藤本卓・略歴
✩葬儀の際に読まれたものです。
1950年9月1日に兵庫県明石市にて、誕生。その後、大学卒業まで明石市にて過ごす。兵庫県立明石高等学校に進学しました。高校在学中は、自身の進路に思い悩み、演劇関係への強い興味から高校在学への意義を見出すことが出来ず放浪するなど、高校に行かない時期があったと聞いています。最終的には、憧れていた著名ジャーナリスト武野武治(むのたけじ)に面会するために、秋田県まで出向き、そこで「高校だけは卒業しろ」と諭されたため、4年かけて明石高校を卒業しました。
1970年に神戸大学教育学部初等教育学科に進学。仲間を募り、自主ゼミを作り、民主教育を啓発する目的で「どぶ川学級」という映画の自主上映会などを開催するなど仲間内でのリーダーシップを発揮していました。この当時の仲間とは、大学卒業後も深い交流が続いていました。また、この時期に母の真美子とも出会い、卒業後に結婚式も仲間が企画して行ってくれました。
大学卒業後、東京大学大学院教育学研究科教育哲学修士課程を経て、博士課程を単位満期退学。様々な大学での教鞭経験を積みます。1983年には長女の里菜を、1986年に長男の迅を授かりました。1992年に大東文化大学文学部教育学科に専任講師として採用され腰を落ち着けました。同時期に埼玉県東松山市に転居。大東文化大学では、主に小学校教員を目指す学生を、厳しくも暖かくそして厳しく指導しました。研究生活では、ロンドン大学客員研究員として1年間イギリスに滞在し、その成果として訳著「あきらめない教師たちのリアル ロンドン、公立小学校の日々」も出版しました。教育学科の主任も務め、教授会では重要な、かつ、時に少々面倒臭い発言をするなど、学部内でも名物教授としての存在感を示していたようです。
私生活では、自宅の庭いじりや膨大な蔵書を片付ける棚を作る大工仕事などが趣味で、家中が本で埋め尽くされており、それらの本をどのように片付けるかということが、残された家族の喫緊の懸案事項です。高校時代の演劇への熱は最後まで冷めることなく、大学教員となってからも演劇舞台へ足繁く通い、特に井上ひさしが主催するこまつ座を溺愛していました。自宅では、最初は嫌々飼うことを許可した猫にも、家族がいない所で猫なで声をかけるなど、日々の読書・研究生活の良き癒しとして可愛がっていました。父は、毎日深夜まで研究用の本を読んでおり、父が猫と並んで座りながら本とにらめっこしている姿が自宅の日常風景でした。