまったが、もちろん、この小説が「性」をテーマにしているのは疑いない。嫁の颯子への性的欲望を主軸にし、谷崎の読者にはなじみの「マゾヒズム」「フェティシズム」が絡み合いながら、豪華絢爛であると同時に滑稽至極な光景(あるいは妄想)が生み出されていく。
そして肉体的には不能となった老人も、性的な欲望を持ち、それを満たすことが可能だ(即ち性欲とは心理的観念的なものだ)と示した点が、常識的な性の考えを大きく打ち破り、小説として卓越している。小説冒頭で、歌舞伎の女形の魅力が語られ、若い日の性的冒険、女形との同衾が思い出されているのも、性欲が観念的欲望であることを示しているといえるだろう。
老人の性を描いた小説家として、しばしば谷崎潤一郎と川端康成が並べて語られる。しかし、谷崎の「瘋癲老人日記」と川端の「眠れる美女」とは、全く対照的な作品だといえる。
「瘋癲老人日記」であれほど氾濫する固有名詞も、「眠れる美女」にはほとんど出てこない。川端の主人公にとって、性はもっぱら肉体的なもので、老人たちは、性的不能を怖れ、嘆くばかりで、主人公も「まだ現役だ」ということに拘っている。
それに比べた時、「性欲を観念的な欲望」ととらえる谷崎の方が、はるかに豊かな文学世界を開拓している。何より「瘋癲老人日記」は読んでいて、ハラハラドキドキするし、思わず吹き出す滑稽な所も随所に出てくる。読んでいて楽しい。
少し脱線するが、「眠れる美女」に着想を得たとされる、G・ガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社、2006年)は、明るく滑稽で、知人友人との交流もあり、読むと元気の出てくる小説で、全く川端康成には似ていない。
「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生日祝いにしようと考えた。」という一文で始まるこの小説は、14歳の少女と90歳の老人のみずみずしい恋愛小説として、次のように終わるのだ。
「心臓は何事もなかったし、これで本当の私の人生がはじまった。私は百歳を迎えたあと、いつの日かこの上ない愛に恵まれて幸せな死を迎えることになるだろう。」
マルケスの主人公は肉体的にも元気なのかもしれないが、精神的にもエネルギッシュだ。その精神的な動きという点では、マルケスの小説はむしろ谷崎に近いかもしれない。マルケスは「瘋癲老人日記」の存在を知っていたのだろうか。(続く)
四 颯子のモデル
谷崎潤一郎は、自分の実人生をそのまま書くタイプの作家ではない。しかし、谷崎に何人もの、小説の「モデル」、創作上のミューズ(美の女神)が存在することはよく知られている。
たとえば、「痴人の愛」(大正14年)のナオミのモデルは、谷崎の最初の妻千代の妹、石川せい子(のちの女優葉山三千子)だとされる。
また三人目の妻となる松子は、谷崎最大のミューズであり、昭和初期に書かれた、一連の女人崇拝をテーマとした作品群、「盲目物語」(昭和6年)、「蘆刈」(昭和7年)、「春琴抄」(昭和8年)、「聞書抄」(昭和11年)などを生み出している。さらに松子の妹重子は「細雪」(昭和18年~23年)の主人公雪子のモデルとして有名だ。
そして、「瘋癲老人日記」(昭和37年)の颯子は、渡辺千萬子がモデルとされる。谷崎と千萬子の関係は入り組んでいて、一言では言えない。
谷崎の三人目の妻松子は、それ以前、大阪の豪商根津清太郎と結婚していて清治を産む。松子の妹重子は、渡辺家に嫁ぐが、夫を亡くし、子どもがいないため、姉の子ども清治を養子とする。だから、谷崎にとって清治は、妻松子の実子(連れ子)であり、妻の妹重子の戸籍上の息子であり、谷崎と清治の血の繋がりはない。その清治の結婚相手が千萬子である。
千萬子は、高折隆一(医者)・妙子(日本画家橋本関雪の娘)の長女で結婚当時、まだ21歳、同志社大学の学生であった。清治・千萬子の若夫婦は、京都下鴨にあった谷崎の住居「潺湲亭(せんかんてい)」に、谷崎、松子、重子らと約四年間同居する。
「瘋癲老人日記」は、日記の書き手であり主人公である「予」の、嫁颯子への性的な欲望を最大の主題としているが、颯子のモデルは千萬子というのが研究者の定説であり、千萬子自身もそれを肯っている。そして、谷崎自身は手紙のなかで次のような文言さえ残している。
《七十六才の今日になっても小生がなほ創作力を持てゐられるのは全くアナタのおかげです 晩年に及んでかう云う女性にめぐり会ふことが出来たといふのは真に何といふ幸福でせう 思へば思ふほど不思議な気がします》昭和三七年十二月四日付より抜粋
『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』(2001、中央公論社)
(千萬子には『落花流水 谷崎潤一郎と祖父関雪の思い出』(渡辺千萬子、2007、岩波書店)という著書がある。)
モデルと登場人物を同一視するつもりはないが、それにしても経歴や家庭環境だけ見れば、千萬子と颯子は全く別人だ。日本画家橋本関雪の孫、医者の娘、同志社大学の学生、文化的にも経済的にも恵まれた「お嬢様」の千萬子と「踊子あがりで学歴もない」颯子とでは、あまりにも境遇が違いすぎる。それでも、颯子のモデルは千萬子だ、彼女が晩年の谷崎の創作力をかきたてた美の女神・ミューズだとされるのは何故なのか。
千萬子の内面性こそが、マゾヒスト谷崎を惹きつけ、颯子という人物に結晶したと推察されるが、それを手紙や手記にもとづいて、具体的に実証することは、この読書のトレッキングの範囲を超えている。今は「瘋癲老人日記」という小説に視野を限定して、老人は颯子のどんなところに惹かれているかを探っていく。(続く)
五 颯子への欲望
予は日記にこんなことを書いている。自分の好きな女は「不親切デ嘘ツキデ人ヲダマスノガ上手ナ女」、「悪イ性質ノ女」、「顔ニ一種ノ残虐性ガ現レテイル女」、「悪イケレド怜悧」、「妖婦高橋オ伝ノヨウナ女ニナラ殺サレタッテイイ」、とまで考えている。マゾヒストの面目躍如たるものがある。老人は颯子をこのような女として見ているのだ。
まあ個人的にはこういう女は僕の趣味ではないけれど、ここは自分の好みをうんぬんする場ではないし、好みもしょっちゅう変わるからなあ。ちょっと前は、仲間由紀恵(トリック)、真木ようこ(SP)、能年玲奈(あまちゃん)、今は満島ひかり、安藤サクラかな、……いかんいかん、煩悩が湧いて、迷走する。
話を戻す。小説の冒頭、老人は妻と颯子を連れて新宿で芝居を観たあと、伊勢丹により、倅の浄吉も呼び、銀座の浜作で食事をする。この食事の場面を見てみる。
老人は滝川ドウフ、晒シ鯨ノ白味噌和エ、鱧ノ梅肉、鱧ノ付焼、早松ノ土瓶蒸シ、茄子ノ鴫焼を食べて「マダ何カ喰ッテモイイナ」と言う。旺盛な食欲、贅沢な食事にも驚くが、ここで颯子がこう言うのだ。
《「オ爺チャン、コレ召シ上ッテ下サラナイ?」
颯子ノ前ニ鱧ガソックリ残ッテイル。彼女ハ残リヲ予ニ食べサセル積リデ、ホンノ一片
力二片食ベタダケデアル。実ヲ云ウト予モ彼女ノ喰イ残シガ廻ッテ来ルコトラ予期シテ
或ハソレガ今夜ノ目的デーーココヘ来タノカモ知レナイ。》
密やかな変態的欲望、それをかなえてやる颯子の洞察に満ちたさりげない振舞い。お互いに妻(婆サン)や夫(浄吉)のいる前で交わされる心理的な目配せ。颯子は、《予の気持ちを洞察し、予の望むように振る舞っている》、と予は思っている。老人は日記の端々にそのように記している。
颯子の方も二人きりだと変に言葉がぞんざいになる。それが却って予を喜ばす所以であることを心得ている。》颯子は怜悧な女だ。予は颯子に媚び、颯子は予を揶揄する。マゾヒストにとってはたまらないことだろう。
老人卯木督助の経歴や職業は書かれてないが、かなりの資産家で、大きな屋敷に、婆サン(妻)、息子夫婦(浄吉と颯子)と孫(経助)、佐々木看護婦、女中お静、が暮らしている。野村というお抱え運転手がいて、医者も定期的に往診にやって来る。
こうした大家族の中で、人々の眼を盗んで、なんとか颯子と二人きりになろうと、あれこれ画策する老人の姿が、老人に同化して読めばサスペンスにみちているが、客観視すれば極めて滑稽である。「瘋癲老人日記」のおもしろさはその辺りにある。特異な状況、ドラマチックな事件、修羅場や愁嘆場が出てこなくても、小説はハラハラドキドキ、楽しく読める。(続く)
一 2006年8月にこの短編と出会った
高山智津子先生が亡くなられたのは2006年6月11日だった。もう8年前のことになる。
徳永先生と小西先生から研究所の今後について相談を受けて、僕も所員になり、これまでの「日和佐・文学と絵本研究所」を「高山智津子・文学と絵本研究所」と名前を変えて、再出発することになったのが、8月22日だった。
思い起こせば(というか、日記がわりのノートを見直せば)この2006年は、個人的にもいろんなことのあった年だ。2月に宝塚良元校での文学講座がスタート(これは、退職まで6年間続き、全部で36回やることになる)。3月に娘が大学を卒業し伊豆の温泉旅館に就職。4月に息子が高校に入学。田舎の叔父が死去。7月に大学時代から、文学教育の会を一緒にやってきた先輩の本岡さんが死去。8月娘と伊豆旅行、妻は単身ドバイへ旅行。12月僕が2度目の海外旅行でニュージーランドへ。
え、村上春樹の「バースディ・ガール」はどこにいったか、って。まあ、そうせかさずに、ゆっくり話をさせてよ。
2006年の8月18日、19日、僕は奈良教育大学にいました。20日、21日娘と伊豆へ行くことになり、22日には研究所の再出発の相談をするのですから、この5日間は充実したというか、結構忙しかったわけです。
何故、奈良教育大学にいたかというと、日本文学協会国語部会の夏の研究集会が開かれていて、僕は会員ではないけれど、関西で開催される時には、何度か出席していました。この年、受付で渡された資料の中に、当初予定されていた分科会報告が都合で変更になります、という連絡がありました。それで代打として、村上春樹の「バースディ・ガール」の作品・教材分析の報告があったのです。たぶん佐野正俊氏(拓殖大学)だったと思います。
配布資料を見るまで、僕は「バースディ・ガール」のことは全く知りませんでした。村上春樹の小説は、長編も短編も、眼に触れたものはほとんど読んでいるはずなのに、なぜこの作品を読んだことがなかったのだろう、とちょっと不思議でした。
この短編をざっと一読して、これはいい作品だ、これは授業できると思いました。
二 「バースディ・ガール」が中学の教科書に載る
二十歳の誕生日に、不思議な老人に出会い「願いごとをひとつだけかなえてあげよう」と言われた女の子の物語、と言えば、「なんだ、おとぎ話か」と思うかもしれない。もちろんこの小説は現代のおとぎ話だと言ってもいいのだが、「平易な語り口で語られ、一見単純に見えるおとぎ話」の奥底には、しばしば世界に対するダークな認識や人生に対する深い洞察が潜んでいることがある。
「バースディ・ガール」は、その洒落た語り口、印象深い比喩表現、小説としての巧妙な仕掛け、解かれることなく残される謎など、どの点から見ても、村上春樹の特質がよく顕れている。そして何よりバランスのとれた、ウエルメイドな作品。確かにアンソロジーにふさわしい一編である。
この短編は雑誌に発表されたのではないし、村上春樹の通常の短編集に収められたものでもない。ちょっと変わった発表のされ方をした作品だ。
村上春樹は翻訳家としても精力的に仕事をしていて、村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)というシリーズがあるほどだ。その一冊に『バースディ・ストーリーズ』(2002年、中央公論新社、のち2006年村上春樹翻訳ライブラリー)がある。「誕生日をテーマにした短編小説を集めてアンソロジーを編集し、翻訳もついでに自分の手で全部やろう」として作られた一冊で、実は「バースディ・ガール」は、このアンソロジーのために書き下ろされた短編である。だから、翻訳作品を追いかけるほどのファンではない僕の目にそれまで触れることがなかったのだ。
2009年に出版された『めくらやなぎと眠る女』(ニューヨーク発24の短編コレクション、新潮社)は、「アメリカで翻訳された村上春樹の短編を編集しニューヨークで出版したもの」を改めて日本語版として再編集した本だ。この『めくらやなぎと眠る女』の中にも「バースディ・ガール」が収められている。
だから、今の所「バースディ・ガール」を読もうとすれば、翻訳ライブラリー『バースディ・ストーリーズ』か、短編コレクション『めくらやなぎと眠る女』という、どちらかと言えば、ちょっと脇道にそれた場所にある二冊の本の、どちらかを手にするしかない。あまり目立たない場所にそっと置かれた短編小説だといえる。
ところが、この「バースディ・ガール」が中学国語教科書(2006年、教育出版)に掲載されることになったのだ。但し授業用教材としてではなく、読書単元に(読み物として)載った。これは、中学生に村上春樹を読ませたいけれど、授業をしなくていいですよ、という位置づけで、教科書編集委員の「苦肉の策」と、僕の目には映る。確かに、目にした実践報告や論文を見る限り、「授業などせずにただ読ませるだけの方がいいなあ」というものばかりだった。
三 パラテクストの意義
『バースディ・ストーリーズ』と『めくらやなぎと眠る女』、どちらで読むにしても「バースディ・ガール」の本文に異同はない。ただパラテクストが少し違う。
パラテクストというのは、例えば、序文、あとがき、脚注、エピグラフ、挿絵、帯、推薦文、解説など、テクストを取り囲む、付属的なものをいう。これが意外と、作品を読むうえで、微妙な(ある場合は大きな)影響を与える。
『めくらやなぎと眠る女』の場合には、「Blind Willow, Sleeping Woman のためのイントロダクション」という序文がついている。これは本の成立に関するもので、「バースディ・ガール」についての言及は最小限なので、本文を読むうえでほとんど影響はない。
『バースディ・ストーリーズ』の場合には、本文の直前にある「作者紹介と作品へのイントロダクション」と、本の最後にある「訳者あとがき」というパラテクストがある。
こんなものあまり気にせずに、本文だけを読めばいいのだし、教科書が『バースディ・ストーリーズ』にもとづいて「作者紹介と作品へのイントロダクション」や「訳者あとがき」まで掲載する必要などないと僕は思う(教科書は作者紹介とか手引きとか注とか、パラテクストをつけたがる、おせっかいやきではあるけれど)。
本文だけで独立した作品として成立しているし、読むのに何の支障もない。その証拠に『めくらやなぎと眠る女』の「バースディ・ガール」にはそんなものはついていない。基本的には、なくたっていいのだ。
しかし世間には頓珍漢な奴(パラテクストを、テクストの一部と誤解・曲解する手合い)がいるので、念のために、このパラテクストの問題について一言述べることにする。自分でも、「野暮」だなあ、と思うが、身に就いた「野暮」はなかなか落とせないものだ。
「訳者あとがき」の一節にこうある。
《最後に自分でも「誕生日もの」の短編小説をひとつ書いてみることにした。せっかくだから、お祭りに参加するというか、そういう気持ちで、顔をしかめることなく、どちらかというと肩の力を抜いて楽しんで書いたものなので、そのように読んでいただければ幸いである。》
だから、作者のことばに従うなら、この短編は、あまり深刻に、倫理的に、それこそ自分の生き方を考える、なんて風に「教育的」に読む必要はさらさらなくって、「肩の力を抜いて楽しんで」読めばいいのだ。もちろん、作者のことばに耳を貸さず、「肩に力を入れて」読むことだって読者の自由ではあるけれど。
また「作品へのイントロダクション」には、こんなことが書いてある。
《あなたは二十歳の誕生日に自分が何をしていたか覚えていますか。僕はよく覚えている。一九六九年の一月十二日は冷え冷えとした薄曇りの冬の日で、僕はアルバイトで喫茶店のウェイターをやっていた。休みたくても、仕事を代わってくれる人がみつからなかったのだ。その日は結局、最後の最後まで楽しいことなんて何ひとつなかったし、それは僕のそれからの人生全体を暗示しているみたいに(そのときには)感じられた。
この物語では、主人公の女の子は孤独のうちに、当時の僕と同じような、あまりぱっとしない二十歳の誕生日を迎えることになる。日が暮れて雨まで降りだした。さて最後の瞬間の大きな転換のようなものが、彼女を待ち受けているだろうか?》
世の中には、「二十歳の誕生日」なんかにこだわる人がいるんだなあ、と野暮な僕などは驚いてしまう。自分の二十歳の誕生日がどんな風であったかなんて、覚えていないし、思い出そうとしたこともない。
このイントロダクションは、「体験と作品との関係」の一つの見本としては、なかなか興味深い。村上春樹は、主人公の女の子を自分と同じみじめな誕生日におきながら(作者の体験の再現)、《さて最後の瞬間の大きな転換のようなものが、彼女を待ち受けているだろうか?》と読者の期待をかきたてて、「二十歳の誕生日だから、ひとつだけ願いをかなえてあげよう」という老人との出会いを用意したのだ(物語の創作)。
ところで、村上春樹は「あとがき」でこう述べている。
《どれだけたくさんの誕生日を経たところで、どれだけの大きな事件を目撃し体験したところで、僕はいつまでたっても僕であり、結局のところ、自分自身以外の何ものにもなれなかったような気がする。》
本文を読んだ者は、この作者の感慨をどこかで聞いたぞ、と思うはずだ。そのとおりだ。小説の終わり近くで、主人公の女性(三十代になっている)はこう言っていた。
《私が言いたいのは」「人間というものは、何を望んだところで、どこまで行ったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」》
つまり、「人間は自分以外にはなれない」という作家自身の感慨を、主人公の女性に語らせているのだ。
この短編の語り手であり、女性の話の聞き手である「僕」が、ほとんど作者村上春樹自身であることは容易に想像できるが、「あとがき」というパラテクストをテクストに重ねてみれば、主人公の女性もまた作者自身の一部であることがわかる。作家は、何にせよ、登場人物に自分の経験、考え、気質、一部を分有させるものであるということが、これもまた一つのサンプルとして取り出せるのである。
「バースディ・ガール」のパラテクストが、我々に開いてみせるものは、そのように作者と作品との関係、作者と登場人物との関係である。それはそれで面白い風景であるけれど、小説を読む上で一義的に大切なこととはいえないだろう。
四 定時制高校で授業した
川西高校宝塚良元校(夜間定時制)は、来年の三月で廃校になる。僕は、2002年4月から2012年3月までの十年間ここに勤務した。
「バースディ・ガール」を最初に授業したのは、2007年の三学期だったと思う。夏に日本文学協会で出会って、すぐにやったことになる。ここで授業報告をするつもりはないが、毎回感想を書いてもらい、それをプリントにし、僕の方からもコメントするという、オーソドックスなやり方でやったが、定時制高校の生徒たちも、この小説を一緒に面白く読んでくれたと思う。もちろん、感想を聞くだけでなく、僕の方からも、問題を出しながら授業を進めていった。この小説の魅力を引き出すため、どこを意識的に読めばいいか。
まず、第一は小説の語り方だ。「バースディ・ガール」は、大きく言えば二つの語り方から出来ている(細かく言えば三つだが、その点については後で述べる)。
小説はこう始まる。
《二十歳の誕生日、彼女は普段と同じようにウェイトレスの仕事をした。金曜日はいつも彼女の受け持ちだったが、本来であればその金曜日は仕事に出なくていいはずだった。もう一人のアルバイトの女の子に日にちを交換してもらったのだ。それはそうだ。コックに怒鳴られながら、かぼちゃのニョッキやら海の幸のフリットをテーブルまで運ぶのは、二十歳の誕生日のまともな過ごし方とは言えない。でも仕事を代わってくれるはずの女の子が、風邪をこじらせて寝込んでしまった。四十度近く熱があり、下痢もとまらないので、とても仕事ができる状態ではない、ということだった。それで急遽、彼女が仕事に出ることになった。》
これは「彼女が二十歳の誕生日の出来事」を、彼女ではない人物が語っている場面で、小説全体を読めば、「彼女が僕に語ってくれた事を僕が自分の判断を交えながら語りなおしている(再話している)」ということがわかる。
「自分の判断を交えながら」というのは、例えば傍線部を意識すれば、すぐにわかるだろう。「それはそうだ」という判断は、語り手のものなのだ。
小説は、まずこの位相で進行する。ボーイフレンドとの深刻な喧嘩、アルバイト先のイタリア料理店のこと、そこで働いている常雇、アルバイト、レジ係の中年女性、フロア・マネージャーなどが紹介される。マネージャーの仕事内容が語られるうちに、次のように語りの位相が変わる。
《彼はそのような職務を日々如才なくこなしていた。そして、もうひとつ、オーナーの部屋に夕食を運んでいくこと。
「オーナーはお店のあるビルの六階に、自分の部屋を持っていたの。自宅だか事務所だかを」と彼女は言う。
僕と彼女はふとしたきっかけで、それぞれの二十歳の誕生日について話を始めた。それがどんな一日であったかというようなことについて。たいていの人は自分の二十歳の誕生日のことをよく覚えている。彼女が二十歳の誕生日を迎えたのはもう十年以上昔のことだ。》
この引用箇所の後半は、彼女が三十歳を超えた現在、語り手の僕と話している場面だ。
この小説はこのような二つの位相(彼女の年齢でいえば二十歳と三十歳すぎ)が交互にチェンジしながら、進行していく。その切り替えは見事というほかなく、この小説の魅力の一つは、この語りの位相の切り替えにある。二十歳の世界は物語として進行し、三十歳すぎの現在は僕と彼女の対話として、進んでいく。
五 インターネットは本当に便利
インターネットって本当に便利だ。このあいだ、検索してみたら、「村上春樹『バースディ・ガール』について 国語科の観点も少し」という記事があった。朝霧というネームだ。
《先日、教職課程の講義中に行われた模擬授業において、村上春樹の「バースディ・ガール」を扱った学生がいた。》という文で始まる。全体的に結構しっかりした書きぶりで、これは大学の先生かな、と思った。でもホームページの中をあちこち歩いて、いくつかの記事を拾っていくと、どうやら大学四年生(早稲田じゃないかな)らしい、と推測できた。ひょっとしたら、彼は兵庫県出身かもしれない。「朝霧」というネームからも感じるものがある。フムフム。いかん、いかん、ネット探偵をやってる場合じゃない。
「バースディ・ガール」について、「朝霧」くんが何を書いているかは、実際にインターネットで見に行ってもらうことにして、ここで内容の紹介、論評はしない。彼が文章の中で、二つ論文を挙げていて、そのうちの一つ佐野正俊氏のものは僕も読んでいたのだが、もう一つは全然知らなかったので、この記事で教えてもらったことになる。
可児洋介(2012)「村上春樹「バースデイ・ガール」における語りの機能 : 邪悪な「物語」を拒む倫理的責任について」学習院大学人文科学論集21,121-148
こんな論文、どうやって手に入れるんだ?「朝霧」くんはどうやって知ったのだろう。どうすればいいかな。そこで、図書館の蔵書検索で探すことにした。あるとしたら、……大阪市立図書館か大阪府立図書館かな。家から近い方の大阪市立図書館で探す。ない。府立ならあるかな、あそこで、大学の紀要を見たことがあったし、たぶんあるはず。
で、ありました。めでたし、めでたし。
でも問題はあそこまで行くと往復三時間はかかる。最近長時間の自動車運転は腰にくるので、できれば避けたい。なんとかならぬか、と府立図書館のホームページの中を歩き回っていると、見つけました。WEB複写サービス。直接行かなくても、図書館の方でコピーして、送ってくれるんだ。今回は、紀要の名前も論文のタイトルも掲載ページも、全部「朝霧」くんが書いていてくれたので、それを利用させてもらって、申し込みました。向こうから、料金がいくらかかるか、どこに振り込めばいいか、メールで連絡してくれるので、とても便利。さっそく振り込みました。今日は来るかな、今日は来るかなと待って、「今日、九月十九日」に届きました。
一読してみました。前半は手堅い論文で、ひょっとしたら僕が書くべきことはもう残っていないかもしれない、と思いながら読みましたが、途中からは、意見が分かれる箇所がいくつも出てきたので、まあこれなら読書のトレッキングを続けてもよかろうと思いました。最後まで読むと可児洋介氏は、博士後期課程三年だ、ということもわかりました。
六 二つの位相で語られること
村上春樹の特徴の一つは、小説の真ん中に「謎」を置くこと、そしてこの謎は解かれることはない。そこで読者は何度も読み返し、その謎の答えを出そうとする。多くの村上春樹論の出る所以だ。
「バースディ・ガール」にも、ちゃんと「謎」は用意されている。不思議な老人からお誕生日のプレゼントとして「願いごとをひとつだけかなえてあげよう」と言われて、彼女は何を願ったのか。
僕が高校生に授業をした時にも、ごく自然な疑問として、彼女の願いごとは何だったのかが話題になった。生徒たちもいろいろ自分なりに答えを出すのだが、結局の所、「謎」は「謎」のままで、みんなが納得できるような答えにたどり着くことはできない。
たぶん、この「謎」に答えを出そうとした者は、皆そこで躓くのだ。
例えば、可児洋介「村上春樹「バースデイ・ガール」における語りの機能 : 邪悪な「物語」を拒む倫理的責任について」は、語りの分析も丁寧で、僕がこれまで読んだ「バースディ・ガール」論の中では一番しっかりしたものだと思うが、それでもこの「謎」に答えを出そうとして、可児氏はこう言う。
《一言で言えば、「彼女」は安定した穏やかな生活を望んだのである。》
《「彼女」は老人に自らの欲望を先取りして与えられているかのような錯覚に半ば陥りながら、先刻の「老人」の台詞を口に出して反復したに相違ないのである。すなわち「私の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」と。》
実は僕もついこのあいだ、つかしんカルチャーで講義するために、「バースディ・ガール」を読み直し、初めてこの解が頭に浮かんだのだ。これなら「時間のかかる願い」というのに当てはまるぞ、と。でもすぐに自分の中から否定の声が聞こえてしまった。
彼女の願いごとを聞いた老人はこう反応しているではないか。
《老人はしばらく何も言わず彼女の顔を見ていた。……略……「君のような年頃の女の子にしては、一風変わった願いのように思える」と老人は言った。「実を言えば私は、もっと違ったタイプの願いごとを予想していたんだけどね」》
もし彼女が、老人の言った「きみの人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」を、ちょっとアレンジして反復したのなら、大阪風に言えば、「それは、さっきわしのゆうたまんまやんか」と突っ込むんじゃないかな。
と、ここまで書いて、昨日は寝た。朝起きて新聞を開くと、こんな記事が目に入った。
《人気作家の村上春樹氏の作品を含め社会的影響などまで幅広く研究する「村上春樹研究センター」が台北郊外の私立淡江大学に開設され、22日に同大で設立記念式典が行われた。センターでは、国際的な研究拠点を目指している。……》
2014・9・23、毎日新聞朝刊
ふーん、「村上春樹研究センター」か。すごいなあ。こんな所ができたら、「バースディ・ガール」についての論も世界中から集められて、比較検討されるんだろうなあ。
七 「謎」は二つの語りの間に置かれる
この秋は忙しくて、「読書のトレッキング」をちょっと中断していた。11月も下旬になり少し時間の余裕ができたので、再開します。
「バースディ・ガール」の「謎」即ち「二十歳の時彼女は老人に何を願ったか」ということに、関心をよせ、自分なら何を願うだろうかと考えるのはごく自然なことだ。ただ、この「謎」に正解を出そうと無理をすると必ず躓く。
前述したとおり「バースディ・ガール」は、二つの物語からできている。
一つは「彼女が二十歳の時に出くわした不思議な体験の物語」で、「彼女が語ってくれた事を僕が自分の判断を交えながら語りなおしている」パートだ。ここでは、語り手が彼女の心の中にまで入り込んで語るので、読者には彼女の心の動きが、手にとるようにわかり、彼女の驚きや戸惑いや緊張感を共有できる。
もう一つは「その不思議な体験について、三十をすぎた彼女と僕とがかわす会話」部分である。このパートでは目の前にいる彼女が何を考えているか、語り手の僕には(従って読者にも)わからない。
この二つのパートを絶妙に切り替えながら小説は進行していく。そして、「謎」はこの二つのパートの切り替えの中に置かれている。その切り替えの瞬間を見てみる。
《……「私の気持ちはわかるでしょう?何ごともないまま、おめでとうと言ってくれる人もないまま、アンチョビ・ソースのかかったトルテリーニを運びながら、むなしく一日が終わろうとしていた。二十歳の誕生日だっていうのにね」/僕はもう一度肯く。「わかるよ」と僕は言う。/「だから私は言われたとおり、願いごとをひとつした」と彼女は言う。
老人はしばらく何も言わず彼女の顔を見ていた。両手は机の上に置かれたままだ。机の上には帳簿のような分厚いフォールダーが何冊か置いてあった。筆記具とカレンダー、緑色の笠のついたランプもあった。彼の一対の手はまるで備品の一部のようにそこにあった。雨粒は相変わらず窓ガラスを叩き、その向こうに東京タワーの明かりがにじんで見えた。/老人のしわが少しだけ深くなった。「それがつまり君の願いごとというわけだね?」/「はい。そうです」/「君のような年頃の女の子としては、一風変わった願いのように思える」と老人は言った。「実を言えば私は、もっと違ったタイプの願いごとを予想していたんだけどね」……》
引用の前半は「三十すぎの彼女と僕の会話」のパート、後半は「彼女が二十歳の時の不思議な体験」のパートだ。この切り替えの箇所(そのすきま)に「彼女が何を願ったか」の答があるはずなのだが、村上春樹は見事にこの「答」を隠したまま物語を先に進める。ほとんどマジックを見ているようだ。
もしこの小説が「彼女が二十歳の時の不思議な体験」(彼女の心の中も語る語り手の話)だけで出来ていたなら、ここで彼女が何と答えたかを明らかにしなければならないだろう。それを巧みに、優雅に回避するテクニックは、さすがというほかない。
彼女が何を願ったか、は実はそれほど重要でないのだ。小説の中で二人はこう語りあう。
《「一つ質問してもかまわないかな?」と僕は言う。「正確に言えば、質問はふたつになるけど」/「どうぞ」と彼女は言う。「でも想像するに、あなたは私がそのときにどんな願いごとをしたのか。まずそれが知りたいんじゃない?」/「でも君はそのことをあまり話したくないように見える」/「そう見える?」/僕は肯く。/彼女はコースターを下に置き、遠くにあるものを見つめるように目を細める。「願いごとというのは、誰かに言っちゃいけないことなのよ、きっと」/「べつにむりに聞き出すつもりはないよ」と僕は言う。》
僕が彼女に持ち出した質問は「その願いごとが実際にかなったのかどうか」と「それを願いごととして選んだことを後悔していないか」というものだ。こうして「どんな願いごとをしたか」という話題は物語から静かに消えていく。
(続く)
八 おとぎ話を脱臼させて
「バースディ・ガール」は不思議な雰囲気を持つ話だ。アルバイト先のオーナーは一度も店に姿を現さず、毎晩八時に一階のレストランから同じ建物の604号室へチキン料理を届けさせる。急な腹痛で病院に運ばれたマネージャーに代わって、食事を運んでいき、彼女は初めて、自分の雇い主であるオーナーと会う。この小柄でお洒落な老人は、その話しぶりも少し変わっている。小説の描写も会話も比喩も(宗教的な儀式みたい、まるで虚無の穴に小石を放り込むようなもの、まるで銃弾を撃ち込まれたみたいに、)、不思議な雰囲気の醸成に一役買っている。何かが起こりそうな予感がする。しかし、実際に何かが起こるわけではない。
老人は「君と話がしたい」と言い、今日が彼女の誕生日だと知ると、願いごとを一つかなえてあげようと言う。彼女の願いごとを聞いた老人は、「空中の一点をじっと見つめ」「両手を広げ、腰を軽く浮かせ、勢いよく手のひらをあわせ」「これで君の願いはかなえられた」と宣言する。それだけなのだ。何一つ劇的なことは起こらない。奇妙な老人は、魔法使いか妖精か異界の住人のようにも思えるが、その正体を現すという展開にはならない。彼女の願いごとがかなったかどうかも曖昧だ。十年たって、彼女は「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃない」と、その願いがかなったかどうか、結論を出せない。
「バースディ・ガール」は「偶然に出会った不思議な老人から魔法の贈り物を貰う」というおとぎ話の枠組みを利用しながらが、そのおとぎ話の急所をわざとはずして、いわば脱臼させている。おとぎ話の類型的な展開ならば、こうなるはずだ。
一つだけ願いごとをかなえてあげようという申し出に喜んで、主人公は欲深い願いごとをかなえてもらうが、そのためにかえって不幸を招き寄せてしまう。
この展開は、例えばテレビ版「ドラえもん」(現代のおとぎ話の代表)で繰り返されているパターンだ。
「バースディ・ガール」で押さえるべき点は、彼女がこの老人の申し出に答えようとした時、彼女は実は危ない所に立っていたということだ。もちろん、この老人に悪意は感じられないし、お誕生日のプレゼントとして願いごとをかなえてあげようと言っているにすぎないのだが、それにも拘わらず、もし彼女がごく普通の女の子のように、美人になりたいとか賢くなりたいとかお金持ちになりたいとか、そういったことを願っていたら、その願いが叶うことで、彼女は何かしら自分の人生に深い影響(疵)を受けたはずだ、というのが僕(藤本)の考えだ。
彼女はそのあとその老人・オーナーと顔を合わせたことがない。
「…私は年が明けてすぐアルバイトを辞めてしまった。それ以来店に行ったこともない。どうしてかはわからないんだけど、あまりそこに近づかない方がいいような気がしたの。ただ何となく、予感として」
彼女は本能的に危険を察知していたのだ。
「それは実際に起こったことだし、たぶん大事な意味を持つことなのよ」と彼女は言う。
そう、それは大事な意味を持つ。彼女が、老人の予想に反して、普通の女の子のような願いごとを言わなかったことこそが、大事な意味を持っているのだ。それは比喩的に言えば、彼女が「メフィストフェレスの甘い誘い」に乗らなかったということなのだ。
この小説の最後の三行はそれを暗示している。(続く)
九 後悔してないかという質問
二十歳の彼女が「どんな願いごとをしたか」という話題がフェイドアウトしていったあと、「その願いごとが実際にかなったのかどうか」と「それを願いごととして選んだことを後悔していないか」という二つの質問が残される。
「実際にかなったかどうか」は、「老人に本当に願いを叶える力があったのか」ということと同義だ。しかし、この質問に「答はイエスであり、ノオね。まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」と彼女は答える。この質問も宙づりのまま、結論をみることなく、消えていく。
「バースディ・ガール」は、ある架空のシュチュエーション(もしあなたの願いごとを一つだけかなえてあげよう、と言われたら……)で、作られた小説だ。しかし、架空のシチュエーションを空想の物語として楽しみながらも、作家は必ず自分の声をその物語の中に響かせてしまうものだ。
小説の最深部にあるのは、最後に残ったこの質問だ。
《「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」
少し沈黙の時間がある。彼女は奥行きのない目を僕に向けている。ひからびた微笑
みの影がその口もとに浮かんでいる。それは僕にひっそりとしたあきらめのようなも
のを感じさせる。
「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、子どもが二人いる」と彼女は言う。
「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に二回女
友だちとテニスをしている。それが今の私の人生」
「それほど悪くなさそうだけど」と僕は言う。
「アウディのバンパーにふたつばかりへこみがあっても?」
「だってバンパーはへこむためについているんだよ」
「そういうステッカーがあるといいわね」と彼女は言う。「『バンパーはへこむために
ある』」
僕は彼女の口もとを見ている。
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。そして耳たぶを掻く。きれいなかたちを
した耳たぶだ。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、
自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
「そういうステッカーも悪くないな」と僕は言う。「人間というのは、どこまでいっ
ても自分以外にはなれないものだ」
彼女は声を上げて楽しそうに笑う。それで、さっきまでそこにあったひからびた微
笑みの影はどこかにふっと消えてしまう。》
この場面はいかにも村上春樹らしい洒落た会話で彩られているが、この小説のテーマが潜んでいる部分でもある。
最後の質問に対する彼女の答は、迂回路経由なので少しわかりにくいが、こういうものだ。
⑴自分は今の生活に満足しているわけではない。(ひからびた微笑みの影=ひっそりとしたあきらめ、はそのことを示している)。
⑵しかし何を望んだところで、自分以外のものになれない、と思う。
⑶だからあの時の願いごとを(もっと別のことを願ったらよかったという風に)後悔したりはしない。
「ひからびた微笑みの影」が消えたのは何故だろう。
「そういうステッカーも悪くないな」「人間というのは、どこまでいっても自分以外にはなれないものだ」という、僕の機知にとんだ返答が、彼女の人生観の肯定、共感に満ちているからにほかならない。その考えは君だけのものじゃない、ステッカーにして部屋に飾りたいと思う人もいるはずだよ、という声として聞こえたはずだ。(続く)
十 最後の三行が無気味
「もしあなたが私の立場にいたら。どんなことを願ったと思う?」という質問は、ごく自然に、読者への問いかけにもなっている。
何ひとつ思いつかない僕に対して、「とてもまっすぐな率直な視線」で僕の目をみながら、「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と彼女は言う。
この彼女のことばはどういう意味なのだろうか、もし彼女の言うとおりだとしたら、僕が願ったことは何だったのだろうか、というように次々に新たな疑問が小さな泡のように湧いて来るところで、二人の会話は終る。
ここで小説が終わってもいいはずなのに、作者はこのあと、一行開けて(つまり語りの位相を変えて)最後に三行を付けている。ああ、老人のセリフの繰り返しかと、軽く読み飛ばしてしまいそうなこの最後の三行こそが、「バースディ・ガール」のもう一つの読みどころなのだ。
小説中盤ではこうだった。
《「……しかしたったひとつだから、よくよく考えた方がいいよ」、老人は空中に指を一本あげた。「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」》
最後の三行はこうだ。(傍線部が違う箇所だ)
《「しかしたったひとつだから、よくよく考えた方がいいよ。可愛い妖精のお嬢さん」。
どこかの暗闇の中で、枯れ葉色のネクタィをしめた小柄な老人が空中に指を一本あげ
る。「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」》
彼女がオーナーと話していたのは六本木のビルの604号室、窓からはライトアップされた東京タワーが間近に見えた。それは決して「どこかの暗闇の中で」と語られるべきものではない。「指を一本あげた」は小説の一場面にすぎないが、「指を一本あげる」には特定の時間が刻印されていない、いわば無時間の行為で、つまり今まさになされている、あるいは何度でも繰り返されている(かもしれない)行為なのだ。
「どこかの暗闇の中で」「指を一本あげる」とは、十年前に604号室、彼女の目の前で語られたことば、老人の動作が、今もまたどこかで繰り返されようとしている、……ということを暗示している。
「バースディ・ガール」の無気味さ、恐ろしさは、この三行から滲みだして来る。
(第四報告・終)
一 ベネッセは昔、福武書店といった
2014年7月、ベネッセコーポレーションの顧客情報が流失した事件が大々的に報道されている。ベネッセは水族館や動物園でイベントを開いた折、景品と引き換えにアンケート用紙を回収していたようだ。こうして住所・名前・生年月日などの情報を集めていたのか。ニュースでは、横浜市のズーラシア(動物園)なども、そのイベント会場の一つとして紹介されていた。まさか、うちの娘、そこでアンケートに答えたりしてないだろうな。
そういえば、うちの息子が小学校に入る直前に、ベネッセから息子あてにダイレクトメールが届いたことがあった。僕はベネッセに電話して、どこから、うちの子供が小学校に入学するという情報を入手したのかを問いただした。電話応対の女の担当者はうまく答えられず、たぶんもう少し上席の者に替わった。その年配の男も、情報の入手経路は、明言しなかった。そこで、うちの子供の情報を消去するように要求し、それは消去しますというので、僕もそれ以上追及することは控えた。そんなことが二十年ほど昔にあった。
ベネッセは昔、福武書店といって、進研模試なんかを実施していたのはもちろんだが、事業を拡大しようとして、文芸雑誌『海燕』を発行したり、福武文庫を出したりしていた。結局、こういう文芸出版はうまくいかなかったのだろう。『海燕』も福武文庫も消えてしまった。
で、金井美恵子の『文章教室』である。僕は、福武文庫でこれを持っている。そもそもこの小説は『海燕』に連載(1983年12月号から1984年12月号まで)されたものなのだ。今は河出文庫におさめられているので、半年前にカルチャーセンターの教材に指定したのだが、自分用にもう一冊買っておこうと思って、先月調べてみると、現在品切れであわててしまった。一方で、次々と本が出版され、一方で次々と本が消えていく。
金井美恵子は1947年生まれ、19歳で書いた「愛の生活」が太宰治賞の次席となり、それでデビュー。天才少女と呼ばれたらしい。若い頃は、詩を書いていて、思潮社の現代詩文庫55巻「金井美恵子詩集」(1973年)がある。
初期の小説は、現代詩に通じるような、やや観念的で抽象的な作風だったが、それを一変させたのが、『文章教室』で、当時は「金井美恵子が風俗小説を書いた」と評判になったようだ。『文章教室』は、『タマや』『小春日和』『道化師の恋』と続き、これらは目白四部作と呼ばれ、さらに『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』『快適生活研究』は目白シリーズと呼ばれ、四部作の登場人物のその後が描かれている。
そのように、目白という地を舞台に繰り広げられる人間ドラマを風俗小説として展開する作品群の出発点に位置しているのが、この『文章教室』だ。
二 《五重構造の時間》が流れている!
金井美恵子は〈主婦と「文学」〉というエッセイの中で、次のように書いている。
《以前、『文章教室』という小説を書いたのだが、この小説はカルチャー・スクールで「文章」を書くことを学んでいる主婦が主人公で、彼女の書く「手記」を含めて、新聞や雑誌文学作品のなかに遍在している紋切型文章の見本のようなスタイルで書いた風俗小説だった。》
主人公の名前が絵真であることからも、この小説がフローベールの『ボヴァリー夫人』を下敷きにしていることは明らかで、絵真の浮気・不倫が、物語の一つの軸になっている。物語はそれにとどまらず、絵真の娘桜子と大学助手中野勉の恋愛、絵真の通う文章教室の講師である現役作家の恋、が並行的に絡み合いながら描かれていく。つまり、この小説は四人の男女の三つの恋の物語だと、ひとまずはいえる。
しかし、『文章教室』の小説としての特徴や面白さは、このようなあらすじとは、全く別の所にある。それを説明するのはちょっと骨が折れるが、まあ、読書のトレッキングなんだから、トレーニングを兼ねてやってみよう。
『文章教室』は読みなおせば、読みなおすほど、面白さの増す、本当によくできた傑作だ。小説の作り方が凝っていて、話法も複雑で、ものすごい量のさまざまな引用がなされていて、それを読み解くのにも一苦労、という一筋縄ではいかない作品だ。どんな風に複雑か、例をあげてみる。46章に次のような箇所がある。
《渡辺七郎氏は、この懐石料理も出す和風レストランを、新派の舞台の書き割りみたいだ、三島由紀夫のなんとかって芝居を水谷八重子がやったのを画商の招待で見たことがあるけど、まるであれだね、と言って笑っていたが、絵真は、なんとなくそういった書き割りじみた現実味のなさ、文章教室に来ているいつもベレー帽を被った定年退職した高校の英語教師(教室で一番上手な文章を書く男性)に教えてもらった言葉でいえば《フォニー》というのかもしれないその店が気に入ってないこともなかった。〈フォニーというか、書き割りめいているだけに、そこは人生のドラマの一齣が演じられるのにふさわしい舞台ではなかっただろうか〉と、和紙で製本したメニューを見ながら、絵真は〈文字を追うだけで何も読まずに、とりとめのないことを、考え〉て、少しぼんやりしていた。まがい物、とかインチキ、って意味なんですがね、と元英語教師はデパートの七階のテラス風の喫茶室で現役作家の顔を同意を求めるように卑屈そうに――と絵真は思ったのだが――見ながら言い、現役作家が、そうですね、と答えると、今度は絵真を含めた女性たちに向って、辻邦生とか中村真一郎、それに加賀乙彦なんかが、そう言われたんですよ、と説明してくれた。女性たちは、まあ、と驚き、 一人が、でも、加賀乙彦さんは朝日新聞に小説を書いていますけど、と言い、別の一人は、辻邦生さんはパリの大学で日本文学を教えているんでしょう、新聞で読みました、と発言し、別の一人が中村真一郎さんの『四季』、と言いかけると、最初に発言した中年の女性が、あなた、それは五木寛之の小説よ、と小さい声でたしなめ、現役作家はにこやかに笑っていた、といったふうなことを絵真は〈なんとなく思い出し、ふと気がつくと〉今年になって、 ついにかけるようになった老眼鏡を忘れてきたらしく、メニューを持った手を伸し、頭を後にそらすようにして料理の名前を読んでいる〈夫の姿が眼に入った〉。》
これは、絵真が夫である佐藤氏と二人で食事をしようとする場面であるが、ここには複数の時間が流れている。
①絵真の父渡辺七郎がこのレストランのことを新派の舞台の書き割りみたいだと評した「過去」の時間(絵真が思い出している)
②「舞台の書き割り」から「フォニー」ということばを思いだし、それを耳にした、文章教室仲間の会話・「過去」の時間(絵真が思い出している)
③絵真と佐藤氏が食事をしようとしている、小説進行の「基準」になる時間
④絵真が佐藤氏との食事を思い出して、自分のノート「折々のおもい」に記している時間。いわば小説進行の「基準」の時間から見れば「未来」に属する時間
現在進行中の事柄を語りながら、回想を織り交ぜるという語り方は、特に目新しいものではない。むしろ現代小説なら、誰でもが採用する、ごくオーソドックスなやり方だ。回想から、別の回想へと接続する点が少し複雑だが、まあ驚くほどのことではない。
問題は④の時間がここに流れ込んでくることだ。「引用」する時には、「引用」されるものが既になければいけない。
語り手は、この料亭の場面を「小説の現在」として語りながら、将来書かれるはずの絵真の「折々のおもい」を引用している。これは、語り手が小説進行の基準、小説の「現在」時ではなくて、絵真のノートを引用できる五番目の時間に位置していることを示している別の言い方をすれば、先に示した①②③④に⑤(絵真のノートを引用している時間)があるということだ。 即ちこの場面では、時間は《五層構造》なのだ。
三 会話が地の文に流れ込み、一体化している
また『文章教室』の特徴の一つは、引用にある。《 》は実際の雑誌や本からの引用で、〈 〉の部分は、主人公佐藤絵真が書いているとされる「折々のおもい」からの引用である。
登場人物の発言を書きとめるのも、広い意味では「引用」だ。それを再現するか、要約して伝えるかで、直接話法、間接話法の区別がある。会話文を再現する時(つまり直接話法では)、一般的には「 」を使う。
ところが『文章教室』では、さまざまな表記法が試みられていて、演劇の脚本風な書き方や、改行なしで「 」「 」「 」と発言を列記していくという方法が取られたりもする。
今分析対象として例に挙げている絵真と佐藤氏の食事の場面では、直接話法が「 」なしで、地の文に溶け込んできている。第一文を見てみる。
渡辺七郎氏は、この懐石料理も出す和風レストランを、新派の舞台の書き割りみたいだ、三島由紀夫のなんとかって芝居を水谷八重子がやったのを画商の招待で見たことがあるけど、まるであれだね、と言って笑っていたが、絵真は、なんとなくそういった書き割りじみた現実味のなさ、文章教室に来ているいつもベレー帽を被った定年退職した高校の英語教師(教室で一番上手な文章を書く男性)に教えてもらった言葉でいえば《フォニー》というのかもしれないその店が気に入ってないこともなかった。
この傍線部が渡辺七郎氏のことばで、普通だったら「 」を使用してもいい箇所だ。
以下、絵真の回想にそって、文章教室の生徒たちの会話が続くが、それもすべて「 」なしのことばとして地の文に溶け込んでいる。
四 フォニーをめぐるやりとり
絵真は、この場面で文章教室の仲間たちのフォニーをめぐる発言を思い出す。ここが、『文章教室』という小説の複雑さ、面白さが出ている所で、少し詳しく説明してみる。
そもそもフォニーということばが話題になったのは、1974年から翌年にかけての頃で、江藤淳の「フォニイ考」に端を発しており、ちょっとした文学論争が巻き起こった。
今、喫茶店の場面での発言を書き抜いて並べてみる。(生徒については仮にABCと名付ける。)
元英語教師「まがい物、とかインチキ、って意味なんですがね」
現役作家「そうですね」
元英語教師「辻邦生とか中村真一郎、それに加賀乙彦なんかが、そう言われたんですよ」
生徒A「加賀乙彦さんは朝日新聞に小説を書いていますけど」
生徒B「辻邦生さんはパリの大学で日本文学を教えているんでしょう、新聞で読みました」
生徒C「中村真一郎さんの『四季』、…」
生徒A「それは五木寛之の小説よ」(と小さい声でたしなめ)
現役作家(にこやかに笑っていた)
まず、辻邦生、中村真一郎、加賀乙彦の三人は「さん」づけで、五木寛之だけが呼び捨て、という所にも、彼女たちの意識(純文学信仰、エンターテインメント蔑視)が露骨に顕れていて、おかしい。
次に、辻邦生、中村真一郎、加賀乙彦らがフォニーと言われたことに対して、生徒Aは「朝日新聞に小説を書いてい」る、生徒Bは「パリの大学で日本文学を教えている」ということを持ち出している。これはもちろん、だから加賀乙彦も辻邦生もフォニー(まがい物、とかインチキ、って意味、と元英語教師は説明している)ではない、と彼女たちは言いたいわけだ。その小説がフォニーかどうかということと、もう一歩踏み込んでその小説の値打ちと、「新聞に小説を書く」こと、「大学で日本文学を教える」こととは、何の関係もない、ということを彼女たちは考えもしない。これは彼女たちが、小説の価値を自分で判断しようとせず、別の所(新聞や大学)に価値判断の基準を置いていることにほかならない。
そして何よりおかしいのは、生徒Cが「中村真一郎さんの『四季』、…」と言いかけると、生徒Aが「それは五木寛之の小説よ」と小さい声でたしなめる、という箇所だ。言うまでもないが、『四季』は『夏』『秋』『冬』と続く、中村真一郎の四部作の第一部であり(『四季』というタイトルは『春』の方が、四部作としては整うと思うのだが、それはまた別の話)、五木寛之の『四季・奈津子』とは全く別物である(まあ、五木寛之の方も四部作ではあるけれど)。つまり、生徒Cの言いかけたことは正しく、たしなめた生徒Aが間違っているのだ。但し、読んでいない点では、二人とも同じだ。ここまででも十分滑稽なのだが、まだ話は続く。
この生徒Aと生徒Bのやりとりに対して、「現役作家はにこやかに笑っていた」というのだ。このにこやかな笑いの正体は何なのか。解釈①現役作家も『四季』と『四季・奈津子』の違いを知らない、無知をさらけ出している。さすがに、いくらなんでもこの解釈は成り立たないだろうと思うが。解釈②生徒たちの話に対する、現役作家の寛大な無関心を示している。まあ、こちらの解釈の方が穏当ではあるが。
そして、この一連のフォニーをめぐるやりとりを思い出している絵真自身が、何もコメントしていないのは、彼女自身の無知を露呈している。絵真も中村真一郎の『四季』を知らない。
そして、そして、ここが恐い所なのだが、語り手(あるいは作者金井美恵子)が、この件に関して、何もコメントしていないということだ。これは絵真の無知とは全く別で、語り手からの「読者に対する小さなテスト」に他ならないのだ。つまり、たとえ読んでなくても、中村真一郎『四季』、五木寛之『四季・奈津子』が違うってことぐらいは知ってるよね。そうじゃないと、「文学」好きの人々の凡庸な会話を描いたこの場面の面白さを味わえないよ、君はわかりましたか、これぐらいわかるよね、と言われているのだ。
これは、たぶん連載当時の読者には十分伝わったはずだ。しかし、現代の、例えば高校生には、解説しないとわからないだろう。中村真一郎という小説家がいたことも、五木寛之の『四季・奈津子』というベストセラーがあって、烏丸せつ子主演で映画化されたこと(僕は映画館で観た)も、現代の高校生は知らないからだ。
おそらく、『文章教室』は、全編、この種のテストがちりばめられているのだ。
五 風俗小説としての『文章教室』
金井美恵子自身が、この小説を風俗小説と認めていることは、前述した。風俗小説ということばは、一般的には「褒め言葉」として流通してはいない。ところが金井美恵子は、このことばを正面から引き受け、胸を張っているような感さえある。何故だろう。まず、下敷きにしたという『ボヴァリー夫人』の副題が「地方風俗」と付けられていることを知っての上のことだと思われる。『ボヴァリー夫人』だって作者フローベールによって、風俗小説と名付けられていたんだよ。私の小説が「風俗小説」だと言われるとしたら、それと同じ意味でだよ、もちろん。作品そのものに絶対的な自信があるのだ。こんな場面がある。文芸雑誌の鼎談時評でのことだ。
…出席者の一人だった女流作家は、《それに、ダイアルを廻した、という表現にしても、十年か二十年後の読者には通じなくなってしまうかもしれません。ダイアルというものがなくなってしまっているでしょうしね。そういう時代によって古びてしまう表現は避けたい》とデリケー卜なことを言った。もう一人の出席者である若い批評家が苛立って、二十年後にも読まれるほどの古典だったら国文学研究者か編集者が注をつける、と言い……
という場面だ。この女流作家は、すぐに古びていく風俗的を自分は書かないと言っているので、明らかに風俗小説に対する蔑視が感じられる。それに対する若い批評家の「二十年後にも読まれるほどの古典だったら国文学研究者か編集者が注をつける」という発言は実に痛快で、僕は思わず手を叩いた。一九八〇年代前半を描いた『文章教室』は、はっきりと時代風俗を描いていて、そういう意味では、「注」が必要な小説だ。そのことは、前節のフォニーをめぐるやりとりを思い出したら、すぐに了解してもらえるだろう。
風俗は、例えば、ファッション、化粧、食事や料理、避妊・中絶、女の子の意識(男をどうひっかけるかのテクニックも含めて)、などいろいろあるが、文章教室を含めて、帽子、人形、織物などの教室(いわゆるカルチャースクール)も、その一つだ。
しかし、この小説が一番力を注いでいるのは、「知的風俗」に関する部分だ。小説、文学理論、現代思想、映画に対する言及はとにかく膨大で、滑稽なほどにあの本この本からの引用でページは埋め尽くされていく。受け売り、引用、紋切型の物言い、の凡庸さが、作品世界を色濃く染めあげていく。『文章教室』は、一九八〇年代前半の「知的風俗」を描いた小説なのだ。
六 三つの恋愛と偶然の接点
「知的風俗」小説の実態とその意義については改めて述べることにして、これから『文章教室』の物語の骨組みを整理し、小説の全体像を確認しておきたい。第二節で《この小説は四人の男女の三つの恋の物語だ》と言っておいたが、それをもう少し詳しく言うとこうなる。
主要な恋愛関係は三つある。
第一は絵真の浮気・不倫である。佐藤氏の妻である絵真は、『自然を守る会』で知り合った絵本作家吉野暁雄と関係を持つ。日々の生活の満たされぬ気持を恋愛への惑溺で紛らわそうとする点で、『ボヴァリー夫人』を踏襲しているといえる。『ボヴァリー夫人』と違うのは、吉野に妻がおり、絵真の夫佐藤氏も会社の部下の女の子と不倫関係にあったという所である。(エンマの恋人ロドルフ、レオンは妻帯者ではないし、エンマの夫シャルルに愛人がいるわけではない。)つまり、恋愛関係が、次の図のように「直線的に連鎖」しているのである。(恋愛関係は「⇔」で、夫婦関係は「=」で示す)
不実な恋人⇔部下の女の子⇔佐藤氏=絵真 ⇔ 吉野暁雄=妻サナエ(絵本作家)
吉野暁雄には、絵本作家である妻のサナエがおり、絵真には会社員の夫佐藤氏(小説の中で彼は、一貫してこう呼ばれ、名を明かされることはない)がいる。ここだけ見れば、お互いに配偶者のいる者の恋愛ということになる。ところが、佐藤氏は部下の女の子から、不実な恋人に捨てられたことを打ち明けられ、同情心から関係を持ってしまったという過去がある。そこに焦点を合わせれば、互いに別の恋人を持った夫婦(佐藤氏・絵真)の話ということになる。
二つ目は、大学生桜子と大学助手中野勉の恋愛である。桜子は、佐藤氏・絵真の一人娘で、妊娠・中絶のすえ、不実な恋人に捨てられたという過去がある。中野勉は桜子のその告白を聞き、同情して関係を持ってしまう。(このあたりは、桜子の父親・佐藤氏の振舞いと同じ)ところが、中野勉にはイギリス留学中に知り合ったディードラという恋人がいて、彼女が日本にやってくる予定になっている。中野勉は、この桜子とディードラとの間で、自分勝手ないいわけをいろいろと考える。「優しい、気弱な、優柔不断な、ずるい」青年の二股の恋愛話といえるわけだ。ところが、ディードラにもディビット(精神を病んで入院している母の担当医)という恋人ができていて、日本にやってきたディードラの方から別れを切り出されるという、中野勉にとっては「ラッキーな展開」となる。
不実な恋人⇔桜子 ⇔ 中野勉⇔ディードラ⇔ディビット
ここでも恋愛は、「直線的な連鎖」に留まり、深刻な三角関係・一人をめぐっての争奪劇は発生しない。
三つ目は、中年現役作家(彼は小説の中で、姓名ともに明らかにされない)の、若いユイちゃんに対する恋である。現役作家には妻がおり、まあ、これは単純な不倫といえばいえるのだが、人形作家志望のユイちゃんは、自由恋愛論の実践者で、アルバイト先の『アタラント』の客たちと寝ている。それを中野勉から知らされた現役作家は、思いがけない嫉妬・煩悶に悩まされる。やがて、ユイちゃんは美術評論家とニューヨークへ行ってしまい、現役作家は失恋してしまう。
美術評論家・その他⇔ユイちゃん ⇔ 現役作家=妻
このように、絵真、桜子、中野勉、現役作家という四人を中心にした三つの恋愛がこの『文章教室』の物語骨格となっているが、この三つの恋愛それ自体は独立・平行的に進展するのだが、物語はこの四人を思いがけない人間関係でつないでいる。
絵真と現役作家の接点は、「文章教室」で、絵真は生徒、現役作家は講師である。さらに現役作家が仕事場として借りたマンション(ジョリ・メゾン・おとめ山)の「隣家」が、渡辺七郎(絵真の父であり桜子の祖父)の家である。これだけでも相当な偶然であるが、偶然はこれに留まらない。
桜子は大学で助手の中野勉と知り合うのだが、中野勉の父親(歯科医)は渡辺七郎(画家)の古くからの友人で、勉は子供の頃に渡辺七郎の家に遊びに来ている。つまり、古い友人の、息子と孫娘が恋人になるという偶然がここに生じている。
中野勉の両親は離婚し、父親は、若い看護婦と再婚、母親はその後一人で三人の子供(勉と二人の姉)を育てている。そしてこの母親のやっている織物教室に現役作家の妻が通っているという偶然!
中野勉と現役作家は、『アタラント』で顔を合わせ、知り合いになる。このバーのママ悦子さん(久保田悦子)は、現役作家の前妻の中学時代からの友人であり、『アタラント』のルイーズ・ブルックと呼ばれているユイちゃんが、現役作家の前妻に似ていることを指摘する。
このように、何人もの登場人物が、不自然なほどの偶然の接点を持って配置されている。作者金井美恵子はインタビュー(聞き手蓮實重彦)の中で、次のように語っている。
――短い断片が次の断片に移ると、嘘のような偶然の出会が起こるということもありま
す。あれもおそらく「事実は小説より奇なり」という立場に立つとリアルであるという
ことになるのだと思いますが、人びとが空間的、時間的に離れたところに生活していな
がら、たまたま隣同士になったり、誰かの父親が昔の知人であったり歯医者であったり
とか、ああいうことは普通はルイス・ブニュエルの映画の中でのみ許されることですね。「昇
天峠」が出てきたりしますけど……
金井 ええ。これを書いている時、丁度、ブニュエルのメキシコ時代の映画をまとめて
何本も見ました。黙っていようかと思ってたんですけれど(笑)、とても感動して、勇
気づけられて、ささやかながらブニュエルの感動的な図々しさを学んだのです。登場人
物の一人のように、ブニュエルをシュルレアリストだとは思いませんでしたけど。普通
はおっしゃるとおりあんまり許されてないですね。小説の中では。
――そうすると、小説の中で許されていないことをあえてなさったということは、ジャ
ンルとしての小説に対する新たな実験精神の現れというふぅに考えていいのでしょうか。
金井 ブニュエルの真似をしてもいいじゃないか、という態度を、実験精神と呼んでい
ただくのも図々しいですね。小説もそういう偶然が許されてもいいではないかと、考え
たということですね。それにそうしないと小説の筋が進行しない。書き手の意図を超え
て、偶然というのは起り得るわけです。
偶然に人々が集まるというのはドストエフスキーの小説でもよくみかけることだから、それ自体を非難する気は、僕にはないけれど、確信犯だったんだ。ブニュエルか!!なるほどね。
ルイス・ブニュエルは僕も大好きな映画監督で、メキシコ時代の『皆殺しの天使』を観た時の感動、というか衝撃は忘れられない。
七 中休み・映画的な教養について
『皆殺しの天使』は一九八二年七月に、大阪の三越劇場で観た。ノートのメモによれば、ブニュエルの『ビリディアナ』との二本立てであった。
僕は、映画が好きで、一九七九年から二〇〇四年までの二五年間に一一四七本、年間平均四六本映画館で観ている。
『皆殺しの天使』を観た年の三月に結婚したのだが、この年は六八本だった。
ブニュエルの映画はその後も、『欲望のあいまいな対象』(東京で)、『ブルジョアジーの秘かな愉しみ』『銀河』『自由の幻想』などを観た。この頃は、ブニュエルに引っ張られて、スペイン映画祭などにも、出かけていた。エネルギーがあったんだ。
定年退職して三年目、映画館で十三本。『ブランカニエベス』『鑑定士と顔のない依頼人』『エレニの帰郷』『ペコロスの母に会いに行く』『蜉蝣峠』『ドストエフスキーと愛に生きる』『そこのみにて光輝く』『ウッジョブ・神去なあなあ日常』『ブルー・ジャスミン』『愛の渦』『太秦ライムライト』『罪の手ざわり』『私の男』
小説もそうだけど、映画もどれだけ自分の目で見たかが、大きい。「知識」ではだめで、「体験」が命になる。
『文章教室』には、映画に対する言及が随所にあるが、例えば、それを実際に観ているかどうかで、小説の読みの手ざわりは変わってくる。映画的教養(知識ではなく体験に基づく)のあるなしで、『文章教室』の面白さはぐっと増す。
二歳の時から、母親に連れられて映画を観始め、見続けてきたという金井美恵子には、僕などとてもとても及ばないのだけれど、それでもブニュエルや、テオ・アンゲロプロスの名前が出てくると、僕にもわかる!!と嬉しくなる。
小説の中で中野勉はアンゲロプロスの映画二本を四回ずつ、メモを取りながら観たと桜子に語る場面がある。彼の振舞いは滑稽ではあるけれど、わからぬでもないなあ。だって一九八〇年に日本で初めて上映されたアンゲロプロスの『旅芸人の記録』は二三〇分あって、しかもギリシア現代史を、時間を錯綜させて描き、一つの画面に二つの時代がクロスして描かれる、という、初めて観た者にはわけのわからない映画だった。僕も二回観たもん、メモは取らなかったけど。
八 文章教室に通うことはどう評されているか
何故、人は小説を書くのか、という大きな問いが、『文章教室』の底流に潜んでいる。現役作家は、彼なりに最新の文学潮流を探りながら、小説を書いている。彼が具体的にどのような小説を書いたかは、後で検討する予定だ。
ここで問題にしたいのは、職業作家ではない一般の人間が、何故文章を書こうとするのか、ということだ。具体的に言えば、何故絵真は文章教室に通い、自分だけのノート「日々のおもい」を綴っているのか。それは他人の目にどう映っているか。
現役作家の妻は、「おばさんというのはさあ、夫以外の男性と話をするのが楽しみで、カルチャー・センターに行くんでしょ?性的欲求不満の解消なんだって、朝日新聞に富岡多恵子さんが書いていたわよ。」と下世話なことを言う。
現役作家は絵真がニワトリを持って現れた時、「自己表現をすることで欲求不満をなだめようとしている図々しい中年女が、訳のわからない自己愛に充ちた「文章」とやらの相談という名目で……」自分の仕事場を訪れたのかと不機嫌になる。現役作家の受講生への蔑視、嫌悪が露わになっている。
文章教室に通い、文章を書くのは「自分をきちんと見つめるため」と答える絵真に、友人は容赦ないことばを返してくる。「お金もそこそこあって、平凡で退屈していて、ダンナや子供離れをするためには、何か趣味を持たなくてはいけないって信じていて、まわりの自分そっくりな同じようなおばさんを見て、ああいうふうにだけはなりたくないって、思うんでしょう?」
身内の者は、もっと辛辣だ。
娘の桜子は、「主婦のマスターベーションね」と切り捨てる。
「自分で文章を書くようになって、今まで気がつかなかった自分自身のことを、そうね、内面とか、自分が本当にやりたいことは何なのかとかね、少しずつわかってきたような気がするの。」と得々と語る母親に対して、「最初は園芸だったでしょう。次がヨガと体操で、その次がガラクタ集めでさ、その次が生協運動で次が住民運動で、今度は、文章と内面なのお?」と桜子が批判しても、絵真は動じる気配もない。
この小説の中で、絵真が婦人雑誌の『一生、夢中になれることを、こうして探した』という特集記事を読む場面がある。この記事そのものが、いかにも紋切型なのだが、80年代の女性の憧れの生き方がどの辺りに会ったかを、改めて確認させてくれる。
《野草のひっそりとたくましい生命は農家の主婦の心――松田よしさん(73歳》
《手織りのぬくもりが、世界をひろげる勇気を与えてくれた――中野スミさん(57歳》
《一生、変わりつづけて行くことが私を自由にする――いしいのりこさん(43歳》
《絵本は私の子供たち。デザイナーの夫との共同作業から、自分でも絵も文章もかく絵本づくりへ――吉野サナエさん(41歳》
という四つの記事のうち、二つまでが、絵真の知っている人物だ。中野スミは、父の友人の前妻で、今娘の桜子が付き合っている中野勉の母親だ。そして吉野サナエは、絵真の不倫相手吉野暁雄の妻だ。ブニュエル流の偶然はここでも利用されている。
こうした記事の文章がどれほど紋切型で、事実と違うことを捏造して、澄ました顔をしているかが、知り合いの者からの証言で明らかになっていく所も読んでいて面白い。
「文章教室」に通う絵真の、延長線上に、これらの女性たちが位置していることは明らかで(彼女たちは成功例ではあるが)、絵真がこのあと「織物教室」「人形教室」「帽子教室」などへ進んだとしても、一向に不思議ではない。そのような態のものなのだ。
九 小説、映画、ファッションはどれも「風俗(時代の流行)」として描かれる
「『文章教室』は、一九八〇年代前半の「知的風俗」を描いた小説なのだ」と五節に書いた。ここではその点をもう少し詳しく見てみよう。
「知的風俗」とは、この場合、主として小説をめぐっての言説をさす。ルネ・ジラール、バフチン、蓮實重彦、ボードレール、ジョン・バース、ドゥルーズ、ボードリヤール、ベイトソン、ナタリー・サロート、ディヴッド・ロッジ、フラン・オブライエン、ウラジミール・ナボコフ、マルセル・デュシャン、ポール・ド・マン、川村二郎、種村季弘、中沢新一、ブランショ、T・S・エリオット、入沢康夫、ロブ・グリエ、フィリップ・ソレルス、ミッシェル・ビュトール、マルグリット・デュラス、ボルヘス、オクタビオ・パス、ガルシア・マルケス、マニュエル・プイグ、石川淳、ホーマー、ウェルギリウス、吉岡実、江藤淳、大江健三郎、吉増剛造、吉本隆明、鈴木志郎康、ミッシェル・フーコー、田山花袋……次から次へと小説家、詩人、評論家、思想家の名前が小説の表面に明滅していく。
いうまでもないことだが、『文章教室』を読むためには、これらの人々の著作を読んでおく必要などないし、そんな準備をしていたら、いつになっても本編『文章教室』にはたどり着けない。読者は、これらを知っていればそれなりに楽しめるけれど、知らなくても十分に楽しめるし、楽しむように読むためには、現役作家や中野勉が口にするこれらの人々の名前など、軽く受け流しておけばよいのだ。
そして、これは、映画に関しても同じ。『映画の神話学』、『映画の詩学』、ゾーエトロープ、ヒッチコック、『裏窓』、ジェームス・スチュワート、フランシス・コッポラ、『M・A・S・H』、『ロング・グッドバイ』、『戦争と平和』、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラー、オードリー・ヘップバーン、現役作家があげる戦後映画ベスト・テン(具体的な作品名、監督名はここでは省略するが)、『ミモザ館』、『女だけの都』、シャルル・スパーク、『太陽の下の18歳』、ルイーズ・ブルック、クリント・イーストウッド、『灰とダイモンド』、チブルスキー、ルイス・ブニュエル、『風の谷のナウシカ』、『キタキツネ物語』、『昇天峠』、イングリッド・バーグマン、『汚名』、アニェス・ベルダ、『幸福』、『気狂いピエロ』、ジャンポール・ベルモンド、『81/2』、クロード・シャブロル、ジャン・ヴィゴ、ヴィム・ベンダース、ダニエル・シュミット、テオ・アンゲロプロス、……
まあ、唯一の趣味が映画鑑賞なのだから、半分以上はわかるけど、見当もつかないのも中にはある。
若い桜子や友人の舞ちゃんが口にするファッション用語もまた一つの風俗の中にある。リーのスリム・ジーンズ、トップ・サイダーのデッキシューズ、コンバースのバッシュ、ピーコート、『ピンク・ハウス』のワンピース、きなりのアラン編みカーディガン、黒いニットのストール、『キサ』の黒いエナメルの靴、ニナ・リッチのコピーのポシェット、マダム・ロシャス、ダブダブの生成りのオイル・セーター、ピンクのサテンのトレアドル・パンツ、ボレロ風のブラウス、紫色の襟のディナー・ジャケット、ギンガム・チェックのワンピース、サーキュラー・スカート、キャミソール、ピンクのモヘアの大きな襟とボウのついたセーター、白と黒の水玉の「ピンク・ハウス」のレーヨンのワンピース、「ロベルタ」の巾着型のバッグ、ヴァレンチノ、スキャバリの香水、……。
ううう、僕には全然わからん。これは何なんだ。
桜子に中野勉の口にする文学・映画の「知的風俗」が十分には呑み込めないのと同じように、たぶん、中野勉には桜子や舞ちゃんの口にするファッション用語が十分には理解できないはずだ。
でも、小説、映画、ファッションはどれも「風俗(時代の流行)」として描かれているのだから、少しぐらい知らなくても、わからなくても、『文章教室』を読み進むことはできるのだ。
十 現役作家と中野勉の滑稽さ
読者は、詳しいことはわからなくても、《一九八〇年代前半の「知的風俗」》の中で、登場人物がどのような振舞いをしているかを楽しめばよい。
たとえば、現役作家と中野勉を比較しながら、読んでみる。
現役作家は最新の知的な流行に無関心ではいられないから、いくらかは読みもするし、それを実践に応用しようとする。しかし、知的な流行に対する理解や知識という点では中野勉には及ばない。
中世の英文学が専門の中野勉は、流行の新しいフランス現代思想を追いかけて、頭はいいのだが、その関心の持ち方がいかにも浅薄である。
つまり、現役作家と若手研究者中野勉は、凡庸な作家と軽薄な才子という「対」になっている。
これは例えば、彼らの映画に対する対し方にも同じことがいえる。現役作家があげる戦後映画ベスト・テン(金井美恵子はこれを丸谷才一のベスト・テンから引用したという)は、ヨーロッパ古典が中心で、ハリウッド映画は一本もないし、最近の作品もない。それでもゴダールを五本は観ていて、映画の中の言葉を、自分の小説のエピグラムに使ったりする。ところが、文芸ジャーナリズムの中では、《彼なりにポスト・モダンを意識したということなんだよ(笑)。勉強してるじゃないか》などと嘲笑されてしまい、パーティの席上で、間違えて別の作家に、《お前なんかに小説がわかるか、と叫んだうえで唾を吐きかける》という醜態をさらすことになるのだ。
一方、中野勉はブニュエルの映画など観たこともない桜子に『昇天峠』を熱く語り、デイトの度に、クロード・シャブロル、ジャン・ヴィゴ、ヴィム・ベンダース、ダニエル・シュミット、など桜子には《何が面白いのかさっぱりわからない》《退屈な映画》を一緒に観ようと連れまわすのだ。しかも、映画館でライト付きボールペンと分類用カードをとりだして、映画を観ながらメモを取っていて、桜子をあきれさせる。中野勉にとって映画を観ることは「お勉強」なのだ。これはと思う映画は、二、三回観る、アンゲロプロスの映画は二本とも四回観た、と語られても、桜子は「そう」としか答えようがない。
こうした現役作家や中野勉の振舞い(それは広い意味での「勘違い」というか、自己中心性=自己愛)を眺めるだけでも、この小説は十分楽しめる。『文章教室』は八十年代前半の「知的風俗」を背景にした娯楽作品だといえる。
十一 絵真のおかしさ・着物を持って家出する主婦
主人公である絵真もまた、悲恋のヒロインなどでは全くなくて、その言動は滑稽さに充ちている。夫の佐藤氏のことを〈こんな使い古しの男とでも不倫の恋をする女がいるのか〉とノートに書く。「使い古しの男」という辛辣な物言いも凄いと思うが、絵真が自分のことを同じように、こんな使い古しの女とでも恋をする男がいるのか、とは全く考えず、自分の不倫相手吉野暁雄(彼もまた一人の使い古しの男であるのだが)を思いだし、〈やましさはなかった〉などとヒロイン然とノートに書く彼女の厚かましさにも驚いてしまう。語り手の評言の通り、《母娘は似ているもので、二人とも自己反省というものとは大して縁を持っていなかった》のだ。
絵真は自分が何をしたいのかもわからず、父親の渡辺七郎が一人暮らす実家に戻る。夫佐藤氏は、自分の犯した過ちを妻は許せないのだ、と勘違いして、妻に恋人がいることなど少しも察知していない。絵真は自分の不倫については、夫佐藤氏に一言も話そうとしない。
《後で、絵真が目白に戻ったいきさつを友人に語ると、友人は、あたしは前からずっと思ってたけれど、佐藤さんて、とてもいい人なのよ、あんたは凄く幼稚で困っちゃうわね、と言い、ようするにあなたって甘えてるだけじゃないの、非現実的で、そんなの通用しやしないのよ、世間には、世間どころか、あたしにだって、だんなさんや子供にだって通じやしないわよ、あなた、それじゃあ、まるで小学生の家出よ、庭の植え込みに隠れてるようなもんだわ、とごく常識的でまっとうな批難を受けたのだが、それは確かにもっともだとしても、〈愚かしくはあるかもしれないが、もがいてみることでしか、自分自身をつかみきれないと考えた結果であれば、しかたのないことだ〉と思ったし、〈そうすることで、成長もした〉とも思ったのだった。〈それに、庭の植え込みに隠れていたわけではない、そんなに他愛ない家出とは違う〉》
この箇所でも、〈 〉は絵真のノート「折々のおもい」からの引用なのだが、この引用が実によく効いている。
友人から、ごく常識的でまっとうな批難(この評価は語り手のものであるが)を受けても、絵真は一向に反省する様子はない。絵真はどこまでも自分を正当化しようとする。〈もがいてみることでしか、自分自身をつかみきれない〉とか〈そうすることで、成長もした〉とか、自分をヒロイン化しての自己弁明は、書くことの自己愛的性格をよく表している。それにしても、〈それに、庭の植え込みに隠れていたわけではない、そんなに他愛ない家出とは違う〉なんて、よく言うよ。
しかも、実家に戻るために着替えを旅行カバンにつめこみながら、こんな振舞いに及ぶのだ。
《絵真は目白にいる間に、もしかしたら吉野と会うことがあるかもしれないと思い、そう考えることがかなり図々しいことだとは思わないまま、浮き浮きというほどではないにしても、あれこれと何を持つか考え、 一昨年誂えて、機会がないまま、まだ一度も袖をとおしたことのない薄いベージュの地に藍色のぼかした格子の柄の着物も持つことにしたので、肌襦袢やら長襦袢、帯や小物、草履まで持つことになり、結構な大荷物になってしまった。/佐藤氏が車で送ってくれると言ったので、それなら少しくらい重くてもいいと、絵真はごく単純に考えたわけで、そのように夫を利用するのは〈ひどいことだ)とは思いはしたのだが、〈気持に弾みをつけるために、佐藤だって、私を裏切ったのだと、強いて思い〉…》
実家に帰るのに、着物まで持っていくのか!それも一昨年に誂えて、一度も着てないものを!肌襦袢、長襦袢、帯、小物、草履、まあ着物を着るのなら当然かもしれないが、やっぱりこれはちょっとおかしいんじゃないか。こんな大荷物で家出するのか!!
これだけの大荷物を持って実家に帰るのなら、〈庭の植え込みに隠れていたわけではない、そんなに他愛ない家出とは違う〉と、言えば言えるけどなあ。
この場面で絵真は、「その身勝手さ、厚かましさ、鈍感さ、自己愛、ナルシズム、幼児性、滑稽さ」などをさらけだしている。絵真がそういう困った女であることを、金井美恵子は、巧みな書きぶりで、読者に納得させている。それは
①直接話法で再現した友人の批難(……あんたは凄く幼稚で困っちゃうわね……あなたって甘えてるだけじゃないの、非現実的で、そんなの通用しやしないのよ、……まるで小学生の家出よ……)
②「ごく常識的でまっとうな批難」と、さりげなく挟み込まれたことばは、①の友人の批難は正しいとする語り手のことばである。読者はここで語り手に誘導される。
※この節で引用した箇所の傍線部が、「語り手のことば・評価」である。後半の引用の《絵真は目白にいる間に、もしかしたら吉野と会うことがあるかもしれないと思い、そう考えることがかなり図々しいことだとは思わないまま、……》の部分も絵真の思っていることを語り手が「かなり図々しい」と思っていることの表れである。
③それにもかかわらず、友人の批難を受け入れようとしない絵真の自己中心性を際立たせるために、「折々のおもい」を引用する。読者はここを読むと、絵真の言い分を良しとするよりも、絵真はなんて身勝手なことをノートに書きつけているのだ、とあきれるはずだ。
このようにして、絵真の「身勝手さ、厚かましさ、鈍感さ、自己愛、ナルシズム、幼児性、滑稽さ」は、立体的に描き出されているわけだ。
金井美恵子、畏るべし。
十二 桜子と中野勉の交際をめぐる攻防は笑える
失恋から立ち直るために、《新しい恋人を作るのが一番良い方法なのだ》と、桜子は文学部の助手中野勉に目をつける。彼女は若い女性向きのファッション雑誌や週刊誌を買い込み、半ば軽蔑しつつ、本気でイメージチェンジをはかる。友人も「あれが手の打ちどころだよ。まあまあのお値打品てところで手を打っておかなきゃ、またつまんないジジイにひっかかるよ」と賛成してくれる。
ここから、桜子が中野勉を落しにかかる所は、うぶな男の読者の心胆を寒からしめるものがある。
友人の舞ちゃんは「あのての気取ってるくせにうざったい男は、きめきめのギャル風より、絶対、ニュートラとメルヘン風の折衷が戦略的に有効なんだから、このさい、おリボンとお花のついた帽子も被ってみたら。」とアドバイスし、さらに「もう、ガキじゃないんだから、今度は、フィルム使いなさいよ」と避妊方法まで勧めてくれる。
バレンタイン・デーには、《赤いリボンで飾った中が空洞になっているうさぎの形の小さなチョコレート(六百円相当)とヴィクトリクス・ポターのトム・キャットの絵のカード(三枚一組二百四十円)》をプレゼントする。
「とりあえず、チョコレートで、男を宙に吊ってみること、というわけよね」と舞ちゃんと桜子は言い合うのだが、中野勉は単純に感激してしまう。
デートを重ねたあとのある日、桜子は自分の過去を告白するが、中野勉は、《弱々しく泣いて自分を責めている若い娘にすっかり同情し、同情をその夜、ある種のホテルに行くことで表明》するのだ。こんなことをするのは、一回だけだ、イギリスにいる恋人ディードラもわかってくれるに違いない、などと身勝手な考えをめぐらせながら。
女子学生と言語学には手をだすな、という先輩の忠告にもかかわらず、中野勉は女子大生に手を出してしまい、自分が《手を出すように仕向けられたとは、考えはしない》のだから、お人好しというべきか、甘ちゃんなのだ。日曜日に家に遊びにきてくれと誘われて、これはやばいと感じるくらいの常識はあるのだが、桜子はどんどんと中野勉を自分の陣内に引き込んでいく。
中野勉が意を決して、近く来日することになるディードラのことを桜子に告白した時の、二人の勘違い、相手の言葉を自分に都合のよいように理解することから生じる、ちぐはぐさが滑稽である。
それでも中野勉が、もう会わないほうがいいほうがいいのかもしれないと言い出すにおよび、さすがに桜子も自分の立たされている状況がわかり、ショックで声をたてずに泣き出すのだが、その弱々しくいじらしい外見とはうらはらに内心は激しく毒づき、当たり散らし、荒れ狂っているのだ。
《では、自分は愚かしくも勘違いをしていたのだろうか、彼の口にする言葉は、ことごとく自分との結婚を前提にしているように聞こえたけれど、それは自分が聞き間違えていたというのだろうか、それに、舞ちゃん、彼女もまったく無責任だ、中野勉みたいなタイプの男には、まず恋人はいないと確信ありそうに言ってあたしをけしかけたりして、それに、とうさんにだっておじいちゃんにだって、中野さんと結婚するって言っちゃったんだもん、なんて言ったらいいのよ、恥しいひどいわ、ひどいわ、今になって、イギリスに恋人がいるなんて、そんな馬鹿なことってないわよ、なんで、あたしが、こんな目にあわなきやいけないのよ、といった類のことが切れぎれに頭に浮び、何をどう言っていいのやら、どう答えるべきなのか、桜子にはわからなかった。》
中野勉は自分のやったことや言ったことの残酷さに怯え、ディードラのことを思い出して動揺はつのり、という具合で、内心ちぢに乱れる。そして、なんとか事をおさめようとこう切り出すのだ。
《…中野勉は、勝手な言いぐさかもしれないけれど、イギリスから来る彼女が帰るまで、今から二、三ヶ月の間ということになるけれども、ぼくはあなたに会えない、自分の気持を、ちゃんとさせてから、もし、あなたがまだぼくに会ってくれるならば、会いたいと言った。①でも、電話で話をするくらいならいいんでしょう、と桜子は答え、中野勉は、う―ん、と考え込んでから、ええ、と言い、さらに桜子が、②それからちょっとお茶を飲んだり、散歩をしたりするのは駄目なのかしら、と言うので、再びう―んと考え込んだ後で、それくらいなら……と答え、桜子はさらに、③それから映画を見るとか食事をするとかは? と言うので、さすがに、でも、それじゃあ、会わないどころか、まるっきり会っているということになるんですよ、と陰気な声で答えた。》
この相手を手離すまいとする桜子と二人の女の間でどうふるまうかに迷う気の弱い中野勉のここでのやりとりは、ほとんど漫才かコントのようではないか。①から②、②から③へと、桜子は少しずつ少しずつ押して行き、中野勉はずりずりと後ろに押されていき、土俵を割る寸前で、さすがに踏みとどまる。
《…中野勉が考えたのは、…(略)…男は同時に二人の女を愛せるか、という陳腐な問いであって、それにはどう答えることが出来るか、石川淳だったか坂口安吾だったか、たしか石川淳の小説だったような気がするけれど、ストーリーやプロットは覚えていないのだが、「わっ、煩悶しちゃう」という台詞をふいに思い出し、どうも、今の自分の置かれた立場としては、不謹慎な台詞ではあるが、まさしく、煩悶しちゃっているのは事実だった。To be or not to be などという言葉を思い浮べもしなかったのは、さすがに、俊英と目される英文科の助手だけのことはあるのだった。「わっ、煩悶しちゃう」》
この傍線部は、こんな状況で誰もが思いつくであろう平凡なハムレットの台詞ではなく、石川淳か坂口安吾かの台詞を思い出しているとはさすがですね、と英文学の「俊英」を強烈に揶揄されているわけだ。そして、とどめのように、「わっ、煩悶しちゃう」がもう一度引用される。強烈なからかいの爆発力。まあ、気の毒だけど、自分でまいた種だし、こんな時にこんな風に考えてる滑稽さは、読者としても笑わざるを得ないよな、ほんと
十三 模倣、引用、紋切型、自覚、観察、察知……ことば、ことば、ことば
人間は誰でも誰か他人が既に書いたり話したりしたことばを、(それをどれだけ自覚しているかは別にして)模倣したり引用しながら喋っているものだ。自分だけのことば、表現というのは、ありえない。我々ができるのは、他人のことばや表現を、変奏することだけだ。『文章教室』は、そのことを、我々に強烈に意識させる。
全編にわたって、さまざまな雑誌や本からの引用がされているが、圧巻は、38章でユイちゃんが、雑誌の文章を次々と読みあげ、「……ですってさ、なにこれ」という場面だ。文庫本なら延々四ページにもわたる。聞いている現役作家はひどく神経が苛立って、何度もやめてくれと言うのだが、ユイちゃんは面白がって、口が疲れるまで読み続ける。
現役作家は、《自分の書く文章も含めて、と言ってしまってもいいのだが、なぜ、人々はこうまで希薄な文章を書きつづけることに耐えられるのだろう》と次の月の文芸雑誌に書くことになる。
我々は、希薄な文章、希薄なことばにとりまかれている。どこかで聞いたような、誰かが言っていたような、事の表面だけを滑っていく、ありきたりのことば。
人は考えたり話したりする時に、ことばをどのように意識しているか、その典型的なサンプルが、この小説では見本市の如くに並べられている。
例えば、佐藤氏。部下の女の子との一件を次のようなことばで考える。
《もう終ってしまった、それでも、彼女が結婚するまで、結局、六ヶ月は続いた関係を、佐藤氏は何という言葉で言っていいのかわからなかった。週刊誌や女性雑誌では、《オフィス・ラブ》とか《不倫の恋》と言うらしいが、そういう言葉でもって言ってしまえば、いかにも、誰もがやること、現代風俗のありふれた情事というワクのなかにすっぽり収って、安心できるのかもしれないが、誰もがやることを自分もたまたまやっただけだ、という言い訳が絵真に通用するとは思えなかったし、そういう言い方はいかにもいい加減に思え、やっばり、古典的に、すまない、 つい魔がさした、とあやまった自分の態度は、間違ってはいなかったはずだ、と考えた。》
「魔がさした」などという表現は、いかにも古典的で、佐藤氏の言語感覚が古いように思うかもしれないが、むしろ彼は《オフィス・ラブ》とか《不倫の恋》の今流行りの新しいことばの持っている欺瞞性に敏感なのだ。
佐藤氏は、意外なことに、極めて自覚的な人間であり、娘に説教した場面ではこのように自省する。
《…ふと、父親なんてものはそれを演じる技術に還元されてしまうものなのかもしれない、と思ったりもした。桜子や絵真には、父であり夫である平凡な人物が、そういった物の考え方をするとは、とても、考えてもみなかっただろう。》。35章
《自己反省というものとは大して縁を持っていなかった》似たもの母娘には、伺しれない内面を佐藤氏は持っていることを語り手は我々に教えてくれる。
絵真の「身勝手さ、厚かましさ、鈍感さ、自己愛、ナルシズム、幼児性、滑稽さ」については前述したとおりである。文章教室に通いながら、ノートに「折々のおもい」を書いているが、彼女のことばに対する感覚や意識はいかにも「文学」的で、紋切型に安住した、通俗的なものだ。例えば《絵真は、終始一貫して、〈恋愛〉を〈燃えあがる〉ものとして考え》るのだ。
桜子は母親と同じように自己反省と縁のない娘であるが、それでも中野勉の話し方を批評的に聞いたり、本人も気づいていない所を気づいたりするように、会話の相手に対する観察眼は持ち合わせている。
デートの際、《アイス・ココアの上に浮んでいるホイップ・クリームが植物性のクリームだったので》桜子が不満を述べると、中野勉はロラン・バルトの『神話作用』を引き合いに出して、云々し始める。それを聞きながら、桜子は《この人は、何についても、いちいち、誰かの名前を出して語るのね、頭の中に分類用カードが入ってるのかしら》と意地悪な感想を持つ。
あるいは、中野勉の父親が死に、その葬儀の数日後、中野勉は桜子に父親の話をする。
《……幼児性格のせいで家庭生活というものが、どうも上手くこなせない男というのがいて、ぼくの父親がそうだったし、考えてみれば彼女(この彼女という言葉は、ディードラのことを意味していた。ディードラのことを話題にしなければならない時、中野勉と桜子は、彼女という三人称を使うことに、なんとなくなっていた)の父親というのもそういう人物で、だから、ぼくらはある意味では、兄妹というか姉弟というか、そういった面を少なからず持っていたかもしれない、と中野勉は語り、それはどことなく、かつて存在したことのある関係について過去形で語っているように聞えるのだが、そのことに中野勉は気づかなかったものの、佐藤桜子は充分気づいていた。》
もうすぐ来日するディードラの話をしながら、それを過去のことにしたい(ディードラと別れ、桜子を選んだ方がいいかもしれない)と中野勉が無意識のうちに、思っていることが、話し方に現れていて、桜子はそれを察知している。彼女は自分の言動については無神経だが(現役作家と会ったあと、あああれが、と言って中野勉はその無神経さに苛立つ)、相手の話しぶりについては十分に鋭敏である。
詩人の舞ちゃんは、桜子の恋のアドバイザーだが、母親が目白の実家に突然帰ってしまったことを相談する場面がある。
《「… 一昨日、夜遅く帰ってきたのね、日白に行ってたらしいんだけど。いきなり、今までのあたしの人生は何だったのか考えてみたいから、しばらく目白に行っているっていうのよ。そいでね、昨日の朝早く、目白に行っちゃったの。いやんなっちゃう。いい年して馬鹿みたい」
「そういうの流行ってるのよ。台所拒否症候群じゃないの?」
「あんたって症候群が好きねえ」
「凡庸な批評家の娘だからね、通俗批評的言説という言語環境で育ってるからさあ、 つい言うことが紋切型になっちゃうのよね」》
舞ちゃんは、《伊達に男をなで斬りにしてきた舞ちゃんじゃないぜ。》とか《シャワーは外出前のたしなみ。男と寝るためじゃ、かならずしもないのよね。》とか、ちょっと蓮っ葉な口のきき方が魅力的な女の子だが、のちに現役作家の小説を批評することになることからもわかるように、フランスの現代思想・文学理論をかじっていて、自分の言説が紋切型になることに対して少しは自覚的な女性でもある。
さて、「人は考えたり話したりする時に、ことばをどのように意識しているか、その典型的なサンプルが、この小説では見本市の如くに並べられている」と前置きして、これまで佐藤氏、絵真、桜子、舞ちゃん、と四人を俎上にのせてみたのだが、思いの外に長くなってしまった。
あと二人、現役作家と中野勉が残っているが、ちょっと疲れたので、ここで休憩を入れることにする。
十四 中休み・店の名前は「アタラント」
現役作家の恋人ユイちゃんは新宿ゴールデン街のバーでアルバイトをしている。その店の名前を僕はずっと「アトランタ」だと思い込んでいた。正しくは「アタラント」。落ち着いて一字ずつ見れば、ちゃんと「ア・タ・ラ・ン・ト」と読めるんだけど、一度間違えて覚えてしまうと、そのあと何度出てきても、きちんと認識できないのだ。カタカナがちゃんと読めないなんて。
読み間違えたのは、「アトランタ」という単語をどこかで耳にしたことがあったからだろう。ウィキペディアで調べてみたらアメリカにはいくつかアトランタという都市があり、潜水艦や巡洋艦にもこの名前がついているようだ。「アトランティック・オーシャン(大西洋)」を連想したのも、読み間違えの原因かもしれない。
そもそも「アタラント」ということばになじみがなかったことも、読み違えの原因の一つだ。これも調べてみると、『アタラント号』(一九三四年、フランス)という映画があった。監督はジャン・ヴィゴ(1905~1934)。『文章教室』の中で、ジャン・ヴィゴの名前が出てくるから、金井美恵子は当然、これを知っていて店の名前に使ったのだ。全然気がつかなかった。きっと、こんなことがいっぱいあるはずだ。それこそ、注が必要な小説だ。
現役作家は「アタラント」でアルバイトをしているユイちゃんと出会い恋に落ちる。サイレント映画で活躍した戦前の女優ルイーズ・ブルックスに似ているといって、常連客たちは彼女のことを「アタラントのルイーズ・ブルックス」などと呼んでいる。ここにも注が必要かもしれない。
大岡昇平は『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(1984)という本を書いたほどの大ファンで、金井美恵子はそのことを意識していたはずだ。何しろ、緊張しながら姉の金井久美子と二人で大岡昇平(1909~1988)の自宅を訪問したことを書いているし、『目白雑録』は大岡昇平の『成城だより』(1981~1986)を意識して書き始めたと打ち明けているくらいだから、金井美恵子が大岡昇平を敬愛していることは間違いない。ルイーズ・ブルックスの名前を出したのは、大岡昇平へのサービスじゃないかな。
絵真の父親渡辺七郎は「日本のバルテュス」と呼ばれることもあると書かれている。ちょうど今(2014年)、展覧会が開催されているので、雑誌に連載された80年代前半の頃の読者よりも現在の読者の方が、バルテュスになじみがあるのではないかな。美術に(も)くらい僕でさえ、「ああ、バルテュス」ね、とわかるんだから。
こんな注を付け始めたら、『文章教室』はなかなか前に進まなくなる。
十五 現役作家と中野勉は、ことばを意識しすぎて病に罹っている
「人は考えたり話したりする時に、ことばをどのように意識しているか」という本筋に戻ります。
現役作家も研究者中野勉も、職業柄、ことばについて意識的なのは当然なのだが、何事も度を越すと滑稽になる。この二人は、言葉を意識しすぎるあまり、明らかに不自然な領域に足を踏み入れてしまっている。
現役作家は決まり文句が嫌いで、文章教室の生徒の文章を細かくチェックする。
《……昨今であると書くところが、文章教室の生徒たちと講師の現役作家の差異というもので、生徒たちは、おかしなくらい決まって、今日この頃である、と書くので、現役作家は非常に苛々する。/現役作家は、今日この頃である、という決り文句を厳しくチェックし、次に「……という思いが体をよぎる」という言いまわしをチェック し、次に「もし、あたしだったら……」という小学生の感想文に出て来るような、仮りに自分の身に置き換えて他人のことを考える決り文句をチェックし、佐藤絵真の書いた課題①『私はなぜ文章を書きたいと思うのか』に対して、親切に朱を入れてくれた。典型的な例として、〈月並みな表現をなるべく使わないで書く〉ために使ってはいけない言葉が、それだけ絵真の文章に多かったということらしいのである。
現役作家 今日この頃である、という文章の終りかたは典型的な決り文句で、朝日新聞の「ひととき」欄にさえ、近頃では、そう書いてしまう投稿者は珍しいほどなんですよ(笑)。
生徒1 それでは、今日この頃、の他にどんな言葉を使うのですか?
現役作家 それをどう書くか考えることが、文章を書くということなのではないでしょうか。
生徒1 昨今である、というのはどうでしょうか?
現役作家 うーん、それは大同小異ですね。》8~9章
この箇所では、生徒たちは「今日この頃である」と書くが、自分はそんな決まり文句は書かない、「昨今である」と結ぶぞ、と現役作家は自負している。ところが、文章教室の生徒とのやりとりのなかで、「昨今である」というのも大同小異ですね、と思わずというか、勢いでというか、自分の所業を棚に上げて、答えるところが、可笑しい。
ユイちゃんが新進の美術批評家とともにニューヨークへ行くと聞き、現役作家は成田空港へユイちゃんを止めに行くことを、空想する。
《……彼女から搭乗券を奪いとって、それをひっちゃぶいてしまう。切符をひっちゃぶいたからといって、それで彼女が飛行機に乗れなくなるというわけではないにしても、ひっちゃぶくという行為は、ようするに意思表示なんだから、と現役作家は空想に注をつける。》41章
空想しながら、自分の空想に自分で注をつけるというのは、言葉遣いを意識しすぎな「重症患者」のふるまいではないだろうか。
もうすぐ日本にやってくるディードラのことを打ち明けて、穏便に別れようとする中野勉と、結婚にまで持ち込もうと考える桜子の攻防は、この小説で最も笑える箇所だが、この場面でも、中野勉の意識のありようの滑稽さが、語り手によって暴露される。
《そうとも、今時、何回かデートして、一緒に寝た(二回)からといって、いくらぼくがそこそこのエリートで――中野勉は自負心も野心も持ってはいたが、独白として物 を考えている時でも、 エリートと自分を規定した時には、そこそこのという接頭語をつける習慣だった――どうもパッとした人材のいない英文学界では優秀な若手の切れる奴と目されているにしても(あくまで、相対的に、そう評価されちゃうわけなんだけどね)、すぐに結婚と結びつけてしまう女の子なんて、今時、そんなにいないだろう、と中野勉は考えたかったが、どうも、状況はそのようなものではないらしく、桜子が気にしない、と言ったのは《過去》のことらしかった。》47章
「独白として物を考えている時でも、 エリートと自分を規定した時には、そこそこのという接頭語をつける習慣」というのは、どう考えても変だ。これはちょうど、空想に注を付ける現役作家と同じ「重症患者」ぶりで、彼らがいかに自分の考えていることば、喋っていることばを、いつも意識しているか、ということを如実に示している。自分で自分の言葉遣いをチェックしながら喋る、独白する、空想するなどという意識過剰さは、「知」の病に他ならない。
また、「何回かデートして、一緒に寝た(二回)からといって」という箇所の(二回)というのも、この男の小ささをよく表していて、その正確さへのこだわりは何なんだ、と突っ込みたくなる。この小説の中で、恋愛あるいは性交を語る場面に、不似合いな細かな数字か突如顔をのぞかせて、しばしば読者の笑いを誘う。
《一ヶ月後にKDDからとどいた請求書を見るとその一日分だけでも国際電話料金は二万五千六百二十円だったので、今月はディードラヘの電話は控えなければ、と中野勉は思った。》15章
《その夜は、絵真は多摩川べりの昔なじみのモーテルに行き、そこで別れてタクシーで家に帰り、タクシー代は深夜料金だったので、二千七十円だった。》27章
さて、この読書のトレッキング、気がつくと、四百字原稿用紙なら八十五枚を超えようとしている。こんなに長くなるつもりはなかったのに。でもここまで来てしまったからは、行きつくところまで行くしかないか。(OCRが気軽に使えるようになったので、安易に引用しすぎたのかもしれないけど、『文章教室』という小説そのものが「引用」の小説なのだから、まあいいか)
というわけで、いよいよこれから最後の山頂に向かいます。
十六 文章を直しても、書き手の身勝手さが変わるわけではない
これから、分析する少し長めの文章は、小説の終わり近く、54章にある。桜子と中野勉の交際をめぐるかけひきのあとだ。中野勉の父親(素人画家で、渡辺七郎の友人)が亡くなり、桜子が祖父の渡辺七郎について葬式に行きたいと申し出る。祖父、母親、娘の三人が、どんな服装で行けばいいか、話し合っている場面だ。
《……渡辺七郎氏が、①俗に言うあれだよ、喪服を着た女房を見て亭主が惚れ直すという、ようするに、中野くんにかっこいいとこを見せたいんだから、まあ、着せてやりゃあいいよ、と結論を下し、桜子はけろりとして、②まあ、そんなところかなあ、死んだのはあたしの知らない人だしねえ、彼も自分は父親とは縁が薄いっていったからなあ、と言ったので祖父は、むっとして横を向き、絵真も腹を立てて、③桜子、あんたは知らない人でも、亡くなった中原さんはおじいちゃまの古いお友達なのよ、と言った。④〈いやな娘だ、と私は思った。かりにも恋人の父親の死を前にして、自分の喪服姿を恋人に印象付けようと思っていることを隠しもしない無神経さは、誰に似たのだろう〉と絵真は後でノートに書いた。むろん、この文章は、自分の娘である桜子の無神経さは、父親ゆずりであって、母親ゆずりではない、と読まれるべきなのであって、絵真の考えでは、佐藤氏は鈍重で無神経な、想像力のない男ということになっているのだった。⑤〈自分の浮気にかまけて、妻に愛人がいることに気がつきもしなかったばかりか、私が家を出て、生家に戻っている現在でさえ、よもや、自分の妻に恋人がいるなどということを露ほども疑ったりはしない。それも、何かの変化が自分の生活におこるのを極端に嫌う、保身的な性格のせいだ〉と絵真は書き、このての文章は、文章教室に提出すれば、朱筆を入れてずいぶんと直されるのだろうが、これは絵真だけのノートであり、誰も読む気づかいはないのだから、誰も彼女の考えの身勝手さに朱筆を入れたりはしない。それに、朱筆を入れて文章を直したところで――現役作家が受講者たちの提出した短文に赤のボール・ベンテルでそうするように――書き手の身勝手さが変わるわけではないのだ。》
この引用箇所は、次の三種類のことばから出来ている。
A 語り手による地の文
B ①渡辺七郎、②桜子、③絵真の発言を「 」抜きで、(喋った通りに表記しながら)地の文に溶け込ませた直接話法
C 〈 〉で括られた、絵真の書き言葉(「折々のおもい」)④、⑤
ここで注目すべきは、語り手が地の文で、容赦なく絵真(の書き言葉)を批判していることだ。
④の部分の、「誰に似たのだろう」という決まり文句の持つ、有無を言わせぬ押しつけがましさを、語り手ははっきりと指摘する。
この形だけの疑問文は、娘の無神経さは、父親ゆずりであり、決して母親ゆずりではないと「読まれる」ことを、書き手である絵真は要請しているのである。
このような紋切型の表現に安住する絵真の、認識の偏りや甘さ(自分の判断を疑うことのない)を語り手は、鋭くえぐっているわけだ。
「自分を見つめる」ために文章教室に通い、折に触れて書いているノートの正体がどのようなものであるかが、暴露されている。
《これは絵真だけのノートであり、誰も読む気づかいはないのだから、誰も彼女の考えの身勝手さに朱筆を入れたりはしない》と、絵真のノートが他者の目にさらされることのない自己愛の産物でしかないことを、語り手は完膚なきまでに批判する。
そして、とどめをささぬばかりに、さらにこう書くのだ。
《朱筆を入れて文章を直したところで書き手の身勝手さが変わるわけではないのだ》
この語り手の痛快なことばは、あまりの強烈さにたじろぐ読者が出るかもしれないほどだ。
『文章教室』は、語り手がはっきりと登場人物の言動を批判しているリアリズム小説であり、登場人物の誰かに同化を促す態のロマンチシズムの小説とは、一線を画しているのである。
十七 恋愛の行方 その①
『文章教室』は「四人の男女の、三つの恋の物語」だと述べてきたが、その結末、恋愛の行方を検討してみたい。
まず、絵真は、吉野暁雄から電話で、女房とは別れられない、もう会わないほうがいい、と一方的に別れを告げられる。まあ、これはよくある話だ。
この直前、絵真は、家族でバーベキューをし、材料を残してはもったいないから、と食べ過ぎて腹をこわし、熱まで出てしまう。吉野からの電話の翌日、熱は引き、下痢もおさまる。
《文章の初心者である絵真は、下痢などというものを汚ならしい感じでもなく滑稽でもなく書く自信はとてもなかったので、『折々のおもい』のなかには、風邪の発熱と頭痛としか書かなかったのだが、……》
下痢のことは書けなかったのだが、数日後には、友人と次のような会話をかわすことになる。(ここは「 」なしの直接話法)
《あんたったら、最初の子供を生んだ時、重症の便秘が治ったみたいだって、言ってたでしょ?
経産婦は誰だってそういうわよ。母だって明治生れだけど、あたしが臨月だった時、そう言ってたわよ。受け売りなのよ、便秘回復出産説ってのは。
うん。でも、それ実感だから、受け売り出来るのよ。母から娘へ、娘からその娘へって、ずっとね。
そういうことね。
でね、あたしは、主婦の浮気というか恋愛ってのは自家中毒の下痢みたいなもんだって思ったわ。
なんだか、汚ないわねえ。
そうよ。ロマンチックでもなんでもないの。むしろ、不潔だって言ったっていいのよ。
あんた、すいぶん、 ニヒルになったのね。こりや、ショッキングな発言だ。ロマンチストの絵真さんがねえ。》
「主婦の浮気というか恋愛ってのは自家中毒の下痢みたいなもんだ」というのは、絵真にしては珍しく、紋切型でなく、自分の体験にもとづく実感から出てきた表現で、書き言葉でなく、友人との会話の中で出てきたということも注目に値するだろう。
「下痢」という非ロマンチックな単語が、ここで出てきているのは、谷崎潤一郎『細雪』からの引用であることは、贅言を要しないだろう。大長編『細雪』は、やっと結婚が決まり、東京へ向かう夜汽車の中で、下痢に悩むヒロインの姿で幕を閉じるのだ。
十八 恋愛の行方 その②
桜子と中野勉とディードラの関係はどうなったか。
来日したディードラは、自分に新しい恋人ができたと告白してくるので、中野勉は自分の事情(桜子とのこと)を話す必要もなく、円満に別れることができる。中野勉は《信じられないようなご都合主義じゃないか》と声に出し、《結局誰も傷つきもしなければ、誰も失恋なんかしていないみたいじゃないか》と思うのだ。そしてこの秀才は《なんて簡単なんだろう、人生というのは》という、人生を舐め切った感慨に至るのだ。この小説は全部で61章からなっているが、中野勉がこのような感慨を吐露するのは58章だ。
実は、この小説には、一つの仕掛けがしてある。全体的にいえば、小説の現在時は、順序良く流れていく。三つの恋もほぼ同時進行で、時間の流れにそって語られていく。ところが、恋の結末はどれも時間的な前後の乱れの中で語られている。
例えば、既に52章で、現役作家と中野勉、桜子が「サカキヤ」(喫茶店)で出会った場面が次のように書かれている。
《中野勉の横には中野桜子(妊娠して一カ月と二週間ほどなのだが、まだそれと気づいてはいない)がいて、……》
読者は、ここで、えっ、「中野桜子」って、それでは二人は結婚したのか、それも妊娠しているの、と少し驚かされる。つまり、ディードラとの別れが語られる58章より前の52章で、桜子の結婚、妊娠が読者には明かされているのだ。
この先説法的(将来に起こることを、あらかじめ語るという語り方)な時間処理がされていて、独特の味わいを生み出している。
この小説の後半三分の1辺りで、これまでに紹介してきた、桜子と中野勉との交際がどの章、どの順で語られていたかを並べてみると、こうなる。
47章 中野勉はディードラのことを桜子に告白し、桜子と別れようとするが、桜子は粘る。
52章 中野勉と桜子は既に結婚し、桜子は妊娠している。
53章 中野勉は父親の葬儀の後、父親の思い出を桜子に語る。
54章 渡辺七郎、絵真、桜子の喪服(中野勉の父親の葬儀に出るための)をめぐる会話。
58章 中野勉はディードラと再会し、穏便に別れる
これは時間順に並べれば、「47、54、53、58、52」となる。このようにして、小説はアイロニカルな効果(読者は結婚という結果を、52章で語り手から教えられ、予め知っているのに、まだその結果を知らずに様々な感情を抱きながら行動する二人を眺めている)を生んでいる。
恋愛の行方などは、たぶん、どうでもいいことなのだ。当事者にとっては、絶対的、唯一のことのように思えても、客観的に見れば、恋愛などありふれたもので、その結末にはいかほどの違いもないのだ。
しかし、小説は飽かず、繰り返し繰り返し、恋愛を語り続けてきた。見るべきは、恋愛の行方ではなく、語られ方なのだ。そして、『文章教室』では、錯時法(先説法もその一つ)を利用して、語ってみせたのだ。我々はそこで、時間の小さな渦に巻き込まれたような、感覚を持つことになる。
十九 恋愛の行方 その③、そして現役作家の小説へ
現役作家の恋はどうなったのか。
ユイちゃんは、現役作家の仕事場に泊まるような関係になるが、美術評論家とともにニューヨークへ行ってしまう。現役作家はこの経験を『告白』という長編小説に書き、その年の文学賞をとることになる。
こういえばまるで、自分の体験を赤裸々に綴った「私小説」のようだが、生半可な知識が邪魔をして、素直に告白的私小説など書けはしない。ついつい力が入り、あれこれ工夫を凝らし、妙にひねった小説を書いてしまう。そしてその凝り方が語り手にからかわれるわけだ。
『文章教室』は「小説を書くことについての小説」つまり「メタフィクション」という側面も持っていて、そこでも金井美恵子のからかいの毒はあちらこちらに撒き散らされている。そもそも連載当時、引用文が出てくるたびに、今度の揶揄嘲笑の対象は誰か、話題になり、小説家評論家たちは金井美恵子の悪意に戦々恐々としたようだ。
現役作家の『告白』執筆の様子を語る言葉にも棘があり、思い当たる節のある小説家など、さぞ心穏やかではなかったろうと推察される。
そもそも現役作家はどのような小説を書いてきたか。これまでの作品は、こう振り返られる。
……他の中堅と称されているというか目されているどの小説家の作品とも、そう目立った違いのない、それでもその時々の文芸雑誌の傾向を奇妙なくらいに反映した、未婚で子供を産む女性が語り手の一人称小説だったり、SF小説仕立てだったり、青春時代の回想だったり、東南アジアの国の滞在記(二週間程のことだが)だったり、ずっと昔失った何かを探すという仕組みの小説だったり、独立国風というか孤立した村が舞台の伝説風だったり、満洲が舞台の中国人と朝鮮人の少年との交流を描いたものだったり、幾つかのタイプの家の群像だったり、また、あるいは、たとえば『事のしだい』というタイトルの小説を書いたとすると、それが『事のしだい』という小説を書こうとしてなかなか書けずにいる小説家が主人公のあれこれの事のしだいを書いた小説であったりする、といった程度の仕かけくらいは考えるし…… 55章
まあ、それぞれがいかにも八〇年代にありそうなタイプの小説だ。だから読者は、一つ一つ、あれかな、これかなとモデルを探すこともできる。例えば「幾つかのタイプの家の群像」というのは、黒井千次の『群棲』かな、とか。
とにかく、これまでの作品は《その時々の文芸雑誌の傾向を奇妙なくらいに反映した》作品ばかりで、時代の知的な潮流に敏感ではあるが凡庸な作家が、一貫性もなくあれこれ書き散らかしてきた、ということだ。
そして、現役作家が書くことになる『告白』という小説が、経験した実感をどのように文章化していくか、という見本がこれである。
ユイちゃんがニューヨークに行くと知り、それを確かめたくて、アタラントのママ悦子さんに電話をしようとする場面だ。
悦子さんは気軽ないつもの調子で、もしかしたら、笑うかもしれない、多分、そうなのだ、そうに違いない、と現役作家は公園の電話ボックスから仕事場まで、早足で歩きながら、呪文のように繰りかえして頭の中でとなえつづけた。
①多分、そうなのだ、そうに違いない、多分、多分、そうに違いない、違いない、そうなのだ、そうなのだ、多分、多分ね、②というリズムは、あまり出来が良くなかったが、現役作家は現役詩人ではないのだから、頭の中をクルクルと回る呪文のリズムの善し悪しはまったく気にならす、すっと後になって、この一連の恋愛体験をもとに小説を書くことになる時も、現役作家はこのくだりを、《③足早に歩いて部屋に戻った》と軽く一行ですませることになる。 48章
①はいわば彼の生の思考リズムで、それなりのリアルさがある。それに対して、②は現役作家のそのことばのリズムの悪さに対する語り手からの評。そして現役作家が実際に書いた小説の一部が③で、①多分、そうなのだ、そうに違いない、多分、多分、そうに違いない、違いない、そうなのだ、そうなのだ、多分、多分ねを、③足早に歩いて部屋に戻ったと書く所が現役作家の限界。つまり①と書けば、恋する平凡な男の切実さ・愚かさ・滑稽さの滲んだ「リアリズム小説」になりえたのに、③ように軽くまとめたのでは、それらが消えてしまう。それがわからず、変な所に凝って文章を書き上げようとする。
その変な所に凝って、というのは、例えば52章の次のような所だ。
現役作家は現役作家なりに(というのは、古風な言い方だが、①まあ、才能に応じてとでも言おうか)陳腐な決り文句を憎んでいたので、 ユイちゃんのことを考える時も、それから、ずっと後になって書くことになる小説のなかで彼女のことを書く場合にも、《女というものは理解不能だ》という、いかにも安易な立場はとらなかった。《②理解することが不可能だとしたら、それは彼女が不在の中心だからだ》というのが、現役作家のしたためたメモの言葉である。《水はロマンであり、都市はフィクションだ》というジャン・リュック・ゴダールの映画の中の言葉をエピグラフに使用したせいもあって……
あいかわらず語り手は、現役作家に①のような辛辣な評を加える。まあ《女というものは理解不能だ》と素直に書けばいいものを、《才能に応じて》《陳腐な決り文句を憎んでいた》のでそれができずに、《②理解することが不可能だとしたら、それは彼女が不在の中心だからだ》などと小難しげに書いてしまう。このあたりが現役作家の限界なのだ。
ゴダールの映画の中の言葉を引用してエピグラフに使うことが、かえって若い同業者から揶揄されることについては、前に述べた通りである。(続く)
二十 続「恋愛の行方 その③、そして現役作家の小説へ」
『告白』の文体には、こんなものもある。
《①教えてくれないか、 一体何人の男たちの手が、きみの無情で無慈悲な心を取り巻いてとっても豊満に発育しているあの乳房に触れたかを?》と後に現役作家は小説のなかに書くことになるのだが、その小説――四百五十枚一挙掲載――はたいして話題にもならず、②現役作家としてはかなり野心的な、いわば本人の気持としては、まったく新しい試みと思われたのだが、そこのところを読み取ってくれる批評家なり読者がいなかったので、…… 48章
①の文体は、まるでシェークスピア風なセリフまわし、なんという仰々しさ!! ②は語り手からの批評で「まったく新しい試み」と本人は思っているんだろうけれどねぇ、……という含みになる。
こうした文体を持つ『告白』に呼応するように書かれた、桜子の友人で詩人の藤原舞ちゃんの批評文は、どのようなものだったかというと。
①一人の女への愛と嫉妬を告白しているかのように見える話者は、しかしあらかじめ、②名の指示が正確になされるといった事態が存在しない場所にわれわれの注意を促し、そのような場所としてある〈物語〉が〈水〉であるのなら、むしろ、水に沿って歩くこと、あるいは水音に耳をかたむけることからはじまるフィクションの形成の水路を、そっとたどって、それを消し去ることを、もくろむのである》と書かれることになる、③好意的ではあるらしいのだが、よく意味のわからない藤原舞という若い女の詩人の書いた批評…… 52章
①「かのように見える」というのは、たぶん舞ちゃんの深読みだろう。単純に「愛と嫉妬の告白」ととればいい。この小説を最後まで読んできて、現役作家の生の心情を知っている我々読者は、そう思う。
②は難しげに書いているが、要するにはっきり登場人物に名前をつけていないということ。ちょうど「現役作家」が、金井美恵子から具体的な姓名を与えられずに、「現役作家」と呼ばれ続けているようなものだ。
そして、そして、笑ってしまうのは③の《好意的ではあるらしいのだが、よく意味のわからない》という感想で、現役作家の正直な所が良く出ている。しかし、舞ちゃんの書きぶりと、現役作家の《理解することが不可能だとしたら、それは彼女が不在の中心だからだ》という書きぶりは、結構似ている、二人とも現代流行のフランス文学風言説を弄するという意味では、実は同じ穴のむじなではないか。それはゴダールの《水はロマンであり、都市はフィクションだ》とも一脈通じているのだから。
現役作家自身はこの恋愛体験の意義を小説の中でどう語ったのた。
…《自分》に《再生》の機会というか、いや、そうした《①現役作家性を深いところで揺さぶり、荒々しい不意打ちの事件として存在そのものを肉体的に活性化した事件が恋愛だった》と、②妙に頭の悪い学者風文体で、他でもない、③やがて書くことになる『告白』という小説のなかで書くことにもなるはずの現役作家は…》55章
①は、要するに恋愛によって新しい作品を書く気になった、作家として再生したというほどの意味だ。②の「妙に頭の悪い学者風文体」は語り手からの直接的批評だが、③は前もって将来の出来事を語る「先説法」である。②③ともに語り手の超越性(語り手がこの物語の外部に位置していること)を示している。
世間の評価はどうだったかというと。
《これまで書いてきた小説の①一種の不定形が、『告白』では見事にふっ切れ、見違えた》と評される。61章。①は要するに、これまではフラフラしていて書き方・テーマが不安定で、読んでもまとまった印象がなかった、ってことですね。
とにかくもこの『告白』はその年の文学賞を獲得したのだが、現役作家は達成感を感じることがない。妙な空しさを感じるのだ。
『告自』という、奇妙な、なにかの間違いのように成立してしまった小説を書いてしまった後でも、現役作家は、 ユイちゃんと過した夢のような快楽の日々については、結局、たったの一行も、たったの一言も書いてはいないし、書けもしない、と思いつづける。 61章
それはまあ自業自得というべきか。生半可な文学的な知識が邪魔をして、女への執着や失恋の喪失感をなりふりかまわず率直に書く蛮勇に欠けているのだから。現役作家は自分の行為が、田山花袋の「蒲団」の模倣のように見えることを知っている。
……しわくちゃのシーツをかけた丸八の羊毛ふとんと西川の羽根ぶとんが敷いてあり、その上で彼女を抱いたことが、眼とか口の中の粘膜にひりひりとする断片として、張りついていることを意識し、……(中略)……これで、ふとんにくるまって彼女の体臭をかいだりしたら、田山花袋のパロディだと考えるくらいの余力はあり、……55章
しかし、「その考える余力」が、先にあげたような妙にきどった、あるいはひねった文章しか生み出しえないのだとしたら、やはり彼は凡庸な作家と言うべきなのだろう。それは現代日本で現役として雑誌にも書き、単行本も出版している多くの作家にあてはまることかもしれない。少なくとも、一人はあなたにも思い当たる作家がいるはすだ。ああ、●●●●ね。(怖くて書けません。ここは自主規制)
二十一 金井美恵子に憑りつかれてしまった
とうとう、この読書のトレッキングは百枚を突破、このままでは帰ってこれなくなる。軽いトレッキングのつもりが、気がつくと六甲全山縦走のコースに踏み込んだような、いやいやこのままでは、北アルプス縦走になってしまうかも。ランニング・ハイとかクライマーズ・ハイとかいう感じになっていて、これはひょっとしたら金井美恵子に憑りつかれたのかも。
小説だけでなく、エッセイも面白くて、「目白雑録」は全五巻(現在出ている分)を読んでも、とまらなくなって……。金井美恵子の影響で、「リオ・ブラボー」(ジョン・ウェインがキュートだった)や「子猫をお願い」(韓国映画、質高すぎ!)や「パリの恋人」(オードリー・ヘップバーンがあんなにキュートで、しかも軽やかに踊れるなんて!)や、次々にビデオを観ていて、とまらなくなり……。
『文章教室』に映画的な手法がいくつも使われていることや、渡辺七郎氏が「日本のバルテュス」とよばれていたけれど、今日観てきた「バルテュス展」の印象とか、……。
まだまだ書きたいことはあるけれど、この辺りで一度ふもとに下りて、次の山歩きの準備もしないといけないし。
第四報告は、村上春樹の「バースディ・ガール」か、開高健の『夏の闇』か、それとも水村美苗の『本格小説』か、はたまた田辺聖子の『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』、ひょっとして田辺聖子の『道頓堀の雨に別れて以来なり』か、うーん、悩む所だけど、でもこれトレッキングじゃなくて、登山になっちゃわないかな、体力もないのに重装備で出かけると、遭難しそうな気もするなあ。
とにかく、第三報告はここまでです。
一 ビニールシートの色は何色
森絵都は『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞したのだが、この本には六つの短編が収録されている。僕は最初の「器をさがして」と最後の「風に舞いあがるビニールシート」が好きだ。NHK文化センターの「小説を読む」という講座では、「風に舞いあがるビニールシート」を取り上げることにした。この作品は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で働く里佳の物語だ。
ちょうど作品分析をしていた頃に、一通の手紙が届いた。それが「UNHCR」からの手紙だったので、ちょっと驚いた。何年か前、ユニセフに寄付したり、カードを買ったりしたことがあって、ユニセフから手紙が来ることがあったが、それもここ最近は途絶えていた。この時期に、ユニセフではなく「UNHCR」から手紙が来るなんて。たぶん、ユニセフから情報が渡っていったのだとは思うが、それにしてもタイミングがよすぎる。
ちょっと横道にそれるが、ついこの間は、ジュンク堂から「かいけつゾロリ」関連の本と川上弘美の新刊本のお知らせメールが届いた。確かにジュンク堂でカードを作ったけれど、ゾロリや川上弘美の本を買う時そのカードを使ったかな。いやそもそも、ジュンク堂で買った本を元にしてメールが送られてくるのだとしたら、もっと何通ものメールが届くはず。どの経路で情報が流れて行ったのかな。ひょっとすると、このHPの「藤本通信」から、情報を入手したのか。うーん、わからん。
まあ、それはともかく、「UNHCR」からの手紙は、偶然の一致かもしれないが、これも一つのきっかけと思い、寄付することにした。すると数日後に、お礼の手紙が来た。その中に一枚のポストカードが入っていた。難民キャンプのテントの写真だ。
「風に舞いあがるビニールシート」というタイトルから、僕は勝手に、ブルーシートを思い描いていた。難民キャンプのテントの色はもちろんブルーではない。テレビニュースなどでそのことは知っていたはずなのに。ポストカードの写真を目の前に突き付けられても、油断すると、この小説の題名を口にしながら青いビニールシートを思い浮かべそうになる。
我々は小説を読む時に、自分で勝手にイメージしてしまうことがある。本文には書いてないのに、あるいは本文に書いてあってもそれを無視して、自分でイメージ化してしまうのだ。例えば、年齢もそうだ。里佳は、この小説の現在時点では四十歳を超えており、三か月前にアフガニスタンで少女をかばって死んだエドが五十を超えていることは、小説の中の年齢に関する記述をいくつか辿ってみれば、間違いのないことだ。この小説は里佳とエドの十年間を描いているが、我々のイメージの中で、彼らは年を重ねていっているだろうか。
(続く)
二 『ハンナ・アーレント』を観てきた
今日は、十二月二十五日。久しぶりに三宮まで出て、シネ・リーブル神戸で『ハンナ・アーレント』を観てきた。ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した彼女がニューヨーカーにレポートを載せるという事実が映画の中心に据えられていて、とても面白かった。今、問題にしたいのは、この映画自体のことではない。
ドイツ系ユダヤ人であるハンナ・アーレントは、アメリカに亡命して、映画の現在時では英語を喋っていて、大学での講義も英語でなされている。そして、映画の初めのあたりに、こんな場面が出てくる。アーレント夫妻の自宅に、友人・知人が集う。その中に、かつてハイデッカーの下でともに学んだ旧友もいる。話しているうち、ドイツ語で激しい議論が交わされ、ドイツ語を解さないアメリカ人はおいてけぼりを食うという場面がある。もちろん日本人である僕ら観客は、日本語の字幕のおかげで、ドイツ語の会話も、英語の講義も、何の抵抗もなく理解できる。(字幕の制約や翻訳のはらむ問題は、今ちょっと棚上げしておく。)
この場面を見ていて、「風に舞いあがるビニールシート」を思い出したのだ。
「小説を読む」教室で受講者にこう僕は問いかけた。里佳とエドは何語で会話していたのだろうか。里佳と上司のリンダとは。里佳と通信社記者寺島とは。この小説で登場人物は、何語で話し合っているのだろうか。(続く)
三 蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」をさがして
蓮實重彦の名は、僕が大学出て間もない頃だから、かれこれ三十数年前、まず映画評論家として目にした。映画を論じようとすれば、少なくとも年間百本は見なければいけないという、ちょっと挑発的な発言に、そうだよな、と思わず喝采を送った。彼の本業が、フランス文学研究であり、どうやらフローベールの専門家らしいと知ったのは、少し経ってからだ。
吉本隆明との対談がまず印象的だった。作品と作者とのつながりを切り離そうとする蓮實重彦に対して、吉本隆明は基本的には作品と作家のつながりを重視する作家論的な姿勢だ。対談では、その対立が際立っていて、吉本隆明は何度も「本気かね」と繰り返していた。僕は、野暮ったく見える吉本隆明にむしろ共感し、蓮實重彦の発言はあまり理解できず、軽薄な才子という風に見ていた。「表層批評」というのもピンとこなかった。それでも、村上春樹、村上龍、丸谷才一、井上ひさしなど、日本現代文学について論じた、『小説から遠く離れて』などは結構面白く読んだ。映画評論も多く、大学で映画論もやっていて、その影響を受けた黒澤清たち、若手の映画監督も出てきた。そのうちに東大の総長に就任したというニュースを知って、蓮實重彦は一体いつ「『ボヴァリー夫人』論」を書き上げるのだろうと思っていた。
だから『新潮』の新年号に蓮實重彦の「『ボヴァリー夫人』論」の序章、一章が掲載されるという広告を見て、急いで西宮のジュンク堂書店に行った。ところが、ない。ほかの文芸誌はあるのに、『新潮』だけがない。いつもなら、売れ残っているのに。たぶん僕のように蓮實重彦の「『ボヴァリー夫人』論」に気がついて、買っていた人が何人かいるはずだ。もしかしてと思いついて、近くの「町の本屋さん」に回ってみた。ありました。(続く)
四 「テクスト的な現実」
雑誌に掲載されているのは、序章と第Ⅰ章だけだが、それだけで250枚ある。Ⅹ章まであり、終章もあるようなので、今年の春に筑摩書房から出版される予定の「『ボヴァリー夫人』論」は、かなり大部な本になる。
この序章と第Ⅰ章だけでも、十分読み応えがあり、いろいろ勉強になった。今、なるほどね、と納得した点を二つあげる。
①《……この作品には、「ボヴァリー夫人」という「他人の名前」で呼ばれるにふさわしい既婚女性は、シャルルの母親と、彼の初婚の相手である年上の未亡人と、二度目の妻であるエンマとの合計三人も登場している。》
②《……『ボヴァリー夫人』のテクストには、「エンマ・ボヴァリー」という記号はひとつとして書きこまれていない。》
僕たちは、「ボヴァリー夫人」とは「エンマ・ボヴァリー」のことだと、常識的に思っているが、蓮實重彦は「テクスト的な現実」に徹底的に拘ってみせる。それは意表を突かれ、盲点を指摘され、驚くとともに、ちょっと痛快だ。「表層批評宣言」とはこういうことかと、やっと理解が追いついた。
こういう文章を読むと、ついつい影響を受けてしまい、思わず知らず、今読んでいる小説の「テクスト的な現実」に意識が向けられることになる。
で、「風に舞いあがるビニールシート」では、《里佳とエドは何語で会話していたのだろうか。里佳と上司のリンダとは。里佳と通信社記者寺島とは。この小説で登場人物は、何語で話し合っているのだろうか。》という自問することになったのだ。(続く)
五 会話は何語でなされたのか
「風に舞いあがるビニールシート」は、地の文はもちろんだが、会話文もすべて日本語で書かれている。しかし例えば、面接の時にエドが《ときおり英語で挑発的な質問をさしはさんだ》とあるので、この小説では、作者が読者の便宜を図って、エドの英語での発言を日本語に翻訳してある、ということになる。
《七年間の結婚生活を通して二人がともに超えた夜など百日にも満たなかった》とあるから、難民キャンプなどを飛び回っているエドがその間に日本語を習得したとは考えられない。だから、小説の中の里佳とエドの会話は本当はすべて英語でなされている、のである。そして現在の上司であるリンダと里佳の会話もまた《英語を解さない運転手までも》とあることから、英語でなされている。ついでに言えば、新人の千鶴に関しては《となりから千鶴が日本語でささやいた》、とあることから、日本語で会話していると考えられる。
なにを野暮なことを、と思われるかもしれない。しかし、例えば水村美苗の『私小説 from right to left』のように、日本語と英語とが混ぜられて表記される小説が既に存在することを思えば、「風に舞いあがるビニールシート」の表記法は、やはり一種の便法なのだと言わざるをえない。(いや、何もこの小説だけを言っているわけではない。ほとんどすべての日本語の小説は、そのような便法によって描かれているのだ。)
問題は、日本人記者である寺島は里佳に何語で話しかけているのか、二人の会話は何語でなされたのか、という点にある。(続く)
六 「同胞」の違和感から生まれた妄想
この小説は、《里佳の変容の物語》である。外資系投資銀行からUNHCRの空きポストに目をつけ応募しただけの里佳は、難民救済に特別な関心があったわけでもなく、フィールド(紛争の現場)へ赴く覚悟など持ち合わせていなかった。その里佳が、エドの死を契機に、自らの選択でアフガニスタン行きを決意するまでの物語である。
エドと出会ってからの十年間(結婚と離婚を含めて)を辿る時系列の物語と、エドがアフガニスタンで亡くなって三か月後のある一日(小説の現在時)の時系列が交差する形で語られている。
エドの死から立ち直れない里佳が、この日の朝エドの死を悼む海外からのメールを受け取り、昼のランチのあと上司リンダからアフガニスタン行きを提案され、午後通信社の記者寺島の取材を受け、エドの死の具体的な状況を知る、という風にこの日一日の物語は進行する。里佳の回心は、寺島との話し合いのあとになされるのだから、この二人のやりとりはとりわけ重要だ。小説としても緊張感をはらんだ、いい場面になっている。
アフガニスタンについての取材にやってくるのだが、里佳はあくまで 国連難民高等弁務官事務所の一職員として対する。しかし寺島は殉職した職員エドについて尋ねてくる。この男は私がエドの別れた妻であると知っているのか。これが里佳の持つ疑問である。「犠牲者と同じUNHCRのスタッフとして何かコメントを」と迫る寺島は。コメントを避ける里佳に「やはり、ご同胞の殉職にかかわる質問は無神経でしたね」と言う。その時、「同胞ではありません。かつての夫です」と答える。
ここは、小説としていい場面なのだが、読んだときに、何か引っ掛かる。それは、寺島のいう「同胞」という言葉だ。
「同胞」とは同一の国や民族の人をさすものだ。だから、もし寺島が、里佳を日本人と認識していたとしたら、彼女を(アメリカ人である)エドの同胞と呼ぶことには、少し無理がある。
ここからの僕の推論は少し強引なものになる。
寺島は里佳のことを「エドの同胞」と見なしていた。つまり里佳を「アメリカ人」だとみなしていたのだ。そして二人は英語で話していたのだ。(相手が日本人ならわざわざ英語で話すわけはない)それは、里佳の外見がアメリカ人のように見えたということではないか。そこから「里佳はハーフだ」というとんでもない結論が出てくる。
何故、森絵都はここで「同胞」ということばを使ったのかな。
ネットで「同胞」にあたる英語を調べてみたら、いくつか出てきた。その一つに「neighber」というのがある。この英語の日本語訳に目を転じると、こうあった。
1近所の人, 隣人;隣国(の人), 隣席の人.
2同胞, 仲間;[呼びかけ] 旦那, 奥様.
3隣[近く]にある物;近くの人;(近くの人に話しかける言葉として)(ねえ, )君.
うーん、これはちょっと魅力的だな。寺島が「neighber」といい、里佳が「husband」と言い返す、という場面だとしたら。
まあ、勝手な空想というか、妄想なんだけど。(この項、終)
一 久しぶりに大阪市立中央図書館に行った。
10月に、『センセイの鞄』の話をするので、ここ数か月せっせと川上弘美を読んでいる。この前読んだ『東京日記』(既刊三冊)は抜群に面白かった。半ば「うそ日記」なのだが、軽さとリズムと意外性が、なんともいえぬおかしさを生み出していて秀逸。すっかりフアンになってしまった。昨日は『風花』を読み終えて、夜から『七夜物語』にとりかかった。
『センセイの鞄』論や川上弘美論もいくつか読んでみたが、『川上弘美を読む』(水声社、2013)が良かった。著者の松本和也氏は1974年生まれ、若手の研究者で、信州大学の准教授。この本の第三章が『センセイの鞄』論になっている。論じ方に無理がなく、啓蒙的で、情報性もあり、なるほどね、と感心しながら読んだ。谷崎潤一郎賞の選評の一部が引用されていて、六人(丸谷才一、河野多恵子、井上ひさし、日野啓三、筒井康隆、池澤夏樹)の選者全員が絶賛したと紹介されている。選評全体を読みたい。それに受賞後に行われた河野多恵子との対談もちょっと読みたい。
前田塁の『小説の設計図』(青土社、2008)にも、『センセイの鞄』論がある。論そのものよりも、ちょっとした一句が気にかかった。「休刊に直面していた雑誌「太陽」に連載され、作者によるリミックスを経て単行本化された」という一句だ。リミックス?どういう風に再構成されたんだろう。そのつもりで、数えてみると、連載は18回、単行本は17章仕立て。
インターネットで図書館の蔵書を検索する。その本の情報詳細は図書館によって内容が違う。大阪市立中央図書館では無理だったが、大阪府立中央図書館の蔵書検索なら、雑誌の目次まで読める。そこで目次を調べてみた。
単行本化するときに、連載開始すぐの第2回は、ラスト近くの14章に回されている。しかもタイトルの「干潟」が「干潟―夢」と微妙に変化している。第4回「パレード」は除外されている。この「パレード」は、あの『パレード』と同じなのか?
『センセイの鞄』連載時の『太陽』、「谷崎潤一郎賞の選評」の掲載された『中央公論』、受賞後に河野多恵子との対談が載った『婦人公論』の実物を手に取る必要があった。普段お世話になっている伊丹、川西、宝塚の図書館は、雑誌を数年分しか保管していない。書庫が相当広くないと、雑誌の長期保管は難しいのだろう。たぶん大学の図書館ならあるだろうが、つてがない。パソコンで蔵書探索をし、バックナンバーを所蔵している図書館にでかけていくしかない。
そういうわけで、久しぶりに大阪市立中央図書館に出かけて行った。(続く)
二 司書の人に迷惑をかけてしまった
大阪市立中央図書館は、児童文学関係の雑誌や書籍が充実していて、「児童文学三部作」を書くときによく利用した。
今日はまず館内のコンピューターで、目当ての雑誌を検索し、書庫から出庫したいものを数冊入力し、印刷する。数字とバーコードしか印刷されてない紙片をカウンターに持っていくと、司書の人がバーコードを読み取って、「それでは取ってきますので二十分くらいしたら来てください」とのことだった。
待つ間、館内を見て回る。出庫を頼んだ古い雑誌は館内閲覧しかできず、貸出不可だ。それで今日は何も借りずにおこうと決めていた。返しに来るのも大変なんだ。車で一時間はかかる。二週間しか借りられないのも難儀だしなあ。
借りるつもりがないので、漫然と棚を見て歩く。
カウンターに行くともう用意されていた。でも『太陽』のバックナンバーの号が違う。目次を見ても、やはり「センセイの鞄」がない。「これ違うんですけど」と申し出て、バーコードを読み取ってもらい、確かめたが、コンピューターに間違いはない。おかしいなあと、号をメモした自分のノートを確かめる。どうも、僕が間違えた可能性が大きい。最近はよくあることだ。関西スーパーでも小銭の計算をときどき間違える。司書の人に事情を説明して、交換してもらうことにした。また二十分ほど待つことになる。
こういう時は、本当に気がひける。司書の人は、暗い書庫まで急な階段を下りて行き、カビ臭い空気をかきわけ、沢山の棚の間を彷徨い、細かい数字(年号や号数)を確かめて、注文の雑誌を探すのだろう(一部先入観あり)。
その点、新しくできた伊丹市立図書館は大したものだ。詳しいシステムはわからないが、カウンターの後ろの所へ、数十冊入った箱を機械が運んでくるのだ。司書の人はその箱の中から注文の本を抜くだけでいい。利用者としても、気楽に出庫を頼める。
『太陽』を待つ間に、『中央公論』の谷崎潤一郎賞の選評を読んでみた。一読、遠くまで来た甲斐があったと、感慨にふけった。松本和也氏の引用からはわからぬ発見が、いくつもあった。それはもちろん松本氏が悪いわけではない。引用は引用者の関心の在りどころを示すにすぎないのだから。
で、選評の全体を読んで、僕は何を発見したか。(続く)
三 丸谷才一の選評がすごい
六人の選評はどれも『センセイの鞄』という小説の特長をうまく言い当てていて、さすが同業の作家だけあると感心する。全部引用したいくらいだが、それぞれ一文程度にとどめておくと。
河野多恵子《会話、特に「センセイ」の言葉には、事柄のおもしろさに加えて、その独特の言い廻わしに、作者の閃きと工夫があって、見事なものである》。
井上ひさし《…徹底した低回趣味あるいは恋物語にそぐわないものだけを組み合わせた手法がいたるところで諧謔味を生み出しているが、それがちっともいやらしくないからふしぎだ》。
日野啓三《普通の生活者としての日常感覚と、自覚的な小説家としての尖鋭な文章感覚との“反対の一致”の柔軟な強靭さは、驚くべきものである》。
筒井康隆《この作品の成功は、作者が今までのファンタジーの文体、手法のままで、通常の恋愛小説を書いたことに起因している。そのため、ちょっと今までお眼にかかったことのない、異様な傑作となった》。
池澤夏樹《この小説を非批評的に要約するならば、最も優れた居酒屋小説ということになる。……居酒屋の豆腐の味を、居酒屋の孤独感とともに、よみがえらせるというのは、小説の伎倆としては実は尋常ではない》。
もう絶賛の嵐という感じで、『センセイの鞄』を前にして選者みんながある熱気に包まれている。もう一人の選者丸谷才一も《われわれの文学の変容と成熟を示す花やかな事件》と述べており、高い評価を下している。
実は、僕は丸谷才一の選評に最も共感した。発見というのはこのことだ。もう少し紹介してみる。
丸谷才一は《軽みを狙って成功しているのである。その意味でこれは俳諧的な小説だ。》これだけでも大したものなのに、彼はこの小説の欠点を二つ指摘する。《「干潟―夢」という章は感心しない》、《センセイからみれば恋がたきの若者がもう一つ綾が足りない》。さすが、丸谷才一。
小説を読むときに、補助線を引くと、わかりやすいことがある。僕は『センセイの鞄』の補助線として、川上弘美がSF研究会出身だということと、長く俳句を実作していることをあげようと考えていた。丸谷才一の選評は、この二つと重なるのだ。(続く)
四 雑誌『太陽』をチェックする
カウンターに行くと、交換を依頼した『太陽』のバックナンバーが用意されていた。受け取って、確かめたかった点をチェックした。
①連載第一回「月と電池」と単行本第一章「月と電池」は同じだろうか。冒頭や結びなどを見る限り同じだった。
②連載第二回「干潟」と単行本第十四章「干潟ー夢」は同じだろうか。それではうまくつながらない箇所がある。僕の推測どおり、第十五章「こおろぎ」に最小限の加筆があった。それは十五章冒頭《ここのところひきつづき、センセイと会っていない。/あの妙な場所に行ってしまったから、というのでもないが、わたしから、避けている。》の下線部分が書き加えられている。
③連載第四回「パレード」と単行本『パレード』は同じものだろうか。ざっと見る限り同じだった。
④連載第三回「ひよこ」や第五回「二十二個の星」は単行本第二章「ひよこ」や第三章「二十二個の星」と同じだろうか。ざっと見る限り同じだった。
これらの事実から推理すると、こうなる。
a 川上弘美は雑誌原稿を、「基本的には大きな加筆修正を行わずに」単行本に収録した。
b 但し、「干潟」だけは、小説全体での位置を後ろに持っていき、つながりを考慮しその次の章に最小限の書き加えを施した。
c そして連載第二回の「パレード」を一旦、単行本『センセイの鞄』から外し、のちにそれを独立させて、単行本『パレード』として 刊行した。
何故、こんなことをしたのだろうか。第二回「干潟」と第四回「パレード」はどのような内容だったっけ、と思い出してみると、ああなるほど、そうかと納得がいく。それは「干潟」というタイトルが単行本でさりげなく「干潟―夢」と修正されていることと関係がある。川上弘美は連載開始の頃は、この小説に「ファンタジー性」(それはSF性、あるいはうそ話性)を許していたが、単行本化する頃には作品世界・ほろ酔いの世界を「現実」の側に留めておこうとしたのだ。(続く)
五 SFと俳句
そもそもこの「読書の宝探し」は、軽い読み物風に書こうとしていたのに、だんだん真面目に、分析的になってきた。人間どんなに隠そうとしても本性は現れてしまうようだ。
《軽みを狙って成功しているのである。その意味でこれは俳諧的な小説だ。》と丸谷才一も言っていたじゃないか。重苦しく論じてどうする、と反省。
で、俳諧的な小説。思い起こせば、もうおおかた四十年前、兵庫県の教員採用試験を受けた。加古川が会場だった。そのときの問題に、「俳諧とはどういう意味か説明せよ」というのがあった。答えられなかった。今でも、思い出すと額に汗が。僕は大学時代、戦後文学やドストエフスキーはだいぶ読んだが、俳諧は……。面接試験でも「好きな和歌は」とたずねられて、「ありません。和歌は嫌いです」と答えて、あれでよくまあ合格したものだ。あの年は確か、高校国語科の倍率は1.5倍くらいだった。隔世の感がある。
川上弘美は大学時代SF研に入って同人誌を出していた。ニューウェーブSF雑誌『季刊NW―SF』に短編を発表し、卒業後はNE―SF社が休刊になるまでここで働いていたらしい。つまり、彼女の初期の短編「神様」にしても「蛇を踏む」にしても、童話・民話ラインよりも、SFの延長線上で考えた方がいい。それなら、川上弘美が「3・11」以後に「神様2011」を書いたことも、少しニュアンスが違って見える。
「神様」は第1回バスカル短編文学賞受賞作だが、これはバソコン通信の文学賞だった。筒井康隆が審査員。川上弘美の文学的な出発点はSFにある。
もう一つの補助線が「俳諧」だ。川上弘美はこのパスカル短編賞の頃に知人から誘われて俳句の会に出るようになり、以後、小澤實主宰の『澤』に投句、さらに長嶋有らと俳句誌『恒信風』をやっているそうだ。俳句歴は長い。句集『機嫌のいい犬』(2010)を出しているほどだ。いくつかランダムに引いてみる。暴れん坊ぶりの一端がわかるかな。
はっきりしない人ね茄子投げるわよ
この夏でバカヤロ日記三年目
名づけても走り去りたるむじなかな
白シャツになりすもも食ふすもも食ふ
泣いてると鼬の王が来るからね
秋の夜や古家の屋根に猫うじやうじや
接吻は突然がよし枇杷の花
ポケットに去年の半券冬の雲 (続く)
六 川上弘美は内田百閒が好き
『センセイの鞄』を読むときの補助線として、SF、俳諧の二つを考えていると言ったが、もう一つ引くべき補助線があるとしたら、それは内田百閒だ。
川上弘美が内田百閒を好きなことは有名。例えば新潮文庫の『百鬼園随筆』の解説を彼女は書いている。その中からいくらか抜いてみると
《常識的な世界からのごく自然な逸脱。現実から遠く離れてはいないが、必ず背後に漂っている幻想性。直截な表現。》
《…いつの間にか世界が迷宮、それも地べたに子供が棒の先で書いたような迷宮に成り変わってしまったような印象の、百閒の小説世界…》
百閒を語りながら、ほとんど自分のことを、自分の小説世界を語っているようだ。
『センセイの鞄』の第七章「多生」で、センセイは内田百閒の素人掏摸という題の短編の話をし、「百閒は実にいいですね」と天真爛漫な表情で言う。そして、ツキコとセンセイにからんできた酔っ払いの、耳にある三つのピアスの一番下の大きいのを、センセイは「すってやりました」「まあ、百閒に倣ったというようなわけです」と言うのだ。この章のラストは、こうなる。
《「久しぶりに、すりました」/そういえば、センセイ、いつごろすりの技を身につけたんですか。/「前世でね、ちょっとね」センセイは言い、くすくすと笑った。/センセイとわたしは、かすかに春になりかかっている空気の中をゆっくりと歩いてゆく。月が、金色に光っている。》
この金色の月と、センセイのてのひらにあった金色のピアスが、重なる。
僕はこの「読書の宝探し」の冒頭で川上弘美の『東京日記』がとても面白いという話をしたが、「東京日記」というのはそもそも内田百閒の有名な作品で、その題を貰っているのだ。
僕が、内田百閒の名前を最初に意識したのは、実は映画だ。鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』は、僕のベストテンに必ず入る作品。一九八○年の夏、わざわざ東京まで見に行った。当時、特設のドームで単館上映していて話題になっていた。この映画は、内田百閒の「サラサーテの盤」が、ヒントになっている。映画の中の一つのエピソードとして使われているのだが…。映画は性と死の幻想にみちた怪異譚で、けれんみたっぷりの演出も冴え、原田芳雄も大谷直子も大楠道代も最高だった。(続く)
七 あとがきのうそ
『センセイの鞄』は、2001年6月に出版されて、当時週刊誌でもとりあげられるほどのベストセラーになり、川上弘美の存在は一気に世間の人々の知るところとなった。規模は違うが、村上春樹の『ノルウェイの森』と似た大衆化現象が起こったわけだ。2003年には、久世光彦演出、小泉今日子、柄本明主演でテレビ映画(wowwow)が作られ、いくつも賞をとっている。
『パレード』は、本編の一年後、2002年の5月に刊行されている。続編かと思った人も多いだろう。あとがきには、こうある。
《終わってしまった物語のことを、ときどき考えます。……たとえば『センセイの鞄』という物語。センセイが死んだあと、ツキコさんはどうなっていったのだろう。小島孝は。サトルさんの店は。さらにさかのぼるならば、センセイがまだ生きていたころ、センセイとツキコさんは、ほんとうのところ、日々どのように過ごしていたのだろう。酒場で会っていないときは。一人一人で過ごしているときは。たまにデートするときは。旅行に行くことだって、きっとあっただろう。/そんな、本には書かれなかった、作者であるわたしも知らない、センセイとツキコさんとの時間を、物語を書きおえてしまった後、わたしはふと考えたりするわけです。遠いこだまを聞くときのような心もちで。/初夏のある日。ツキコさんとセンセイは、この本に書いてあるような日を過ごしたかもしれません。またある日は、ちがう時を過ごしたことでしょう。/作者も知らなかった、物語の背後にある世界。そんなものを思いながら、本書をつくりました。終わってしまった物語のよすがとして読んでくだされば、さいわいです。》
これを読めば、素直な一般読者は、『センセイの鞄』完成後に、作者が改めて、姉妹編というか、番外編というかを、新しく書いたんだなと思ったはずだ。僕もそう思っていた。弘美にだまされた。四に記したとおり、もともと「パレード」は連載第二回の話だったのだ。美人のうそつきはたちが悪い。あなたのこと嫌いじゃないのよ、などと、しれっとうそをつくから、うぶな青年はころっと信じてしまうのだ。
下線部をよく読めば、確かに《本書を書きました》ではなく《本書をつくりました》とある。この本は連載時のものと同じ長さ(『太陽』の五ページ分)なのだが、冒頭の一文で一ページとってあったり、挿絵を沢山入れたりして、小ぶりな一冊の本に仕立て上げている。
村上春樹はデビュー作『風の歌を聴け』の中で、作家デレク・ハートフィールドの伝記を紹介し、あとがきでも彼に出会わなければ小説を書かなかっただろうと謝辞を述べ、墓参りの話も添えて、世間の人々に架空の作家の存在を信じ込ませた。それに比べれば、弘美さんのうそは、ささやかだが、読者が気づきにくい巧妙なうそだ。(続く)
八 梅若菜毬子の宿のとろろ汁
川上弘美の「東京日記」がWEB平凡社に掲載されているので、時々のぞく。一月ごとに更新されているらしい。最新の回にこんなのがあった。一部引用してみる。
《八月某日 晴
原稿が進まない。
ネットで、「あなたが一番もてる年齢」というものを調べてみる。
川上弘美は、六歳。
ちぇっ、と言いながら、ためしに「かわかみひろみ」で調べると、こちらは、七十七歳。
ちなみに、長男は八十六歳で、次男は十七歳(すでに終わっている)。
ため息をついて、原稿に戻る。》
本当にこんなのがあるのかな、また「うそっこ話」かなと思い、「あなたが一番もてる年齢」をネットで探してみた。「あなたが一番モテる年齢」というのがあった。「藤本英二」で検索してみると、63歳と出た。うーむ、微妙。もう一山あるのか。ちなみに、息子は13歳だった。(君のピークはもう終わってるのだから、今の彼女を大事にするように、とメールを送る。)娘は100歳と出た。(これは怖くて教えられない。そんなに長生きするのかな。)
で、『センセイの鞄』に戻る。一見小品のようだが、軽みを狙って成功している、俳諧的小説というのが丸谷才一の評だった。
伝統的に花鳥風月を詠う、小説に花鳥風月を配するという意味でも、この小説は俳諧的と言えるだろう。四季の移ろいも市井の行事も取り入れて、小説世界はゆっくりと流れていく。市が立ち、キノコ狩りがあり花見があり潮干狩りがあり、梅雨の雷があり、星を数え、月を眺めて……。そうした伝統的な風物に、汽車土瓶、テスター、豚キムチ弁当、ラジオの野球中継、ワライタケ、ウィルキンソン社製の炭酸水、耳に三つのピアス、パチンコのラッキーチャンス、I?NYのTシャツ、ディズニ-ランド、携帯電話が取り合わせられる。伝統的な花鳥風月の風雅な世界に留まることなく、現代的な俗で新奇な世界に流されることもなく、そのあわいにたゆたうように小説は自分の位置を定めている。
仲直りのために買った卸金を渡すと、センセイは「梅若菜毬子の宿のとろろ汁」と芭蕉の句をとなえる。小説には、次々とうまいものが出てくる。まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう、さらしくじら、もずく、枝豆、焼き茄子、たこわさ、塩うに、湯豆腐、キノコ汁、林檎、ぶりの照り焼き、おでん、クレープ、チーズ入りのオムレツ、チシャのサラダ、牡蠣のくんせい、とび魚の刺身、かつおのたたき、そら豆、……(続く)
九 意外なものの取り合わせから生まれるおかしみ
俳句の要諦の一つに、二つの異質なものの取り合わせの妙がある、と思う、素人の意見だけど。
そう思って見ると、『センセイの鞄』は随所に意外なものの取り合わせから生まれるおかしみにあふれている。
例えば、最終章のこの場面
センセイは自分の不安をツキコさんに告げて、こう言う。
《「その、長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」……/「いいですよ、そんなもの。しなくて」わたしはあわてて言った。》
セックスとか性交とかいう普通の言葉が使われず、比喩的(いたすは提喩だしね)に示唆されて真面目な口調で会話が続くこともおかしいが、さらに
《「ツキコさん、体のふれあいは大切なことです。それは年齢に関係なく、非常に重要なことなのです」昔教壇で平家物語を読み上げたときのような、毅然とした口調だ。》
まさかここで「平家物語」が出てくるとは。このイメージの飛躍は凄い。
そして、川上弘美の文体の特徴の一つは「同じ言葉の集中的な繰り返し」にあるのだが、この場面でもその特徴が鮮やか。こう続くのだ。
《「でも、できるかどうか、ワタクシには自信がない。自信がないときに行ってみて、もしできなければ、ワタクシはますます自信を失うことでしょう。それか恐ろしくて、こころみることもできない」平家物語は続いた。/「まことにあいすまないことです」平家物語をしめくくりながら、ふかぶかとセンセイは頭を下げた。》
「センセイの人間性」×「ツキコさんの語り口調」から、上質なおかしみが生まれている。
この会話を経て、センセイとツキコさんはデートで水族館へ行く。
《「センセイ」とわたしは呼びかけてみた。/「なんですか、ツキコさん」/「センセイ、好き」/「ワタクシも、ツキコさんが好きです}/真面目に言い合った。わたしたちは、いつでも真面目だった。ふざけているときだって、真面目だった。そういえば、まぐろも真面目だ。かつおも真面目だ。生きとし生けるものはおおかたのものが真面目である。》
「まぐろ」と「真面目」の取り合わせ、イメージの飛躍に驚きながら、笑みが浮かぶ。それが、かつおへ進み、生きとし生けるものへと進むとき、「真面目」という言葉は、これまでとは違った新しい言葉に生まれ変わっている。文学の力はここにある。