高山智津子・文学と絵本研究所では「春の絵本講座」、「秋の文学講座(藤本担当)」を行なってきました。ここでは、それを紹介します。
特別付録:高山先生『花衣ぬぐやまつわる…』を語る
高山先生が亡くなられてもう八年になりました。先生の蔵書の整理や仕事の継承はまだ十分ではありませんが、節目になる没後十年には、それらをふくめて高山先生をしのぶことのできる企画を、と考えております。
2011年の「高山智津子先生をしのぶ会(第5回・ファイナル)」を終えてからも、研究所は、文学講座や絵本講座を企画実行したり、所員三人で絵本の勉強をコツコツとやったり地道に活動を続けています。今年の秋の文学講座は下記の要領で実施いたします。
秋の文学講座
内容 田辺聖子の評伝小説について
~『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』を中心に~
講師 藤本英二(研究所所員)
日 時 10月25日(土) 午後2時~4時半
場 所 尼崎女性センター トレピエ 学習室①
尼崎市南武庫之荘3丁目36-1 TEL06-6436-6331
阪急武庫之荘駅南へ徒歩5分
参加費 1500円(学生1000円)
申し込み先 伊丹市松ヶ丘1丁目155-8 藤本英二
電話・FAXとも 072-782-9015
メールアドレスは eiji1952@kd6.so-net.ne.jp です
《講師からの一言》
田辺聖子は、恋愛小説、中年小説、自伝的小説、作家評伝、古典文学に関する著作、カモカのおっちゃんシリーズなどのエッセイなど、二百五十を超える単行本を書いています。
1970年代に書かれた「乃里子三部作」は、キャリア・ウーマンの自由な恋愛、結婚、離婚、一人暮らしを描いた恋愛小説の傑作です。21世紀になって新装版として再刊されると、現代の若い女性たちに評価され、たちまちベストセラーになりました。田辺聖子の小説の底を流れているのは、自分の願いを持ち、意志を貫いて生きていこうとする女性を讃えたフェミニズム精神です。
今回とりあげる『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』は高山先生の愛読書でした。この作品を中心に、『千すじの黒髪……わが愛の与謝野晶子』、『夢はるか吉屋信子……秋灯(あきともし)机の上の幾山河』などの女性作家の評伝小説、あるいはそれまであまり論じられることのなかった川柳作家の世界を描いた『道頓堀の雨に別れて以来なり……川柳作家・岸本水府とその時代』など、田辺聖子の文学世界についてお話ししたいと思います。
《特別付録 高山智津子、『花衣ぬぐやまつわる……』を語る》
☆『もの心つくまでに』(高山智津子、1988)の中に、『花衣ぬぐやまつわる……』に触れた箇所があります。元々は一九八七年七月 に行われた千葉市での講演「子どものこころを見つめて」で、それをテープ起こししたもののようです。
『花衣ぬぐやまつわる……』讃
そんなことがあったから、ことしの学生には、またいきなり『文学入門』からいってはい
かん、と思って
「私は、今、こんな本を読んでいます」
といってこの本を見せたんです。
「ひと月に一日本屋さんへ行って新刊書をみるのが楽しみ。子どもの本だけでなしに、文学
書のとこも行くのよ」
といいそえて。
そこで、表紙の美しさにまず見とれました。
いやあ、着物の裾模様みたいじやないの、きれいねえ。題を見ました『花衣ぬぐやまつわ
る………』なんやろ、とびらをあけて見ました。
花衣ぬぐやまつわるひもいろいろ
という俳句やないの、だれの作品やろう、田辺聖子。読みやすいでェー(笑)ね。出版社は?
どこ、集英社。売れる本をようだすとこ。(笑)
大人ですから題名でイメージを描く、作者でイメージを描く、出版社でイメージを描く、
表紙だけでそんだけのイメージを描くわけです。
子どもも、先ほどここへ来た子どもも選び方はいっしょです。表紙で選んでいく。わたし
はどれから選ぶかなあ、と楽しみで見てたらほんと学級で評判いいのを全部とっていきまし
たですねぇ。表紙で選んでいくのね、子どもといっしょや、私の選び方は。子どもは、出版
社までは見ないと思いますけど。
そして値段を見た、千六百円、高い!(笑)いったんはやめようと思いました。図書館で
借りようかなと思ったんですけど、図書館で新刊本予約してもなかなかこないのです。
手にとりたいほどの本やから、千六百円でもいいわと思って求めた、そして読みはじめる。
もう本の好きなもんは、この太い本というだけでうれしい、太さがうれしい。(笑)
そして中味がね上下二段になってびっちりつまってたら、またうれしいの、よけい読める
う。(笑)これは、ま、上下二段やなかったんですけどね。
……ふっと気がつくと、もう半分ほどいってるわけです。もったいない、そんなはよう読
んだらいかん!(笑)
ずっと読んで、また気がつくと3分の2ぐらい、いってるわけ。そんなはよ読んだらいか
んやないの、とまたはじめから読む。
松本清張のやったら犯人が知りたいからね、先に「犯人たいほに協力しよう」思うて(笑)
うしろから先に読む。(笑)
この本は結論を知りたくなかった、だからはじめから何べんも読んだ。
その間に、はじめのプロローグのところに田辺聖子のいいたいことが入ってるなあ、とい
うことがわかってくるわけですけども。
花見の着物のあでやかさ
はじめ『花衣ぬぐやまつわるひもいろいろ』のイメージ、花見の着物をぬいでそして帯と
いて、帯あげといて、帯じめといて、だてまきといて……ひもいろいろ……。私、すきなの、
その雰囲気が。
着物ぬいだときに、
「はよつり下げんかいな」
としゅうとめさんにいわれても、
「私、この雰囲気すき」(笑)
いうてこうしてながめて楽しむぐらいでしたから、ね。
その雰囲気やなあ、はなやかな、あでやかな、ひもの色、いろいろ……という感じやった
わけです。
読みおわったあと思うことがちがうのね、そうか……この人は明治生まれで、大正に生き
て昭和二十一年ぐらいになくなっている杉田久女という俳人。俳句をつくる女の人なんです
けども。
ああこの人は、芸術を追求していくために、足かせ手かせ、いろんなもんをぐるぐる巻き
にされて自分は謳歌できなかったなあ、というかなしみを「花衣 ぬぐや まつわる ひも
いろいろ」
まつわっているというのは、この足かせ手かせが家族の、子どもの、夫の、ね。自由にで
きないこの時間。その中で芸術を追求してゆくつらさ、なんとか、解放されたいというつら
い思い、それを俳旬にしてんねんなあ、ということがわかって、題になっている花衣の俳句
に対するイメージが質的に転化されました。
人生を再発見させてくれる文学の条件
あわせて私も教師を長いこと続けてゆくときに、しゅぅとめに、
「子どもが生まれても、まだはたらくのか」
といわれてね、つらい思いをしたことと重ね合わせてわが人生を再発見したわけです。とい
うような話を学生さんにして、
「あなた方の心の中に、人生を再発見させるような作品は今までの中でありませんか」
つていうのを初講、最初の講義ではじめたんです。そしてすぐれた文字の条件とは、新しさ
―わたしの人生を再発見させてくれた新しさ。田辺聖子が杉田久女に愛をもって書いてい
る誠実さ。明快さというのは、ひじょうにわかりやすいから私が読んで、田辺聖子にたのま
れたわけでもない、集英社にたのまれたわけでもないのに(笑)いわずにおれないコミニヶ
―ションを含んでいる。という説明をしようと思ってた。
そうしたら、学生が、
「何もない」
「何もないことないでしょぅ。時をわすれて読んだ本、教えて」
「時を忘れて読んだ……マンガしかないなあ」(笑)
案内文
現代文学は働く女性をどう描いているか-絲山秋子と津村記久子- 藤本英二
優れた文学作品には、時代を超え、国を超え、我々の心に訴えかけてくる力があります。読みなおされ、読み継がれていく《古典》は確かに貴重な文化遺産です。
でも21世紀に生きている我々が、「今を感じたい」のなら、現代作家の新しい小説を手にとって見るべきです。
例えば、絲山秋子と津村記久子。絲山秋子は、総合職として採用され、何度かの遠隔地への転勤を経験し、躁うつ病を発症させてしまいます。津村記久子は最初の会社で、同性の上司から激しいパワハラを受けて疲弊してしまいます。彼女達の小説には、現代社会で働く女性がぶつかるさまざまな壁、それへの怒り、が描き出されています。
しかし、彼女達の作品は決して、暗くて重いだけの小説ではなく、読んでいて吹き出してしまうほど、滑稽な、面白い小説でもあります。職場には恋愛関係とは違う、別の人間関係・男女関係がある。これこそが現代社会だ、ここには今を生きる人間の気分や手触りがある。一読すれば、そんな気持ちになります。
今回の講座は、文学好きの方にはもちろん、小説を読む暇もなく毎日忙しく働いている人にも、お勧めです。読んでなくても参加OK、面白そうと感じたらあとで手に取ってみてください。
※絲山秋子(1966年~)、2006年「沖で待つ」で芥川賞受賞。主な作品に『イッツ・オンリー・トーク』『海の仙人』『袋小路の男』『逃亡くそたわけ』『スモールトーク』『ニート』『沖で待つ』『エスケイプ/アブセント』『ダーティ・ワーク』『ラジ&ピース』『ばかもの』『妻の超然』『末裔』『不愉快な本の続編』『忘れられたワルツ』などがある。
※津村記久子(1978年~)、2008年「ポトスライムの舟」で芥川賞受賞。主な作品に『君は永遠にそいつらより若い』、『カソウスキの行方』『婚礼、葬礼、その他』『ミュージック・ブレス・ユー!!』『アレグリアとは仕事はできない』『八番筋カウンシル』『ポトスライムの舟』『ワーカーズ・ダイジェスト』『まともな家の子供はいない』『とにかくうちに帰ります』『ウエストウイング』『これからお祈りにいきます』などがある。
レジメ
高山智津子・文学と絵本研究所主催 秋の文学講座2013
現代文学は働く女性をどう描いているか - 絲山秋子と津村記久子 -
前説
⑴女性と文学
『新潮日本文学』(全64巻・森鷗外~大江健三郎、1970年代前半に出版)のうち、女性作家の巻は七人(宮本百合子、林芙美子、佐多稲子、円地文子、幸田文、有吉佐和子、瀬戸内晴美)つまり一割強だった。『ちくま日本文学全集』(文庫サイズ、全60巻、1990年代初めに出版)のうち女性作家は五人(樋口一葉、岡本かの子、尾崎翠、林芙美子、幸田文、)つまり一割弱だった。
⑵作家と就労体験
・絲山秋子のHPの「読者によるインタビュー」に次のような箇所がある。
Q 作家になりたいならこれだけはしておけ、というのはありますか?
A 就労体験。
※田辺聖子……大阪の金物問屋で七年間勤務。
⑶絲山秋子と津村記久子
・総合職として勤務⇒「沖で待つ」(『沖で待つ』所収)
・新卒でパワーハラスメントに⇒「十二月の窓辺」(『ポトスライムの舟』所収)
Ⅰ 絲山秋子について
略歴
1966年、東京都生まれ。東京都立新宿高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒。卒業後INAXに入社し、営業職として数度の転勤を経験。1998年に躁鬱病を患い休職、入院。入院中に小説の執筆を始める。2001年退職。群馬県高崎市在住。FMぐんまでパーソナリティを。
受賞歴
「イッツ・オンリー・トーク」文学界新人賞 2003
「袋小路の男」、川端康成文学賞 2004
「海の仙人」芸術選奨文部科学大臣新人賞 2005
「沖で待つ」芥川龍之介賞 2006
《作品をクローズアップ・その一・芥川賞受賞作》
「沖で待つ」 2006
……新卒で住宅設備機器メーカーに入社、福岡へ赴任する同期の二人、私(及川)と太っちゃん(牧原太)。天神で不安を押し隠すこともできず黙って立ち尽くしていた、それが原点。太っちゃんは結婚。転勤、再会、秘密の約束(パソコンのHDDを壊す)。太っちゃんの事故死。約束の実。弔問。残っていたノート。☆幽霊の太っちゃんとの会話。
絲山秋子のキーワード
①男女雇用機会均等法、女性総合職、営業、転勤、同僚性
:「沖で待つ」、
②躁鬱病:「イッツ・オンリー・トーク」、『逃亡くそたわけ』
③だめ男 :『ばかもの』、『エスケイプ/アブセント』
④ロード小説あるいは自動車:『逃亡くそたわけ』『海の仙人』
⑤馬、馬術 :「第七障害」(『イッツ・オンリー・トーク』所収)
⑥地方FM局でパーソナリティ :『ラジ&ピース』
⑦音楽、ロック :『ダーティ・ワーク』
⑧妄想、幽霊、神様 :『海の仙人』『末裔』
⑨性あるいは人間の距離 :「イッツ・オンリー・トーク」『ばかもの』『不愉快な本の続編』
⑩地方性 …典型的には群馬
《作品をクローズアップ・その二・デビュー作》
「イッツ・オンリー・トーク」 2004、文学界新人賞
……私は一年間精神病院(躁鬱病)で過ごし、蒲田へ。EDの都会議員、出会い系サイトで知り合った痴漢、元ヒモ・パチプロの従兄、鬱病のヤクザ、だめな男ばかりを好きになる自分が嫌いだ。二十六歳で死んだ友人野原理香。
映画化作品
①「イッツ・オンリー・トーク」
⇒『やわらかい生活』2006(廣木隆一監督、荒井晴彦脚本、寺島しのぶ、豊川悦司、妻夫木聡、田口トモロヲ)。脚本の「年鑑代表シナリオ集」への収録をめぐって、絲山秋子が「脚本を活字として残したくない」と出版を拒否。荒井晴彦らが提訴、裁判となる。絲山秋子の勝訴。
②「ばかもの」
⇒『ばかもの』2010(金子修介監督、高橋美幸脚本、内田有紀、成宮寛貴、古手川裕子、白石美帆、池内博之)
Ⅱ 津村記久子について
略歴
1978年1月23日生まれ。大阪府出身。大阪府立今宮高等学校、大谷大学文学部国際文化学科卒業。新卒で印刷会社に就職。9月から1か月飲料メーカーのライン工として働き、10月から女性上司の下でパワハラを受け、退職する。失業期間中(2001年1月末~10月)、入院中の祖母の世話をしながら、4月~6月再就職訓練(パソコン)を受け、商店街にある祖父の服屋で商売をする。(『八番街カウンシル』)9月に上級訓練を受け、その後ハローワークで見つけた会社に入り、仕事をしながら小説を執筆。十年半勤める。
受賞歴
「君は永遠にそいつらより若い」太宰治賞 2005 (「マンイーター」を改題)
「ミュージック・ブレス・ユー!!」野間文芸新人賞 2008
「ポトスライムの舟」芥川龍之介賞 2009
「ワーカーズ・ダイジェスト」織田作之助賞 2011
「給水塔と亀」 川端康成文学賞 2013
《作品をクローズアップ・その一・芥川賞受賞作》
「ポトスライムの舟」 2009
……舞台は奈良、モラルハラスメントを受け退職した経験を持つ長瀬由紀子は、今工場で働き、友人ヨシカの喫茶店でバイトをし、老人相手のパソコン教室で講師をし、内職でデータ入力を。壊れかけた家で母と二人。世界一周のクルージングのポスター、費用一六三万円は一年分の給料に相当、貯めることを決心。大学の友人、そよ乃(教員志望だったが、不合格、すぐ結婚)、ヨシカ(総合職で五年間)、りつ子(幼稚園の娘がいる)、と四人、三宮で会う。りつ子は娘の恵奈を連れて家を出、ナガセの家へ。ナガセの母は恵奈を可愛がる。母子家庭。同僚の岡田さんも悩みを。図鑑好きの恵奈。初詣。りつ子母子の引っ越し。五月風邪で仕事を休む。恵奈の自由研究。あきらめかけていた貯金がたまる。岡田さんの決断。
津村記久子のキーワード
①仕事の現場で出くわす理不尽さをどう生き抜くか
・パワーハラスメント :「十二月の窓辺」(『ポトスライムの舟』所収)
・コピー機との戦い :『アグレリアとは仕事はできない』
・結婚式の日に、会社から呼び出されて葬式に :『婚礼、葬礼、その他』
・本社から倉庫への配置換え :『カソウスキの行方』
・通勤の困難……痴漢 :「地下鉄の叙事詩」(『アグレリアとは仕事はできない』所収)
豪雨 :『とにかくうちに帰ります』
・苦情処理……『ワーカーズ・ダイジェスト』
②家庭の抱える問題(働かない親、不倫、離婚、母子家庭、貧しさ)
:『まともな家の子供はいない』他、③とも重なる。
③商店街、雑居ビル、祭り :『八番街カウンシル』『ウエストウイング』
「サイカサマのウィッカーマン」(『これからお祈りにいきます』所収)
④パンクロックに夢中 :『ミュージック・ブレス・ユー!!』
⑤低い自己評価から自己肯定へ……典型的には④だが、他の作品にも通じる。
⑥理不尽さへの怒り、他者のための祈り……これが津村記久子の核心部分。
《津村の描くほとんどの作品で、主人公及び重要な登場人物は母子家庭に育つ。彼ら・彼女らは旧態依然とした家庭を回復するのではなく、松浦理英子が『八番街カウンシル』の帯に寄せた推薦文で的確に指摘しているように、「孤児」として生き抜き、新たな関係性と新たな共同性を獲得する。》(安藤礼二『ポストライムの舟』文庫版解説より)
《作品をクローズアップ・その二・デビュー作》
「君は永遠にそいつらより若い」 2005
・大学四年生のホリガイは社会福祉の仕事をしたいと思い、公務員試験も合格。大柄で、不器用。「女の童貞」。ゼミの飲み会で酔っぱらったアスミちゃんを下宿に泊める。アスミちゃんは、中退し起業した河北(カバキ)の彼女でリストカットを繰り返す。飲み会の幹事、吉崎君は恋人をカバキに寝取られる。ホリガイは酒造工場でバイトをしていて、主任の八木君、新入りのヤスオカ(一年)がいる。美人のイノギさん(三年生)と知り合う。児童福祉に関わろうとした動機は失踪した子供の未解決事件。自殺した穂峰君は、階下の子供が虐待を受けていたのを救おうとして警察に。ヤスオカから性の悩みを打ち明けられる。ホリガイは自分の悩みを話し、「わたしでええんちゃうかな」と言われ、初めて性的な経験を(同性愛)。イノギさんは十年前、レイプされた経験があることを打ち明ける。かける言葉がない。吉崎君と穂峰君の下宿の片付けに行き、階下の少年の存在に気づき救出する。半年後、ホリガイは、休学中のイノギさんを訪ねようとする。
☆物語の構造が入り組み、語りのトーンの軽さや、性的な話題のために、話の軸をとらえられないと難しいかもしれないが、最後まで読まないとだめです。これは津村記久子の原点であり、傑作。
・松浦理英子「魂が潰されないために」(文庫解説)より
《これほど明確な問題意識と倫理観に貫かれていて、しかもその表現方法が生硬でもなければ野暮ったくもなくユーモアに満ち、やわらかな肌触りの下にどくどくと 脈打つ血の熱さをも感じさせる小説を読むのは、随分久しぶりだという気がした。》
☆姉妹編『ミュージック・ブレス・ユー!!』…パンクロックに夢中の高校生
絲山秋子・著作一覧
小説(単行本、☆は文庫)
・『イッツ・オンリー・トーク』 2004、☆、文学界新人賞 映画化
*第七障害
・『海の仙人』 2004、☆、 芸術選奨新人賞
・『袋小路の男』 2004、☆、川端康成文学賞
*小田切孝の言い分、アーリオ オーリオ、
・『逃亡くそたわけ』 2005、☆、直木賞候補
・『スモールトーク』 2005、☆
……クルマに関するエッセイも含む
・『ニート』 2005、☆
*ベル・エポック、2+1、へたれ、愛なんかいらねー
・『沖で待つ』 2006、☆、芥川賞
*勤労感謝の日、みなみのしまのぶんたろう
・『エスケイプ/アブセント』 2006、☆
・『ダーティ・ワーク』 2007、☆
*七つの短編連作、各編のタイトルはローリング・ストーンズから。
・『ラジ&ピース』 2008、☆
*うつくすま ふぐすま
・『ばかもの』2008、☆、映画化
・『妻の超然』2010
*下戸の超然
*作家の超然
・『末裔』 2011
・『不愉快な本の続編』 2011
・『忘れられたワルツ』 2013 (短編集)
エッセイなど
・『絲的メイソウ』
津村記久子・著作一覧
小説(単行本、☆は文庫、*は表題以外の収録作品)
・『君は永遠にそいつらより若い』2005、太宰賞、☆
・『カソウスキの行方』2008、☆
*Everyday I Write A Book、花婿のハムラビ法典
・『婚礼、葬礼、その他』2008、☆
*冷たい十字路
・『ミュージック・ブレス・ユー!!』2008、野間文芸新人賞、☆
・『アレグリアとは仕事はできない』2008 、☆
*地下鉄の叙事詩
・『八番筋カウンシル』2009
・『ポトスライムの舟』2009、芥川龍之介賞、☆
*十二月の窓辺
・『ワーカーズ・ダイジェスト』2011、織田作之助賞
*オノウエさんの不在
・『まともな家の子供はいない』2011
・『とにかくうちに帰ります』2012
・『ウエストウイング』2012
・『これからお祈りにいきます』2013
*サイガさまのウィッカーマン、バイアブランカの地層と少女
・「給水塔と亀」 川端康成文学賞、2013
エッセイなど
・『やりたいことは二度寝だけ』2012
・『ダメをみがく』(深澤真紀との対談)2013
報告
70年代でも90年代でも、日本文学全集に収録されている女性作家の割合は一割程度。、しかし現在女性作家の活躍には目を見張るものがある、特に注目している二人の作家が絲山秋子と津村記久子だという風に始まりました。
二人の芥川賞受賞作とデビュー作に絞って、作品の冒頭、結び、重要な箇所などを朗読しながら、タイトルの意味を分析、作品を紹介。何度も笑い声があがる楽しい会になりました。
休憩時間には、小西さん手作りのお菓子を食べて、コーヒーを飲み、DVDもちょっと見ました。
保育関係の人の参加が多いかと予想していましたが、高校の教師(元・現)が6人、文学学校やほかの文学講座のつながりで参加してくれた方、藤本の教え子など、いつもとはちょっと違うメンバーで、おもしろかったです。
「オール・アバウト・マイ・梨木香歩 」
案内文
昨年は「児童文学の可能性~かいけつゾロリから精霊の守り人まで~」というタイトルで報告しました。風呂敷をおもいっきり広げ、あれもこれもの盛り沢山な内容で、そのうえ受けるとうれしく、笑ってもらえるとどんどん脱線、気がつくと予定の終了時間になってようやく精霊の守り人の話が始まるというありさまで、結局3時間近い講座になってしまいました。おのれの「欲張り」を、ちょっと反省。
今年は少し方針を変えて、対象を一人に絞り込み、じっくり、ゆっくり、しっとりと語りたいと思います。
で、梨木香歩。6月から映画『西の魔女が死んだ』が上映され、本の売り上げもぐんぐん伸びて、130万部に達したとか。昔からのファンとしては嬉しいような、ちょっと寂しいような、複雑な心境です。
梨木香歩は、あまりマスコミに素顔をさらさないタイプの作家です。ですから本人の顔写真はもとより(僕は国際児童文学館の書庫で発見!)、履歴等もあまり知られていません。たとえば新潮文庫の見返しには、著書以外には「1959(昭和34)年、鹿児島生まれ。英国に留学、児童文学者ベティ・モーガン・ボーエンに師事。」としか記されていません。これを見れば、彼女は児童文学を学ぶために児童文学の伝統のある英国に留学したのだと誰もが錯覚するはず。でも、彼女の留学の目的はそれではなかった。(「答」は当日お話します。そこから作品へつながる細い糸が見えてきます)
もちろん、「作家の経歴を知る」ことと「作品を読む」こととは別のことです。講座では『西の魔女が死んだ』『からくりからくさ』を中心に、すべての梨木香歩の小説、エッセイ、絵本にふれながら、一人の作家の作品をどう読むかという話をしたいと思います。(あっ、また盛り沢山な内容になりそうな予感が、いかんいかん。でも映画との比較もやりたいし、書画カメラ付プロジェクターを使って絵本の読みきかせもしたいし……うーん)
報告
10月18日(土)に秋の文学講座が開かれました。今回は「児童文学の可能性パート2・オール・アバウト・マイ梨木香歩」というテーマでした。参加者は12名と少し少なめでしたが、その分じっくりと話をすることができました。
「第一部梨木香歩の影を追いかけて」は個人情報をあまり公開していない梨木香歩の履歴についての話で、大学の話、留学の目的、ベティ・M・ボーエンとの出会い、河合隼雄との関係、作家デビュー、などの話をしました。特に、英国より取り寄せたベティ・M・ボーエンの絵本や、唯一雑誌に載っている梨木香歩の写真を紹介したりしました。
「第二部 『西の魔女が死んだ』の世界」、「第三部 『からくりからくさ』の世界」は作品をどう読むかという作品論になりました。
この講座をもとにして、藤本は今せっせと原稿をまとめています。
梨木香歩の世界
藤本英二
Ⅰ 梨木香歩の影を追いかけて
「作者を知ること」と「小説を読むこと」とはまったく別ものだ、という立場がありうるし、「小説の中にしか作者はいない」という厳格な考え方も悪くはないと思う。それでも、自分の好きな作品を書いたのがどんな人なのかを知りたい、というのはたぶん多くの読者が抱く自然な感情だろう。
作家の中には、自分のことをきわめてオープンに語るタイプの人がいる。自分の生い立ちから、趣味、家族のことを語り、アルバムを公開したりする。新聞の新刊広告に作家の写真がそえられるのも珍しいことではなくなった。作家の「顔」がこんなに氾濫している時代も珍しいのではないだろうか。
こんな時代風潮の中で、梨木香歩は自分の個人的な顔や個人情報を表に出さないタイプの作家の一人だ。作品以外で彼女について知りうる情報は極めて少ない。文庫本の見返しには「1959(昭和34)年、鹿児島生まれ。英国に留学。児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。」とあるが、一般の読者がこれ以上の情報を得ることは難しい。
この点について、梨木香歩は意識的で、たとえばこんな風に語っている。
《私は世の中に作品を提供する者。読み手にはいちばんいい状況で作品と出会ってほしい、読み手の中で物語が柔軟に働いてほしいと思っています。そのときに作家の顔がちらつくようでは邪魔になりますから、作家の存在は忘れてもらうのが一番いいのです。作家は作品の黒子であるべきだと考えていますし、作家の顔というのは作品が物語として働いてくれるためには、まるで役にたたないと思うんです。》
(『いきいき』2008年7月号)
2008年6月、映画『西の魔女が死んだ』が公開され、いくつもの雑誌が特集記事を組み、
原作者である彼女も多くのインタビューに応じている。それらの記事の中で重要な情報も提供されたが、全体としていえば、「個人情報」は抑制されているといえる。例えば、どのインタビュー記事にも顔写真一枚添えられていない。(ちなみに、『西の魔女が死んだ』で1995年度日本児童文学者協会新人賞を受賞したときには、受賞者の写真の代わりに「愛息の画」という似顔絵を使っている。探した限りでは、写真の掲載されているものは、『ぱろる7号1997年』(神宮輝夫との対談)だけだった。)
もちろん、梨木香歩のいうことはもっともなことだが、自分の好きな作家のことを少しでも知りたいと思うのもまた読者の側の自然な気持ちだろう。一冊の本から作者の名前を知り、その名前に導かれるようにして別の一冊を手にとるということがある。本の連なりは作者像を形成し、やがて作者の実像を求めるようになる。実際、梨木香歩自身、愛読書『赤毛のアン』のプリンス・エドワード島へ出かけていったり、『グリーン・ノウ』シリーズの作者ルーシー・M・ボストンに手紙を送り、グリーン・ノウのモデルになったルーシーの住む古い館、マナーハウスを訪ねたりしている。(ちなみにこのマナーハウスを梨木香歩が訪問する直前まで、ここに下宿していた日本人がいた。林望である。彼のエッセイにも、このマナーハウスの話が出てくる。)
読者の代表として、梨木香歩の情報を集めてみようと思った。といっても、僕に何か特別なつてや方法があるわけではない。エッセイの中から履歴等に関わるものを拾い出していく、関連の雑誌記事等をできるだけさがし出していく、そして補助的手段としてインターネット上の情報を収集する、こんな初歩的な方法をとった。それでもわかったことはある。
(今回あたった中で、質、量ともに第一級の資料は『ダ・ヴィンチ』2008年7月号(梨木香歩ロングインタビュー・文・瀧晴巳)だと思う。これについては後述する。)
インターネット情報による梨木香歩
インターネット上の情報に、どの程度信頼を置いてよいか、それを根拠に論を組み立てることができるか。ネット上ではその情報の提供者(の実名や連絡先)を確定することが困難であり、講演会のレポートは、完全な採録ではなく抄録や印象記なので、安易に引用することは避けたい。ただ、講演の場では、作者も意外とガードが甘くなっているのか、魅力的な個人情報を話していることが多い。
そこでインターネット上で目をひいた情報を、まず簡単に列挙しておく。
・ペンネームの由来は「京都の梨の木神社を香(かおる・本名)が歩く」
・座右の銘は「物語ハ魂ヘ向カフ小径」
・『からくりからくさ』の舞台は彦根、近江八幡。
・佐藤さとるが好き。
・小学生の頃ポリアンナ(パレアナ)などが好きだった。7~8才で『赤毛のアン』のダイジェスト版を読んだが、好きじゃなかった。5~6年生でドストエフスキー、モームなどを読んでいた。中学時代は子どもの本から離れていた。からだをこわして高校を一年休学して参ったとき『赤毛のアン』にもどった。
・自分の作品はフラクタル構造(部分と全体が同じ)をしている。
・児童文学をやっているという意識がある。ラストを突き放すようなものにはしたくなかった。人をHoldingする(抱える)ようなラストにしたい。 (1999年の講演)
ここで、各項目に深入りすることは控える。ただ、「フラクタル構造」という言葉については、梨木香歩の作品理解の鍵となるので、実際の作品を論じる際に詳しく検討する。
大学と学部
梨木香歩の作家デビューは1994年の『西の魔女が死んだ』で、このとき彼女は30代の半ばだった。それまでの歩みについて、今回わかったことをスケッチ風に簡単に綴っておきたい。
文芸春秋社のWEB上の「直木賞のすべて・付録他文学賞候補作家の群像・梨木香歩」のページに次のような情報があった。(『家守綺譚』は第17回山本周五郎賞の候補となっている。)
《経歴 鹿児島県生まれ。同志社大学卒。英国インターナショナル・サファロワーデン・ベル・カレッジで学び、児童文学者ベティ・ウェストモーガン・ボーエンに師事。主婦業のかたわら児童文学を書き、平成6年/1994年にデビュー》
出身大学が同志社大学であることがここには明記されている。(ちなみに同志社大学のキャンパスは京都御所のすぐ北にあり、京都御所のすぐ東に梨木神社がある。若い彼女が大学の授業のあいまに梨木神社を散歩したこともあっただろう。)直接書いてはいないが、エッセイに次のような記述があるので、学部はおそらく神学部だろうと推測される。
《ジョーに会ったのは、いったん帰国して大学を卒業するなどして数年後、再び英国に滞在したときのことだった。十四年ほど前のことだ。……略……やがて二人とも神学を専攻していたということがわかってからは、もっとはっきりとお互いの気質の中に似通ったものを認め合っていたように思う。》 『春になったら苺を摘みに』p13
《私はクリスチャンではない。それなのにこの何十年か頑固な山羊のようにその回りばかりうろうろしてきた。神を信じているかと単純に尋ねられれば今でもそのたび真剣に考え込み、それは「あなたの定義する神という概念による」とまじめに答えてしまう。》
『春になったら苺を摘みに』p100
小説『エンジェルエンジェルエンジェル』の中で、情緒不安定を自覚する主人公コウコは次のように語っている。
《最後はいつも自己嫌悪の激しい嵐が吹き荒れて、それが過ぎ去るまでは身を硬くして待つしかないのだけれど、何かの救いの道がほかにないかといつも思う。/最近の私の聖書へののめりこみようは、多分、そのせいかもしれない。大学すら宗教関係で選びたいと思っているほどだ。/中毒だった。/カフェインで不安定になった情操が安寧を求めようとして、勢い、神様に向かったのだ。》p22
ここにはいくぶん作者自身の姿が投影されているはずだ。
梨木香歩が大学で具体的に何を学んだかはわからない。ただ、現在、同志社大学神学部神学研究科(大学院)のHPには、人材養成目的が次のようにうたわれている。
《「キリスト教のスペシャリスト」と「文明の共存のためのスペシャリスト」を養成することを目的としている。》
門外漢には、神学部というのは神様のことを勉強するのだろうというくらいの認識しかなかったが、民族による信仰の違いからか、「文明の共存」が学問対象となるようだ。そういえば『からくりからくさ』『村田エフェンディ滞土録』などには、トルコのクルド民族弾圧や、文明間の争いが描かれ、「文明の共存」の問題が濃厚に出ている。無縁とはいえまい。
英国留学
梨木香歩は、やがて大学に籍を置いたまま、英国に留学する。何のための留学だったのか。
《梨木さんは20代の初め、シュタイナーの教師養成学校に入りたくて、まずは英語を学ぶため、大学を休学してイギリスに留学。その時に住んでいたのがエセックス州にあるウェスト夫人の下宿だった。》
『ダ・ヴィンチ』2008年7月号(梨木香歩ロングインタビュー・文・瀧晴巳)
これは大変重要な情報だ。「1959(昭和34)年、鹿児島生まれ。英国に留学。児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。」という紹介から、彼女は児童文学を学ぶためにその本場である英国に留学したのだろうと誰もが考えるはずだ。ところが、思いがけないことに、留学の理由は、児童文学を学ぶためではなく、シュタイナー教師養成学校に入りたいということだったという。
ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)は神秘思想家として有名だが、教育とりわけ幼児教育の分野でも独自の教育思想・方法を展開していて、全世界に熱烈な支持者を持っている。
シュタイナー学校の日本における紹介は、『ミュンヘンの小学生 娘が学んだシュタイナー学校』(子安美知子、中公新書1975年)が比較的早い時期のものだ。(梨木香歩が高校生の頃にあたる)この本では、シュタイナー学校の特徴としては次のようなことがあげられている。エポック授業(数週間同じ教科をやる。次に別の教科を数週間やる。)、オイリュトミー(からだを動かす芸術)、最初の八年間は担任持ち上がり制(全体では十二年間)、教科書がないこと、社会実習(農業、林業、障害者施設、工場など)、自由と平等の教育など。
シュタイナーの神秘思想、とりわけその人間観を『シュタイナー入門』(西平直、1999年、講談社現代新書)によって紹介すれば、その特徴は「物質体、エーテル体(有機体をひとまとまりに保つ生命の力)、アストラル体(意識を持つ力)、自我(私)(霊的実体)」の四つの構成で人間をとらえる点にある。
鉱物(物質体)、
植物(物質体+エーテル体)、
動物(物質体+エーテル体+アストラル体)
人間(物質体+エーテル体+アストラル体+自我(私))
眠っている人間は物質体+エーテル体の状態にあると考え、死は人間から物質体、エーテル体、
アストラル体が離れていき、純粋な自我になる。死後の世界で自我は再びそれらをとりこんで、
もう一度この世界に転生する、という死生観、転生観に発展していく。
梨木香歩がどの程度シュタイナーの思想に接近していたのか、もっぱらシュタイナー教育に心引かれたのか、それともその根底にあるシュタイナーの神秘思想にも関心を抱いていたのか、知る由も無いが、うがった見方をすれば、死によって魂が肉体を離脱しその後も長い旅を続けるという『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんの考えには、このシュタイナーの人間観・死生観が影をおとしている、といえるかもしれない。
もちろん、死んだ人間の魂が転生し、新しい肉体に宿るという転生観は、『M/T森のフシギの物語』をはじめとする大江健三郎の小説や、村田美代子の『蕨野行』などにも見ることができる。こうした転生観は日本の民間信仰の中で決して珍しいものではないだろう。
ベティ・W・ボーエンとの出会い
ところで、梨木香歩が行きたいと考えていたシュタイナー教育の教師養成学校というのは、「エマーソン カレッジ」(1962年に設立された、イギリス唯一の国際的な生涯教育、シュタイナー学校の教師養成、研究機関)だと思われる。
そして彼女が実際に行った語学学校は「ベル インターナショナル サフロン ワーデン校」(1977年設立・中国、ベルギー、中近東、チェコスロバキア、日本などの学生が在籍)で、この学校での彼女の担当教官がウエスト夫人であり、梨木香歩はS・ワーデン(Saffron Walden)のウエスト夫人の家に下宿することになる。
《ベティ・W・ボーエンという作家がいた。六十年代に八冊の児童書を出し、そのうちの一冊はカーネギー賞にノミネートされたが、その後、ある事情からペンを捨て、今はエセックスの田舎町で一人暮らしをしている。日本で翻訳されることもなかったし、英国でも彼女の作品は絶版になっているようなので、知る人もほとんどあるまいと思う。/私は十数年前のある時期、クェーカー教徒でもある彼女と二人きりの生活をおくった。》
(飛ぶ教室1993冬)
ベティ・W・ボーエンとウエスト夫人は同一人物で(ちなみに夫人はベティ・ウェスト・ボーエン、あるいはベティ・モーガン・ボーエンと記されることがある)、エッセイ『春になったら苺を摘みに』でその人となりが詳しく紹介されている。例えば次のように語られている。
《英国でお世話になったウェスト夫人は、この境界ということに私以上にアバウトな人だった。昔は彼女の下宿の玄関はいつも鍵がかかっていなかった。……略……徹底した光の人だった。児童文学作家だったが、それは彼女の作品にも現れていて、どの本も、ここまで徹底するか、と思われるぐらいの向日性で光り輝いており、現代ではすっかりアウト・オブ・デイトになってしまった。絶版で手に入らない。》
(『ぐるりのこと』所収「向こう側とこちら側、そしてどちらでもない場所」より)
この時点で絶版になって手に入らないと語られているが、2007年に英国でベティ・モーガン・ボーエンの絵本「William Mouse」(ペーパーバックス)が出版されている。(僕はアマゾンで注文して手に入れた。ざっとあらすじをたどると、こうなる。ジョー少年はサンデー・スクールの行事で春の草花を採集に行ったとき、穴の中で死んでいる野ネズミを見つける。赤ん坊の野ネズミが一匹まだ生きていたので、彼はそれを救い出す。ウィリアムと名づけ、家族に内緒で育て、寝るときもいつも一緒。サンデー・スクールで、みんなに見せているうちにウィリアムが花鉢の中に逃げ込み、エルシーおばあさんの頭に飛び乗って大騒ぎになる。年上のソフィーがウィリアムを捕まえ、動物は野生のままがいいんだと逃がそうとする。ジョー少年は僕の大切なペットだから返してと頼むがソフィーは野ネズミを枝に放つ。ところが、枝から野ネズミはジョーの肩に降りてくる。ソフィーがネズミはあなたと一緒にいたいと望んでいたのね、と謝る。次のサンデー・スクールで、エルシーおばあさんはジョーに小さなものはかわいいと言う。ジョーの手からおばあさんの手へとウィリアムが移り、おばあさんは「ようこそ、ウィリアム、私たちのつどいに来てくれてうれしいわ」と言う。)
梨木香歩の履歴にいつもついて回る「児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事」ということばは、彼女が児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンから文学的な薫陶を受けたという印象与えるが、作品の雰囲気や質という点からみると、「徹底した光の人」といわれるベティ・モーガン・ボーエンと梨木香歩ではかなり違う。少なくとも、梨木香歩の作品には人間の影の部分が深く彫り込むように書かれている。例えば、それは病弱なわが子草壁皇子を毒殺する母(のちの持統天皇)であったり(『丹生都比売』)、自分の元恋人神崎と付き合っているマーガレットの妊娠に苦しむ紀久であったり(『からくりからくさ』)、弟妹を食べてなんら恥じることなきワニ(絵本『ワニ ジャングルの憂鬱草原の無関心』)であったり、である。『春になったら苺を摘みに』に描かれたウエスト夫人の姿は、他人に対する寛容さ、異文化に対する許容度の広さ、地域コミュニティにおける実務的な処理能力、世界の事象とりわけ平和に関する関心の深さと行動力など、魅力的に描かれている。梨木香歩が「師事」ということばを使っているのは、単に文学的な手ほどきを受けたとか、影響を受けたというようなレベルではなく、人間的な生き方、生きるスタイルにおいて「師」と仰いでいるという意味だと理解したほうがよいのだろう。(ちょうど『西の魔女が死んだ』のまいや、『りかさん』のようこにとってのおばあちゃんのような存在だ。)梨木香歩は留学後もウエスト夫人と継続的に親交を深め、カナダ在住中は夫人に招かれてニューヨークでクリスマスをともに過ごしたりもしている。
河合隼雄との関係
《休学していた大学を卒業するため、イギリス留学から一旦帰国した梨木さんは、一時期河合氏の下でアルバイトをしていたことがある。梨木さんにとって河合氏は「物語の可能性について目を開かせてくれた人」だった。》
『ダ・ヴィンチ』2008年7月号(梨木香歩ロングインタビュー)
「イギリス留学から一旦帰国した梨木さんは、一時期河合氏の下でアルバイトをしていた」という何げない記事が実は大きな意味を持つ。このアルバイトをしていたという時期にあたる、1984年に河合隼雄は『昔話と日本人の心』の英訳出版のため、ロサンゼルスのユング研究所で講義することになり、彼女はこの最終章の下訳を頼まれている。そして「その褒美だったのか、スイスのアスコナで開かれるエラノス会議を聴講する機会が与えられた」というように、河合隼雄が彼女を高く評価し、目をかけていたことがよくわかる。(雑誌『考える人』の河合隼雄の追悼特集号(2008年)のエッセイ「河合隼雄という物語」による)
河合隼雄は日本にユング心理学を紹介した第一人者。心理療法を広めただけでなく、物語論の分野、あるいは児童文学の分野でも『ファンタジーを読む』『子どもの本を読む』などの仕事をしていく。「物語の可能性について目を開かせてくれた」というように、若い梨木香歩が河合隼雄から大きな影響を受けたであろうことが想像される。のちに、彼は梨木香歩の作家デビューに大きな力を果たすことになる。
二度目の留学
大学卒業後、1987年頃に梨木香歩は半年滞在の予定で再び英国に渡りサリー州に住む。ウエスト夫人と再会している。(『春になったら苺を摘みに』はこの時期のことを書いている。)
この二度目の留学のとき、彼女は児童文学者ルーシー・M・ボストン(当時94歳)を訪問
している。(「ボストンをいま読んでみると」(エッセイ)『飛ぶ教室』93年冬 49号所収)ルーシー・M・ボストンがカーネギー賞をとった年にベティ・M・ボーエンも候補となっていたという因縁がある。ボストンの『グリーン・ノウ』シリーズ六部作は、主人公トーリーが大おばあちゃんの住むグリーン・ノウを訪れ、そこで三百年前の子どもたち(の幽霊)と仲良くなるというところからスタートする。この小説には、植物、古い屋敷、幽霊たちとの交流、祖母と孫、キリスト教など、どこか梨木香歩の世界と通じるような要素があちこちに点在しており、作品のテイストという点では、梨木香歩はベティ・M・ボーエンよりもむしろこのルーシー・M・ボストンに近いのではないか、と思われる。また梨木香歩は自分の人間観、児童文学観を語るときに、繰り返し、入れ子のロシア人形・マトリョーシュカをたとえにしているが『グリーン・ノウの子どもたち』にこのロシア人形が登場していることも目をひく。(このマトリョーシュカ的人間観については改めて詳述する)、
作家デビュー
これも本人が語ることがないので推測するしかないが、たぶんこの二度目の留学のあと、彼女は結婚し、息子を生んでいる。そして「主婦業のかたわら児童文学を書き、平成6年/1994年にデビュー」ということになる。
ところが本人、自分は作家になるつもりはなかった、と複数のインタビューで繰り返し語っている。これは一体どういうことだろうか。
《作家になるつもりは全然なかったんです。幼い頃からものを書くということは私にとって好きとか嫌いとかいう次元を超えた、ものすごく大事なことだったので、かえってそれでお金を得て生活していくということはしたくなかったんですね。何より自分の内的な文章を不特定多数の眼にさらすというのはとても耐えられないだろうと思っていました。》
《「この人ひとりだけに読んでもらえればいい。そう思って書き終わったものを持っていったら、その人は私に何の断りもなく原稿を出版社に持っていっちゃったんですよ(苦笑)」》
《『西の魔女が死んだ』を読んだ河合氏は「涙が出た。よかった。あの原稿はもう出版社に持っていったよ。これを出すことは意味のあることだから」と臆する梨木さんの背中を押した。》
『ダ・ヴィンチ』2008年7月号(梨木香歩ロングインタビュー)
河合隼雄が作家梨木香歩誕生に深く関わっていたわけだ。
ファンタジー大賞を受賞した『裏庭』が文庫(2001年刊)になったとき、その解説を河合隼雄が書いており、心理療法家の目にこの物語がどう映ったかが語られている。
インターネット上の情報によれば、講演会の席で「カウンセリングに詳しいようだが」と質問されて、梨木香歩は「身内にそういう人がいるので」と答えている。またはエッセイの中でアスペルガー症候群について詳しく紹介している。次のような一節もある。
《トロントで、私は身内の知り合いであるネハマ・バームにお世話になることになっていた。ネハマ・バームはハンディキャップをもった人々への治療で名高い治療者、……》
『春になったら苺を摘みに』p207
梨木香歩が河合隼雄と深い親交があり、身内にカウンセリング関係者がいることから、ユング
心理学、あるいは臨床心理学に、通じていたであろうことは想像に難くない。(ユングをベースにした河合隼雄の物語論と梨木香歩の作品との関係については、改めて稿を起こす必要があるだろう。また梨木香歩が「夢」をどのように描いているか、という問題についてはのちに検討する。)
2007年秋の文学講座
~かいけつゾロリから精霊の守り人まで~
「児童文学の可能性
~かいけつゾロリから精霊の守り人まで~」
報告者 藤本英二
秋の文学講座が2007年10月13日(土)におさなご保育園のプレイルームでひらかれました。参加者は17名でしたが、九州や名古屋から来てくださった方や、初めて参加してくださった方もいて、にぎやかで楽しい講座になりました。森絵都の「にんきもののひけつ」などは軽く紹介するつもりだったのに、笑ってもらえるとうれしくなって、ついついサービスをしてしまい、気がつくと「にんきもののねがい」まで丸々二冊分語ってしまいました。(爆笑の連続でした)
かいけつゾロリは30数冊運び込み、ビデオカメラとプロジェクターを組み合わせて、スクリーンに投射して、イシシとノシシの見分け方や、裏表紙とカバーの違い(「かいけつゾロリの大どろぼう」にはカバーが二種類あるということを実際に見てもらうと会場から感嘆の声があがりました。)
休憩時間には、小西さんの手作りのお菓子や飲み物も出ました。精霊の守り人の話に入る前に、上橋菜穂子や神山健治監督のインタビューやNHKアニメ版「精霊の守り人」の冒頭を見てもらいました。(プロジェクターをとめると、もっと見たいという感じのためいきがあちこちから聞こえました)
もともと盛りだくさんの内容だったのですが、それに輪をかけるように、横道の話をいっぱいしたので、予定時間内では終わらず、時間を45分も延長して話しました。
次にあげるのは、藤本が講座用に作ったレジメです。(当日はこれを簡略化したレジメを参加者に配りました。)実際の講座では映画化された「バッテリー」の話、森絵都の「にんきもののひけつ」「にんきもののねがい」、岡田淳「竜退治の騎士のなる方法」など、レジメにはないことも力を入れて語っています。実際とはかなり違うのですが、講座の輪郭はわかっていただけるかと思いレジメを載せておきます。この講座の記録CDを作りましたので、ご希望の方は研究所の方にご連絡ください。無料貸し出しいたします。(全165分)
高山智津子・文学と絵本研究所 秋の文学講座 2007/10/13
「児童文学の可能性~かいけつゾロリから精霊の守り人まで~」
藤本英二
はじめに
①「指輪物語」「ナルニア国物語」「ハリー・ポッター」などファンタジー作品の映画化によって、児童文学が大衆的なブームになっている。(SFX、CGなどの技術によって、視覚的な表現力は格段に向上している。もし、ファンタジーが視覚性だけを問題にするならば、児童文学は映画にとってかわられるだろう。しかしファンタジーの力はむしろ視覚とは別の想像性にあるのでは)
②「バッテリー」「一瞬の風になれ」「精霊の守り人」などの児童文学作品が大人の読者に読まれているという現象がある。何故、大人の読者がこれらの作品を読むのか。読みやすさ、肯定的・向日的な価値観、ストレートな感動、などがあげられるだろうが、細かく検討してみる必要がある。
※あさのあつこは「成長物語」にはしたくなかった、と述べている。
※清水真砂子は児童文学は「人生は生きるに価する」というメッセージを発している、と述べている。『幸福の書き方』洋泉社・1995年
③江國香織、森絵都、角田光代など児童文学出身の作家が、大人の文学の世界に進出して活躍している(直木賞作家として)。
④児童文学の周辺、境界でヤングアダルト、ライトノベルなどというジャンルが注目されている。児童文学と周辺領域の作品との違いは何なのか。
「現代の児童文学流行の意味は何か、そして児童文学独自の価値は何なのか」これを探ることが大きな課題である。
☆児童文学は「子ども性」とどうかかわるかが、一番のポイントである。
Ⅰ 大人にとっての児童文学、子どもにとっての児童文学
⑴児童文学者は「子ども性」とどうかかわるか。
A 自分の中に「子ども性」を呼び出す
① 過去の幼いころの自分のもっていた「子ども性」
……自分の子ども時代の回想という形をとる。
長崎源之助『向こう横町のおいなりさん』
安藤美紀夫『でんでんむしの競馬』…戦前の京都の路地を舞台に、いわゆるハッピーエンドではなく、哀切感が漂う。
佐野洋子『わたしが妹だったとき』……幼い頃に死んだ兄との生活を描く
② 大人である自分の中にある「子ども性」
……神沢利子「くまの子ウーフ」「いないいないばあや」、
森山京の「きいろいバケツ」シリーズ、
今村葦子「かがりちゃん」など
B 子どもを観察することによって発見する「子ども性」
①幼い子どもの原初的な不思議さ、子どもの心性・原形的な、を描く。
……中川李枝子の「いやいやえん」、
松谷みよ子の「モモちゃん」シリーズ
※安藤美紀夫『世界児童文学ノート』に「臨床的」という言葉が出てくる。子どもの内面に迫るのに、保育園、幼稚園の先生が日々の観察から子どもを臨床的にとらえている、と述べていて、中川李枝子の「いやいやえん」をあげている。また母親が育児の中で、子どもをとらえるタイプとして松谷みよ子の「モモちゃん」シリーズをあげている。(さらに、みずからの内なる子どもにといかけるタイプとして神沢利子の「くまの子ウーフ」がある、としている。)
※例えば、岡田淳の作品は小学校の子どもを臨床的にとらえているといえるかもしれない。
②思春期の子ども・不安や悩み
現代の子どもの心象を描くという課題「宇宙のみなしご」「こちら地球防衛軍」、岩瀬成子の諸作品など。芹沢俊介「イノセンスの壊れる時」。現代の子どもたちはどのような問題、疑問、アポリアに遭遇しているのだろうか。家族の崩壊、両親の離婚、親の崩れ、そのような問題を児童文学はどう描いているか。そして、そのことはどのような意味を持っているのか。性の目覚め、思春期の問題。マンガ「ホットロード」映画「誰も知らない」。
C 語りかける対象としての「子ども性」
・メッセージを届けるべき対象としての「子ども性」
①戦争体験など過去の体験……「おかあさんの紙びな」「あるハンの木の話」「川とノリオ」「おかあさんの木」「ちいちゃんのかげおくり」など
②正義、理想にかかわる現代の課題……「のんびり転校生事件」など後藤竜二の諸作品。
・物語の聞き手としての「子ども性」
①「子どもにとってのおもしろさ」に焦点を絞って書いている作品 エンターテイメントとしての児童文学・ズッコケ三人組、かいけつゾロリ、
※「私は食べ物がおいしそうな作品が好きだった」という証言あり。
②大人の文学の要素を「子どもに向けて」書いている作品 少年少女世界文学全集のようなリライト作品、怪盗ルパン、シャーロックホームズ
※大人向けの作品の児童文学化という問題は積極的にとらえるべきだ。
《「子どもたちはそういった二次的なものはすべて無視してしまった。」(ポール・アザール)こうなると、大人たちも子どもの要求をいれて、この本を子ども向きに作りなおしてやらなければならない。》安藤美紀夫『世界児童文学ノート』
はやみねかおるの「夢水清志郎シリーズ」(子ども向け探偵小説)
竹下文子の黒ネコサンゴロウシリーズ(ハードボイルドの文体)
③子どもに語るという制約を逆にバネとして新しい文学を生み出していく。
ちいさいモモちゃんシリーズ(寓話で語る離婚譚)
※ちょっと違うけれど「精霊の守り人」も歴史、政治の構造をシンプルに語っている。
④児童文学における実験性(子どもだからわかる、子どもにはわからないの間で)
小沢正「目をさませトラゴロウ」、三田村信行「おとうさんがいっぱい」
筒井敬介「カチカチ山のすぐそばで」、岩瀬成子「あたしをさがして」
※児童文学には「通過型」と「同伴型」の二タイプがある。
通過型とはある時期夢中になるが、やがてそれを卒業していくタイプの作品、同伴型とは人生のいくつものステージで読み返すタイプの作品
⑵子ども読者にとっての児童文学
①語り、読みきかせ・絵本の世界から一歩前に。物語性に目覚める。
②大人の文学の縮小版・物語の楽しさ……「怪盗ルパン」、夢水清志郎シリーズ
③「情報」としての児童文学……ズッコケ三人組、かいけつゾロリ
④自分たちの世界の問題を理解する枠、あるいは生き方のモデルとして
……学校、学級を舞台にした物語、宮川ひろ、後藤竜二、岡田淳
⑤ヤングアダルトの分野では、親・家族の崩壊という問題が浮上する。岩瀬成子
⑥子どもたちは自分たちの世界観、価値観、理想、夢などを物語を通して育てていく。
A 現実とは違う別世界での冒険物語・ハイ・ファンタジー
B 現実の中でおこる不思議な物語・エブリディ・マジック、ロー・ファンタジー
C 現実世界と地続きのリアルな物語
⑶大人読者にとっての児童文学
①明らかに児童文学(幼年文学)として書かれているものでも、読み方で大人にも意味があるものになる。……くまの子ウーフ、きいろいばけつ、ちいさいモモちゃん
大人とは違う世界の理解の仕方、あるいは初めて世界と触れたときの感覚の新鮮さを。
《子どもの哲学》《子どもの感覚》
児童文学にとってのキーワードは「はじめて」だ。はじめての体験はみずみずしい感覚に満ちていて、大人が読んでも、世界の見え方を新たにすることがある。惰性・慣性を異化する
「子供は初めて出会うことがいっぱい。出会ったときのとまどい、新鮮さ、時に傷つく。気持ちの揺れが大きくて、余白がとても大きい。それが私の書くということにつながっているのです」
(佐藤多佳子・朝日新聞でのインタビューで)
②児童文学作品として書かれているものが、大人の読者を獲得している。
……バッテリー、一瞬の風になれ、精霊の守り人、など
これは、最近の児童文学(中学生以上を対象とした)が、《物語の質や強度》を高めている証拠。しかも、これらの作品が「児童文学」であるのは、清水真砂子の言葉をかりれば「人生は生きるに値する」という肯定的なメッセージを強く持っているからだろう。
③児童文学者が書いている作品で、もともと大人の読者を想定しているような作品……からくりからくさ、など
④児童文学から出発して大人の文学へと歩みいっている場合……江國香織、森絵都、角田光代など
Ⅱ 戦後児童文学を鳥瞰する
⑴戦後児童文学略年譜(別紙)
⑵僕のベスト50
⑶三人の女性作家
①上橋菜穂子 ハイ・ファンタジー。文化人類学的な知見に根ざす幻想・冒険譚・歴史物語。
②梨木香歩 エブリディ・マジック。ささやかな不思議の深度。
③岩瀬成子 現実に対する拒否、現実に根ざす妄想。
※「日本的」なものを超える新しい女性像の提示。
Ⅲ 児童文学における「物語の転生」
⑴物語の転生について
・今昔物語集から芥川龍之介の王朝物へ
(例えば、今昔・「具妻行丹波國男、於大江山被縛語」+A・ビアス「月明かりの道」から「藪の中」へ、さらに橋本忍の脚本「雌雄」を経て黒澤明「羅生門」へと転生していく)
☆物語の転生の一つの形としての、映画化、アニメ化
…バッテリー、精霊の守り人、かいけつゾロリ、
⑵シンデレラ、ロビンソン、桃太郎の転生
①世界中に広がるシンデレラ物語……『人類最古の哲学』中沢新一・講談社選書メチエ
②ロビンソン・クルーソー変形譚の歴史……『ロビンソン変形譚小史』岩尾龍太郎・みすず書房
③桃太郎の変貌 ……『新・桃太郎の誕生』野村純一・吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、『桃太郎の運命』鳥越信・ミネルヴァ書房
④浦島太郎の変貌
……『浦島太郎の文学』三浦佑之・五柳書院
⑶大人の文学から子どもの文学へ(リライトの問題)
・少年少女文学全集
・ルパン、ホームズなど
今回はこの点については深入りしない
⑷「シリーズという形式」での「物語の転生」あるいは「物語の増殖」
幼年
・ノンタン・アンパンマン
小学校低学年
・1ねん1くみ ・かいけつゾロリ・車のいろは空のいろ ・きいろいばけつ
・ぼくは王さま・こまったさん、わかったさん
・モンスターホテル ・はれときどきブタ・モモちゃん
小学校中学年
・ズッコケ三人組・黒ねこサンゴロウ・こそあどの森・クレヨン王国
・ブンダバー・かぎばあさん・ネコカブリ小学校
・だれも知らない小さな国
小学校高学年
・地獄堂霊界通信・夢水清志郎シリーズ
中学・高校
・勾玉三部作
・西の善き魔女
・守り人シリーズ
その代表例として「かいけつゾロリ」と「守り人」を取り上げる。
・1964年~ ちいさいモモちゃん ~92年・30年かけて完結。成長物語。
・78年 ~ズッコケ三人組~ 04年・全50巻
・87年 ~ かいけつゾロリ ~・最新刊41巻
・96年~ 守り人 ~07年
Ⅳ 「かいけつゾロリ」徹底分析
⑴絵物語
⑵もともとは「ほうれんそうマン」シリーズから派生したシリーズ。1987年から20年間で41冊。「ほうれんそうマン」と「かいけつゾロリ」はどこが違うのか。
⑶物語の性格
・基本的には「ほら話」。おやじギャグと下品さ。
・遍歴物語でパターンはそのつど問題・課題解決型。必ず、元に戻る。宝を手に入れたり、恋が実ったりはしない。間にどんな奇想天外なことがおこっても、安心できる。
・遍歴の旅なので、舞台は次々変わり、世界は拡大。多彩なキャラが登場。
・人物は平面的。悩まない、反省しない。成長しない。
・成長物語はゲストの少女や少年がになうことになる。
⑷人物の性格・性質について
・悪たれの系譜に位置づけられるか。(ピノキオ、トムソーヤ、1ねん1くみくろさわくん)、
非常にバイタリティがあり、前向きな行動力がある。
・ゾロリの天才性。ありあわせの材料で何でも創ってしまう。ブリコラージュ性。
・イシシとノシシがついやりすぎて失敗しても、ゾロリは怒らない。(すぐにあきらめる)
立ち直りが早い。「いたずらのてんさいゾロリはくじけることをしりません」
・ゾロリ、イシシ、ノシシはどんな危機からも脱出する、不死身。身体をはって頑張る喜劇性・チャップリンやキートンのように。
・食いしん坊の三人。(食べ物は子どもの文学の中心)
・危機を切り抜ける切り札「おなら」。下品ではあるが、それ以上下品にはならない。スカトロジーにはならない。
⑸「男はつらいよ」と比較する
・「かいけつゾロリ」は柴又なしの「男はつらいよ」だ。(藤本仮説)
⑹世界・舞台がいろいろ。しかも情報性が高い。童話・伝説などの伝統的な物語の要素と時事的・世俗的な話題・要素(テレビ・ワイドショー的な)が混在する。聖俗の二面性を持つ。
⑺「物語の転生」という観点からいうと、
①既存の物語(要素)を組み合わせて、物語を組み立てている。これはありあわせの材料で創るブリコラージュ性に通じる。
②ゾロリたちの物語が増殖していく。外枠としては定型を踏まえながら、具体的な中身はいろいろ新しいことに挑戦する。
⑻作者が登場するメタフィクション性。語りのメタフィクション性は語りの複数構造性ともいえる。また大人たちからの非難をとりこんでいく、したたかさ。子どもたちとの共犯性を。作者・作中人物・読者が画然と分かれる普通の読書空間とは違う「不思議な空間」がそこに生まれる。これは普通の読書に対する「いたずら」だとも言える。
⑼おまけやふろくがついていて、「雑誌的な」魅力になっている。迷路、着せ替え、占い、等。駄菓子屋的、縁日の屋台的ないかがわしい魅力。しかしこれにそそぎこまれた努力はたいしたものだ。徹底した読者サービスと遊び心。
・リンク性。これまでに登場したキャラの前の話をリンク。他の作品も読んでもらおうという営業努力。
⑽読者論的にはどうなるか。小学校低学年に人気。「通過型」の作品なのか。
①例えば、「迷路」「ダジャレ」「なぞなぞ」「図解(疑似科学性)」などは「知恵の萌芽」。さらにさまざまな情報、トイレの花子さんからミサンガまで、
②三人のドジさかげんを楽しむ。(イシシはあほやね)。小さな優越感。
③この三人組のかたい人間関係はうらやましい。裏切らない友達。
④いたずら・いじわる・悪の魅力
Ⅴ 「精霊の守り人」徹底分析
⑴ハイ・ファンタジー
・ことば、名前、地図(歴史・社会)の創造
⑵世界の複数性
・国、民族・文化、異世界(ナユグとサグ)
⑶チャグムに何が宿ったのか・語り方の問題Ⅰ
・建国正史、ヤクーの伝説・口承、古代文字で記された手記、民間の祭りなどから、少しずつ明らかに。チャグムの異変の謎と同時に、建国神話に秘められた政治的な意図・策謀も。
星読みシュカ゛
現実バルサ・チャグム
呪術師タンダ・トロガイ
・ガカイの予言「死」
王妃の話
・夢でうなされる。青く光る
・トロガイの予言「生」
『新ヨゴ皇国正史』
200年前の聖祖トルガイの水妖退治(子どもに乗り移った魔物を倒した)
シュガ・古記録読解・100年前の大干ばつ、子どもを襲う魔物
正史との符合と矛盾
バルサの目撃・チャグムが青く光る、水が粘りつく
タンダの語るヤクーの伝説(祖母から聞いた)100年前・ラルンガとは?
三人の意見
トロガイはナユグの水の民(ナヨ・ロ・ガイ)と接触
シュガは正史の裏に隠されたものに気づく。200年前呪術師との協力があったのでは。
トロガイの文(卵と卵食い)
シュガは古代ヨゴ文字でかかれた石版を読む任務につく。
タンダはヤクーの村を訪れる
言い伝えをきく。ラルンガはナユグのもの
四人の話し合い
夏至祭りは豊作祈願から聖祖をたたえるものに変質させられたのでは
ヂュチ・ロ・ガイ〈土の民〉に会いに・ラルンガの正体は?
チャグムにナユグが見える
ナナイの手記を読む
建国神話とは違う事実・臆病なトルガル。らるんがの存在
ラルンガ襲来
シュガは手記の最後を読む
子どもは死ぬ。なあじるとは
トロガイはシュガと会う
タンダは焚き火のあとを見て
夏至祭りの意味に気づく
トロガイは水の民を伝令に倒し方を伝える
ラルンガから卵を守り、ナージルに託す。
タンダは鳥の群れを見て夏至祭りの歌の意味をさとる。
・新ヨゴ皇国正史 ・古記録
・ナナイの手記
・伝説・言い伝え・夏至祭り・歌・水の民、土の民(ナユグ)
⑷語り方の問題Ⅱ・先説法(proleps)
この語りの方法は、物語の進行をはるか高みから鳥瞰しているような印象を与える。それは一種運命、伝説的な距離感を持たせる。つまり、人々がいかにあがこうと、進行していく運命がある、と。しかし、ラストに語られる感慨がそれに対する地上の人間の覚悟となり、感銘を与える。
⑸イノセンスの問題
芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論』(初版は1989年、大和書房)の「イノセンスの壊れる時」。
・「自分が生まれてきたこと、そのことに対して、当人には責任がありません。イノセンスという考え方は、生まれてきたということに関しての、この疑いがたい事実に根拠を置いています。」
・「自分の生誕に自分は関与していない、関与できない。にもかかわらず、私はこの体、性、親、名前などという現実を「書き込まれて」この世界に生まれてきたのです。」
・「つまり、人間は世界に対して「自分には責任がない」という心的な場所を、根源的に内在させてしまっているのだ」
そして、芹沢俊介は、イノセンスの表出と、その肯定的な受け止めによってイノセンスは解体される基盤を持つ、と述べている。
精霊の卵を体内に産み付けられ、世界の見え方が変わり、命も狙われるという運命を呪うチャグムの姿は端的にイノセンスの表出にほかならない。そして、故国の政争の中で父を殺され、自分の命も狙われるという運命に怒りをぶつける幼い日のバルサ。
守る者がかつては守られる者であったという運命の二重構造が、この物語に深さを付与している。
⑹勧善懲悪でなく、認識の相対性
⑺教える者としてのバルサ
・おんぶ、野うさぎの皮はぎ、急所、受身、人生を
⑻活劇としての魅力、
⑼食べ物の魅力
⑽上橋菜穂子作品世界における女性・男性(ジェンダー)
・チャグム……「身ごもり、出産する」少年。
・タンダとバルサとの関係が通念と逆。(戦う者/傷を治す者、旅する者/待ち暮らす者)
・仕事を持つ女性の凛とした姿……女用心棒バルサ、呪術師トロガイ、バルサの叔母で医師のユーカ(「闇の守り人」)、「獣の奏者」の教導師長エサルなど。
過去の公開講座
・2006年10月 文学講座「文学は夢をどう描いてきたか 万葉集から村上春樹まで」
藤本英二