いろんな所でいろんなテーマで話してきました。そのいくつかを紹介します。
2012年】
2012年05月12日(土) 京都・土曜日の会 「授業をつくる」
2012年10月27日(土) 宝塚市立中央図書館 大人のための児童文学講座①「かいけつゾロリ徹底分析」
2012年11月03日(土) 宝塚市立中央図書館 大人のための児童文学講座②「児童文学はスポーツをどう描いたか」
【2013年】
2013年06月08日(土) 愛知子どもの本と文化の会(豊田市) 「かいけつゾロリ徹底分析」
2013年10月19日(土) 高山智津子・文学と絵本研究所 秋の文学講座「現代文学は働く女性をどう描いたか 絲山秋子と津村記久子」
2013年10月31日(木) 宝塚市立中央図書館 市民のための現代文学講座①「田辺聖子の評伝小説」
2013年11月03日(日) 宝塚市立中央図書館 市民のための現代文学講座②「丸谷才一とモダニズム文学」
2013年11月19日(火) 和泉市男女共同参画センター 文学講座①梨木香歩を読む
2013年11月26日(火) 和泉市男女共同参画センター 文学講座②絲山秋子を読む
2013年12月03日(火) 和泉市男女共同参画センター 文学講座⑶津村記久子を読む
【2014年】
2014年03月09日(日) 京都・カキナーレ塾 「羅生門、山月記、こころ」を授業するためのヒント
2014年06月08日(日) 京都・カキナーレ塾 「詩教材の紹介と詩の授業」
2014年10月21日(火) モアいずみ(和泉市男女共同参画センター) 文学講座『花衣ぬぐやまつわる』
2014年10月28日(火) モアいずみ(和泉市男女共同参画センター) 文学講座「田辺聖子の世界」
2014年10月25日(土) 高山智津子・文学と絵本研究所 秋の文学講座「田辺聖子の評伝小説について」
2014年11月01日(土) 宝塚市立中央図書館 市民のための文学講座「上橋菜穂子」
2014年11月08日(土) 宝塚市立中央図書館 市民のための文学講座「水村美苗」
2014年12月21日(日) 京都・カキナーレ塾・津村記久子「ポトスライムの舟」読書会
【2015年】
2015年02月19日(木) 法華宗真門流・研修会(京都)
2015年03月15日(日) 京都・カキナーレ塾・村上春樹「バースディ・ガール」読書会
2015年05月22日(金) 兵庫県私立学校図書館協議会・研修会「上橋菜穂子」
2015年10月18日(日) 京都カキナーレ塾・上橋菜穂子「精霊の守り人」読書会
2015年10月20日(火) モアいずみ(和泉市男女共同参画センター)おもしろ文学講座「絵本を読む」
2015年10月27日(火) モアいずみ(和泉市男女共同参画センター)おもしろ文学講座「上橋菜穂子の世界」
2015年11月01日(日) 宝塚市立中央図書館 市民のための現代文学講座「川上弘美の世界」
2015年11月07日(土) 宝塚市立中央図書館 市民のための現代文学講座「村上春樹の世界」
レジメをいくつか、下に載せておきます。折り畳んでいるので、右端をクリックしてください。
「かいけつゾロリ」徹底分析・展開 ※これは自分用のメモです
0・はじめに
子どもと本、よみきかせ、読書
・一樹はっきり言える「おいしい」、好きな本「ごちそうくろくま」
・奈津子、6か月くらいから読みきかせ「ちいちゃん」シリーズ、しみずみちお
「はじめてのおつかい」でネコここにいる、
二つのおつかい
・はじめてのおつかい 筒井頼子/林明子(福音館)
・おつかい さとうわきこ(福音館)
「どろんこハリー」で犬の駐車場、「のらくさ」
・自動車の中でのお話作り……ファンタジーの二項式
・悠介、「もう2度とくるなよ」「人生わかってるの僕だけや」「それはねえちゃんがブスだからじゃない」、働く自動車、
・本読みの宿題から逃れるためのかくれんぼ。
・二人を連れて図書館に……親から子への文化的な遺伝、
僕/映画、奈津子/中島みゆき、悠介/神山健治
遊び
・授業中の旗揚げ、ポンポン人形
1・パワーポイントを使って、「かいけつゾロリ」の紹介
☆シリーズの中にいろんな話が混在、それが可能なのはこれが遍歴の物語だから。
☆メタフィクションについては、ここで詳しく話す。
☆パラテクストについては、ここで詳しく話す。
(休憩で・妖星ゴラス)
2・「かいけつゾロリ」の特徴と意味、レジメを見ながら
《物語の傾向と作り方》
☆物語の要素……古いものと新しいもの
☆物語の作り方としての「ファンタジーの二項式」
☆映画との関係
★課題をどうクリアしていくか(問題/解決の繰り出し方)
★本つくりの面白さ。一冊の本にかけている手間・暇、詰め込まれている情報。
・読むことの非直線性(図解、解説、)…ねぇどれがいい
・リンク性(作品間のネットワーク)……テレカ(おばけ→忍者)、悪魔派遣(カーニバル、ラーメン)、暗号(宇宙人、謎々)、隕石、
3・「かいけつゾロリ」の持つ意味について
⑴文化的な遺産継承、現代的な再生として
……神話伝説昔話、大衆娯楽(映画、落語)、
……説話論的にはトリックスターの要素が大きい。いつの間にかヒーローに。
……母恋という形での親子の情の称揚、(陰で見守る父親)
……親分、子分、仲間という形での小さな共同体(友達がいる)
……社会的な「悪」の存在を教える(インチキ商法、悪徳企業など)
⑵「悪(いたずら、いじわるなど)」の負の感情の確認・解放、その失敗・挫折の内心の安心。(子どもの負の感情が振幅を持つ)……レジメ№2中級編
……負の感情の解放(ゾロリという代理による)とその歯止めの意識形成(やっぱりこれはダメだよなあ)
⑶子どもの知恵の訓練場、遊び場……レジメ№2中級編、№3上級編4
遊びの精神の重要さ……サラダ記念日、からくりからくさにも隠れている
⑷「笑い」の重要性、馬鹿馬鹿しさ、愚かさに対する共感、肯定。
柳田國男「うそは子どもの最初の知恵の冒険」、落語世界との親和性
イシシノシシの演ずる愚かさ(テレカ、偽札、ボタン押し)
⑸失敗挫折にめげない、楽天性。くよくよしないで、次に進む。
4・質疑応答時の補足用として
・「リアリズム、ファンタジー、メルヘン」の序列、無意識の格付けに対しての疑問
・「知、情、意」の領域の「知」「知恵」の軽視、に対する疑問
・「本好きな子どもに育てたい」よりも、「本好きな大人として暮らす」ことを選ぶ。
・大人の価値観・美意識の押しつけに対するNO
大人の好きな作品と子どもの好きな作品は違って当たり前。
むしろ、大人が自分の味覚を鋭くする、あるいは味覚の幅を広げていく。
・大人の支配に対する子どもの反抗に対する支持、子どもを親の「理想の型」に嵌め込むな。
・子どもの熱中に対して大人の無理解、志賀直哉「清兵衛と瓢箪」
・子どもの成長の道筋は直線形ではなく、むしろ螺旋形ではないか(肯定と否定の弁証法)
・精神の「動脈硬化」をおこさないために。
☆ここからがレジメです
愛知子どもの本と文化の会
2013年6月8日(土)
「かいけつゾロリ」徹底分析 藤本英二
初級編
・『かいけつゾロリ』は現代的な意匠で形作られた、子ども向けの「ほら話」である。
・『ほうれんそうマン』(文・みづしま志穂、絵・原ゆたか)シリーズから派生したもの、スピン・オフ作品。
《基本設定》
①主役が「よいこ」から「悪たれ」へと。安藤美紀夫は児童文学の主人公のうち、ピノキオやトム・ソーヤなどを「悪たれの系譜」と位置づけた。後藤竜二の『1ねん1くみシリーズ』のくろさわくん、『男はつらいよ』の寅さんなど。
②児童文学の世界における二つの物語類型として「成長の物語」と「遍歴の物語」がある。ゾロリはもちろん「遍歴の物語」。旅の物語は、毎回舞台を変えられる。
③「三人組」(『ずっこけ三人組』や『地獄堂霊界通信』など)ではなく、「親分子分」の関係⇒「水戸黄門」が原型だったか!
《物語の傾向と作り方》
⑴『かいけつゾロリ』の話の便宜的分類。
①『ほうれんそうマン』ふうのアーサーにいじわるをする話
②サンタからプレゼントをもらおうとか、ラーメン屋を乗っ取ろうとか、ずる賢いことをする話
③お宝テレカや名画や銀行の大金などを盗もうとする怪盗もの
④妖怪学校のために一肌脱ぐ、あるいは逆に妖怪たちから助力を受ける話
⑤異世界の宇宙人やえんま大王との接近遭遇の話
⑥魔法の杖や宝を探す冒険譚
⑦ゾロリの善人性が全面に出て、赤ん坊や恐竜、怪獣の子どもを救う話
⑧ブルル社長ら企業や権力者の策略、宣伝計画に巻き込まれる話
⑵物語の要素は二種類ある
①童話、メルヘン、神話、伝説、冒険物語などでおなじみの、いわば定番の「伝統的な古い物語の種」
②「現代の最新情報」《トイレの花子さん、丹波哲郎の大霊界、ミサンガ、美白、冬季五輪、詐欺商法、ダビンチコード、モー娘、ギャルソネ、内部告発、ロード・オブ・ザ・リング、耐震偽装、ダイエット、超能力、企業と政治家の癒着、クレーマー、韓国ドラマ、地デジ化など》……子どもにとって、情報性が高く、啓蒙 性もある
⑶物語作りの特徴
・異質なものの組み合わせ。(ジャンニ・ロダーリの「ファンタジーの二項式」)
・例、『きょうふのサッカー』なら《トイレの花子さん+サッカー+妖怪》、
『にんじゃ大さくせん』なら《怪盗もの+忍者修行+お宝鑑定+詐欺商法》。
⑷映画からゾロリへ
・作者の証言では、……『テレビゲームききいっぱつ』/『ローマの休日』、『けっこんする!!』/『お熱いのがお好き』、『ママだーいすき』/『フィールド・オブ・ドリーム』、『あついぜ!!ラーメンたいけつ』/『用心棒』
・股旅歌謡時代劇、『妖星ゴラス』、『ミクロの決死圏』、『ゴジラ』、『怪傑ゾロ』、『男はつらいよ』なども元になったはず
・源泉としての大衆娯楽文化と、その換骨奪胎、話の作り変え、物語の転生。
中級編
⑴肉体的な喜劇性……必殺わざは「おなら」
⑵知的な遊び心を刺激
・日曜大工的な天才性、科学の芽生えとしての図解、迷路、まちがいさがし、隠し絵、人物探し、謎々、暗号あそび、など一連のものは、小さな子どもの「知恵の芽生え」を刺激する
・オヤジギャグを擁護する……井上ひさしのことば
⑶ゾロリと悪
・いじわる、いたずら大好き。食いしんぼ、ずる賢い。好奇心や欲望の肯定。でもたいていは失敗に終わる。「犯罪はペイしない」
・ゾロリ、悪と戦う……インチキ、イカサマ、詐欺、企業、権力の癒着
⑷トリックスターとしてのゾロリ
いたずら好きで、はみ出し者だが、非常にバイタリティがあり前向きの行動力がある。世界をかきまわし、新しい文化をもたらし、結果的にみんなに幸せをもたらす文化英雄としての役割を担っている。これは文化人類学の用語を使うならば、「トリックスター」性を持っているといえる。
上級編
⑴メタフィクション
・「フィクションについてのフィクション、とくに作中においてみずからが作り物であることを隠さない小説」
・「時空間のゆがんだ虚構世界の創出、虚構内虚構という入れ子構造の援用そしてとりわけ異次元の物語空間のあいだの境界侵犯」
・作者、作中人物、読者が画然と分かれる普通の読書空間とは違う「不思議な空間」。
⑵パラテクスト
《パラテクストとはたとえば次のようなものだ……表題・副題・章題・序文・後書き・緒言・前書き等々、傍注・後注、エピグラフ、挿絵、作者による書評依頼状・帯・カヴァー、およびその他多くのタイプの付属的な、自作または他者の作による標識などがそうなのであって、これらのものがテクストにある種の〈可変的な〉囲いを、そして時には公式もしくは非公式のある注釈を与える……》
『かいけつゾロリ』を論じる時、テクスト部分(お話の本体部分)だけでなく、パラテクスト部分にも目を配る必要がある。ここに、さまざまな工夫や、仕掛け、遊び心があふれていて、『ゾロリ』の人気のひみつが潜んでいる。
①「裏表紙」と「カバー」が違うのは『ゾロリ』ファンなら常識です……間違いさがし、ゲーム、2コママンガなど
②本の顔というべき「表表紙」でも遊び始めた!……45『きょうふのちょうとっきゅう』、50『はなよめとゾロリじょう』など
③「見返し」「裏見返し」…最初の頃は迷路、謎々、イシシ・ノシシの漫才劇場、ふろくの作り方など。やがて「ペットにしたい恐竜図鑑」「全国花子さん情報」「日本国中宝の山だ(埋蔵金の地図)」など本編と関連する情報を提供するページに。さらに「ゾロリの本で被害者続出(苦情の数々)」「星の大爆発、隕石は地球に」など本編の導入部になり、前後編の場合は前編のあらすじ紹介となる。後の見返し(裏表紙の裏)では、新聞形式で事件の報告、登場人物の後日談、次の巻の予告などを。
④「ゾロリ新聞」、「おまけ」、帯、別冊など
⑤一冊の本のいろんな部分を使って、一冊の雑誌をつくろうとしている。
⑶隠されているもの
ゾロリは、隠し絵の形で草むらや岩陰に潜んでいるママのゆうれいと、小さく描かれて遠くの大空に姿を現すパパに見守られながら、旅を続けている。
⑷遊びと創造性
《創造性》は《異なる思考》すなわち、経験の図式を連続的に打ち破ることのできる思考と同義である。《創造的》とは、つねに仕事をし、つねに疑問を投げかけ、他人が充分な答を見出したところに問題点を発見し、(父親からも先生からも社会からも)独立した自分なりの判断ができ、法典化されたものを拒否し、順応主義に毒されることなく事物や概念をあやつることのできる精神をさす。そして、この過程はーよくよく聞いてほしい!―あそびの性格を持っているのだ。
(『ファンタジーの文法』ジャンニ・ロダーリ)
⑸物語は増殖する
先行テクストの引用、変形、別ヴァージョン、リメイクなど
*『物語のかなた 上橋菜穂子の世界』(藤本英二、久山社)の第五章を参照
・シンデレラ(450以上)……『人類最古の哲学』(中沢新一、講談社)
・ロビンソン(1000以上)……『ロビンソン変形譚小史』(岩尾龍太郎、みすず書房)
・桃太郎(明治以降でも600以上)…『桃太郎の運命』(鳥越信、ミネルヴァ書房)
*今昔物語集+A・ビアス「月明かりの道」⇒芥川龍之介「藪の中」⇒黒澤明「羅生門」
*シェイクスピア全37作⇒井上ひさし『天保十二年のシェイクスビア』
*ホメロス『オデッセイア』⇒ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』
*モダニズム文学……文学的伝統+現代性+批評意識
*丸谷才一
『後鳥羽院』……新古今和歌集のモダニズム性、本歌取り
『輝く日の宮』……源氏物語、泉鏡花、芭蕉
*村上春樹『海辺のカフカ』……源氏物語、オイディプス、
*外山滋比古『異本論』
参考
⑴佐藤忠男「少年の理想主義について」(1959年『思想の科学』初出、現在『大衆文化の原像』(同時代ライブラリー、岩波書店)に収録。)
…文学史研究上、「通俗児童文学」として低い評価を下される『少年倶楽部』(大正三年~昭和三七年)を、当時の愛読者である自分たちの実感に即して擁護した評論。
⑵ジャンニ・ロダーリ『ファンタジーの文法』(ちくま文庫)
⑶山口昌男の道化論、トリックスター論
⑷ジェラール・ジュネットのパラテクスト論(『スイユ』水声社、ほか)
⑸井上ひさし『ブンとフン』、ほか、戯曲、エッセイなども。
⑹藤本英二『人気のひみつ、魅力のありか』(2011年、久山社)
勝手に推薦「かいけつゾロリ」ベスト10(発表年順)
2・きょうふのやかた
12・きょうふのプレゼント
14・きょうふのサッカー
15・つかまる!!
18・にんじゃ大さくせん
23・大金もち
24・テレビゲームききいっぱつ
26・ちきゅうさいごの日
30・あついぜ!!ラーメンたいけつ
32・じごくりょこう
37・大どろぼう
45・きょうふのちょうとっきゅう
(『最新文学批評用語辞典』研究社出版)
(『現代文学理論』新曜社)
『パランプセスト 第二次の文学』ジェラール・ジュネット(一九九三年、水声社)
ゾロリの源泉としての映画
原ゆたかは、子どもの頃は、東宝映画のファンだった。ゴジラなどの円谷プロの特撮怪獣映画と、クレージー・キャッツの植木等主演の娯楽映画。困難にであっても何とかしようとする積極性、失敗してもくよくよせずに前に進もうとする楽天性、《植木等》ゆずりのようだ。兵庫県の高校時代、友人と8ミリ映画を作っていた。
《横道の話・五社協定と各映画会社の特徴》
・1953年~1971年、途中58年から日活が加わり六社になったが、61年新東宝が倒産、再び五社になった。監督やスターを映画会社が囲い込むシステム。
・松竹……小津安二郎監督、
・東宝……黒澤明監督、喜劇、特撮。
・大映……勝新太郎、市川雷蔵
・東映……時代劇から任侠映画へ、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、大川橋蔵、高倉健
・日活……石原裕次郎、小林明、吉永小百合。無国籍アクション、青春映画
例・26巻『ちきゅうさいごの日』の場合
・大枠は『妖星ゴラス』+『七人の侍』
・『タイタニック』、『はっぱのフレディ』などの小ネタ
・ダンク(きょうふの大ジャンブ)の再登場
・前の巻のラストページに、小さく隕石が描き込まれている。(さりげない予告)
2014・3・9 カキナーレ塾
「羅生門、山月記、こころ」を授業するためのヒント
藤本英二
はじめに
「羅生門、山月記、こころ」で、印象に残っている事柄、ことば、表現は何ですか。
Ⅰ 授業の準備
⑴まず、生徒と同じように、素直に(よけいな知識にふりまわされずに)読んでみる。疑問に思った点、すぐにはわからなかった点、ここが面白いと思った所をあげていく。そして、何度も読み、作品分析をしてみる。特別な作品分析の方法や文芸学的な概念は、知らなくてもよい(知らないほうがよい)。
⑵次に、生徒が読む場合を想像してみる。生徒がひっかかる所、つまずく所、など、作品の「難所」を予想し、どう説明すればよいかを考える。
「羅生門、山月記、こころ」のどれも理屈っぽくて、言葉遣いや言い廻しが難しく、生徒が理解しにくい箇所がある。
《一義的ではあるが難しい所》⇒わかりやすい説明の仕方が必要。説明、整理するために文図を作ってみるのもよい。
・例「どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選ばないとすれば-下人の考えは何度も同じ道を低回したあげくに、やっとこの局所に逢着した。しかしこの「すれば」はいつまでたっても、けっきょく「すれば」であった。」」
・例「己の珠にあらざることを惧れる」「己の珠なるべきを半ば信ずる」
「共に我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。」
・例「Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしている」
「彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。」
⑶意見が分かれる箇所を予想し、あらかじめ自分なりの意見を持っておく。但し、自分の意見に固執しないことも必要。
《重要ではあるが、多義的なとらえ方、解釈をゆるす所》
・例「下人は何故老婆の行為を許すべからざる悪と考えたのだろうか」
・例「李徴の詩に欠けるものとは何だったのだろうか」
・例「Kは何故自殺したのか」
こういう個人の読み・解釈に関わる部分は、授業の中で何人もの意見を聞き、整理して教室全体のものにする。そして、最後の感想文、あるいは考査で「~について自分の意見・感想を記せ」という設問で問い直す。
⑷授業展開のためのノートを作る
⑴、⑵、⑶をミックスして授業展開を考え、ノート(板書の準備)を作る。僕の場合は、《設問形式にして、通し番号を打つ。》これが実際の授業の骨組み、見取り図になる。
☆自分が授業をするときに、ここは大事にしたい所(小説の核心部分)はどこか。
・例「平安朝の下人のサンチマンタリスム」
・例「尊大な羞恥心、臆病な自尊心」「自嘲癖」
・例「覚悟、覚悟ならないこともない」
Ⅱ 実際の授業で
①音読をどうするか
一般的には、教師が範読したり、指名して生徒に読ませたりするけれど、こんなこともできる。
・ 朗読テープを利用する(例・新潮カセットテープ「山月記」なら江守徹の朗読)
・ 事前に読む範囲を指名しておき、読ませる(特に「こころ」などのように長い場合有効。グループで朗読させてもよい。地の文担当、会話文担当など工夫させて)
・ 暗誦させる(例えば、「山月記」の冒頭。教師がやって見せてもいい。課題にしておいて、放課後職員室にこさせてもいい。)
②その一時間の授業の展開を演出する
同じ調子で授業をするのではなく、一時間分を分割して、メリハリをつける。
枕、脱線、雑談、ムダ話も有効かも。
例・日本語が公用語となっている所が、世界で一つだけあるんだけど、どこだと思う?
例・漱石の顔写真の変遷(第一学習社の国語便覧)
視聴覚教材を持ち込み、授業の流れにアクセントを打つ。CDラジカセ、液晶テレビ、プロジェクター、パソコンを積極的に使うこと。
例・黒澤明の『羅生門』の冒頭に羅生門が出てくる。
例・ユーチューブで検索。「こころ」を現代化した映画「蒼筝曲」(2012)。乃木坂46の斎藤飛鳥の紹介・朗読する「山月記」があった。いやあびっくり。
例・『敦・山月記名人伝』(野村萬斎演出、DVDあり)、これは時間があれば全編見せてもいい。
③一方的な講義ではなく、生徒との応答による授業。ノートをあとで見返して、授業が思い出せるように、板書する
僕の授業は、すべて《設問形式にして、通し番号を打つ》が基本で、それに即して板書する。問に対する答えが一通りに決まる場合と、いろいろな答え方がありうる場合がある。後者の場合は、生徒の答えをすべて板書する。(つまり、クラスによって板書の中身が違う。但し、あのクラスではこんな意見も出たんだけど、という風に紹介したりはする)
授業は「教師のノート」⇒「板書」⇒「生徒のノート」という風な「一方通行の知識伝達」でない。授業はライブであり、生徒との応答は一回限りの即興演奏(インプロビゼーション)のようなもの。即興演奏が可能になるためには、しっかりした問題設定が必要。授業のノートはライブ録音(生徒自身の感想も書き込ませる)。
Ⅲ 僕の体験から(こんなことがあった)
「羅生門」の場合
A 何故、下人は老婆の行為を見て「悪を憎む心」を燃え上がらせたのか。とたずねて
・死者の髪を抜くというのは死者に対する冒とくだ。下人は、老婆の中に自分の悪を見た。(有沢)
・下人は老婆が盗みをしていたのなら、別の反応をしたであろう(自分も盗みを考えていたので)。自分とは違うことをしていたので、一般人の心にもどって、怒りをもった。〈髪を抜く〉でなくても良かった。恐怖が消えて、心のスペースができた。そこへ憎悪が。(小沢)
・長年仕えていた主人から暇を出され、人間に対する不信を抱くようになった。下人に信じられるのは自分だけ、自分の感覚だけ。(駒池)
メモ
・老婆の姿に自分を見た。 ・死骸に自分の姿を見た(死んだ後であんな風にされるのはイヤ) ・自分の中に、「盗人」を考える自分に対する良心があり、それを自分にむけずに老婆にむけた。 ・死体にイタズラをすること自身許されぬ。
・死体に対する冒とく。
B 「外にはただ黒洞々たる夜があるばかりである」の印象(その象徴性)をきくと
・静けさ、無気味さ、沈んだ ・下人が悪の世界へ踏み込んだ
・何もなくなっていく ・社会が乱れている、悪い、世界の汚さ
・暗黒の悪の世界、どうしようもない ・下人の心境、老婆の心理
・すべてをのみつくす暗さ ・自分が悪いことをする者は……
・下人の絶望的な気持ち ・人間の良心もない世界
・下人のこれからがまっくら ・おおっぴらに生きていけない
・誰もいないまっくらな夜 ・下人の明日を保障、生きていける
・まわりの様子、羅生門の出来事が小さいこと
「山月記」の場合
A 「李徴の詩に欠けるものとは何だったのだろう」ときくと
・世間知らずの詩であった ・名誉を求める詩
・自嘲的な所があったから ・自己満足の詩
・人間らしさがない(人とのまじわりがない)
B 最後の感想
「こころ」の場合
A こんなこともやってみたーゲストを招いて討論をー
《1986年12月、県立伊丹高校で》……十一年目
一連の授業のまとめの時間に、国語科の若い川口先生に教室に来てもらい、生徒の方から質問させ、そこから討議するというやり方をした。あらかじめ質問者、質問事項を決めておいた。その時用意された質問事項は、次の五つ。
⑴Kが死ぬ時の、Kの気持ちとかが書いていなかったが、何故か。
⑵漱石はこの作品で何を言いたかったのか。
⑶どうして《K》という名にしたのか。
⑷お嬢さんはKのことをどういう対象として見ていたのか。
⑸もしも私が出し抜いたりせずにいたら、どうなっていたか。
この中で、⑵については「Kの孤独」「先生の孤独」を挙げる川口先生に対して、「Kの孤独」を強調する子、「先生のエゴイズム」を挙げる子が出てきて、結構白熱した話し合いになった。
B 長編の抄録という問題にどう対処するか
夏休みに、「こころ」全編を読んでくることを課題にする場合が多い。
それが無理なら、こちらで全体像を解説。(別紙プリント)
Ⅳ こんなことも考えてみる(次のステップのために)
A 研究書を読む。(数が多いので、当たりを付けるにはコツがいる)
☆『筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫、1800円)
……ここに「羅生門、山月記、こころ」の作者・作品論、教材の分析・教材の生かし方、作品鑑賞、作者研究などがあり、参考になるはず。
☆『〈新しい作品論〉へ〈新しい教材論〉へ』(右文書院、全六巻、各3200円)
……1巻に「こころ」(中村三春/鳥居明久)、2巻に「羅生門」(林廣親/田近洵一)3巻に「山月記」(渥美孝子/丹藤博文)の論がある。
☆『漱石研究』(翰かん林りん書房)の第6号が「こころ」特集
……このシリーズは、座談会なども読みやすく、しかも研究動向を概観でき、かなり役に立つ。
授業実践の記録、教科書の指導書、生徒用の教科書ガイドを見てみる。
情報収集のできるインターネット、図書館、書店を使いこなす。
B 作品の間テクスト性(インター・テクスチャリティ)を考えてみる。
作品を単独のものととらえないで、関係でとらえる。元ネタは何かとか、映画化、マンガ化されたものと比較するとか、影響とか類似性とか、いろいろな側面から作品をとらえること。
「羅生門」の場合
a 方丈記、今昔物語集など
⇒b 芥川龍之介「羅生門」
⇒c 黒澤明「羅生門」
(但し使われているのは一部、ベースは「藪の中」)
「山月記」の場合
a 人虎伝(中国)……岩波文庫『唐宋伝奇集』上下で読める
⇒b 中島敦「山月記」
⇒c 『敦・山月記名人伝』(野村萬斎演出、DVDあり)
「こころ」の場合
a この部分は「羅生門」「山月記」ほどはっきりしない。「それから」「門」などの漱石自身の作品を参考にすることも。
⇒b 夏目漱石「こころ」
⇒c 漫画『めぞん一刻』(高橋留美子)、映画『心』(新藤兼人、1972)
大江健三郎『水死』(2009)
これらをどう授業にどう活かすか、工夫が必要。まあ直接触れなくても、こんなことを考えてみること自体が楽しい。
この延長線上に、作品の脚本化、劇化、マンガ化、新聞記事化、別の視点からの語り直し、後日談作り、作品の比較研究などの授業展開も可能。
C 「定番教材」の意味を問い直す
何故「羅生門、山月記、こころ」が高校国語教科書の「定番教材」となっているのだろうか。
①授業をする教師にとって
②授業を受ける高校生にとって
③もし、芥川龍之介、中島敦、夏目漱石の他の作品を教材として選ぶとしたら、自分は何を選ぶだろうか。
④自分にとっての「定番教材」は何だろうか。何度も繰り返しやって、これは是非高校生に出会わせたいと思う作品は。
⑤一般的にも、自分にとっても「定番教材」ではなくて、最近出会った作品で授業をしてみたいと思っているものは何ですか。
カキナーレ塾「詩教材の紹介と詩の授業」の報告
藤本英二
この日のために『授業のための現代詩アンソロジー』(A4・66ページ)を限定20部作りました。収録した詩は70編。《ことばあそびとライトバース34編、恋のうた6編、暮らしの中で7編、方言詩の可能性10編、挽歌4編、戦争のあとで4編、生きることのパースペクティブ5編》これを参加者に手渡すだけで、まあ「教育実践の形見分け」という目的はなかば達成されたようなものです。
「形見分け」のもう一つの品物は、これまで僕が授業で使ってきたビデオ(DVDに変換してきました)。『現代詩はよみがえるか(石垣りん、辻征夫、町田康、谷川俊太郎の自作朗読とねじめ正一の詩人へのインタビュー)』、『詩のボクシング(ねじめ正一VS谷川俊太郎)』、『東淵修自作朗読・新世界に生きて』、『吉永小百合、原爆詩の朗読』。話の中でこれらを紹介し、少し見てもらい、希望者には進呈。DVDは各3~4枚焼いてきましたが、全部貰ってもらえました。(足りない分は参加者間でコピーして融通するとのこと。良かった、良かった。)
最初に、参加者の問題意識を知りたくて、詩の授業についてどのようにしているか、あわせて各自の好きな詩、詩人もあげてもらいました。黒田三郎の名前が複数の人から挙がって、僕としては同好の士を見つけた思い。話したい内容の半分以上の項目(沢山の詩と出会わせたいとか、音読することを大切にしているとか、)が出てきました。
模擬授業形式も取り入れたいけど、「私恥ずかしいからパス」という人はいませんか、と訊ねると、一応、九名全員OK。それで詩の朗読も順番にやってもらいながら、進めることにしました。(結果的に、この日、50編ほどを朗読。)
Ⅰ 僕からの問題提議
教科書の詩に対する不満は、《①数が少ない……ほとんどが一人一作品。三作品程度、三年間で十作品あるかな。②言葉遊びの詩が少ない。③恋愛の詩が少ない ④標準語がほとんど、方言の詩がない。⑤ほとんどがモノローグの詩。複数の声のある詩もやりたい。》です。具体的な対案として僕は教材を集め、詩の単元では30~40編の詩を扱ってきました。
詩の授業をするとき《①感性に頼り過ぎて、詩を方法に即して読むことがないのではないか、②感動を生徒に強要していないか、③教師からの一方的な教え込みになっていないか(生徒との対話は成り立っているか、教室という「場の力」を活かせているか)④誰もが納得できる普遍的な読みと体験に根差した個人的な読みを区別し、個人的な読みを掬い上げる途をさぐっているか。》といった危惧を僕は持っています。
Ⅱ 僕と詩との出会い、詩の授業の歩みを語りました
中学・高校時代、僕は詩が好きではなく、唯一印象に残ったのは、模擬試験で読んだ詩。のちに、これが黒田三郎の「九月の風」であることを知りました。
大学時代、大江健三郎から第一次戦後派へと関心が広がり、その延長で「荒地」の詩人を読むように。いくつかアンソロジーを読み、詩も面白いと思い始めた頃、京都で石垣りん氏の講演を聞き、「崖」の朗読に衝撃を受けました。また吉本隆明の詩歌の分析や『言語にとって美とは何か』から大きな影響を受けました。指示表出と自己表出という概念は詩を分析したり、授業したりする時に有効でした。(ここで《文学作品は要するに韻律・選択・転換・喩の四つの使い方で決定される》《主題でも何でもありません。》という吉本隆明の考えを紹介)
明石の文芸研のサークルで、西郷竹彦氏の詩の講義を受け、目からうろこが落ちました。視点・比喩・構成・語り口などに着目するなら、自分にも詩の授業ができるかも。ただ長谷川龍生「理髪店にて」の分析は、頭では理解できてもなかなか、気持ちがついていかず授業では扱えませんでした。「詩は作者が自分の思いを述べるもの(詩はモノローグ)」という思い込みがあり、二人の語り手の存在に心理的抵抗があったのです。ところが自分が見つけて分析し繰り返し授業してきた、井上俊夫の「豆腐」が、実は「理髪店にて」と同じ構造(二人の語り手、幻像の生まれるメカニズム)を持っているのだと気がついて、二つの詩を連続して授業できるようになりました。
最初の赴任先、舞子高校では、黒田三郎の詩集「小さなユリと」(12編)をまるごと授業しました。二校目の伊丹高校での実践をまとめたのが、『現代詩の授業』(1993、三省堂)。遊びの詩、恋愛詩などを入れて、詩のテクストを編集することを意識しました。「読みの方法、場の力、魂の声」というのが、この頃の授業の目標でした。その後、吉増剛造と出会い、詩の声、音としての詩を強く意識するようになり、詩人の朗読、詩のボクシング、等を授業に入れるようになりました。
Ⅲ 『授業のための現代詩アンソロジー』をみんなで順番に読んでいきました
具体的に詩の紹介は、ことばあそびとライトバースから始めました。視覚に訴えるコンクリート・ポエムや、ヴィジュアル・ポエトリー、現代のいろはうた、谷川俊太郎のことばあそびうた、まどみちおの作品……。
那珂太郎の「〈毛〉のモティフによる或る展覧会のためのエスキス」はどの章が一番いやらしいと思いますかと質問。これかな、あれかなといろいろ意見が。
草野心平「ごびらっふの独白」は、前半は《カエル語》で、初読ではとても読めない詩、《るてえる びる もれとりり がいく。/ぐう であとびん むはありんく るてえる。/けえる さみんだ げらげれんで。/くろおむ てやらあ ろん るるむ かみ う りりうむ。/なみかんた りんり。/なみかんたい りんり もろうふ ける げんけ しらすてえる。……》誰か読みますかと訊ねると、内田さんが「じゃあ、僕が」と、実に端正に朗読。かなり読みなれていることがわかりました。後半の日本語訳の部分と比較していた河田さんが突然「あれ、《るてえる》って《幸福》という意味?」と発言。この詩が細かく設定され作り込まれた詩だということに、自分で気づいたわけです。僕も授業で生徒にカエル語と日本語訳とを比較させました。
川崎洋「悪態採録控⑴」は作者名・作品名・悪態の引用だけからなる詩です。ああこの表現覚えてるわという参加者の声もあがります。町田康「こぶうどん」は、作者の朗読を見てもらいました。大阪弁の話し言葉のこの詩は、高校生も大好きでした。
Ⅳ 《恋のうた》では、「初恋」と「たかが詩人」を検討しました
高橋睦郎「鳩」(表面的に会話が成り立ってないのはどこか)、阪田寛夫「葉月」(語り手の一人称が次々と変化)「練習問題」(典型的な二連構成・一連の形を踏まえた上での二連)、安水稔和「君はかわいいと」を読んで、授業での反応も軽く紹介。
そのうえで、吉原幸子「初恋」、黒田三郎「たかが詩人」について、参加者の意見を聞きながら、少し時間をかけて、分析的に読み進めました。
初恋 吉原幸子
ふたりきりの教室に 遠いチンドン屋
黒板によりかかって 窓をみてゐた
女の子と もうひとりの女の子
おなじ夢への さびしい共犯
ひとりはいま ちがふ夢の 窓をみてゐる
ひとりは もうひとりのうしろ姿をみてゐる
ほほゑみだけは ゆるせなかった
おとなになるなんて つまらないこと
ひとりが いたづらっ子に キスを盗まれた
いたづらっ子は そっぽをむいてわらった
いたづらっ子は それから いぢめっ子になった
けふは歯をむいて「キミ ヤセタナ」といった
それでひとりは 黒板に書く
オコラナイノデスカ ナクダケデスカ
ひとりはだまって ほほゑみながら
二つの「カ」の字を 消してみせた
うすい昼に チンドン屋のへたくそラッパ 急に高まる
この詩では、何人の人間が出てきて、誰が誰のことをどう思っているか、人間関係を正しくつかむことが大切です。参加者からは「おなじ夢への さびしい共犯、がわからん」、「両想い」「三角関係」「レスビアン」「昔の恋愛観と現代の恋愛観」「キスを盗まれて、相手を好きになるのか」「初恋というタイトルの意味は」などなど、意見続出。でも話していくうちに、徐々に一定の方向(僕のいう普遍的な読み)に、収斂していきました。
これに比べると、黒田三郎の「たかが詩人」は少し手ごわかったようです。
たかが詩人 黒田三郎
あなたのお人形ケースにしても
あなたの赤いセーターにしても
あなたが勝手にひとにやってしまうには
なんといろいろの義理や
なんといろいろの都合の悪いことが
この世にあることだろう
きっとあなたそのものも
あなたが勝手にひとにやってしまうには
お人形ケースやセーターと比べ物にならぬくらい
いろいろの義理や
都合の悪いことがあるのだ
欲しがってならないものを欲しがった後の
子どものように
僕は夜の道をひとり
風に吹かれて帰ってゆく
新しい航海に出る前に
船は船底についたカキガラをすっかり落とすという
僕も一度は船大工になれると思ったのだ
ところが船大工どころか
たかが詩人だった
二連構成の詩で、一連と二連をトータルに(イメージの連環として)とらえることがとても重要です。第一連については、だいたいわかるのですが、第二連の意味、特に「新しい航海に出る」「船」「船大工」の意味を、つかまえそこねていました。
《お人形ケース・赤いセーター/義理や都合の悪いこと》
《あなたそのもの /義理や都合の悪いこと》
《新しい航海に出る船 /船底のカキガラ》
というイメージの連環になっていて、「船」=「あなた(女)」ととらえなければだめなのです。「船大工になる」というのは、もちろん比喩(隠喩)で、「あなたについている義理や都合の悪いこと」を捨てさせるという意味になります。
Ⅴ 東淵修の自作朗読と吉増剛造「石狩シーツ」の朗読
黒田三郎や石垣りんの詩を読んだあと、東淵修の『新世界に生きて』という朗読DVDから、「いちのへや」と「にいのへや」を見てもらいました。そして、東淵修と吉増剛造のジョイントコンサートに参加して、〈詩人の朗読の力〉に触れたことを話しました。
吉増剛造の『石狩シーツ』(長編詩、朗読30分)CDを聴いて、全く分からず、半年ほど毎晩聴きつづけた体験を話し、冒頭の5分ほどを参加者に聴いてもらいましたが、みんなもこれは何なんだという暗い表情。河田さん一人、「これ面白いですね」としきりに喜ぶので、CDのコピーを進呈。
Ⅵ 方言詩について
片岡文雄「イヌノフグリ」は「共通語だったら」と「高知ぢゃったら」と二つの部分からなっています。この二つを比べてみてどのような違いを感じるかを、参加者からあげてもらいました。
日本語は一人称の数が多い(僕、私、俺、あたい、うち、……)という特徴があります。定時制で、その話をする時によく使ったのが、秋田宏子「わあ」(鳥取)、古波蔵幸枝「ワー」(沖縄)です。
Ⅶ 歌われる現代詩、そして『詩のボクシング』
茨木のり子の「私が一番きれいだったとき」など、現代詩に曲をつけて歌った『女の詩、そして現在』(吉岡しげ美)を、授業で使ったことがあります。近代詩なら、島崎藤村「初恋」(舟木一夫)、佐藤春夫「海辺の恋」(小椋圭)なども。
この日は、菅原克己「ブラザー軒」(高田渡)を聴いてもらいました。高田渡が元の詩のどこをリフレンしながら歌っているか、僕にはとても興味深かったです。詩に曲をつけて歌うということは、単なる再現ではなく、解釈や再創造であるわけです。
中島みゆきや井上陽水の歌などは、現代詩としても扱えると思います。
宮澤賢治の詩は、よく教科書に採られているけれど、「雨ニモマケズ」をやる時には、井上陽水の歌「わかんない」を紹介したいし、「永訣の朝」をやるのなら、賢治の長編詩「青森挽歌」を念頭におきながら、授業したいと思います。《一方向への詠嘆・解釈に流れがちな詩》は、異化しながら読むことも必要。
『詩のボクシング』(ねじめ正一VS谷川俊太郎)の一場面を見てもらい、吉永小百合の原爆詩朗読は紹介するにとどめました。
Ⅷ 六時間でも足りなかったなあ
この日、六時間の内容は、もっといろいろあったし、それに時間の関係で語れなかったこともあるのです。最後に若い教師へのアドバイスと推薦図書を。
①自分で「詩のアンソロジー」を作ることをお勧めします。
・自分自身が多くの詩、詩人に触れること。まず「詩のアンソロジー」をいくつも読んでみる。一冊の中に一つか二つ、自分の気に入った詩が見つかれば、それで十分。
『詩のこころを読む』(茨木のり子、岩波ジュニア新書、1979)
『日本方言詩集』(川崎洋、思潮社、1998)
『現代の名詩 鑑賞のためのアンソロジー』(小海永二、大和書房、1985)
・好きな詩人ができたら、その人の詩をいくつも読んでみる。
②詩の文芸学を学ぶことです
・吉本隆明……『全著作集第5巻文学論Ⅱ』(勁草書房、1970)、
『戦後詩史論』(大和書房、1987)、
・西郷竹彦……『文藝教育著作集12詩の世界・詩の理論』(明治図書、1977)
・佐藤信夫……『レトリック感覚』『レトリック認識』(講談社学術文庫)比喩のことをちゃんと学ぶなら、これが一番。
今回は、若い人も多く、模擬授業の雰囲気も楽しく、とても充実した時間を持てました。このような機会と場を用意してくださった深谷先生に深く感謝いたします。
法華宗真門流・研修会・2015年2月19日
人をひきつける話し方、書き方 藤本英二
はじめに
・こどもの頃にお寺で聞いた話
・高校生に最初にしたDNAの話(一年生の担任クラスで)
・高校生に最後にした荒川弘「銀の匙」の話(離任式で)
Ⅰ 「お話」を作る(組み立てる)
⑴「お話」を作るとは、題材を「つなぐ」ことだ。
・何を話の材料にするかを考える。
・「自分の眼」でまわりを見て、話の材料になるものを見つける
……テレビ、新聞、映画、ネット情報、人の話、などなんでも材料になる。但し、最適のものがすぐ見つかるとは限らない。ぼんやりと見る、出会うのを待つ。
(僕の場合)カレー粉の箱に「hot」と書いてあった。
・自分の体験・見聞と話の主題とをどうつなぐかを考える。
・抽象的な話をする場合は、具体的な話で肉付けする。逆に具体的な話はどこかで抽象的、普遍的な話でまとめる。
・新聞の短文コラムの例
⑵自分(話し手・書き手)と聞き手・読み手を「つなぐ」。
……聞き手・読み手 ⇔ 話し手・書き手《主張 ⇔ 具体的な材料》
Ⅱ 文学と宗教の接点
・ディック・ブルーナ(1927~、オランダ)
「うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん」1996⇒2008
「うさこちゃんときゃらめる」2008⇒2009
※ナイチェ・プラバス、ミッフィー、うさこちゃん
・現代詩の中から
Ⅲ 話すことのポイント
⑴話の原稿を準備するか、即興か。……丸谷才一の場合
⑵話にはその日の調子で、出来不出来がある。聴衆の反応にもよる。
a 話の大筋(準備しておく)をはずさない
b 興に乗って(その場応じて)思うことをたぐってゆく。
⑶枕をどうふるか……小林秀雄の話しぶり、水上勉の枕の振り方、柳田邦男の講演の枕
⑷話の場のとらえ方……吉増剛造の朗読会で、ライブ感が必要
⑸話のユーモア……笑いがあるか。話の場での笑いは、聴衆との呼吸。文章で笑いを生むのはより難しい。ユーモアはどこから生まれるか。ともに愚かな人間であることを笑う。
⑹「夏の文学教室」を聞いた経験から
・別役実 ……「銀河鉄道の夜」について……斬新な解釈、
・伊藤比呂美 ……「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」「読み解き「般若心経」」
・俵万智 ……女流歌人について
・落合恵子……東北大震災後の活動について
⑺場の状況(現場性)+聴衆の気持ち(共感性)+自分の気持ち(真実味)
Ⅳ 書くことのポイント
⑴頭の中の考え(出来上がったもの)を、紙に移す(文章に書く)のではない。
⑵考える足掛かりとして、まず文字を書く(単語や短文でもよい)。「書くこと」と「考えること」の往復運動の中で文章は形をなしてくる。
⑶小さなブロックをいくつか作る。それらのつなぎ方、積み上げ方を考えてみる。
⑷文章上達の最良の方法は「自分の文章を他人の眼で読みなおす」ことである。
・部分(文)を読む。全体(文章)を見る。二つの眼を使う。
・ひとりよがりの文章になっていないか。他人に伝わる文章になっているか。
・権威づけのための引用になっていないか。とってつけたような引用になってないか。
・書き手の「私」はどこに現れているか。(語るのは「私」である。)
⑸全体の流れから見て不要な部分は、思い切って捨てる。(自分の思い入れのあるものほど捨てにくいけれど)
「ミニ法話」を読んでみて
・おもしろいのは、具体的な信者さんの話。
・一般的な世相批判は、どうしても「ステロタイプ」で、おもしろくない。
・「引用文」が難しい場合が多い。①古文である、②専門用語が出てくる、③引用量が多い。
その引用をわかりやすく自分のことばでリライトできないか。
・書き手の「私」が感じられない場合が多い。
・「事」が多用されている文は、推敲が必要。1000字の中に15個は多い。(自分の文章の「癖」を自覚する)……僕の場合、「が」でつなぐことが多い。
☆読書感想文には多くの生徒がつい使ってしまう決まり文句、結びのことばがある(読んでよかったと思います、同じ作者の他の作品も読んでみたいと思います、など)。法話の場合もあるのではないですか。
Ⅴ まとめ 「対話」を心がける
a 話しには枕が必要
b 話し手が、自分を出すこと。(自分の見聞や体験が有効)
c 一方的な押しつけ、教え込みにならないようにする。聞き手の理解・疑問に答えながら、対話型の話をめざす。
d 何か一つでも、新しい知識・情報を組み込む。
e 話全体の分節化をはかる。(今何がテーマなのかを明確にしながら)
f 肉声の話だけでなく(聴覚に訴えるだけでなく)、音楽や映像などを利用する。3分程度ならともかく15分以上ならその工夫が必要。(絵、音楽、音声、映像、絵本、CD、DVD)何かに託して語る(絵本、マンガ、詩)
g リラックスと集中の切り替え、繰り返しのリズム(テーマ、モチーフの反復)
h 笑いと涙(感情に働きかける。基本は愚かさの共感)
※ウイット(機知)ではなくユーモアを⇒自分の愚かさを共に笑う
法華宗真門派・研修会用資料 2015年2月19日
カニ まどみちお
カニがカニッとしているのは嬉しい
カニがそれを気づいてないらしいので
なおさら しみじみと…
ああ こんな私も私っとしていることで
だれかを喜ばせているのかもしれない
私がまるで気づかないでいるとき
いっそう しみじみと…
そう思うこともできるんかなあ
と私は私を胸あつくさせた
ぺんぎんの子が生まれた 川崎洋
ぺんぎんの子が生まれた
父さんと母さん
それぞれのおじいさんとおばあさん
さらにはひいじいさんとひいばあさんと
ほんの二五代さかのぼっただけで
この子の両親を始めとする先祖の総計は
六七一〇万八千八百六二羽になる
そのうちのどの一羽が欠けても
この子はこの世に
現れなかった
ぺんぎんの子が生まれた
居酒屋にて 茨木のり子
俺には一人の爺さんが居た
血はつながっちやいないのに かわいがってくれた
爺さんに小さな太鼓をたたかせて
三つの俺はひらひら舞った
ほんものの天狗舞いが門々に立つようになると
こぶしの花も咲きだして
ようやく春になるんだったよ
俺には一人のおふくろが居た
八人の子を育て 晩年にゃ五官という五官
すっかり ゆるんではてて
ずいぶんと異な音もきかされたもんだっけが
おかしなおふくろさ
深刻なときも鼻歌うたう癖あってなあ
俺には一人の嬶が居た
どういうわけだか俺を大いに愛でてくれて
いやほんと
大事大事の物を扱うように
俺を扱ってくれたもんだ
みんな死んでしまいやがったが
俺はもう誰に好かれようとも思わねえ
いまさらおなごにもてようなんざ
これんぽんちも思わねえど
俺には三人の記憶だけで十分だ!
三人の記憶だけで十分だよ!
へべれけの男は源さんと呼ばれていた
だみ声だったが
なかみは雅歌のようにおもわれる
汽車はもうじき出るだろう
がたぴしの戸をあけて店を出れば
外は
霏霏ひひの雪
・
いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり
たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり
誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある
はつ鮎 中 勘助
藁科川に初鮎をつるかたがた
もしや脚絆わらぢの釣り支度で
竿をもたない年寄がいつたら
お邪魔でもすこし席をあけて
釣りを見せてやつてください
背の高い半身不随の
もののいへない年寄です
彼はわれとわが心から
淋しく 苦しく 不仕合せで
釣りのほかには楽しみがなく
これといつて慰めもありません
老衰のうへに病気もてつだつて
重たい鮎竿がもてないため
さうしてひと様の釣りを見てあるきます
そんな老人にお逢ひでしたら
私の伝言を願ひます
私はここにきてゐると
うきや糸まきおもりなど
かたみの品もあるから
ゆつくり寄つて休むやうにと
どうぞ皆さんお願ひします
彼は私の亡くなつた兄です
ブラザー軒 菅原克己
東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上る。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
プラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
花 の 名 茨木 のり子
「浜松はとても進歩的ですよ」
「と申しますと?」
「全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃあ進歩的
です」
なるほどそういう使い方もあるわけか 進歩的!
登山帽の男はひどく陽気だった
千住に住む甥ッ子が女と同棲しちまって
しかたないから結婚式をあげてやりにゆくという
「あなた先生ですか?」
「いいえ」
「じゃ絵描きさん?」
「いいえ
以前 女探偵かって言われたこともあります
やはり汽車のなかで」
「はっはっはっは」
わたしは告別式の帰り
父の骨を柳の箸でつまんできて
はかなさが十一月の風のようです
黙って行きたいのです
「今日は戦時中のように混みますね
お花見どきだから あなた何年生れ?
へええ じゃ僕とおない年だ こりゃ愉快!
ラバウルの生き残りですよ 僕 まったくひどいもんだった
さらばラバウルよって唄 知ってる?
いい歌だったなあ」
かってのますらお・ますらめも
だいぶくたびれたものだと
お互いふっと眼を据える
吉凶あいむかい賑やかに東海道をのぼるより
仕方がなさそうな
「娯楽のためにも殺気だつんだからな
でもごらんなさい 桜の花がまっさかりだ
海の色といいなあ
僕 いろいろ花の名前を覚えたいと思ってンですよ
あなた知りませんか?ううんとね
大きな白い花がいちめんに咲いてて……」
「いい匂いがして 今ごろ咲く花?」
「そう とても豪華な感じのする」
「印度の花のようでしょう」
「そう そう」
「泰山木じゃないかしら?」
「ははァ 泰山木……僕長い間 ヽ
知りたがってたんだ どんな字を書くんです?
なるほど メモしとこう」
女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか
とてもいいものだよ
父の古い言葉がゆっくりよぎる
物心ついてからどれほど怖れてきただろう
死別の日を
歳月はあなたとの別れの準備のために
おおかた費されてきたように思われる
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きている時言いたくて
言えなかった言葉です
棺のまわりに誰も居なくなったとき
私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
氷ともちがう陶器ともちがう
ふしぎなつめたさ
菜の花畑のまんなかの火葬場から
ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る
ふるさとの海べの町はへんに明るく
すべてを童話に見せてしまう
鱶に足を喰いちぎられたとか
農機具に手をまき込まれたとか
耳に虻が入って泣きわめくちび 交通事故
自殺未遂 腸捻転 破傷風 麻薬泥棒
田舎の外科医だったあなたは
他人に襲いかかる死神を力まかせにぐいぐい
のけぞらせ つきとばす
昼もなく夜もない精惇な獅子でした
まったく突然の
少しの苦しみもない安らかな死は
だから何者からかの御褒美ではなかったかしら
「今日はお日柄もよろしく……仲人なんて
照るなあ あれ! 僕のモーニングの上に
どんどん荷物が ま いいや しかし
東京に住もうとは思わないなあ
ありゃ人間の住むとこじゃない
田舎じゃ誠意をもってつきあえば友達は
ジャカスカ出来るしねえ 僕は材木屋です
子供は三人 あなたは?」
父の葬儀に鳥や獣はこなかったけれど
花びら散りかかる小型の涅槃図
白痴のすーやんがやってきて廻らぬ舌で
かきくどく
誰も相手にしないすーやんを
父はやさしく診てあげた
私の頬をしたたか濡らす熱い塩化ナトリウムのしたたり
農夫 下駄屋 おもちゃ屋 八百屋
漁師 うどんや 瓦屋 小使い
好きだった名もないひとびとに囲まれて
ひとすじの煙となった野辺のおくり
棺を覆うて始めてわかる
味噌くさくはなかったから上味噌であった仏教徒
吉良町のチェホフよ
さようなら
「旅は道づれというけれど いやあお蔭さんで
楽しかったな じゃ お達者でね」
東京駅のプラットフォームに登山帽がまったく
紛れてしまったとき あ と叫ぶ
あのひとが指したのは辛夷の花ではなかったかしら
そうだ泰山木は六月の花
もう咲いていたというのなら辛夷の花
ああ なんといううわのそら
娘の頃に父はしきりに言ったものだ
「お前は馬鹿だ」
「お前は抜けている」
「お前は途方もない馬鹿だ」
リバガアゼでも詰め込むようにせっせと
世の中に出てみたら左程の馬鹿でもないことが
かなりはっきりしたけれど
あれは何を怖れていたのですか 父上よ
それにしても今日はほんとに一寸 馬鹿
かの登山帽の戦中派
花の名前の誤りを
何時 何処で どんな顔して
気付いてくれることだろう
父の死 谷川俊太郎
私の父は九十四歳四ケ月で死んだ。
死ぬ前日に床屋へ行った。
その夜半寝床で腹の中のものをすっかり出した。
明け方付添いの人に呼ばれて行ってみると、入歯をはずした口を開け能面の翁
そっくりの顔になってもう死んでいた。顔は冷たかったが手足はまだ暖かかっ
た。
鼻からも日からも尻の穴からも何も出ず、拭く必要のないくらいきれいな体だ
った。
自宅で死ぬのは変死扱いになるというので救急車を呼んだ。運ぶ途中も病院に
着いてからも酸素吸入と心臓マッサージをやっていた。馬鹿々々しくなってこ
ちらからそう言ってやめて貰った。
遺体を病院から家へ連れ帰った。
私の息子と私の同棲している女の息子がいっしょに部屋を片付けてくれていた。
監察病院から三人来た。死体検案書の死亡時刻は実際より数時間後の時刻にな
った。 ・
人が集まってきた。
次々に弔電が来た。
続々花篭が来た。
別居している私の妻が来た。私は二階で女と喧嘩した。
だんだん忙しくなって何がなんだか分からなくなってきた。
夜になって子どもみたいにおうおう泣きながら男が玄関から飛びこんで来た。
「先生死んじゃったァ、先生死んじゃったよォ」と男は叫んだ。
諏訪から来たその男は「まだ電車あるかな、もうないかな、ぼくもう帰る」と
泣きながら帰っていった。
天皇皇后から祭粂料というのが来た。袋に金参万円というゴム印が押してあっ
た。
天皇からは勲一等瑞宝章というものが来た。勲章が三個入っていて略章は小さ
な干からびたレモンの輸切りみたいだった。父はよくレモンの輪切りでかさか
さになった脚をこすっていた。
総理大臣からは従三位というのが来た。これには何もついてなかったが、勲章
と勲記位記を飾る額縁を売るダインクトメールがたくさん来た。
父は美男子だったから勲章がよく似合っただろうと思った。
葬儀屋さんがあらゆる葬式のうちで最高なのは食葬ですと言った。
父はやせていたからスープにするしかないと思った。
*
眠りのうちに死は
その静かなすばやい手で
生のあらゆる細部を払いのけたが
祭壇に供えられた花々が萎れるまでの
わずかな時を語り明かす私たちに
馬鹿話の種はつきない
・
死は未知のもので
未知のものには細部がない
というところが詩に似ている ・
死も詩も生を要約しがちだが
生き残った者どもは要約よりも
ますます謎めく細部を喜ぶ
*
喪主挨拶
一九八九年十月十六日北鎌倉東慶寺
祭壇に飾ってあります父・徹三と母・多喜子の写真は、五年前母が亡くなっ
て以来ずっと父が身近においていたものです。写真だけでなくお骨も父は手元
から離しませんでした。それが父の母への愛情のなせる業だったのか、それと
も単に不精だったにすぎないのか、息子である私にもはっきりしませんけれど
も、本日は異例ではありますが、和尚さんのお許しをえて、父母ふたりのお骨
をおかせていただきました。母の葬式は父の考えで、ごく内々にすませました
ので、生前の母をご存知だった方々には、本日父とともに母ともお別れをして
いただけたと思っております。
息子の目から見ると、父は一生自分本位を貫いた人間で、それ故の孤独もあ
ったかもしれませんが、幸運にかつ幸福に天寿を全うしたと言っていいかと存
じます。本日はお忙しい中、父をお見送り下さいまして、ありがとうございま
した。
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杉並の建て直す前の昔の家の風呂場で金属の錆びた灰皿を洗っていると、黒
い着物に羽織を着た六十代ころの父が入ってきて、洗濯篭を煉瓦で作った、前
と同じ形で大変具合がいいと言った。手を洗って風呂場のずうっと向こうの隅
の手ぬぐいかけにかかっている手ぬぐいで手を拭いているので、あの手ぬぐい
かけはもっと洗面台の近くに移さねばと思う。父に何か異常はないかときくと
大丈夫だと言う。そのときの気持はついヒト月前の父への気持と同じだった。
場面が急にロングになって元の伯母の家を庭から見たところになった瞬間、父
はもう死んでいるのだと気づいて夢の中で胸がいっばいになって泣いた。目が
さめてもほんとうに泣いたのかどうかは分からなかった。