《まえがき》
この辞典は、『藤本卓教育論文集』編集工房のHPに出てくることばについて、説明したものです。このHPの記述を理解する一助として、急いで作ったもので、まだ語彙が少ないし、間違いもあるかもしれません。こんなことばも入れて、ここをこう付け加えて、こう訂正して、などの要望を広く求めます。友人、知人、卒業生のみなさんの協力をお願いします。
藤本卓氏をさすことばが、先生、藤本先生、藤本くん、卓さんといろいろ変化しているのは、執筆者の違いによります。とりあえずは統一せずにおきます。
なお、新しく書いたものは一時的に文字の色を変えています。
ア行
・アイスキャンディ……学生を連れて丸木美術館まで歩いていくのが恒例の行事だったとか。大学からざっと5~6kmはある。夏場にアップダウンのある坂道をよく学生は歩いたものだ。毎年、奥さんが川原まで、アイスキャンディを差し入れに行っていたらしい。「アメとムチ」か?一度だけ冬にやったことがあり、その時は豚まんを差し入れたとか、(2020・6・19、真美子証言による)
ちなみに、「アイスキャンディと豚まん」とくれば、関西人ならだれでも「551の蓬莱」と答える。
・『あきらめない教師たちのリアル』……原題の「オレンジとレモン」がうまく訳せなくて、こうなった。
・イギリス……2006年4月から2007年3月まで、ロンドン大学・教育研究院客員研究員として、一年間、イギリスで在外研究をしている。
・池袋ジュンク堂書店……よくここの四階(人文・教育・心理)で、卓さんと待ち合わせた。同じフロアにカフェがあり、話し込んだ。禁煙が時代の趨勢となり、煙草を吸うために、外の席に行くようになった。
・海燕の会……「うみつばめのかい」の名前はロシアの文学者ゴーリキーの詩「海燕の歌」に由来する。命名者は卓さんだった。神戸大学ゼミナール実行委員会のメンバーが卒業後も毎年夏冬二回集まって、一泊二日で学習会や、近況報告をした。1976年から79年まで続き、一旦中断、1984年から再開され、年1回夏に集まった。1986年まで続いた。卓さんは、その頃学会などで発表していたものをここでみんなに報告していた。(著作一覧を参照)
ちなみに1985年の会場は神戸の旅館「富貴」。勉強会が終わり、テレビをつけると、日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落したというニュースのまっさい中だった。8月12日のこと。なお「富貴」は、映画『太陽の子』(原作灰谷健次郎、監督浦山桐郎)で、ちらっと映っていた。浦山桐郎は吉永小百合主演の『キューポラのある街』の監督であり、彼の甥が絵本『はせがわくんきらいや』の作者長谷川集平である。
・映画上映会……①公開ゼミとして、藤本ゼミで行なっていたイベント。2014年度は「世界の果ての通学路」の上映会を行った。 ②2005年『こんばんは』、2010年『里山っ子たち』、2014年『世界の果ての通学路』、と三度、藤本ゼミで取り組んだ。③大学時代にも、『どぶ川学級』の上映会を実施した。④この取り組みの重要性について「藤本卓教育論辞典」に詳しく論じられているので参照せよ。
・演劇……卓さんは高校時代、演劇部に所属していた。アーサー・ミラーの「橋からの眺め」を演出し、文化祭で上演した。多くの友人がエキストラで参加していた。 演劇部のメンバーで神戸労演に入会し、三ノ宮まで演劇を観に行っていたそうだ。
(「労演」とは、「勤労者演劇協議会」の略称。勤労者のための全国的な演劇鑑賞団体。近年は「演劇鑑賞会」「市民劇場」などと名称を変更している。)
・大イチョウ……①基礎演習の授業で、希望者のみで見に行った、大学近くのイチョウの木。知る人ぞ知る名木。たぶん何かが棲んでいる。
②大東文化大学のすぐそばにある坂東三十三観音、第10番巌殿山(いわどのさん)正法寺(しょうぼうじ)境内にある樹齢700年の大銀杏。卓さんの好きな場所のひとつで、大学や自宅に招いた友人をよくここに案内した。
・『おはよう』……上映会の映画名は、正しくは『こんばんは』。定年までの十年間、勤めていた宝塚良元校(夜間定時制)では、登校してきた生徒にこうあいさつしていたので、つい間違えた。
カ行
・神田古書街……東京で下宿していた卓さんに、初めて連れて行ってもらった。古本屋が一杯あって、びっくり。僕の興味にあわせて何軒か案内してくれた。話の種にここも行くかと、「芳賀書店」のビルにも。これが噂の「ビニ本」か、都会はやっぱりすごいなあと、感心したが、中身は見ることができなかった。
・感想文集
・木更津社会館保育園
・きのくにこどもの村小学校
・近教ゼミ
・群緑……「グンリョク」と読んでもよいが、正式には違う。詳しくは「「むれなすみどり」の項目を見よ。
・訓練論的生活指導…藤本教育論の基礎概念。「集団づくり」とは別の「生活指導」の在り方をさぐって考えだしたことば。詳しくは「藤本卓教育論辞典」を参照。
・研究室……ゼミ室の項③を参照せよ。
・公開ゼミ……藤本ゼミが、毎年1月、2月に行なっていた、学習発表を兼ねたイベント。その時のテーマに応じて様々な講師を呼んだ。夜の打ち上げが終わるまでが本番。
・『高校生活指導』……大東文化大学板橋キャンパスの図書館には全巻そろっている。ここが自由に使えるのなら、国立国会図書館の遠隔複写サービスを使わずに済んだのに。
・『公論よ起これ!「日の丸・君が代」』……教育雑誌『ひと』の別冊として1999年に発行された。責任編集藤本卓。卓さんはプロローグ「99「日の丸・君が代」問題の新局面 ほんとうに問われるべきは何なのか」を執筆し、歴史研究家の網野善彦氏とも対談している。
・『こんばんは』……2004年に公開された森康行監督の夜間中学を描いた長編ドキュメンタリー映画。キネマ旬報文化映画ベスト1ほか多くの賞を受賞。藤本ゼミのメンバー6人が有志を募り、11人で上映実行委員会を結成。2005年12月の2日間で250人を超える参加者を集め大成功させた。
藤本ゼミの活動実態をさぐるべく、残された資料を元に、編集長がゲストが語りあうという企画の第一弾として取り上げられた。「編集長とゲストが読む―『学び欲がいっぱい 『にんばんは』報告集』のページで読めるが、かなり長いので、それなりに気持ちの準備が必要か。
サ行
・サイニィ……「CiNii」は学術情報を検索できる。
「日本の論文をさがす」のページの「著者検索」に藤本卓と入れて検索すると、31件出てきた。
よく見ると「高知県下の農耕地の土壌解析学研究」とか、「ユビキタス環境における調理コーチングシステムの検討」とか、「銅酸化物ナノ微粒子の自己組織化構造」とか、「僧房弁逸脱と僧房弁逆流を伴う肺静脈瘤の1例」とか、もうなんのことやらわからん論文名が出てきた。それでも31件だから、ひとつずつ検討すれば、卓さんの論文に行き着ける。
間違っても「論文検索(フリーワード)」に藤本卓と打ち込んではいけない。藤本卓司氏、藤本卓生氏、藤本卓矢氏たちも、乱入し、297件も論文が出て来て、収拾がつかなくなる。
・サシ飲み……ゼミが始まってすぐ、一人ひとり先生と呑んだことがあった。いい歳したオジさんとサシ飲みというのがすごく新鮮だった、とか。
・座禅……息子を連れて座禅に通ったとか。これが「希望者による高野山見学と宿坊体験付きの28年度冬合宿」につながるのかな。いやいや高野山は確か真言宗、座禅は禅宗のはず、ちょっと宗派が違う。
・『里山っ子たち』
・塩釜焼き……正月に明石から鯛を取り寄せて、塩釜焼きにするのが、藤本家の恒例行事であった。土山の実家を思い出して、卓さんが作っていたとか。
・詞集たいまつ ――人間に関する断章604――
……1967年「三省堂新書1」として発行。序章では「コトバの成立について」と題して「全体重をかけて語る」ことが述べられている。「いきる」「すすむ」「まなぶ」「はいる」「むすぶ」の5章にわたって604の詞が掲載されている。結章は「コトバの伝播について」である。「一句を、一句だけを受けとめてあなたの体重ですりつぶしてほしいと願う。」を受けて、卓さんと同級生たちは、それぞれの選んだ一句を体重ですりつぶすべく語り合った。くりかえし、よく読まれたのは次のような詞である。
* 美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。(29)
* 恋するとは、心を変えることである。自分を変えることによって相手を変えようとする決意である。相手によって自分が変えられたいとする願望である。(98)
* さびしいときにそのひとを思えば慰められる、そんな友はほしくない。怠けるときにそのひとを思えば鞭うたれる。そんな友がほしい。友のために、私もそういうものでありたい。(100)
* 学ぶことをやめれば、人間であることをやめる。生きることは学ぶこと、学ぶことは育つことである。(244)
* ほしいものは、記憶の羅列ではない。ほしいものは、知恵である。判断である。断ち割って内部からホントをひき出す力である。知ったことを行ないにかえる力である。(282)
* 怠けることを何かに抵抗していることだと思うのは、最もみじめな怠惰である。(339)
・書見台……長時間、机で本を読んでいると、前かがみになり猫背になるので、それをさけるため書見台(木製)を作り、これを使うようになったらしい。ほとんど、江戸の儒学者。
・『世界の果ての通学路』
・ゼミ合宿……①年に2、3回行っていた。その時の学習のテーマに応じて、行き先を決定。基本的にコテージで自炊。そして藤本先生は学生が作ったものを食べていた。最終日には観光地に行ったり、温泉に行ったりと割と自由。起床は普通だが、就寝は宵っ張りの先生に合わせてとても遅くなる。でも途中で諦めて寝ても怒られない。②木更津、湯河原、長野、などに行っている。東松山キャンパスの学生宿舎での宿泊学習会もあった。③平成28年度冬合宿では、希望者による高野山見学と宿坊体験というおまけつきであった。
・ゼミ室……①本が山積みになり、散らかり放題。「地震が来たら、確実に下敷きになるね。」と、ゼミ生たちは話していた。不思議なことに居心地が良かった。藤本先生の温かさがあったからこそなのかな?②ダンボール箱につめられた「映画上映会の報告集」などが、置かれているはず。お宝の山ともいえる。③(正式には研究室)手前に書棚があり、中央に机と椅子、書棚で仕切った奥に先生のスペースがありました。守衛室でカギを借りれば自由に出入りできました。とのこと。
・全教ゼミ
タ行
・大学教育実践家……教育者藤本卓を考える上でのキーワード。彼には教育哲学を研究する大学教授という顔と、大学生相手に「教育実践」をする一人の先生という顔があった。この二つの顔が別のものではないことは、藤本卓教育論辞典に詳しく論じられている。
・タイニイアリス……新宿二丁目にあった小劇場。若手の登竜門だったらしい。新宿梁山泊などが公演している。一九八三年に開館し、二〇一五年に閉館した。
・タバコ……藤本先生といったらタバコ。ゼミ室よりも喫煙所にいる確率の方が高かったかも知れない。喫煙所で課題の話をした学生も多い。
・遅刻……卓さんは大学時代、学習会によく遅刻してきた。ひどい時には一時間近くも。僕らはあきれ、やがてあきらめ、そして慣れた。パンクチュアリティ―(時間厳守)ということばが当時の彼の辞書にはなかったのではないか。
僕が定時制高校に勤務していた時、授業見学に来たことがある。「今日はわざわざ東京から大学の先生が僕の授業を見に来るから、みんな答えが分かっている時は右手を、分からない時は左手を挙げるんやで」、と生徒とちゃんと打ち合わせをしていたのに、卓さんはこの時も遅刻。しかたなく打ち合わせをしてない別のクラスの授業を見せた。予定してたのは村上春樹の「バースディ・ガール」のクライマックスやったのに、その一時間前を見せることになった。
・土山……卓さんの実家のある所。JRは西明石までは結構本数があるが、そこから西は本数がぐっと減る。西明石、魚住、大久保、土山、つまり西明石から西へ三つ目の駅なので、神戸、三宮へ出るのには時間がかかる。これが遅刻の一因だったかも。
・『どぶ川学級』……1972年公開の独立プロの劇映画。労働組合が組合員の子弟のために学習塾をひらいたという実話に基づく。原作は須永茂夫。卓さんの提案で、上映会をやった。この活動をステップにして、1973年4月にゼミナール実行委員会が結成された。「卓さんを偲んで」のページでも少し触れている。主演の山本亘は、山本圭の弟。僕に似ているといわれたが、「似てない、僕の方が男前だ」、と個人的には思ったものだ。
ナ行
・長電話……年に何回か、電話をしたが、たいてい長電話になった。短くて30分、長いと1時間近く。そのうち8割5分ほどは、卓さんが喋っていた。喋り出したら、止まらない所があった。イギリス滞在中はさすがに電話はしなかったが、長いメールがきた。
・中島みゆき……年来のファンである僕(なみふく会員)に、実は私も隠れファンなのだと告白してきたことがある。そして「命の別名」について熱く語っていた。
一番の歌詞はこうだ。《知らない言葉を覚えるたびに/僕らは大人に近くなる/けれど最後まで覚えられない/言葉もきっとある//何かの足しにもなれずに生きて/何にもなれずに消えていく/僕がいることを喜ぶ人/どこかにいて欲しい//石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ/僕と生きてくれ/くり返す悲しみを照らす 灯をかざせ/君にも僕にも すべての人にも/命に付く名前を「心」と呼ぶ/名もなき君にも 名もなき僕にも》
大学生たちにもこの歌について語っていたのだろうか。この冒頭だけでも「大人」「覚える」などのキーワードが入っている。ここから「藤本卓教育論」が始まった?
・庭仕事……本人はガーデニングと言っている。高い樹の枝切りは卓さんの担当だった、とか。2018年、作業中に梯子から落下して胸椎と腰椎の2カ所を圧迫骨折し、医者から入院2週間、全治3ヶ月を宣告された。
ハ行
・ハイライト……主のいなくなった書斎に、封を切ったタバコの箱が残されていた。僕が初めて会った1971年のあの日と同じ銘柄のハイライトだった。
・パストラル・ケア……英国で生まれた教育用語。卓さんは日本の「生活指導」と比較して考えていたようだ。「並行シェーマ」にもその影が見える。詳しくは「”パストラル・ケア、その叢生と褪色」を参照のこと。
・『はせがわくんきらいや』
・『ひと』
・ビフカツ……卓さんが、「神戸にはビフカツというものがあるらしい」と言うので、神戸のサンチカ(三宮地下センター)で店を探してまわり、小さな店で並んで食べた。2018年9月24日、これが最後に会った時になった。
・藤本英二……この編集工房の編集長。研究会の席で、初対面の人に「私の腹違いの弟です」と冗談まじりに紹介されたこともある。
・藤本卓教育論辞典…氏の教育論を考えるうえで、必要不可欠な用語を解説した貴重な辞典。但し、適当な執筆者がなかなか見つからず、刊行の見通しはたっていない。。
・フジモン……大東文化大学の学生たちは、こう呼んでいたらしい。
・並行シェーマ……①正しくは《「教育」「学習」の並行シェーマ》。藤本氏が模式図として考えていた。おそらくこれが、藤本教育論の全体図になるはず。詳しくは「藤本卓教育論辞典」を参照のこと。②2007年の「並行シェーマ」は、このページで見ることができる。
・編集日誌……①新しいページの新設が予告されるので眼が離せない。例えば「教育実践家としての藤本卓」「編集工房辞典」「ゼミナール運動論覚え書き」「アルバム」「ゲストとの対談」「シラバス」「並行シェーマ」「藤本卓論文」などは編集工房スタート時点ではなかったページだ。次は「藤本ゼミの歩み」が予告されている。②6月3日から始まり、東松山市に行った6月19日を除けば、毎日更新されている。こんなことなら、前もって、あるいはあとからそっと、19日分を作って入れておけばよかった。
マ行
・丸木美術館……
①藤本先生の、主に基礎演習の授業で例年行っていた、東松山市にある私設の美術館。美術館を見た後の川遊びで、全身びしょ濡れになった学生は数知れず。
②「7月7日、あいにくの天候で小雨が降る中、古民家や壮大な森林・田畑が広がる道を抜け、都幾川をこえて、私たち2年Eクラスはおよそ2時間かけてこの丸木美術館に到着した。美術館の隣にある建屋で小休止させていただき、今回の目的である美術館見学へ。見学後の授業で視聴したビデオで、この建屋が丸木夫妻が晩年にアトリエとして使っていた歴史ある建物だということを知った。」関口美晴氏のレポートより
③唯ひとりの学芸員岡村幸宣さんが、『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌 2011-2016』を出版している。
・むのたけじ
高校2年のとき、自主休校していた卓さんは、秋田県横手市まで、むのたけじを訪ねている。
むのたけじは、朝日新聞記者として戦争に加担した記事を書いたことに責任を感じ、敗戦と同時に辞表を書く。その後、郷里の秋田県で、個人新聞「たいまつ」を創刊し、101歳で亡くなるまで「戦争絶滅」を訴え続けた。反骨のジャーナリスト。
当時52歳だったむのたけじから、卓さんはどんな話を聴いたのだろう。その年(1967年)発行された「詞集たいまつ」は卓さんによって紹介され、同級生たちの間で熱心に読まれた。
「群緑」2号(ゼミナール運動論覚書Ⅱ)のなかに、「詞集たいまつ」の詞が出てくる。
「どのように生きるかにあせる人は多い。なんのために生きるかになやむ人は少ない。
生きる目的がはっきりすれば、どのようにしてでも生きていけるのに。」
→「詞集たいまつ」の項参照。
・群緑……「むれなすみどり」と呼ぶ。神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会の機関誌。0号の編集責任者が藤本卓さんだった。創刊号には誌名の由来が、こう書かれている。
《新緑のころ、野に日ましに緑を濃くする、一群の木々をイメージして下さい。〈緑〉は私たちの研究の清新さを、〈群〉は友情の力強さをあらわしています。緑があせることなく、群落がその広がりをますように…。読みは〈むれなすみどり〉とつけました。「グンリョク」ではイメージが湧きにくいのですが、力強さのお好きな方は、そう呼んでくださっても結構です。》
卓さんがこの名前「群緑(ぐんりょく)」を提案し、ちょっと硬すぎるという声があがった時、加藤順一さん(文学教育研究会)が「むれなすみどり」と読ませたらと提案したのだったと思う。
・名誉教授……退職後に贈られる称号。ノーベル賞受賞者には名誉だけでなく、約9700万円の賞金も贈られるが、名誉教授になっても経済的なメリットはないそうだ。
・モカ……寺山修司に「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」という歌がある。好きな歌だ。神田で、卓さんに「コーヒーでも飲もうか」とある店に案内された。「何がいい?」ときかれて、最初何をきかれているのかわからなかった。コーヒーと言えば、ホットかアイスしか知らなかった。壁を見ると、コーヒーの銘柄がずらり、原産地から、その味も酸味が……、苦味が……と、いろいろ書いてある。迷っていると「まあ、最初はモカがいいんじゃないか」と勧めてくれた。あれが、銘柄を指定してコーヒーを飲んだ最初の日だ。
ヤ行
・ユンケル……熱っぽいのに発表しなければいけない時とか、体調がわるくなるとよく飲んでいたらしい。ユンケルには、種類やランク、値段の違いがあって、状態によって飲み分けていたようだ。ユンケル黄帝液、ロイヤル、ロイヤルプレミアム、……スパークユンケルDCF……ざっと30種類ある。
ラ行
ワ行
・『若者たち』
その他
・CiNii……「サイニィ」を見よ。