ここでは藤本卓の著作を、《単行本の形にまとまっているもの》、《単行本の形にはなっていないもの》、《一般的には入手困難なもの》に分けて紹介しています。
藤本卓著作一覧・97点
2020・10・5作成
《単行本の形にまとまっているもの》
【編著】2点
⑴『登校拒否・不登校』(『子供の権利を生かす生活指導全書15』)
藤本卓編 一葉書房 1993年12月10日
☆四章「登校拒否・不登校の問うていること」を執筆
⑵『公論よ起これ!「日の丸・君が代」―法制化論議のなかで日の丸・君が代の封印を解く』 藤本卓 編著 太郎次郎社 1999年06月発行
☆プロローグ「99「日の丸・君が代」問題の新局面 ほんとうに問われるべきは何なのか」を執筆し、歴史研究家の網野善彦氏とも対談している。
【共著】4点
⑴『西郷竹彦・授業記録集4 注文の多い料理店全記録』
明治図書 1988年5月
☆東京大学教育学部柴田義松教授の教育内容研究室のメンバーとして、西郷氏の授業の検討会に参加している。
⑵『学校が変わる 先生が変わる』[ひと]文庫
太郎次郎社 1991年6月
☆この本の「解説」として《「この子はとりあえず私の子です」のふぃろそふぃあ》を執筆している。
⑶『学校の再生をめざして 1 学校を問う』
東京大学出版会、1992年7月
☆討論「とらわれからの解放」に参加
⑷『学校の再生をめざして 3 現代社会と学校』
東京大学出版会、1992年9月
☆「子どもが主体となる授業のなかで」、「学校文化と教師のコミュニティ」、「生徒が授業で目覚めた」の3つの討論に参加
【翻訳、3編と1冊】4点
※⑴⑵⑶はロシア語からの、⑷は英語からの翻訳。
⑴『発達と教育』海外名著選106 ゲ・エス・コスチューク著、
訳者: 村山士郎、藤本卓、鈴木佐喜子、明治図書、1982年10月
☆p193~p188を担当
⑵『心理学の危機』 (ヴィゴツキー著作選集)
著者 : レフ・セメノヴィチ・ヴィゴツキー
訳者:柴田義松 森岡修一 藤本卓、 明治図書出版、1987年9月
⑶『子供の精神発達と言語学習』(現代ソビエト教育学大系)
ラダ アイダロワ (著), 訳者:柴田 義松/黒木 由紀子/杉本 卓/藤本 卓 /中沢 保生 /、ナウカ、1990年11月
⑷『あきらめない教師たちのリアル ロンドン都心裏、公立小学校の日 』
ウェンディ・ウォラス 著、藤本卓 訳、
太郎次郎社エディタス、2009年2月
【解説】1点
「教育のレトリックの方へ『竹内=生活指導論』の誘い」
(『竹内常一のしごと』第1巻、青木書店1995年10月)
《単行本の形にはなっていないもの》
【学会誌、学内雑誌、紀要など】9点
⑴「教育実践への反省と知的訓練の問題」
東京大学教育史教育哲学研究室『研究室紀要』第4号1977年12月
☆岸本裕史『どの子も伸びる』の書評。
⑵「関報告へのコメント 今日の教育実践、そして今日の思春期」
研究報告集第1集 日本教育学会 1984年3月
⑶「〈学校の再生〉と生活指導実践ー第三十三次全国教研のレポートを読むー」
『みんけん研究つうしん』№132 国民教育研究所 1984年4月
⑷「現代の思春期葛藤と教育の課題 : <困難>は成長のバネとならないか 」
日本教育学会大會研究発表要項/44 巻 (1985年) ※手書き1ページ
⑸「現代の思春期葛藤と教育の課題」教育学研究53 巻 1 号1986年3月
☆岸本 弘, 田中 孝彦, 片岡 洋子, 田代 康子, 万羽 晴夫, 藤本 卓によるパネルディスカッション〈発達と教育:現代社会における発達と課題〉の場で発表されたもの。
※⑷が要項であり、その具体的な発表が⑸である。
⑹「シンポジウム 「登校拒否」問題と学校教育」
現代社会における発達と教育 研究報告集 第Ⅲ集 日本教育学会1985年8月
☆横湯園子、見城慶和、石渡延男、斎藤大仙、竹内常一、堀尾輝久、によるこのシンポジウムで藤本卓は司会をしている。
⑺「”私事”のゆくえ─子育て・教育における〈協同〉によせて」
『仕事の発見』№20、協同総合研究所 1991年12月
⑻「私事のゆくえ」『教育学会誌』大東文化大学教育学科 1993年3月
※⑺を補訂加筆したもの
⑼教育と世代間関係の問題 (特集 新しい世代の可能性--21世紀の子ども・青年)
日本の科学者 35(3), 2000年3月 日本科学者会議
※参考資料「「発達と教育」に関する課題研究及び研究委員会のあゆみ」堀尾 輝久 教育学研究59 巻 (1992) 3 号
☆これは、藤本卓の著作ではないが、日本教育学会で彼がどのような報告をしてきたかがわかる。具体的には、「関報告へのコメント 今日の教育実践、そして今日の思春期」、「現代の思春期葛藤と教育の課題」などがあげられている。
【『高校生活指導』掲載】33点(但し№150は№135の再掲)
№73 「探索さるべき問いは何か」 1984年5月
№86 「〈制作〉(プラクシス)と〈実践〉(ポエーシス)-その(一)─」 1986年7月
№87 「現代の思春期葛藤と教育の課題」1986年10月
※ 教育学研究53 巻 (1986年) 1 号の再録。
№91 「〈制 作 〉 と 〈実 践 〉―その(二)―」 1987年7月
№92 「〈制 作 〉 と 〈実 践 〉―その(三)―」 1987年10月
☆「〈制作〉と〈実践〉」3編には《現代生活指導論・探求のための準備ノート》の副題がついている。
№94 「児童・青年精神医療と市民と社会にひらく」1988年4月
☆精神科医河合洋氏へのインタビュー
№95 「座談会 高校生の人間関係と『学校』 1988年6月
№97 「仕事と生活を自ら発見する」1988年10月
☆中高年雇用福祉事業団永戸祐三・菅野正純両氏へのインタビュー
№97 「座談会 学校はなぜ『荒れる』のか』」1988年10月
№98 「社会を刺し、時代を哄う現代演劇」1989年2月
☆劇作家=演出家岡安伸治氏へのインタビュー
№99 「生活指導実践は『学校』を問う」 1989年3月
№100 「座談会 生活指導と学校づくり」1989年6月
№101 「座談会 学校はなぜ『荒れる』のか』⑷」1989年7月
№102「アジアと女性の眼差しを重ねてこの国を視る」1989年10月
☆HELPディレクター・大島静子氏へのインタビュー
№103「ナショナル・トラスト─自然が好きなら自分で護らなければならない」1990年1月
☆天神崎の自然を大切にする会外山八郎氏へのインタビュー
№104「管理社会化と世代更新の危機」1990年5月
☆社会学者庄司興吉氏へのインタビュー
※「インタビュー・現代を聴く」というシリーズは
94号、97号、98号、102号、103号、104号と6回行われた。
№104 「共同の世界に自治と集団の新生をみる
─〈公〉でも〈私〉でもない〈共〉と〈協〉について─」1990年5月
№114 「〈和の世界〉と〈イエ社会〉」1992年10月
№129 「〈教育のレトリック〉のために⑴の①
─久野収の着眼を起点として」1996年5月
№130 「〈教育のレトリック〉のために⑴の②
─もう一つの『思考の仕方』」1996年8月
№131 「〈教育のレトリック〉のために⑴の③
─レトリックと『相互説得』」1996年12月
№132 「〈教育のレトリック〉のために⑴の④
─『生活の言葉』とレトリック」1997年3月
№133 「子ども・青年の自治権を本気に考える」1997年6月
№134「子ども・青年の自治権を本気に考える」1997年6月
※35回大会基調討論
№135 「〈世代の自治〉の再発見へ 」1997年12月
☆藤本卓の「世代の自治」論に対しては、『高校生活指導』№137で「若者世代の自治論・批判」という特集が組まれ、次の四つの論稿が掲載されている。「一つの読み方 藤本基調批判・助走」千葉律夫、「レトリックのこちら側 再構成された言説」浅野修一、「「若者」と「青年」 〈世代の自治〉を歴史的に考えるということ」田嶋一、「「世代の自治」、その実践の可能性」柏木修。
№139 「子どもの意見表明権と世代の自治」1998年12月
№140 「〈卒業式・成人式〉で問われるべきことはなにか」1999年3月
☆高生研大阪大会でのシンポジウム記録、小論文「学校儀式と普通教育」も併載。
№143 「『下級教員』から『プロ教師』へ、そして…」1999年12月
☆河上亮一著『学校崩壊』批判を内容とする上条隆志氏との対話
№147 「リベラリズムの『外部』としての教育」2000年12月
☆社会経済生産性本部『選択・責任・連帯の社会改革』を検討するシンポジウムでのフロアー発言を補足する小論文
№148 「『高校生活指導』146号を読んで 真にリスクをかけて語ること
─浅野・小玉両氏の「「学校崩壊」批判を読んで」を批判する」2001年3月
№150 「〈世代の自治」の再発見へ」2001年9月
☆90年代を代表する論文の再録特集に取り上げられた。
№157 「イギリス・フランスの動向に学びつつ『市民を育てる教育』について考える」(上)2003年6月
☆大津尚志・佐貫浩両氏の報告にもとづくシンポジウム・司会。
№158 「イギリス・フランスの動向に学びつつ『市民を育てる教育』について考える」(下)2003年9月
☆同上シンポジウム、討議の部
※『高校生活指導』は、全国高校生活指導研究協議会(高生研)の機関誌(季刊)で、出版元は明治図書出版 (1集-120号)→ 青木書店 (121号-193号)→ 教育実務センター (194号)。
【『生活指導』掲載】8点
⑴(書評)「素顔の15歳」1982年11月号
⑵生活指導実践と〈学校の再生〉─第三十三次全国教研のレポートを読む─1984年11月号
⑶書評「都市をどう生きるか」1985年4月号
⑷「インナーシティに〈共同〉の甦りを」『生活指導』1986年1月号
⑸文化時評「時代にかかげる〈鏡〉の角度─『教員室』をめぐって─」
1986年3月号
⑹「私的トラブルへの幽閉」を深く超える(上)」1987年9月号
⑺「私的トラブルへの幽閉」を深く超える(中)』1987年10月号
⑻「私的トラブルへの幽閉」を深く超える(下)』1987年11月号
☆⑹⑺⑻には《現代生活指導論・探求のための準備ノート⑵》の副題がついている。
※『生活指導』は全国生活指導研究協議会(全生研)の機関誌(月刊)で、出版元は明治図書出版であった。現在は隔月刊、高文研。
【『ひと』、『別冊ひと』、『ひとネットワーク』掲載】9点
⑴「日本語にモラルという言葉はあるか!─教育の”道徳”化の動向について」 『ひと』(太郎次郎社)№209 1990年5月
⑵「列島に異質社会を想起する─地球時代の”日本史”によせて」
『ひと』(太郎次郎社)№230 1992年2月
⑶「日の丸」「君が代」問題を掘り進む
『ひと』(太郎次郎社)№237 1992年9月
⑷楽屋ウラから
『ひと』(太郎次郎社)№242 1993年3月
⑸討論「科学する」って、なんだ? 科学の授業を検討する
『別冊ひと』4号(太郎次郎社)1993年9月
⑹「教師にとって〈公〉とは何か」
『ひとネットワーク』№1(太郎次郎社)1998年4月
⑺「教師固有の権利をどう実現するか」
『ひとネットワーク』№2(太郎次郎社)1998年6月
⑻「教師にとって学校とは何か」
『ひとネットワーク』№3(太郎次郎社)1998年8月
☆⑹⑺⑻関廣野氏の教師論提案にもとづく討論参加
⑼学びの窓・断章をめぐって(巻頭コラム)
『ひとネットワーク』№3(太郎次郎社)1998年8月
【雑誌掲載】13点
⑴自由空間─私のブレヒト 「奴に逢ったら」
『新日本文学』 1986年9月
⑵共同研究「演出家・俳優と教師の仕事」
『演劇と教育』№434 1992年7月号
⑶「こまつ座『黙阿弥オペラ』」劇評
『演劇と教育』(晩声社) №470 1995年4月
⑷「音のない世界で」映画評
『演劇と教育』(晩声社) №475 1995年8月
⑸「サティアン」劇評
『演劇と教育』(晩声社) №478 1995年12月
⑹「どう広げるか─演劇教育」共同研究・討議
『演劇と教育』(№482 1996年4月)
⑺「日の丸・君が代」問題はどう動いたか
『作文と教育』 2000年1月
⑻国旗国歌法と学校(2)「日の丸・君が代」法制化の暴力性について
『高校のひろば』(旬報社) 2000年3月
⑼「日の丸・君が代」はなぜ国旗・国歌であってはならないか--国旗国歌法の構造的暴力性について (小特集 日の丸・君が代問題)
『教育』(国土社)2001年3月
⑽「生命(こども)への畏敬」
『演劇と教育』(晩声社) 2004年3月
⑾書評 <畑>は<森>にどうつながるか-─里見実著『学校でこそできることとは、なんだろうか』 『國學院雜誌』 2006年5月
⑿イギリス ロンドンの公立学校の底力(シリーズ貧困への挑戦)
『女性のひろば』(日本共産党発行)2009年7月
⒀制度改革下のイギリス 教育現場のリアル─問題多重地域の「あきらめない」保育学級─
保育制度改革と実践現場─巻頭インタビュー
『現代と保育』vol.74 ひとなる書房 2009年7月
《大東文化大学紀要・並行シェーマに向かう論稿》6点
⑴ 悦ばしき”学び”、か?
─柳田國男における「マナブ」と「オボエル」の対照のトポスについて─
大東文化大学紀要 第46号 <人文科学> 2008年3月
⑵ ”パストラル・ケア"、その叢生と褪色
─英国公教育に"生活指導" の似姿を垣間見る─
大東文化大学紀要 社会科学 (47)、2009年3月
⑶〈教え〉と〈育て〉のメタ・カリキュラムに向けて
─戦後教育基礎論を"柳田國男"で賦活する─
大東文化大学紀要 人文科学 (48)、2010年3月
⑷ フランス語に「学習」という言葉は存在するか?
─Apprendre/Apprentissageという語の理解について
教育学研究紀要 (4), 2013年3月
大東文化大学大学院文学研究科教育学専攻
⑸ "懐かしい言葉"になり逝くか?
─教育学〈術語〉としての「生活指導」の向後について─
教職課程センター紀要、2017年12月
大東文化大学教職課程センター事務室
⑹ 「憶える」と「覚える」の区分について
─”オボエル”という語の漢字交じり表記に関するメモランダム─
大東文化大学 教育学研究紀要 第10号 2019年9月
《一般的には入手困難なサークルの通信等》
【群緑】3点
⑴ゼミナール運動論覚え書き 群緑 創刊号 1974年04月
⑵ゼミナール運動論覚え書きⅡ 群緑 2号 1974年12月
⑶ゼミナール運動のための参考図書 群緑 3号 1975年05月
☆「群緑(むれなすみどり)」は神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会発行の機関誌。1974年3月発行の0号(責任編集者藤本卓)はまだ「ゼミナール実行委員会機関誌」という名前であった。3号の文章は卒業してからの寄稿。
【その他の通信等】5点
⑴「『学級集団づくり入門』第2版と新版の比較・検討─主権と人権の視点から─」 滋賀高生研通信№21 ☆講演記録 1993年5月
⑵「現代における地域・社会と学校・教育をどうつなげるか」
滋賀高生研通信№24 ☆シンポジウム記録 1993年11月
⑶「新たな自治像を描く」
滋賀高生研通信№25 ☆講演記録 1993年12月
⑷「子どもの意見表明権と世代の自治」
大阪高生研ニュース『早蕨』 ☆講演記録 1998年3月
⑸「世代の自治論に寄せられた批判について」
高生研・全国会員通信 1998年10月
以上合計97点