藤本卓の仕事
藤本英二
⑴
藤本卓は、若い頃から竹内常一に師事し、高生研の活動に深く関わった教育学者である。1984年から2003年の間に、本誌に掲載された彼の論文、インタビュー記事、座談会記事などは33点にのぼる。現代の教育の実態から眼をそらさず、同時に哲学的な探求を試みながら、日本固有(根生(ねお)い)の教育概念である「生活指導」の理論的性格づけを追究した。
〈教育の方法を教科外の視角から基礎論的に考察する〉ことが自分の研究者アイデンティティだと語っていた。
その教育論をまとめようとした矢先、昨年3月癌のため69歳で急逝した。
著書に『公論よ起これ!「日の丸・君が代」』(編著、1999)、『あきらめない教師たちのリアル ロンドン都心裏、公立小学校の日々』(ウェンディ・ウォラス著、翻訳、2009)などがある。今回出版された遺稿集『藤本卓教育論集─〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉─』(鳥影社、五月発行)には、代表な18の論文が収録されている。
⑵
80年代の登校拒否・不登校、いじめ問題などに対し、対症療法的対応だけでなく、現行の教育制度を問い直し、学校そのものを変える必要があると主張。学校を内部から変えるものとして生活指導を位置付けた。
「現代を聴く」(1988~90、全6回シリーズ)は、精神医療、労働者協同組合、現代演劇、アジア女性のかけこみセンター、ナショナル・トラスト、現代社会論、など諸領域の人々から学ぶことで生活指導運動の活性化を目指したインタビューである。
「生活指導実践は『学校』を問う」(1989)、「共同の世界に自治と集団の新生をみる」(1990)では、「支配としての学校」のヒドゥン・カリキュラムの反転を目指し、〈閉鎖系の訓練論〉ではなく〈開放系の訓練論〉(開かれた場、目標自体の問い返しをも含む訓練。藤本の造語)の展開を提案している。かつての60年代の「集団づくり」論は子ども・青年が自分たちのかかえる諸問題を自治活動によって解決するように導くことを課題としていたが、この回路では現代の子ども・青年のかかえる問題の芯をゆすることはできないとし、生徒のリアルな必要に渉りあう〈自治集団〉の必要を説き、そのモデルを〈協同組合〉に求めた。即ち私的紛糾(プライベート・トラブル)に閉塞させられがちな社会的な矛盾(ソーシャル・コンフリクト)を、公的争点(パブリック・イシュー)としてせりあげるには公共主題(コミューナル・マター)の回路を通じるべきとしたのだ。
「〈制作(ボイエーシス)〉と〈実践(プラクシス)〉」(1986~87、全3回)は、「集団づくり」論には政治学における〈社会制作〉に似た考えがあるとし、西欧政治思想史の流れの中でその発想を捉え直したもの。教育は人間と人間の間に関係を作る仕事だが、技術による人為的生成(〈制作〉的)の発想は限界をみせ、同等の人間にかかわる(〈実践〉的)発想が新たに求められるとし、〈制作〉ではなく〈実践〉を、ロジックではなく説得術としての〈レトリック〉を、と説いた。
『竹内常一 教育のしごと』第1巻の解説として書かれた「教育のレトリックの方へ」(1995)は、生活指導の教育学史的論究である。宮坂啓文の「学習法的生活指導論」に対して、竹内の唱えた「訓練論的生活指導論」の歴史的意義を明らかにし、その孕み持つ可能性を引き出そうとした。
「〈世代の自治〉の再発見へ」(1997)は、90年代を代表する論文として本誌の再録特集にも取り上げられた。
「子どもたち・青年たちは大人によって教育されることのみによっては育たない」という生活指導運動の初心を自覚的に掴み直し、民俗学者柳田國男の語る「若者宿」(年齢階梯制)を合わせ鏡として、子ども集団不在の状況を打破すべく、「子ども・青年を明確に大人と区別しつつ、同時に、嘘でなく大人扱いする」ことの必要、〈世代の自治〉の新たな創出を説いた。
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「〈教育〉〈学習〉の並行シェーマ(図)」は教育課程の全体構造を捉え直すために藤本が考え出したオリジナルなものである。大東文化大学の講義で論じられ、2008年から大学紀要に関連論文6本が発表された。
《柳田國男における「マナブ」と「オボエル」の対照のトポスについて》、《戦後教育基礎論を”柳田國男”で賦活する》の二つが基軸を成している。
柳田國男から、〈学ぶ〉と〈覚える〉という対照性を取り出し、それを城丸章夫に代表される戦後教育基礎論の、〈教える〉と〈育てる〉という対照性と重ね合わせて、逆方向から相照応するカテゴリー関係として捉える、というのが基本骨格であり、生活指導もしっかりとその位置を占めている。実生活の領域との連続性において教育や学習が捉えられており、街のインストラクター、介護、職人、徒弟制などの言葉が図の中にある。
「生活指導」概念と類似したイギリスの「パストラル・ケア」の紹介と比較、フランス語の「apprentissage」(学習とも訳されるが、原義は徒弟奉公)の検討などの論稿が、並行シェーマ論を拡張、補強している。
竹内常一を読みひらき、「生活指導」を教育概念として鍛え上げ、教育基本構造の中に位置づける、それが藤本卓の仕事の中心課題であった。
(高校生活指導 212号 掲載
アリストテレスや柳田國男が生活指導とどう関係するの?
『藤本藤本卓教育論集─〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉─』 藤本卓
鳥影社 2021年発行 定価3600円+税
これは子どもの人格を育てる仕事としての「生活指導」にこだわりながら、教育の全体構造を明らかにした本だ。すぐ読めるものでも、明日ただちに役に立つものでもない。だからこそ多くの教師に薦めたい。
柳田國男が《「マナビ」という言葉は、なるべく使わないようにしたい》と言ったのは何故か?子どもは大人に教育されるだけでは育たない、というのなら一体何が必要なのか?子ども集団不在の現状を乗り越える途はどこにあるのか?開放系の訓練論って?立ち止まって考えるべき問が次々と出てくる。
《〈教育〉〈学習〉の並行シェーマ(図)》だけでも、一見の価値がある。オシエル、ソダテル、マナブ、オボエルという営みを実生活との連続で、歴史的な時間の幅で、欧米にも眼を向けて、構造的にとらえようとしている。今ある教育を越えたいと希求し続け、長い思索の末に生み出した教育基礎論の結晶だ。(藤本英二)
(『高校生活指導』213号 掲載)