ふじもと通信は「高山智津子・文学と絵本研究所」のHPを借りて掲載していたものです。2012年2012年3月に定年退職しました。それからの活動を綴っています。2020年から1年間は『藤本卓教育論集』編集日誌になりました。2021年9月から、こちらに戻ってきました。
9月15日(月)
12日(金)に東大で開かれていた大江健三郎文庫のセミナーにウェビナーで参加した。『万延元年のフットボール』の自筆原稿をすべてデジタル化したという報告が面白かった。大江健三郎はこの作品を「群像」に連載していたのだが、その時の担当編集者が徳島高義氏。7か月連載終了後、すぐに単行本になったのだが、大江健三郎はのちに、自筆原稿を7冊に綴じて製本し、徳島高義さんに贈呈したとか。その後、徳島さんは自分の母校である千葉県の高校に自分の蔵書とともに、これを寄贈した。今回、大江文庫のスタッフは、その高校へ出かけ写真撮影をし、それをデジタル資料とした。これは、東大にある大江健三郎文庫まで出かけて行けば、見ることができるそうだ。
報告で紹介されていた、徳島高義『ささやかな証言─忘れえぬ作家たち』という本を通販で取り寄せたら、さっき届いた。売主は長崎大正堂書店(創業明治43年)だった。
家にいながら、東京、長崎とつながって、情報や本のやりとりができるなんて、ちょっと前までは考えられなかった。
8月27日(水)
ここしばらくは、『教育の森を散歩する』の改稿に集中している。3冊(文学国語編、論理国語編、現代の国語編)と特別付録、あわせてA4で652枚ある。これを一冊の本にするために、原稿を組み換え、重複部分を削り、書き足し、いろいろやっているが、現在400枚。まだ削らなければ……。
8月19日(火)
久しぶりにおさなご保育園のプレイルームで、高山智津子・文学と絵本研究所の所員会議をした。高山先生が亡くなったのが2006年、没後20年になる。保育園に預けていた高山先生関係の資料をとりあえず、うちに引き取り、寄贈等を考えることにした。小西先生手作りのおやつも一杯貰って帰った。
8月17日(日)
宝塚市立図書館の読書会に行ってきた。課題本は『赤毛のアン』。家にあった新潮文庫は活字が小さく、紙も黄ばんでいたので、伊丹市立図書館で、曽野綾子の訳(興陽館、2022)を借りてきて読んだ。元は1992年の河出書房新社のもの。ついでに小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』(岩波現代文庫)も借りて、いくつかの章を読んでみた。村岡花子の訳では削除されている箇所がある、とか、作者のモンゴメリの死因とかも、なかなか興味深いものがあった。
読書会の参加者は圧倒的な「赤毛のアン」ファンばかり、プリンスエドワード島ツアーに参加した人たちもいた。図書館にある関連本も並べられていて、その中に高山智津子先生のものもあって、ああ高山先生はハイジの旅や、赤毛のアンの旅も企画したりしていたな、と懐かしく思い出した。
8月6日(水)
Zoomで富山勉強会を4人でやった。11月にやる県教研に向けてのもので、若い先生が授業で何を課題にしているか、ということを話し合った。古文の授業の話になり、僕の方からは、作家の現代語訳を積極的に活用すれば、という提案をして、現役時代、源氏物語の授業で、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴の訳を生徒に示して、どこが違うかを考えさせたという昔話をした。Zoomでパワーポイントも使い、例を絞って、なかなかうまく話せた、と自画自賛。
7月26日(土)
國學院大學国語教育研究会にオンラインで参加。初めてTeamsというシステムを使う。ZOOMを何度もやっているので、まあ比較的簡単だった。一応、本も買って予習した。國學院の院生と卒業生で現役教師の発表があった。参加者(会場もオンラインも)はみんな國學院関係者で、何やら場違いのような感じもあったが、刺激にはなった。
現役の先生の発表は、《スプレッド・シート、カフート、アイスブレイク、味見読書、ロマンサー》など、知らない単語が次々出て来て、付いていくのが大変だった。ITスキルのありなしで、国語科の授業もやり方が変わるんだなあと、思った。終わってから、インターネットで調べたので、ほぼ理解できた。
7月18日(金)
うちは二人暮しだが、米一合炊けば、二日食べられる。これは朝食、昼食に米を食べないからだ。いつもは、遠い親戚にあたる豊中の農家から買っているのだが、今年は新米が取れるまでは、在庫がないとのこと。うちの奥さんは一度備蓄米というのを食べてみたいというので、探したが、なかなか行き当らなかった。今日たまたまスーパーで発見。さっそく5キロ1999円を購入。実際に食べるのは、一週間後かな。
『教科書の森を散歩する その⑶』、別冊『教科書検定資料を読んでみた』を、国語関係者に送って半月。お礼のメールやはがきが届き始めた。教科書会社からも手紙をもらった。大学の先生からは、ゼミで紹介したら、⑴⑵⑶、と別冊全部もらえないかと相談に来た学生がいたそうだ。もちろんあげます。
これで三部作完結と宣言したのがよかったのか(閉店セール人気やね)、それとも別冊「教科書検定資料を読んでみた」を作ったのがよかったのか(面白かったと声も多い。「越後屋おぬしも悪よのう」がうけたのか、和歌山つながりで映画『魔界転生』に言及したのが正解だったのか、昼食340円が共感を呼んだのか)、それなりに手応えがあった。
7月3日(木)
京都の製本所から予定より一日早く「別冊」が届いたので、昨日は発送作業に奮闘、郵便局に三往復、宅急便にも一往復。出すべく所にすべて出して、燃え尽きた。
今回は6月9日に『教科書の森を散歩する その⑶』(現代の国語編)を発注。6月13日、和歌山へ検定資料を見に行き、その後尼崎市立教育総合センターで、2026年使用開始教科書をチェック、別冊付録『教科書検定資料を読んでみた』(37頁)の原稿を書き、6月24日京都の製本所に追加で発注。『その⑶』が届いてからは、封筒に住所シールを貼り、送り状と『その⑶』をビニール袋に詰めて、それを封筒に入れて、発送準備。用意万端で、別冊が昨日の昼に届いてから、早速それを詰めて、封をして、……。
こんなに早く発送できたのは初めてだ。猛暑で車中は40度、郵便局まで一度に運ぶの辛いので、3回に分けた。なにせ、一つ630グラムを63個、約40キロ。5キロの米なら8袋だよ。一回運んで、帰ってクーラーにあたって、クールダウンも必要だ。
7月1日(火)
京都の藤井大丸で開催されている「四条寺町デパ地下古本市」に行ってきた。猛暑の予報が出ているが、電車は冷房がきいているし、地下街を歩いて百貨店に入れば、暑さはしのげるだろうと考えた。正解だった。
京都だけでなく、大阪、神戸、奈良、富山、金沢、岐阜、福井、丹波、彦根、伊勢、名古屋の古書店23軒が出店していた。これまでで一番欲しい本が揃っていて、昼食をはさんで、二周してみて回った。金井美恵子『エッセイコレクション1 夜になっても遊びつづけろ』(これは伊丹図書館で借りて読んだが)、別役実『東京放浪記』(初の自伝的エッセイ集、こんな本があることは知らなかった。今回の収獲の第一)、中上健次『異族』(小学館文庫で1200円の定価が1000円になっていた。これは最近講談社文芸文庫で出たが3000円を超えていた)、野口武彦『秋成幻戯』、『近代日本件愛の小説』(この2冊は持ってなかったはず)、津野海太郎『最後の読書』(これも読んだことはあるが、手元に置いて読み直したい)の6冊を購入。合計4700円、安い。フォークナーの『土にまみれた旗』もあったが、4500円の定価が4000円なので、やめた。この本は伊丹図書館にある。
行きも帰りも電車に座れたし、比較的楽な旅だった。家に帰って、今回は持ってる本は買ってないはずと、ほくそ笑んでいたが、ふと、まさか、と野口先生の本を確認、良かった、持ってないものだった。ふふふ、と後を見ると、津野海太郎の『最後の読書』が目に入った。また、やってしまった。奥さんに言うと、それぐらいええやん、『センセイの鞄』は4冊あるんやろ、と言われた。単行本もあるから、5冊や、ときっぱり訂正しておいた。
6月21日(土)
三宮の神戸阪急百貨店(昔の「そごう」の建物を引き継いだもの)で開催された「こうべ古書市」に行ってきた。京都の古書市に比べると会場は小さく、一つの店の品物も少ないのだが、欲しい本が一杯だった。後で考えると、小説や評論など文学関係のものが多かったからだ。京都の時は、歴史、経済、など社会科学系が多かったが、神戸は文学系、しかも70年代からのものが主で、もうストライクゾーンど真ん中。足立巻一『虹滅記』(1982)、ユリイカ1990年7月号(開高健特集)、高田宏『大長編小説礼讃』(1993)、『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(2007)、文月悠光『臆病な詩人、街へ出る』(2021)、四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』(2024)の6冊を購入。4300円。安い、いい買い物をした、と喜んで家に帰り、奥さんにこんなの買ったと、リュックから出してテーブルに並べようとした瞬間、『21世紀ドストエフスキーがやってくる』?これは持ってたのでは、絶対にこんな本を買ってないはずがない、書庫に行って棚をさがすと、やはりあった。やっぱり思った通りや、まだまだ記憶力は確か、まあ思い出すのが少し遅かったのが、今後の課題か。
6月13日(金)
和歌山県立図書館へ行く。教科書検定資料の公開が全国7会場で行われ、日にちと距離の関係で、和歌山に決定。JR大阪駅から特急くろしお7号で向かう。21番線がわからず構内を歩き回る。和歌山駅からはバスで25分。途中和歌山城も見えた、時間があれば、見物に行くかと思う。図書館に着いたのは、12時前。そこから17時まで資料の書き写し、チェックなどを行う。スマホで写すことは遠慮してくださいと言われたので、ひたすら手で書く。和歌山城見物に行く間もなかった。帰宅は20時前。6月の遠足はのんびりする暇もなく、大忙しだった。
6月9日(月)
やっと原稿が完成。京都の製本所に夕方送った。これで6月下旬には『教科書の森を散歩する その⑶』(現代の国語編)が、手元に届くのはずだ。なかなか進まず、苦労したが、この一週間ほどは、かなり頑張った。昨日は一日、頁を整理して、版下を作り、今日は朝から、校正をした。この二日で、どれほどの反故がでたことか。
『その⑴』(文学国語編)198頁、2024年2月発行。『その⑵』(論理国語編)230頁、2024年9月発行。に続く第3弾だ。合計41冊の教科書を読んだ。現役の頃よりも、高校国語教科書については詳しくなってしまった。
5月24日(土)
大畠さんに案内をもらったので、宝塚西図書館へ児童文学者の杉山亮さんの講演を聞きに行った。
いやあ、おもしろかった。語り口が、とてもよくて、何度も手を打ち、笑った、笑った。
一番印象に残ったのは、杉山さんが講演で行った南丹市の図書館の取り組み。最近は読書手帳が流行っていて、伊丹市立図書館へ行くたびに、そのポスターを見かけていたので、何となく知っていた。子どもの読書を推進するために、借りた本のタイトルを手帳に書きこんでいくものだが、南丹市の図書館は、本の値段を書きこんでいくのだって!それで10万円貯まると、シールを手帳に張ってもらえるとか。
館長さんのアイデアらしい。子どもは図書館に来ると、値段の高い本を探してまわるとか。それで小学生が美術全集とか科学図鑑とかを借りていくらしい。そういう風にして、普通だったら小学生が出会わないような本との出会いが生まれる。そこから子どもたちの興味や関心が生まれることもある。館長さんは、市役所から出向いて来ていて、何年かすると戻るらしいが、私は税金課にいて、今は税金対策・教育をしているのです、という。こうして、市民の税金を使って、図書館に市民の共有財産である図書を揃えているのだ、と子どもにもわかってもらえるように。
いやあ、なかなかいい話を聞いたなあ。
5月20日(火)
高槻にあるJT生命誌研究館へ行ってきた。明治書院の「現代の国語」に載っていた中村桂子「生命誌からのメッセージ─細胞から見えてくる「生」と「性」」を読んで感心し、『いのち愛づる生命誌 38億年から学ぶ新しい知の探究』を県立図書館から取り寄せて読んでみて、さらに感心。今はコレクション(全8巻)を読んでいる。そんなこともあり、中村桂子が館長を勤めていたJT生命誌研究館に一度行ってみようと思っていたのだ。
スマホの地図を頼りに駅前の商店街を抜け、どんどん歩いてもなかなか着かない。おかしいと、もう一度検索。地図を見るとどうもJTの研究所をぐるりと回りこむように案内されている。所要時間が少なすぎる?そこで気づいた。これは自動車用のナビだ。こっちは、炎天下とぼとぼ歩いてるんだぜ。この距離、こんな時間で着くわけがない。
そこから引き返し、三叉路で道を変えるとすぐ着いた。逆に曲がっていたのか。こんなこと、この前も小倉であったなあ。詰めが甘い。
生命誌研究館は来場者が他にいないので、独占。わかりやすい展示だったが、基本的な用語がわからない。DNA、ゲノム、遺伝子ぐらいなら、まだ付いていけるけど。やはり難しい。一度で全部理解するのは無理。
ガラスの飼育箱にナナフシがいっぱいいたのが見れたので、よしとしよう。
5月15日(木)
パソコン工房へ行き、CDがうまく焼けないことの相談をした。島田勇雄先生の最終講義の二枚目が残っていたのだ。見てもらっているうちに、CD-Rに問題があるのかもということで、お店のもので試してもらうとうまくいった。念のため、もう一枚。とりあえず、当面はこれでなんとかなる。家に帰り、今度はディスク面の印刷をするために、削除されたアプリ17個の復旧をやってみる。これは、古いコピー機MG6930(捨てようかと思っていたもの。何故か復旧したので、ディスク面の印刷用に置いておいた)のアプリをまとめてインストールしたら、すべて元にもどった。やればできるやん。
パソコン工房のお兄さんに、ウィンドウズ11へのバージョンアップの件も相談したら、このパソコンならやらない方がいい、とアドバイスを受けた。わからなかったら、よく知っている人にたずねればいいということを再認識。
5月13日(火)
去年心臓冠動脈のカテーテル検査・手術を受けたおかげで、今年は血圧が比較的安定している。最近は平均130台かな。でも今日は150台の数字も出た。手足が冷たいなと思っていたんだ。そこで昼から昆陽池に散歩に出た。晴天でお日様を浴びて、帰ってきて測ると、100を切っているではないか。ちょっと下がり過ぎだろう。
まあ、血流が良くなれば、血圧は下がるというのは、日々実感していたが。効果ありすぎ。
5月9日(金)
神戸大学文書史料室に寄贈するために、50年前の音源をCDに焼いていた。ざっと20枚ほど出来たが、最後の1枚で、どうしてもうまくいかなくなった。あれこれやってみて、これはPCを初期状態に戻してみるか、と考えて、出来るだけファイル等の影響のでないようにして、実行。
ところが、……、あちこちに不具合が、……、アウトルックが、ZOOMが……、どうしたものかと悩んだ末、パソコン工房へ相談に行った。
なんとかそれらは元にもどり一安心。ただ初期状態に戻す処理中に削除されたアプリがいくつかあり、それを自力で再インストールする作業にとりかかったが、…、すでにそのアプリはサービスが終わっているという事案も出て来て、次善の方法を講じなければなくなり、…。
よくわからぬままに初期化すると、後が大変ということが、よくわかった。
5月2日(金)
「春の古書大即売会」が京都の「みやこめっせ」(京都市勧業館)であると知って、朝から雨が降っていたが、昼には上がるという予報なので、思い切って出かけた。JRの新快速で山科まで行き、地下鉄東西線で東山駅まで。このルートなら、京都駅の混雑を避けられるはずとの予想通りだった。雨の中、時々、スマホでルートを確認しながら、平安神宮を目指して歩く。
「みやこめっせ」では弓道の大会も開催されているようで、弓を持った若い衆も次々玄関に入っていく。古書即売会は1階の大きな会場で開かれていた。後で確認すると、全部で22店舗が出店していたようだが、とにかく会場は古本で一杯だ。
最初は入口近くのあちこちをふらふら見ていたが、、これはまず一番奥に行き、そこから順に見ていく方がいいはずだ、と思って、自分なりに順路を決めて、見落としのないように全店を回っていった。それから、欲しいものを買うために、もう一周。ところが確かこの辺の店にあったはず、と探してみたが、どうしても行き着かない本もあり、途中でそれはあきらめて、結局同じ店で、猪野謙二『小説の読み方』(岩波ジュニア新書)、西東三鬼『神戸・続神戸』(新潮文庫)、長田弘『なつかしい時間』(岩波新書)の3冊を買った。この「古書からすうり」という店は、三重県名張市にあるようだ。
2時間ほどして、会場を出ると、雨は上がっていた。平安神宮をめざして三々五々、散策している修学旅行らしい高校生とすれ違いながら、東山駅に向かった。
5月1日(木)
桐原書店・現国717に詩人長田弘「レオーノフの帽子屋」というエッセイが載っている。
ロシアの作家レオニード・レオーノフの長編「穴熊」(1924年)の名もない帽子屋がつぶやく言葉をめぐってのものだ。
《「おまえは自分が生きなければならないように生きるがいい」という言葉が好きだ。人が生きてゆくというのは、生の持つ曖昧さ、貧しさ、複雑さを、つまりわたしたちの世界には何かしら欠けたものがあるという酸っぱい思いを切り返し、切り返しして生きてゆくことであり、それは、一見どんなに怯懦に、また迂遠に見えようと、支配せず、支配されない一人のわたしの在り方を、自らの「生きるという手仕事」のうちにどうにかして貫いてゆくということである。/その意味で、わたしは、「おまえは自分が生きなければならないように生きるがいい」というレオーノフの老帽子屋の言葉を、「おまえは希望としての倫理によってではなく、事実を倫理として生きるすべを我がものとして、生きるようにせよ」というふうに、自分に向けて読み替えることで、その言葉をさらに記憶し続けてゆきたいのである。》
この短いエッセイを二週間ほど夜寝る前に繰り返し読み、出典の長田弘『読むことは旅をすること─私の20世紀読書紀行』を図書館で借りてきて読んでいる。スターリン体制下の言論弾圧、ナチスドイツのユダヤ人虐殺、スペイン市民戦争、などの中で死んだ文学者の墓を巡り、その生涯と作品を想う、結構重い内容のエッセイ集だ。
この本にイタリアのパヴェーゼも出てくるので、集英社版世界の文学を引っ張り出して、読んでみたら結構面白かった。それで、レオーノフもあったはずと探してみると長編『泥棒』があった。後の解説を読むと、ドストエフスキーを思わせる所があるらしい。よし、これも読もうと思って、読み始めた時、本の間から、一枚のカードが出てきた。見ると、手書きで登場人物一覧が書いてある。どう見ても僕の字だ。ということは、この『泥棒』は昔読んだってことか。1977年発行の全集の一冊。およそ半世紀前。う~ん、忘れても仕方ないか。鶴見俊輔に『読んだ本はどこへいったか』というのがあった。その本の中に「これまで読んできた本が、老人になった今、自分の中にどのように残っているかを探ってみたいんだ。過去の追想ではなく、現在の問題として。」という言葉が出てくる。
4月24日(木)
今日は、昼前に奥さんを中山寺まで送っていき、その足で川西図書館と伊丹図書館へ回って、本の返却をしようと考えて、午前中の早い時間帯に関西スーパーで買い物をすることにした。ちょうどカードの切り替えキャンペーンをしているので、そろそろ手続きするか、今のカードは残金0にしておこう、そう考えて、今日の買い物の額をざっと計算し、3000円だけチャージした。牛乳、ヨーグルト、酢豚の材料などを買って、レジで精算しようとしていると、男の店員さんが近づいてきて、「さっきカードのチャージされましたね」、と声をかけてくる。?なんだ、なんだ、こいつ俺にあやをつけにきたのか、と身構えると、「お釣りを忘れていましたよ」と7000円を差し出された。え、……「次の人が知らせてくれて、監視カメラで確認しましたので」とのこと。恐縮してお金を返してもらった。お釣りを忘れるなんて、…これは「霧」のせいか(今カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を毎晩読んでいて、この物語では人びとが竜の吐き出す霧のせいで昔のことも最近のことも、思い出せなくなってしまうのだ)などと思ったが、まあ単純に年のせいで忘れっぽくなっているのだろう。それにしても監視カメラで確認か、今日はリュックを背負い、青い帽子をかぶっていたので、似たような人もいないし、すぐわかったのだろう。
4月23日(水)
神戸大学文書史料室に寄贈する資料を整理し、そのメモを作るのに結構時間がかかったが、なんとか今日宅急便で配送。これで一仕事終わった。折角作った寄贈資料なので、ここに載せておく。
4月11日(金)に文書史料室にお邪魔した藤本英二(文学部23回)です。あの日お話ししたいくつかの資料を寄贈したいと思い、お送りいたします。
今回お送りする資料は、(A)神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会関係資料、(B)(C)ゼミ実の中心となって活動した藤本卓(大東文化大学名誉教授、2020年没)関係資料、(D)この自主ゼミナール運動に関わった私(藤本英二)の著作物一点(あとがきで、この運動について触れています)です。
A神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会関係資料
⑴神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会機関誌
①ゼミナール実行委員会機関誌 0号(1974年3月16日発行)
②群緑(むれなすみどり) 創刊号(1974年8月6日発行)
③群緑(むれなすみどり) 2号(1974年12月22日発行)
④群緑(むれなすみどり) 3号(1975年5月5日発行)
⑤群緑(むれなすみどり) 4号(1975年9月10日発行)
⑥群緑(むれなすみどり) 5号(1976年8月9日発行)
⑵未来の教師 全国教育系学生ゼミナール中央機関誌
①第9号(1973年12月)
②第10号(1974年6月)
⑶西郷竹彦 特別講義要綱 於神戸大学教育学部 1973年5月1日
『文芸の世界・文芸の理論』─文芸学・文芸教育の観点より─
B 藤本卓関係資料Ⅰ
⑴『藤本卓教育論集─〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉─』(鳥影社、2021年5月)
⑵別冊 Bricolage(ブリコラージュ)通信
『藤本卓教育論集』編集日誌─2020年6月~2021年5月─ (2021年8月発行)
⑶Bricolage(ブリコラージュ)通信 №12
『花衣ぬぐやまつわる……』に『取り替え子』を添えて (2022年6月発行)
C 藤本卓関係資料Ⅱ
⑴パイロット版藤本卓教育論集
《〈教育〉〈学習〉の並行シェーマ》へと向かう六つの論稿(2020年9月)
⑵パイロット版藤本卓教育論集 第2巻
〈制作〉と〈実践〉、そして〈教育のレトリック〉(2020年10月)
⑶パイロット版藤本卓教育論集 第3巻
〈現代社会論〉から〈教育実践論〉へ(2020年10月)
⑷パイロット版藤本卓教育論集 第4巻
〈世代の自治〉の再発見へ(2020年10月)
⑸『大学生を育てる─教育実践家としての藤本卓─上巻 授業・講義編、ゼミ編』
(2022年3月)
⑹『大学生を育てる─教育実践家としての藤本卓─下巻 公開イベント編、先生の肖像編』(2022年3月)
⑺藤本卓コレクション第1巻─『高校生活指導』掲載資料─(2022年9月)
⑻藤本卓コレクション第2巻
─現代の教育課題、日の丸・君が代問題、ロンドン公立学校、他─(2022年9月)
⑼藤本卓コレクション第3巻─入手困難資料─(2022年9月)
D 藤本英二著作
『高校生と文学作品を読む』(藤本英二、鳥影社、2022年9月)
以上です。
1973年からの神戸大学教育学部の自主ゼミ運動が具体的にどのようなものであったか、そしてその運動が、その後どのような教育研究、教育実践を生み出したかがわかるものを選びました。
なお別に各資料についての補足メモをつけておきます。
2025年4月23日
藤本英二(文学部23回生)
資料の補足メモ
A神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会関係資料
A・⑴・①~⑥
1973年、神戸大学教育学部でゼミナール実行委員会が結成され、自主ゼミナール活動が盛んになりました。その機関誌として発行されたのが「群緑(むれなすみどり)」です。
この教育学部ゼミナール実行委員会の活動については『神戸大学教育学部五十年史』の「第2節・4・第16回近教ゼミ神戸大会からゼミ実機関誌『群緑』へ」に少し詳しく記されています。(B・⑵別冊 Bricolage(ブリコラージュ)通信 『藤本卓教育論集』編集日誌─2020年6月~2021年5月─ のp194~p195に関連記事あり。)
A・⑵・①②
1974年3月に第20回全国教育系ゼミナール(全教ゼミ)が金沢で開催されました。神戸大学からは100人以上が参加しました。
神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会は、全体会で「学園に新しい風を!ゼミナールの風を」というタイトルの報告をしました。この報告は「未来の教師」第10号(A・⑵・②)に掲載されています。これを見れば、どのような経緯でゼミ実が結成され、73年から74年にかけて、どのような活動をしてきたかが具体的にわかります。
また「未来の教師」第9号(A・⑵・①)には、「文学教育研究会結成から現在まで」(神戸大学文学教育研究会)が掲載されています。ゼミ実の中心サークルの一つである文学教育研究会がどのような経緯で誕生し、ゼミ実の運動の中でどのように活動してきたかを報告したものです。
A・⑶
私(藤本英二)が所属していた文学教育研究会は、「未来の教師」第9号、第10号でも触れているように、学外から西郷竹彦先生を招いて、教育学部で講演会を開きました。この時の資料・テキストがA・⑶です。
B 藤本卓関係資料Ⅰ
藤本卓は、神戸大学卒業後、東京大学大学院に進み、いくつかの大学講師をしたあと、大東文化大学で専任となり、教育学を教えていました。多くの論文を残したまま、定年まであと一年という、2020年3月に急逝しました。本人は退職後に論文をまとめて一冊にするつもりだったようですが、それがかないませんでした。
そこで、彼の遺稿を収集してまとめたのが、B⑴『藤本卓教育論集─〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉─』で、ここの最後に彼の年譜と著作一覧があります。
B⑵『別冊 Bricolage(ブリコラージュ)通信 『藤本卓教育論集』編集日誌─2020年6月~2021年5月─』は、彼の死を知ってから、『藤本卓教育論集』を発行するまでの私(藤本英二)の作業日誌です。この194頁~195頁で『神戸大学教育学部五十年史』(西宮市立図書館所蔵)に言及しています。
B⑶『Bricolage(ブリコラージュ)通信 №12』の138頁~193頁に、「卓さんとぼく」という原稿を収めています。神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会の前史、結成も含めて、私と藤本卓との交流を詳しく記したものです。
教育学部の自主ゼミ運動に刺激されて、私は文学部で1974年4月~6月に、《連続講座「ドストエフスキーの文学」》という催しを実施しました。このことについても164、165頁に記しています。
※『Bricolage(ブリコラージュ)通信』というのは藤本英二の個人誌。
※《連続講座「ドストエフスキーの文学」》の音源はCDにして寄贈する予定です。作業に少し時間がかかるので、後日お送りいたします。
C 藤本卓関係資料Ⅱ
⑴~⑷のパイロット版は、『藤本卓教育論集』を作るための下仕事として作成したものです。
⑺~⑼のコレクションは、『藤本卓教育論集』発行後に、作成したもので、拾遺集になります。
⑸⑹は大東文化大学での、教育者藤本卓の活動をまとめたものです。⑸⑹の口絵写真はほとんどが大東文化大学関係のものですが、若き日の藤本卓の写真も入れておこうと思い、特別に⑹の口絵6頁目に、神戸大学教育学部ゼミナール実行委員会関連の写真を載せています。上が藤本卓、土井真美子(のち結婚して藤本真美子)、下が神戸大学教育学部の仲間(1974年全教ゼミ金沢大会参加者)です。
また⑹の本文4頁に「自主ゼミ運動から公開ゼミへ」という文章を載せています。神戸大学教育学部でのゼミナール実行委員会の活動が、大東文化大学での藤本ゼミの「公開ゼミ」へと繋がっていった、という主旨の文です。
D 藤本英二著作
B⑴『藤本卓教育論集─〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉─』を編集・発行したあと、まとめたのが『高校生と文学作品を読む』(藤本英二、鳥影社、2022年9月)です。このあとがきの冒頭251頁で、神戸大学教育学部の自主ゼミ運動について、触れています。
4月19日(土)
富山の黒田くんから、ZOOMで若手勉強会を開きたいという話があって、山崎正和「水の東西」の授業について検討することになった。ここ二、三日はその準備にかかりきり。気がつくとプリント20枚分になった。これは『教科書の森を散歩する その⑶「現代の国語」編』の原稿を兼ねて作ったものだが、もし自分が富山の高校一年生に最初の授業としてやるなら、どんな風にやるか、を考えていると、あれこれ思いつくことがあって、止まらなくなった。
例えば「水の東西」は、「鹿おどし」と「噴水」を日本と西洋の文化的な比較をするために使っているが、富山で「水」と言えば何を思い浮かべるかな?と聞いてみたい。僕としては、黒部ダム(水力発電)、富岩環水環水公園(ここにあるスターバックスは世界で一番美しいと評判だったので、行ったことがある。普通のスタバやん、と思ってたら、店の中ではなく、外の景色を言っていたらしい。確かに日本アルプスが望め、運河もあり、綺麗な景色だった。)、それから富岩運河の観光船(川下り、途中に水のエレベーター・閘門がある。)なんかを話題にするなあ。そのための何か視聴覚教材はないかと探していると、ユーチューブであった。これを使えば、ちょっとした旅行気分。きっと乗ったことのある生徒も多いはず。
「鹿おどし」を、今の高校生は見たことがあるか。昔は時代劇でよく見かけたけどなあ。何かないかと、「鹿おどし 映画」で検索してみると、「異端者の家」(4月25日公開)の予告編があった。見てみると、ホラー映画で、布教のために一軒の家を訪れた二人の若い女性が、最初は優しそうな主人(ヒュー・グランド)に、安心して家に招き入れられたが、機械仕掛けの家から出てこれなくなる話らしい。予告編の真ん中で「鹿おどし」が出て来て、音に二人が驚く場面がある。
山崎正和は冒頭「「鹿おどし」が動いているのを見ると、なんとなく人生のけだるさのようなものを感じることがある。」なんて書いているけれど、「異端者の家」の「鹿おどし」の音は怖くて、二人の若い女性はおびえていた。
今朝見つけたばかりだけど、こんなのも紹介したら、おもしろいよな。などと考えていると、時間のたつのも忘れる。
4月12日(土)
(承前)大学文書史料室は神戸大学百年記念館の一階にあった。入ってみると人影もなく、常設展示を見て回ってから、受付の所の呼び鈴(ホテルにあるような)を軽くたたくと、澄んだ高い音がした。奥から職員の方が出てこられたので、プリントアウトしてきた「抵抗」と「群緑」の資料を見せて、これを読みたいのだが、と申し出ると、取ってくるので待っているように、とのこと。てっきり開架式かと思っていたのだが、どうやら違うらしい。館内に置いてあった利用案内によると、「湿度・温度が管理され防犯・防虫・紫外線除去等が配置された専用書庫で大切に保存されて」いるようだ。2010年に設置され、2011年に「国立公文書館等」の指定を受けたとか。
「抵抗」は9号まであった。1960年前後に国文科の学生たちによって編集発行されたもので、ちゃんと製本所で作られていて、広告も載っていた。これに木南先生、浅田先生の若い頃の原稿が載っていた。それを読むと、60年安保闘争が重要なことであったのがよくわかる。樺美智子さんの死が、当時の学生に与えたショックの大きさが想像された。連日のようにデモに行っていたようだ。また国文科が全体として、四つ(五つだったか)の班に分かれて、研究会を続けていたらしい。浅田先生は近代文学、木南先生は現代文学らしい。現代文学では大江健三郎の初期短編を連続で取り上げている。また、全国的な学生の集会もあったらしいが、11大学で27名だから、数は多くない。猪野健二先生の名前も散見でき、当時の学生とのつきあいは深かったようだ。先生が、研究会の時間を間違えて、遅れてこられたというエピソードもあった。
文字、資料、書物は、時間を超えるということを実感した。
それで、来館の目的を所長さんたちに話し、手元にあるいくつかの資料(教育学部のゼミ実関係及び藤本卓関連、文学部のドストエフスキー研究会など)を引き取ってもらうことにした。すごく喜んでくれたので、来た甲斐があった。まあ、これも身辺整理の一環だ。
4月11日(金)
神戸大学文書史料室という所へ行ってきた。インターネットで調べてみると、60年代初めの頃に文学部の学生が「抵抗」という雑誌を出していたようで、そこに木南先生(高校で習った)や浅田先生(木南先生の友人)の名前があった。そして70年代の前半の教育学部自主ゼミナール運動の機関誌「群緑」も1号、3号が所蔵されているようだった。一度、どんな所が確かめて、僕が持っている資料(「群緑」とか「未来の教師」とか、ドストエフスキーの連続講演会の音源とか)も寄贈しようか、と考えたのだ。
大学は、春真っ盛り。桜のはなびらも舞い、遠く神戸の街並みや港も望め、もう完全に遠足気分。百年記念館の二階のテラスからの景観は2001年に「神戸景観・ポイント賞」を受賞したとか。もう絶景だった。こんなの眺めながら珈琲でも飲んでいたら、授業なんか出る気がしなくなるのではないか、といらぬ心配をしてしまった。(続く)
4月6日(日)
息子一家の新居を、奥さんと二人で、初めて訪れる。家の前の路が狭いので、車が通るかどうか心配していたが、大丈夫だった。昼食後はみんなで近くの公園へ。桜が満開で、子どもたちも多くて、とてもいい感じだった。家に戻って、おやつのプリンを食べる。我々二人が帰るという段になって、こうちゃんが泣き出して、可愛いかった。
3月24日(月)
北九州の息子一家が転勤で大阪に引っ越すので、3泊4日で手伝いに行った。奥さんも3泊4日で先行し、引き継ぐ形にしたのだが、奥さんはヘトヘトで帰ってきて、その晩は38℃以上の熱を出し、どうなることかと思った。翌日は体調も元に戻っていたので、安心して北九州へ向かう。
何故、こんな長い期間の手伝いかというと、この時期の引っ越しは混んでいて、なかなか調整がつかず、結局18日にはほとんどの荷物を運び出したのだ。こうちゃん(2歳)とお母さんは、直前に伊丹の実家へ移動。けいちゃん(小学2年)は24日の終業式まで、布団以外何もない家でお父さんと二人暮しになる。そこで、放課後帰ってくるけいちゃんの面倒を見るというのが、今回の「引っ越し手伝い」の主なミッション。
21日(金)3時半過ぎに、けいちゃん帰宅。お父さんが帰ってくるまで、面倒を見る。3人でスシローで夕食。夜は一人だけ、ロッジ旅籠屋に泊る。
22日(土)予定通り二人は博多の方へ遊びに行く。ついていくと、体力消耗は必至なので、夕方まで一人で過ごすことにし、小倉ミニ観光に出かける。一時間に一本のバスで、折尾駅まで。そこからJRで小倉へ。小倉駅からモノレールで二駅分乗って、旦過駅で下りる。火事で大半が焼失した旦過市場の残った店を見て歩く。そのあと、近くの杉田久女の歌碑を探す。これは比較的すぐに見つかった。次に、森鴎外の旧居跡に行こうとしたのだが、これがなかなか見つからず、まだシャッターのしまった昼の歓楽街をうろうろする。本当にこんな所にあるのか?スマホで調べると、現在地から1分とある。疑いながら、角を曲がるとあった。思った以上に大きな敷地、二階建ての屋敷は記念館になっていて、有名な遺書のコピーも展示してあった。鷗外はこんな字を書いたのかと、感慨を深くしながらきちんと読んだ。解説をよく読むと、これは口述筆記で、友人の賀古鶴所(舞姫の相澤健吉のモデル)が書いたものだった。
そのあと、駅前の商店街で一銭洋食(お好み焼きのもとになったとか)を食べ、大型書店の「喜久屋書店」の棚を見て回ってから、折尾へ戻る。一時間に一本のバスを待つため、ベーカリーカフェで時間を潰し、4時前にはロッジに。博多から帰って来たゆうすけ・けいちゃんが迎えに来てくれ、夕食はガストへ。
23日(日)、グリーンランドへ3人で出掛ける。夕食はしゃぶしゃぶ屋へ。粗大ごみを搬出するのを手伝う。食器棚の下にシートを挟んで引っ張り、台車に載せて、エレベーターで1階へ。最後の玄関前の階段3段が危なくて、二人で慎重に下ろす。そのあと食洗器も下ろし、完了。
24日(月)、午前中は細々したゴミをまとめて捨て、掃除。けいちゃんは終業式を終えて、帰って来たので、3人で近くのコメダ珈琲へ行く。業者のチェックも受けて、無事に部屋の返還完了。折尾駅まで送ってもらい、小倉から新幹線で新大阪へ。ゆうすけとけいちゃんは、門司からフェリーで大阪南港へ。
春の一大行事は、こうしてなんとか終わり、ほっと一息。
3月15日(土)
高校の剣道部の集まりがあった。卒業以来なので、55年ぶり。JR三宮改札口付近で待ち合わせたが、その辺りには同じような年配の人があちこちで、待ち合わせ相手を探してきょろきょろしている。「あの~、〇〇さんですか」と知らない人から声をかけられた。どうも見当がつかないので、幹事の多田くんにスマホで電話すると、すぐ向いの男性が電話を取った。至近距離にいたのに、全然わからなかった。なんとか6人集合して(うち1人は部員ではないけれど)、居酒屋へ。ぼちぼちと高校時代の話をするが、みんな少しずつ記憶していることが違う。一人一人の記憶がまだらで、ずれている。でも話しているうちに、思い出すこともあった。剣道部は校舎四階の講堂で練習していたのだが、一階までの階段往復をトレーニングとしてよくやっていた。その石の階段のすり減った様子をくっきりと思い出した。
新田くんは、18歳で中央分離帯に激突、何ヶ月も入院していたとか、今も現役で25トントラックを運転して、八戸や鹿児島まで荷物を運んでいるらしい。
中道くんが朝遅刻して部室でたばこを吸っていたら、生徒指導部の藤本先生が見回りに来て、吸い殻を見つけられ、問い詰められて、思わずK先輩の吸い殻ですと言い逃れた話とか。
なんとも不思議な、55年ぶりの再会だった。
3月14日(金)
今日は、車検に行ったのだが、代車を貸してくれた。軽自動車だけど、車高が高くて、いつも運転している時と、視線の位置が違うので、何か不思議な気がした。車庫に入れようとすると、ナビがカメラに切り替わっていて、バックをアシストしてくれている。
車検に出した車は九年乗っているけど、4万5000キロほどして走ってない。年5000キロとして、一日平均15キロ弱か。まあ、そんなものだよなあ。でも、さすがにタイヤは減っているようで、四つ交換するので、結構な費用。
9日(日)は、早稲田キャンパスで「大江健三郎を再読する─ジェンダーとセクシャリティの観点から」、今日は東大キャンパスで「大江文学と女性」と連続してセミナーをzoomで視聴。5人の女性研究者の話を聞いた。
自動車では1日15キロ弱だけど、zoomなら600キロも一跨ぎ。
3月4日(火)
津野海太郎(1938年生まれ)の新刊『生きるための読書』(新潮社、2024)を読んだ。これはジブリの『熱風』に「もうじき死ぬ人」というタイトルで連載していたエッセイを集めたもの。『百歳までの読書術』『最後の読書』『かれが最後に書いた本』に続く老人読書シリーズの本だ。
読んでいくと、「最後のお祭り読書」という言い方で、三十代から四十代半ばの、六人の人文系の研究者、具体的には伊藤亜紗、斎藤幸平、森田真生、小川さやか、千葉雅也、藤原辰史、をまとめて読むことをやっている。僕が2022年から始めた新しい高校国語教科書をコツコツ読む作業の中で、初めて出会った研究者、伊藤亜紗、森田真生、藤原辰史の3人が挙げられていて、嬉しくなった。津野さん、僕もその3人に注目してたんですよ、とメールでもしたくなった。
3月2日(日)
宝塚市立中央図書館の読書会に行ってきた。今回の課題図書はジェーン・オースティンの『高慢と偏見』。10年ほど前に『カラー版世界文学全集』(買ってもらったのは中学生の頃)で読んだことがある。再読しようと思ってもう一度開いてみたら、活字が小さくて、今は読みづらい。これは無理をせずに、大きい活字の文庫本を探そうと、伊丹市立図書館へ。数種類あり検討の末、光文社古典新訳文庫上下2冊を借りる。
読書会の参加者は一般6人、図書館関係者3人で、適当な規模だった。会場も広く、補聴器もあるので、だいたい聞き取れた。
長くて挫折した人、挫折しそうになった人、オースティン大好きでいろいろ他の作品も語る人、日本語訳がいくつもあるという話、何種類もの映画やテレビを観た人、なんやかや話題が転がり、結構楽しい一時間半だった。
それにしても、一参加者になると、本当に気楽。ここで講演会をしていた頃は、一回の準備に3カ月かかったりもした。井上ひさしの劇は全部読んだし、ビデオをいくつも観た。あんな体力、集中力は、もうないなあ。
2月27日(木)
右耳の補聴器を作ることにして、西宮の専門店に行ってきた。ここは10年ほど前に、母親の補聴器を頼んだ所だ。いろいろ聞こえの検査をしてもらったが、「ことばの聞き取り」検査がこれまで経験したことのないもので、なかなか面白かった。耳鼻科でもよく音の聞こえの検査をしたが、あれは「音」。ことばの聞き取りは、日本語の音韻をちゃんと判別できるかで、「り」「そ」「き」……という風に、試験官が発声する「ことば」(というか、いわゆる五十音)をテストされる。三段階の音量でやるので、第一段階では、まあ聞こえるやんか、と思っていたら、第三段階ではほとんどあてずっぼで答えている感じだった。最後の成績は30%の正解率。
で、試聴器をつけて、さらに検査。
試聴器を借りて、帰る。トレーニングが必要とかで、2週間ごとに調整をしながら(補聴器の性能を上げていくらしい)、4回くらい必要なので、実際に自分の補聴器を注文するまでに、2カ月くらいかかるとか。
補聴器は、これまで聞こえてなかった音域の音を拾うので、初めはうるさく感じるらしい。そのうちに、脳が慣れてくるとか。
今日はりんごを剥いていて、そのシャリシャリという音が聞こえてきて、びっくり。こんなの意識したことなかった。
2月20日(木)
第一学習社の現国714をパラパラとめくっていて、脚注にドナルド・トランプの顔写真を発見。?これは何だ。林香里「現代の「世論操作」」という文章を読んでみて、ちょっと驚いた。教科書は一般的に政治的な問題には触れない傾向があるが、現代のプロパガンダ、マイクロプロパガンダについて紹介しながら、2016年のアメリカ大統領選における共和党の選挙キャンペーン、ドイツの極右政党(脚注には「ドイツのための選択肢」)の躍進、イギリスのEU離脱キャンペーン、ロシアからの自動送信によるボット・ツィートなどを例に、現代の世論操作を語っている。これを載せるなんて、第一学習社、結構攻めてるなあ。
出典は『メディアは誰のものか─「本と新聞の大学」講義録』
2月16日(日)
今月は県立図書館(明石)、神戸市立図書館(垂水、神戸大倉山)、伊丹市立図書館(4回)、と図書館巡りの日々を送っているが、今日は尼崎市立北図書館(武庫之荘)へ出かけて行った。
二階の資料室で、『日本歌学大系』第5巻をさがし、「東野州聞書」を確認。藤原定家の「生駒山あらしも秋の色に吹く手染の絲のよるぞ悲しき」に対する正徹の分析の箇所を探してコピーした。
この図書館は、武庫之荘の教職員住宅に住んでいた頃、よく利用した。
2月14日(金)
大倉山にある神戸市立中央図書館へ行ってきた。浪人していた頃(50年以上前)よく通った所だ。午前中は御影の予備校で授業を受け、午後からはこの図書館に籠って勉強した。
三宮から市営地下鉄で「大倉山」駅へ。改札を出てもエスカレーターはなく地上へ出るまでの階段が長くてきつい。表へ出て、最初は方角がわからなかったが、まわりをぐるっと見廻して、下っていく長い坂道の向こうにJR神戸駅、その坂道の横にあるのが体育館、道路を挟んで上にあるのが文化ホール、とすると図書館はこの方向だ、と判断できた。
図書館はすっかり変わっていた。僕のなじみの建物は阪神淡路大震災以後建て替えられたらしい。
探していた本3冊を書庫から出してもらい、垂水図書館(分館)で作った利用カードを使って借り出した。
神戸市に隣接する市町(芦屋市・西宮市・宝塚市・三田市・明石市・三木市・稲美町・淡路市)に在住 する人は、カードを発行してもらえるが、伊丹市は「隣接する市」ではないので、神戸市在住の保証人が必要だったのだ。
それで先日、明石で県立図書館のカードを作ったあと、急いで垂水へ戻り、垂水区在住の妹に保証人を頼み、垂水図書館でカードを作った。保証人のお礼はランチと明石で買った「分大」の最中。
で、今日、神戸市立図書館で無事本を借り、新しくなった裁判所も眼にしながら長い坂道を下り、神戸駅近くの地下街でお好み焼き(豚玉800円)を食べ、ちょっと疲れて、伊丹へ帰った。
2月11日(火)
「現代の国語」を地道にコツコツと読んでいる。この科目の特徴の一つは言語活動だが、大修館・現国707でこんなのに出会った。
「料理レシピを書こう」というのだ。ゴーヤチャンプルーの作り方として《料理が得意な金子さんが、料理が苦手な森さんに送った》メール2通が出てくる。
⑴金子さん、森さんなので、てっきり女の子二人の話かと思っていたのだが、イラストを見ると金子さんは女の子で、森さんは男の子だった。そうか、男の子も「くん」ではなくて、「さん」の時代か。
⑵料理が得意なのは女の子で、男の子は苦手、という設定はいささか古くないか。少なくとも、うちでは晩御飯作りは奥さんとの3日交替制で、揚げ物、餃子、おでん、春巻きなどは、いつも僕が作ってる。横浜のかずき(中学生)は家庭科部に入りたかったというくらい料理好き。時々自分の弁当も作っているらしい。
⑶そもそも、何故金子さんが自分でレシピを書いてメールで送るのか。スマホを持っているなら、森さんが自分でレシピ検索すれば、いやほどヒットするぞ。それに何故書き直して2通目を送ったのかも不明。誰かから、こんな書き方じゃ、料理の苦手な男の子にはわからないと言われたのだろうか。
⑷それにしても、何故、森さんは金子さんにゴーヤチャンプルの作り方を訊ねたのだろうか、これはひょっとしたら、親しくなるための、口実だったのではないか。
鳩 高橋睦郎
その鳩をくれないか と あのひとが言った
あげてもいいわ とあたしが答えた
(以下略)
という例もあるではないか。それならそれで、後日談も載せてほしいものだ。(知りたいのはゴーヤチャンプルがうまくできたかではなく、二人の仲が深まったのか、である。念のため)
言語活動で、実用的な文章の例として料理レシピというのもどうかと思うが、なんとか立体的にと考えて、金子さん、森さんを出して来たのだろうが、フィクションにリアリティがなさすぎ。突っ込みどころ満載やんか。
2月7日(金)
図書館の利用カードを入手するために、明石(県立図書館)、垂水(神戸市立図書館)へ行ってきた。このことについて、長い文章をここで書いていたのだが、公開前に何かの拍子で「折りたたみ可能なグループ」(2025年分)が突然消滅。あわてて、あちこち触ったが、復元できず。仕方なく、ネットに公開している分をコピーして、「折りたたみ可能なグループ」(2005年分)を新たに作って、そこにペースト。なんとか、2月5日分までは残せた。
作っている途中で消えてしまった2月7日分は、あきらめて、今こうして、新しい「2月7日」の日誌を書いている。
あれはなかなかの傑作だったんだがなあ。もう一度書くのは無理。明石でタクシーに乗ったわけは?県立図書館でのドタバタは?何故、垂水で図書館カードを作ったのか?垂水商店街で見たものは?JRの車窓の眺めで何を思い出したか?ううん、とてももう一度は無理。長く書くと、また突然消えるような気がして、……。
2月5日(水)
今季最強の寒波がやってきて、連日各地で積雪の被害が報道されている。まあ、関西はそれほど影響ないのだが、……。冬はできるだけ陽あたりを考えながら、昆陽池を散歩している。今日は玄関を出た時は青空が見えてポカポカ、絶好の散歩日和、よしよしと歩いていると、風が結構強い。昆陽池公園の入口の近くには僕の身長ほどの枝が落ちていた。ちよっと道の端によけておこうと手を伸ばした時、背後で小さな枝が落ちて来た。風の音が凄い、高い樹々の揺れが激しい。
途中、スワンホールに入り、展示の準備を見て回り、やっぱりホールの中は暖房がきいて暖かいな、と外に出ると、なんとなく空が暗い。少し歩くと、北西にある六甲の山がまたたくうちに見えなくなっていく。雲の流れが速い。そうこうしているうちに雪が降って来た。昆虫館の横まで来ると、物凄い雪と風で歩けなくなった。後を向いて、背中で風と雪を受ける、もうほとんど「八甲田山 死の彷徨」状態。思わず、北大路欣也のセリフ「天は我を見はなしたか」が頭をよぎる。いつもは、橋を渡って天神川の北側の道を歩くのだが、一刻も早く家に帰ろうと、川の南側、昆陽池公園のフェンスに沿って歩く。ところが、ふと北東を振り返ると、青空が見える。うん?なんだこれは。たちまち空が晴れて来て、家の玄関を開ける時には陽もさしてきた。
家の中で、ずっと窓に背を向けて外を見ずにガラス細工の作業をしていた奥さんに、吹雪の話をしても信じてもらえなかった。本当だって!
2月3日(月)
昨日は、ZOOMで国語サークルひらどの例会があった。片山さんが3年生3学期にやった詩の授業の報告が面白かった。僕の『現代詩の授業』を参考に、コンクリートポエトリーをいくつか紹介したそうで、ラインハルト・デールの「虫食いりんご」はドイツ語で書かれているが、それを片山さんが英語に作り直して教材化したとか。(「虫食いりんごご」はApfelがずらりと並んで、全体でりんごの形になっている、そして1箇所Wurmという文字がひそんでいるのだ。片山さんはこれをAppleとWormに翻訳したわけだ)そのあとで生徒にも文字を使った具体詩を作らせたらしい。
次に卒業をテーマにした五行詩を作らせ、それを写真と組み合わせて一つの作品にさせている。実際の作品を見せてもらったが、黒板にチョークで座席表が書いてある(名前だけでなく、ちょっとしたことばもついて)のとか、校門の所で五人の女子がジャンプしてるとか、とても素敵な写真が多かった。写真を撮るために授業中、生徒は学校のあちこちへ出て行ったり(事前に他の先生たちには断っておいて)、出来上がった作品をパソコンで送付させたり、その作品をパウチして、本人に渡したり、模造紙に作品を張り付けて、廊下に張りだしたり、とにかく楽しそうだった。
今の高校生は、パソコンを使って、写真に詩を重ねたりも、簡単にできるんだなあ、と感心した。
参加者同士であれこれ経験やアイデアを出しあって(作品を冊子にして図書館に置いておけば後輩たちの参考になるとか、この作品を卒業式にスクリーンに投影したらとか)話が多いに盛り上がった例会だった。
2月2日(日)
毎日、寝床で本を読んでいる。だいたい4、5冊を少しずつ。
一昨日は、ダンテの『神曲』を読了。これは毎日1章ずつ読んで、ほぼ3カ月かかった。地獄編、煉獄編、天国編があるが、煉獄というのがもうひとつわからなかったが、読んでみてわかった。地獄におとすほどではないが、直接に天国にいかせるわけにもいかぬ者を、その罪に応じて、煉獄で罪を清めさせるという仕組みらしい。天国編では宇宙に飛び出して行き、月光天、水星天、金星天、太陽天、……と順次上昇していく。登場人物や話題の人物がほとんど知らない人なので、称賛や批判の内容がピンとこなかった。なにせダンテは1265年生まれ、解説では吉田兼好やマルコ・ポーロが同時代人だとされている。なるほどね。
昨日は、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を読了。これはブリコラージュ通信№7に載せた《丸谷才一『笹まくら』を読む》を書くために、第3巻14太陽神の牛の途中まで読んだが、挫折。約10年間放っておいた。今回、再スタート、ついに第3巻、第4巻を読破。先週からウラジミール・ナボコフの文学講義、『ユリシーズ』の章にとりかかった。
古典、大作もゆっくり、ちょっとずつ読めばなんとかなるものだなあと思っている。
1月30日(木)
もうすぐ運転免許の更新なので、近くの自動車学校へ高齢者講習を受けに行く。11時半からの回は、受講者二人だけだった。教習所のコースを走っての実技は、全然問題なし。でも視力検査が、予想以上に悪かった。普通の静止視力は1.0で問題なしだが、動体視力は0.1(同年代の平均が1)、夜間視力は0(強い光を見てから、回復するまでに90秒以上かかった)だった。予想以上の衰えに、……。最近は夜間はできるだけ運転しない、高速道路はできるだけ使わない、ということは実行していたけれど、これまで以上に視力の衰えを意識して運転しようと思った。
まあ、でも久しぶりに先生から指導されて新鮮な経験だった。
1月29日(水)
今年は毎月遠足に行くことにした。1月の遠足は、神戸ルミナリエ。奥さんは、豚まんを買いに南京町へ、僕は三宮ジュンク堂へ。その後、合流して、東公園へ着いたのは5時過ぎ、もう点灯していた。まだ観客もそれほど多くなく、自由に動き回ってビデオ撮影できた。暗くなってくると、印象が随分変わる。塚口でスペイン料理を食べて、帰宅。なかなか内容の濃い1日だった。
1月25日(土)
昨日は久しぶりに、高山智津子・文学と絵本研究所の所員会議を小西さんの家でやった。小西さん(元保育園調理師)が腕によりをかけて、いろんな料理を次々と出してくれるので、こんなに食べたのはいつ以来かというくらい山海の幸をたらふく食べた。
で、最初は、おさなご保育園に預けてある高山先生の資料をそろそろ処分した方がいいのではないか、という話をしていたのだが、徳永さんはまだ理事長だし(80まではやれるだろう)、小西さんも理事なので、もう少し預かってもらっててもいいのではないか、という方向へ行き、高山先生の本などもいろんな方に貰ってもらうようにしたらという話に転がり、それでは何か集まりをもとうか、亡くなられたのが2006年なので没後20周年の会はどうか、それは楽しそうという話になった。しかし、2027年まで我々が元気でいれるだろうか、高山先生を知っている方も年配者が多い。早めにやった方がいいのでは。今年というのはせわしないので、来年やろうということになった。で、小西さんが自分の家を会場にして、料理も自分が作るので、という話になり、会場の心配をしないのが一番。でも何人収容できる。テラスと庭も使って30人までなら、やったことがあるので大丈夫とのこと。
2026年4月17日(金)13:00~16:00、会場は小西さんち、会費は2000円くらいというところまで決まった。次回所員会議は一年後に出す料理の試食会を兼ねて、4月17日(木)に「高山智津子没後20年祭(プレ)」の打ち合わせをする予定。
1月22日(水)
庭のイヌマキが大きくなり、二階のベランダまで届きそうなので、なんとかしたいと思ってた。シルバー人材センターに頼んで剪定作業をしてもらった。
元々、子どもが小さい頃に、昆陽池でドングリを拾って、どんぐり銀行に持って行き、苗と交換してもらい、それを育てた、というもので、うちの奥さんは思い入れが強いようだった。
二時間程、作業してもらて、すっきりとした。良かった良かったと、ほっとして、コーヒーでも飲もうとしていた。なんか変な臭いがする。?ヒーターか、と思い、見たが異常なさそう。はっと気がつくと、自分の半纏の袖口から火が!あわてて消した。危うく火だるまになる所だった。料理をするときは、もちろん半纏を脱いでいるのだが、コーヒーをいれるために、お湯を沸かそうとコンロに火をつけた時に、袖口に火が移ったようだ。
イヌマキの祟りではないと思うけど。
1月20日(月)
この土日に大学共通テストが実施された。新しい学習指導要領に基づいたテストがどのようなものか、一つ試しにやってみようと思った。新聞の問題はあまりにも活字が小さくて、とても読めない。ネットからダウンロードしたら、国語の問題はa4で52頁もあった。受験生はこんなに分厚い冊子をやるのか、としばし呆然。
国語は今年から大きく五問。
⑴高岡文章「観光は「見る」ことである/ない─「観光のまざし」をめぐって}」(評論)
⑵蜂飼耳「繭の遊戯」(小説)
⑶「わかりやすい言葉づかい」について(インフォームドコンセント)をめぐって(資料の読み込み)
⑷「在明の別」と「源氏物語」若菜下(古文)
⑸「論語」をめぐって、漢学者皆川の注釈とその弟子田中履堂の読書論(漢文)
こんなのを90分で解けというのか。
大学入試問題なんて、もう20年以上やってないから、選択肢の選び方(読み方)を思い出すのに時間がかかった。自分で綴じた分厚い冊子のあっちをめくりこっちをめくり、……。第一問だけで40分かかった。第二問に25分、第三問に20分。もうこれで85分。残り5分で古文・漢文は無理。疲れ切って、翌日に持ち越す。
で、今日20日、第四問(古文)、第五問(漢文)に取り組むと、なんかすらすら解ける。この日の分は、全問正解。古文漢文なんて、この20年全然やってなかったけど。
ネットでは早くも予想平均点が出ていて、予備校によって1点ほどの差はあるがまあ127点ぐらいのようだ。僕の総得点は秘密(9割に届かなかった)。でも古文、漢文は満点だったぜ。ふふふ。
それにしても、第三、第四、第五問はいずれも、複数の資料の読み取り。これが新しい傾向なのか。とにかく素早く、要領よくやることが求められている。集中力、持続力が必要で、二日で七教科をやるには、気力、体力も充実してなければ……。僕なんか、二日で国語一科目こなすのが、精一杯だった。
1月16日(木)
丸谷才一『笹まくら』について、10年前に書いた原稿を書き直すつもりで、いくつか関係する本を読んでいる。ジョイス『ユリシーズ』は3巻の途中で放棄していたけれど、今回は3巻を読了、最終の4巻に入った。たぶん読み切ることができそうだ。
『『四畳半襖の下張り』裁判全記録上・下』はネットで古本を手に入れて、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健の証言まで読んで、これから吉田精一に進む。
『後鳥羽院 第二版』はなかなか進まないが、先にあとがきを読んで、あっと思った。丸谷才一が国学院を辞めた時、野坂昭如(旧制新潟高校の後輩で、丸谷は野坂の結婚式で媒酌人をつとめた)が誘ってくれて一緒に山陰旅行をしたという。皆生温泉で、急に隠岐の島へ行こうという話になった。
《…あの島でわたしがいちばん感動したのは、陵の隣りの、後鳥羽院を祀る隠岐神社の花ざかりにたまたま会ったことである。あの満開の桜は「ながながし日もあかぬ」と言ひたいくらゐきれいだった。わたしはこの景色を『笹まくら』に取入れることにして、徴兵忌避者と家出娘とに花見をさせたのだが、あとで気がついてみると、野坂も『受胎旅行』のなかで、どうしても子供を授からない夫婦にこのお宮の花を眺めさせてゐた。》
丸谷才一が国学院を退職したのは、1965年3月。『笹まくら』は1966年7月刊行。野坂昭如『受胎旅行』は1967年の刊行。
そして、四畳半襖の下張裁判の第一回公判は、1973年9月。被告人の一人野坂昭如と特別弁護人丸谷才一は、裁判の8年前1,965年の春、隠岐で満開の桜を眺めていたわけだ。
1月12日(日)
2024年のノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンの『別れを告げない』を読んだ。済州島四・三事件を扱っていると知って手に取ったのだ。若い頃、金石範の『鴉の死』に深い感銘を受けたことがあったからだ。
訳者斎藤真理子の訳者あとがきが、歴史的な背景やその後の韓国での受け止め方の変化を詳しく解説していて、とても参考になる。
実はタイトルの意味がよくわからなかったのだが、斎藤真理子はその点についても、丁寧にこう述べている。
《このタイトルは、直訳すれば『作別しない』となる。「作別」という熟語には「別れる」と「別れを告げる」の両方の意味があり、それを「しない」とは、ハン・ガンによれば「別れの挨拶をしない」と「別れを実行しない」の両方を指すそうだ。それは「決して哀悼を終わらせないという決意」であり、「愛も哀悼も最後まで抱きしめていく決意」という意味なのだという。
「決して哀悼を終わらせない」という言葉の強さは、韓国における四・三事件の歴史的位置づけという難しい問題を勘案することで初めて理解できるだろう。》
《…インタビューで作家が「人類が長い歴史の中でずっとくり返してきたジェノサイド」に言及し、「このような人間の本性について問いかけることをやめずにいたい」と吐露していたことも忘れがたい。このあとがきを記している今もガザへの攻撃は止まないが、「書きながら、死から生へ、闇から光へと自分自身が向っていることを発見した。光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う」というハン・ガンの言葉を書きとめておきたい。》
1月9日(木)
元旦は奥さんの実家へ行くのが恒例になっていて、今年は全員で13人が顔を合わせたが、やはり人気者は2歳のこうちゃんで、何かするたびにみんなの視線が一斉に集まった。
3日はうちに、横浜、北九州みんなが集合で、焼きそば大会。大人五人(年齢合計約250歳)子ども四人(年齢合計約31歳)で何玉買うか迷ったが、やきそば九玉、うどん二玉を用意。うどんは必要なかった。
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1月4日(土)
横浜から帰って来たなっちゃん、かずき(中一)、げんき(小二)の3人は、大晦日になんば観光に出かけ、たこ焼き、クレープなどの食べ歩きを満喫したらしい。道具屋筋で、食品サンプル(食堂の前のケースに陳列される料理の見本)を売っている店で、げんちゃんはエビスビール(泡まで本物そっくり)を、かずきは皮を半分むいた蜜柑を買ってもらい、なっちゃんはたこやきのイヤリングを購入。エビスビールは特にうちの奥さんに大受けだった。(げんちゃんに一晩貸してもらってた)
12月31日(火)
年末は忙しい。今年は大掃除を3日間やった。29日に北九州から、30日に横浜から子どもたちが帰って来た。笑うのに忙しかった。手巻き寿司、豚汁作りをし、正月用の食材の買い出し、おせち用の料理でバタバタした。
年賀状は例年年内に(教え子は返事として年明けに)投函することにしているが、気がつくと今年は後七時間しか残ってない。
12月21日(土)
『笹まくら』のモデル問題に決着をつけることができた。そもそもの発端は、梶尾文武氏の論文「小説家と戦後市民社会─丸谷才一『笹まくら』と市民文学の系譜─』の「主人公は永川玲二をモデルにすると言われる」という一節。確か以前にもこの話どこかで耳にしたような気がするが、これは一度きちんと確かめておこうと思い、資料を辿っていった。具体的には、
・新潮文庫『笹まくら』(旧版)解説・篠田一士
・種村季弘『雨の日はソファで散歩』
・高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた……』
・田中綾『非国民文学論』
・山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』
などにあたってみた。決定的なのは、山村基毅の本だった。ここに『笹まくら』のモデルについて、丸谷才一へのインタビューが載っていた。種村季弘の「永川玲二説」はガセネタだった。
当初、この話はブリコラージュ通信№7の《丸谷才一『笹まくら』を読む》に組み込むつもりだったが、まとめてみると、A4で6枚の長いものになった。別原稿として、補足的に後につけた方がいいかな、と今は思っている。
このペースでは、まだまだ新しい本の原稿は時間がかかりそうだ。まあ、脳ドックの結果も良かったので、少しは頑張れるかな。(スプーンを忘れないようにせねば・12月19日参照)
12月20日(金)
読みたい本、読むべき本をあちこちに並べていると、何だか整理がつかなくなってきたので、一度ちゃんと「読書計画」を立てることにした。
伊丹図書館の19冊と川西図書館の3冊、合計22冊は、1月6日頃までに片付けること。自分の本も一応読む優先順位をつけておく。
で、とりあえずの課題図書はダンテ「神曲」(これは寝る前に一章ずつ。全部で百あるが、ほぼ六十ほどクリア。今、煉獄編の後半)、ジョイス「ユリシーズ」(今全四巻の第三巻の初め、14章太陽紳の牛で難渋している)、川端康成賞全作品1、2(これは川西で借りたので、1日2作品のペースで読むこと)。
『笹まくら』論を書き直すための参考資料は、調べるうちにどんどん増えていって、読み切るのにかなり時間がかかる。特に、『四畳半襖の下張裁判・全記録』上下は、二段組で700頁ある。大丈夫か?『後鳥羽院』も読みながら、『古今和歌集』『新古今和歌集』を読めるか?
自分の愉しみで読んでいる水村美苗『大使とその妻』、長嶋有『僕たちの保存』はなんとかなる。
でも、鷲巣力『林達夫のドラマトゥルギー』、古井由吉『仮往生試文』、隆慶一郎『花と火の帝』までたどり着けないかも。何せ突然、真木悠介の『気流の鳴る音』が気になって、再読し始めたら、面白くて、どんどんそっちに引きずられて……。
まあ、読書計画は「計画」だから、いいか。
12月19日(木)
近畿中央病院で、脳ドックを受ける。特に何か自覚症状があるわけではないが、心臓冠動脈が詰まっているなら、脳血管もいくらかは詰まっているのではないか、と思ってのこと。で、結果は脳のMRIによれば、特に問題なし。頸動脈に若干のプラークがあるが、これも今何かする必要なし。
簡単な認知症のテストも受けた。「桜、猫、電車」とか、100から順に7を引くとかは、軽くクリア。でも物を見せられて「何がありましたか」の質問(扇子、スプーン、はさみ、腕時計、鍵)で、スプーンが出てこなくて、…。最後の「野菜の名前を挙げてください」では、「トマト、きゅうり、白菜、キャベツ、もやし,、椎茸、しめじ、えのき、モロヘイア、…」看護士さんが書き留めきれなくて、もう結構ですと言われた。まだ言えるのに「カボチャ、ピーマン、人参、里芋、ジャガイモ、ネギ、たまねぎ、ブロッコリー、…」。まあ、スプーンが出てこないのを、おおいに挽回した。
とにかく、「脳ドック」を終えて、一安心。
12月14日(土)
関西大学で開かれた阪神近代文学会に行ってきました。初めて関大のキャンパスに足を踏み入れたが、山の斜面を切り開いたのか、門を入るとすぐ階段、さらに進むと、長いエスカレーター。どこまで登るのか、と思った。
最初の発表「森志げ文学の特徴」の資料を見ていると、参考文献に林廣親くん、松原新一先生の名前を発見。懐かしかった。森志げって誰?森繁か?などと思っていたが、鷗外の二人目の妻だった。図書館で筑摩現代文学全集を借りて予習をしていった。
四人の発表者のうち二人は中国の人だったが、流暢な日本語で、いつもながらに、感心。井上靖「考える人」論、大江健三郎『ピンチランナー調書』論を発表されていた。これも予習をしていった。『ピンチランナー調書』も再読したが、これは失敗作だと思った。
最後、鳥井正晴先生(毎日文化センターの講座を受講したことがある)の《『明暗』髄脳─漱石文学の帰結》は、もうほとんど芸の域に達していて、さすが『明暗』を500回以上読んだというだけのことはあった。
13時から17時40分までの長丁場だったので、ちょっと疲れた。外は真っ暗、しんしんと冷えて、こんな過酷な環境で倒れたら、……。阪急関大前から自宅までほぼ一時間、これなら通えるなあ、と思ったが、あの階段と坂道はちょっときついなあ、といらぬ心配をした。
12月5日(木)
もう紅葉狩りにはちょっと遅いのだが、六甲有馬ロープウェイで六甲山まで行ってきた。奥さんと二人で、国道176号線から県道51号線経由、曲がりくねった山道を有馬に向かう。ロープウェイには外国の人も多く、40人乗りもほぼ満員。ガイド(兼運転手)の人が説明を日本語と英語でしてくれる。これまで、全山縦走の時にはよくこのロープウェイを利用していたのだが、自宅からこんなに簡単にやってこれるとは。阪急塚口から新開地、神鉄で乗り換えて有馬まで行くと、片道1時間半かかっていたのに。
山頂の施設は今日はすべてお休みだった。でも、まあまあの天気で、遠足気分満喫。
有馬で昼食は次回ということにして、さっさと帰路につく。途中、家の近くのパン屋さんでパンを買って、家でゆっくり食べる。出発が9時半で、帰宅が12時半だった。保育園なみの「半日遠足」だ。
12月4日(水)
あなたの本の英語版を出しませんか、という電話。聞けば、「『夏の闇』と旅する女」を国立国会図書館で、うちの社員が見つけたという。?確かに、ブリコラージュ通信№9のタイトルは、それだが?自費出版をやっている出版社だという。AIに翻訳させるとか、なんやかや説明するが、そもそも国立国会図書館が、通信№9を所蔵しているわけがない。眉につばをつけながら、話を聞く。
鳥影社から『高校生と文学作品を読む』を出版して、しばらくして、電子書籍にしませんか、という話があった。そこと同じ会社だ。もちろん断った。
電子書籍といい、英語版といい、本当にあの手この手で誘いをかけてくるものだ。それにしても、何故「『夏の闇』と旅する女」というタイトルを知っていたのだろう。念のため、国立国会図書館のHPで検索してみると、一館だけ所蔵登録があった。宝塚市立図書館かと思って、見てみると、国際児童図書館だった。あれ?ここに寄贈したっけ?
何故あの業者がタイトルを知っていたのか?謎だ。
12月1日(日)
書庫の片付けをして、古い新書(変な言い方になるけど)を処分することにした。最初は資源ごみで出そうと思っていたが、ひょっとするとリサイクルに回せるかもと思い、ブックオフに段ボール箱一つ半分持って行った。値がついたのは30点で370円だった。
新書は、まだティッシュBox12個分残っている。
でも片付けしたおかげで、①『草花のふしぎ世界探険』(岩波ジュニア新書、2005)、②『教師のための文芸学入門』(明治図書新書、1968)、③『虚構としての文学』(国土新書、1971)の探していた新書3冊を発掘できた。①は県伊丹高の卒業生中村匡男君の著書、②③は西郷竹彦先生の著書(これは大学時代、サークルでよく読んだ。半世紀前)。
次は文庫本を処分するつもり。でも、文庫本は、なかなか手放す気になれないのだよね。また読むかな、何か書く時の資料として使うかな、と迷ってしまう。
①いざとなったら図書館で借りて読めるもの、②活字が小さいもの、③娯楽作品、が処分の基準かな。
11月30日(土)
今書斎にはパソコンが2台、プリンターが2台ある。何故こんなことになったのかというと。
4代目パソコンにガタがきて、5代目を購入したのだが、DVDをダビングするには便利なので、単機能DVDダビング用として押し入れに仕舞っておいた。最近、40回生の同窓会の風景や彼らが高校生の時の国語表現の広告レポート発表の風景をダビングするために、押し入れから出して来た。
プリンターMG6930はインクカートリッジのセンサーが不安定で、時々動かせなくなるので、思い切って新しくTS6630を購入したのだが、これにはDVDのレーベル印刷機能がなかった。まあ仕方ないか、DVDレーベルは手書きで間に合わせれば済むし。それでMG6930を燃えないゴミの日に捨てるつもりでゴミ袋に入れてベランダに出しておいた。雨の日もあったのだが、晴天でポカポカの日もあった。
で、40回生のためのDVDをいくつかダビングした時、ひょっとしてと思ってベランダに放置していたMG6930の電源を入れてみた。いつでも印刷しますぜ、旦那、という対応をしてくるので、またか、機嫌が直ったのか、と思い、恐る恐る動かしてみたら、レーベル印刷ができた。いつまた、動かなくなるか不安もあるが、当面捨てるのはやめることにして、今プリンター2台が並んでいる。
11月26日(火)
今は今年一番いろんな人からメール、手紙、電話があって、対応に忙しい時期だ。何故かというと、ブリコラージュ通信№15を今月中旬に郵送したので、その返事が次々来ている。最終号なので、これまで以上にみんな返事を出そうと思ってくれるのだろう。まあ閉店セールの賑わいに近いか。
もう一つは、県伊丹40回生の同窓会関連で、当日のビデオと、高校生の時の国語表現の発表ビデオの2つをDVDに焼き直し、希望者を募ったからだ。ぼちぼち希望のメールが来て、DVDをダビング、郵送している。
普段は迷惑メールばかりで(うっかりメールアドレスを詐欺グループに知られてしまったが、変えるわけにもいかなくて)、毎朝その削除をしている(おかげでどんな会社名を騙ってくるか詳しくなった)のだが、この所迷惑メールを上回るちゃんとしたメールが届いている。
11月19日(火)
埼玉から真美子さんが来訪。預かっていた卓さん関係の資料を見てもらい、必要な分を埼玉に送り、残りは処分することにした。で、段ボール箱2個分を送ることにし、残り7箱は処分。まだ、作った9冊の冊子の残部などが段ボール箱3個あるが、これはまあ、とりあえず押し入れの隅に置いておくことにする。
卓さんが亡くなって、もう5年近くなる。時のたつのは早い。最近速度を増しているような気もする。
今日はうちの奥さんは、ガラス工芸館のバスツアーで岡山まで出かけていたのだが、帰ってきて、3人で創作フランス料理を食べに行った。この店は、元々武庫之荘にあった店で、結婚まもない頃は何度か行ったことがあった。うちの奥さんがウェイトレスの人にそんな昔話をすると、あとからオーナーがやってきて、伊丹にも店を出した経緯や、伊丹バルの話などをしてくれた。帰る時にはすっかり常連さんのような扱いだった。
11月12日(火)
書庫の整理をした日の夕方、脚が吊りそうな感じになった。たぶん、立ったり座ったりを繰り返し、普段あんまり使わない筋肉を使ったためだろう。漢方薬を予防のために飲んで、その時はましになったが、ちょっとすると、また吊りそうな感じになった。奥さんのアドバイスで、もう一包飲んでなんとか無事にすんだ。
それで、書庫の整理は、いっぺんにやろうとせずに、少しずつやっている。一番下の棚の奥の方にある文庫本の箱を出してみると、どれも学生時代に買ったもの。半世紀前!変色してるし、活字は小さい、たぶんもう読む機会はない(いざとなったら図書館で借りる)、という理由で捨てることにした。今、段ボール一箱分。
プラスチックの青box8個に詰めている文庫本は、まだ手つかず。その気になったら、全部捨てて問題ないのでは。
11月11日(月)
ある日、突然ホームページが更新できなくなった。ちょうど「ブリコラージュ通信№15」の原稿を書き上げた頃だ。もうこのままHPの更新をせずに、放置してもいいか、と思っていたので、そのままにしていた。
でも「国語サークルひらど」で出版労連の方に講演してもらったとか、日本国語教育学会高校部会に参加したとか、宝塚市立図書館の読書会で「こころ」について話し合ったとか、書斎と書庫の大掃除をしているとか、前歯のブリッジが完成したとか、中西さんと元町でランチしたとか、まあいろいろ書きたいことがあったので、どうすれば直るかな、と考えて、一番最初にサイトを作った時のことを思い出し、……できた!
何となく最近は、インターネットで呼び出した頁から「編集」更新していたけど、最初にHPを作った場所から更新すれば良かったのか。アカウントなんか覚えてなかったけど、一覧にしておいてよかった。
10月15日(火)
映画『ラストマイル』を観に、イオンモール伊丹へ行ったら、「駐車券は発券しない」という表示。?これは駐車料は無料という意味か?と思って屋上駐車場へ行き、4階入口まで歩いていくと、ドアに「駐車料の精算には自動車のナンバーが必要」という意味の貼り紙がある。??やっぱり駐車料はいるのか。とりあえず、自分の車を止めた場所まで戻り、車のナンバーをスマホでパシャリ。(忘れないために)
どうやら、自動車が駐車場の入口を通る時に、設置カメラがナンバーを認識しているようだ。
映画館の入口付近に機械があって、そこに入場券をかざしてボタンをおすと、レシートのようなものが出てくる。帰る時、これを精算機にかざすと、駐車料が何時間か無料になるらしい。
『ラストマイル』は物流センターの話だったが、機械がいろんなことを認識・識別しているシステムは、今日の経験(ナンバー読み取りシステム)とシンクロしていた。
僕としては、バーの所でボタンを押すと、駐車券が発券されて、バーが上がるという、旧式なシステムの方が安心なんだけどなあ。
で、新式のシステムをおそるおそる使い、駐車料無料で、無事帰途につくことができた。
10月7日(月)
4日から奥さんは、九州へ。けいちゃん、こうちゃんと遊んで、今頃は一人湯布院。
5日(土)に県伊丹の40回生の同窓会が長寿庵で開催されるので、僕は留守番。米を炊かない日々。
同窓会では上月、郡山、河野の元同僚3人と再会。考えてみれば、この学年は、自分も含めて担任がみな若かった。平均すれば30代半ばだったかな。僕はその頃、一番太っていた。当時と比べて、10キロは痩せた。体育の上月さんは20キロ増えたと言っていた。
ビデオカメラを持って行き、会の様子を撮ったので、これを少し編集して、幹事にあげようと考えている。映研顧問の血がまた騒ぐ。
翌日、映研のOB(松尾、森永、川西(さっかん))から、沢山の写真がラインで送られてきた。速い、便利。スマホを買っていてよかった。
10月1日(火)
今日は書斎の片付けをしようと思い、『教科書の森を散歩する』を作るために作ったファイルを中心に、段ボール箱一杯分を、押し入れにしまった。いろいろ整理して、ずいぶんすっきりした。今日は一仕事したぜ、と一人悦に入っていた。
昼飯に素麺を湯がき、食後に珈琲をいれようとしたら、カップがない。書斎に置いたままかと、探しに行ったが、ない。台所か?ない。ファイルの片付けをしながら、どこかに置いたか?一応押し入れも見る。もちろん、ない。
奥さんも一緒に見てくれたが、狭い書斎のどこにも見当たらない。何度も書斎と台所を往復し、書庫も押し入れも、隈なく探索。
いくら何でも、あのカップが行方不明になるはずがない。誰かが黙って家に入って来た?そんなわけはない。
夕飯の時、奥さんがカップ見つけたよ。どこにあった?どこにあったと思う?わからんなあ。教えてあげたら、何かくれる?ううん。何かしてくれる?ううん。
レンジの中。
そうか、午前中、片付けながら、コーヒーを飲んでいて、冷めたので、温めに行って、スイッチを押して、また戻って片付けをして、そのままにしていたのか。
すべての謎は解けた。
教訓、レンジのスイッチを入れたら、完了するまでちゃんと待つこと。
9月29日(日)
27日(木)には富山の黒田君とZOOMミーティング、今日は国語サークルひらどでZOOMミーティング。教科書の挿絵について、パワーポイントを作って報告した。
ZOOMでパワポを使えるようになったぜ、と誰かに自慢したいものだ。
9月24日(火)
一度、上野で下車し、真美子さんに遅れることを電話で連絡。待ち合わせ場所をジュンク堂からJR池袋駅に変更。改札口で待ってます、と言われたが、池袋駅の改札口はいくつもある!とにかく山の手線で池袋に向かう。
ここから、約30分、めぐり逢うまでには、様々な行き違い、すれ違いがあったのだが、なんとか東武デパートの15階で会うことができた。息子さんが予約してくれたという和食店で食事しながら、あれこれ話す。
大塚駅のホテルに入ったのは21時45分、ギリギリだった。フロントの女の子に「こちらは初めてですか」と聞かれ、「昔、何度か」と答える。いろいろ変わったようで、パジャマは部屋に置いてあるそうだ。昔は、フロントの横に吊っていて、自分で大きさを選べた。(珍しいなあ、と印象に残っていた)
部屋に入り、スマホで「虎に翼」を観る。
それにしても、今日一日の移動量、運動量(随分バタバタ歩いた)、会話量(普段は奥さんとしか話さない)は、ここ最近ではどれも多いものだった。
9月23日(月)
承前。真美子さんと18時半に池袋で待ち合わせたのだが、池袋にたどりつくまでに一苦労。まず、尾山台団地から東大宮駅までのバスが時間通り来ない。いらいらして2停留所分歩き、このまま駅まで歩こうかと思った。ところが、バス停で待っていた中年男性が、遅れてるけど、もうすぐ来ます、と声を掛けてくれたので、その停留所で待つことにした。ところが、待てども待てども、来ない。15分ほど待って、一体どれだけ遅れてるんだと、我慢の限界を感じた時、バスが来た。
東大宮駅で時刻表を見ても、池袋へ直通の快速はこの時間帯、ない!とにかく埼玉から東京へ行かなければと、やってきた普通に乗り込み、とりあえずターミナルの大宮駅まで出た。一度降りて、行先・時刻表を確認、確認したけど、土地勘がないのでよくわからない。東京まで出て丸の内線で池袋へ向かうか、上野で下りて山の手線で池袋へ向かうか。いや赤羽から……。
続く
9月22日(日)
20日(金)、21日(土)と東京へ行った。久山社の久保さんのお見舞いと、真美子さん(藤本卓さんの奥さん)に会うためで、なかなかの強行軍となった。猛暑はまだ収まらず、日傘と膝掛、ウインドブレーカーを持って出かけた。(新幹線の冷房と外気温の差を避けるため、夏のヒートショック予防)
久山社は、2001年から2011年にかけて、日本児童文化史叢書(全45巻のシリーズ)で、僕の本を5冊も出してくれた。何度か本郷の事務所にお邪魔したことがあり、大阪でも阪急ホテルのラウンジで待ち合わせたことがある。僕より20歳年上なので、92歳。一人暮らしで最近体調を崩し、今は順天堂大学へ通院しているらしい。
埼玉県上尾市の尾山台団地は、敷地内に公園もある大きな規模の団地で、昔僕が住んでいた武庫之荘の教職員住宅に似ていて、どこか懐かしい感じがした。
ヘルパーさんが16時まで来ていると聞いたので、公園のベンチで待つ。近所の小学生たちが自転車で敷地内を走って、楽しそうな様子を眺める。
久保さんは、思っていたよりも、しっかりしていて、以前のように、楽しく話ができた。30分ほどでお暇しようと思っていたのに、気が付くと1時間15分ほども経っていた。
続く
9月16日(月)
『国語教科書の定番教材を検討する!』(三弥井書店、2021)の最後に「教科書採択データベース案内」という資料がついている。
ここに「NER 戦後教科書」という資料があった。国立教育政策研究所、教育図書館のもの。ここのHPを覗くと、「戦後教科書データベース」というのがあった。ちょうど今、岡真理について調べているので、検索をかけた。今回の教育課程で8点、前回の教育課程で12点採用されていることがわかった。
これは研究する人には便利。
とりあえず前回と今回の変化は、「虚ろなまなざし」は(6点→1点)、「「文化が違う」とは何を意味するのか?」(及び同じ原文の「開かれた文化」)は(2点→5点)と人気作品が変わったことがわかった。
9月13日(金)
岡真理『「文化が違う」とは何を意味するのか?』が筑摩書房「現代の国語」(1年生)にも採用されているようなので、確認のために尼崎市立教育総合センターへ出かける。ついでに『教育の森を散歩する その⑵』を寄贈。
該当の教科書を見つけたが、コピーはできないので、デジカメで写真を撮ろうと思っていたが、やってみると写りが今一つ。さて、どうするかな、と考えて、そうだ、スマホで動画を撮ればいいのでは、と思いついた。スマホで動画を撮るにはどうすればいいか、昨日調べた所だったので、まだ記憶に新しい。
やってみると、なかなかいい。教科書をなめるように動画撮影、頁をめくる気分はミッション・インポッシブル。
家に帰り、スマホの画面と国会図書館から取り寄せたコピーとを比較照合。大事なことが、いくつもわかった。
⑴原文の切り取り方が、四つの「論理国語」とは、全く違う。
⑵「アメリカ」という国名をちゃんとそのままにしていた。
ちゃんとまとめて論じるべき素材だなあ、と感じる午後二時半。
9月12日(木)
毎日レターパックの荷造りをして、日傘をさして郵便局通いをしていたが、『教科書の森を散歩する その⑵』の発送がようやく一段落。気が付くと、手元には5部しか残ってない。追加発注が必要だ。
国立国会図書館から複写申し込みをしていたコピーがやっと届いた。岡真理『「文化が違う」とは何を意味するのか?』(雑誌大航海2001年、p78~p83)。
「論理国語」に採られている(三省堂703・704、数研出版707・708)ので、原文と比較しようと思ったのだが、これもまた加工されていた。4つの教科書の加工のパターンは同じ。大きくは2点。
⑴この文章は5節から出来ているが、教科書は前半(1、2、3節)をカットし、後半(4、5節)を採っていた。
⑵原文のラスト辺り、「アメリカ」を「大国」と書き換えている。
この2つの加工が、どのような意味を持つかは、『教科書の森を散歩する その⑵』でちゃんと論じるべき問題であった。
この教材が原文通りかどうかの確信がなく、原文を見るには雑誌しかなく、それにアクセスするには国立国会図書館を利用するしかない、という事情があり、確かめるのに時間がかかった。やり残した「課題」の一つだ。
9月9日(月)
昨日は、民研フォーラム『未来をひらく教育課程と授業づくり』というのに、オンラインで参加。中学社会科、高校家庭科の実践を聞いた。どちらも教育課程研究委員会が2年間にわたり継続検討してきたものの中間報告で、なかなか中身の濃いものだった。何しろ新任の頃から、退職の頃までの長期にわたるもので、いくつもの実践を報告してもらったが、個人的には家庭科の「そば打ち」の実習と「モンゴルのフェルト作り」の繋がりが面白かった。
《小麦粉にはグルテンを形成するたんぱく質が含まれているが、そば粉にはないことから、そば粉100%で麺にするのは非常に難しい、そば粉にあるわずかな糖質を巧みに利用して麺にする。江戸のそばは小麦粉2割をつなぎにした二八そばだが、実習ではグルテンの割合の多い強力粉を4割入れてそばを打つ。》
《遊牧民のつくるフェルトは羊の繊維を羊の脂でつくった石けんを使用してアルカリ性にし、ロールにしたものを馬に引かせて振動を与えて繊維を絡ませて丈夫なフェルトを作る。》
なるほど、原理は同じなのか。
9月6日(金)
藤原洋次郎さんが南京町ギャラリーで個展を開いているので、出かけて行った。まだまだ暑いので、今年2回目の日傘を持ってのお出かけ。
ギャラリーで藤原さんから、今回の個展の作品について、いろいろ話を聞いていると、藤原さんの先輩二人が来られた。関西の自分たちのグループのこれからについて、話をしているのを、横で聞いていると、自分たちに引き寄せて、思うことがあった。自分たちは何をやってきたか、若い世代に手渡すものは何か。ふむふむ、これは今の70代の課題だよね。
9月4日(水)
今日は午後一杯、大江健三郎文庫設立一周年記念シンポジウムというZOOMウェビナーを視聴した。八人の研究者の発表とシンポジウムがあり、休憩を入れて5時間は、ちょっと疲れた。前半の「テクスト」編は、阿部賢一氏の「『水死』の自筆原稿について』が面白かった。後半の「コンテクスト」編は、大向一輝氏の「大江健三郎文庫のデジカルアーカイブ・データベース」がまず知らない世界で興味深く、柳原孝敦氏の「大江健三郎とメキシコ」は懐かしく(僕は1979年に一か月メキシコツアーに行き、そこで奥さんと知り合った。ラテンアメリカ文学もこの頃よく読んでいた)、イタリア文学者村松真理子氏の「読む人大江とダンテ─森と水のヴァリエーション」は、あまりにも話し方が素晴らしくてファンになりそうだった。村松氏は大江健三郎がノーベル賞を受賞する前と後、イタリアの文学賞を受賞した時に、通訳をしたそうだが、そのエピソードは聞いたことのないものだった。話の最後に『晩年様式集』のラストに触れたくだりは、力がこもって颯爽としていて、見惚れてしまった。
8月28日(水)
長崎のサークルのラインが時々入ってくる。先日そこに思いがけない人の名前を見つけてびっくり。富山の黒田君からの報告で、全国大会で、愛知の若い安田さんの報告を聞いたが、その前に兵庫の上山秀樹さん(74歳)の報告があり、対照的で面白かったという内容。
なんだって、兵庫、上山、74歳、ピンときた。知ってる、全教ゼミにも一緒に行った。集合写真にも写っている。
そこで、黒田君に上山さんの勤務先を教えてほしいと頼むと、丁寧に調べてくれて、連絡が返って来た。早速、電話すると、やっぱり、一期上の、あの上山さんだった。50年ぶりに声を聞いたが、声は全然変わってなかった。話していると、僕のこともいろいろ知っていてくれたようで、伊丹に勤務していたことも。
で、藤本卓さんが亡くなったことを知らせ、その遺稿集を作ったことなどを話していて、奥さんの真美子さんのことも、昔サークルが一緒でよく知っているようだった。50年の時を超えて、大学時代のつながりが、改めてわかって、感慨もひとしお。本や資料をいろいろ送ることにした。
8月20日(火)
入院・手術から帰ってくると、プリンターがダウンしていた。これまでもだましだまし使ってきたが、思い切って新しく購入することにした。注文して翌日の13日にはTS6630が届いた。そこから毎日、版下原稿を印刷。今日全部出来た。京都の製本工房に注文し、原稿を宅急便に預け、入金も完了。あとは出来上がりを待つだけだ。今回はかなり結構手こずったが、なんとかゴールに到着。『教科書の森を散歩する その⑵』はA4で230頁の大作になった。
明日からは、しばらくほったらかしにしていたブリコラージュ通信№15の原稿書きに取り掛からねば。
8月10日(土)
今年4回目の入院。6月に心筋梗塞のカテーテル検査・手術をしたが、今回はその続き。血管が固くなっているので、バルーンやステントが使えず、血管の内側を削るという手術になった。歯医者さんのドリルのような音がしますよ、と言われて、どんなんだと思ったが、凄い音はしたが、胸にはあまり影響はない。細かい単位で削っていくようで、医療技術の進歩を実感。2時間ほどかかって、無事終了。今回は2箇所。今後様子を見ましょうということになった。まあこれから2年から5年は大丈夫。
3泊4日の入院になったが、地震が起きたようで、NHKではそのニュースがずっと流れていた。スマホでTVerを視聴。
手術の後、また尿閉になり、帰省中のゆうすけに自転車で、スピーディ・カテを持って来てもらう。
退院して、ゆうすけの茹でた素麺を二人で食べる。
7月28日(日)
長崎の国語サークル・ひらどのZOOMミーティングに出かける。今日は参加者が最初二人だったので、森さんといろいろ話す。教師の同僚性やなんやかんやを喋っていて、お互いの教師生活を振り返ることになった。後半は、教科書の口絵、挿絵について、最近書いた原稿の話をして、清岡卓行の「ミロのヴィーナス」の挿絵が、教科書によって、1枚、2枚、4枚というように違い、背景も違うという「発見」を語った。森さんが大変興味を示してくれたので、こっちも話に力が入った。で、次回9月の例会で報告することになった。やっぱり話を聞いてくれる人がいるというのは、とても嬉しいことだ。
先日から九州の一家が伊丹に帰省していて、今日は午前中からけいちゃん、こうちゃんも来たので、ZOOMの時間と重なったのだが、こうちゃんはお昼寝、けいちゃんはレゴをしていて、ZOOMへの「侵入」はなかった。「侵入」してきたら、きたで、楽しいかもと思っていたのだが。
7月27日(土)
神戸大学文学部で阪神近代文学会の研究発表があるので、行ってみることにした。しかしこの猛暑、うかつに出歩くと身体にダメージを受ける。そこでまず男性用日傘を通販で購入、ショッピングモールでクールリング(首にはめると冷えるというグッズ)を購入、万全の準備をした。ところが、届いた日傘、開こうとすると引っかかる。よく確かめると傘の骨が一本曲がっている。こんなの不良品やんか!早速返品の手続きをして、配送業者に取りに来てもらう。もう日にちがないので、クールリング一つで頑張るか、一応試してみると、なかなか調子がいい。でも、一時間半ぐらいしかもたないようだ。そこで、奥さんに小さいクーラーボックス(冷えた缶ビールを運ぶための)を借りて、準備OK。
で、昼ごはんを食べて、出かけたのだが、町内の角を曲がるまでに、クールリングを忘れたことに気付いた。道路は渋滞中で、車の流れに割り込むことも難しい。仕方ないと、クールリングはあきらめた。
塚口の駐車場に車を止めて、阪急六甲に向かう。六甲の坂道を徒歩で登っていくと、20分ほどかかる。午後の一番暑い時間帯にそんな危険なことはできない。もちろんタクシーで行った。1メーター、700円だった。学生の頃(50年前)にはタクシーなんて考えたこともなかったが。
発表は、椎名麟三「病院裏の人々」と堀田善衛「断層」の2つ。ちゃんと西宮市立図書館でコピーして、前もって読んでいった。会場に入ると、毎日文化センターで漱石「明暗」の講義を受けた鳥井正晴先生がいらっしゃったので、一言挨拶に行った。
発表者は二人とも神戸大学の女子学生で、一人はマレーシア出身とか。数年前から文学関係の研究発表は、外国からの留学生が増えていたが、今もその傾向は変わらないようだ。どちらの発表も丁寧に調べていて、引用資料も多く、よくこんなに準備したものだ、と感心した。
会場は予想した通り、冷房が効いていて、30分もすると寒くなってきたので、用意してきたウインドブレーカーを着る。それでも脚が冷えて来る。リュックを膝の上に置いて、なんとかしのいだ。発表は、討議も含めて一人一時間、休憩時間は廊下に出て、陽にあたって温まった。
会が終わってから、神戸大学の梶尾先生に挨拶し、野口武彦の追悼会の件をたずねると、9月に改めて開催の予定らしい。そこで、野口先生の谷崎潤一郎、三島由紀夫、他の講義のシラバスなどの資料と、野口先生、猪野健二先生、島田雄雄先生の講義の音声データを渡す。貴重なデータを死蔵することになるのではないかと思っていたので、大学に渡せてまあ良かった。
帰りは17時半を過ぎていて、気温も少しましになり、日差しもきつくない。六甲の山や、神戸の街、海を眺めながら、阪急六甲まで坂道を徒歩で下って行った。
50年かと、いささかの感慨があった。
7月17日(水)
目黒浩二追悼の『別冊 本の雑誌』を読んで、エンターテェインメント小説を読みたくなり、『村上海賊の娘』、『同志少女よ敵を撃て』、『図書館の魔女』を伊丹図書館で借りて来た。
借りようと思って、蔵書検索したら、『村上海賊の娘』は十何冊あった。もちろん、分館にも配架してるが、本館だけでも結構な冊数がある。でも棚を探しても一冊もない。?と思ってもう一度検索したら、何冊か書庫に入っていた。
で、ここ数日ずっとこれを読んでいる。織田信長の大坂本願寺攻めをめぐる話で、瀬戸内の海賊や泉州の海賊や雑賀孫一率いる鉄砲衆が入り乱れて、海戦を繰り広げ、面白くて、なかなかやめられない。
読んでいると、いろいろ当時の戦国武将にまつわる資料が引用されている。その中に『常山紀談』も出てくる。新しい高校国語教科書には、菊池寛の短編小説「形」とその元になった『常山紀談』の「松山新介の勇将中村新兵衛の事」が並べられている。「形」は50年以上前に、高校一年の時習ったのだが、それにこんな元の話があったのか、と知っていささかの感慨があった。それで、『村上海賊の娘』で『常山紀談』が出てくるたびに、知ってる、知ってるとうれしくなる。
7月10日(水)
新聞で、文芸雑誌「群像」の8月号に野口先生の追悼文が載っていることを知って、川西市立図書館まで出かけて行った。「三十七年後の「逝く花」」という追悼文は、神戸大学の卒業生で、朝日新聞の記者吉村千彰さんが書いたもので、野口武彦先生の言葉やエピソードをいくつもちりばめていて、先生の姿を彷彿とさせるいい追悼文だった。
それにしても、演習で院生に缶ビールを買いに行かせ、それを飲みながら授業するなんて、今なら絶対「炎上」しているなあ。僕の頃は、まだ授業中ビールは飲んでなかったなあ。
7月5日(金)
二日続けて、西宮市立図書館に行くことになった。
「論理国語」の人気作家・作品についてまとめていて、清岡卓行のことが気になった。実は同じ評論文が教科書によってタイトルが、「ミロのヴィーナス」「手の変幻」「失われた両腕」と、別のものになっているのだ。これは一体どうしてこんな変なことになっているのか、一度本にあたって調べてみようと思ったのだ。
兵庫県の図書検索をかけてみたが、この元になった『手の変幻』を持っている図書館が、意外なほど少ないのだ。伊丹、川西、宝塚、どこにもない。かろうじて西宮にあった。あったのだが、あるのは本館なのだ。西宮市立図書館のうち西宮北口館は比較的行きやすいのだが、本館は香櫨園の近くで僕の家からはちょっと遠い。遠いだけでなく、駐車場が近くにない。
しかし、よし行こうと決心して、昨日でかけた。ところが休館日だった。往復一時間半もかかったのに。
ここで諦めたら、もう当分行かないだろうと思い、今日は自分で自分に気合を入れて、朝早くから出かけた。『手の変幻』はあった。よし、この勢いで、西宮北口館も行こう。阪神近代文学会が七月の末に神戸大学文学部で開かれるので、久しぶりに出かけようと考えていたのだ。発表作品が椎名麟三「病院裏の人々」、堀田善衛「断層」で、戦後文学は元々僕の関心領域なのだ。ところが、どちらの作品も全集でしか読めそうにない。それで検索をかけたら、西宮北口館にあったのだ。
そういう訳で、香櫨園から西宮北口へ自動車を走らせた。途中で道を間違えて、武庫川女子大の近くまで行ったが、なんとか引き返して、無事到着。
二つの全集を棚で見つけたが、赤い〇のシールが貼ってある。ああ、これは禁退出か、それならコピーして持って帰ろう。司書さんに届けて、コピー機に500円を入れたら、戻って来た。? 司書さんがこの機械は新500円硬貨は受け付けないのです、とのこと。ええ、…。そうしたら、古い500円玉と交換してくれるという。で、二枚交換。せっせとコピーをした。全部で30枚。念のためにと、司書の人に「これ禁退出なんですよね」と確かめると、「貸し出せますよ、禁退出のマークは赤いシールで禁の文字が入ってます」とのこと。「なんたる失策か」。コピーする前に確かめれば良かった。で、昼の「虎に翼」に間に合うように、急いで家に帰った。奥さんに顛末を話すと、ちょっと聞いて確かめればいいのに、と言われてしまった。
6月29日(土)
26日(水)から、3泊4日で検査入院。カテーテル検査で、冠動脈に狭窄があったので、単純な右はそのまま経皮的冠動脈形成術をしてもらった。(ステントを入れた)もう一箇所は少しややこしいので、どんな手術にするか検討して、後日手術ということになった。7月下旬になる予定。今年は入院が多くなる。まあ、こまめにメンテナンスしているわけだ。
入院中、『日本文学100年の名作第4巻 木の都』を読み切った。1944年から1953年の短編15作、なかなか面白かった。
6月24日(月)
今日はなっちゃんの誕生日(特に年齢は秘す)なので、電話くらいしようと思っていたら、奥さんが設定してくれたので、LINEで会話。かずきがおかあさんにバースディ・ケーキを作ったことは、一昨日送られてきた写真で知っていたが、秘かに材料を買いそろえ、なっちゃんがげんちゃんのサッカーの練習に付き添っている間に、一人家に残って作ったようだ。げんちゃんはお手紙を書いたらしい。
20分近く話したが、これで映像付きで会話できることを覚えた。全く便利な世の中になったものだ。
6月23日(日)
今日は宝塚市立中央図書館の読書会に出席。課題本は馳星周の『少年と犬』だった。行ってみると、西図書館に転勤になった大畠さんが手伝いに来ていた。久しぶりに会ったので、いろいろ話をした。宝塚良元校時代はよく西図書館を利用していたこと、卒業式もそこの大ホールでやったこと、辺りの店が随分変わったこと、などなど。新しい館長さんにも会って少し話した。山本さんが担当で司会をしていた。
今回は一参加者として出席したので、気楽だった。奥さん以外の人と対面で話すのは何日ぶりのことだろう。
6月19日(水)
左肩や右背中が凝るので、ツボ押し機を探していた。奥さんもガラスを切ると、背中が凝るというので、探していた。で、今日は梅田まで、ツボ押し機を求めて、ヨドバシカメラ、東急ハンズとはしごして回った。電動式のは、強すぎて、ちょっとパス。ツボ押し棒「グリグリ」を買った。値段は電動式の約10分の1。そのあと、ジュンクへ行くつもりだったが、ちょっと歩き疲れたので、紀伊国屋ですませた。久しぶりに梅田の大きな書店なので、いろいろ目移りした。こんなに沢山の本が出ているのか、と感心。網野善彦『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫、これはひょっとすると書庫のどこかに眠っているかもしれない、と思いながら、探す手間を考えると買った方がいいか、と……)、今井むつみ『学びとは何か』(岩波新書)、安田謙一『神戸、書いてどうなるのか』(ちくま文庫)を購入。
6月16日(日)
先日、新聞で野口武彦先生の訃報に接して、大学時代にお世話になったことをあれこれ思い出した。1972年、一年半の教養部生活を終え、学部に上がる時、ちょうどハーバード大学から帰ってこられた野口先生が谷崎潤一郎の集中講義をされた。学部生になって、何人かの学生と、先生の引っ越しを手伝いに行ったこともあった。そこで、奥さんから「畳イワシ」などを御馳走になった。阪急三宮駅の北側のスナックに連れて行ってもらったこともあった。何より、自主講座として「ドストエフスキーの文学」をやった時には、「悪霊」について語っていただいた。退官記念講義には、久しぶりにお話をうかがった。
インターネットで野口先生の公式サイトを見つけてからは、何度か覗いて、お元気なことを確認していた。執筆意欲は衰えず、この秋には新刊を発行される予定だということも知っていたのだが、…。
6月12日(水)
コロナ治療完了。でも症状はほとんどでず、本当にコロナに感染していたのだろうか。ただただ鼻に突っ込まれた棒が泣くほど痛かった。しゃっくりもとまったので、万事OKか。
この期間中、寝てばかりでほとんど作業をしていなかったので、『教科書の森を散歩する』がちょっと止まっている。ぼちぼち元の調子に戻ろう。
6月9日(日)
この日誌を書いていて、今日が日曜であることに気がついた。コロナ治療3日目、眠い。眠い。初日は夜中に一度も起きずに10時間ほど寝た。絶対に薬の中に眠くなる成分が入っているはずだ。今日も朝から寝たり起きたり。風邪の症状は軽いし、熱はない、ただ眠い。気がつけばあれだけ悩んでいたしゃっくりも止まっている。
しゃっくりはコロナと関係があったのだろうか。コロナ治療薬のパキロビッドパック600というのは、6つ
がワンセットになっている。シートの左が朝服用分でリトナビル100mg1つ、ニマルトレルビル150mgが2つこの左半分が金色、右が夕方服用分で同じものがセットになって青色。なかなか物々しい。実物の薬もやや大きめで、3つ同時に口に入れて飲もうとすると難儀する。
もう3日分飲んだから、あと4回飲めば、まあ治療完了か。今の所、あまり症状が出てないので、なおった実感もないのだが。まあかぜは治ったか。
6月7日(金)
昨日薬を探してあちこち回っていた頃、軽く鼻水、喉の調子よくないので、T先生に診てもらうことにする。予約の電話を入れて駐車場で待つ。前の患者に時間がかかっているようだ。最近、風邪患者は午前なら11時から診察で、ほかの患者とわけているらしい。看護婦さんから電話、入って下さい。というので中に入り、別の部屋で体温をはかる。平熱。現れたT先生完全に防護服を着こみ、何やら物々して、どうやらコロナ患者が出たらしい。もう一度検温、待ってる間に雑談、医師の寿命は平均より8年短いとか、鼻水を出せといわれても出るものではない、T先生が「泣くほど痛いで」といいながら、鼻に細い管を入れる、とたんにギャ~それを左右に何度もやられて涙は出るは鼻水は出るは、それを調べて、「藤本さんコロナやで」となった。
全く予期していなかった。久しぶりに風邪気味かなと思ったぐらいだったのに、熱もないし、ちょっと咳が出て声がかすれるくらいなのに。コロナですか。
まあ、流行初期の不安感はなくなり、ワクチンも7回打ったし、治療薬もできたから、必要以上におそれることはないけれど。
で、6月7日(金)から5日間、家庭内隔離している。これからは『虎と翼』は夫婦別で視ることになる。
来週カテーテル検査入院予定のS病院に連絡、2週間延期してもらう。念のために6月4日に見てもらった中西接骨院、中西歯科医にも、コロナになったことを報告しておいた。
6月6日(木)
この所、病院通いの続く日々だ。
そもそもの発端は3月に血圧が高くなったことだ。毎年この時期は血圧の調子が悪くなるが、今回は上が190くらいまで上がった。それで、かかりつけのT先生に駆け込み、もう一つ薬を処方してもらう。4月中頃は日内変動が激しい。T先生の「専門的な所で検査してもらったほうがいい」という勧めで、S病院に行くことにした。
ここは、12年前に心筋梗塞で緊急手術をしてもらった心臓の専門病院だ。ここに2、3回通い、血液検査(かなり丁寧な)、心臓のCT(造影剤を使った)、エコー検査などを受ける。心臓冠動脈に動脈硬化あり、細かな様子を見るために検査入院でカテーテル検査を受けることにする。なんでも、動脈硬化の部分はカテーテルで血管の内側を削ることができるらしい。
その間に近畿中央病院に2泊3日の検査入院(前立腺の生検、2回目)を受ける。生検の結果は異状所見なし、様子を見ようということになる。
5月末には塚口のI病院へ、糖尿病の治療を12年前からここで、お世話になっている。今回はA1Cが6.8まあまあか。(血糖値A1Cの値は、体温に置き換えるとわかりやすい、つまり6.8なら、36.8、やや高めだが平熱だ。12年前心筋梗塞の時は、A1Cが10を超えていた。40℃以上の高熱ということだ。)
まあ、あちこちガタが来ているが、補修しながら、平常生活を送れている。そう安心していた。
で、一昨日の晩からしゃっくりが止まらないという症状がでて、さてどうしようと思った。もう1か月以上前から左肩が凝って仕方ないので、柔道整復のN先生の所へ。しゃっくりの相談もする。身体が左に傾いていて、肩と右の背中が凝っているというので、施術を受ける。気がつくとしゃっくり止まっているので、喜んでいた。この日午後はN歯科医院へ定期検査に行く。しゃっくりは出ない。よし。ところが……また7時前からしゃっくりが。
そこでこの日三軒目のT先生の所へ相談に行く。しゃっくりは原因の特定が難しいとか。一応薬を貰う。ところがまた一晩しゃっくりが、…こうして二晩しゃっくりに悩まされた。
溺れる者は藁をもつかむ、ネットで見つけた情報をいろいろ試してみる。酢を飲む、耳に指をつっこむ、舌をおさえる、深呼吸する、……
三日目の今日は、「しゃっくりをとめる漢方薬」を求めて、伊丹の薬局を回る。ない。やっぱり、あまり需要がないのか。ネットで注文したので、明日には届くはずだが。
5月27日(月)
ゆうすけが東京の催しに参加して、そのまま大阪の学会に行くので、二泊三日でうちに帰って来ると連絡があり、24日夜、奥さんと一緒に伊丹空港まで迎えに行った。到着は予定より少し遅れ、時間つぶしに、一人で空港内をぶらぶらすると、すっかりフロアの配置、様子が変わっていた。定時制高校に勤めていた時、進路指導の仕事をしていて、空港の売店に就職を考えていた生徒と一緒に挨拶に行ったお店なんか、影も形もなかった。まあ15年以上も昔だからなあ。
それにしても、到着を知らせるボードを見ていると、短い時間に、日本各地、北から南から何台もの飛行機が到着するようで、到着予定時刻も、刻々変化していて、こんなに慌ただしく混雑しているのか、と思った。修学旅行と思しき高校生集団を見かけると、どこへ行ってきたのかな、それを想像するだけで嬉しくなってしまう。
5月19日(日)
長崎の国語サークル・ひらどのZOOMに参加。最初の一時間は富山の黒田君と僕と主宰の森さんの三人だった。この日は、森さんが昔定時制に勤めていた頃の話を始め、現役時代の取り組みをいろいろ話してくれた。写真を使った詩の授業とか、朗読コンテスト(夏休みの宿題、生徒がBGMをつけて、テープレコーダーに吹き込んでテープを提出させ、それを先生が編集、授業で聞かせて、投票、優秀者には図書券をプレゼント……)とか、流行歌の歌詞で物語を書いてみようとか、外部(保護者や中学生)に向けての公開授業(反省会は飲み会)とか、学級通信(生徒のおばあちゃんが愛読者だった)とか、中学へ行っての出前授業とか、小学生の息子の参観授業に行ったら、国語の授業で途中から後はお願いしますとバトンタッチされた話とか、とにかく面白い話ばかり。たぶん45分は森さんが喋っていた。途中からは現役の先生も参加、新しい学校の話や、井上ひさし「ナイン」の授業について四人で話し合った。
5月18日(土)
二回目の前立腺の生検を受けるために、13日から二泊三日で近畿中央病院に入院していた。二度目なのでつい前回と比べてしまうが、なんとなく今回は簡単な感じがした。前回は事前に心電図や呼吸測定などいろいろ受け、歯科ではマウスピースも作った。(これは全身麻酔をして、喉に呼吸のための管を入れるが、その時にぐらついている歯が抜けた場合を想定してのことのようだ。)今回はこれらはなし。
津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』、今福龍太『クレオール主義』、上田三四二『短歌一生』、伊藤比呂美『森林通信』を持って行ったが、一日目は何もすることがなく結構本が読めた。
手術の日(生体検査)、午後2時45分からと告げられていたのに、予定が一時間早くなる。なんとなく慌ただしいような気がする。今回はいつ麻酔が効き始めいつ醒めたのか、なんとなくはっきりしなかった。前回はまるで30分が突然消えたようで、マジックみたいだったんだがなあ。部屋に戻されて、口には酸素マスク、胸や指には心電図の線、右腕は点滴、左腕には血圧計(定期的測定)、両脚には加圧器(これはゆるくて物足りなかった。中西接骨院のあのしびれるような強さを期待してたのに)で、18時までベットで安静。
本も読めず、手持ちぶさたなので、小学校から順に好きになった女の子のことでも思い出そうかとしていたら、そういえば小学校の担任の先生は、一年は中村先生だった、確かその頃僕は腎臓かなにかで大学病院に入院したなあ、扁桃腺の手術もした、入院中に「赤胴鈴之助」の単行本を買ってもらった、二年の担任は黒田先生、給食の時に怒られたっけ、三年の担任は東野先生だったかな、四年は東影先生、この頃僕たちは東出町のアパートへ引越して、六畳一間で家族四人が暮らしていた、僕押し入れを自分の寝場所にしていたっけ。四郎叔父ちゃん手作りの木の本棚には少年サンデーを並べていた、五年、六年は高田先生、小学校の最初の友人の藤川くんとは五、六年でも同級になったことを思い出して、彼のお母さんが新開地に屋台を出していたなあ、などと考えていて、女の子はなかなか登場せず、やっと出て来たのが石上さんで、いつも成績が一番か二番で、読書好きの石上さんと競うようにして僕も「ドリトル先生シリーズ」を読んだなあとか、東出町のアパートの近くには荒木さんがいたなあ、僕は四年生頃まで母親と銭湯の女湯に入っていてそこで荒木さんと一緒になったことがあった、などと連想があちこちに飛び、なかなか小学校を卒業できず、安静時間が一時間早く切りあがった(看護士さんの勘違いか)ので、好きな女の子のことを思い出すのは高校の途中で終わってしまい、なんだか本編が始まる前、序論、導入部で終わったような気分になった。
5月11日(土)
去年の9月に「在りし日の映画館を探して」と言うイベントに参加して以来、主催の「新開地アートひろば」から、いろいろイベント案内のメールを貰っていた。今回、第22回神戸新開地音楽祭の一環として「to R mansion(上ノ空はなび、丸本すぱじろう、野崎夏世)、江戸川じゅん兵 」によるパフォーマンス「集まれ!大道芸」という催しがあるというお知らせが来た。面白そうなので、奥さんを誘って新開地まで出かけてみた。
まず、湊川公園へ行き、メインステージをちょっと覗いて、東山商店街とマルシン市場を散策。昔ながらの市場の風景が懐かしかった。八百屋さん、魚屋さん、が何軒もあり、売ってる品物も安い。お客さんも沢山の人出で、活気にあふれていた。勝手に、きっとさびれていることだろうと思っていたので、意外だった。小学生の頃、この市場のお店に薪を運ぶのを何度か手伝ったことがあった。もちろん、そこはもうなかったけれど、たふんこの辺りだったかな、と思いながら、ぶらぶら散歩。
新開地の商店街に戻り、串カツ屋でお昼。奥さんは呑兵衛セット(ビール2杯!)、僕は串カツ定食。
新開地アートひろばの1F、てててホールではちょうど、パフォーマンスが始まる所で、間に合ってよかった。小さな子どもたちと一緒に床に座って見物。パントマイム、アクロバット、マジック、ダンス を織り交ぜた「ダイブジャーニー」 という演目は、ユーモラスで予想よりも見ごたえがあり、楽しめた。
終わってから、新開地の南の端まで散歩して、あちこちで演奏されている音楽を聴きながら、のんびりした時間を過ごす。
神戸電鉄の新開地駅の横の地下街で、僕は明石焼き、奥さんはビールとピロシキ、串カツ。
帰宅は16時。万歩計を見てみると、家を出てから帰るまでで、9500歩ほどだった。
5月8日(水)
GWには、なっちゃん母子三人が二泊三日で伊丹に帰省。一日目は、かずき、げんきとつかしんへ行く。トレーディング・カードを買い、TUTAYA書店でポケモンの雑誌を買い、ゲームセンターでクレーンゲームをし、八百屋でプチトマトを買い……、豪遊。二日目は、母子三人でひらかたパークへ出かけてた。昆陽池へもみんなで散歩に行った。あっという間の三日間だった。
4月28日(日)
高校国語教科書を読むという作業を始めて、一年以上がたった。「文学国語」11冊に続いて、「論理国語」13冊を全部読み終えた。「論理国語」は知らない作者が多くて読むのに苦労したが、途中から教科書に傍線を引いたりしながら読んでいくと、スピードが上がった。
で、何がわかったかと言う事をこれからまとめるつもりだが、「論理国語」は評論文の断片を読まされているという感じだった。実際に出典にいくつかあたってみても、本当に切り刻んで、適当な長さにしてあるものが大半だった。
4月24日(水)
3月頃から、血圧の具合がよくない。日内変動が結構大きい。かかりつけのT先生に相談、薬を追加してもらう。その薬はよく効くのだが、日によって、夕方や夜には効き目がきれるのか、血圧が上がる。専門の病院で細かい検査をしてもらったらと、T先生からアドバイスを貰い、13年前に心筋梗塞で倒れた時に、緊急手術をした東宝塚の病院へ行く。血液検査、心電図検査、レントゲン写真などをうけたのだが、血液検査がすごかった。30分ベッドで安静にしてから採血するというのだ。血液検査は何度も受けたけれど、30分寝てからというのは初めて。何かあっても頭を上げてはいけない。じっと寝ていると、隣の人が看護士さんに自分の病歴をいろいろ話しているのが聞こえてくる。うーん、この人に比べれば、俺なんか、たいしたことないかも、などと思ってしまう。聞くともなく聞いているうちに、30分が過ぎた。
4月21日(日)
ZOOMで国語サークルひらどに参加。今日は7人で話題もいろいろ楽しかった。長崎の平和記念公園前から参加した人もいて、驚いた。これから姫路の中学生(修学旅行かな)に、話しをするとのこと。雨も止んだとか。野外中継のような感じだった。富山の黒田くんも参加。兵庫、長崎、富山の三県にまたがるサークル例会なんて、昔は考えられなかった。スマホを買ったんですと話すと、さっそくサークルのラインに招待されて、つながった。
4月17日(水)
舞子高校剣道部のOBと昼食会をした時の写真が、送られてきて、便利な時代になったなと思った。と同時に、まてよ、確か昔のビデオや写真があったはずだ、と思い、家の中をあれこれ探し回ってが、なかなか見つからず、もやもやしていた。
日記(メモ)で確かめると、2012年12月30日に、急逝した一回生の浦戸紀之くん(キャプテン)を偲んでOB会(一回生から四回生までの)を開いたのだ。その時にビデオを回し写真もとった。絶対にどこかにはある。で、ここ数日あちこちひっくり返して、ついに今朝発見。二階の手紙箱などをまとめていた棚の中にあった。ここは手紙類を置いていると思い込んでいたので、その中にビデオや写真を入れた箱があることを忘れていたのだ。
で、ちょっと見直してみたら、日曜日に会った筒井さん、長渕さん、中井くん、江口くん、みんな若い。それはそうか、12年ほど前だからなあ。
見つけたのでもやもやが解消。一仕事終えたような気分になった。
4月14日(日)
舞子高校剣道部一回生のOB達と、西宮ガーデンズで昼食会。筒井さんは、ひこにゃんの誕生日に合わせて、広島から車で滋賀へ、長渕さん(とんちゃん)の所へ行き、二人で車で来た。中井くんと江口くんは、小学校からの幼なじみで、中・高・大と同じ学校で、今は二人とも芦屋在住。中華料理のフルコースを食べながら、高校時代の思い出、卒業から65歳の現在までの47年間の来し方を各自があれこれ話す。今回参加できなかった吉川さんからはビデオメッセージあり。
4月10日(水)
2005年に中学生の息子と吉野に出かけたことがある。その時奥さんも誘ったけど、花粉症なので「絶対無理」と断られた。20年ほど前のこと、この年の3月には息子と二人で熊野古道にも行った。
あれから幾星霜、近年奥さんは花粉症の薬を飲み続けていて、今年こそ吉野の桜を見たいと意気込んでいるので、出かけることにした。近鉄阿部野橋から特急で吉野まで、約一時間半。前日にプリントアウトした近鉄の路線図を確認し、車窓を眺めながら、阪急塚口のイカリスーパーで買ったお弁当を食べる。すっかり旅行気分。阿部野橋を出てからなかなか停車せず、約30分後、最初に止まったのが「尺土」駅。何と読む?知らない土地を旅行すると、馴染みのない地名によく出会うが、この路線にも、「大阿太」とか「六田」とかがある。
特急の事前予約がなかなかとれなくて、出発時刻が遅くなり、吉野到着は13時半頃、でもまあ晴天で絶好のお花見日和。駅前は大勢の観光客で賑わっていた。駅前からの登坂「七曲り」を回避するために、小さな古いロープウェイに、すし詰め状態で、3分間揺られる。黒門、金峰山蔵王堂、吉水神社などを見て回り、吉野の桜を堪能する。20年前は上千本を越えて、西行庵あたりまで行ったと思うが、今はとてもそれだけの体力はない。どこまで行くか決めてはなかったが、結構息があがってきたので、中千本バス操車場あたりをぐるっと上へまわりこんで、別の道を下って帰ることにした。途中お寺の境内を見て回っていると、外国人らしい中年男性に「ハロー」と声を掛けられ、スマホを渡された。表情から、桜をバックに自分の写真を撮ってくれていうこととわかったので、「OK」と、パチリ、パチリ。スマホを返すと「謝謝」とにっこり。日中友好の一助となったかと、奥さんに「あの人、中国人だった」と報告すると、「謝謝ぐらいなら、日本人でも話すんちゃう」と、偽外国人説を唱える。最初にロープウェイに乗ってパスした「七曲がり」をゆっくり降りていくと、色の濃い桜があったり、なかなか見どころが多かった。ビデオを回しながら、のんびり散策。
吉野駅前で列車の時間待ちをして、お土産屋を覗く。とにかく吉野は坂の上も食堂、旅館、お土産屋さんだらけだった。葛、桜羊羹、陀羅尼丸、サクラアイスクリーム、……。
17時半発の特急は、予約する時、もうほとんど残席がなく、かろうじて残っていた車イス対応の席を、奥さんが確保してくれたので、通路をはさんで左右に分かれて座ることになったが、これを逃すと、1時間後に。で塚口で買ったローゲンマイヤーのパンを夕食に、夕暮れの空を眺めながら、大阪へ向かった。
阿倍野橋に着いて、奥さんが行きに見かけたステラおばさんのクッキーを買って帰りたいと言うので、近鉄百貨店近くの地下を探してまわり、なんとか手に入れる。JRの天王寺駅から梅田まで環状線で帰るが、内回りか外回りか、奥さんがスマホで検索。内回りで行こうとなり、ホームを探す。11番線を求めて歩いていくと、目の前に電車が入って来た。天王寺行で、一旦全員降り、次いで人が乗り込み始める。奥さんがこれに乗ろうとせかすので、あわてて乗り込み、別の席に座る。奥さんはメールの返信を始めたが、車内アナウンスをよく聞くと、「熊取」という言葉が、これは違うと気が付き、奥さんに声をかけてあわてて降車。よく見ると9番線だった。11番線はそこから下へ降りた所にあった。危うく熊取へ行く所であった。
家に帰って、自分のスマホの歩数計で確認すると、今日一日で、1万9540歩。普段の5倍以上!よく歩いた。予感はしていたが、夜中に右足がつった。痛くて、うめいたら、奥さんが一階から水と漢方薬を。飲んで一分ほどで、足のつりはスーと引いた。かかりつけのT先生が、何で効くのかわからんのやけど、と奥さんに出してくれたという「芍薬甘草湯」。吉野桜見物に行く人は、予め用意することをお勧めします。
4月7日(日)
昆陽池の桜は今日が満開。天気も良くて、青空の下、散歩してても気分がいい。昆陽池公園は家から歩いて3分。家族連れも多く、思い思いに楽しんでいて、歩きながら眺めても、微笑ましくて、見飽きない。
4月5日(金)
つかしんにTUTAYA書店がオープンするというのを聞いてからも、なかなか行く機会がなかったが、一度覗いてみるか、と出かけてみた。
西館の地下駐車場は、ほとんど初めて入ったので、どこから店内へ入るか、ちょっと迷った。なんとか地上に出て、探して歩いたが、ない。まさか、もう撤退?そんなこともあるまい、と一旦外に出て、周りを歩く。つかしんの敷地内のチャペルの横を通りながら、そういえばここは、兵庫文学教育の会の真野さんの結婚式で訪れたことがあったなあ、と30年ほど昔を思い出す。
レストラン街をぐるっと一周。ない。おかしい。さんざん探して、西館の2階にあると判明。エスカレーターで上へ。あった。フロアが広い。棚もかなり充実している。いろんな分野の専門書もある。雑誌も豊富。子どもの本も多い。西宮のジュンクほどではないが、家から車で10数分で来れるから、便利。いい本屋を見つけた。
『さようなら大江健三郎』(司修、鳥影社)、『笑う月』(安部公房、新潮文庫)、『ことばと思考』(今井むつみ、岩波新書)、『断片的なものの社会学』(岸政彦、朝日選書)、『大阪』(岸政彦・柴崎友香、河出文庫)を買って帰ろうとしたら、地下駐車場でまた迷ってしまった。
3月30日(土)
県伊丹高校同窓会が開く観桜会に行ってきた。桜はちらほらだった。映画研究部OBの川西さん(さっかん)と松尾くんが誘ってくれたのだ。琴部の演奏を間近で聞いて、弦の響きというのを始めて実感した。卒業生の新田さんや春田さん、後藤くんにも会って、校舎内や体育館も案内してもらった。基本的には40年前と大きくは変わらないが、ああこんなに廊下の幅は狭かったのかとか、渡り廊下はこんなにアップダウンがあったのかとか、微妙に自分の記憶(感覚)を修正しながら歩いた。
で、校内一周後、国語科準備室の扉が少し開いていたので、覗いてみたら、先生が二人。挨拶しておこうか、と「昔、ここに勤務していた者で……」と話しかけたら、「藤本先生、辻道です」との声。なんと、猪名川高校で同僚だった辻道さんではないか。新卒の辻道さんとは一年間しか一緒にいなかったが、まさかここで会うとは。話していると、この四月から転勤するので、今日は最後の日で片付けに来たという。誘われなかったら観桜会のことも知らなかったし、国語準備室を覗いてみようと思ったのもほんの気まぐれ、彼女の最後の出勤日、まさに偶然の三乗で、30年ぶりの再会。あの頃の猪名川高校の話で盛り上がった。しかも、部屋にいたもう一人の若い男性も4月から転勤で、その赴任先がなんと星陵高校!それ僕の母校で、50年以上前に卒業したんです。……とびっくり。偶然が4乗になった。
その後、さっかんと松尾くんとランチ。いろいろ懐かしかった。映画研究部の昔話に花が咲いた。
今日はいろんな人といろんな話をした。
3月28日(木)
立命館中学・高校の内田剛くんが主宰している「世界をつなぐ国語科実践研究会」の第3回(3年目)が開催されるので、立命館大学朱雀キャンパスへ行ってきた。初めて乗ったJR嵯峨野線は、外国人観光客が一杯だった。13時開始に間に合うように、余裕をもって、JR二条駅に12時過ぎに到着。駅の建物にあるベーカリーカフェの店内でパンとコーヒー、なかなかおいしかったので名前を覚えて、家に帰って奥さんに話したら、志津屋は京都では有名なパン屋さんらしい。
それはともかく、お昼も食べて、余裕で会場に向かったのだが、どうもそれらしい建物が見当たらない。駅からすぐのはずなのに……。行けども行けどもない。これはおかしいと引きかえし、自動車の誘導をしてい警備員さんに尋ねる。どの方角にあるのですか。あのくら寿司の建物前の道を…と親切に教えてくれる。ところが、道なりに曲がっていくと、どんどん民家に。これは違うと、方向変えて大きな道に出るが、ますますわからなくなる。コンビニに入り、お茶のペットボトルを買い、店員さんにすみませんと尋ねると、スマホで調べてくれた。それでくら寿司まで戻り、……JRの高架の下をくぐり、出ると、あった!!駅のすぐ近くやん。最初に駅から出る時に、左に行かなければならないのに、右に出たからか。最初の一歩は大事。
ところが、立命館の建物に入ってからも迷って、行くべき方のドアも開かない。うろうろして案内の人に研究会に来たのだが、とわけを話すと、こちらですと誘導してくれた。ドアは磁気カードで開けるようだ、セキュリティがしっかりしているのだろうが、僕みたいな初めての人間は右往左往してしまう。
やっと会場に入ったのは13時15分。もう石原千秋さんの講演は始まっていた。
第二部の実践報告の三人の発表は、写真や動画も織り交ぜた巧みなプレゼンテーションで(北海道からZOOMでの報告もあり)、僕らが経験してきたプリント資料だけの発表とは、隔世の感があった。
参加者も会場は20人余りだったが、ZOOM参加も何人かいて、富山から黒田くんも2回発言していた。僕もあんなに迷うのなら、ZOOM参加にしておけば、と一瞬思ったが、会が終わってから、去年の発表者の方に話しかけられて、やっぱり実際に身体を会場に運ぶのも大事だよな、と思い返した。
帰りの嵯峨野線は、朝の通勤ラッシュかというくらい満員だった。
3月27日(木)
いつも行ってるイズミヤの傍の理髪店が移転して、新装開店。今日午前中に行ってみると、満員で7、8人待っているという盛況ぶり。午後にもう一度行ってみると、中には客が一人だけ。そこで散髪してもらう。ここは,平日65歳以上なら、200円の割引がある。今日は、新しい店員さんから、この割引の対象ですか、と聞かれた。おお、65歳未満に見られたんだと喜んで「はい」と答えて割引料金を払った。でも、ひょっとすると、あの確認は「いやあ、とても65歳には見えませんよ」という、店側の「新装開店リップサービス」だったのかもしれないなあ。
3月23日(土)
奥さんが実家へ行くので、雨の中、駅まで車で送り、帰ってきて新聞を開くと、中学校の教科書の検定について、いろいろ記事が載っていた。朝日、毎日の両方をコピーすると結構な枚数になった。
で、目をひいたのはデジタルコンテンツについての記事。中学校の教科書でも前回の検定時よりもかなりデジタルコンテンツが増えていて、これを比較して教科書採択を決める所があるようだ。教科書本体(教材)よりも、指導書やテスト問題で決めるのと同じだ。本末転倒。
で、1本の動画を作成するには100万円ほどかかるとか。資金力のない会社は、デジタルコンテンツで負けていくかも。高校国語教科書に関しては、見た限りでは、自社作成のコンテンツはむしろ少なく、NHKの高校講座や美術館、博物館、自治体などにリンクを張っているのがほとんどだけど。
今日は、大修館のデジタルコンテンツをスマホで確認。いやあ、簡単、簡単。確認のスピードが上がること、上がること。QRコードを読み取って、サッサッとリンク先に移動もスムーズ。
教科書の研究をしようとしている皆さん、スマホを使うといいですよ。
3月22日(金)
東京の但馬くんとZOOMでミーティング。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の授業について話し合う。但馬くんは教室に熊の毛皮(祖父のもの)を持ち込んだそうだ。実物を見てみたいものだ。2時間ぐらい喋って少し疲れた。8月に研究会に行くことになりそうだ。猛暑が予想されるので、今から体調が心配。
3月14日(木)
12日(火)に、ついにスマホを買った。買おう、買おうと思いながら、なくても別に困らないので、ついつい先延ばしにしてきたが、このままではいつまでたっても手にすることがない。『スマホで困ったときに開く本』も買ったのは、半年以上前。
11日(月)お店に行ってコースなどの説明を聞き、念のため一旦持ち帰り、10年以上スマホを使っている奥さんに相談し、12日(火)ついに買いました。でも、いろいろ手続きがあり、簡単な使い方も習い、いろいろパスワードや暗証番号を決め、……3時間ほどかかって、ぐったり。
使い始めると、突然、県伊丹の同僚の石川さんから、「スマホ買ったの?」とメールが来て驚く。
何故知ってる?誰が教えた?油断も隙もない。これだから、よくわからないものは、恐ろしい。で、石川さんとラインでメールのやりとり。まだ文字入力が完全にはわかってない。小さな「っ」はどうすれば打てる?とにかくやっているうちに、少しずつ操作方法が理解できた。ああ、これね。
で、購入の一番の動機、QRコードの読み取り、これがわからない。『スマホで困ったときに開く本』を開いても、いとも簡単にできるように書いてある。こっちは素人なんだから、もっとわかるように書けよ。困った時はネットで調べる。できた、何も難しくないじゃないか。カメラを向ければ、スマホが勝手に読み取ってくれる。その画面に出て来た小さなアドレスをクリックすればいいのか。ふん、ふん。わからない人は聞いてください、教えます。
3月9日(土)
先週の土曜日、血圧が高いので、かかりつけのT先生の所へ。新しく薬を追加。まあなんとか落ち着いた。
5日(火)に、東京とZOOMミーティング。高生研の全国集会の分科会で、東京の先生と二人で問題提起をすることになった。念のため、体調が悪くなる可能性も考慮してもらうことにした。その時はZOOMでということに。それで、今は『なめとこ山の熊』についていろいろ読んでいる。
「論理国語」の教科書を読むスピードが上がらないのは何故か、と考えて、本文に線を引くことにした。大事に読んでいたけど、自分のものだから、自由に線をひいたり、書き込みをしたりしてもいいのだ、と気づいた。
気づくのに時間がかかったけど、読むスピードがアップ。今日、数研出版論理国語707を読了。勢いをかって、数研出版論理国語708を読もうとしたら、配列や単元が違うけど、ほとんど707と同じ教材が載っている。ちょっと省力化しすぎだろう。707と708の目次に印をつけていったら、4つしか違わなかった。あっという間に708は読了。
2月24日(土)
横浜から娘が、お祖母ちゃんのお見舞いに来るというので、高槻まで奥さんと一緒に車で出かけた。富田で娘を拾い、奥さんの実家へ。
そのあと、伊丹の自宅へ。久しぶりに大きな土鍋を出してきて、3人で寄せ鍋をして一杯喋る。かずきの誕生日プレゼントリクエストは、ミニトマト(一箱)で、奥さんが手配したが、まだ着いていないらしい。中学では将棋部に入りたいそうだが、なっちゃんは運動部を勧めているとか。げんきとお父さんは今日はサッカーへ。1、2年生級チームで、他校と試合があり、げんちゃんはキーパーをしたらしい。25対0(20分)で負けたらしいが、「5本は止めた」と胸を張っていたそうだ。メンタル強めで頼もしい。
2月22日(木)
約50年前に、舞子高校の剣道部で教えた筒井さんが家を訪ねて来た。1回生の同窓会が舞子ビラであったそうで、朝の3時に広島を出て、高速を使わず、地道を走って11時に着き、14時から同窓会。それが終わって、東に向かって走り、午後7時にうちに到着。お土産も貰い、コーヒーを飲みながら、談笑。これから伊吹山へ行き、明日はスキーをするという。車にはいつもスキーを積んでいて、今日は同窓会で着た着物も積んでいるとか。
2月21日(水)
19日は川西市立図書館、20日は西宮市立図書館(西宮北口)、21日は伊丹市立図書館と、三日連続で近隣の図書館巡り。
高校国語教科書を読む作業している関係で、比較をするために出典の本を借りてきたり、別件で宮沢賢治「なめとこ山の熊」関係の本を借りてきたりしているのだ。今日は「なめとこ山の熊」の絵本を書庫から出してもらって6冊借りて来た。
2月19日(月)
昨年末に「論究の会」で、「文学国語」の報告をしたのだが、そのあとメンバーの大西さんから、レポートをいただいた。中学の教科書にも菊池寛の「形」とその原典「常山紀談」が入っているらしい。「形」は僕が高校一年生の時、教科書に入っていたが、その後どうなっていたのか、ちょっと気になって調べてみることにした。
こういう時には、阿武泉さんの『読んでおきたい名著案内 教科書掲載作品1300』(日外アソシエーツ、2008年)が頼りになる。ここには1949年から2006年までの高校国語教科書に載った教材が、作家・作品別にリスト化されている。僕も「伊豆の踊子」教科書異本論を書く時に参考にさせてもらった。阿武さんには、「東書図書館」で偶然お目にかかったことがある。
この本あれば便利なので、買って手元に置いておくかと思って、アマゾンで探したら、あるにはあったが、新本はなくて、古本に99970円の値がついていた。まあ1万円ぐらいはするかなと覚悟していたが、桁が一つ違った。これ図書館落ちの古本なのに、10万円!!
川西市立図書館が所蔵していて、以前見に行ったことがある。調べたら明日からしばらく整理のために休館のようだ。
それで雨の中、川西市立図書館へ車を走らせて行った。ありました。今、別件で「なめとこ山の熊」のことも調べているので、ついでに宮沢賢治。それから村上春樹、川上弘美も。と必要な頁をコピー、1枚10円で、全部で60円。駐車場代は400円。合計460円ですんだ。
2月15日(木)
先日、富山の黒田くんから、ある全国集会で鈴木さんと同宿になり、話しているうちに、藤本先生のことになりました、鈴木さんからよろしくとのことでした、と連絡をもらった。鈴木さんはほぼ同年配で、昔「月刊高校生」誌上でよく見かけた方だ。編集顧問をされていたらしい。
そこで、手紙を書き、本を送り、メールをもらい、というやりとりをしていて、昨日直接電話をいただいた。話していると、藤本卓さんとも知り合いで、亡くなった時、大東文化大の中村さんから電話があり高生研の知り合いへの連絡を頼まれたとか、長崎の森さんとも一緒に仕事をし、兵庫高教組の工藤さんとも、……と次々に人脈が繋がって、なんだか、お互い昔からの知り合いのような気持ちで喋り合った。今は東京の研究所の事務局長をされているらしい。
2月14日(水)
昨日の出来事。うちの奥さんが旅行から帰って来るので、伊丹空港まで迎えに行くことにした。関空からのリムジンバスの到着時間を見計らって、ツタヤでビデオを返し、スーパーで買い物し、ローゲンマイヤーでパンを買い、駐車場に行くと、一番奥で車が立ち往生している。近づくと、おじいさんが出て来て、ハンドルがきれない、と訴えかけてくる。?と思って聞くと、ハンドルが重くて、車をうまく駐車枠に入れられなくて困っているらしい。代わりに入れてもらえないか、と頼まれて、知らない車の運転席にすわり、ハンドルを動かそうとすると、重い。びっくりするほど重い。これは、と思いながら、なんとか動かし、何度も切り返して、別の駐車枠に入れた。おじいさんから手を合わせて拝まれて、これ重すぎますよ、自動車屋さんに見てもらった方がいいですよ、と言って、急いで空港に向かった。なんやかんやで10分ぐらい時間がかかった。まあ、明日は我が身と思い、小さな手助け。
2月11日(日)
うちの奥さんがガラス工芸館の人たちとパラオへ行って4日目。たまに短いメールが来る。迷子にはなってないようだ。酔っ払って救急搬送もされてないようだ。
残ったぼくは、『教育の森を散歩する─高校国語の新しい風景─』という冊子の編集をずっとやっていて、今日遂に完成。京都の製本工房へ原稿を送った。A4、198頁になった。これは教科書散策日誌と「文学国語」についての報告だけのもので、いわば第一部にあたる。この先「論理国語」「現代の国語」「言語文化」「国語表現」「古典探究」とシリーズは続く予定。
9日(奥さん旅行2日目)は、梅田へ出た。ヨドバシカメラでプリンターを見たが、検討するには、インターネットの方がはるかに細かなことがわかる。そのあと、地下街で今日は豪遊するぞと意気込んで、とんかつ専門店に入り、かつ丼を食べた。かつ丼には深い思い入れがあるが、ご飯の量は3分の2にしてもらった。次に、堂島アバンザのジュンク堂へ行った。ヒーターのきき過ぎで、セーターを脱いだほどだ、疲れて、外に出て涼しい風にあたりながら、円形のベンチに坐る。座っている10人ほどのほとんどが男性。カップラーメンを食っている人もいる。なんとなく、みんな鬱屈しているような感じがする。まあ、他人から見たら、僕も行き所がなくて、ベンチで休んでいる老人に見えるんだろうな。そこでリュクに入れて来た「論理国語」の教科書の一編を読む。大修館・論理国語705、内田樹「「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ」や松村圭一郎「人はなぜ贈与するのか」を読み、身体の火照りもとれたので、駅まで地上を歩いていくことにする。昼間の北新地を歩いても、店はほとんど閉まっている。まあ酒の飲めない僕には縁のない世界だ。何となく疲れたので、帰りの阪急電車では空いていたので、座って帰った。(行きは少し混んでいたので、見栄をはって立っていた)。昆陽池散歩は、短めコースを歩き、家について、万歩計を見たら、一万歩を超えていた。夕方はおでんを煮込み(三日食べることになった)。
夜は、21:45から富山の黒田君とZOOM。教科書のことをいくつかテーマに話し込む。菊池寛の小説「形」と原典の「常山紀談」を並べて比べ読みをさせようという教科書や、林芙美子の小説「下町」とその映画化作品の比べ読みをさせようという教科書について、いろいろ喋っているうちに、気が付けば23;15。今日はこれくらいにしといたろか、ということになった。
で、風呂に入って床についたのだが、この夜は夜中に目を覚ますこともなく、7時間ほどぐっすり寝た。やっぱり一万歩か、それともおでんか、はたまた夜中のZOOMで熱弁をふるったからか。
この奥さん不在の五日間、ツタヤで「せかいのおきく」「ミッション・インポッシブル(最新作」「銀河鉄道の父」を借りて来て、観ている。阪本順治「せかいのおきく」は一気見した。二度泣いた。「ミッション・インポッシブル」は途中でなんども中断、全部観ずに返そうかとと思った。「銀河鉄道の父」に期待するか、明日見るぞ。
2月2日(金)
今日は1週間ぶりに、舌の抜糸に行った。無事に舌の傷は治っていた。先生が言うには、動脈を傷つけたのでしようね、とのこと。家に帰ると、奥さんが「しゃべり方が元に戻ったね」と。確かに手術後しばらくは、口を開く、舌を動かすことに、躊躇していたなあ。でも、あまり早口で食べると、また噛みそうなので、今日もゆっくり食べている。あつものにこりてなますを吹く、とはちょっと違うが、気持ちはわかる。
1月28日(日)
26日(金)の朝食の時、サラダを口にしていて、舌を噛んでしまった。舌を噛むことはこれまでにも何度かあったが、今回はちょっと深く傷つけたようだ。鏡で見ると、舌の真ん中が血だらけ。おとなしくしておこうと、昼食もパス。鏡を見ると舌の真ん中に血の塊が出来ている。まあ、止まっているので、いいか。昆陽池散歩の帰り、100円ローソンで、プリンを買って帰り、食べた。食べていて、舌の真ん中に何か残っているような感じがして、動かして、水でうがいしているうちに、……。たぶん、血を止めていた血の塊がとれたのだろう、血が口にたまりだした。これはまずい。
かかりつけの歯医者さんに電話。すぐに診てもらう。深く噛んだようで縫う必要がある。縫いますかね?縫います、縫います。それでは、と近畿中央病院に連絡を取り、紹介状を書いてくれた。それを持って、病院へ。口腔外科で、舌を三針縫ってもらった。手術の最初に、舌の麻酔。これが思わずうめくほど痛い。先日、全身麻酔を経験したが、あれとは全然違う。まあ、舌を縫うのに全身麻酔は大げさだろうけど、塗り薬か、飲み薬ぐらいで済ませてもらうと嬉しいのだが。
無事に手術は終了。窓口へお金を払いに行くと、カーテンが閉められていく。ああ、もう17時か。かかりつけの歯医者さんに電話したのが、16時頃。まにあって良かった。今日が金曜日で良かった。
で、今は、朝クリームパン、昼スパゲッティ・カルボナーラ、3時にケーキを食べられるぐらいには回復した。まだ、舌に糸は残ってるけどね。
1月24日(水)
北九州の息子が仕事で宝塚市の小林まで来るので、待ち合わせて昼飯を食べる予定だった。ところが、この日、雪でバスが遅れて、小倉まで出るのに2時間かかったらしい(普段は40分程度)。それで一旦、昼食はキャンセルしたのだが、せっかく近くまでくるのだからと、思い直し携帯で連絡し、予定を継続。逆瀬川で待ち合わせて、一緒に「丸亀製麺」で好きなトッピングを乗せて、親子でうどんを食べた。逆瀬川、うどんや、訪問先と回って40分。約束の1時は、余裕であった。なにせこの辺りは、宝塚良元校に勤務していた頃は、テリトリーで、いろいろ土地勘はある。それでも10年以上たつと、店もいろいろ変わる。行こうと思っていた小林の町中華の店はやきとり屋になっていた。
宝塚良元校(夜間定時制)に勤め始めた頃は、家庭訪問や会社訪問でこのあたりはいろいろ車で回った憶えがある。逆瀬川駅の近くのコープにアルバイトが決まった安田くんを訪ねて、近くまで行った時、駐車場を探して回った。今回、その駐車場を利用した。「昔とった杵柄か」、ちょっと違うか。とにかく駐車場は10年以上変わらずあったので助かった。
1月12日(金)
10日から2泊3日で、近畿中央病院に検査入院してきた。全身麻酔をする必要があるので、どんなものかと思っていた。「3つ数える間に眠ってしまうそうです」などと言われたので、数えてみたら、「1、2、3」まで数えられるぞ、と思いながら「4、5」でもう意識が飛んで、気が付くと、30分ほどたっていて、検査は終わっていた。まるで魔術にかかったようだった。麻酔に関しては随分丁寧で、3日とも説明や様子の確認にきてくれた。
個室に泊まったので、ゆっくりできて、三省堂の「新論理国語」を半分ほどと、津村記久子の『君は永遠にそいつらより若い』を半分ほど読みなおした。
1月6日(土)
元旦には毎年、奥さんの実家に行っている。今年は、娘一家三人、息子一家四人も一緒に出かけ、全員で十四人の大賑わいになった。さあ、帰ろうとしていた16時過ぎに、揺れを感じた。蛍光灯の笠がゆっくり揺れていた。能登半島地震の影響だった。
二日には日本航空機と海保機の衝突、炎上事故があり、新年早々大変な災害、事故が連続して起こった。
五日、娘、息子一家みんな帰り、我が家は元の生活に戻り、少し部屋の片づけをやろうと思い、カセットテープを整理していて、広瀬恒子さんの講演テープを発見した。実は、昨年11月末に高山智津子・文学と絵本研究所に、「広瀬恒子さんが2016年に講演をしているはずだが、研究所にデータは残ってないか」という問い合わせがきた。確かに、その年、高山先生没後10年の記念講演を広瀬さんを招いて開いていたのだ。でもその時は録音、録画はしていなかったので、その旨を連絡した。
ところが、新年早々の片付けで、講演テープを発見、調べてみると1990年に「兵庫文学教育の会」の県大会で広瀬さんの講演をやった時のものだと判明。
そこで、問い合わせをしてくれた方に連絡。テープを今日富山に郵送。なんでも、親子読書地域文庫全国連絡会(親地連)で広瀬さんの講演録を作るらしい。
テープをUSBに残す(ダビングする)作業をしていて、講演の最後の所に井上恵美子先生(司会)や高山先生の声が入っていることを発見。こんなことがなければ、このテープ聞き直すこともなかっただろう。井上先生は「もうちょっとで定年なんですけど…」と言っていた。井上先生は1997年、高山先生は2006年に亡くなられた。
僕は、ブリコラージュ通信5号(2006年発行)に「兵庫文学教育の会とともに」という文章を載せている。それを見直してみると、井上先生は1969年から日本文学教育連盟(文教連)の全国大会に一人で参加している。69年繋大会(岩手)、70年珠洲大会(石川)、そして71年三保大会(静岡)で初参加の高山先生と出合い、そこから兵庫でもサークルを作ろうという話になり、1971年秋に兵庫文学教育の会が誕生したのだ。
今、連日テレビで被災した珠洲市の様子が映し出されているが、それを見ながら、53年前にあの町で文教連の全国大会が開かれていたのだ、と亡くなった井上・高山先生のこともあわせて思い出し、阪神淡路大震災のことも記憶の中から甦り、いささか複雑な思いを抱いている。
12月29日(金)
昨日は富山と一時間、ZOOM。新しいメンバーが加わり、三人で話をした。「こころ」の授業で、最後に若い先生をゲストに招いた話から、どんどん広がって、理科や英語の先生に授業に来てもらった話、国語表現で仕事の話の聞き書きをした時に、ゲストを招いて教室の前で代表にインタビューさせた話などをした。
笑ってもらうと嬉しくて、ついつい興が乗り、あれこれよくしゃべったので、終わるとちょっと疲れた。喋り過ぎは身体に悪い。
昔は、6時間ぐらい報告していた頃もあったんだけど、もう今はあんなハードなことは無理。今は15分ごとに休憩を入れて、合計45分ぐらいが無難な所か。
12月26日(火)
昨日から、大掃除を始めた。昔は、家族全員で分担を決め、一日ぶっ通しでやっていた。今年は、もう無理はやめて、奥さんと二人で分担表を作り、各自自由に取り組むという「ゆるい大掃除」。で、昨日は台所まわりを、今日はトイレをやり、午後からは梅田のジュンク堂に出かけた。売り場の階が変わっているので、何かカンが狂った。
12月9日(土)
『「文学国語」全11冊を読む』は148頁、3分冊になった。これを持って武庫川女子大の「論究の会」へ出かけた。3時間の報告は、きついだろうと予想、DVD(国語表現など)を上映したり、クイズ(「文学国語」以外で山月記を教科書で取り上げるにはどんな方法があるか、他)を出して考えてもらったり、した。二次会で近くの居酒屋へ。加古川から来た19年目の先生と「仕事の話の聞き書き」実践について、かなり話し込んだ。
これで今年の公の仕事は終わり。あとはのんびり過ごそうと思っているのだが。
12月4日(月)
こうなったら、自分で印刷して、自分で製本するしかない。印刷は長年の相棒キヤノンMG6930(両面ずりすると、最近インク汚れが目立つようになった)を、だましだまし使うことにして、どう製本するか。
一案、A4ファイルを買ってきて、印刷物にパンチ(青と焦げ茶の二個あり)で穴をあけて綴じる。
二案、分冊にして、ホッチキスで綴じる。分冊は封筒(上三分の一をカット)に入れる。
少し迷ったが、スマートさ、読みやすさを考慮して、二案を採用。でも今持っている小型ホッチキス(二個あり)では、せいぜい十数枚しかとめられない。(ざっと計算して資料は100頁はある。)となると、分冊が四つから五つになる。これはちょっとなあ。
そこで急遽、中型ホッチキス(約1300円)を購入することにした。「いやあ、報告のためなら、金は惜しみませんよ、私は」。これでたぶん二分冊に収まるだろう。
途中で、資料の分量を減らすことも考えた。でも、折角だから、このまま使おう、時間の余裕も出来たから(製本工房に今日原稿を宅急便で送るつもりだったが、自力で印刷製本なら、ぎりぎり金曜まで原稿書きできる)、逆にもう少し書き足そう。災い転じて福となす。「教科書で見つけた素敵な教材」の章の、個々の教材の紹介を少し書き加えることにした。
12月3日(日)
ZOOMで長崎県高教組の教育実践報告討論会に参加。国語、数学、平和教育、自治活動、生徒支援、人権教育のレポート報告を聞いた。なかでも福島の被災地研修した先生の報告が興味深かった。富山の黒田君も誘ったので、長崎、富山、兵庫、三県合同の会になった。(僕は発言しなかったけど、黒田君はいろいろ発言していた)
今度の土曜日に論究の会という研究会がある。その日の報告のため資料をずっと作っていた。いつものように京都の製本工房に頼むつもりで、四営業日コースなら月曜日に原稿を届ければ金曜日に戻って来る、それなら間に合う、と勝手に計算していた。そして、土曜日には原稿を完成しなければと、頑張っていたのだ。ところが、ふと不安が心をよぎった。本当に引き受けてもらえるのか。それで夜中に製本工房のHPを開き、品物のお届けカレンダーというのを開き、日にちを打ち込んだら、何のことはない。10日コースから翌日コースまで、すべて二重傍線が引いてある。仕事が一杯でもう受けつけません、ということだ。
このピンチを乗り切るには、どうするか。(つづく)
11月25日(土)
西宮神社で古本市があるという新聞記事を読んで、23日(木)の昼過ぎに行ってきた。家から車で塚口まで、そこから阪急西宮北口まで二駅乗って、今津線に乗り換え、二駅乗って、そこで阪神今津駅に乗り換え一駅乗って阪神西宮駅へ。短い区間の乗り換え、乗り換え。阪神今津駅で、電車を待っていると、何故かホームの端に人だかり。見れば三脚を立てている人もいる。手に手にカメラ、これはいわゆる「撮り鉄」か?気づくと、向いのホームでもスマホを構えている人が、??すると神戸方面から、特急列車が何故かスピードを落としてゆっくりと近づいてきた。???車体が見えると、何人もの野球選手の全身写真が描かれている。ああ、阪神の優勝記念の電車か。駅近くでゆっくりと走っているのは、お客さんへのサービスだね。
西宮神社では、20店ほどの古本屋さんが、テントを張って、商売中。お客さんも結構出て、賑わっていた。ただ、一店舗の出品している本の数が少ないので、自分の欲しい純文学関係の研究書なんかはあまりなかった。地方史とか、戦記とか、古い映画雑誌とか、マンガ、DVD、レコード、CD、……、文庫本は、背表紙の文字をたどるのが辛いし。それにしても、岡山や兵庫県の北から来ている店もあり、変色した古い箱入りの本を眺めていると、こんな専門的な古本は、お店に持って帰っても、買うようなお客さんは、過疎の地元にはいないんじゃないかな、と思った。世の中には、本当にいろんな本が出版されているけど、結局売れる本、読み継がれていく本は一握りで、多くは売れ残り、やがて消えていくんだなと、他人事とは思えず、本の運命に思いをはせた。
七五三のお参りに来ている家族連れも結構多かった。晴天で暖かくてよかったのだけど、そのうち暑くなってきて、毛糸の帽子やダウンベストは脱いで、それでも暑いので、手袋、ウインドブレーカーも脱いで、リュックに入れたら、何が入ってるのというくらい膨らんだ。これだけ脱いでも、ユニクロのヒートテックの威力か、それとも二日前に買ったワークマンの防寒ズボン(雪山でも歩けるらしい)の威力か、暑くて暑くて、阪神西宮駅のホームの自販機で抹茶味のグリコのアイスクリームを買って食べたほどだった。
11月21日(火)
昨日は一日、検査。前立腺癌の疑いがあるので、生検をしてはどうかと勧められて、そろそろやるかと考えて、いいですよ、と返事したら、生検の前にいろんな検査が必要になった。血液、レントゲン、腰部レントゲン、口腔内検査、それでマウスピースの型どり、心電図、肺活量の検査、心エコー、MRI、朝の10時半から、途中休憩で家で昼ご飯食べて、再出動で、午後の検査、全部終わったのは16時すぎ。疲れはしなかったと思っているけど、やっぱり疲れたのかも。暗い部屋での心エコー検査のあと、血圧はかったら170。普段は130台から140台なのに。やっぱり緊張したのか。その前にやった肺活量の検査が結構きつかったからか。最後のMRI、ベッドも振動していた。年代物やと思う。
検査結果次第だが、予定では来年1月10日入院。生検の結果次第で、癌治療が必要かも。まあ、こっちは、心筋梗塞で緊急手術した経験もあるから、そんなにあわてることはない。選択肢は3つあるけど、担当の先生は手術を推してたなあ。来年の春は活動制限ありかも。宝塚の読書会も終わったので、来年はのんびりできるはずだし。
11月20日(月)
うちの奥さんはステンドグラスを習いに週一度、三田まで通っている。昨日の朝、突然、作品展で入賞したので、連れて行って、と頼まれた。元々、この日ガラス工芸館の催しがあって、作品展もやるとは聞いていて、一度行ってみてもいいかな、と話していたのだが、「別にいいわ」と言っていた。ところが朝、入賞の知らせがメールで届いたらしい。表彰式は午後一時から。そこで二人で中国縦貫道を西北へ走り、神戸三田ICで下りて、一般道をたどり、50分ほどで現地到着。本当に田舎の山の中だ。クリーンセンターの駐車場が工芸館臨時駐車場になっていた。車がびっしり。街中からここまで車がなければたどり着けない。奥さんはいつも三田駅から送迎車で送り迎えしてもらっているらしい。
会場の中庭にはキッチンカーがいくつか並び、なかなかの賑わい。工芸館の一階は、ガラス細工を始め、おしゃれなアクセサリーや小物のお店があり、なかでも一番の人気は「飴細工」。見てみるとこれは芸術品と言える、凝った意匠の細工(長い尾の鳥とか)が目の前で作られて行く。親子連れが並んでいる。「10人待ちなら2時間ほどかかります」の貼り紙があった。
作品展会場は二階にあった。工芸館の生徒さんたちの作品がずらりと並べられている。うちの奥さんの作品(メキシコで買ったガラス細工を元にして三角柱のフロアランプにしたもの、毎晩僕が点灯している、館長さんにあれやこれや手伝ってもらってやっと完成した)もあった。作品展賞という札があった。館長賞、三田市ガラス工芸館賞、神戸新聞社賞など10ほどの賞があるらしい。奥さんがそっと近づいて来て、「ごめん、表彰式は来週の日曜日らしい」。メールをあわてて読み、日にちを勘違いしたようだ。中庭でたこ焼きとピザを食べて、171号線で伊丹に帰った。天気もよくて、久しぶりの遠足だった。
11月17日(金)
宝塚市立中央図書館の読書会が14日(火)にあった。課題本は森絵都の『みかづき』。参加者は全部で11名、読書会にはちょうどいいくらいの人数だった。僕はファシリティターということで、司会をやったが、できるだけ自分は喋らないように「努力」した。でもやや否定的な意見が続いたので、少しだけは、ここが良かった、このセリフに胸が…熱くなって…などと話した。時間的にどうするか、気にしながら運営。最後に参加者の感想を聞くと、みんな好意的、積極的で、来年も続けてほしいという声が多く、僕としては、講演会から読書会への橋渡しができたので、良かった。県立伊丹の元同僚の郡山先生からは「藤本先生は淀川長治さんみたい」と「お誉めのことば(たぶん)」を貰った。最後に「またお会いしましょう、さよなら、さよなら」と挨拶すれば良かった、と後で思った。
11月13日(月)
去年からZOOMミーティングをやり出し、長崎の平戸や富山へ出かけて一年近くになる。長崎の場合は、有料(主催者)のを使わせてもらっているので、時間制限なし。富山の場合は、無料で40分という時間制限があった。やはり40分は短いので、何か手はないかなと考えて、思いついた。僕はいつも招待されて参加するだけ。ここは一つ、自分が会議を主催して、相手を招待できるようになればいい。テキストで調べて、「①ミーティングを予約し、➁招待状を出し、③会議を開始」というのを富山の黒田くんに練習台になってもらって、やってみた。できた。1時間目は黒田くんの招待で僕が富山に行き、次いで2時間目は僕の招待で黒田くんが兵庫に来るというふうに、計80分ミーティングできることになった。
これからは、自分でZOOMミーティングを開ける。どこの人とも会議ができるぞ。
11月1日(水)
この2週間ほどは毎日、同窓会のビデオ編集をしていた。ここはちょっと長いからカットしようとか、撮影していた自分が写ってないから、家でパソコンで編集している所を撮影して、最後に入れようとしたり、とにかく何バージョンも作った。こういう作業は楽しいので、熱中してしまい、切りがない。一種の中毒状態で、もうちょっと、もうちょっと、と手直しを繰り返してしまうのだ。
昨日は、卒業生の新田夫妻に来てもらい、試しに作っておいた29分版ビデオ(自分の登場なし)を見てもらった。ああ、これ誰やったかな、とか、この人と私ずっと喋ってたんやけど名前が出てけえへん、とか、しばしば画面を止めて、この人物は誰かを、卒業アルバムも見比べながら、三人でわいわい確かめながら見た。
当初、DVDを90枚ほど作り、卒業生に送るつもりでいたが、いろいろ二人から意見を聞いて、クラウドにアップして見てもらうのがいいのではないか、という線に落ち着いた。具体的な作業は幹事会で担当者を決めてもらうことにし、新田夫妻にDVDを託し、一段落。なんだか、ビデオ編集の憑き物が落ちたようだ。
広島教販からの「論理国語」13冊が揃い、東京書籍から読み始めている。全部読み切った「文学国語」については、資料を作り、冊子にするための原稿を書いている。水村美苗『本格小説』を読む〉の原稿の仕上げもしなければならず、11月は結構忙しくなりそうだ。
10月29日(日)
「文学国語」11冊を全部読了。(山月記、こころ、舞姫は改めて再読しなかったが、それ以外は既に読んでいたものもすべて読み返した)。それで、次に何を購入するか、ちょっと迷ったが、「文学国語」の対になっている「論理国語」に決めて、広島教販に「論理国語」全13冊を注文した所だ。
届くまで、読むべき教科書が家にないので、24日(火)久しぶりにセンターに出かけた。
国語表現、古典探究をざっと眺めようと考えたのだ。
ちょっと見るだけのつもりで、東京書籍・国表702を開いてみると、「6 話し合う力をつけよう ファシリテーション」という章があった。実は宝塚図書館主催で9、10、11月に「語る!現代文学部」というブックトークと読書会の行事をやっていて、僕はファシリテーター(初めて聞いた言葉だ)ということになっている。
それで東京書籍・国表702の6章を熟読。ファシリテーションのポイントは「参加者一人一人から丁寧に、公平に、意見・考えを引き出し、考えや立場の違いや対立があっても、互いの理解と内容を深めながら、話し合いを円滑に進める働きや技法。」らしい。
その説明の下に小さな文字で「Facilitate(ファシリテート)には、仕事や物事を、楽に進める、容易にする、促進する、円滑に進めるという意味がある。」と書いてあった。なるほど、こういうことか。
そのあと「共有、拡散、収束・合意形成・確認」など話し合いの基本原則や、「ファシリテーターの心得」などが述べられ、実践例として豪雨による避難指示が発令され。地域の高齢者が避難所に大きな犬を連れて避難してきた、避難住民の中には犬嫌い、犬好きの人もいるという設定で、避難所運営スタッフも含めて6人の話し合いのシナリオが載っている。これを読んで、「ファシリテーションが機能した話し合いになるように展開を書き換えてみよう。」という課題が出されている。ううん、シナリオの書き換えか。
「古典探究」はそんなに変わった所はないだろうと軽く考えていたのだが、文英堂の古探712を開いてみて、これは買う必要あるかも、と思った。
まず何より驚いたのは、漢文編第二部の「6 未来を思いえがく 伝記小説─二人の李徴」。この章は李景亮の「人虎伝」が送り仮名・返り点付きの漢文で14頁にわたり載っていて。その後ろに参考として中島敦「山月記」(13頁)、加藤徹「人が虎になる時」(3頁)が続いているのだ。
今回の指導要領の改定、「現代文」が「文学国語」「論理国語」に分けられるのが、大きな話題となった。受験校では「論理国語」を選択するだろうと予想され、そうすると中島敦「山月記」や夏目漱石「こころ」を授業できない、と現場の先生は案じていた。この文英堂・古探712は、いわば逆発想で漢文の参考教材として「山月記」を収録。(多くの受験校で古典探究はとるはずだから)実は、文英堂は、文学国語の教科書は出していない。
そのつもりで見ると、文英堂は参考の形でいろいろ文学教材を入れている。芥川龍之介「竜」、田辺聖子「少女と物語」(『文車日記』)、蜂飼耳「移動の可能性と鴨長明」(『方丈記』の解説)、渋沢栄一「論語と算盤」、土井晩翠「星落秋風五丈原」(詩)、湯川秀樹「科学者のこころ」、ほかにも「古事記 須佐之男命の大蛇退治」の読み比べとして、アポロドーロス/高津春繁訳「ギリシア神話 ヘラクレスのヒュドラ―退治」、漢文「畏饅頭」(『笑府』)との比較として落語「饅頭こわい」(『古典落語体系第二巻』)、などバラエティに富んだ教材が入っている。これは「文学国語」と「古典探究」の融合か?新しい試みだと思う。
10月27日(金)
同窓会のビデオ編集完了。15分程度にと思っていたが、何のことはない、倍の30分になってしまった。
90人ほどの出席者を、できるだけ全員映っているように、と考えると、ついついこのシーンも、このシーンももったいなくてカットできなくなる。75カットをもとに、切ったり繋いだり、何度も繰り返したので、SONYの編集用アプリの使い方にもかなり習熟した。やはり多人数、長時間の宴の撮影は、みんなの表情も豊かで、撮ってても、編集してても、楽しい。
22日(日)には県立伊丹高校へ行き、校門、築山、中庭などを撮影。ファーストシーン、ラストシーン、区切りのシーンなどに使う。
10月18日(水)
14日(土)に県立伊丹高校34回生の同窓会があった。ファイナル同窓会だというので、出かけて行った。みんな還暦を迎えるとか。時の流れは早い。もうこんな機会はなかろうと思って、ビデオを持って行き、せっせと撮った。参加卒業生88名、元教師4名、3時間超の会だったが、クイズあり、有志のダンス(ピンクレディのUFO)あり、60歳のバースディケーキカットあり、校歌、応援歌の合唱あり、という盛沢山の会だった。卒業以来、42年ぶりに会って、ゆっくり話をした卒業生も多かった。
家に帰ってビデオを見直すと、75カット、撮影時間48分。会場に来ていた卒業生の顔・姿は、全員とらえられたはず。これを15分程度に編集しようと、作業を始めた所。出来上がったら、幹事さんに渡すつもりです。貴重な映像になると思う。
10月11日(水)
昨日は宝塚図書館の「語る!現代文学部」の第二回目、7人の参加者+スタッフ4人。参加者の方が、結構喋って下さって、いい雰囲気。僕は「事件と文学」というテーマで30分。事前に長い間出版されなかった「セブンティーン第二部・政治少年死す」を、『全小説』で再読して臨んだのだが、その内容を喋る時間は、やっぱりなかった。
で、今日は、『怪物』を観に、宝塚シネ・ピピアへ出かけた。映画館へ行くのは、2021年11月以来だから、ほぼ2年ぶり。俳優は、安藤さくらも、田中裕子も、なかなか良かったけど、脚本の作為性が中途半端で、乗れなかった。神戸とも長崎とも違う、湖(諏訪湖かな)の夜景(黒い円を縁取るような街の明かり)はとても印象的だった。
口直しに、TVerで『何曜日に生まれたの』を、もう一回観た。このドラマ、放送している時に観て、数日後にはTVerで観て、全話二度ずつ観たことになる。野島伸司の脚本も随分トリッキーで作為性が強いが、軽さがあって素直にそれを楽しめたし、何より飯豊まりえの表情が繊細で素晴らしかった。
10月5日(木)
この間までは、結構テレビドラマを見ていたのだが、ほとんどが終了。次の番組は、予告を見ても、もうひとつ惹かれないし、ちょうど今はいろいろスポーツ中継が重なっているし、……。そこで久しぶりにレンタルビデオ屋に出かけ、邦画を五本借りて来た。一週間で五本はなかなかきついけど、頑張りました。選んだ作品(理由)は、『沈黙のパレード』(ガリレオシリーズ、娯楽性)、『冬薔薇』(阪本順治監督)、『友罪』(少年A事件との関係)、『流浪の月』(松阪桃李、広瀬すず主演、李相日監督)、『スパイの妻』(黒沢清監督、神戸ロケ)。で、一番感心し、堪能したのは『冬薔薇』だった。
今、現役の監督で一番好きなのは、やっぱり阪本順治だ。『どついたるねん』『王手』『大鹿村騒動記』『半世界』『一度も撃ってません』どれも傑作。
9月24日(日)
先日「在りし日の映画館を探して」というイベントに参加した時、昔、柳原の金毘羅神社が映画のロケに使われたと案内された。赤木圭一郎主演の『紅の拳銃』。そこで映画配信サービスで探して見てみた。1961年制作。見ていると、三宮駅や諏訪山公園、生田警察署などは確認できたが、柳原の金毘羅神社は出てこなかった。案内人の勘違いか。
それでインターネットで「神戸ロケ地めぐり」で検索すると、神戸で撮影された映画が一杯出て来た。こんなに映画のロケに使われていたのか、とびっくり。但し、昔の分は、情報が少ない。その中で吉永小百合主演の『青春の嵐』では神戸外大が出てくるというので、同じ映画配信サービスで見ようとしたが、どうしても行きあたらない。あれこれ手を尽くしているうちに『青春の風』という作品があることに気づき、念のためにざっと見てみた。これだった。ネットの情報は便利だけど、人間がやっていることなので、ちょっとした間違いはあるものだ。嵐と風、まあ似てるけどね。で、奥さんを呼んで一緒にラスト(神戸外大らしき建物が映っている)を見た。全但バスの停留所「上山手」というのもあった。1968年頃の風景だ。
というわけで、思いがけず、古い日活映画を二本続けて見てしまった。
9月14日(木)
新開地アートひろば主催の「在りし日の映画館を探して」というイベントに出かけて行った。10時から17時、前半は講義、後半は街歩きというスケジュール。定員は20名だが、スタッフも入れると25名以上だった。戦前新開地は神戸の繁華街の中心で、映画館や劇場が多くあったことは知識としては知っていた。また父が新開地で氷・薪炭の小売業を営んでいたので、小学校の3年~6年の頃(1960年代の前半)、新開地は馴染みの町だった。その頃、憶えているだけでも、20近い映画館があった。
懐かしさもあり、このイベントに参加した。
前半は神戸映画資料館の田中晋平さんが、古い写真や実際の映像を紹介しながら、新開地や映画館の歴史の話をしてくれた。午後からは森本アリさん、安田謙一さんの案内で、新開地の街歩き。新開地アートひろばのすぐ近くの古い細い路地を歩いたが、そこは小学生の僕がいつも通っていた道だ。父のやっていた店は、とっくの昔になくなっていたはずで、今はマンションになっていた。現在、新開地にはシネマ1・2(昔の新劇)、パルシネマ(湊川公園の地下)、福原国際東映(子どもの頃毎週土曜日、親子で出かけた三番館。ある時期の東映時代劇はほとんど見た。今は建物も変わり、ポルノ上映館になっている。)の三館だけだった。街歩きは、ふるい地図を手に、昔映画館のあった場所をめぐるもので、案内者が実際の映画館を知らない場合が多いので、昔実際に見た者(70過ぎの古老)にとっては、ちょっと物足りなかった。参加者は男女半々、意外と若い人も多かった。半日歩いて、汗びっしょり。帰って万歩計をみると、9700歩。昆陽池一周の約3倍あった。
9月11日(月)
明日は宝塚市立中央図書館で「語る!現代文学部」という行事が始まる。ブックトークと読書会。9、10、11月の第二火曜。僕は明日は30分、「夢と文学」というテーマで話す予定。
で、必要な本が書庫にあるはずだけれど、表から見ただけではみつからない。どうしょうかと思いながら、今日になってしまい、「よし!」と決心して、書庫の中の片付けをした。
午前中一時間余り、ごそごそとラックを動かし、全集などを詰めた箱を移動し、本棚の隙間に本を積み上げ、空の段ボール箱を本棚の上に放り上げ、あれこれ整理していたら、汗がじっとり。見つかりました。鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』と、埴谷雄高編『夢』。いやあ、絶対あると思ってたんや。良かった、良かった。
9月6日(水)
教科書を買って良かったことの一つは、デジタルコンテンツを確認できることだ。
昔は考えられなかったが、今回の新課程から、教科書会社はデジタルコンテンツを用意するようになった。目次の辺りにQRコードがあり、そこからデジタルコンテンツ一覧ページへ行くことができる。
僕はスマホを持ってない。それでパソコンにQRコードリーダーをダウンロードして使っている。教科書センターでは、パソコンがWifiに接続できないから、これは使えない。コピーをとれないから、QRコードだけを持ち帰ることもできない。
土曜日に、残りの分も届いたので、「文学国語」の教科書11点が全部手元にある。なにか無敵の感じだ。何でも調べるぞ、何でも比較するぞ、という気になる。
で、昨日から、せっせと各教科書会社のデジタルコンテンツの内容を見て回っている。わかったことの一覧は改めてまとめるとして、全体の印象を簡単に言うとこうだ。
各社の力の入れ方に大きな差がある。明治書院はデジタルコンテンツに見向きもしない。これも一つの在り方か。朗読音声、作者へのインタビューなど、独自に制作したものもあるが、NHKの高校講座にリンクを張ったり、いろいろ工夫しているが、まだまだ手探りの感がある。
最も充実しているのは筑摩書房だった。ざっと紹介すると
独自ファイル:人虎伝(書き下し文)テキスト、変身物語の名作(本の紹介)
青空文庫(全文)へのリンク;こころ、私の個人主義、夏の花、李陵、弟子、遠野物語、陰翳礼賛、たけくらべ、忠直卿行状記、惜別、
リンク先:日本近代文学館、齋藤陽道HP、青空文庫、文科省、NHK100分で名著、公益社団法人能楽協会、室生犀星記念館、中原中也記念館、花巻市、斎藤茂吉記念館、高知県立文学館(寺田寅彦記念室あり)、沖縄市(沖縄市民平和の日より)、文京区立森鷗外記念館、メキシコ国立美術館、舞鶴引揚記念館(シベリア抑留)、日本俳句研究会、東北大学史料館(魯迅と東北大学)
書籍紹介のリンク先(出版社):朝日新聞出版、講談社、新潮社、岩波書店、白水社、講談社、筑摩書房。中央公論新社、幻冬舎、河出書房新社、CHEKCCORI BOOK HOUSE、早川書房、リトルモア、東京大学)
これを見て回ると面白い。ただ、これでわかるのは、独自のコンテンツは少なく、リンクを張っているものがほとんどで、他社がこれを真似るのは容易く、時間とともに差がなくなるだろう。
高校の現場では、こうしたデジタルコンテンツをどう使うのだろうか。各先生はどんな風に自分なりのデジタルコンテンツを用意するのだろうか。
定時制勤務の頃は、いろいろビデオ教材を探したが、あれは探している時が楽しいんだよね。沢木耕太郎「鉄塔を登る男」をやる時は、大阪府立図書館まで、「プロジェクトX 恋人たちの東京タワー」のビデオを借りに行った。家でビデオを見直して、この場面!使える!と嬉しくなったのを、昨日のことのように覚えている。
9月2日(土)
「文学国語」を10冊注文したら、在庫のないものがあり、取り寄せるので1~2週間待ってください、という返事。とりあえず在庫のあるものを第一便で送ってもらう。東京書籍701、大修館705、第一学習社710、桐原書店711の4冊が届き、この一週間で701、705を読了。今710を読んでいる。二週間あれば四冊読める。とりあえず送ってもらったのが、大正解。
やはり、買って手元においておくと何かと便利。701には、井上ひさし「父と暮らせば」が載っていて、改めて読んで感動したが、でも何かひっかかる。そこで、書庫から『父と暮らせば』を引っ張り出し、教科書と並べて比較。かなりの箇所、省略や改編を発見。広島女専の昔話研究会や、父のラブレター、エプロン劇場、木下青年からの岩手の実家への同行の誘い(求婚)、宮沢賢治、などが消えていて、立体感が損なわれていた。やはり、原作にあたることは必要だなあ、と再認識。
こんな比較は、家だからできた。教科書に直接、ここ省略あり、と書き込めるのも、自分のものだから。教科書センターではコピーもできないからなあ。
8月24日(木)
連日の猛暑に、自衛のため、教科書センター通いを休んでいるが、このままではいつ再開できるかわからない。そこで、広島教販から教科書をいくらか取り寄せることにした。どれをどのくらいと、いろいろ考えて、アンソロジーとしても読めて面白いものを、と「文学国語」をまとめて10冊注文。
昼からは西宮のジュンク堂へ。井上ひさしの『芝居の面白さ、教えます 日本編』、金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』、『教師の仕事がブラック化する本当の理由』の3冊を購入。
8月15日(火)
台風が近畿を直撃しそうだという予報なので、昨日は午前中に二日分の食料買い出しに出かけた。関西スーパーに行って、びっくり、人、人、人。大晦日以上の混雑で、レジの列が、見たこともないほどの長さだった。
10日(木)から、ゆうすけ一家が帰省しているので、食料も前持って買い込んでいたのだが。
今日は一日、おこもりの日だった。けいちゃんとゆうすけと三人でオセロをやった。けいちゃんが優勝。けいちゃんは夏休みの宿題を持って来ていて、それをやっていたが、なんと「あいうえお」をタブレット(学校からの貸与)で練習していた。
8月10日(木)
昨日から、『高校生と文学作品を読む』の大学への寄贈を始めた。二年前に『藤本卓教育論集』を寄贈した時の資料をもとにして、コツコツ一校ずつ寄贈の問い合わせメールを送っている。メールを送って、30分もしないうちに、受け入れます、と返事をくれる所もあり、昨日四校、今日四校に郵送した。
二年前の対応も見て、問い合わせ先を絞っているし、このペースなら、8月中に予定の範囲をカバーできそうだ。
毎日、天気予報で35℃以上が続くので、8月中は教科書センター通いは中断することにし、目次をもとにして、作家作品別一覧を仕上げつつある。もうすぐ、詩人が完了する。結構地味な作業なんだよね。
8月6日(日)
藤原洋次郎さんから招待状を貰ったので、「藤原さん家展覧会10回記念 ザ・ゲスト 招待作家展」を見に、兵庫県立美術館原田の森ギャラリーまで行ってきた。塚口、9時30分で既に34℃。阪急王子公園駅から美術館までの7、8分がつらい、暑い。日ざしを避けて、傘もさして、会場まで歩く。
藤原さんの画風はまた変わっていて、なかなか良かった。二階で県展をやっていたので、それも見て回ったが、絵はもう一つ、写真におもしろいものがあった。
せっかくだから、三宮まで足を伸ばして、ジュンク堂へでも行こうかと思っていたが、危険な暑さなので、王子公園駅構内の自販機でアイスクリームを買い、ホームで食べて、一服。さっさと帰ることにした。
7月31日(月)
29日(土)に武庫川女子大に行ってきた。「論究の会」というグループに招かれて、『高校生と文学作品を読む』に対する質問に答えるためだ。まあ、質問の中心は「ブリコラージュ」という概念についてだろうと思うので、自分でも少し真面目に考えることにした。レヴィ=ストロースの『野生の思考』を引っ張り出してきて、資料作りをした。いい機会だから、ついでにこれまで単行本に収録していなかった原稿を集めて『授業のアルバム─高校国語教育実践アラカルト─』という冊子も作ることにした。ブリコラージュ通信№13もお土産用に持って行った。
行く前から心配していたが、外は34、35℃の猛暑、部屋はエアコンがきいていて、若い頃なら、「ああ涼しい」ですむのだが、もうこの年ではヒート・ショックが心配。デジタル温度計(無印良品で購入)を持参したが、どんどん室温が下がっていく。ついに22℃、もう危険領域だ。
午後1時から5時まで、4時間、そのあと懇親会という日程、大丈夫かと心配していたが、大丈夫ではなかった。
メンバー8名は全員、元高校教師で、兵教大の院出身者。年齢は僕とどっこいどっこいだから、ざっと平均70歳か。でもみんな元気だった。へたっているのは僕だけか。
2時間半ほど、冷やされて、(途中エアコン温度を上げていたが)、話し始めはエンジンがぬくもるのに時間がかかった。でも喋っているうちに体温上昇、気分高揚、あれこれしっかり喋った(と思う)。
懇親会はちょっと失礼して、先に帰らせてもらった。一時はどうなることかと思ったが、なんとか無事に帰り着き、体調も戻った、気分は家康伊賀越えか。僕の身代わりに旅行用の簡易スーツケース(布製・父親の唯一の遺品)が、討ち死に。もう20年ほど使っていて、何かの会合があるたびに、資料や本をいっぱい入れて、あちこち引きずり回したからなあ。
7月21日(金)
暑い日が続くので、温度差に気を付けている。急激な温度差、例えば7度の温度差に対して交感神経が過剰反応を示して、血圧が乱れるようだ。確かに、心当たりがある。これから1週間は34、35℃が続くので、エアコンはあまり冷えすぎないように気を付けたい。これまで25℃なんて設定にしていたけど、27℃か28℃にしようと思っている。
その27℃~28℃の部屋でコツコツ作業をし、ついに今日「現代の国語」の作家別教材一覧が完成。17冊の「現代の国語」の目次を整理し、それを使って集計した。これをもう少し整えれば、現場の先生の参考になるかな。
わかったことは、改めて書くが、一番の人気作は、山崎正和「水の東西」で、なんと12点。これは僕が高校生の時にも習ったように思うので、半世紀以上、教材として読まれ続けている。で、一社だけ「水の東西」ではない教材を載せている所がある。桐原書店は、「サイボーグとクローン人間 」を採っている。合計13点、山崎正和。
載せていない4点は、現国702(東京書籍・精選現代の国語) 、現国711(明治書院・精選現代の国語) 、現国712(筑摩書房・現代の国語) 、現国716(第一学習社・高等学校新編現代の国語 )。但し、三種類出している東京書籍は701、703には入れている。また四種類出している第一学習社は713、714、715には入れている。つまり、山崎正和を入れてないのは、明治書院、筑摩書房だけ。桐原は「水の東西」以外を入れた。
こんなことも一覧表にしてわかった。だから、どうだと言われると、困るけど。このことは改めて論じることにする。
7月19日(水)
三連休に、なっちゃん、かずき、げんきが帰省してきた。げんちゃんは教科書の「おむすびころりん」が上手に音読できた。かずきは68×35の計算ができた。暑い日が続くので、晩御飯を食べてから、三人で近所を散歩に出かけた。クジラ公園で、げんちゃんはセミの抜け穴やキノコを発見、かずきは拾ったスコップで砂場を掘っていた。
なっちゃんは職場の仲間と休み時間に縄跳びをしているらしい。
7月11日(火)
昨日は富山の黒田さんと二度目のZOOMミーティング。授業における「あど(あいづち)」のことを話したりした。読みきかせのことも少し話したので、そのあと久しぶりに高山先生のDVDを見直してみた。
大学生に公開授業する日、「わたしのワンピース」を読みきかせしながら、うさぎさんになったつもりで「わたしに似合うかしら」と読むと、前に坐ってた一人が「似合わへん」といったものだから、そのあと「似合うかしら」の度に「似合わへん」の子供の声が増え、最後は合唱のようになったという、何度も聞いた話。高山先生のあわてぶりが想像できて、やはり面白かった。
7月7日(金)
いつものように昆陽池散歩に出かけたら、天神川でヌートリア発見。大きなねずみかと思ったが、しっぽがまっすぐ一直線でとがって見えた。携帯で写真を撮ったけど、小さくて全然わからない。ガラケーの限界を感じた。
家の近くの「赤い中華」の解体工事が何日も続いている。松ヶ丘に引っ越して以来、ずっと前を通っていた店で、タクシーでも、言えばすぐにわかる建物だったのに、寂しい限りだ。
7月5日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行く。教科書の展示会は月曜日までだったようだ。係の松浦さんに聞くと、高校の先生は一人も来なかったとか。まあ、そうだろうなあ。だから、この資料室の新しい高校国語教科書を読んでいるのは僕だけということになる。考えようでは、ここは僕の第二の書斎みたいで、贅沢、贅沢。
夜20時から、富山の黒田圭さんとZOOMをやる。『高校生と文学作品を読む』の最初の「あどがたりとブリコラージュ」の感想や質問から、話はどんどん転がって、大江健三郎の「セブンティーン」真木悠介の話にもなった。真面目な話をこんなにしたのは、久しぶりだ。黒田さんの希望で、これから『高校生と文学作品を読む』を前から順に一つずつ、話し合おうということになった。
6月27日(火)
今日はあらかじめ2つ課題を設定して、尼崎市立教育総合センターへ行った。一つは数研出版の3種類の「現代の国語」のグラフ、図表の比較。もう一つは「論理国語」に載っている本居宣長、福沢諭吉、中江兆民の文章を読んでみること。そのほか、気になる教材を読んでメモをとっていると、あっという間に、3時間半過ぎた。
夕方、何か体調がおかしいので、血圧を測ってみると190あった!やはりクーラーのあたりすぎか。資料室はよく冷えていたからなあ。これも一種のヒートショック(夏バージョン)らしい。でも、布団をかぶって静かに寝ていると、6時ごろには130台に下がって、夕食も食べられた。これから暑くなるので、くれぐれも冷房に注意。寝る前の温度設定も、こころもち上げて、風量も静かにしておいた。
6月24日(土)
教科書に掲載されている作家・作品別一覧を作っている。これまでに「言語文化」(詩歌、古典は除く)、「文学国語」(詩歌は除く)をやってきた。
今日、ようやく「論理国語」を完成。これが大変な作業だった。A4で13枚。この一覧があれば、人気作家、作品は一目瞭然。で、速報として発表。「論理国語」13点の教科書を調べて。野矢茂樹11、鷲田清一11、丸山真男10、内田樹8、清岡卓行8、岩井克人7、大澤真幸7、宇野常寛6、河野哲也6、長谷川真理子6、若林幹夫6、高階秀爾5、夏目漱石5、以上が5点以上でした。
まあ、これは点数だけなので、例えば丸山真男は「であることとすることと」、清岡卓行は「ミロのヴィーナス(手の変幻)」、夏目漱石は「現代日本の開化」に集中しているが、それ以外の著者は、作品がばらけている。(つまりまだ定番教材にはなっていない)
それにしても、教科書の収録作品数が多いので(これは短いものが多いということでもあるが)、集計するのが一仕事。
次は「現代の国語」に取り掛かる予定だ。ふう~。
6月22日(木)
望月さんからの連絡については少し訂正。相良先生が今度の学会で発表するのは、別のテーマらしい。従って卓さんが国際的に有名になるということは、まだなさそうだ。でも、相良先生が卓さんに強い関心を持っていることは確かなので、『大学生を育てる』や『藤本卓コレクション』など、手元にある資料は全部望月さんに託して、オーストラリアに運んでもらうことにした。
尼崎市立教育総合センターでは、今教科書の公開展示会が開かれている。係の方から、高校国語で今年度一冊だけ新しいものが加わりました、と教えてもらった。東京書籍の「国語表現」(国表702)だ。早速読んでみたら、なかなか意欲的で新しい試みもあった。例えば、インタビューのやり方なども、立体的に書かれていて、具体的なインタビューの例も二つ載っていた。YOASOBIと高梨沙羅。なんだか教科書というより、雑誌のような感じだ。
ユーチューブでYOASOBIの曲を何曲か聞いてみた。現代風で悪くはないが、おじさんとしては、中島みゆき、吉田拓郎、前川清、八代亜紀かな、やっぱり。あ、あいみょんも贔屓です。
6月17日(土)
先日、高生研の望月さんから、メールが来た。オーストラリアのシドニーで教師教育学会があり、そこのシンポジウムで、相良先生が竹内常一先生と藤本卓さんのことを紹介してくれるらしい。相良先生は『藤本卓教育論集』を丁寧に読んでくださったらしい。編集者としては、嬉しい話だ。卓さんの写真も何枚か送っておいた。卓さんが国際的に有名になって、編集者としてのコメントを求められたらどうしよう。英語でスピーチはできないしなあ……(まあ、杞憂か)
6月12日(月)
今日は、長谷川さんと西宮北口で待ち合わせ、ジュンク堂の奥の喫茶店で、静かな声でいろいろ話した。わりと前から組合関係の席で顔を会せていたし、宝塚図書館の講演会にも何度も来てくれたし、主宰していた劇団の最終公演の前ぐらいから、案内をいただいて、ピッコロシアターに観に行ったり、長い付き合いのような気がしているが、直接二人で時間をかけて話すのは、今回が初めてだった。ついつい大学時代のことから始めて、あのことこのこと喋って、楽しいひとときを過ごした。トレーを返しに行ったときに、店員さんに何か聞いているので、何かと思うと、この店は、「一時間半以内」という制限があるらしい。長谷川さんはそのことに気づいていて、超過タイムのことを気にしていたようだが、僕は全く気がついていなかった。呑気坊主の本領発揮か。
そういえば、梅田七番街の喫茶店で、池田先生と久しぶりに再会して話し込んだ時には、お店の人がもう2時間たちました、と告げに来た。その店は2時間制だったらしい。それも全然気づいてなかった。
今日は帰りにつかぐちのローゲンマイヤーで、塩バターチョコクロワッサンを買って帰ったら、大好評だった。
6月10日(土)
ブリコラージュ通信の注文が3冊きて(こんなことは初めてだが)、手元の残りが4冊しかなかったので、ここは思い切って20冊増刷することにして、京都の製本工房に10営業日コースで注文した。予定では15日に届くはずだったのに、今日届いた。おまけに1冊おまけが入っていた。そんなに急ぐ必要はなかったし、その後3冊宛先不明でかえってきていたのだ。でもまあ、よしとするか。問題はこの手元の25冊をどうするかだ。まあ何冊かは寄贈先のあてはあるのだが、7月に帰省してくる娘と孫にやるという手もあるか。
6月8日(木)
昨日は人影すくない山奥へ行ったが、今日は満員の通勤電車を一本見送って、塚口から梅田へ出た。梅田から地下鉄御堂筋線でなんばへ、そこから千日前線に乗り換えて二駅。西長堀駅で下車。大阪市立図書館へ行く。行ってみると、人が間を開けて並んでいる。どうやらまだ開館前らしい。でもすぐに開いた。9時15分。自宅からここまで、ざっと一時間。
読書会は10時からだから、ちょっとOPACを使って本を探す。教科書を調べている関係で、出典の本を手に取って見たかったのだ。小熊英二の本を発見、教科書に載っていたグラフは、元の本にはなく、教科書会社がつけたものだと確認できた。
読書会の課題本は司馬遼太郎の『梟の城』。今回は特に発言することもないか、と思っていたが、主人公の葛籠重蔵は秀吉の寝所まで忍び込みながら、何故秀吉を殺さなかったのかについて、また熱く語ってしまった。絶対血圧が上がったに違いない。司書さんが、映画で、女忍者の木さるが途中で殺されるのが、…と話していたので、会が終わってから、やっばり葉月里緒菜を殺すのは納得がいかんよね、と言って大いに賛同された。
6月7日(水)
妹と一緒に、北摂の山の中にある池田メモリアルパークへ行く。
30年以上音信不通だった父親がなくなったとの知らせを受け、遺体を病院に引き取りに行き、葬儀社を手配し、妹と二人だけで骨あげまではした。それが2004年のことだ。その後10年ほどは、骨壺を裏の別荘(ライゼボックス)に置いていた。2014年に一人で手続きをして、ここの合葬墓に遺骨を納めた。この場所は僕以外、誰も知らないので、まあ妹ぐらいには知らせておこうかと思ったのだ。ほぼ10年ぶりに来たが、ずいぶんお墓が増えていた。洋風、和風、いろんな形の墓があって、樹木葬もあり、なんともふしぎな風景だった。会ったのは女の人一人だけ。静かで、人気のない場所だった。
5月31日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行く。いつも二階の事務室に一声かけてから三階の資料室にあがるのだが、今日は資料室で係の方といろいろ話しこんだ。毎週一度は来ることにしていて、でもなかなか作業ははかどらず、……。そのうちに、こんな面白い教材を見つけたとか、「現代の国語」という新しい教科書の特徴はとか、教材の所にQRコードがついていてそのリンク先にはこんなものがあってとか、喋り始めると、あれも言いたい、これも聞いてもらいたい、と気がつくと小一時間も喋っていた。
今日は、次に教科書を買うとしたら、何を買おうかと考え、筑摩の「文学国語」「論理国語」、三省堂の「新論理国語」「精選論理国語」などをざっと眺めた。
筑摩の「論理国語」(論国710)の「死の恐怖について」エリザベス・キューブラー=ロス/鈴木晶訳(新訳版『死ぬ瞬間』所収)を読んでみた。なかなか面白かった。 これは日本では1969年刊行の本で、当時ベストセラーになったものだ。今では、家族とともに暮らしながら家で死ぬことがますます難しくなっている。ロスは、自分が子どもの頃の体験を語りながら、次のように述べている。《子どもにしても、不幸があった家にいさせてもらえ、会話や議論や恐怖の仲間に入れてもらえさえすれば、悲しみのときでもひとりぼっちではないという気持ちになれるし、責任を分担し、共に悲しむことで慰めが得られる。そのことで徐々に心の準備ができ、死もまた人生の一部なのだということを学んでいく。これは彼らの成長・成熟にとって貴重な体験である。》
筑摩の「文学国語」(文国708)には、懐かしい、良い教材、例えば寺田寅彦「化け物の進化」、藤田省三「隠れん坊の精神史」、太宰治「水仙」などが入っている。この中に新しく入った津村記久子の「王国」(2020年『サキの忘れ物』所収)を改めて読んでみた。幼稚園児のソノミの想像を語った物語で、最後の一文「あなたがわたしの存在を信じている限り、わたしは現れる。」は感動的ではあるが、これは梨木香歩の初期短篇にも通ずるものがあり、津村記久子ならもっといいのがあるんじゃないかな、とも思った。具体的には何かなあ。
本当は、今日の課題は、「現代の国語」17点を全部見まわして、グラフを利用した教材にどんなものがあるかを一覧表にすることだったのだが、結局そこまでたどり着けなかった。こんなペースでいくと、一年、二年では終わらず、三年、四年かかるかも。
帰りに、つかしんのミニクロワッサンの店に寄る。うちの奥さんは、ここのカヌレを絶賛するが、そのおいしさが僕にはピンとこない。まあ、好みは人それぞれか。
つかしんの一階は、お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さんが並んでいて、市場の雰囲気、賑わいがある。今日は、特設コーナーに全国の道の駅のお土産が並んでいたり、刑務所受刑者制作品が販売されていたり、いろいろ小さな催しもある。見て回ると、なんとなく心が動き、浮き立つ。
5月25日(木)
ついひと月ほど前に電動自転車を買った。もっぱら奥さんが乗るためだが、今日はビバホームに買い物に行くために、初めて乗ってみた。自転車に乗るのは、一体何年ぶりだろう。伊丹は平坦な土地であまり坂はないから、電動自転車の力を感じるほどではなかった。
ビバホームで布の粘着テープを買って帰り、せっせとブリコラージュ通信の荷づくりをして、郵便局へ出しに行った。ざっと言えば、昨日20部、今日午前40部、午後40部で、全部で100部ほど送った。古い記念切手を、奥さんから買い、それを貼ったのだが、写楽から鉄腕アトムまでいろいろあって、なかなかにぎやか。郵便局の人から、きちんときれいに貼って下さって、と言われた。でも、さすがに奥さんの古い切手(50円、100円)は、これでほぼなくなった。
5月20日(土)
日本児童文学学会関西例会に参加するために、大阪府立図書館へ出かけて行った。『児童文学の境界へ』(2009)を準備していた頃、つまり夜間定時制高校で働いていた頃、よくこの図書館を利用した。
もう高速道路を走るのはきついので、塚口、梅田、本町、荒本と、阪急電車と地下鉄を乗り継いで行ったのだが、荒本の駅を出て、びっくり。東大阪市役所と大阪府立図書館の東側の広い一帯が更地になっていた。ここには商業施設があり、中に関西では珍しかったカルフールもあって、その商品の物量に感心したものだった。いつ消えたのか、隔世の感あり。
図書館へ寄贈をして、食堂でカツ丼を食べる。
併設の国際児童文学館を覗く。昔、万博の敷地内にあった頃、何度か行ったことがあったが、規模が全然違う。
学会は二階の多目的室であった。この部屋は、確か視聴覚ライブラリーの部屋だったはず。授業で使うために、「プロジェクトX」「注文の多い料理店」「わんぱく王子の大蛇退治」など何度か借りに来たことがある。でももう、視聴覚ライブラリーの時代ではないのかも。
学会では、「19世紀半ばから20世紀初頭における欧米の挿絵本に見られる花の擬人化表現」と「富安陽子作品における伝承と開発」という二つの研究発表と、畠山兆子先生(梅花女子大名誉教授)の「子どもの文学・文化研究に携わって」という講演があった。参加者は60人ほど、男性は4名だった。
畠山先生は、長い間関西学会の会長をされていて、例会も梅花女子大で開かれていた。その関係もあり、何度か梅花女子大に足を運んだことがある。
5月15日(月)
昨日は、伊丹で開催された春風亭一之輔の独演会に、奥さんと二人で行ってきた。800人ほどの大ホールで、右耳が悪いこともあって、七割くらいしか聴き取れないのが残念だった。でも、一之輔の古典落語の膨らませ方がよくわかった。「天狗裁き」について言えば、やっぱり桂米朝さんの演じ方の方が僕は好きです。休憩時間に河野先生と会った。
5月11日(木)
大阪市立中央図書館の「読書会」に出席。今日は見学のつもりで、あまり喋らないこと、と自戒していたが、……。終わってから、司書の人に読書会について、いろいろ質問。どうやって課題本を決めているのか、本はどうやって集めているのか、司会、書記は順番か、いつ頃から読書会をやっているのか、参加人数は、他の市立図書館でも読書会をやっているのか、…。天王寺図書館では、児童文学、長編、など読書会のグループが三つあるらしい。
5月9日(火)
ブリコラージュ通信の原稿作りが一段落したので、7日(日)には、大阪市立中央図書館へ出かけて行った。HPに読書会の事が載っていたので、参考にしようと思ったのと、この機会に寄贈しようと考えたのだ。
今月の課題本は今村夏子『星の子』だそうだ。参加申し込みをすると、課題本を貸してくれた。大阪市立阿倍野図書館のラベルが貼ってあった。大阪市立図書館は数が多いから、きっとあちこちからかき集めて、参加者に貸しているのだろう。
帰りに難波へまわって、ジュンク難波店へ行ったら、ドン・キホーテに変わっていた。何か既視感があった。そうだ、何年か前にも、ここに来て、ああジュンクがドンキに変わっている!と驚いたことがあった。その驚いたことを忘れて、また同じことをしている。
昔は、難波にも時々来ていた。道具屋筋へ、もちつきの道具一式(臼、杵、餅箱)を買いにきたり、電器街で何やかや買ったり、ついでにジュンクにもよく行ったものだ。
5月6日(土)
ブリコラージュ通信の原稿を宅配便で送った。ようやく13号完成。
昨日、5月5日に、あとがきを書いたのだ。一部公開。
《……と、ここまで書いてきて、新聞を見ると、こんな記事が載っていた。
「川上弘美さんに仏芸術文化勲章
作家の川上弘美さんが3月31日、フランスの芸術文化勲章「オフィシエ」を受賞したと在日大使館が発表した。
川上さんは1958年生まれ。94年にデビューし、96年に「蛇を踏む」で芥川賞、以降、多くの作品を発表し、約10作がフランス語に翻訳されている。とりわけ、谷崎潤一郎賞を受けた「センセイの鞄」(2001年)は谷口ジローさんによる漫画版とともに親しまれているという。」(朝日新聞)2023年5月5日朝刊
あまりのタイミングにちょっとびっくり。『センセイの鞄』について話してくださいと、フランス大使館から依頼がきたら、どうしよう。》
5月5日の偶然!!
ちなみに13号のタイトルは《『センセイの鞄』の中を覗いてみると》です。
4月21日(木)
宝塚市立図書館の大畠さんから連絡が来て、来週新しい行事の打ち合わせに行くことになった。10年続けてきた「市民のための現代文学講座」を終了したあと、読書会、ブックトークのようなものをやりたいという館長さんの意向で、少し手伝うことにしたのだ。でもどんなことができるかな。
ブリコラージュ通信№13の見通しが立った。全部で200頁ほど、5月のGW明けに発注して下旬には出来上がり。これから、原稿を推敲して、削る作業をするつもり。
4月7日(金)
藤原さんの二人展があるので、三宮に出かけて行った。ちょうど今日は、文芸雑誌の発売日なので、駅前のジュンク堂まで足を伸ばし、四誌購入。どれも大江健三郎の追悼特集をしているので。
展覧会にことよせて、舞子高校時代の同僚数人に声をかけたら、船曳くんが来てくれた。三人で、香港茶楼で夕食、飲み会を。45年前に戻ったようだった。
元町から三宮まで高架下を歩いたら、随分様子が変わって、おしゃれな店が増えていた。
3月31日(金)
28日(火)に、「世界をつなぐ国語科実践研究会」に参加するために、立命館高校へ出かけて行った。
講演は立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所の後藤文男さんの「白川文字学と漢字教育」で、これは話がめっぽう面白かった。「飛」という漢字の元のものが、鳥を上から見た形で、しかも頭の所は横から見たもの、つまり一つの文字の中に別の角度から見たものが組み合わされていた。「飛」は鳥をピカソ的に捉えたものだったのか!(この翻訳は藤本)しかも鳥が飛ぶ木造りのおもちゃまで見せて下さった。
一番前の右の辺りで、しきりにうなづいて聞いていたので、(つまり「あどを打っていた」ので)、先生もどんどん話に力が加わり、実にいい雰囲気だった。話慣れた話ぶりで、話芸の域に達していた。あんな風な語り方に憧れるが、僕の場合はたいてい一回切りの話だからなあ。
報告①の「扇の的」の群読の授業報告は、実際の中学生の群読の様子をビデオで三つ見せてくれたが、生き生きとしていて、今風で感心した。6、7人が途中で高くなったり、低くなったり(かがみ込んだり)、あるいは並び方を変えたりしながら、群読するのだ。まさかフォーメーションを変えながら、パフォーマンスするとは思いもしなかった。報告の先生の話では、生徒たち自身のアイデアのようだ。
報告➁の「クアッド」、やっぱり川合先生は演劇部の顧問で、オンラインでの報告だった。これはまだ授業ではやってなくて、どうしようかと思案中で、今日は演劇部の生徒の協力でパフォーマンスをやる、という。45分前に台本を渡し、部員たちはそれを読んでどう演じるかを考え、やってみる、というもの。一体どうなるのか、という緊張感、臨場感はあった。やったあとの部員にインタビューをしたりしていて、面白かったが、ちょっと食い足りなかったので、ついつい質疑応答で長々と喋ってしまった。血が騒いでの発言だったが、たぶん血圧も上がったことだろう。健康のためには良くなかったかも。川合先生とはゆっくりと話したかった。予習もしたし、公園で実際に歩いたりして、身体で経験しようとしたんだぜ。
3月30日(木)
今日は天気もいいし、サクラも満開。ビデオカメラを片手に撮影に出かけた。天神川沿いを西へ歩き、橋を渡って、あそか苑の満開の桜を撮り、東へ東へ、土手の菜の花もカメラにおさめ、いろいろ構図に凝ってあれこれ撮った。昆陽池公園の散歩道も収め、池のカモも。とにかく、いつもの散歩コースを撮りまくり、サクラに飽きたらも花壇の花も、…。久しぶりに映画好きの心が騒いだ。それにしても、改めて音のうるささに閉口した。車、飛行機、道行くおばさんの話声、普段はあまり気にしないが、カメラのファインダーをのぞくと、音が聞こえてくる。画像を再生した時のことを想像すると、騒音は避けたい。やっぱりね、きれいなサクラ、静かに眺めたいじゃないですか、みなさん。
3月26日(日)
今日はZOOMでひらどへ。
壱岐の先生から転勤が決まった先生を見送りにいく、という話を聞き、「離島」なんだ、と思った。長崎の先生は、一度は離島を経験するそうで、昔は5年とか7年とか。でも段々、生徒数減等で、それも崩れてきているらしい。
あと、最初の授業で何をするか、「授業びらき」も話題になった。自分は何をしたかな、と考えたが、あまり意識的な「授業びらき」はやらなかった、ように思う。
そうそう、「君は何か国語を話せるか」と問いかけることはやったなあ。そのあと、世界には何種類くらい言語があるか、というクイズにつないでいった。文字は何種類?
3月23日(木)
先週の土曜日から、北九州の息子一家が伊丹に帰ってきている。けいちゃんは今は「仮面ライダー」にはまっていて、今日も「ライダー図鑑」を見ながら絵を描いたり、ライダーの曲で踊ったり……。鉄道から興味が移ったようで、一時はこのまま大人になっても電車を追いかけて日本各地をまわるようになるのではと思っていたが、そうはならないようだ。
でも、昨日は尼崎市立教育総合センターに行くついでに、JR塚口駅へ、けいちゃん父子を連れて行った。そこからJR伊丹駅まで二駅、福知山線の電車に乗るのだそうだ。まあ、鉄道好きのしっぽはまだ残っているみたい。
3月18日(土)
広島教販から、旧課程の教科書14冊(12点)を取り寄せた。新しい教科書の変化を探るためには、旧課程の教科書との比較も必要だなと思ったからだ。尼崎市立教育センターの係の方にたずねると、古い教科書は別の建物で保管していて、言っていただければ用意します、とのことだったが、それはちょっと気が引けるので、とりあえず自分で何冊か買うことにした。
ネットで見つけた教科書販売会社広島教販に、現在も入手できるものを注文。
それにしても教科書は安い。国語表現は409円、国語総合は932円。しかもどこの教科書会社のものも同一価格なのだ。
毎晩、フォークナーを読む前に、軽く教科書の二、三編を読んでいる。昨日は、柳澤桂子の「命はだれのものか」と内田樹の「なぜ私たちは労働するのか」のあと、『アブサロム、アブサロム』(下巻)Ⅷ章を読んだ。『ポータブル・フォークナー』のおかげで、フォークナーが無理なく読めるようになっている。
3月11日(土)
立命館高校の内田先生から「世界をつなぐ国語科実践研究会」の案内が届いた。発表の中に、「ベケット『クワッド』を使った授業への挑戦の報告」というのがあり、これは何だろう、と思った。
そこで伊丹の図書館で、新訳ベケット戯曲全集を借りてきて、『クワッド』を読んでみたら、セリフなんか一つもなくて、「各プレーヤー(1、2、3、4)は決められたエリア内に特定のコースを辿って歩行する。エリア 各辺の長さが六歩分の正方形。」とあって、正方形には二本の対角線が引いてある。それぞれの登場人物の歩く順が指示してあり(一人で、二人で、三人で)、ライトやパーカッションについても注文がついている。これは一体何なのだ。
動きのプログラムなのか、今ならコンピューターで、四つの点の動きを指示通り描くことができるだろうけどなあ。
とにかく、これを教材にどんな授業をやったんだろう。
発表者は関東第一高等学校の河合智さん。それでネットで検索してみると、演劇部が作ったという「学校紹介」にヒットした。17分ほど、劇仕立てにしてあり、なかなか面白い。最後まで見て、エンドロールで脚本河合智と出て来て、そうか、演劇部の顧問の先生なんだとわかった。そういえば、部室の教室の床にベケットの正方形が書いてあったような気がする。
報告を聞くのが、ちょっと楽しみ。
3月8日(水)
尼崎市立教育総合センター通いは続く。今日は「現代の国語」を読もうと、棚から出してきて、八社十七冊の「現代の国語」を机に並べた。東京書籍は701「新編現代の国語」、702「精選現代の国語」、703「現代の国語」の3点を出している。
現国703は、大きく2つの部分に分けることができる。
⑴読解編+付録1教材編…これは評論中心の現代文
⑵探求編+付録2資料編…これは国語表現+便覧
これで見る限り、「現代の国語」には国語表現が流れ込んでいるという、僕の推理は証明されたようだ。
3時間ほど資料室に籠って、一時過ぎに帰ろうと外に出ると、何やら華やか。色とりどりの着物がざっと三、四十。なにごとかと思ってよく見ると、はかま姿で、どうやら卒業式らしい。このセンターの敷地内には、いくつも建物があり、立看板によると、医療看護専門学校の卒業式があるらしく、みんなが一つの建物から、別の建物への移動中だった。
さっきまで、教科書に掲載された「移動等円滑化のために必要な特定公園施設の設置に関する基準を定める省令(平成十八年国土交通省令第百十五号)」 なんて灰色の文章を粛々と読んでいたので、解放感に満ちた別の世界に触れ、他人事ながらこっちもほっとして、ああ春だなあ、と思った。
2月28日(火)
今日は、朝から宝塚のパンネル中山寺で食パン1本、ブドウパン半本、ゴマパン一袋を買い、昼からは伊丹市立図書館でフォークナーを借り、尼崎市立総合教育センターで教科書を読み、帰りにつかしんで八百屋さんとミニクロワッサン屋さんで買い物をし、帰ってから風呂を洗い、夕食にチキンカツを作り、なかなか忙しかった。車がなかったら、これだけ動き回れないよなあ、と思った。
暖かくなって、久しぶりに窓を開けて車を走らせた。もうすぐ春だ。
2月26日(日)
長崎県平戸市へ行ってきました。と言っても、ZOOMでだけど。前回12月は、途中からこちらの音声が届かなくなって、聞くだけだったが、今回は最初怪しかったけど、何とか触っているうちにちゃんと声が届くようになった。
今日は国立大学の二次試験の日で、参加できない人もいたようで、僕を入れて3人の会になった。主宰者の森さんは、映像が映らなくって、声だけの参加になったが、まあ、話はできた。
最近、漢文不要論などが、あちこちで出ているようだが、それにどう答えるか、思い思いに話した。数学でも微分積分なんか、習っても使わないやんか、という話も出て、役に立つとか、何のためにこの教科をやるのかとか、今の高校生自身はあまりきいてこない(疑問に思わない)とか。途中からは、単元学習の話になり、僕からは今新しい教科書を全部読もうとしている(まあ趣味で)のだが、教科書会社もいろいろ工夫をしたり、新しい作品を探したりしていて、いろんな教科書を見ると勉強になるという話を出した。源氏物語でも、原文、与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、角田光代訳、橋本治の翻案などを並べている教科書もあり、僕は現役の頃、与謝野、谷崎、円地訳を比較する授業をしたことがある、「ようやく時代が僕に追いついて来たようだ」という話をした。
最近、授業の話なんかする機会がなかったので、楽しかった。会が終わってから、森さんとは二人で30分ほど話した。このサークルができた経緯とかも聞いた。森さんは、作詞作曲もやり歌手活動もしていて、今もライブ活動をしているとか。(昔、作詞作曲したものがレコードになったようだ。)
2月22日(水)
毎晩、寝床でフォークナーを読んでいる。『ポータブル・フォークナー』は本当にいい本だ。フォークナーという作家の凄さがわかる、いい編集になっている。短篇中心、長編の一部掲載、小説舞台の時代順、これが学生時代にあったら、たぶんフォークナーの長編をきちんと読めただろう。八部編成の七部の終りまできたが、読み終わるのが勿体ない。
先週、尼崎市立教育総合センターに『高校生と文学作品を読む』を寄贈したら、早速、貸し出せる手続きをして、入口の一番目立つ所に、新着本として飾っていてくれた。
今日読んだ中では筑摩現代の国語のブレイディみかこ「誰かの靴を履いてみること」、数研言語文化の田宮虎彦「沖縄の手記から」が面白かった。
新しい教科書の目次は全部集めたが、旧課程の教科書の目次を見なければ、比較できないなあ、と考えて、手に入るだけのものを集めた。でも、旧課程の教科書の資料をもう載せてない会社もあるので、完全ではない。
デジタルカタログは、スクリーンショットを使い、それをコピーしたうえで編集して、印刷。必要があって、初めて技術は身に着く。(忘れていたけど、何度もやっていて思い出した)
「現代の国語」には「国語表現」の内容が流入しているようだが、「プレゼンテーションをしよう」とか「ミニ討論会をしよう」とか「ショートスピーチをしよう」とか急に言われても、高校生は困るだろうなあ。
2月15日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行ったら、はしご車が建物の屋上付近まではしごをのばしていた。一体何事かと思って近づくと、消防隊員が二十人ほどいる。車も数台。
二階の受付に行くと、今日は防災訓練の「準備」の日とのこと。お昼前にベルが鳴るけど、訓練の前の確認だから、心配しないでください、と言われた。
三階の資料室に籠り、「現代の国語」「言語文化」などの教科書をチエックしていると、放送が入り、これからベルが鳴りますが、これは訓練のためのものですから、と断りが入った。ベルはちゃんと鳴った。めでたし、めでたし。訓練の訓練が必要なんだ。??
今日読んだ中で、多和田葉子の「月の誤訳」(三省堂精選言語文化)というエッセイが、短いけれどなかなか面白かった。奥の細道の冒頭「月日は百代の過客にして…」とか「雨月物語」という題名をドイツ語の翻訳本でどう訳しているかを紹介しながら、言葉の孕むイメージについて語っていた。そうだよね、「月日」を《時間》と訳したのでは落ちてしまうものがあるよね。
三崎亜紀の「公園」(第一学習社高等学校標準言語文化)という短篇小説も面白かった。子どもの死亡事故があってから、公園の管理がどんどん厳しくなって、今では一つしか残っていなくて、そこに入るには誓約書を書かなくてはならない、というなんとも不条理な世界。安部公房の現代版のようだった。
それにしても、現代の国語17点、言語文化17点、論理国語13点、文学国語11点、合計58点の教科書を全部読破するのは、ひょっとすると六甲全山縦走よりも大変なことかもしれない、と思う今日この頃。
2月14日(火)
ブリコラージュ通信№13に、宝塚図書館での文学講座10年を振り返って、という原稿を載せようと思って、思い出しながら書いている。開高健の話をした時に、パワーポイントで開高健の写真を映したけど、参加者の中にそのポスターを作った人がいて、挨拶されて驚いた。あれは、どんな写真だったか、確かめようとして、ファイルを探したが、見つからない。
そこで、ポンコツの四代目パソコンの中になら、残っているかもと思い、探してみた。立ち上げるのに時間がかかったが、見つかった。「大阪市立大学創立130周年記念 生誕80年 開高健展」というものだった。パワーポイントを見てみたら、開高健記念館も出てきたりして、よくできている。我ながら感心した。
ついでに、宝塚の講座で作ったパワーポイントのファイルを整理して、USB、五代目、ポータブルディスクの三か所に同じものを残した。この作業でこれまでの仕事をちゃんと整理することの大切さがよくわかった。いつも、その場かぎりで、作業していて、あとで見かえすことを考えてなかった。
探している途中は、あれ?津村記久子の回の分がない(これはポータブルディスクのいずみわくわく講座の中にあった)とか、どうしようこの前やったばかりの、堀江敏幸、絲山秋子、伊藤比呂美がない!!とか、探しまくったが、結局10年分、24回分、全部あった。
せっかく作ったパワーポイントのスライド、どこかで上映会でもするか。
2月8日(水)
教科書を常設展示している尼ヶ崎市立教育総合センターへ出かけた。産業道路を南に下り、JR塚口駅、ピッコロシアターあたりで、東へ曲がり、JR線を超えて、東へ向かう。
三階の教育資料室は、電気はついているが、誰もいない。一応月曜日に電話はいれておいたので、部屋に入り、ぐるっと見て回る。教育関係の図書も結構ある。教科書を置いてある場所を見つけたが、小・中だけ。ここにもないのか、とがっかり。まあ、挨拶はして帰ろうと思って二階へ。担当の方に挨拶をすると、改めて案内してくれて、高校の教科書は別の場所においてあるとわかった。早とちりして、帰らなくてよかった。
好きなだけ見てください、ということで、暖房もつけてくださった。宝の山に入った感じだ。平成5年度から使用する「文学国語」(2・3年選択)を中心にチェックしていったが、おもしろくて、あっという間に、2時間たった。
どんなことがわかったか、については改めてちゃんとまとめるつもりだが、数研、三省堂、大修館などはカラーページ、ビジュアル化、読書案内の試み、など、まるで「国語便覧」かと思った。三省堂は池田理代子のマンガ竹取物語が3頁分ある。数研は、源氏物語の現代語訳3人分(与謝野晶子、谷崎潤一郎、角田光代)+原文+「窯変源氏物語」(橋本治)という「源氏三昧」ぶり。
つかしんでミニクロワッサンを買って、家に帰ると、奥さんが何やら興奮している。なんでも、伊丹市の企画に応募して子ども用机(3万円相当)が当たったとか。地域振興の一環で、5000円分のレシートを写真で送ればいいらしい。で、ビールを買って、写メールで送ったら、机があたった。先日は、ビールを買って、応募したら、A賞(ZOOMでどこか案内してもらうらしい)、B賞(ビール詰め合わせ)、連続で当選したとか。
あたるとは思わなかったといいながら、あちこちこまめに応募している。これで運を使いはたしたかなあ、などと言っているが…。
何せ、昔、お米屋さんに貰ったお米券で、スペイン旅行を当てたこともある人だからなあ、強運というか、なんというか。
2月4日(土)
古いテープの話(続き)
テープからUSBへの録音作業は5分の3終わった。あと90分。この時の中高部会は、午前中にオリエンテーションと尾崎先生からの報告・提議があり、午後から討議だったようだ。司会者が、午後4時を目途に、と言っているから、たぶん1時から3時間、テープ180分、計算が合う。
で、午後の会場からの質疑・意見が始まって、最初に発言しているのが、どうも僕のようだ。テープの声が比較的聴き取りやすい。これはぼくが自分の机の上にカセットテープ機を置いて喋っているからだろう。話している内容も、いかにもぼくの言いそうなことだ。(今なら、もうちょっと違う角度から言うんだけどなあ)
なんだか、昔の場面(若い自分の姿)を覗いているようで、「タイムトンネル」(子どもの頃にそういうSF・TVがあったなあ)を思い出した。
司会が、『季刊文学教育10号』に云々と言っているので、たぶん報告の骨子が文学教育連盟の機関誌に載っているのだろう、と判断。一度見てみたいと思い、国立国会図書館へ入って、検索をかけた。でもこの号は保管されてなかった。大阪府立図書館の横断検索でも、ヒットしない。それなら、古書で探すか、と検索すると、名古屋の古本屋さんにあった。1000円。注文し、お金も振り込んだ。たぶん、月曜か火曜には届くだろう。便利な時代になったものだ、と思った。
ところが、ところが、今日、自分の原稿が掲載されている『季刊文学教育』が、あると思っていた押し入れの古い雑誌箱の中にないので、裏のライゼボックスへ探しに行った。すると、そこに『季刊文学教育』のバックナンバー数冊があった。その中に10号もあった。1976年8月発行。第19回文学教育研究全国大会のものだ。報告者は尾崎洋右さん(千葉県立水産高等学校/本会常任委員)とある。たぶん、前年の授業(市立習志野高校)の報告で、この年転勤したのだろう。
ぼくは1975年に舞子高校で勤めはじめ、その夏、この全国大会(神戸)の手伝いをした。須磨の国民宿舎で宿舎係をした。中高の分科会では金井直の詩「木琴」の報告をした。今USBに移しているのは、その翌年の1976年録音のテープだったのだ。念のために古い授業ノートを見てみると、1976年4月に石川淳「アルプスの少女」の授業をしている。(テープ表面の録音はこの時か)
それにしても、また自分に言い聞かせるしかないなあ。
「ちょっと待て、この本(雑誌も)、家にあるのでは」
2月3日(金)
古いカセットテープの話。
舞子高校で「アルプスの少女」(石川淳)の授業の最後に、石川先生と太田垣先生にゲストで来てもらったことがある。その時のテープがあったので、見てみると、裏面については何も書いてない。それで何が入っているのかと聞いてみると、文学教育連盟(文教連)の夏の集会、中高部会のテープだった。習志野高校の尾崎先生(推定30代前半)が「不意の唖」の授業報告をしている。
『高校生と文学作品を読む』のあとがきに、《誰も実践していない作品が中心で》と書き、「不意の唖」も挙げている。ああ、これは完全に書き間違い(というか記憶の剥落)だった。何でこの作品を教材として使ったのか、自分でもよく覚えていなかったが、このテープを聞くと、尾崎先生の報告に刺激を受けて、自分もやってみようと思ったのだった、とわかった。テープは他にも2本あって、全部で、225分ある。今途中までUSBにおとしたが、聞きにくいこと甚だしい。夏休みの小学校が会場だったようで、子どもの遊ぶ声が入っている。たぶん1978年のこと。
2月2日(木)
自分で「高校国語教科書を探査する」というテーマを立て、あれこれ試行している。『高校生と文学作品を読む』を出したことの、後処理のようなものだ。
「伊豆の踊子」「バースディ・ガール」は新しい教科書でどうなっているか。ちょっと気になるじゃないですか。
「伊豆の踊子」は大修館の文学国語(文国704)に入っている。「バースディ・ガール」、中学の教科書から消えたようで心配していたが、三省堂の新文学国語(文国703)で高校教科書に採られている。
まず各教科書会社のHPから、目次を取り出し、それを改めて、リストにしていき(ワードで打ち込み)、教科書の実際の変化を探ろうとしているのだが、1年必修の言語文化(17点)、2年選択の文学国語(11点)がほぼ完了する。
目次だけではわからないから、いつかは実際の教科書を見てみなければ、と思っていた。
そこで、今日、宝塚総合教育センターへ出かけて行った。ここには、教科書の常設展示がある、とネットにあった。家から車で10分ほど。受付の人に聞くと、奥の方の部屋に案内してくれた。見て回ると、小学校と中学校の教科書はあるが、高校の教科書はない!!せっかく来たのだからと、宝塚市の中学校が使っている国語教科書(三省堂)をパラパラとめくってみた。
まあ、趣味でやっているようなものだから、いいんだけど。
1月28日(土)
卒業生の河村くんが自転車に乗って遊びに来た。最初うちの奥さんが自転車の置き場所など、対応していた。河村くん曰く、「娘さんかと思いました」。この一言で奥さんの喜ぶこと、喜ぶこと。
いろいろ話を聞いたが、大学時代に50日ほどかけて、アメリカを西海岸から東海岸まで一人で自転車で横断したらしい。
この後、同窓会の幹事会があるらしいが、そのあと飲み会があるとか。みんな、この4月以降順次、還暦を迎えることになる。教えていた頃は、みんなティーンエイジャーだったのになあ。
1月26日(木)
昨日は10年に一度の寒波とか、雪で鉄道、道路も止まったそうだ。今日は大丈夫そうなので、梅田の丸善&ジュンク堂へ出かける。
①『ポータブル・フォークナー』➁『編集者ディドロ』③『作家の証言』④『国語教育は文学をどう扱ってきたか』⑤『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』⑥『わたしのベスト3』の六冊を購入(合計二万七七七〇円)。
①については昨日書いた。
毎日新聞の年末の「2022年この3冊」という欄は自分の知らない分野の本を見つけるのに、とても信頼している書評欄だ。➁はこの欄で複数の人があげていた。ただこの『編集者ディドロ─仲間と歩く『百科全書』の森』は全八九六頁、五二八〇円、さすがにちょっと躊躇した。それで書店で実物を手にして、考えようと思った。手に取ると重い、あまりの分厚さに、ちょっとびびってしまった。これは寝床で寝ながら読めないかも。それでも、「はじめに」や、第一章冒頭を読んでみると、これは面白いに違いないと感じた。何より、著者鷲見洋一(すみよういち)氏の書きぶり、文体が、魅力的だ。
「本書はあえて「ですます調」を採用し、脚注なども一切付けませんでした。ディドロと『百科全書』に関するお堅い学術書ではなく、ディドロが愛した「対話」や「座談」の雰囲気を残す語り口でお付き合いいただきたいと願ったからなのです。長い道程になりますが、どうぞ宜しくお願いします。」
それで長い道程を付いていくことにしました。
③『作家の証言─四畳半襖下張裁判(完全版)』は、野坂昭如が被告人となり、丸谷才一が特別弁護人になった、文学をめぐる裁判で、証人として、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、中村光夫、金井美恵子、石川淳、田村隆一、有吉佐和子などが登場する。元になった本は、丸谷才一について書くために、伊丹市立図書館で借りて、部分的に読んでいたが、新しい版で出るのなら、と購入することにした。
それにしても、これから長丁場の読書になりそうだ。何しろ、①は850頁、➁は896頁だからね。でもこの2冊、実は厚さが随分違う。①はほぼ4センチ、➁はほぼ6センチ。頁数から考えて、これは紙の厚さの違いだろう。
1月25日(水)
『ポータブル・フォークナー』が面白い。フォークナーは何度も読もうとしては、挫折してきた。中上健次も影響を受けたというので、どうしても読まねばと意気込むのだが、ダメ。家に、何冊か文庫本があるが、どれもずっと寝ている。
『ポータブル・フォークナー』という本が出版されたことを知って、気になった。訳者は池澤夏樹、小野正嗣、桐山大介、柴田元幸、850頁を超える大著、6490円(税込)、買おうかどうか迷って、とりあえず、伊丹市立図書館にリクエストした。入りましたという知らせが来て、早速借りに行く。
読みやすい。解説がわかりやすい。あのややこしい、込み入った人間関係(家系図)が、無理なくわかるような、短篇のコレクションになっている。しかも描かれている時代順に並べてあるので、無理なく頭に入る。毎晩、一編ずつ読んでいて、第一部昔の人たち、四編を読了。特に「都庁舎」、「昔あった話」は声をあげて笑った。
これなら、たぶん850頁を読み切れるだろうと思い、自分で買うことに決めた。
1月19日(木)
昨日は歯科で、型どりをする。下の奥歯を抜くと、上の歯が伸びてくるらしい。それを止めるために奥の歯二本にかぶせものをする、とか。ほんまに、上の歯が伸びてくるのか、半信半疑で、やってもらう。
昼から、西宮のジュンク堂へ出かける。『謎解き「サリンジャー」』という本がおもしろそうなので、冒頭を読むと面白い。冒頭で「バナナフィッシュにはうってつけの日」に言及してあるので、これは読んだことがあるが、買わねばと思い、短篇集『ナインストーリーズ』を購入。他二冊、合わせて四冊、六千円にはちょっとだけ足りず。(三千円ごとに駐車場代が三十分無料になる)
エレベーターに乗って、地下へ下りながら、ふと、まてよ『ナインストーリーズ』、家に有ったのでは、と疑念がよぎる。
家に帰って確かめると、やっぱり、あった。昨日の今日で、もう!!「ちょっと待て、この本、家にあるのでは」これを、今年の標語にしよう、と思う。
1月18日(水)
昨日は眼科の定期健診日。駅前の眼科まで歩いて行った。約3キロ、35分。
家を出る時、待ち時間に何か読もうと、本を探した。ブリコラージュ通信№13のために《『センセイの鞄』を読む》という原稿を書いているのだが、なかなか書けない。書けない理由は、この作品の分析をしたのが、もう随分前だからだ。レジメも作って何度か講演もした。それがかえって書けない理由。論の骨子はあるのだが、やっばり読み直す必要がある。眼科には『センセイの鞄』の文庫本を持って行くことにした。で、書庫を探すと、なんと四冊あった!!分析用には元の平凡社版を使っていたのだが、文春文庫二冊、新潮文庫二冊、すべてブックオフの値札がついている。まあ、同じ本を買ってしまうことはたまにあるが、これはちょっといささか行き過ぎ。今、うちには『センセイの鞄』が五冊ある。
なんの気なしに、横を見ると、同じ所に川上弘美の『ゆっくりさよならをとなえる』の文庫本が二冊(どちらもブックオフの値札あり)ならんでいる。これは川上弘美の呪いか?それともブックオフの呪いか?
1月15日(日)
古いカセットテープを整理していて、名前のないのがあった。聞いてみたら、弾き語りの歌が入っていた。「朝起きたら、男の態度が変わってた」という冒頭、聞いたことがある。ネットで調べてみたら、歌っていたのは小林万里子さん。文学部で「ドストエフスキー連続講座」(7回)を実施した時の、下級生メンバーだった!そうか、歌手デビューしたばかりの頃に、知って録音したものか(?)その後どうしているのか、ネットで検索してみたら、今もあちこちで歌手活動をしているようだ。ライブ映像がユーチューブにいくつもあった。
ほぼ50年を経て、ネットで小林さんの活躍を知るとは思わなかった。まあ、これも古いカセット整理のご利益か。
1月12日(木)
古いビデオテープをDVDにする作業の新しい仕事。昔授業で使ったものや使おうと思って録画していたものの中で、若い人に紹介したいものをDVDにしようと思った。まあ、これも一種の形見分け。
で、まず吉永小百合が原爆詩を朗読しているドキュメンタリー「祈るように語り続けたい」(120分)とその続編「祈るように語り続けたいⅡ」(90分)をDVD化した。前者はヒロシマの被曝者たちの十二編の詩を日本で、後者はそれをアメリカで朗読するのをドキュメンタリーにしている。前者は一部を授業で使ったことがある。後者は録画したままで、今回初めて見たのではないかな(観たのを忘れているのかも)。
とにかく一日一つずつ、ダビングしながら二つを見た。改めて、志のある、いいドキュメンタリーだと思った。1997年、1999年制作。
1月9日(月)
古いカセットテープのコピー作業、今度はドストエフスキー研究会の連続講座にとりかかる。まず野口武彦先生の「悪霊及び悪霊ノート」の回。音が悪い。これは元々オープンリールの録音機でとって、数年後に、それをカセットにダビングしたもの。それを考えると仕方ないか。この回の最後の質疑応答で、司会のぼくが質問し、結構長く喋っている。でも音が悪い。
そこで考え直した。今回のプロジェクト(自分でたてた)では、一旦USBにおとして、それをCD化するつもりだった。でも音が悪いので、CD化はやめて、USB止まり、とする。それで、もし誰かにあげる時にはそこでCDにする。
で、とりあえず、カセットテープのコピー作業はここで一旦停止。次の仕事にかかることにする。
1月7日(土)
このグーグルサイトは、更新しようとして、下書きを書いていると時々、折り畳めなくなりました、と通告してくる。ちょっとした、タイプミスでなるのだと思うが、昨日もなった。折り畳めなくなった部分は、このページの一番下に移動。それを修復するのに、コピー、ペーストを繰り返す。昨日の場合は、2023年のページの最初の分だけだったので、まだよかった。
気をとりなおして、カセットテープの事故の報告を。ふたが開かなくなり、どうしてくれよう、とカッとなったが、CDラジカセをひっくり返すと、ねじがある。たぶん、これをはずせば、なんとかなるはず、と思い、左右二個のねじをはずす。正解でした。ふたをはずすことができた。問題はカセットテープを取り出すことだが、とにかく外に出した。予想通り、テープが機械に絡まっている。テープを切る。軸に巻き付いているテープをはずそうとするが、手が入らない。いろいろ角度を変えて、CDラジカセをひっくり返して、膝の上に抱きかかえるような形で、隙間から手を入れる。テープの端を指でつまみ、そろりそろりとひっぱる。どんどん軸からテープがはずれてくる。どこまで巻き込んでいるのか。慎重な作業の末、完全に取り除くことに成功。ねじを戻し、ふたの具合を確認。別のカセットを入れて、動かしてみる。異常なし。やった、成功。ふん、やればできる。昔、オープンリールの頃も時々、テープを巻き込んだことを思い出す。
で、結果元のカセットテープは使い物にならなくなり、島田先生の講義の最後の部分は結局、ダビングできないままに終わった。まあ、仕方ないか。47年前の声が90分は復元できたのだから、よしとしよう。
1月5日(木)
今年は手持ちのデータをコピーして、保存しようと思い、まずカセットテープに着手。
最初に、猪野健二先生の最終講義(1975年2月5日・水)に取り組む。90分の講義、先生は若干風邪気味だが、国木田独歩について語られていた。USBに移し、パソコンに取り込む。まあ、音質は悪いが、47年前だから仕方なかろう。
続けて、島田勇雄先生の最終講義(1975年2月8日・土)に取り組む。120分のテープの、前60分、後30分は猪野先生、そのあとに島田先生のを入れてある。まず30分、完了。そして120分テープはもう1本あり、その前面に島田先生➁が入っており、後面に島田先生③が入っている。一体何分の講義だったのかな、と思いながら、前面60分をコピー、これで合計90分。よし、裏返し、何分くらい入っているのか確かめようと、早送りして、聞くというのを何度か繰り返していて、急に声が変になった。あわてて止めたが、今度はカセットレコーダーのふたが開かなくなった!! ピンチ。
12月30日(金)
28、29日、二日かけて大掃除をした。キッチンの排水口をやり忘れたので、夕方やり始めたら、側面の汚れが凄い。こすると、黒い汚れの塊がどんどんとれていく。やっていくうちに水の流れが悪くなり、これではいかんと、どんどん水を流していくと、流れなくなった。ピンチ!!
ビバ・ホームへ。パイプクリーニング用のワイヤー(3m)を購入。組み立てて、排水口からワイヤーを差し込んでいく、つまった箇所を突くと、一気に水が流れ出した。
大成功。このあと、パイプクリーナー液を流し込み、待つこと30分。水で流す。完了。
いやあ、こんなキッチンの排水管のつまりは初めて。少しずつ少しずつ、汚れがこびりついていたのだなあ、と10年前に心筋梗塞でカテーテル手術をした時のことを思い出した。
12月26日(月)
古いビデオテープをDVDにする作業をぼちぼち始めた。県立伊丹高校の学園祭紹介のものなど、今ではお宝だ。
ついでに古いカセットテープもCDにするかと思い、CDラジカセ(USBやSDカードに録音可)を購入。
200本以上あるカセット(その多くは中島みゆきだけど)のうち、希少価値のあるものはCD化する予定。大学時代の猪野健二先生や島田勇雄先生の講義もある。別役実氏を県伊丹に招いての講演会のテープもある。ドストエフスキー講演会も七回分全部ある。ほぼ半世紀前の声の復元!
12月21日(水)
久しぶりに梅田へ出る。堂島アバンザのジュンク堂書店へ行く。ここは昔よく来ていたのだが、阪急梅田駅近くに丸善&ジュンク堂が出来てからは、もっぱらそっちへ行っていたので、もう何年ぶりだろう。2時間以上、見て回りいろいろ買った。リュックで担いで帰ったのだが、あまり重いので、家で量ったら、4㎏ほどあった。8000歩以上歩いた。体力的には、今は、これぐらいがせいぜいかな。
12月15日(木)
県立伊丹高の卒業生の宮北裕美さんから便りが届く。個展の図録が入っていた。ダンスからパフォーマンス、更にインスタレーションと活動の幅を広げていっているみたい。
それで、思い出したことがある。国語表現の授業、聞き書き・仕事の話をきくの時、卒業生の吉田くん(JR車掌さん)をゲストに招いた。代表してインタビューした二人のうちの一人が宮北さんだった。そこで、作業机の下にしまい込んでいた古いビデオテープを引っ張り出してきて、それをDVDにダビング。京丹後に送った。
それから、昔撮影した、古いビデオテープ(学園祭、職員劇、公開授業など)を何本か見直している。
12月11日(日)
ZOOM練習会2日目を終えて、家で復習。バーチャル背景に昆陽池の写真を入れてみた。出来た、出来た。どこかで実際にやってみたいけれど、相手がいないなあ。国語サークルひらどの次の例会は来年1月末だし。
12月10日(土)
ZOOM練習会というのが、伊丹市の市民まちづくりプラザ(スワンホール)で開かれると市報で知って、申し込み、今日行ってきました。
どうやら、前にもやっていて、今回は「ホスト編」とか。ZOOMミーティングを主催したい人のためのものだが、とにかくZOOMが少しでもわかるようになれば、と参加。定員は9名で、無料だったが、スタッフも結構いて、気軽にわからないことが聞けたので、良かった。
明日もある。マスターしたら、ZOOMミーティングを主催しようかな。
12月5日(月)
『高校生と文学作品を読む』の新刊案内のチラシを作り、あちこちに配っている。
全教高教組19支部に送った所、富山県支部から返事があった。それで見本として『高校生と文学作品を読む』を送った。教文担当の黒田さんと、何度かメールのやりとりをしているうちに、すっかり知り合いのような気分になった。黒田さんは『藤本卓教育論集』まで、アマゾンで購入してくれたらしい。ありがたいことだ。僕の国語教育関係の旧著何冊かを寄贈した。
10年ぶりに本を出して、それまで全然知らなかった人と連絡をとるようになるとは、思ってもいなかった。千葉、長崎、富山、…。
ジュンク堂新潟店からも反応があった。
11月27日(日)
「国語サークルひらど」の例会に行ってきました。ZOOMで参加、最初はちゃんとつながっていたのに、途中からこちらからの声が届かなくなって、もっぱら聞くばかりになりました。報告は清岡卓行の「手の変幻」でした。今回は森さん以外は女性3人(もう一人いたかも)。久しぶりに、高校現場の先生の声が二時間聞けてよかったです。報告者は壱岐の島から。みんな離島にいるらしい。こんな時にはZOOMは便利。でも尼崎の産業郷土会館で兵庫文学教育の会をやっていた時は、報告以外、あれこれ無駄話や脱線話、井上先生がポットで持ってきたコーヒーをいただいたり、その他の交流が結構あったなあ、と昔を思い出しました。
11月26日(土)
宝塚市立図書館の「市民のための現代文学講座」最終回、「伊藤比呂美の世界」をやりました。2012年から始めたこの講座、全部で20数回になる。こんなに続くとは思わなかった。1年目のかいけつゾロリ、スポーツ児童文学、はちょっと別にすると、2年目からは現代文学作家を取り上げた。田辺聖子、丸谷才一/上橋菜穂子、水村美苗/川上弘美、村上春樹/森絵都、村田喜代子、津村記久子/谷崎潤一郎、開高健、梨木香歩/井上ひさし、中上健次、川上未映子/筒井康隆、金井美恵子、長嶋有/大江健三郎/堀江敏幸、絲山秋子、伊藤比呂美、で合計22人。
人に聞いてもらうために、再読し、考えをまとめる、という作業を繰り返してきました。毎年3カ月以上は、この講座のための準備に費やしていた。パワーポイントも使えるようになった。ユーチューブを録画して、映せるようにもなった。やっぱり、人に聞いてもらおうとすると、新しい事にもチャレンジできる。
今年は、司会の大畠さんにも途中で参加してもらい、会場からの発言も、交えて、少し立体的にやれたかと思う。
元気なうちにやめようと思っていたので、無事に最終回を迎えられて、良かった。
これからは、この講座を元にして、ブリコラージュ通信の「市民のための現代文学講座」を書いていく予定です。元々2年半で、10号分出すつもりが、10年たって7号分しか出せてない。あと3号はなんとしてでも出したいものだ。
ところで、館長さんたちと相談して、来年は、同じ時期に「ブック・トーク」の会を3カ月やろうか、という話も出ていて、その手伝いもすることになりそうです。
11月13日(日)
「国語サークルひらど」の例会を覗いてみませんか、と誘われたので、覗いてみることに決めたのだが、ZOOMは一度しか使ったことがないので、いささか心もとない。ちょっと練習しようと思って、アプリを開こうとしたら、二つアイコンがあった。あれ、こんなのあったっけ、と思いながら、それをクリックすると、ZOOMが消えてしまった。なんたることか、あれはアンインストールするものだったのか。
仕方がないので、一から始めることにした。ネットにはいろいろ初心者向けの情報があるので、それを見ながらZOOMをインストールし、アカウント登録もし、なんだかんだで、どうやらやれそうな感じにはなった。ZOOMミーティングのIDやパスワードも、教えてもらっているので、ちょっと実験。たぶん、これでできるはず。実際にはまだミーティングは行われてないから、画面は自分しかうつらないが。
まあ、それでも、こういうのは、実際の必要が生じないと、自分では手を出さないから、今回挑戦してみて、少しだけ賢くなった(はず)。
11月2日(水)
伊藤比呂美の詩集『河原荒草』(高見順賞受賞)を読んでみたいと思ったのだが、古本だと1万円近くする。図書館で横断検索をかけて、どこにあるか調べてみて、大阪市立図書館、神戸中央図書館、尼崎中央図書館などが候補に挙がった。今日は天気もいいし、久しぶりに神戸中央図書館に行くというのも、悪くはない。50年以上前、浪人中は予備校の帰りに、神戸駅で降り、楠神社の横の坂を上って、図書館へ行き、夕方まで受験勉強に励んだものだ。
と懐旧の情に浸っていては、いけない。往復2時間かけて行って、図書館で読み切らねばならない。借りたとしたら、返すのにまた往復2時間かかる。
ここはやはり、借りて帰って、返しに行くのが、一番楽な所を選ぶべき。そこで、尼崎中央図書館へ行くことにした。この図書館は、定時制の卓球大会などで城内高校に行くたびに前を通ったが、本を借りたことはなかった。武庫之荘の教員住宅に住んでいた30代の頃は、もっぱら近くの尼崎北図書館を利用していた。
尼崎中央図書館は阪神尼崎駅の東に尼崎城があり、その構内にあるのだ。行きました。すぐに書庫から『河原荒草』を出してもらい、利用カードを更新して、借り出した。往復1時間の遠足だった。
10月24日(月)
22日(土)に宝塚市立図書館で「市民のための現代文学講座」をやった。絲山秋子の「逃亡くそたわけ」と「まっとうな人生」を取り上げて、話したが、パワーポイントで九州、富山の観光地の紹介もやったので、ちょっと時間オーバーした。県立伊丹高校の時の同僚、河野さん、郡山さん、鈴木さんも来てくれて、一緒に写真を撮った。おさなご保育園の小西さん、市枝さんは、先月に引き続ききてくれて、終了後、喫茶店でおしゃべりした。おさなご保育園は、創立40周年になるそうで、いろいろ企画をしているとか、とても忙しそう。
10年続けたこの講座も来月で終了。「閉店セール」と同じで、最終回とうたうと、みんなが来てくれるようで、来月は定員50人に達したそうだ。
もうひとふんばり、今日も朝から、伊藤比呂美を読んでいる。
10月17日(月)
『高校生と文学作品を読む』をあちこちに寄贈しているのだが、長崎から返事が来た。全教のHPを見ていて、長崎支部の所に「国語サークルひらど」というのがあり、例会を行っていることを知った。それで長崎支部経由で送った所、代表の森文明さんから、手紙と著書『詩集 夜のカナリアたち』、「『坊つちやん』への旅」をいただいた。
森さんは1952年生まれ、1975年から公立高校に勤務し、最後は夜間定時制で15年間勤務、とまるで僕とそっくり。もう一人の自分が長崎にいたのかと思った。全教主催の全国教育研究会の共同研究者を25年勤めてこられたとか。京都でひらかれた第1回の研究会に、僕は兵庫県代表として参加・発表したので、ひょっとして会場で森さんとすれ違っていたかも。
10月8日(土)
『高校生と文学作品を読む』は、いくつか思いがけない反応を引き起こしている。千葉の和田さんからは本の感想の手紙と、和田敏男さんの著書『奔走子』及びいくつか資料をいただいた。これまで接点のなかった方だったので、ちょっとびっくりした。高生研国語の会の方のようで、いただいた本を、今読んでいる。
卒業生の三浦さんからは、著作一覧の中にある「書くことで自分探しを」という原稿を読みたいというリクエストが来た。これは月刊生徒指導の1999年7月号に掲載したもの。早速書庫を探したが、ない!裏の倉庫にしまったか、と雨の中探しに行ったが、ない!書斎も見まわしたが、ない!原稿掲載の雑誌はまとめて段ボール箱に詰めていたから、どこかにはあるはず。あちこち探して、ブリコラージュ通信2号に再録しておいたことを発見。それをPDFにして三浦さんに送り、一段落。
しかし、あの段ボール箱はどこに行ったのだろう。
10月6日(木)
息子の所に第二子が誕生したので、奥さんと二人で北九州市まで行ってきた。旅籠屋に二泊。ケイちゃんが、おばあちゃんとお風呂に入る、と言ってくれたので、奥さん大喜び。どうやらケイちゃんなりの「おもてなし」らしい。
お母さんと赤ちゃんが退院してくるのを待って、みんなでお昼ご飯を食べて、すぐに我々は帰った。奥さんはその後、特急ソニックに乗って別府へ。僕は新幹線さくらで大阪へ。
家に帰ると、郵便受けの蓋が開き、いまにも新聞、郵便物、回覧板が落ちそうになっていた。
9月6日(火)
『高校生と文学作品を読む』は結構、私的なことも書いてあるのだが、自分の子どもが小さかった頃のことも出てくる。それで、ペプシコーラを求めて車で自販機を探してまわった話の所(91頁)に付箋をつけて、二人にも送ったのだが、北九州からは、覚えてない、それは姉ちゃんだけを車に乗せて行ったのを、お父さんが勘違いしているのではないか、などというメール。この原稿は今書いたものではなく、1996年に書いたものだから、直近の出来事で、勘違いするわけがない、とメールする。まあ、小学校に入るか入らないかの頃だから、忘れててもしようがないか、と寛大な心でいると、横浜から、私も覚えてない、お父さんの勘違いではとメールが来る。「ブルータス、おまえもか」
9月4日(日)
先月の29日に、予定通り『高校生と文学作品を読む』が届いた。想像していたよりも、ずっしりとした重みで、254頁。これまで出した本の中では一番ページ数がある。
200部引き取ったのだが、あちこち寄贈していくと、半分以上なくなった。半年後に大学への寄贈を開始しようと思っていたけど、足りるかな。
8月23日(火)
カズキのクッキー作り、プリン作り、ケイタロウを連れての昆虫館、三田人と自然の博物館見学、とビデオ撮影の日々が続いた。去年の暮に買ったばかりのハンディカムは、さすがに画質がいい。
で、撮った動画をパソコンに取り込もうとしたが、うまくできない。年末・年始の動画はうまくとり込めたのに、どこか故障したか?
で、わからぬ時には、さっさと相談に行くことと思い、パソコン工房に持って行く。故障診断・相談料は500円とあった。パソコンの状態を全部調べても、問題なし。ビデオと接続しようとして、わかった!コードが違う、接続場所が違う。
テレビにつなぐためのコード(出力用)と、パソコンにつなぐためのコード(取り込み用)と二種類あったのだ(家に帰って探してみたら、カメラの箱の中に紛れ込んでいた)。
パソコン工房の人にお礼を言って、料金を払おうとしたら、何もしてないからタダです、と言われた。それはそれで、ちょっと恥ずかしい。あまりにも初歩的なミスに向こうも呆れたことだろう。うーん、ちゃんと「500円」払いたかったのに。
家に帰って、つないで、動画を取り込み、静止画も切り出し、DVDも作成。やっているうちに、思い出したり、あれこれ触っているうちにできたり、いやあ、よいオモチャです。やればできる。
8月14日(日)
8月に入って大忙しの毎日。
4日は立命館中学・高校で「世界をつなぐ国語科実践研究会」で講演。対面とオンラインの併用で、初めての体験。今度の本の内容もちょっと入れて話した。
6日は、映画研究部のプチ同窓会、行ってみると「古稀のお祝い」を兼ねていて、びっくり。この日、横浜から娘と孫二人が来る。カズキだけ連泊し、お菓子づくりとトンポーロー作りにチャレンジ。トンポーローの指導をする。
9日はカズキを横浜まで連れて行き、なっちゃんに渡して、そのまま池袋へ。10日は埼玉の東松山へ行き、卓さんのお墓参り。その夕方に伊丹に帰宅。
13日から、今度は北九州から、ケイちゃんとお父さんがやって来る。近々、三田の人と自然の博物館へ行く予定。
うーん、フル稼働。
7月18日(月)
15日には、舞子高校の剣道部の卒業生・筒井さんと面談。西宮北口で待ち合わせたが、お互いに、相手をさっとは見つけられなかった。マスクをしていることもあるが、まさか着物を着てくるとは思わなかったのだ。
22日(金)には、県伊丹で同僚だった池田さんと面談の予定、何年ぶりだろう。そして同じ日の夕方には、舞子の同僚だった藤原さんと会う予定。本の表紙について打ち合わせをする。
なんだか、今年の夏は、人と会うことが増えたような気がする。
7月11日(火)
鳥影社から再校ゲラが届く。今回はこれまでとは違い、ざっと前回チェックした所が直っているかを調べ、次に虚心で読み直し、さらにもう一度虚心で読み直し、と3回、眼を通すことにした。結果、見落としをいくつも発見。
7月7日(木)
立命館中学・高校へ出かけ、国語科の先生5人と話をする。8月4日に研究会があり、そこで講演をすることになっているので、その前段階としてどんな話をすればいいか、現場の若い人の声を聞きたかったのだ。
現場を離れて10年、教育の話をするのは久しぶりで、あれもこれも言いたいと思い喋っていると、あっという間に、2時間。でも、なんとなく、特に自分の話したいことが自分でもわかったので、帰ってから長いレジメを短く作り直した。
6月27日(月)
25日、急な連絡があり、急遽、明石まで自動車で行くことになった。午後5時半。阪神高速に乗るために西宮まで行くのだが、国道43号にたどり着くまで、渋滞、渋滞。いつものルートではない道を選び、やっと43号線、高速への誘導路があったので、そこへ。ふと見ると、名神高速?これでは京都へ行ってしまうではないか。あわてて、そこから43号へ下りる。あぶないところであった(by李徴)。とにかく阪神高速へ乗った。そこそこ混んでいるので、流れに乗らねば。でも制限60キロの道をみんな○○以上で走っている。それにあわせるのに、疲れた。普段は伊丹市内を50キロで走ってるんだぜ。〇〇キロなんて何年ぶりか。
帰りは、明石から2号線で、神戸のあたりまで地道を走り、柳原から阪神高速へ。家に帰りついたのは、午後9時。こんなに走ったのは久しぶり。
翌日、パンネルへパンを買いに、車を走らせると、気のせいか、いつもよりスピードが出ているような。
6月22日(水)
宝塚市立図書館での「市民のための現代文学講座」の日程が決定。
9月24日(土)堀江敏幸の世界─『雪沼とその周辺』と『なずな』、10月22日(土)絲山秋子の世界─コロナの中の『まっとうな人生』、11月26日(土)伊藤比呂美の世界─『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を中心に、とざっこんな風。先日、17日担当の大畠さんと打ち合わせ。会場でユーチューブを使えないか、相談。電波が弱くて無理のようだ。家に帰ってあれこれやっているうちに、自分のパソコンに保存する方法を見つけて、三日ほど試行錯誤の末、できました!また一つ賢くなった。伊藤比呂美の講演、堀江敏幸のインタビューの動画を保存。コツはあせらないこと、ちょっとずつ前に進むこと。(自分に言い聞かせている)
鳥影社の原稿第一校は校正して返送した。二校を待っている所。
6月12日(日)
『通信№12』は120部、予定より早く、3日(金)に届いた。早速発送。気がつくと、足りない!そこで30部追加発注。ちゃんと送り先をカウントしないから、こうなる。だいたい、はあかんな、と反省。
今回は切手を貼って出すことにする。奥さんが古い切手を大量に持っているので、それを買い取り、使っている。種類がいろいろあるので、人によって「源氏物語絵巻」が行ったり、「黒田清輝」が行ったり。
鳥影社から一校のゲラが9日(木)に届く。そこから校正スタート。連日、朝からやっているが、2時ごろには、スタミナがきれる。体力、気力の衰えを感じる今日この頃である。
それでも、昔の原稿を改めて読み直すと、なかなかいいではないか、と自画自賛。ひょっとすると、これはベストセラーになるのでは、そうしたら何をしようか、と夢想している、午後3時。
5月25日(水)
鳥影社へ契約書を送り、出版作業はスタート。5月末には一校が来るはず。『ブリコラージュ通信№12』の原稿も、京都の製本工房へ送り、6月7日に納品されるはず。それで今は時間ができたので、『通信№13』の原稿書きを始めた。〈川上弘美『センセイの鞄』を読む〉はできるだけ短く書くつもり。
5月22日(日)
夜、「鎌倉殿の13人」「マイ・ファミリー」とテレビドラマを見て、風呂に入る。湯に浸かりながら、ふう、昨日の工事はあれくらいですんでよかった、台所の床を全部剥がさなければならないかと心配したが、さすがプロ、あれくらい壁をこわしただけで、漏れている所を見つけ出すなんて、すごいなあ、…などと思っていたら、何やら水音が!気のせいか?いや確かにしている。ポタン、ポタンと、窓の外。気になりだすと、いやにくっきりと聞こえてくる。まるで、軒下の雨だれのように、はっきりと聞こえる。一箇所直すと、別の所も傷んでくるのです、と昨日小西さんも言っていた。
これは確かめねば、と急いで風呂から上がり、携帯ランタンを持ち出して、雨戸をあけて、一歩外に出たら、パタ、パタ、パタ、?雨が降ってるじゃないか。なあんだ、「雨だれのように」ではなく、「雨だれ」だったのか。
疑心暗鬼とはこのことか。奥さんに話すと、さっき雷もなり始めたやんか、気つかなかったん?と笑われた。
5月21日(土)
1週間前から、うちの奥さんが「水滴の音がする」と言い出して、最初は気のせいじゃないのか、と思っていた。ところが、毎日その気で耳をすましていると、ぼくの耳にも日に日に音がはっきり聞こえてきた。ポタン、ポタン……
「困った時の小西さん頼み」と連絡し、まず水道屋さんの山本さんに来てもらう。洗面所の床を切って、下をのぞくと、水がたまっていた!
小西さんも駆け付けて、一体どこが漏れているのか、台所の水道のあたりの壁を壊し、調べて、漏れを発見、そこを直しても、まだ水が漏れている。さらに壁を壊し、下の水道管を調べると、そこも漏れていた。
朝の9時から夜の7時すぎまで、大がかりな修復工事になった。
20年もたつと水道管も劣化します、地震で揺れると水道管のつなぎ目の部分が捻れたりしてそこがやられます、……
いやあ、一時はどうなることかと心配したが、早く発見、修理できて良かった。人間の身体が経年劣化することは最近実感していたが、家も劣化していくのだと思い知った。
4月14日(木)
『高校生と文学作品を読む』は鳥影社から出版することにした。教科書会社など、国語関係の出版社に打診したけれど、どうも埒があかないので、自費出版で出すことにした。12日には、原稿のプリントアウトしたものとデータの入ったUSBを送った。
これからの日程の予想のために、『藤本卓教育論集』の日程を調べて見た。最初にデータを送ってから、ゲラが届くまで19日、そこから三校を送り返すまで58日。普通なら、これで印刷にかかるのだが、六校までやったから、さらに30日。本が出来て届くまで20日。データを送ってから本になるまで127日だった。
今回は三校で終わるはずだから、こんなにはかかるまい。なにしろ、註なし、ドイツ語・ギリシア語・フランス語・ロシア語なし、数種類のカッコの使い分けなし、なんだから。僕の予想では97日くらいかな。7月末にはできるかな。
12月8日(水)
昨日『高校生と文学作品を読む』が40冊届く。早速、25冊ほど郵送。
今回はあくまでパイロット版(試行版)なのだが、構成と初出一覧は次の通り。
『高校生と文学作品を読む』 (初出一覧)
※季刊『高校のひろば』(労働旬報社)19号、20号、21号はいずれも1996年刊。
◎は個人誌『ブリコラージュ通信』(1999年~、不定期)。
第一章 あどがたりとブリコラージュ 初出・『日本文学』1996年8月号
第二章 高校生と小説を読む
小説の結末を予想する─池谷新三郎「忠僕」─初出『読みきかせに始まる』2004年
「伊豆の踊子」から教科書を考える 初出・季刊『高校のひろば』20号
「伊豆の踊子」教科書異本論 ◎・4号、2004年
高校生と「不意の唖」(大江健三郎)を読む 初出・季刊『高校のひろば』19号
高校生と「北極王」(筒井康隆)を読む 初出・季刊『高校のひろば』21号
村上春樹「バースディ・ガール」を読む ◎・6号、2015年
第三章 高校生と詩を読む
黒田三郎「たかが詩人」を読む 初出・『現代詩の授業』1993年
井上俊夫「豆腐」を読む 初出・『現代詩の授業』1993年
追記─井上俊夫さんからの手紙─ (未発表)
第四章 高校生と『サラダ記念日』を読む 初出・『読みきかせに始まる』2004年
第五章 定時制で授業をつくる
イノシシ年には吉野弘「亥短調」を ◎7号、2015年
夏目漱石「夢十夜(第三夜)」を授業する ◎8号、2017年
教材の価値─定時制高校で考えたこと ◎7号、2015年及び8号、2017年
なかなかいい出来じゃないか、と自画自賛。もうちょっと書き足したい所もあるので、改訂版を作るかも。急いで作ったので、やっぱり校正ミスがあった。
11月25日(木)
『高校生と文学作品を読む』の版下ができたので、いつも頼んでいる京都の製本工房へ、送った。出来上がりは12月7日(火)の予定。194頁。この冊子を元にして、出版社を探すことにする。3月頃までに形にしたい。
10月17日の所で書いていた三つの仕事を飛び越えて、これが一番先に出来た。久山社の久保さんにも電話でことわって、池谷新三郎『忠僕』と『サラダ記念日」』の原稿は新しい本に入れることにした。
11月11日(木)
去年1年かけて藤本卓さんの本を作ったので、なんとなく自費出版の要領がわかったような気になって、10年ぶりに自分の本を出版しようと思った。
最初これまで「ブリコラージュ通信」で書きためた「市民のための現代文学講座」から何本か選んで、文芸評論の本を作ろうとして、プランを立てた。そうこうしているうちに、これまで文学教育の本を作っていないことに思い当たり、やっぱり文学教育の本も作ろうと考えた。仮のタイトルを『高校生と文学作品を読む』として、これまで久山社から出したものからもいくつかピックアップすることにした。
何か急に忙しくなって、毎日机に向かっている。
10月25日(月)
昨日は夕方から、神戸の南京町まで、藤原さんの展覧会を見に行く。そのあと約2時間にしむら珈琲店で、真面目にこれからの仕事について語り合う。
今日は夕方から、武庫之荘まで、身体のメンテナンスに行く。坐ったままでパソコン仕事をしていると、腰をかばって、身体の筋肉がはってしまい、痛みを持ち始める。
10月17日(日)
先週の10月12日(火)に宝塚市立図書館の「市民のための現代文学講座 伊丹十三と大江健三郎の関係」をやり、翌日の13日(水)にはつかしんカルチャーで陳舜臣「幻の百花双瞳」をやった。とりあえず10月の講演・講義を乗り切って、ほっと一息。
そこで、「仕事じまい」を考える。60歳で定年退職して、37年間やってきた高校教師としての仕事じまいをした。
やめてからは、専ら自分のやりたい文学関係のことを大人に向かって話すことを自分の中心的な仕事にしてきた。そしてブリコラージュ通信を並行して発行してきた。気がつくともうすぐ10年。そろそろ区切りをつけることにする。体力的にはまだやれるが、まあ一旦仕切り直しが必要だと思う。
それで、つかしんは来年3月まででやめることにする。宝塚図書館の方はまだ決定ではないが、担当の大畠さんや館長の永尾さんには、そろそろやめようかと思っていると話しておいた。
その上で、いくつかやるつもりのことがある。
⑴藤本卓さんの2冊目の本を作る。これは、論文集ではなく、大学での講義やゼミ、映画の上映会や講演会、卒業生と現役生をつなぐお話し会など、大学教育者としての仕事を記録するためのものだ。家や研究室にあった資料をようやく整理し終えた所だ。この資料をどう使うかが考え所だが、当初の目算よりも分量が増えそうだ。
⑵のびのびになっているブリコラージュ通信№12を発行する。ここに、宝塚図書館での講演で話しきれなかったことをまとめて、架空講義録《大江健三郎『取り替え子』を読む》として載せる。
⑶ブリコラージュ通信№6から書いて来た原稿の中から、いくつかを選び、訂正加筆して、一冊の本にして出版する。最後に出した『人気のひみつ、魅力のありか』が2011年発行だから、ほぼ10年ぶりになるが、国語教育、児童文学、とは違う文学研究の分野の本も一冊ぐらいまとめておきたい。
というわけで、「仕事じまい」を考えたら、やるべきことが一杯になった。
10月2日(土)六甲全山縦走⑥摩耶山から六甲ガーデンテラスへ
王子公園駅から坂バスで摩耶ケーブル駅へ行く。今日はお客さんが一杯。人数制限もしていて、一度に20人しか運ばないらしい。二台やり過ごす。ロープウェイを乗り継いで、掬星台に到着。ここから前回の続き。でも今日のコースは、あまり坂道がないので、比較的楽。途中、昨日の栗ご飯の残りで作ってもらったおにぎりを二個食べる。ゴルフ場の横を通ると、ゴルフをやっているおじさん三人グループがいた。ゴルフとは一生縁がないな、と思う。六甲ガーデンテラスは、結構人出があった。特に買うものもなし。今日はここまで、7.2キロくらいかな。2時間半、まあこんなものか。有馬ロープウェイで有馬へ下りる。同乗の係員の兄ちゃんのガイドがなかなか面白かった。最高斜度はスキーのジャンプ台くらいとか、でも時速は18キロとか。ケーブルの下にあるアスレチックは甲子園球場6個分の広さだとか。11月は紅葉がきれいだけど、土日は2時間待ちになるので、平日に来た方がいいとか。神鉄の有馬温泉駅から有馬口まで一駅乗って、電車を乗り換え、谷上駅で、神戸市営地下鉄に乗り換え、三宮まで。
いよいよ、次回は全山縦走のファナーレ、ガーデンテラスから宝塚まで17キロ。ひたすら下っていくコース。宝塚市立図書館の講演が終わったらやろうと思っている。
9月24日(金)六甲全山縦走⑤市ケ原から摩耶山へ
神戸布引ハーブ園へ行くロープウェイで風の丘中間駅まで行く。そこからスタート、ちょうど10時。車道を1キロほど市ケ原まで下る(約15分)。稲妻坂、天狗道を歩いて摩耶山へ。距離にして4.2キロ、高低差450m、結構きつい。でも前回ほどではないので、ゆっくり登ればなんとかなった。12時45分、掬星台に到着。右手にポートアイランド、左手に六甲アイランドが広がる。もう馴染みの風景だが、広々としてなかなかの風景。今日はここまでにして、ロープウェイとケーブルを乗り継いで下山。バスで阪急王子公園へ出て三宮へ。好日山荘をさがしたが、行きつかず。
この調子なら、あと二回で宝塚まで行けるか。次回は摩耶山から六甲ガーデンテラスまで約7キロ(有馬ロープウェイで下山)、最終回はガーデンテラスから宝塚まで18キロ。この18キロは一昨年経験しているからまあなんとかなるだろう。下りばかりだから、急がなければ大丈夫。
9月12日(日)六甲全山縦走再開
去年は、3回で中断してしまったが、その続きをやることにした。神戸電鉄で鵯越駅まで行き、そこからスタート。烏原水源地、菊水山、天王吊り橋、鍋蓋山、を経て天竜寺まで7・3キロの行程。曇り空だったが、次第にもやが濃くなり、小雨も降りだし、木陰で雨宿り。上り坂がきつくて、息があがり、100歩上がっては休憩を繰り返す。へろへろになりながら、天竜寺につくと、バスはあと50分待たないとだめ。ここからは下り坂ばかりだからと、市が原、布引の滝、新神戸駅へと降りて行った。万歩計で24371歩、5時間14分。地図では9.6キロだから平均歩幅40cm!もう来年以降は、六甲全山は無理。どこか軽いハイキングにしよう。それでも今年は、残りのコースを歩ききるつもり。
2020年
遺稿を本にする(5月30日)
友人の卓さんが亡くなって2か月以上が経った。彼の遺稿をまとめて一冊の本にしようと思って、一人であれこれ考えている。論文等は、グーグルで検索して一覧表にした。20篇以上ある。最近に書いた大学の紀要は奥さんにコピーを送ってもらった。でも古い雑誌や学会誌など半分以上は入手困難。どうしようか。インターネットで国立国会図書館に入り、蔵書検索をかけると、いくつか見つかった。遠隔複写サービスを利用すれば、直接行かなくても複写したものが手に入る。昨日、利用者登録の申請書を関西館に郵送した。これでいくつかの原稿は手に入る。
久しぶりに図書館へ行く(5月29日)
新型コロナウィルスの影響で伊丹市立図書館もずっと閉館していたが、ようやく今週開館した。必要な資料があるので、久しぶりに図書館へ出かけて行った。まず入口で入館書を書かなければいけない。名前、電話、図書カード番号を書く。三階まで上がっていったが人がほとんどいない。二階の新聞雑誌の閲覧席などは撤去されていた。現代詩関連の本を九冊ほど借りることにした。自動貸し出し機を利用する前に、手の消毒が必要。借りる本も消毒液で拭くこと。いつもと勝手がちがうが、図書館が機能を回復し始めたのは確かだ。
せっせと返事を書いている(5月28日)
ブリコラージュ通信№11は、今回160部作り、135部ほど発送した。№10の倍ほど送ったことになる。これまで送っていなかった卒業生や古い友人知人にも送った。電話をくれて50年ぶりに声を聞いた友達もいた。お礼のメール、手紙、ハガキは連日届いて、今もその返事を書いている。A4で3枚以上の手紙をもらったら、こっちもA4で2枚以上は返事を書かないと悪いので、せっせと書いている。短期間に、こんなにたくさんのメールや手紙を書いたのは、はじめてかもしれない。もう60通ほどは書いたぞ。
ブリコラージュ通信№11を増刷することにした(4月30日)
27日(月)に101部発送したのだが、早速返事が来た。メールで手紙で電話で。こんなにすぐに返事が沢山来たのは初めてだ。届きました、とか簡単なのでいいから、今こんな状況下でどうしているか知らせて、という呼びかけにみんな結構真剣に応えてくれた。フェイスブックで紹介してもいいですか、という卒業生もいて、それを見て、通信を送ってない卒業生からも欲しいと連絡があった。
それで、急遽40冊増刷して、あちこちに送ることにした。欲しい人はどんどん連絡してください。
動画配信もわかってきた(4月28日)
とりあえず、見放題のリストから、「チア✩ダン」、「何者」、「かもめ食堂」なんかを観てみた。レンタルビデオとほぼ変わりなく楽しめる。これならOK。いやあ、もう時代は動画配信やね、という気分になる。まあ新型コロナウィルス感染が終息したら、また映画は映画館たよね、という風に言ってることだろうけれど。
耳鳴りってこれか(4月28日)
右耳がまた具合悪くなった。朝起きると右耳に「金属音」がして、びっくり。なんじゃこりゃ、というか、ドキドキ。耳鼻科に行って測って貰うと、去年の突発性難聴の時よりも聴こえが悪い。とりあえず、イソバイドを処方してもらう。インターネットで調べると、どうやら自分の今の状態は耳鳴りらしい。
ブリコラージュ通信発送準備中(4月21日)
通信№11は、25日(土)に出来上がる予定。それで、今せっせと発送の準備をしている。№11は特別に、藤本卓さんを偲ぶために古い原稿を載せている。その関係もあり、発送先をいつもより多くしようと思った。いつもは100部作っているのだが、増刷して120部とした。
それで、この機会にこれまで送付していなかった古い友人や同僚、卒業生にも送るかと、ちょっと欲張って、発送リストを作っていくと、135人になってしまった。あわてて削って100人程度にした。
さらに増刷しても良かったのだが、《金井美恵子『文章教室』を読む》は100ページ以上あるし、文学に興味のない人は貰っても困るだろうと、それは思いとどまった。
お楽しみ箱作り(4月18日)
娘の夫がやっとインドから帰国したが、本人は二週間自宅待機。家族も同様なので、娘はリモート・ワーク、かずきは学童に行けず、げんきは保育園に行けず、家族四人でお籠り中だとか。
それで、かずきとげんきのために「お楽しみ箱」を作って送っている。
先日は二人が今はまっている「ウルトラマンクロニクル」の主題歌が手に入らないか、とリクエストがあったので、はじめて、音楽配信サービスを使って、曲をダウンロード(250円)、それをCDに焼いて送った。やればできる。
ついでに、アマゾンプライム会員になり、アマゾンビデオを使うことにした。ファイヤー・スティックを購入、セッティングにちょっとかかったが、もう大丈夫。結構便利で、これははまってしまいそうだ。もうレンタルビデオの時代ではないなあ、とつくづく思った。
卓さんの論文・著作一覧表を作った(4月18日)
藤本卓さんの論文・著作一覧表を作った。これは今現在わかっているもので、まだあるかもしれない。
藤本卓さんを偲んで
大学時代からの友人藤本卓さんが三月半ばに亡くなった。ブリコラージュ通信№11に載せた原稿「藤本卓さんを偲んで」を別ページに転載しておく。
これは古い原稿を2つ引きだしてきたものだ。ちゃんとした追悼文を書くことができないので、こういう形にした
。
昆陽池の風景(4月10日)
新型コロナウィルス感染拡大のため、非常事態宣言が出て、不要不急の外出は控えるように、と繰り返しアナウンスされている。ゴールデンウィーク明けまで、学校も休校。図書館を含め、多くの施設が休業中だ。商業施設も多くは自主的に閉鎖。そんな中、僕は毎日昆陽池をウォーキングしている。ここには広い芝生とグランドがあり、幼い子供連れの家族や老人たちだけでなく、最近は小学生から高校生まで見かけるようになった。少人数でサッカー、野球、バドミントンなどで遊んでいる。盆踊りの練習をする大人たち、ボクシングの練習をする老人たち、新体操の練習をする少女たちも見かけた。今、桜は満開だ。
今年は果たしてどうなるのだろう(3月13日)
去年は母親の介護のため、行動が制限されていたから、今年はあちこち行こうと計画していた。
一月、二月は部屋の改装や配置換えで、バタバタと落ち着かなかったが、それも一段落し書斎にこもって原稿書きもできるようになった。
映画館にも出かけるようにして、『家族を想うとき』、『パラサイト』、『スター・ウォーズⅨ』、『男はつらいよ 第50作』など、を観ていた。
北九州の息子の家にも初めて出かけて行った。
調子が良かったのは、その辺りまで。
北九州一泊二日がこたえたのか、体調を崩し、ダウン。世間では新型コロナウィルス感染のニュースが出始めていた。
瞬く間に、この新型コロナウィルス感染拡大の影響はあちこちで出た。学校も休校するというので、どうなるのか、と案じて、横浜の娘の所に家事手伝いに出かけた。ただでさえ、夫がインド勤務中で、三歳と七歳の息子を育てながら、働いている娘は大変なのに、この事態に対応できるのだろうか。幸い、保育園は平常通り、学校も低学年は預かってくれるので、なんとかやっていけるとか。
三泊四日で帰ってきたが、今度は次々と、行く予定だったイベントの延期や中止の知らせが入ってきた。宝塚市立図書館の読書講演会(5月に延期)、つかしんカルチャー講座(3月休講)、米朝祭り(中止)、吉里吉里忌(中止)。この分では5月の中島みゆきのコンサートもなくなるかもしれない。
アルバムを解体(2月8日)
部屋の配置替えをやってみて、写真アルバムの重さに閉口した。表紙も台紙もしっかりしている分重い。一度に持てるのは、まあ三冊ぐらい。軽いポケットアルバムに入れなおすことにした。
アルバムから写真をはがすのに一苦労。古いものは糊が固着していて、下手にはがすと破れてしまう。慎重に写真をはがす、気が滅入りそうな作業を続けていくうちに、気がついたことがある。台紙そのものを分解してから、写真をはがせばいいのだ。はがせなければ、その部分だけ写真を切り取り、台紙ごとポケットアルバムに収納すればいい。やっていくうちに、コツがつかめてきて、楽しくなってきた。どこかに、写真をはがせず困っている人はいませんか、コツを教えに行きますよ。
十二、三冊は分解したが、出た残骸の総重量は、十一キロにもなった。
その流れで、今度はあちこちにちらばっている写真をまとめて、整理する作業を始めた。すると、もう三十年以上前の写真を見て、「あっ、体育の野村先生だ」とか、名前が出てくる。視覚情報というのは、不思議な力がある。後ろ姿を見ただけで、それが誰かわかったりもする。
この冬はいろいろ昔の写真を見直している。
12月から、家の部屋の配置替えをやっている(1月18日)
母親がなくなって、その遺品を整理してみて、その処分の大変さが実感できた。本人が思い入れを持って大切にしていたものでも、他人(この場合子供)にとっては、無駄・邪魔なものでしかない。とにかく、何も考えずにどんどん捨てることにした。洋服類は妹に任せて、それ以外は僕が処分した。「もったいない」「まだ使える」なんて考えてたら、何もできなくなる。奥さんがいろいろ手配してくれて、洋ダンス、チェストはシルバーショップに無料で引き取ってもらったが、和ダンスはダメだった。市の粗大ごみの引き取り(有料、一回につき五点まで))に五回来てもらった。ベッド、マットレス、ふとん、シルバーカート、整理ダンス、机、和ダンス、食器棚、etc.奥さんは申し込み受付の人となじみになり、僕は引き取り業者の人と顔見知りになった。まだ処分できずにいるもの(写真とか、木彫り作品とか、四十八ヵ所巡りの奉納帳)もあるのだが、一応母の部屋とタンス部屋(三畳間)を空っぽにした。一階の母のタンス部屋(三畳間)は僕の書庫に、母の部屋は僕の仕事部屋にすることにし、二階のタンス部屋の僕のようタンスは捨てることにした。
さて、それからが大変。僕の七畳半の部屋(和室)には大量の本がある。これをとにかく全部一階に移動。ついでに新しいラック(本棚)を二つ購入。結果、三畳間に八本のラック(単行本+文庫本の二列詰め込み)、収納しきれぬものは平積み。もうどこに何があるかすぐにはわからぬ状態。仕事部屋の新しいラックは、結局ビデオとDVDの収納庫になった。二階に残した一本だけがやや余裕あり。
二階の和室の畳を新調し、壁を張り替えるについても、いろいろ話はあるんだけど、それはいずれまた。
2019年
武庫川女子大に行ってきました(12月14日)
阪神近代文学会の研究発表を傍聴するために、武庫川女子大学まで、行ってきました。
阪急伊丹駅から塚口駅、そこから西宮北口駅で降りて阪急今津線に乗り換えて今津駅へ、そこでまた乗り換えて阪神今津駅から阪神鳴尾・武庫川女子大駅へ。まあざっ1時間。正門では守衛さんに、どちらにおいでですか、とたずねられた。さすが、女子大。
近くに適当な食事場所がなかったので、コンビニでサンドウィッチとホットドッグを買って、校庭で食べることにした。最近、こういうパターンが多くなった。
発表は三本、どれも一生懸命さは伝わって来たけれど、あれこれ言いたいこともある。各人違いはあるけれど、その発表、一般の人に伝わるのかな(例えば、市民のための現代文学講座の参加者の人が、この大学院生の発表を聞いて面白いと感じるかな。)、なんでそんな問題設定をしたの、発表者はその作品を面白いと思っているのかな、作品に対する感動・愛情が伝わってこない、などなど。老人の苦言ばかりになりそうなので、発言はひかえた。
全体に大学の先生の参加が少ないように思った。もっと歯に衣着せぬ批判を期待していたのだけどなあ。
横浜からのSOS(12月9日)
横浜の娘からSOSの連絡があり、12月1日から4泊5日で、家事手伝いに行きました。
娘婿がインドに一カ月出張。二人の息子を抱えて働くだけでも大変なのに、風邪を引いてダウンしたとか。
そこで、久しぶりに、本格的に家事代行。
でも、まあ四泊五日が限界ですね。帰ってきて、急に寒くなったのと、塩辛い夕食のせいで(そう思ってるんだけど)、血圧が上昇。
ダウンするかと思ったけど、まあ一日で回復。
ぼちぼちブリコラージュ通信№11の原稿書きを再開しています。コンパクトなものにしようと思って、書きかけの原稿をその眼で見ると、削れること、削れること。
事業仕分けという言葉を思い出してしまった。
母親、叔母が相次いで死去(11月)
ずっと寝たきりだった母親が11月1日、94歳で死去しました。通夜、葬儀、市役所や年金事務所、かんぽ生命の手続きと忙しい毎日を送っていると、11日に田舎の叔母が93歳で死去したとの連絡。葬儀に参列するために、松山で一泊して、13日大洲市へ向かいました。大洲市役所で「原戸籍」も取って来ました。行きも帰りも新幹線とJR特急を使ったので、坐り疲れ気味です。
それから、母親の部屋の片づけの毎日、ベッドを解体したり、大量の服や食器、人形、木彫り作品など、どれだけ捨てたことか。(まだ続くけど)
この半月の忙しさは改めてまとめることにして、これから宝塚市立中央図書館の市民のための現代文学講座、長嶋有の回のレジメの手直しを始める予定です。
できるかな。耳の具合もよくないし、歯も痛み出したし、夜は4時には目が覚めるし、(二度寝するけど)うーん、これは「お疲れが出ませんように」の意味をかみしめる日々になりそう。「お疲れ」はやっぱり出るんだよね。
垂水散策・後半
垂水小学校では、運動会の練習中でした。
ちょうど12時を少しまわった頃、おなかもへってきたので、
どこかで、昼食をと店を探しながらセンター街へ、
小学校を撮って、カメラを左に振ると、これが垂水センター街です。
このセンター街を歩いてみると、
中華料理店、履物屋などは、昔のままでした。
つまり半世紀以上続いていたのです。
高校生の時、この中華料理店の二階で剣道部の卒業生追い出しコンパをしました
先輩が春歌を唄いだし、えっ、こんな歌があるのかと、びっくり。
でも、最後は将来の夢や、国籍の話も出て、真面目な話で終わりました。
高下駄はいつもここで買ってました。
センター街の西口です。
帰りの電車から撮った福田川。僕の昔の家は右の白い大きなビルの後にある。
垂水散策・前半
JR垂水駅東口から北を見る。本通りはすっかり変わっていた。
写真の右側にアーケードの辺り、パチンコ屋(就職二年目に数か月通った)があったし、
テーラー沖田(ここで初めて背広を仕立てた))
中学・高校の頃、毎日立ち寄っていた本屋さん(文進堂)があった。
この通りで、赤ん坊を背負った福島公子さん(結婚して伊藤さんになった)とすれ違ったことがある。
高校を出て数年でこちらはまだ学生。彼女は銀行に就職、職場結婚だったとか。
福島さんは板倉くんの家の近くに住んでいて、中学の頃は毎日その家の前を通っていた。
お父さんは外国航路の船長さんだったかな。お父さんが亡くなって、引っ越した。高校生の時、一度だけ、彼女の家に遊びにいったことがある。部屋に外人女性のセクシーなポスターが貼ってあって驚いた。貼ったのはお姉さんだとか。女の子の部屋で二人きりというのは、初めての体験だった。別に何があったわけでもないけれど、忘れられない思い出だ。
福島さんは、若くしてクモ膜下出血で亡くなった。
これは八幡さん。正式には「瑞ケ丘八幡神社」というらしい。
中学生の時には、よくこの前を通って高田くんの家に行ったりした。
この写真の道を右に行くと千鳥ヶ丘に続く。
筒井さんの家はこの八幡さんの近くにあるのです。
この階段は、中学校登校時に使ったもの。
いつも板倉くんを誘って行きました。中学一年生で180cmの身長の板倉くんと一緒に歩くのは小柄な僕にはきつかったのではないかなあ。
板倉くんには、SF小説、深夜ラジオ、テープレコーダー、落語など、いろいろな情報を教えてもらい、世界が広がりました。板倉くんの影響でエドガー・ライスバロウズ(ターザンの作者)の『火星シリーズ』を読み、、その面白さにはまりました。
垂水での僕の家がまだありました。
引っ越してきた時には新築だったけど、それは55年前。
半世紀以上、この地に立ち続けていたのだ。
さすがに誰も住んでいる気配はなく、新聞受けや郵便受けには
ガムテープが張られていました。
一階の左の部屋(階段がかかっている方)に、一家四人で住み始め、
大学生の頃には一階の右の部屋も借りて、僕の部屋になりました。
舞子高校に勤めていた頃、正月に剣道部の新年宴会をここでしました。
結婚前に僕だけ尼崎の教員住宅に引っ越したのです。
垂水へ行ってきました(9月25日)
宝塚市立中央図書館での「市民のための現代文学講座」の第一回(9月28日)の前に「行くか」と自分に気合を入れて、垂水へ出かけました。
筒井康隆の家が垂水にあることは、ずっと昔から知っていたのですが、講座の準備をしているうちに、住所がわかったのです。しかも、そこは僕の家から700m、中学時代の僕の通学路だったのです。筒井康隆が垂水に引っ越してきたのは1972年の4月で、その頃僕はもう大学生でした。
ですから、町ですれ違っていたかも。昔のエッセイに「文進堂」(僕がよく行っていた本屋さん)の名前も出ていました。
そんな縁があるので、まあ自分が12歳から30前まで暮した垂水に、6年ぶりに行ったのです。写真を70枚ほど撮りました。
横浜一泊二日の旅(9月9日)
久しぶりに、横浜に行き、一樹や元気に会ってきました。なっちゃんが地域の防災活動に出かけたので、一樹と二人で煮込みハンバーグを作りました。
台風が来るので、帰りの予定を早めたのに、予約していた新幹線が間引かれて、どうしようかと思いました。とにかく早く西へと思い、名古屋行のこだまに乗り込み、なんとか坐って名古屋へ。名古屋で乗り換えようとしたら、博多行ののぞみは超満員。それには乗らず、次の新大阪行のひかりで帰りました。時間はかかったけど、筒井康隆の文庫本がよく読めたので、OK。
台風は関東直撃で千葉では停電とか。去年の停電を思い出しました。
一枚100円なので、60枚ほど買いました(9月7日)
閉店に伴う中古DVD販売セールは700円から500円さらに100円に。500の円時には2枚買った。『田園に死す』と『ニワトリはハダシだ』(森崎東)。そして最終段階1枚100円になったので、もう手当たり次第、60本ほど買いました。
そのうち一覧を作って発表しよう。
とりあえず、今年の講演会用に『時をかける少女(仲里依紗主演)『ジャージの二人』(長嶋有原作)も各100円で入手。
いきつけのツタヤが閉店(9月1日)
ここ数年ずつとお世話になっていたツタヤ大鹿店が閉店することになり、これからどうして生きて行けばいいのか、とショックを受けている。最近は年間100本ほどは借りていたから、どうしたものか。
閉店にともない中古販売セールがあったので、とりあえず行ってきた。ものすごい人、人、人。一人でダンボール箱一杯買っている人もいた。僕はなんやかやで14本購入、9800円。レジに並んで45分かかった。疲れた。でも『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順)、『エル・スール』(ビクトル・エリセ)、『さらば箱舟』(寺山修司)なんかが手に入ったので、満足。
実はビデオインアメリカで中古DVDの販売(5枚1000円)をやっていたので、16枚買ったばかり。もうこうなったら、中古のDVDを買い集めて、自分用のビデオ屋をやるしかないか。
去年秋定君に会った時に、これからは動画配信の時代やで、と勧められたが、まだ切り替える気になれない。これからしばらくはいろいろ迷いそう。一番いいのは映画館へ出かけて観ることなんだけど、長時間家を空けられないので、それも難しい。
右耳が突発性難聴に
7月の初めから右耳の調子が悪くて、耳鼻科に通ってる。少し良くなったかと思うと、逆にひどくなり、今は漢方薬。
去年の目の不調に続き、今年は耳か。身体のあちこちにガタがき始めているようだ。メンテナンスが必要。
宝塚市立中央図書館の講座内容(8月1日)
案内のチラシ原稿ができました。今年はこんな感じです。
2019年度 市民のための現代文学講座
第1回 9月28日(土)13時30分~15時30分
筒井康隆の虚構世界―実験精神の軌跡―
筒井康隆(1934~)は、SF、ホラー、スラプスティック、ブラックユーモア、パロディ、ミステリー、純文学、奇想天外な実験小説、…次々とジャンルを超えて傑作を生みだしてきました。その全体を俯瞰しながら、「時をかける少女」、七瀬三部作、『虚人たち』(泉鏡花賞)、『夢の木坂分岐点』(谷崎潤一郎賞)、『パプリカ』、『ロートレック荘事件』、『ヨッパ谷への降下』(川端康成賞)、『ダンシング・ヴァニティ』など代表作を紹介します、
第2回 10月26日(土)13時30分~15時30分
金井美恵子『文章教室』とフローベール『ボヴァリー夫人』
金井美恵子(1947~)は19歳でデビュー、天才少女と呼ばれ、現代詩も書き、『プラトン的恋愛』(泉鏡花賞)など観念性の強い小説で有名でした。『文章教室』(1985年)で作風を一変。諷刺性にとんだ皮肉で滑稽な風俗小説、メロドラマ、少女小説、書簡体小説などを次々と展開(目白シリーズ)。蓮實重彦の『『ボヴァリー夫人』論』を介して、フローベールとの接点を探ります。『目白雑録』など辛口の批評的エッセイにも触れる予定です。
第3回 11月30日(土)13時30分~15時30分
長嶋有『夕子ちゃんの近道』を読む
長嶋有(1972~)は『サイドカーに犬』で文學界新人賞、『猛スピードで母は』で芥川賞、『三の隣の五号室』で谷崎潤一郎賞を受賞。『電化製品列伝』などの楽しいエッセイやマンガ評論(ブルボン小林名義)も書いています。『夕子ちゃんの近道』(2006年大江健三郎賞)は、古道具屋の二階に暮らす僕と周囲の人々を易しいことばと優しい視線で描いていて、具体的な細部に眼を凝らしていくうちに世界の見え方が変わるという不思議な小説です。
☆6月、7月と、もっぱら筒井康隆と金井美恵子の回の準備のために、せっせと本を読んでいます。
今は筒井康隆『虚航船団』、金井美恵子『岸辺のない海』、フローベール『感情教育』の三冊を同時並行で読んでいます。
セキュリティ対策完了(6月26日)
今日の成果は「新しいパソコンにセキュリティソフトを入れて有効にした」ことです。
二回もベイコムに電話して、教えてもらったおかげです。でも、自分が何に困っているかを、相手にうまく伝えるのは本当に難しい。
喋りながら、なんて要領を得ない話しぶりだ、と自分で思ってしまった。
でも、またひとつクリアしたぜ。やればできる。(もうこれが決まり文句になってきた、だんだん信仰に近くなっているような)
危ないところだった(6月23日)
新しいパソコンはゆっくり時間をかけて設定しようと思っていた。ところが、Officeの使用開始手続きが22日以降は無効になる、という表示が出た。よくわからないけれど、パソコンを使い始めて一週間以内にOfficeをインストールしないといけないらしい(推測)。それであわてて昨日インストールした。
これで、ワードもパワーポイントも使えるぞ、と思っていたら、メールがうまく設定できない。うちの奥さんは去年パソコンを買い替えたのだが、やはりメール設定に手間取ったとか。
あれこれやっているうちに、旧いパソコンを使ってso-netのホームページを調べてメール設定の方法を発見。それに従ってやったら、メール設定ができた。
やればできる。
でも、今回つくづく思ったことは、新しいパソコンを使えるように自力で設定するには、もう一台自由に使える旧いパソコンが必要だということ。紙のマニュアルがないのだから、ネット上のマニュアルや情報に頼る必要がある。パソコンの世界は「僕にはわからない用語」「僕にはわからない仕組み」が氾濫している。それを一つ一つ、ネットで調べなければ、先に進めない。
新しいパソコンに買い替えたんだ(6月20日)
ずっと使ってきたパソコン(2012年夏モデル)を買い替えることにした。
別にどこかが不具合というわけではないが、windows7のサポートが打ち切りになるし、ちょっと動作が遅くなってきたという感じはあった。
で、パソコンの雑誌を買って来て、電器店でカタログを集めて、ああでもない、こうでもないと考えた結果、結局今と同じダイナブックにすることにした。
ヨドバシカメラに出かけて、お店の人と相談し、ヨドバシのオリジナルモデルを買った。129800円。僕はゲームをしないし、ワードとメールとパワーポイントが使えれば、十分だ。SSDなんだぜ。
ストレージが少し足りないかも、もう一つの候補のHDDで1テラバイトと比べると、4分の1なんだけど、速さと安全性を優先しました。
(今回勉強したので、メモリとストレージの違いが分かりました。作業台と棚やね。)
持って帰って、とりあえず開けてみて、あわてた。パソコンが喋る(音声案内)。それに慣れたwindows7とは全然見かけが違うので、どうしていいか迷った。それに、紙のマニュアルがないので、電子マニュアルまでたどり着くのが一苦労。無線ランに接続するのに、「キー」が必要なんだが、何度やっても、「違います」というつれない反応。
もうこれは、ゆっくり一日一作業でやろうと決めた。それで今どこまで来たかというと、無線ランはつながった。文字入力の切り替えもわかった。そして今日はようやく、マウス(無線)が使えるようになった。やればできる(よなあ、きっと)。もっぱら、旧いパソコンを使ってネット検索しあれこれ調べて、課題を解決している。
でも、新しいパソコンが自由自在に使えるようになるのは、9月頃かな(希望的観測)。
2019年の市民のための現代文学講座の予定(5月31日)
毎年、秋に行っている宝塚市立中央図書館での「市民のための現代文学講座」、2019年の予定を立てました。
第一回 「筒井康隆の虚構世界」 9月28日(土)
第二回 「金井美恵子『文章教室』とフローベール『ボヴァリー夫人』」10月26日(土)
第三回 「長嶋有『夕子ちゃんの近道』を読む」11月30日(土)
これは去年の「井上ひさし、中上健次、川上未映子」の組み合わせに準じています。
つまり、第一回は大きくその作家の全体像を紹介、第二回はある作品を詳しく分析、第三回は若い作家の新しさを紹介、というコンセプトです。
世代的にも、井上ひさしと筒井康隆、中上健次と金井美恵子、川上未映子と長嶋有(4つ違いだけど)、ほぼ同世代といえるかな。
というわけで、今はせっせと筒井康隆を読んでいる所。筒井康隆はこれまでも結構読んできたし、本もある程度持っているんだけど、
家にあるはずの七瀬三部作、『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』がいくら探してもない。絶対買って読んだのに。
お気に入りなので売るはずないし。ううん、おかしい。
仕方がないので、今日、宝塚のブックオフで改めて購入。
こうして、本が増えていく。
阪本順治監督の『半世界』を観た(4月25日)
ひょっとしたら、生きている監督で一番好きなのは阪本順治かもしれない。『どついたるねん』からずっと観ている。『半世界』もDVDが出るのを待ってもよかったのだが、やはり映画館で観たいと思い、塚口サンサン劇場へ出かけて行った。阪急塚口駅の南側へ行くのは久しぶり。びっくり。サンサンタウン3番館が無くなっていた。跡地はブルーシートで覆われて、何やら工事中のようだ。ビルまるごと建て替えるのだろう。
『半世界』はとても良かった。映画を観た、という感じがした。俳優やストーリーや台詞でなく、画面の素晴らしさに引き込まれた。ワンシーン、ワンシーンが魅力的で、その撮り方、繋ぎ方がうますぎる。炭焼きの仕事をこんな風に丁寧に、しかもくどくなく、撮ることができるなんて。ラストシーンで、外は明るい光、薄暗い炭焼き場、軽快なフットワークでサンドバックを打つ中学生の息子の姿を観ているだけで涙がにじんた。
ブリコラージュ通信10号入稿(4月19日)
毎日少しずつ作っていた原稿がやっと完成。製本所に送りました。出来上がりは5月8日なので、それまではちょっと一服。
今回の目次を紹介すると
通信 №10 『枯木灘』から『奇蹟』へ
市民のための現代文学講座⑤ 中上健次『枯木灘』『奇蹟』を読む
市民のための現代文学講座 特別編 井上ひさしの劇世界―『全芝居』を俯瞰するー
『清教学園高等学校 探究科の記録2008―2016』を読む
こんな映画を観た 2018 DVD版
ふじもと通信・日録 2018年
ブリコラージュ通信・総目次
総ページ数は212。これまでで2番目の分量になりました。
『アタラント号』、『菊とギロチン』を観ました(3月6日、9日)
9か月ほど映画館にいけず、このままではいかん、と思い、映画に行くことにした。『アタラント号』はジャン・ビゴ監督作品で、名前だけは金井美恵子の『文章教室』で知っていた。九条のシネ・ヌーヴォでやると知って、思い切って出かけた。おかしくて何度か声を出して笑ったが館内はシーンとしてる。みんな名作のお勉強のために、来てるのか。感度が悪いのか。笑ってる僕がおかしいのか。
『菊とギロチン』は観たかったけど、機会がなくて、早くDVDにならないかと思っていたら、宝塚のシネ・ピピアで2018年秀作映画特集でやると知って、出かけて行った。関東大震災の時の、大杉栄虐殺、朝鮮人虐殺などが取り上げられていて、予想以上に面白かった。が、長い、そろそろこのあたりでラストかと思っても、まだ続く、ちょっと盛り込み過ぎ。なんと上映時間189分だった。東出昌大は好きだし、韓英恵(鈴木清順監督の『ピストルオペラ』の少女)がどんな大人になっているか知りたかったので、まあ満足。
五木寛之講演会に行きました(3月2日)
宝塚図書館の読書講演会に行ってきました。申し込みが定員の十倍だったとか、やっぱり知名度抜群で、人気があるんだなあ、と感心。挨拶で市長さんが「織江の唄」を歌ったのは、ちょっとびっくり。知ってるもんね、山崎ハコ。『青春の門』の歌でした。でもまあ古いなあ。
高校作文教育研究会に参加(2月17日)
清教学園の探究科の実践報告があるので、東京まで行ってきました。前日の土曜日に、横浜で一樹、元気とちょっとだけ遊んで、日曜日は10時半から16時半まで、片岡先生、山本先生、それに山崎先生の報告を聞きました。ネット参加(熊本、福岡から)も含めて、全部で17名の参加でした。高校生に四万字の卒業論文を書かせるこの実践については、ブリコラージュ通信№10に掲載するために、原稿を作りました。21ページのちょっとした分量です。
3月23日には朝日カルチャー芦屋教室で、とりあえず1回文学講座をやるので、ぼちぼち準備にかからねば。「伊豆の踊子」は何回か話したので、資料も沢山ある。
メール全滅の危機(2月7日)
1月の末に急にメールが使えなくなった。今までのファイルが全部消えていた。ああだろうか、こうだろうか、とあてもなく触りまくったが、全然変化なし。so-net連絡して、電話の指示に従って操作したが、原因不明。安心サポートに加入して別の担当の人に、遠隔操作してもらって、なんとか復旧した。Officeがもう弱くなっているとか。そろそろ買い替えの時期かな。
気がつけばもう1月も終り(1月25日)
去年の11月下旬から今年1月下旬まで、あっという間にすぎた。あわただしい日々の項目だけでも書いておく。
母が歩けなくなる、自動車接触事故、羽根ブトン購入、悠介北九州から日帰りで来る、叔母と従妹来る、妹夫婦来る、横浜から奈津子と元気一泊で来る、かかりつり医のT先生往診、甥っこ二人が家族を連れてくる(計8人)、妻誕生日、四国からみかん届く、四国から鰤届く、鰤さばく、悠介アメリカへ、救急車を呼ぶ、嫁と孫啓太郎来る、介護保険証更新、市役所へ、地域包括センターに連絡、ケア・マネージャー来る、自動車安全点検、妻定年退職、市の調査員来る、車イスをレンタルする、入浴専門のディサービスへ行く、愛媛から叔母従妹ら四人来る、ヘルパーさん来る、右眼眼球出血、片岡則夫さんから献本を受ける、デイサービスでショートスティの段取り、横浜東京のホテル確保、……
このほかにも次々新しい体験をして、忙しい毎日です。妹は毎週来るようになりました。病院や薬局には週に二回から三回行っています。
でも、昆陽池の散歩は欠かさずやっています。中上健次の『枯木灘』と『奇蹟』についての原稿は現在100ページ突破、清教学園の卒業論文実践についての紹介原稿は現在14ページ、「井上ひさし全芝居を俯瞰する」の資料は横書きで33ページ、「こんな映画を観た2018」は12ページ突破、もう160ページ分ぐらい原稿はある。でもまだまだ完成までには時間がかかる。
ね、わかるでしょ、藤本通信を書く暇がなかったのが。
..
2018年
2018年度「市民のための現代文学講座」完了(11月17日)
このひと月ほどは、「川上未映子づけ」だった。手に入る限りの本は読んだ。日本文学全集の現代語訳「たけくらべ」も読んだ。原文も再読。
歌手時代のCDも三枚購入、この二週間は繰り返し聞いた(講演会でどの曲を流すか決めるために)。
今日、宝塚市立中央図書館の「市民のための現代文学講座 第3回川上未映子の世界」をやった。
参加者は40名強かな。比較的、時間配分もうまくいき、言いたいこともほぼ言えたか、と思う。
6月に依頼を受けてから、この半年、この講座の準備をずっとしてきたので、やっと一服。三回とも、自分なりにわかったことも多く、やってよかった。
これから、この講座をもとに、ブリコラージュ通信の原稿をまとめることになる。「中上健次を読む」がメインになるが、もったいないので、井上ひさし、川上未映子の分も原稿にしようかと思うけど、作業量が厖大になるので、どの程度のものにするか、考えないと。
複視はほぼ全快。治ってしまえば、像がずれて見えていたことが信じられない感じだ。
『ヘヴン』の僕が斜視で、(片目を中心に見るので)世界像が平板だったのが、手術して、世界の奥行を実感するラストシーン、よくわかった。
えっもう11月だって(11月1日)
ちょっと日記をさぼっていたが、気がつけば今日から11月。びっくりびっくり。
忘れないうちに、9月後半、10月のことをメモっておこう。
母親が体調不良。停電の影響でもあるまいが、珍しく病院に連れて行ってと言うので、9月10日(月)かかりつけの医院で診てもらう。
14日(金)もう一度行くと、先生からすぐに市民病院へ行くことを勧められた。
検査後、入院を勧められたが、本人が絶対に嫌というので、1週間自宅で様子をみることに。
入院を覚悟して、21日(金)にまた検査、少し良くなったのか、今度は入院を勧められなかった。
その後、今日まで、どんどん弱っていくようで、親の老衰というのを目の当たりにしている。
上のような状況で、和泉ワクワク講座に出かけた。
9月18日は「森絵都の世界ー『クラスメイツ』を中心に」、10月2日「村田喜代子の世界ー『ゆうじょこう』を中心に」。
10月11日宝塚中央図書館で「中上健次の世界ー『枯木灘』と『奇蹟』」の話をした。参加者42名。
今は11月17日の準備で川上未映子の本を集中的に読んでいる。これを乗り切れば、一息つけるはず。
宝塚市立中央図書館の講座、満員の盛況(9月15日)
「市民のための現代文学講座」第一回「井上ひさしの劇世界」をやりました。この講座も7年目。
今日の参加者は60名を超えていて、空いた席があまりないというほど。
常連の方も多く、中には宝塚良元校でやっていた文学講座以来、13年の付き合いという方も。
加古川から藤原さん(舞子高校での同僚、40年以上のつきあい)、おさなご保育園から徳永、小西、市枝さん、卒業生の後藤くん、高校演劇の長谷川さんと知り合いも沢山来てくれて、賑やかだった。
今回は新人司書の方が担当(以前からの永尾さんもサポート)で、事前の打ち合わせもしっかりして、DVDの試写もして準備しました。
レジメ原稿も例年より早く渡しました。
井上ひさしの全芝居(手に入るものだけ、60本以上)も、全部あたったし、何でも聞いてくれ、って気分。
まあ、片目でよく頑張った、と自画自賛。
さて、次回「中上健次の世界」(10月20日)の準備をやらなければ。
台風21号で停電あしかけ五日(9月14日)
台風21号が9月4日(火)に近畿を直撃。昼過ぎに停電した。町内では夜に復旧している家が多かったが、うちの並びの家は停電のまま。まあそのうちつながるだろうと、思っていた。翌日は市バスが全面ストップ。交通信機が作動していない所があるようだ。171号線、市役所前には警官が出て、指示していた。市役所も停電。久しぶりに電気のない夜が続く。ろうそくの明かりで、ラジオを聴くというのも、雰囲気があるけれど、これが3日、4日となると、ちょっとなあ。冷蔵庫が一番心配だった。スーパーやコンビニで氷を買ってきた、冷凍庫に入れる。
7日(金)に関西電力のコールセンターに電話。妻は阪神営業所や伊丹市の防災センターに連絡。自治会長さんも別のルートで連絡してくれたらしい。
8日(土)の午前中に、工事の人が来てくれて、やっと復旧。
この間、6日(木)未明に北海道で地震、全道停電、という事態も出来。
結構、電力供給システムも脆いものだ、と思った。
ツタヤもブックオフも行けない夏(8月21日)
まだ片目生活は続いていて、「気分は柳生十兵衛」。近衛十四郎(松方弘樹のお父さん)でもいいけれど、やっぱ、千葉真一かな、気分だけだから、ええよな。
とにかく、自動車を運転できないのが、こんなに不便だとは思わなかった。ツタヤにもブックオフにも行けない。
ちょっと前までは中山寺のパンネルへ、週に一度は食パンを買いに行っていたが、これもご無沙汰だった。一昨日に、よしバスで行くか、と一念発起。でもバスは二時間に一本。中山寺から帰りの便も一時間以上待たないとダメ。それでも行ってみると、ちょっとした旅行気分で、たまにはバスもいいなあと思った。
で、今日は、秋の「市民のための現代文学講座」の打ち合わせで、清荒神にある宝塚市立中央図書館まで、往復、阪神バスで行ってきました。またまたちょっとした旅行気分(パート2)。
担当の人に聞くと、今の現在、申し込みが3回(九、十、十一月)とも40人ほどとか。えっ、そんなにと、ちょっとびっくり。頑張らねば。
井上ひさしの全戯曲にあたると決めて、どんどん読んでいって、残り四作品。ゴールは近い。でもでも、昔読んだのは細部を忘れてるので、読み直しが必要かも。六十本以上あると、次々に忘れていくんだよなあ。読んだ本はどこに行くのか(by鶴見俊輔)。
この夏を乗り切れるのかなあ(7月20日)
7月5日から大雨が続く、6日は会社で帰宅命令が出たが、阪急もJRもちゃんとは動いてない、と妻から連絡がある。JRなら尼崎駅までは行けるというので、車で迎えに行く。これがこの夏の最初の暗礁だったが、まだこの時は運転もできた。
豪雨は続き、交通も寸断、7日に甲南女子大で予定されていた阪神近代文学会も中止になった。
8日、大阪市立中央図書館へビデオとDVDを返しに行った。地下駐車場に車を止めて、その時初めて財布を家に忘れてきたことに気づいた。車に常備している小銭入れがあるので、事なきをえたが、こんなことはほとんど初めてのことだった。
9日、朝起きると視野がおかしい。車を動かそうとして、危険を感じた。物が二重に見える。やばい、と思うと同時に、またか、とも思った。実はこの症状は2000年、2010年にも経験している。眼球を動かす筋肉のどれかが炎症を起こしての複視だ。念のため、すぐに眼科へ。たぶん前回と同じでしょうとと言われて、一安心。前回は念のためのMRI検査もしたのだった。この日から片目生活が始まる。
豪雨はどんどんひどくなり、その後広島、岡山、愛媛などで川の氾濫、土砂災害で大変な被害が出ている。伊丹などは平坦な土地なので、水害は出なかった。
妻は10日から、予定通りポルトガルツアーに出かけてしまった。(17日帰国)
14日頃から猛暑が続き、経験したことのないような夏が始まる。
車の運転ができないので買物もままならぬ。連日35度、36度、37度、の日が続き、外を歩いて行くのもためらうほど。
片目生活は3か月ほどかかりそうだし、酷暑は出口が見えない。
東京での「夏の文学教室」参加は中止、シネ・ヌーヴォで開かれる「ATG映画特集」も無理。
ひたすら静かに、この酷暑と片目生活をやり過ごすしかない。
井上ひさしの劇世界に(6月27日)
秋に宝塚市立中央図書館で井上ひさしの劇世界を取り上げる予定で、今その準備をせっせとしている。
24日(日)に、大阪市立図書館(島之内図書館)へ初めて行ってきた。大阪市立図書館の中央図書館(西区北堀江)は児童文学の資料を探しに以前よく通った。今回は井上ひさしの劇のビデオやDVDを探したのだが、島之内の地域図書館に「頭痛肩こり樋口一葉」と「きらめく星座」があった。ついでに野田秀樹の「贋作・桜の森の満開の下」と斎藤燐の「上海バンスキング」のビデオも借りた。
大阪市立図書館には23もの地域図書館があるらしい。そういえば伊丹のような小さな街でも、分館が三つ、分室が一つある。
大阪市立図書館の図書カードは四年前にきれていたので、更新して貰った。
今日は、西宮へ井上ひさしの「夢の裂け目」(東京裁判三部作の一つ、段田安則主演)を観に行く。
いろいろな工事(6月)
結果的に6月は「いろいろ工事の月」になった。⑴通信の回線・ブロバイダーを変えた。⑵廊下、階段に手すりをつけた。⑶エアコンを買い替えた。
⑴は3月末に営業担当者の訪問があり、キャンペーン中ということで話を決めた。⑵は介護保険の補助申請のために地域包括センターの担当者に来てもらったのが昨年の12月。それから母親の介護認定をしてもらい、工事の見積もりを出し、なんやかやで市役所に行き、やっと完成。⑶は暑くなる前に買い替えたかったので、ヨドバシに2回見に行って、決めた。決めて1週間で新しくなった。
⑴は3ヶ月、⑵は半年、⑶は半月、と「決めてから実現までの時間」は違うが、一度に三つの工事が重なった。その直後に、ちょうど六甲全山縦走完成の翌日に、北大阪地震が起きた。幸い、うちは、本棚の上から文庫本の箱二個が落ちた程度だったので、被害はなかった。
六甲全山縦走パート6・完結編(6月17日)
今日も快晴の絶好のハイキング日和。
神戸市営地下鉄の三宮駅から谷上経由で有馬口駅まで。そこで乗り換えて、一駅だけ先へ、ついたのは有馬温泉駅。日曜日とあって駅前は多くの人で賑わっていた。お土産物屋も覗かず、ひたすら有馬ロープウェイ駅を目指して、坂を上っていった。1100m先の看板が何カ所かにあり、行けども行けども「1100m先」なのかと不安になる。
だいぶ登って行って、稲荷神社まで来て、地図を見ると、どうも道が一本違うようだ。またか、と思いながら、思い切って、階段を下まで降りて行き、振り出しの神鉄の有馬温泉駅まで戻ることにする。そう、迷った時は、出発点まで引き返すのが、結局は早いのだ。
途中、有馬温泉のお店を横目に、狭い道をさっさか下る。のんびりと散策している旅行客とすれ違いながら、「こっちは急ぎ旅なんでい」と心の中でつぶやく。気分は木枯らし紋次郎。
駅前の乗り場からタクシーに乗る。運転手さんに稲荷神社の辺りまで行ったんですけど、と言うと、「ああ、それもう少し進んで、下の道に降りればロープウェイ乗り場だったんですけどね」と言われる。聞きたくない真実ってある。でも、タクシーのおかげで、なんとか楽にロープウェイ乗り場に到着。630円は安い。
20分おきの運行で、10時10分のに乗る。始発が9時30分だから、まあこれぐらいの遅れは許容範囲だ。
ロープウェイは席も多くて座れたし、見晴もよくて最高だった。三田の方まで見えた。
ガーデンテラスから、タクシーがあれば今日の出発点の「縦走路分岐点」まで乗るつもりだったが、影も形もない。まあ仕方ない。前回と同じコースを4キロほど歩くことにする。途中、車道と縦走路が何度も交差するのだが、ひたすら車道を歩く。「こっちは急ぎ旅なんでい」と気分は市川雷蔵。車道と縦走路の交差点で迷っているお爺さんがいたので、縦走路はすぐにまた車道と交差するので、急ぐのなら車道を行った方がいいですよ、と教えてあげる。一軒茶屋に行きたいのだ、ということで、それなら車道をと勧めて、旅を急いだ。
一軒茶屋の所で11時15分、少し早いが、昼食にする。おにぎり(シーチキンマヨネーズ)と「うさぎのまくら」を食べる。すぐ出発。
「縦走路分岐点」から山道に入ったのが11時37分、もうここから逃げ道はない。ひたすら宝塚まで13キロ歩くしかない。
今日は予想以上にハイカーが多いので、心丈夫だ。万一の場合でもなんとかなるだろう。
山道を走る人も何人もいた。宝塚の方から登ってくる人も多い。こっちは、ただひたすら下るだけ。急ぐ旅でもないので、ゆっくりマイペースで下って行く。後ろから来る若い人には、脇によけて、道を譲る。譲り合う心一つで事故はゼロ。
この分岐点から大平山、譲葉山、塩尾寺(えんぺじ)、宝塚駅までのコースは、これまで何度も歩いていて、比較的楽だと分かっている。全山縦走で早朝に須磨を出発して、この辺りまで来ると、闇の中をランプを頼りに進むことになるのだが、今日はまだ明るくて、周りの木々の緑も鮮やかで最高。遠くに宝塚の街や、競馬場も見える。
途中で2度目の昼食を摂る。おにぎり(塩昆布)と「かりんと饅頭」。
塩尾寺からが結構きつい下り坂になる。実は山歩きは下りの方が気を付けないといけないのだ。膝を痛めるので。右膝がちょっと痛み出した。
ゆっくり、ゆっくり。
15時ちょうどに、宝塚駅に到着。今日は17キロを、4時間半で。まあ予定通りだ。これで六甲全山縦走路(全54キロ)を完全踏破。やればできる。
6回の累計は18時間30分ぐらいかな。道に迷って余分に時間がかかったり、同じ道を2度歩いたりもしたけれど、それらをさっぴけばざっと17時間か。
初めての六甲全山縦走は約15時間(この時は死にかけました)。最後の、4度目の時は12時間半。まああの頃は40代だったし。
めでたさも中くらいなり山歩き(ちょっと盗用)
とりあえず、今年の新年の抱負は果たした。有言実行、ふんふん。
今年の仕事の予定(6月3日)
例年のように依頼があって、秋の仕事がほぼ確定しました。
和泉市男女参画センターでの「やさしい文学講座」(全二回)
第1回 9月18日(火曜日) 森絵都の世界ー『クラスメイト』を中心にー
第2回 10月2日(火曜日) 村田喜代子の世界―『ゆうじょこう』を中心に
宝塚市立中央図書館での「市民のための現代文学講座}(全三回)
第1回 9月15日(土) 劇作家としての井上ひさし
第2回 10月20日(土) 中上健次の世界ー『枯木灘』を中心ー
第3回 11月17日(土) 川上未映子の世界ーデビュー作から最新作までー
毎月第二水曜午前中 つかしんカルチャーの教室もやってます。
6月は木内昇「てのひら」、7月は道尾秀介「春の蝶」、8月は桜木柴乃「海へ」、9月は高樹のぶ子「トモスイ」です。お試し見学は無料です。一度覗いてみてください。
六甲全山縦走パート5(6月2日)
快晴の土曜日、絶好のハイキング日和とあって、今日は今までで一番ハイカーを見かけました。
王子公園駅からバスで摩耶ケーブル下まで行く予定で出かけたが、ケーブルの始発が10時なので少しゆっくり家を出たのが失敗。
バスが出た所で、よし歩くかと思ったのが2つ目の失敗。登り坂がどこまでも続いて、このままでは山歩きまでにへたってしまう。そこへ折よく坂バス(小さかった)が来たので、それに乗車。なんとかケーブル駅までたどり着く。10時20分に乗る。ケーブル、ロープウェイと乗り継いで、摩耶山の掬星台へ。
で、前回の続きスタート、10時50分。アゴニー坂、自然の家、丁字ヶ辻、記念碑台、ゴルフ場、と順調に進んで、ガーデンテラスに到着したのが、13時前。約7キロを2時間弱だから、予定通り。途中でおにぎり(シーチキン)、一本満足バーを食べたので、ここではソフトクリームを。
ここでやめて有馬へロープウェイで下りるか、もう少し歩いて宝殿橋まで行くか、2つプランを立てていたが、調子もいいし、晩御飯も作らなくていいので、宝殿橋まで進むことにした。
一軒茶屋で、六甲山最高峰(931m)まで行くかどうか迷ったが(全山縦走では通らない)、300m先というのと、多くのハイカーが行くので、それについて行った。頂上は若い人で賑わっていて、見晴しもよかった。一軒茶屋まで戻って、自動販売機でスーパーH2Oを購入、歩きながら水分補給。
全山縦走では、一軒茶屋を過ぎると自販機はないし、縦走路分岐点から山道に入ると、もう宝塚のゴールまで山また山の13キロになる。
今日は分岐点から縦走路をはずれ、車道を宝殿橋バス停に向かう。ここからは長い下り坂。バスは1時間に一本。ひたすら芦有ドライブウェイの出口を目指す。これが長い。時間との闘いになった。なかなか目的地が見えないので、次のバスまで1時間待つか、急ぐ旅でもないし、と思っていたら、ドライブウェイの出口が見えた。あと7分。走りました。間に合った。5分前、バス停にはボーイスカウト、ガールスカウトの少年少女がバスを待っていた。
バスは時間通りに来た。でも乗ってる人が多くて、最後に乗り込んだので席はなかった。すると前の若い女性が黙って立ち上がって席を空けてくれたが、ちょっと面はゆいので、遠慮して(見栄を張って)立っていた。これが今日3つ目の失敗。このバスは阪急芦屋川まで30分くらいかかり、バス停に止まるたびに乗客は増える一方、最後は朝の通勤ラッシュ並のこみ方だった。しかも大きなカーブの連続で、右に左に振られて大変。バスを降りた時、耳の感じがおかしかった。急な降下に身体がついていけなかったのだろう。鼓膜が変な感じで、つばを飲み込んだり、深呼吸したりして、なおした。それにしても芦屋は、阪急沿線から南しか知らなかったから、こんな山奥も芦屋だったとは。奥が深いというか、芦屋って山奥の田舎やんか、急な坂ばっかりやんか、と思った。イメージが一新されました。
いよいよ、あと一回で全山縦走完結。問題は、分岐点までどうやって行くか、だ。宝殿橋からあの長い坂を上っていくのはなあ、30分以上かかりそうだし、ばてそう。有馬からガーデンテラスまでロープウェイで行けば、今日頑張った分はチャラ。ガーデンテラスから分岐点まで4キロほどを歩くことになり、宝塚まで17キロ。ううん、迷うなあ。
県伊丹40回生の同窓会に行ってきました(5月19日)
案内をもらった時、えっどんな学年だったかなと記憶が定かでないので、裏の倉庫に放り込んである古い資料を探しに行くと、いろいろ出て来ました。3年生の時の文集をはじめ、1年、2年の時のクラス合宿の冊子とか、何やかや、卒業アルバムをめくるうちに、ああこんな学年だった、と記憶が蘇えって来ました。
国語表現の授業を『ことばさがしの旅』という本にしたのが、30年前。ちょうどこの学年の生徒が中心だった。広告分析の発表の様子を撮ったビデオも出て来たし、なんと1年3組の全員が1年間の感想を話しているビデオも発見。こんなものが残っていたんだ。
3年の嵐山遠足の写真もあった。うちのクラスは、男女が手をつないでゲームをしていて、全力疾走している姿が若々しかった。文集によれば、男の子がひっぱるので、ころんでしまった女子もいた。
そうか、この学年は一番記録が残っている学年なのか。記憶が薄れても、記録があれば、思い出せる。
そういうわけで2週間ほど予習していったので、参加者の多くは誰かわかった。卒業生57名、教員4名と、少し参加が少なかったのが残念だったけど、30年ぶりに若返った気がした。
ざこば一門会を聴きに行く(5月15日)
ピッコロシアターで開催された「ざこば一門会」に行ってきました。席は前から三列目の右。桂鯛蔵、桂ちょうば、桂ざこば、桂出丸、桂塩鯛、の順だった。
師匠のざこばが中入りの前なのは、一年前に脳梗塞で倒れてまだ完全には治りきっていないからのようだった。ざこばさん、ことばに詰まることはあったが、まあまあ元気だった。
トリを務めた塩鯛は初めて観たが、「小間物屋政談」をじっくりと語り、なかなか聴きごたえがあった。
隣りの席のアベックの女性は最後泣いていた(と思う)。僕もちょっとウルッとなった。江戸へ仕事に出て帰ってみたら、自分は死んだものとされていて、女房は再婚していたという、ちょっと伊勢物語を思わせるストーリーだが、巧みな語りで随所に笑いをちりばめていて、とても面白かった。
家に帰ってユーチューブで志の輔の「小間物屋政談」を少し聴いてみた。大きな笑いの箇所は同じだったので、これは演者よりも作者の仕掛けた笑いだったんだとわかった。
六甲全山縦走パート4(5月12日)
三宮から市バスで大竜寺まで。そこから再開、市ケ原から天狗道を経て摩耶山の掬星台まで。約5.2キロ、1時間45分ほどの行程だが、2時間10分かかった。まあ、急な山道で、全縦第二の難所と言われているパートなので、もっとへばるかと思ったが、なんとかこなせた。
摩耶ケーブル、摩耶ロープウェイを乗り継ぎ、バスで阪急六甲駅へ出た。
今日は、餃子屋さんを見つけられなかったので、家まで戻り、フルグラを食べた。
これで28.7キロだから、残りは25キロほど。あと2回か3回と見通しが立ったが、どちらにしても最後のコース(六甲ガーデンテラスから宝塚まで)が下りとは言え、17キロほどなので、ちょっと不安視していたが、ネットで登山ブログを見つけ、石宝殿まで芦屋川からバスで行けることがわかったので、これや!と思った。13キロならやれるかな。
というわけで、次回は摩耶山から六甲ガーデンテラスまで7キロ、次々回は六甲ガーデンテラスから石宝殿まで4・2キロ、そして最終回は石宝殿から宝塚まで13キロ。やったぜ、全山縦走!なんかもう終わったような気になった。
六甲全山縦走パート3(4月28日)
前回の続きで、鵯越駅から菊水山、鍋蓋山を経て、大竜寺まで。約7、3キロ、2時間半ほどの行程。3時間半ほどかかった。
9時に鵯越駅を出発。スタートから道を間違え、15分のロス。
途中、おじいさんに話しかけられる。大正5年生まれで、103歳だとか、びっくり。「あけびがない」と言っていたが、元気そうで話し好きだった。
菊水山頂上で休憩、地図の字がかすれているので、低血糖が起っているとわかったから、おにぎりを食べる。大竜寺のバス停で、おにぎりをもう一つ。
バスで三宮まで降りて、餃子を食べる。
今回、菊水山、鍋蓋山という2つの山は結構、登りがきつくて難コースなので、もしもに菊水山の頂上から鈴蘭台に逃げるコースも考えておいたが、必要なかった。結構元気で予定をこなせた。これで全体の5分の2。夏までに全部終えられるかな。
六甲全山縦走パート2(4月19日)
約1ヵ月ぶりに、六甲全山縦走(分割払い)をやった。
前回の続きとして、地下鉄妙法寺駅をスタートし、高取山を越えて、神戸電鉄鵯越駅まで。約6キロで、2時間コースなので、まあ3時間以内のつもりで9時半に出発。ところが高取山への登り口を見落として、どんどん長い坂道を上がって行き、どうもこれは違うと気づいて路を引き返し、やっと元のコースに戻ったのが10時30分。ざっと40分のロス。
全山縦走のコースには、結構「矢印」が電柱などに貼られていて、ちゃんと見ていけば間違えないのだけど、何故か、大事な地点で見落としてしまった。
高取山の登り口付近で、高校の生徒たちとすれ違った。たぶん学年行事か何かだったのだろう。挨拶をしてくれるのはいいのだけど、一学年6クラス分ぐらいの列とすれ違いながら、挨拶を返すのは、結構大変。
高取山は比較的登りやすい山なので、頂上の神社付近では幼稚園の生徒たちと出会った。
参道を下りながら、今日は比較的楽なコースだったな、と思っていたが、実はそこからが大変だった。町中に入って、鵯越駅までが、軽いアップダウンがどこまでも続き、ちょっと閉口。
軽いコースと甘く見て、今回はカルピスウォーターしか買わなかったが、鵯越駅直前の長い坂道で、エネルギーが切れた。ウェストポーチに常備しているブドウ糖と、出かける時に入れて来たスニッカーズミニ(97カロリー)を摂る。12時半に駅到着。3時間かかった。標準的な時間の1.5倍か。
鵯越駅から新開地まで戻り、「ラーメンと餃子」を食べる。
保育園と小学校の空隙を埋めに(4月7日)
四月一日から五日まで、横浜に家事手伝いに行ってきました。一樹が小学校に入学することになったのですが、保育園は三月末まで、小学校の学童保育は入学式以後から、ということで、四月二日(月)から四日(水)までは預ける所がなくて困ってると、娘からSOSがあったので、出かけていきました。
一樹とは公園でラジコンカーを走らせたり、海老名まで『ドラえもん のび太の宝島』を観に行ったり、一緒にゾロリの絵本を作ったり、トランプの神経衰弱をしたり、野球をしたり、いろいろ遊びました。
夕方には元気(一歳半)が保育園から帰ってきて、回転いすに乗りたがったり、LEDスタンドのスイッチを押したがったり、絵本を持ってきて読めと要求したり、……、きゅうきゅうしゃ、も言えるようになっていました。
五日の入学式は一緒に出掛けてきました。考えてみれば、自分の子供の時には一度も入学式に参列したことなかったなあと思い、初めて小学校の入学式を見学。最初の二年生の歓迎の歌が良かった。あとはもっと省略できるのにと思った。校長の挨拶も保護者向けの部分は、子供たちには退屈だったはずだし、来賓紹介なんて大人でも退屈だった。
夜間定時制で総務をやっていた時は、入学式前後の仕事が大変だった。わかりやすく説明するのってむずかしい。
伊丹に帰ってきて、咽喉が痛くて、身体がだるくて、ダウン。行く前から四泊五日が限界かと予想していたが、やっぱり限界だった。
六日に病院に行き、インフルエンザの検査も受け(大丈夫だった)、薬を貰って、ずっと寝ていた。
ようやく、少しましになった。家事手伝い(子どもの相手を含む)も、身体をはった大仕事、というのが実感です。
『ブリコラージュ通信№9』発送完了(3月26日)
20日に製本所から、届いたので、発送作業を開始。今回は冊子をポリ袋に入れて、防水対策をしたので、いつもよりひと手間かかり、22、23、26と3日にわけて郵便局に持って行った。郵送84部、手渡し3部で、残りは13部になった。これでしばらく、ゆっくりできる。
「シャンハイムーン」を観てきました(3月15日)
兵庫県立芸術文化センター(西宮)で、井上ひさし脚本の「シャンハイムーン」を観てきました。野村萬斎が魯迅を、広末涼子が妻広平を演じていました。随分前にBSで観たのに比べて、今回は全体的に笑いが抑えられているように思った。でも後半は感動的で、劇を観たという気になった。。
六甲全山縦走(分割払い)スタート(3月11日)
須磨浦公園から鉢伏山、旗振山、鉄拐山、高倉台、栂尾山、横尾山、須磨アルプス、東山、妙法寺駅まで約10キロのコース。標準でざっと2時間半かな。
午前9時35分に出発して、妙法寺駅に着いたのが、午後1時頃、3時間半かかったことになる。まあ、無理をせずにゆっくり歩いたので、こんなものかな。
途中、これまでこのコースを歩いたことをいろいろ思い出した。中学生の時、初日の出を拝みに、鉢伏山に登った、あれは50年以上前!。川西明峰高校のワンダーフォーゲル部の顧問をしていた時(約20年前)は、練習も含めて何度かこのコースを歩いた。高倉台の団地を抜けて、栂尾山の階段は348段あった。あの頃はきついと思ったが、今日はきついと思わないように、ゆっくり上り、何度も途中休憩した。無理をしなければ、やれる。
グループで来ている人たち、家族で来ている人たち、走っている人もいた。それに影響されないように、マイペース、マイペース。
シャリバテしないように、バナナとコンフォート(チョコビスケット)を食べる。
東山を降りて、友人の泉くんの家の前を通ると、玄関口に奥さんと犬がいたので、しばし歓談。泉くんは試験があるので学校に行っている、と聞いてピンとこなかった。えっ、期末考査はもう終わってるだろ、とか思ったが、そうか兵庫県の高校入試か。
妙法寺駅の大阪王将で「ラーメンと餃子」を食べる。
ピッコロシアターで卒業公演を観ました。(3月4日)
ピッコロ演劇学校・舞台技術学校の合同卒業公演を観に行きました。本科の『プレシオスの鎖を~「銀河鉄道の夜」からの心象スケッチ」』と研究科の『新天地へ~ある家族たちの物語~』の2つ合わせて3時間半。さすが研究科はしっかりした舞台でキャラクターも立っていて、アイルランドの移民の話も面白かった。
最後に本科、研究科の全員が舞台に並んだら、役者約60人、舞台技術者約20人で、壮観だった。いやあ、青春、って感じで、ちょっと感動。友達や後輩や親戚らが花束を次々にもって舞台に上がっていた。一人で5つも6つも貰っている子もいれば、全然の子もいて、それはそれで、さもありなんと思った。
福岡伸一さんの講演を聞きました(2月25日)
宝塚市立図書館主催の読書講演会に行ってきました。今年は福岡伸一さんで、『動的平衡』を読んで予習して講演会に臨みました。いつものように売布のピピアに駐車して、一駅分だけ阪急電車で移動。余裕で15分前に会場に到着、のはずが、あれベガホールは閉まってる。あわてて、案内のチラシを読みなおすと会場は中央公民館とある。毎年、ベガホールで開かれていたので、ちゃんと見てなかったんだ。図書館に飛びこんで、すみません、この中央公民館ってどこにあるんですか。それから方角を間違え、徒歩40分。宝塚彷徨中、橋で宝塚歌劇学校の生徒と思しき二人連れと遭遇。いかにも男役と女役、といった風情で、手をつないで歩いていた。中央公民館を探して、迷いながらなんとか着いたけれど、講演は始まっていた。
帰る時にも方角を間違って、徒歩40分。今日のウォーキングはいつもの倍になった。
福岡さんの話は難しかったけど、予習していったので、まあわかった。講演のあと、高校生がしっかりした質問をしていて、感心した。
ブリコラージュ通信№9 の原稿完成(2月25日)
個人誌ブリコラージュ通信№9の原稿がすべて完成。目次もあとがきも全部できました。
目次はこんな具合です。
開高健『夏の闇』を読む p5~p128
佐々木千世子を探して p129~148
森絵都『クラスメイツ』を読む p149~179
こんな映画を観た p180~192
ふじもと通信・日録 二〇一七年分 p193~p202
あとがき p203~p206
№9のタイトルは《『夏の闇』と旅する女》です。
各号のタイトルを考えるのが、結構楽しみです。これまでは、
№6 バースディ・ガールは瘋癲老人日記を読んだか
№7 モダニズム文学としての『笹まくら』
№8 『万延元年のフットボール』観戦記
№9は、どんなのにしようかと、いろいろ候補を考えました。
・『夏の闇』にさまよう、『夏の闇』をさまよう、『夏の闇』に女は消えた、『夏の闇』に消えた女、レトリックの森『夏の闇』、
女と旅する『夏の闇』、『夏の闇』レトリック分析、『夏の闇』レトリック縦走録、など思いつくままに挙げてみて、
なんかTVのミステリーの題名みたいなのもあり、いかん、いかん、安直すぎる。
『夏の闇』レトリック縦走録にしようと決めて、表紙も作ったのです。
たまたま妻にたずねられたので発表すると、「じゅうそう」ってどんな漢字と聞き返された。
そうか、レトリックの山頂をいくつもいくつも超えて、『夏の闇』という山系を踏破した記録ですというのは、一般の人には伝わらんか。
六甲全山縦走っていうやん。
まあ、そういうことで、わかりやすくてシンプルな、『夏の闇』と旅する女、にしました。
タイトルの意味は、①『夏の闇』を読むという原稿と佐々木千世子を探しての原稿をカバーしている、
②『闇』を抱え込んだ男と一緒にヨーロッパを旅するヒロイン、の二通りにとれますが、…。
もちろん、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」とは一切関係ありません。念のため。
秋定くんとランチ(2月6日)
神戸元町で秋定くんと会って、ケンミンビーフンの店でランチを食べた。
去年の7月に藤原さんの展覧会で会って、「またメシでも食おう」と約束したのに、なかなか果たせず、年を越してしまった。
そのうちに、とか、またいつか、とかいう約束は、意識的に果たさないと、結局実現しないことになる。
秋定くんはヨーロッパへ旅行する予定だそうで、今度は、5月に会おうと約束して別れた。
落語を聞きにピッコロへ(2月4日)
ピッコロシアターに「桂米團治独演会」を聞きに行ってきました。
やっぱり生は面白い。「枕」が新鮮で、工夫されていて、爆笑した。
米團治は三席演じたが、「枕」で米朝、枝雀、ざこばの姿をちらっと見せていた。
芝居噺もじっくり演じてくれて、忠臣蔵の「鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ」という有名なセリフの意味もよくわかった。
「井の中の蛙」をふまえて、「井の中の鮒」という風に言ってたんですね。
最後のお遊戯会を見に横浜へ(1月28日)
一樹の保育園最後のお遊戯会見に来ない?と誘われたので、横浜へ行ってきました。保育園ではインフルエンザが大流行、一樹もB型に罹ったと聞いて、僕も念のためにワクチンを打ってもらった。ホームドクターT先生に、いつぐらいから効力を発揮しますか、ときくと、まあ10日から2週間後やな、との返事。3日前に打っても全然まにあわへんやん。
畑井さんと高橋さん来訪(1月24日)
「伊丹聞き書きプロジェクト」の畑井さんから、「聞き書き」のことを訊ねたいと申し入れがあったので、家に来てもらった。
畑井さんは元伊丹市立伊丹高校の先生だった。一緒に来た大学院生の高橋さんも交えて、「聞き書き」の話を三時間ほどした。
僕が最後に「聞き書き」の授業をしたのは、十五年以上前。客観的に見れば、まあ年寄りが昔話をながながとしたことになる。
石切山で初トレーニング(1月13日)
元旦から割と真面目に、昆陽池ウォーキングを続けていて、まだ1日しか休んでない。
それで今日は久しぶりに、川西の石切山へトレーニングに出かけた。川西明峰高校に勤務していた頃は、ワンダーフォーゲル部の練習場だった。夏の北アルプス登山、秋の六甲全山縦走の前は、部員たちとこの石切山でトレーニングした。定年後も時々は来てたのだが、孫の一樹と来たのを最後に、しばらく御無沙汰だった。
今年こそは「六甲全山縦走(分割払い)」をやろうと思い立ち、まず石切山で足慣らし。今日はまあゆっくりと歩いたので、全然問題なし。
六甲全山縦走(54キロ)を1日でやるのは、もう無理なので、十回ぐらいに分けて、山歩きする予定です。これが今年の抱負。
2017年
70cmのブリをさばく(12月30日)
四国の叔父さんの所から、70cmのブリが届いた。いつもかまぼこなどを送ってくれていたのだが、今年電話で「ブリとどっちがいい」と聞かれて、深い考えもなく「ブリがいいです」と答えてしまった。切り身かと思っていたら、丸ごと一匹届いて、どうしようか、迷ったすえ、自分でさばくことにした。ぶりはおろか、そもそも魚をおろしたことなど皆無。妻はスーパーにお金を払いますからと頼んでみたら、などと軟弱なことを言う。ユーチューブでいくつか検索してみて、比較的わかりやすいのを、参考にさばいていった。ブリの鰓があんな風になっていたとは知らなかった。頭を落し、腸を抜き、三枚におろし……やりました。大きいので、半身は近所の従弟の所におすそ分け。
三枚におろすのが上手くいかなくて、骨に身が一杯残ってて、それをそぎおとすのが大変だったけど、まあ、形は悪いが、なんとかやった。
来年からは「70cmのブリをおろした男」と名乗ることにしよう。ふふふ。
阪神近代文学会冬季大会に行ってきました(12月2日)
会員になって、堂々と参加。神戸海星女子大学なので、土地勘もあり、時間に余裕を持って行きました。少し早く王子公園駅についたので、水道筋商店街で昼食をとりました(食堂に、ネックウォーマーを忘れてきてしまった)。
王子動物園の西にある急な長い坂をゆっくり上って、会場に到着。
今回は、江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」、太宰治「津軽」、小松左京「日本沈没」についての発表でした。中国人の大学院生二人とアメリカ人の大学院生で、その流暢な発表に感心。会長の山本先生が言うには、もう日本人で大学院まで進む学生はほとんどいないらしい。でも国際学会の様相を呈していると見れば、それはそれでいいことなのかも。
スクリーン独り占め2 (11月30日)
原ゆたかさんから、新しい映画『かいけつソ゜ロリ ZZのひみつ』のチケットを貰ったので、今日梅田ブルク7へ出かけて行った。この年で一人で行くのはちょっと恥ずかしかったが、当分一樹(5歳)と会う予定もないので、一人で行った。恥かしくなかった。観客は僕一人。またスクリーン独り占めだった。
2度あることは3度ある。次は何だ?
スクリーン独り占め(11月22日)
11月に入って、時間の余裕ができたので、映画館に出かけることにした。20日(月)に、TOHOシネマズ伊丹で『ミックス』(瑛太、新垣結衣主演)、値段は0円(カードで六本観たので)、観客は10人前後かな。22日(水)に、塚口サンサン劇場で『リングサイド・ストーリー』(瑛太、佐藤梨枝子主演)、値段は千円(シルバー割引)、観客は僕だけだった。
これまでに観客三人とか、は何度が経験したが、まさかスクリーン独り占めとは、得難い体験というべきか。「咳をしても一人」という句があったけど、「映画館で笑っても一人」だった。
「佐々木千世子を探して」の原稿が一応できました。(10月28日)
10月12日の記事の原稿がちょっと前に完成したので、アップします。ここをクリックすると「佐々木千世子を探して」へ飛びます。
開高健記念館に行ってきました(10月13日)
茅ヶ崎市にある開高健記念館に、行こう、行こうと思いながら、延び延びになっていたけれど、横浜の一樹の運動会が14日にあるので、それを見に行くついでに、前日に記念館に見学に行くことにした。小雨のふる中、茅ヶ崎駅から市バスに乗り、バス停から600mほど歩いて到着。門の所にclosedの看板がかかっていて、あれっと思った。HPによると、金、土、日はやってるはずなんだがなあ。門が少し開いていたので、入って行くと、玄関扉にもclosedの札が。やっぱり、今日はお休みか、でも扉も少し開いていたので、中を覗くと、人が出て来た。今日はお休みなんですか、金曜日はやっていると思ってきたのですが。実は明日から新しい展示になるので、今日はその作業をしていて、休館にしたのです、とのこと。
どちらからお見えですか。兵庫県から。というやりとりをしているうちに、せっかくだから入ってもらったらという声もあり(館内に3人いた)、特別に見せてもらうことができた。あとで館長さんだとわかった女性が、とてもとても丁寧に展示物を説明してくださり、ライトを消していた、開高健の書斎もわざわざ扉を開けて電気をつけて見せてくれた。とにかく、フレンドリーで、とてもいろいろ案内してくれて、来てよかったと思った。若い頃の開高健や牧羊子の写真もあり、二人とも美男美女だった。牧羊子は柴崎コウに似ているという僕の説は、ここの写真で証明された。庭も見せてもらい、バーベキューができる炉もあった。(あまり使われなかったらしいが)、釣り上げた巨大な魚の剥製もすごかったけれど、トナカイの剥製にはびっくりした。こんな大きなのをハンティングしたのか。
そして、ここにしかないという「ごぞんじ、開高健」という小冊子(講演の記録等)や特別の記念誌「開高健の世界」を紹介してくれたので、喜んで購入。いやあ、来てよかった。また機会があったら、ぜひ訪れたいと思いました。
佐々木千世子をさがしてるうちに(10月12日)
開高健の『夏の闇』のヒロインのモデルとされる佐々木千世子について、調べていくうちに思いがけないことが次々にわかってきた。ブリコラージュ通信にまとめるつもりだが、メモしておく。
⑴『ようこそ!ヤポンカ』を、たつの図書館から取り寄せてもらって読んでみてわかったこと。
・本文中に二箇所、開高健の名前が記されている。
・ずいぶん幼い頃大連にいたことがある。
・神戸で生まれ育った。
⑵インターネットで検索していて、「群馬の森美術館ニュース」に出会った。その161号、162号に谷内克聡氏が「研究小話」という文章を載せている。
・岡本唐貴の「みどりの石」という絵は佐々木千世子がモデルである。
☆岡本唐貴はプロレタリア画家で、その長男が漫画家の白土三平、長女が絵本画家の岡本颯子(こまったさんシリーズ、わかったさんシリーズの作者)。
・佐々木千世子はワルワーラ・ブブノワの弟子であった。
☆ブブノワは、早稲田でロシア語を教えていた。画家としても有名。1958年に日本橋の白木屋で「画業50年記念展」を開催し、その後ソ連に帰国。日本に残されたブブノワ作品を管理したのは佐々木千世子。
⑶インターネットで、ブブノワを調べているうちに、「こどものとも」の松井直の講演記録に出会った。その中でブブノワが松井の依頼で絵本を描いたという話が出てくる。
イスを処分しにクリーンランドへ(8月3日)
長年使ってきた事務用のイスのキャスター部分が劣化して限界なので、買い替えることにした。
伊丹で何軒か、それから三宮ポートアイランドのイケアや東京インテリアも見て回ったが、帯に短したすきに長し、で、結局伊丹のニトリで買った。
買ったはよいが、これまで使っていたイスを処分しなければいけない。粗大ごみ扱いなので、事前に申し込んで、回収に立ち会って、300円をその場で払うことになる。面倒なので、直接、伊丹市・豊中市クリーンランドに持っていくことにした。去年、自治会の見学会の世話をしたので、場所はわかっている。電話で申し込んで、車に積み込んででかけた。
住民持ち込みゴミの受付所に並ぶと、処分するソファや木製家具を車に満載した人たちがいた。僕なんかイス1個なので、ちょっと気がひけた。入口で車の重さを計り、ゴミを捨てたあと出口で、もう一度車の重さを計る。その差がゴミの重さとしてカウントされるらしい。
道の青いラインを辿って、建物を一周するように移動して、焼却場に入る。ドアは自動開閉なんだ。誘導員が何人もいて、所定の位置に車を止める。
「そこに投げ込んでください」と言われた所は、二段階になっていて、手前の方でも二、三mはあるかな。イスをそこにそっと下ろそうと思ったが、ちょっと無理なので、結局「落した」。
出口まで行き、精算機に入口で渡されたバーコード用紙を投入すると、金額が表示される。言われた通りに「174円」を払う。レシートが出てくる。
よく見ると、「20kg、174円」とあった。あのイスが20kgだって。まあ10kg単位なんだろうけど、それでもあれが10kg以上あるとは思えないんだけど、…。
まあ、再計量を申し出るほどでもないか、と大人の判断をして帰途につく。
いやあ、なかなか楽しい体験でした。これからは何でも、持ち込んで処分できるぞ、「10キロ、87円」で。
西郷竹彦先生を偲ぶ会に行ってきました(7月29日)
文芸研の全国大会で「西郷竹彦先生を偲ぶ会」をやるというので、三宮の神戸芸術センターまで出かけました。
西郷先生は、文芸研を創設し50年にわたって活動をされ、今年6月に97歳で亡くなられました。
僕は大学生の時に、明石のサークルが西郷先生を招いて講義をしてもらうと聞き、、それに参加して、本当にその講義内容に驚きました。
教育学部のゼミナール実行委員会でも、西郷先生に来ていただいたりしました。
西郷文芸学との出会いがなければ、僕が『現代詩の授業』(1993年、三省堂)を書くことはなかったと思います。
僕は文芸研には加入してないけれど、何度か全国大会には参加しました。
2015年広島大会での西郷先生の講演が、僕の聞いた最後のものになりました。
偲ぶ会では、ビデオ上映もありました。全国各地で、小学生や中学生に授業をされている姿を見て、懐かしい想いを持ちました。
会の最後に、娘さん(音楽家)が馬頭琴の演奏をされたのですが、これほど音色が豊かで、音量の大きいものだとは思いませんでした。
阪神近代文学会夏季大会に行ってきました(7月15日)
会場は大阪市の平野にある常磐会学園大学でした。土地勘のない所なので、たどり着くのも、帰って来るのも、一苦労、二苦労。
発表は、芥川龍之介「お富の貞操」論、佐藤春夫と『聊斎志異』、中島敦「斗南先生」論、とどれも興味をひかれるものだったので、会員でもないけれど出かけました。発表者は3人とも中国からの留学生で大学院博士後期課程の女性でした。よく勉強していて感心しました。日本では文学部はもう消滅するのじゃないかと思っていましたが、中国の人は熱心に日本文学を研究しているので、彼我の落差を感じました。
この会に参加する準備として、佐藤春夫の『支那童話集』を所蔵している図書館を探したのですが、一番近くても大阪市立図書館にしかない。どうしたものかと迷っていて、伊丹図書館には佐藤春夫全集があるのを発見して、きっとこの全集の中に収録されているに違いないと見当をつけて、伊丹の図書館に行きました。さてそこからが一苦労。司書の方に相談して、いろいろ調べてもらい、二人で知恵を出し合って、たどり着いたのが、「別巻に目録があること+大阪市立図書館の内容紹介に具体的な作品名があがっていること」を組み合わせて、全集を調べ、第28巻にその作品がいくつも載っているので、これを使うことにしました。全集には『支那童話集』という作品集は収録されてなくて、個々の翻訳作品が発表された年次で収録されていたのです。
45分ほどかかりましたが、司書の方も「覚えておきます、次からは大丈夫です」と喜んでくれました。でも「佐藤春夫の『支那童話集』は全集の何巻に入ってますか」と次に訊ねてくる人はいないんじゃないかな。
藤原さんの展覧会へ、秋定くんを誘って(7月9日)
夙川の画廊で藤原さんが展覧会をやっているので、秋定くんを誘ってみました。もう40年ほど昔、僕ら3人は新設間もない舞子高校の同僚でした。秋定くんは奥さん同伴で画廊にやってきました。久しぶりに会って、一緒に食事しましたが、話していて全然違和感がなかったです
カキナーレ塾講座に参加(7月2日)
京都の岡崎公園にある「みやこめっせ」が会場でした。午前中は「現役若手教師とベテラン教師の集い」というフリートーク、午後は安積力也氏の講演がありました。
久しぶりに京都へ行き、市バスに乗ると日本語だけでなく、英語、韓国語、中国語の停留所案内が流れて来て、うーむ、ここはどこなんやと思いました。
勝手に上半期ベストDVD発表(6月25日)
最近は映画館へ行く機会が減った。そのかわりDVDの視聴頻度が上がりっぱなし。1月から今日までにDVDは55本観た。そこで、勝手にベストを発表。
新旧とりまぜてだけど、レンタル店で何かないかな、という時の参考にしてください。(順不同だけど、5段階評価でどれも5です)
・ガーディアン・オブ・ギャラクシー
・セトウツミ
・ハドソン川の奇跡
・だれかの木琴
・フリーダ
・ヨコハマメリー(ドキュメンタリー)
・淵に立つ
・湯を沸かすほどの熱い愛
今年の仕事予定(6月12日)
今年の講演の依頼がありました。
9月 和泉市男女参画センターでの講座(全二回)
講座 やさしい文学講座 ~詩から聞こえてくる声ー現代詩を読む~
第1回 9月12日(火曜日)①ことばあそびとライトバース
②恋の歌
③暮らしの中で
第2回 9月26日(火曜日) ①戦争のあとで
②挽歌あるいは人生の遠近法
③野崎有以の詩集「長崎まで」
9月~11月 宝塚市立中央図書館での「市民のための現代文学講座}(全三回)
第1回 9月 谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』
第2回 10月 開高健『夏の闇』
第3回 11月 梨木香歩『からくりからくさ』
毎月 つかしんカルチャーの教室もやってます。6月は中島らも「白いメリーさん」、7月は開高健「珠玉」です。
映画三昧の日々(5月21日)
原ゆたかさんから、DVDをダンボール一箱分貰った。まずスロバキアの監督マルティン・シュリークのDVDボックス『ガーデン』『私の好きなモノすべて』『不思議の世界地図』を観て、完全にはまってしまった。次にメキシコの女性画家の伝記的な作品『フリーダ』を観て大絶賛。
鈴木清順追悼の『ユリイカ』を読んでいて、観たくなり、レンタル店で、鈴木清順が日活で撮った『野獣の青春』『関東無宿』『殺しの烙印』を借りてきて観る。九条のシネ・ヌーヴォが追悼上映会をしているので、久しぶりに出かけて『春婦伝』(野川由美子主演)を観、上野昂志のトークショーを聴く。満員だった。
なんやかんやで、五月に入ってもう十二本観た。今『河内カルメン』(野川由美子主演)を観ている所。このままでは映画中毒になりそうだ。
食事会が続いた
4月、5月は食事会が続いた。まず4月中旬に先輩の中西さんと虫明けさんと3人で塚口でランチ、そのあと60年代を思わせる喫茶店へ。次に4月下旬に舞子高校の卒業生、岡田(田中)、谷山(浅利)、竹内と4人で西宮ガーデンズで食事。最後はGW明けに、宝塚良元校の同僚田中さんと塚口でランチ、喫茶(同じコース)。
『クーリンチェ少年殺人事件』を観ました(4月18日)
25年ぶりに3時間56分版で上映されるというので、エドワード・ヤン監督の『クーリンチェ少年殺人事件』を梅田シネ・リーブルで観てきました。予告編で主人公の少年少女がなかなかよかったので、よし行こうと決めたのです。1961年の台湾で実際に起こった少年犯罪をもとにしているとか。主人公たちが通っているのが夜間中学であったり、学校の隣が映画のスタジオだったりで、なかなか親近感を持って観ることができました。
で、観ているうちに、あれこの少年はひょっとして、と思い始め、家に帰って確認してみると、やっぱりチャン・チェンでした。その後『グリーン・デスティニー』『レッド・クリフ』『グランド・マスター』などに出演していて、僕にとってもなじみのスターでした。若い時に、この映画に出ていたのですね。
京都府八幡市の背割堤へお花見に(4月8日)
妻と二人でお花見に出かけました。淀屋橋から、京阪電車の特急に乗りました。途中気がつくと彼女はいつの間にか眠っている。疲れてるのかと思いそのままにし、樟葉駅直前に起こして、各停に乗り換えて、八幡市駅へ。ホームに降りた時、妻が一言「意外と近かったね」。それは、きみ途中寝てたからやろ!
曇り空が残念でしたが、桜は満開。ここの桜は一見の価値あり。
岡山県美作市へ棚田を見に行きました(4月4日)
久山社の久保さんが出版した『物語る「棚田のむら」』に刺激されて、一度棚田を見に行こうと思いました。
岡山まで行くのだから、ついでに兵庫文学教育の会のサークル仲間だった石川百合子さんに会おうか、石川さんの家はどこだったかな思って住所を調べて地図で確認して、びっくり。
棚田の村・上村と石川さんの家とはわずか5キロほどの距離。こんなこともあるのかと、不思議な気持ちになりました。
そういうわけで、久しぶりに中国自動車道を使って、宝塚ICから美作ICまで行き、石川さんの実家を探しながら南下。石川さんの家を見つけて、二人で上山に行きました。
村おこしのために若者がこの村にやってきたそうで、古民家を改造した「いちょう庵」というカフェもできたとか。石川さんは、そこに行きたいと言っていたのです。この写真を撮影した場所の左手に上山神社があります。僕は一人で階段を登り 神社の上の方を見学に行き、石川さんは神社の入口で待っていました。
僕が見学している間に、何か階段の下で人の話し声がするな、と思っていたのですが、なんと、「いちょう庵」の店主が通りかかって、話していたのです。
そのあと迷いながら「いちょう庵」に辿り着きました。今は、店は休んでいるそうですが、4月には若い奥さんも移住してきたとか。
結構忙しい3月でした(3月26日)
6日、久しぶりに中西さんとランチ。シニアスキーツアーに参加するとか。スキーはもう15年以上やってないなあ。
8日、つかしんカルチャーで、浅田次郎の「ラブ・レター」を取り上げる。
9日、藤原洋次郎さんの展覧会に行く。大学も辞めて、一日中、絵を描いているとか。
10日、毎日文化センターの、『明暗』を読む、の最終回だった。終了後、みんなで茶話会。87歳のおじいさんや、80歳のおばあさんもいて、その若さに驚いた。
11日、悠介とみなみちゃんの子どもがうまれた。啓太郎くんです。
16日、東京で久山社の久保さんと会う。『物語る「棚田のむら」』の感想について話す。
17日、新横浜で合流して、奈津子、一樹、元気と新幹線で関西に。一樹が列車に酔って、吐いたりして、大変だったが、多目的室が空いていたので使わせてもらう。
18日、日本児童文学学会関西例会に参加するために、梅花女子大へ。宮澤賢治の「飢餓陣営」の報告やファイナル・ファンタジーの分析の報告を聞く。
21日、奈津子、一樹、元気と横浜に。
24日、歯科の定期検診。
25日、久しぶりに、研究所の所員会議。まあ雑談だったけど、二人とも大忙しのようで、2018年6月以降に、研究所として何か講座をやろうという、極めておおざっぱな予定を立てる。でも時々、お互いの安否確認が必要かな。
26日、自治会の今年度最後の会議がある。そのあと、新役員と引き継ぎ会。これで自治会の仕事は一応終了。
4月の予定は、今の所2件だけ。かなり落差がある。
通信№8を発送(3月3日)
製本所から届いたので、今日はせっせと発送作業をしました。近くの郵便局に三往復。一度目は、一部だけ持って行って値段を確認。三百円でした。家に帰って、余っていた切手を集めて、「82円×3+52円+2円」の組み合わせと。「50円×6」の組み合わせで、貼っていきました。久山社の久保さんが、奥さんが集めていたという50円切手のシートを何枚も下さっていたので、全部使いました。その他の方からいただいていた82円切手もかき集めて、封筒に貼りまくり。意外と趣きのあるものになりました。3度目は郵便局の方で、切手を貼ってくれるというのでお願いしました。
そんな風にして、驚くなかれ、1日で72部を発送。ああ、疲れた。
今回の通信は242ページの特大号。これ原稿用紙に換算したらいくらになるんだろう。一ページが52字×19=988なので。242×988÷400=597、7枚となる。原稿用紙で約600枚の大作です。
われながらよくやったと思う。これからしばらくは休憩期間に入る予定です。
ブリコラージュ通信№8が完成(2月21日)
しばらくこの「ふじもと通信」も開店休業中でしたが、再開することにします。
《大江健三郎『万延元年のフットボール』を読む》という原稿をせっせと書き続けて、やっと完成。遅れていた『ブリコラージュ通信№8』を今製本してもらっている所です。全体のページ数は242ページ。特大号になりました。年末から二ヶ月ほどはこの製作にかかりきりでした。
で、少し気持ちの余裕ができたので、映画『この世界の片隅に』を観てきました。最初の三分ほどで傑作だ、と思いました。予告編とか、宣伝を見て持っていた先入観がずれていた。今、原作のマンガを読み始めた所です。
予告編の功罪というのがあるけれど、『君の名は。』の時もそうでした。本編の方が良かった。
2016年
森絵都『クラスメイツ』を読む(11月27日)
11月6日に宝塚市立中央図書館で「市民のための現代文学講座」第1回として《森絵都『クラスメイツ』を読む》という講演をやりました。その内容を改めて原稿にまとめました。B5で31ページ分あります。ブリコラージュ通信№8に掲載するつもりですが、通信の発行が年明けになるかもしれないので、このHPに載せておきます。こちらをクリックしてください。
『永い言い訳』を観てきました(11月2日)
横浜に行っている間、映画もビデオも観ることがなかったので、帰ってきてすぐ西川美和監督の『永い言い訳』を観に行ってきました。とても、とても満足。本木雅弘も良かったし、子役の男の子がびっくりするくらい良かった。こんな映画を観たかったんだよね。友達同士で出かけた妻たちがバス事故で死んでしまうという話で、残された夫たちや子どもたちの生活がなんともせつなくて、……。ちょっとしかでてこない愛人役の黒木華も良かった。
日本児童文学学会に行ってきました(10月29日)
9月の末に、娘が二人目の子どもを生んだので、10月中頃から半月ほど、横浜に家事手伝いに行きました。そのついでといってはなんですが、10月29日に日本女子大で開催された日本児童文学学会に参加しました。森絵都さんが《『クラスメイツ』を中心に》という記念講演(インタビュー形式)をするというので、ぜひ聞きたいと思ったのです。
初めて降りた東京目白は、学習院もある文教地区でした。バスの窓越しに、ハロウィンの仮装をした子供達が、お店でお菓子を貰っている姿が新鮮でした。
森絵都さんの話は、とても参考になりました。24人のクラスメイツ、それぞれの視点で描いたこの小説、一見読みやすく、読み流してしまうかもしれませんが、24の章をつなぎながら読むと話の奥行が見えてきます。
大変、大変、日程と時間を思い違い(9月23日)
宝塚市立中央図書館の現代文学講座の日程と時間を思い違いしていた!担当の永尾さんからメールをもらって間違いに気づいた。
正しくは、11月6日(日)、12月10日(土)、1月29日(日)で、各回とも13時30分~16時でした。
一応、下の記事は訂正して、正しい日時に直しておきました。もし昨日HPを見て、手帳にメモした人は、訂正しておいてください。(そんな人いるかな)
宝塚市立中央図書館の講座の案内文作りました(9月22日)
ちょっと長めになったけれど、講座案内原稿が完成したので、メールで送りました。こんな風です。
2016年度 市民のための現代文学講座
第1回 11月6日(日)13時30分~16時
森絵都の世界
―『クラスメイツ』(2015)を中心にー
森絵都の最新作『みかづき』は塾経営者の家族を中心にした三代にわたる大河小説です。戦後教育の変遷を背景にしながら繰り広げられる家族小説は、あまりの面白さに巻をおくことができず、最終章後半では、涙がじわっ、読み進むほどに、涙がじわじわっと、あれ涙腺がゆるんでるのかなと心配になるほどでした。
『リズム』『宇宙のみなしご』『アーモンド入りチョコレートのワルツ』『つきのふね』『カラフル』『DIVE!!』で児童文学賞を総なめにした森絵都は、2003年頃から大人向けの小説を書き始め、2006年には「風に舞いあがるビニールシート」で直木賞を受賞しました。その森絵都が久々に児童文学の世界へ還ってきました。中学一年生の一年間を24人の視点で描いた『クラスメイツ』は、ストーリーテラー森絵都の力量をいかんなく発揮したものです。
今回は『風に舞いあがるビニールシート』以降の作品を紹介したあと、『クラスメイツ』を分析し、大人の小説と児童文学の違いはどこにあるのか、またその二つの世界を貫いてゆるぎない森絵都の魅力は何か、を探りたいと思います。(『みかづき』は泣きそうなので、今回は語らないつもりですが…)
第2回 12月10日(土)13時30分~16時
村田喜代子の世界
―『ゆうじょこう』(2013)を中心にー
村田喜代子の小説には、夢幻とリアルが織りなされた不思議な時空間が現出します。柳田國男の「遠野物語」のわずか数行の記述をもとに、古語の匂い、響きを持った独特の語り口で、これまでとは異質の姥捨て伝説を生み出した『蕨野行』。盗掘も含めて興味津々の骨董の世界が妖しく繰り広げられる『人が見たら蛙に化れ』。癌の放射線治療体験を踏まえながら想念が宇宙にまで広がる『焼野まで』。題材も文体もひとところにとどまることなく変転していく、融通無碍、変幻自在な作家です。
読売文学賞受賞の『ゆうじょこう』は、硫黄島から熊本の遊郭に売られてきたイチが、郭で働く女たちのための学校「女紅場」で書くことを学び、世界を獲得していく物語です。何より方言(自分の日常のことば)で書かれる少女の日記が素晴らしい。話しことばの野生の息吹によって書きことばは輝きをまし、書きことばを手に入れることでイチは自分たち遊女の生活をつかみなおしていく。イチを教える鐡子先生(元遊女)は『新女大学』(福沢諭吉)を遊女たちの眼で批判し、その「啓蒙精神」の欺瞞性を暴きます。 今回は、タイトルがなぜひらがななのか、から始めて、『ゆうじょこう』の文体の秘密を解き明かし、遊女たちの心意気をたどることで、この小説の魅力に接近したいと考えています。
第3回 1月29日(日)13時30分~16時
津村記久子の世界
―「ポトスライムの舟」(2009)と『ポースケ』(2013)ー
芥川賞受賞の「ポトスライムの舟」を最初に読んだ時、僕はこの作者の立ち位置がうまくつかめず、面白さが半分もわかりませんでした。数年後、彼女の処女作『君は永遠にそいつらより若い』を読んで、傷ついた魂に対してさしのべられる不器用な身体と心という独自性に軽いショックを受けました。改めて「ポトスライムの舟」を再読してみて「これは傑作だ!」と思いました。この小説は主人公ナガセの自己回復の試みを描いた《病後小説》だったのです。
津村記久子は現代社会で傷つきながら働くことの実感を『カソウスキの行方』『アグレリアとは仕事はできない』『ワーカーズ・ダイジェスト』『とにかくうちに帰ります』『この世にたやすい仕事はない』などで描いてきました。また『ミュージック・ブレス・ユー』『これからお祈りにいきます』『エブリシング・フロウズ』などで、少年少女が直面する生の困難とその克服への祈りを、ユーモアを交えながら描いてきました。今僕が最も好きな作家です。新刊が出れば必ず買います。
今回は、「ポトスライムの舟」と、その五年後友人ヨシカのやっているカフェを舞台にした『ポースケ』とを取り上げ、津村記久子の魅力と小説家としての成長ぶりをお話ししたいと思います。
デトロイト美術館展に行ってきました(9月21日)
7月頃からやっていたけど、8月は35度の中、外に出ていく気になれず、先送りにしているうちに、終りそうなので、あわてて、デトロイト美術館展に行ってきました。2015年に神戸で見たチューリッヒ美術館展に比べると、ちょっともの足りなかった。でもモネの「グラジオラス」、ルノワールの「白い服の道化師」、ゴッホの「自画像」、ピカソの「読書する女性」、モディリアーニの「帽子を被った若い男性」などの実物を見ることができたのは良かった。あと全然しらなかった画家だったけどアンリ・ジェルヴェクスの「パリのカフェにて」も印象的だった。
天王寺動物園の外周を歩いて、新世界へ。確かこのあたりに東淵修さんの「銀河・詩の家」があったはずと探してみると、あった、あった。でも、玄関にシャッターが下りていて人の気配はなかった。新世界をぶらぶら歩き、ウルトラマンのTシャツも売っていて、一樹に買ってやるかと思ったが、大人用で大きいし、粗悪品のようなのでやめた。串カツ屋を中心に食べ物店のあるあたりはそれなりに賑わっているが、通天閣の下から日本橋の方へ続く本通りの商店街は、シャッターの下りている店が多かった。映画『砂の器』のロケ地で、丹波哲郎がこの辺に立っていたなあ、と思い出す。
今年度の宝塚中央図書館の文学講座
担当の永尾さんから、今年も依頼がきた。五回目になるので、自分の中ではちょっとしたライフワーク感が出てきた。
今年の注文は二つ。一つは来年一月に村田喜代子さんの講演会を予定しているので、村田喜代子さんをとりあげてほしい。もう一つは一か月おきに三回やってほしい。ということで、僕の立てた仮計画は次の通り。
⑴「森絵都の世界~『クラスメイツ』を中心に」 11月6日(日)14時~
⑵「村田喜代子の世界~『ゆうじょこう』を中心に」 12月10日(土)14時~
⑶「津村記久子の世界~『ポトスライムの舟』を中心に」 1月22日(日)14時~
もう少し内容を詰めなければ、これから来年1月まで結構忙しい。
10月には娘の二人めの子供が誕生予定、で横浜へ手伝いに行くことになっているし、自治会の仕事もまだ終わったわけではないし、…今年は後半も忙しくなりそう。
『シン・ゴジラ』を観る
世評が高いので、これは一度観に行くか、と一人で『シン・ゴジラ』を観に行った。なるほどね、『エヴァンゲリオン』の監督が撮っただけはある。ゴジラは「使徒」みたいだった。怪獣映画としての側面よりも、災害映画という側面が強調されていた。自衛隊が随分協力しているようだけど、あんなにかっこよく活躍する所ばかり映して大丈夫か。それに倒れたゴジラの口から薬剤をホースで入れるシーンなんて、福島第一原発の消防車による冷却水注入を連想させるなあ。
で最後は、凍ったゴジラが東京の真ん中に立ったまま、こんなので幕にしていいのか。結論先送りの感が強い。続編作っていくのか、そんなことしてたら、完結しなくなるぞ、エヴァの二の舞になる。
劇場版「エヴァンゲリオン」の第三部Qをビデオで見直したけれど、「駄作」としかいいようがない。あれでは完結編作れんわな。
一樹とポケモンを観に行く
横浜から娘と孫がやって来たので、この夏は毎日が忙しかった。一樹と二人で『ポケモン』を観に行った。基本的にはわかりやすい作り方だった。
電化製品次々にダウン(八月)
洗濯機が突然おかしくなった。ついでプリンターが壊れた。仕方がないのでヨドバシで探した。次はクーラーか、せめてこの夏は持ちこたえてくれ、という祈りは通じたようで、なんとかまだ動いている。
盆踊り無事終了(八月)
自治会主催の盆踊りが無事に終わりました。二回練習したけれど、全然身に付かず、当日は会場警備や買い出しに忙しく踊ることもなかったけれど、子供たちが子ども会の夜店やPTAの夜店を楽しんでいたのを眺めているだけで満足。
でも、老人と子どもが中心で真中の層の参加が少ないなあ、と思った。
一か月で六本観ました(7月20日)
東京から帰ってきて、市内一斉清掃、盆踊りの練習、防火訓練、クリーンセンター見学、と自治会の行事は目白押しで、忙しい日々が続きます。こういう忙しい時こそ、と思って映画館に出かけることにしました。
『殿、利息でござる』、『団地』、『64前編』、『64後編』、『クリーピー 偽りの隣人』、『海よりもまだ深く』と、この1か月で邦画ばかり6本観ました。で、この6本、5点満点で評価してみると、平均で4.0。なかなかの高打率でした。
ついでに言えば、7月に入ってからみたレンタルDVDも、6本。こちらは『ナイトクローラー』、『あん』、『岸辺の旅』、『グラスホッパー』、『アクトレス』、『心が叫びたがってるんだ』、洋画が2本、邦画が3本、アニメが1本。平均で3.83。
うーん、映画三昧の日々がもどってきたなあ。
☆最近忙しくて、日録が書けなかったので、4月から6月の分をまとめて書きました。
東京二泊三日の旅(6月18~20日)
18日は横浜で一樹と遊び、上野広小路で一泊。
19日は、朝から晩まで、高校作文教育研究会の『「聞き書き」の力』出版祝賀会、学習会、2次会、に参加。編著者の中井浩一さんと古宇田栄子さんに花束を持っていて、喜ばれた。高校作文教育研究会は次の本を作る計画を立てているとか。
その夜、お茶の水のホテルで、脚から出血、バンドエイドでも貼ればと思っていたが、じわじわと血がにじみ、止まる様子なし。フロントで病院をさがしてもらい、日本医科大付属病院へ。休日・夜間診療だが、結構患者が多くて、1時間半くらい待たされた。その間に血は止まっていて、診てくれた若い医者二人も、問題ないでしょう、ということで、とりあえず、止血剤を貰った。血液をサラサラにする薬を飲んでいるせいかもしれないので、一度かかりつけの医者に相談せよ、とのこと。ホテルに帰るとフロントのスタッフが親身になって心配してくれて、とても感じがよかった。
20日は、久山社の久保さんの所へ。久保さんが83歳で出版した『物語る「棚田のむら」』のささやかなお祝いとしてお花を持って行った。ひとり出版社の久山社は店じまいし、ここで出してもらった僕の5冊の本は、もう流通しなくなったわけだ。久保さんは、在庫や蔵書をほとんど全部古書店にひきとってもらったそうだ。でも話を聞くと、自分の次の本を作る構想を持っているとか。
今回は知人の出版を祝う旅になった。
自分の原稿《『万延元年のフットボール』を読む》も、早く書き上げねばならぬなあ、と思いました。
悠介とみなみちゃんの結婚式(6月11日)
前日は、横浜からなっちゃん一家が飛行機でやってきて、ホテルに前泊するので、ポートアイランドまで遊びに行った。みんなでイケヤまで散歩して、一樹と二人で50円(!)のソフトクリームを食べた。
昼の結婚式、披露宴は49名で、夜は別の友達も呼んで2次会をする、とか。スピーチは、新郎新婦の大学の恩師だけ。その代わり、友人たちが作ったビデオを上映し、その場でダンスもする、といういまどきのパフォーマンス。期せずして、嵐 VS AKBになった。
高山智津子先生没後10年の会をやりました(5月14日)
企画その一 絵本講座 『こどもとおとなを結ぶ絵本の世界』
場所 尼崎ピッコロシアター中ホール
時間 14時~16時
プログラム ①岡スミ子さんによる語り「じろはったん」(30分)
②広瀬恒子さんによる講演 『こどもとおとなを結ぶ絵本の世界』(90分)
企画その二 高山智津子講演ビデオ上映会
場所 尼崎ピッコロシアター中ホール
時間 16時15分~16時45分
企画その三 高山先生の思い出を語る10年のつどい
場所 ひろ田(JR塚口駅徒歩5分)
この日のために、高山先生の講演ビデオを編集して、五枚組のDVDセットを作りました。
「思い出を語る10年のつどい」には、東京や四国からも来てくださった方もあり、23名の会になりました。全員に話してもらい、とてもいい会になりました。
GWは体調が悪くなる
例年、GWになると体調が悪くなる。今年もそうで、左半身が凝るようで、気分も滅入る。胸も少し痛むので、とりあえず、かかりつけの先生に診てもらうと、肋間神経痛だろう、と。そこで整体の病院で診てもらうと、右半身と左半身のバランスがおかしく、肩甲骨も全然動かない、とか。そうか、これが原因か、ということで、肩甲骨はがしの体操を少しすることにした。(劇的にはきかないけど)
包丁で指を切り3針縫った(4月27日)
毎日、調理はしているのだが、カボチャを切っていて、左中指を切ってしまった。バンドエイドでなんとかなるか、と思ったが、なんともならず、血は止まりそうにない。連休前の平日午後でやっているかどうか、わからなかったが、伊丹市立病院に行ってみると診察していて、若い女医さんに手術してもらった。
自治会の役員になる(4月)
別に、希望したわけではないけれど、順番なので、自治会の役員をすることになった。一応、役職は副会長、主に保健衛生関係、ということで、6月は町内の一斉大掃除をした。次は防火訓練。小さな町だけど、普段行かない通りも多く、ああこんな風になっていたのか、と発見もある。他の自治会との会議やなんかもいれると、多い月は7回も自治会の仕事がある。(盆踊りの練習も)
毎日文化センターで鳥井正晴先生の講座を聴く(4月8日)
梅田の毎日文化センターで、鳥井正晴先生が夏目漱石の講座をやっておられるのは、以前から知っていたが、今期は『明暗』をやるというので、申し込みをした。毎月第2金曜の午後、一時間半の講義。『明暗』は一年、ひょっとすると一年半、かかるかもしれないとか。評釈中心で、いかにも、大学の先生の講義らしく、何か懐かしい気分になった。
カキナーレ塾読書会で『センセイの鞄』をやりました(3月20日)
京都の深谷先生のお宅(カキナーレ庵)で読書会を始めて、もう4回目になります。
2014年12月 津村記久子「ポトスライムの舟」
2015年3月 村上春樹「バースディ・ガール」
2015年10月 上橋菜穂子『精霊の守り人』
そして今回は、川上弘美の『センセイの鞄』でした。参加者は11名、80代から20代まで、いろんな経歴。今回は意見も活発に出て、介護や墓の話にも脱線したり、とても盛り上がりました。
『 マッド・マックス 怒りのデスロード』が予想以上に良かった
最近は激しいアクションとか音響ガンガンとか、刺激の強いのは敬遠しているのだが、『 マッド・マックス 怒りのデスロード』の評判がいいので、ツタヤでDVDを借りて観てみた。刺激は強かったけど、これは映画として素晴らしかった、凄かった。なにより、妊婦たちを守って戦う女戦士が抜群。主人公のマックスよりも僕はこの女戦士の方に感心した。やっばり先入観を持たずに、他人の評価も参考にして、見るべきだと反省。
中島みゆきの映画『夜会 橋の下のアルカディア』を観てきました(2月25日)
「MOVIXあまがさき」まで出かけて、『夜会 橋の下のアルカディア』を観てきました。映画の冒頭、最初の音が鳴った瞬間に感動してしまった。数小節だけ聞き覚えのあるメロディが流れた。映画の最後にはその曲が全曲歌われた。「インディアン・グース」だ。もうそれだけで観に行った価値があった。そうだよねえ、これだよね、という感じ。人柱にされ、生贄にされ、犠牲者にされてきた人々、その生まれ変わりの者たちが、最後に脱走兵の操縦する戦闘機で逃げるために飛び立とうとする場面でこの曲がかかる。もちろん時間も空間も物語の辻褄もあわないのだけど、感動した。東日本大震災、福島原発事故の犠牲者たちとこの曲が重なって聞こえてきたようだった。
共演者の中で、中村中が抜群に良かったので、今CDを繰り返し聞いている。トランスジェンダーの歌手で、戸籍上は男だけど、全く中島みゆきの歌の世界と同質の歌い方で、オリジナルの歌もめちゃめちゃ良かった。ファンになりました。
中島みゆきのコンサートに行ってきました(1月7日)
3年ぶりに中島みゆきのコンサートに行きました。妻も楽しみにしていたのですが、前日に38、7度も熱を出し、会社を早退したほどですから、「来てはいかん」と命じ、京都の息子に連絡し、父子二人で出かけました。
観客の平均年齢はもちろん高いけれど、若い人も目について、どうも親子連れらしき人々が結構いた。第一部「スィート」は恋歌が中心だったかな、第二部「ビター」が力のこもったもので、現代の政治風潮に抗する姿勢が感じられた。
たとえば、「阿檀の木の下で 」の時は、飛行機の爆音、機関銃の音をかぶせていた。
波のかなたから流れて来るのは/私の知らない貝殻ばかり/波のかなたから流れて来るのは/私の知らない寿歌(ほぎうた)ばかり/遠い昔のあの日から この島に人はいない/みんなみんな阿檀の木になった
波のかなたから流れて来るのは/私の知らない国歌ばかり/遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた/だれもだれも知らない日に決まった/波のかなたから流れて来るのは/私の知らない決めごとばかり/陽は焼きつける 阿檀は生きる/大地を抱いて阿檀は生きる/山の形は雨風まかせ/島の行方は波風まかせ/遠い昔にこの島は 戦軍(いくさ)に負けて貢がれた/だれもだれも知らない日に決まった/だれも知らない木の根の下は/主(ぬし)の見捨てた貝殻ばかり
新しいアルバムの曲「WHY & NO」は、コンサートで聴くと、とても印象深かった。
何か変だと第六感が今うしろ髪引っ張った
だけど訊いたら気まずいようで ここで訊いたら間(ま)が悪いようで
何か変だと寒気(さむけ)のように今いやな感じがした
だけど訊いたら機嫌損(そこ)ねそう ここで訊いたらアタマ悪そうで
根拠もないし 証拠もないし 理屈では敵(かな)わない
でもだいたいそういうのが当たりなんだよね
訊くべきだったね「なんでさ」ってね
間に合わせの納得で黙り込まないで
もしかしたら世の中はそういうものかもしれないなんて
“そういうもの”なんて あるもんか
訊けばいいじゃんいいじゃん「なんでさ」ってね
訊けばいいじゃんいいじゃん「Why & No & No」
どこか痛いと心の鱗(うろこ) 無理に剥(は)がれる音がした
だけど異論は無礼なようで 進めなければ時間ないようで
どこか痛いと匂いのように疑わしさがそそけ立つ
だけど異論は間違いなようで 進めなければ仕方ないようで
いつもそうだ繰り返しだ その弱味知られてる
甘いもんだと ちょろいもんだと エサになっている
言うべきだったね「ことわる」ってね
その場しのぎのお愛想は もうたくさんだ
もしかしたら世の中が正しいものかもしれないなんて
“正しい他人”なんて あるもんか
言えばいいじゃんいいじゃん「ことわる」ってね
言えばいいじゃんいいじゃん「Why & No & No」
手抜きせんで言えばいいじゃん 「Why & No」
中島みゆきの歌は、小さな状況の歌のように見えて、同時に大きな状況を歌った歌のように、聞き取れる。僕は家で聴いていた時は、小状況の歌として聞いていたが、コンサートで、中島みゆきが並べている曲の文脈を見れば、間違いなく大状況に対する歌に他ならなかった。
2015年
ブリコラージュ通信№7 製本に回しました(12月17日)
8月からとりかかっていた個人誌のブリコラージュ通信の№7の原稿がやっと出来上がった。10月発行予定と№6のあとがきに書いたのに、なかなか出来ずにあせっていた。このままでは今年中には無理かも、と弱気になったりもしたが、最終段階で急に視界が開けて、ぐんぐんスピードがあがった。
「丸谷才一『笹まくら』を読む」は、90ページを超える大作になった。
京都の「ちょ古っ都製本工房」に製本を頼み、紙原稿も送付したので、もう一安心。今混んでいるようで、年末年始のお休みもあり、結局冊子が手元に届くのは年明けの7日ぐらいになりそう。でも、もうあせることもないので、年末は推理小説を読むぞ。綾辻行人、島田荘司、米沢穂信、などをブックオフで購入した。
高橋源一郎の講演会に行ってきました(12月13日)
宝塚市立図書館・第5回読書講演会がベガホールでありました。今年は高橋源一郎の「「いつだって、本はぼくの味方だった」という題の講演でした。招待状を戴いてでかけてきました。350人定員のホールが満員の大盛況。話も面白かったです。高橋源一郎の講演は、『夏の文学教室』で何度も聞いているので、楽しいのは知っていたけど、今回は相当自分の私的な話、天才中学生の友人の話や、教えている大学の学生の話(ドストエフスキーの『白痴』を読ませたら、結構面白がったとか)などが聞けて楽しかった。
午前中は、息子の婚約者が家に挨拶にきて、これはこれで楽しいひとときでした。妻は自分の結婚式の写真や息子が生まれた時の写真を持ち出して、ちょっとハイになっていました。
ブリコラージュ通信№7はようやく仕上がりが見通せるようになった。『笹まくら』を読むの、全体構想を改めて建て直したのがよかったのだと思う。でも細部の手直しや、あとがきや表紙、目次など、もう少しかかるかな。年内発送はあきらめて1月発送にしようと思う。予定は大幅に遅れるけど、仕方ないか。年4回発行というのが無茶だったのかも。
日本児童文学学会に行ってきました(11月8日)
ここ二、三日ちょっと体調がよくなかったのだけど、せっかく近くでやるのだからと、大阪教育大学まで車ででかけました。走ったことのない西阪奈道というのを通って、柏原インターを下りたまでは良かったけれど、そこから迷ってしまった。ナビなんてつけてないから、なんとなくの勘で走るので、初めての場所ではしばしばこうなる。
大阪教育大は学生の頃(つまり四十年ほど昔)、天王寺校に行ったことがあった。新しい柏原キャンパスは山の上。こんな急な坂を毎日登っていたら。さぞ健脚になるだろう、というくらいの所だった。
豊川紗衣子さんの「夏の朝」の発表を聞いてちょっと話した。梅花の岸本さんともちょっと話した。二人とも梨木香歩を研究している。
11月11日(水)には、つかしんカルチャーで向田邦子の「かわうそ」の話をする。これが終われば、大急ぎでブリコラージュ通信№7の仕上げをやるつもり。めちゃくちゃ遅れてしまった。この1カ月は忙しすぎた。ふう。
宝塚中央図書館で講演をしました(11月1日、7日)
「市民のための現代文学講座」として
11月1日(日) 川上弘美の世界ー「神様」『神様2011』と『センセイの鞄』を中心にー
11月7日(土) 村上春樹の世界ー「バースディ・ガール」と二つの短編集を中心にー
と二日間講演をしました。パワーポイントで使うスライドを用意したり、結構準備に時間がかかりましたが、これを終えて秋の仕事はほぼ終了です。
村上春樹の二つの短編集、『神のこどもたちはみな踊る』と『東京奇譚集』については、これから原稿にしようかなと考えています。
7日の講演のあと、卒業生の平山さんが顔を見せてくれたので、図書館前のベンチで、小一時間ほど話しました。
モアいずみで講演をしました(10月20日)
和泉市の男女共同参画センターで、「絵本をよむ」という話をしました。パソコンと、絵本を一杯、持っていくので、車で行きました。ナビなんかついていないので、ちゃんと行きつけるか心配でしたが、下調べをして、頑張って運転。無事に到着。参加者は20人ほどでしたが、みなさん喜んでくれました。並べておいた絵本も手に取って見てくださっていて、運んだ甲斐があったというものです。この日のために、デジカメで500枚以上写真をとって、スライドを作りました。
来週は上橋菜穂子の話をします。これはレジメも、パワーポイト用のファイルももう出来ているので安心。
11月1日(日)、7日(土)に、宝塚中央図書館で、川上弘美、村上春樹の話をします。これから大急ぎで、その準備をしなければなりません。
京都のカキナーレ塾で読書会(10月18日)
上橋菜穂子の『精霊の守り人』の読書会をしました。寺井先生がシリーズ第6巻まで読んできていて、びっくり。すっかりはまったそうで、午前2時頃まで読んでいたとか。面白いと熱く語ってくれました。
西宮東高校の木曜講座を聴きに行きました(10月15日)
たつみ都志さんが『谷崎が愛した女たち』という題で講演をすると知って、出掛けてゆきました。道に迷って、30分ほど遅れ、なんとかたどり着きました。話は作品論ではないので、その点では物足りなかったけど、伝記的な話は上手に話されていて、聴衆を飽きさせない話術でした。、
ブリコラージュ通信№7、製作中。(10月6日)
京都の大石先生から、《晩年の様式》という資料をいただいて、刺激をうけて、通信の7号に「授業つくるー定時高校編ー」を書くことにした。これまでにも似たような原稿を準備はしていたのだが、方針が定まらず、原稿が宙に浮いていた。教材の原文をそのまま引用するという形で書き始めて、今ざっと43ページ分できた。最後まで書くと百ページほどになりそうなので、前篇ということで収めておかないと、特大号になりそうだ。
主原稿の《「笹まくら」を読む》は、四十ページ分ほどできたけど、まだ三分の一くらいかな。とにかく書き始めれば、どんどん書けるので、そんなには遅れないはずだが、発行が十一月にずれ込むかも。でも頑張る。
「首相官邸の前で」を観てきました(10月6日)
新聞に紹介されていたので、どこかでやってないかとインターネットで探してみると、十三のセブンシアターで上映しているとわかった。それで、出掛けて行った。この劇場は行ったことなかったけど、第七芸術劇場と同じビルの五階にあったので、すぐに行き着いた。上映時間まで1時間以上あった。入場順は一番。どこでも席は選び放題やんか。いったん外に出て、あたりを散歩。夕食をとるのはもう少しあとにしようと思って、商店街の本屋さんに入った。これが小さいけれど、なかなかいい店だった。そこで『民主主義ってなんだ?』(高橋源一郎×シールズ)、『天頂より少し下って』川上弘美、『隣りの女』向田邦子、を買う。うどんが食いたいなあと探したが、いい店がなくて、結局十三駅前まで戻って、立ち食いで済ませた。客が入ってない。おじいさんはちょっと咳き込んでいた。急いで、セブンシアターまで向かう。
『首相官邸の前で』は、素晴らしかった。2012年に二十万人の反原発デモがあったこと自体、あまり印象になかった。一つにはメディアがこれをほとんど報道しなかったからだ。社会学者の小熊英二が、多くの人から映像の提供を受けて作ったこの、反原発運動の記録ドキュメンタリーは、いろいろな点で特筆すべきだった。あらためて詳しく論じたいが、インターネットやブログの力を最大限に活用した、その作り方も面白かったが、何よりも監督小熊英二の演出力・構成力・編集力に感心した。モンタージュがきちんとできていて、飽きることなくおもしろく、見ることができたし、次第次第に運動に関わって来た人々の姿が語る中で変化してくるのには感動した。観てよかった。これがシールズの動きともクロスすることが、『民主主義ってなんだ?』を読んで少しわかった。
観客は四人だったけど、この映画が、反原発デモの記録として、長期間見られ続けて行くことを、願っている。
個人的には八月の国会前デモに参加した時の感覚が蘇ったようだった。
NHKのニュース報道にあきれた(9月14日)
まあ、最近のNHKの報道が明らかに政府・自民党よりであることは気付いていたけれど、今朝の7時のニュースを見てあきれかえった。鬼怒川氾濫のその後のニュースはともかく、安保法案関連のデモに関するニュースで、まず東京で賛成の市民集会が200人規模であった、と報じ、次に札幌で反対の市民集会が400人規模であった、と報じて、それで終わり。唖然とした。いかにも公平を装いながら、市民の動きを200人、400人といった程度の「小さな動き」のように見せかける。昨日の大阪の「戦争法案に反対する関西大行動」を何故報道しないんだ。2万人いたかどうかは知らないけれど、靫公園のグランドを埋め尽くすほどの人は集まっていたぞ。東京で賛成の200人集会を取り上げること自体は否定しないが、反対の集会を札幌の400人だけで代表させる(そして大阪や広島の集会を報じない)というのは全く「報道の詐欺」じゃないか。安保法案賛成の産経新聞や読売新聞ならともかくも、公平中立をうたっているNHKが、ここまで露骨に安保法案反対のデモを小さくみせようとするなんて。NHKの報道が権力におもねり、萎縮してしまっているというしかないな。
戦争法案に反対する関西大行動に参加してきました(9月13日)
たまたま昨日の新聞で見かけたので、大阪の靫公園まで行ってきました。2万人集会ということで、実数はわかりませんが公園の会場は人で一杯でした。学生が中心になって運営していて、自分の言葉で語っているのが印象的でした。政治学者の山口二郎氏も挨拶されてました。4時10分開始で集会が始まり、5時頃から御堂筋をデモしたのですが、解散場所についたのは7時10分過ぎで、2時間ぐらいデモをしたことになります。さすがにちょっと疲れました。6台のサウンドカーの後ろに分れてデモするということで、どこについて行くか迷ったけれど、「ティーンズ・ソウル・カンサイ」という高校生中心のグループに混ぜてもらいました。デモをしながら、音楽を交えてラップ調でシュプレヒコールするところとか、高校生たちが自分の意見を言うというのが、昔の学生運動のシュプレヒコールやアジティションとは違って、新鮮な感じがしました。若い子が「私1週間前まで首相の名前知らなかったんです」などと自分たちの言葉でしゃべっているのを見ると、デモに参加してよかったと思いました。元気になりました。中学生も発言していました。岡山から参加したという高校生もいました。車椅子の人、子連れの人、着物で参加している人、いろんな人がいて、一色ではない、市民のデモの空気を感じました。
テレビ朝日の報道ステーションの小川彩佳アナが会場に取材にきていたのを見かけた。目鼻立ちのしっかりしたきれいな人だった。
8月30日のデモに行ってきました(9月3日)
娘の連れ合いが10日間ほど、海外に出張なので、家事手伝いのために久しぶりに横浜に6泊7日で行ってきました。
ちょうどその期間中に安保法制反対の10万人デモがあるとネットで知って、こんな機会はなかなかないと思って、国会議事堂前まで、行ってきました。
ところが地下鉄の改札口は大混雑でなかなか人が動かない。これではらちがあかんな、と一駅先の赤坂まで地下鉄で移動。でも駅を出たら、どっちの方角に議事堂があるのかわからず、迷子になりかけました。
そんなこんなで議事堂の近くまで行ったのですが、人、人、人で全然前に進めません。仕方がないので、他の人たちと並んで、道端に立って集会参加。スピーカーが何カ所も設置してあるので、坂本龍一さんの挨拶や森村誠一さんの挨拶も聞けました。
娘の家に帰って、夜テレビで、初めて国会議事堂前の様子がわかりました。
翌日の新聞の扱いの違いに呆れました。まあマスコミの対応が社によって違うことは知っていましたけどね。
集会の参加人数が主催者発表で12万人、警察発表で3万人というのも、昔からそうだったよな。でも実感として、動員されたのではなく、個人の意志で参加した女の人、若い人が、多いように感じました。僕も個人の意志で参加しました。
四国に行ってきました(8月16、17日)
田舎の叔母さんの連れ合いが亡くなったので、葬儀に参列するために、愛媛に行ってきました。大洲市で葬儀をするということなので、田舎には寄らず、松山で前泊し、翌朝直接大洲に向かいました。骨あげまですませて、その日のうちに伊丹まで帰りました。
四月、叔父の葬儀の際には、母(車椅子)と叔母を連れて二往復して疲れたのですが、今回は一人旅で、レンタカーを借りることもなく、新幹線・電車での移動なので、比較的疲労度は軽かったです。でも大洲~伊丹、約六時間、ほとんど坐りづめで腰が痛くなりました。
広島に行ってきました(8月8日)
広島で開催された文芸研の第50回大会に参加してきました。西郷竹彦さんは今年95歳、さすがに老いは隠せなかったけれど、ちゃんと1時間足らずの講演をされて、あとのシンポジウムでも発言されていて、感慨深いものがあった。
僕は二十歳の頃に、明石の小さなサークルの集まりで、文芸学の手ほどきをうけて、眼からうろこが落ちた思いがした。大学で自主講演会にお招きして、40編ほどの現代詩の講義をしていただいたことがある。数年前、神戸で文芸研の全国大会があった時にもお元気だった。(この時の記念講演は井上ひさしさんだった)
文芸研は1985年の広島大会では2000人を超える参加者だったとか。今年は、ざっと見て300人ほどか。それでも若い人の参加が目立った。
記念講演は、小出裕章氏(原子力研究者)と長谷川義史氏(絵本作家)の2本立て。シンポジウムもあって、盛り沢山な一日だった。
京都に行ってきました(8月2日)
日本作文の会全国大会が京都の龍谷大学で開催されました。東京の中井浩一さんや古宇田栄子が中学・高校部会を担当されているので、久しぶりにお眼にかかりに、出かけました。でも京都は猛暑で、暑い、暑い。レポート4本のうち2本は大学での作文教育についてのもので、あまり聞く機会がなかったので、面白かったです。
東京に行ってきました(7月23~25日)
日本近代文学館主催の「夏の文学教室」に参加するため、東京に行って来ました。東京も猛暑で、街を歩いて汗びっしょり。体調を崩し、夜に病院へ行って看てもらいました。それで予定を1日早めて、横浜にいる娘の所にちょっとだけ寄って帰って来ました。
文学教室では、黒川創、堀江敏幸、町田康、山崎佳代子、川本三郎、荒川洋治の話を聴きました。今年のテーマが《「歴史」を描く、「歴史」を語る》だったので、戦争の話が多かったのですが、特にベオグラード在住の詩人・翻訳家である山崎佳代子さんの話と、終戦前後の永井荷風について語った川本三郎さんの話が面白かったです。
個人誌の製本を頼みました(7月9日)
いやあ、出来た、出来た。「Bricolage(ブリコラージュ)通信」№6原稿完成。本文126ページ、よく頑張りました。今日、京都の「ちょこっと製本工房」に紙原稿を送ったので。来週の末頃には僕の手元に冊子が届くはずです。
6月末発行の予定でしたが、ちょっと富山へ旅に出たりして、少し完成が遅れましたが、いやあ、富山は良かった。詳しくは「小さな旅の報告」に書きました。これが通信の最後の記事になりました。(これでページの調整ができたのです)。
枚方へ遠足に(5月30日)
舞子高校の頃の元同僚、藤原洋次郎さんの個展が明日までなので、京阪電車に揺られて枚方公園駅に行きました。阪急塚口から梅田、淀屋橋経由で一時間ほどで着きました。小さな画廊で、お客さんもいなくて、ゆっくり絵を見ました。
枚方は江戸時代、宿場町だったようです。画廊の近くに鍵屋資料館というのがあったので、ふらっと、入ってみました。かつて船宿であった屋敷を解体・再建した歴史資料館でした。ここもお客さんは誰もいなくてゆっくりと見て回ることができました。落語の「三十石」は淀川を下る船旅の話ですが、その中に「くらわんか舟」という食べ物を売りに来る舟が出てきます。この鍵屋資料館に、その「くらわんか舟」の展示があり、あああの落語の舞台はここだったのか、と思いがけない発見でした。そのほかにも、室町時代から江戸時代、長崎から江戸まで象が運ばれた話は、なんとなく知っていましたが、それが七度あったとか、その象行列の注意(馬の渡れる浅瀬なら象も渡れるけど……)とか、展示を見て回るとなかなか面白かったです。
お昼は、近くの町家を改造したカフェでヘルシーな豆腐ハンバーグ定食を食べました。
かつての街道沿いに、枚方市駅まで散策すると、古い屋敷があったり、行列のできているかき氷屋さんがあったり、淀川河川公園は広々としていて高校生たちが文化祭かなにかの練習(ダンス)をしていたり、……暑かったので、駅前のマグドナルドでソフトクリームを食べ、本屋で「富山」の旅行案内を買って……気ままで楽しい遠足でした。
何の予備知識や目的もなく、時間に縛られず、町歩きするのもいいものだなあと思いました。ひらかたパークは線路の向こうなので行きませんでしたが、帰りの車窓から見る限り、ここもお客さんがいませんでした。
新しい個人誌を発行します(5月23日)
少し前から、自分の考えていることをまとめるために、個人誌を出そうかと思っていました。で、やることに決めて、今原稿をせっせと整理している所です。1999年から2006年まで出していた「ブリコラージュ通信」を10年ぶりに復刊させて、「Bricolage(ブリコラージュ)通信」とします。
一応、柱になる原稿、「市民のための現代文学講座」の十作品のラインナップも組みました。
⑴谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』
⑵丸谷才一 『笹まくら』
⑶大江健三郎『万延元年のフットボール』
⑷開高健 『夏の闇』
⑸中上健次 『枯木灘』
⑹金井美恵子『文章教室』
⑺田辺聖子 『花衣ぬぐやまつわる』
⑻川上弘美 『センセイの鞄』
⑼水村美苗 『本格小説』
⑽津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』
この順番で10本の原稿を書きます。ベースになるのはNHK文化センターなどでやってきた文学講座です。講演口調で改めて書き直すつもりなので、結構な分量になるはず。2015年6月末から刊行を開始、3か月おきに出して、2018年3月完成予定。
で今せっせと仕事を始めています。というわけで、「読書のトレッキング」は休載します。これまでの分は吸収して全く新しい文章にするつもりです。
☆購読希望者はメール等で申し込んでください。購読料・送料とも無料です。連絡先のメールアドレス1952@kd6.so-net.ne.jpです。
「上橋菜穂子の世界」の講演をしました。(5月22日)
兵庫県私立学校図書館協議会の研修会で、「上橋菜穂子の世界」の話をしました。総会が早く終わったので、予定より45分も早く始めて、予定どおり終えました。途中休憩も含めて2時間45分。話に熱が入ったのか、全身汗びっしょり。それでもいっぱい言い落したなあ、と思います。
去年の9月、20年ほど前に猪名川高校で同僚だった森田くんから講演依頼の連絡がありました。11月には宝塚図書館で同じテーマの話をしたので、レジメもポワーポイントのファイルもDVDも出来ている。あわてることはないと、のんびり構えていました。GW明けに、元のレジメを3分の2に縮め、削った部分を集めて自分用の補助資料を作り、これでよし。
当日、さあ出かけようという時に、講演用資料DVDがないのに気が付いた。2日前確認のために見直したから、部屋のどこかにあるのは間違いない。机のまわりを何度もひっくりかえし、あるはずのない棚の辺りも念のために調べたけど、どうしても見つからない。もう上橋菜穂子のコメントやアニメの一部紹介はカットしようか、とも思ったが、家を出るのにまだ30分は余裕があるので、思い切ってDVDを作り直そうと決めた。元のビデオを早送りで見直して、ダビング開始のポイントも見つけて、空のディスクはこれを使って、ケースはどれを使おうかと、部屋の端の棚に視線をやった時、眼の端に何かうつるものが……あった!!なんだここにあったのか。
教訓 「机のまわりはきちんと整理整頓」、
あるいは 「あるはずのものがないということはない。出てくるまであわてずに待て」、
はたまた 「準備はしすぎると、それだけトラブルが起こるものだ」
叔父の葬儀で愛媛へ。マルキーズ編集部との再会。(4月19日~24日)
田舎の叔父さんが亡くなったので、九年ぶりに愛媛に帰って来ました。母と叔母を連れて、新幹線、特急、レンタカーで、伊方原発のすぐそばの長浜町出海まで。しばらく田舎にいるという母と叔母を残して、一旦伊丹に戻り、日を置かずにもう一度愛媛まで。二往復はくたびれました。
松山で、「マルキーズ」編集部の高松さん、仙波さん、栗原さんと会いました。もう十年以上前、愛媛大学の先生や現場の教師向けに「国語表現」の話をしたことがあります。それを準備してくれたのが、高松さんや仙波さんでした。「マルキーズ」のスタッフが伊丹まで来てくれたり、僕が松山まで行ったりして、雑誌編集や文章の書き方について話をしたりたこともあります。
今回、急に愛媛に帰ることになり、連絡をとりあって、再開が実現。夜の九時から十二時まで、喫茶店で熱く語りあいました。地域に根ざした雑誌「マルキーズ」は途中休止もあったそうですが再開し、60号になっていました。久しぶりに会えて、とても嬉しかったです。
ゴローちゃんと会う(4月7日)
NHK文化センター西宮ガーデンズ教室の最終日、事務室から、「福島先生から連絡が入っています」と伝言が。福島くんがこの教室でデジタル写真のことを教えていることは以前聞いていて、いつか会えるかなと思っていたのです。伝言は「最終回に行きたかったのですが、仕事の都合で行けなくなり残念です」、とのこと。折角だからと、福島くんに連絡して、「ラ・マンチャ」でランチしました。(この店へ行くのは、実は2週間で3回目。)
ゴローちゃんは3年生の時の委員長で、僕の「ことばさがしの旅」の出版記念会の司会をあおちゃんと二人でやってくれました。フイルムの現像の会社に勤めていてたけれど、数年前にフリーランスになったそうです。キトラ古墳や日光東照宮、京都のお寺の重要文化財の撮影、データ処理など、貴重な仕事の話をいっぱい聞きました。ああ、現役時代なら、絶対ゴローちゃんを教室に招いて、仕事の話をしてもらうのになあ、と思いました。
会食後、背割堤へお花見に行きました(4月4日)
お昼は、塚口のスペイン料理店「ラ・マンチャ」で、国語科の元同僚の川口さんと元教育実習生(僕の担当ではなかったけど)衣川さんとランチを食べました。二人とも最初に出会ったのは約30年前。こんな形で3人で食事するのは初めて。ちょっとだけ、「教育実践の形見分け」をしておきました。
そのあと、妻と二人で八幡市の背割堤に行ってきました。2013年に一人で行って、あまりの素晴らしさに驚きました。今までで一番の桜でした。1.2キロも続く桜並木は、もう圧巻。
今年は天候と桜の開花時期がうまくあわないので、無理かなと諦めていたら、4日はなんとか天気がもちそうなので、出かけることにしました。塚口から八幡市までは阪急、地下鉄、京阪と乗り継いでも70分ほどで、結構近いです。堤の上の桜並木のトンネルはどこまでも続くようで、左右に見える木津川、淀川の風景が全く違い、なんともいえぬ味わいがありました。
チューリッヒ美術館展に行ってきました(4月2日)
神戸市立博物館で開かれている「チューリッヒ美術館展」に行ってきました。すごく贅沢な展覧会で、ピカソ、シャガール、モネ、ゴッホ、……、見ごたえのある作品ばかりでした。個人的には、シャガールが素晴らしかった。こんなに好きになるとは、自分でも予想してなかった。印刷されたものと実物では全然印象が違う。
NHK文化センター西宮ガーデンズ教室の講座が終了しました(3月19日)
二年半続けて来たNHK文化センターの「小説を読む」という講座が終了しました。受講生が少なくなったのが理由ですけれど、僕の方も、どんな作品をとりあげるか、悩んでいた所なので、ちょうど一つの区切りかなと思います。特にこの半年は、川端康成「眠れる美女」、谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」、三島由紀夫「金閣寺」、安部公房「砂の女」、大江健三郎「万延元年のフットボール」、中上健次「枯木灘」とやってきたので、結構ハードでとても疲れました。でも自分としては充実感はありました。このまま続けると、野間宏「青年の環」とか大西巨人「神聖喜劇」とか大岡昇平「レイテ戦記」とかをやりたくなりそうでした。、いくらなんでもそれでは受講生は一人もいなくなるだろうと思います。まあ潮時かな。つかしんカルチャーは短編中心でまだ続きます。
宇治、京都、二日連続で遠出(3月14日、15日)
14日(土)は、「キッズいわき ぱふ」に行き、岩城敏之さんに会ってきました。高山先生の講演ビデオを60数本頂いたお礼をいいと、その講演会場になったお店のホールを実際に見てみたいと思ったのです。お昼をご馳走になり、二人であれこれ高山先生の話をしました。
そのあと、せっかく宇治まできたのだからと、平等院と興聖寺を拝観、すっかり遠足気分に浸りました。
翌15日(日)は、カキナーレ塾の読書会(村上春樹「バースディ・ガール」)で京都の深谷先生のお宅まで行きました。去年の3月から、授業実践の「形見分け」を2回、読書会を2回と、4回もカキナーレ塾で話をしたことになります。
映画『幕が上がる』を観てきました(3月12日)
図書館でキネマ旬報を借りてきたら、ももいろクローバーZ主演の映画『幕が上がる』の特集記事があった。その中に、劇作家平田オリザのインタビューがあり、この映画はひょっとしたら、面白いのではないか、と思った。今日は、兵庫県の公立高校の入試日なので、学校が休みの高校生が一杯いるのではないかという予想ははずれ、観客は5人だけ。ももクロは人気ないのか?
映画は、個人的には絶賛。高校国語教師必見、演劇部顧問(特にかつての僕のように、舞台経験のない名前だけの顧問)必見。黒木華ファン必見。ええっと、それから、それから、もちろん映画好き必見。宮沢賢治が好きな人にはお勧め。青春映画好きな人にもお勧め。
ももいろクローバーZって、全くその辺の高校生と変わらない、普通の子だった。おじさんは、そういう意味では全然惹きつけられなかった。かつてのアイドル映画は、薬師丸ひろ子や原田知世や冨田靖子がスクリーンに映っているだけで、魅力的だったが、この『幕が上がる』はそんな映画ではなかった。
原作の平田オリザの力か、監督の本広克行の力か、映画の魅力満載だった。こういう映画が観たかったんだよね。
川西高校宝塚良元校に行ってきました(3月10日)
定年まで勤めていた川西高校宝塚良元校が、この三月で閉校になります。3月8日(日)に、本校の川西高校で、「川西高校・川西高校宝塚良元校の卒業式・閉校式」がありました。県の統廃合計画が着々と進行して、県の予定通り閉校になったことは、かえすがえすも残念です。宝塚良元校は、1クラス規模の小さな夜間定時制で、阪急小林駅から歩いて10分足らずの交通の便のいい場所にありました。僕はここで10年勤めたことをとても大切に思っています。
僕の資料ファイルが残っているからと告げられて、確かめるために、久しぶりに学校へ行ってきました。結果的にそれは僕のものではなかったのですが、図書室の本がすべてダンボール箱に詰められているのを目にして、感慨がありました。尼崎南高校(かつての良元の本校)が廃校になった時、図書室の本を全部貰ってきたのです。当時の職員が総出で運び、ひと夏かけて整理したことを思い出しました。毎年、宝塚中央図書館で廃棄される本を貰って来たりもしたなあ。
「ハムレット」を観てきました(2月25日)
蜷川幸雄演出、藤原竜也主演の「ハムレット」を観てきました。チケット発売から日がたっていたので、もう無理だろうとあきらめていたら、新聞に追加公演の広告が出たので、すぐに申し込んだ。前から11列の真ん中というすごくいい席でびっくり。
蜷川演出は、けれん味たっぷりで、19世紀末の日本の長屋を舞台セットにし、能や歌舞伎のテイストを加え、巨大な雛壇をしつらえたりと、もう満腹ですという感じだった。最後四分の一ほどは、スピーカーの雑音が耳ざわりだった。昼夜二回公演だったせいか、声が十分に出ていない役者もいたように思う。
まあ、あの長い「ハムレット」をわかりやすく見せてくれたのは良かったし、満島ひかりのオフェーリアが見れて満足。家に帰ったら、たまたまNHKBSで満島ひかりのドキュメタリーをやっていて、ついさっき見たばかりの舞台の練習風景が!こんな偶然もあるんだなあ、と思いました。
大江健三郎からうさこちゃんまで、 ハードな一日でした(2月19日)
今日は午前が西宮、午後が京都というハードな一日でした。先週ちょっと体調不良が続き、ダブルヘッターをやりきれるか不安でしたが、何とかクリア。
午前中はNHK文化センターで、大江健三郎の『万延元年のフットボール』について話しました。40年前からこの作品を論じることが自分の課題だったので、今回思い切って取り上げたのですが、やはり一回で論じきれるような作品ではありませんでした。六回ぐらい必要かな。一カ月で三回読みなおしたけど、まだ自分でもすっきり整理しきれない所もあり、「この項続く」ですね。
午後は、若いお坊さんに「人をひきつける話し方、書き方」というテーマで話しました。大学時代、一緒に文学教育研究会をやっていた福井の加藤さんから、「法話」のための研修として、こんなテーマで話をして欲しいと依頼があったのが、去年十二月。加藤さんの頼みならと何も考えずにひきうけたのですが……話したことのないテーマで、聞き手が若いお坊さん(いまだかつてお坊さん相手に話したことはないし)、何を話そうかと、あれこれ迷いました。でも結局、自分の話せることを話すしかないなあと決めて、自分の経験からあれこれ引き出して話しました。「うさこちゃん」の絵本や、現代詩の紹介(ぺんぎんの子が生まれた、ブラザー軒、居酒屋にて、父の死、など)もしました。意外と、これがうけました。終ってから、詩の紹介がありがたかったと言ってくれた若い人がいて、よかったよかった、とほっと胸をなでおろしました。
「正しい教えの白蓮」(サンスクリット語からの現代語訳、一応全部読んだぜ)、「寂聴あおぞら説法」(これは三冊読んだぜ)、などこっそり自習(予習)もしたんだけど、まあ所詮は一夜漬けなので、講義では触れませんでした。
ふうっ、一月、二月は良く勉強したなあ。
今宮戎に行ってきました(1月11日)
一年に一度の行事なので、今日を逃すと一年間待たねばならぬし、思い切って朝から今宮戎に行ってきました。いやあ、これが福娘かと感心。屋台も一杯出ていて、堪能しました。時代は妖怪ウォッチ、ピカチューはあまり見かけず、ジバニャンがいっぱいいました。
小学生の頃は、兵庫区の柳原神社のえべっさんによく行っていました。そこでさざえのつぼ焼きも食べた思い出もあります。
定時制に勤めていた時は西宮神社にも行きました。クラスの生徒がテキ屋の仕事を手伝っていました。人人人で、子どもたちとはぐれないか、心配していたのを思い出します。年中行事は、何年か経つと大切な記憶になるようです。
柳田邦男さんの講演会に行ってきました(1月10日)
宝塚市立図書館主催の柳田邦男さんの講演会に行ってきました。前半は柳田さんが出会った無名の人々の紹介、後半は絵本の読み聞かせの話でした。しっとり、しんみり、いい話でした。時間を30分くらい超過して喋ってくれました。
2014年
京都・カキナーレ塾で読書会をしました(12月21日)
京都の深谷先生のお宅で、津村記久子「ポトスライムの舟」の読書会をしました。一方的にこちらから講義するのではなく、最初に感想を聞いて議論してという本来の読書会のかたちが成立して、白熱した話し合いになり、面白かったです。30代から70代までの男女10人でした。3時間があっというまでした。用意したレジメとメモはこちら。
そのあとは、忘年会でした。。
清水真砂子さんの講演を聞きました(12月13日)
「ひょうご子ども読書活動推進フォーラム」が、三宮の神戸勤労会館で開催され、『ゲド戦記』の翻訳家でもある清水真砂子さんの基調講演があるというので、行くことにしました。「『ゲド戦記』から学ぶ 今、大切にしたいこと」という講演は、清水さんの人柄や考えが伝わるものでしたが、個人的にはもっと岩瀬成子のことを聞きたかったです。
谷崎潤一郎賞受賞記念講演会に行ってきました(11月26日)
今年の谷崎賞は奥泉光の『東京自叙伝』。きっと講演会があるはずと思って、ネットで見ていたのだけど、気がついた時は直前だった。あわてて申し込みの往復ハガキを出したら、自宅に電話があったらしい。母親が言うに、来てもらって結構ですということのようだ。谷崎潤一郎記念館のHPをよく見ると、いろいろ要項が書いてあるページにポスターの写真があって、そこに11月10日締切とあった。そんなとこまで、見てなかったので、締切を過ぎてたのに申し込んだことになる。でもハガキは前日に届いたし、行ってみるとまだ空き席があったし、まあよかったとするか。
奥泉光は初期の作品はよく読んでいたのだが、最近はご無沙汰していた。講演は悪くはなかったけど、ちょっと食い足りなかった。去年の川上未映子の方が講演としては面白かった。川上未映子の『きみは赤ちゃん』はおススメです。
「さよなら原発1000人集会」に行ってきました。(11月24日)
大江健三郎氏の講演があるということで、でかけてきました。
会場は満員で別会場でビデオを見る人もいたようです。
参加者は1450人にものぼったそうです。
2011年の3・11で、大きな国民的な流れは「反原発に傾いた」と思ったの、いつのまにか、原発再稼働容認の路が敷かれるようになった。
こんなことでいいわけはない。
僕の人生最後の関心は「原発廃止」です。
宝塚市立中央図書館で「市民のための文学講座」をやりました(11月1日、8日)
今年で3度目になりますが、宝塚市立中央図書館で「市民のための文学講座」をやりました1日は「上橋菜穂子ー『精霊の守り人』を中心に」、8日は「水村美苗ー『嵐が丘』から『本格小説』へ」というテーマで話しました。1日は、きっと上橋菜穂子ファンの人だろうなという若い人も何人かいて、50名ほどの参加だったでした。8日は、参加者の平均年齢が少し上がった感じで、人数も半分くらいだったかな。
両日ともパワーポイントを使い、「もう黒板にチョークの時代ではないなあ」、と自分でも思いました。久しぶりにボイスレコーダーで録音し、あとで少し聞いてみましたが、ああなんてへたなんだ、高山先生のように滑らかに話せてないなあ、と反省。
和泉市、研究所、宝塚図書館と、この秋は、五回特別の講演をして、一年で一番忙しい時期でした。とにかくこれらをやり終えて、ほっと一息。
田辺聖子について、話しました(10月21、25、28日)
モアいずみ(和泉市男女共同参画センター)で、21、28日の2回、高山智津子・文学と絵本研究所で25日の1回、合計3回、田辺聖子について文学講座で話しました。中心は『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』だけど、今回はパワーポイントも使って田辺聖子の文学の世界全体の紹介もし、『道頓堀の雨に別れて以来なり』からいくつか川柳も紹介したりしました。
25日には、舞子高校で一緒に働いていた藤原洋次郎さん(美術)も来てくれて、終了後の反省会(飲み会)は大いに盛り上がりました。
日本児童文学学会に行ってきました(10月18、19日)
京都女子大で学会が開かれるので、プリンセス・ライン(姫バスっていうらしい)に乗って、行ってきました。学園祭が近いようで、その練習してる学生たちがいました。
神戸アートビレッジセンターへ行ってきました(9月29日)
マルコ・ベロッキオ監督の『肉体の悪魔』を観るために神戸の新開地まで出かけていきました。少し時間があったので、昔住んでいた東出町のあたりを散策したり、新開地を下から上まで見て回ったりしました。半世紀という時間が経っているので、昔の賑わいはすっかり消え、町も街もさびれてしまったという感を強く持ちました。神戸アートビレッジセンターは、僕の父親がやっていた店(炭や薪や氷を売っていた)から、すぐの所にあります。もちろん僕が小学生の頃にはなかった建物です。『肉体の悪魔』はとても素晴らしく、わざわざ足を運んでよかったのですが、客は5人で、寂しさがひときわ身に染みました。
梅田の丸善・ジュンク堂で10冊買いました(9月27日)
久しぶりに大阪へ出てみると、欲しい本がいっぱい。買ったのは、上橋菜穂子『鹿の王』上下、上橋菜穂子『物語ること、生きること』、津村記久子『エブリシング・フロウ』、絲山秋子『離陸』、金井美恵子『お勝手太平記』、高村薫『四人組がいた。』、岩瀬成子『くもりときどきハレル』、川端康成『山の音』、日本児童文学9・10月号。買わなかったけど、梨木香歩、川上弘美の新刊もあったし、深作欣二のインタヴュー、『増村保造の世界』上、もあった。十月、十一月は、和泉市や宝塚図書館や研究所などの文学講座もあって結構忙しいのに、読みたい本が目白押し。
九月はシネ・ヌーボオ通いの日々だった
増村保造監督の特集が面白くて、シネ・ヌーヴォに五日も行った。三十本のうち『巨人と玩具』『偽大学生』『からっ風野郎』『大地の子守歌』『曽根崎心中』を観た。もっと観たかった。来年の二月に特集の第二弾をやるらしい。きっとまた通うことになるだろうなあ。
『巨人と玩具』を観ました(9月1日)
8月の初めに、マルコ・ベロッキオ監督の映画を観に、シネ・ヌーヴォに行った時、いろいろ特集のチラシを貰ってきたのだけど、その中に「生誕90年 増村保造監督の世界」というのがありました。細かく見ていくと、開高健原作の『巨人と玩具』とか大江健三郎原作の『偽大学生』とか三島由紀夫主演の『からっ風野郎』とか、結構興味深い作品がラインナップされています。それで、まず『巨人と玩具』を観に出かけていきました。びっくり、びっくり、めっちゃ面白い!!原作よりもずっといい。1958年制作だけど、今見ても(今見るとという感じもあるが)新鮮な映画で、全然飽きなかった。野添ひとみがジャングルダンスを踊るシーンなんか最高だった(原作にはないんだけど)。伊藤雄之助のアクの強さもうまく活かされていて、小説のほんの脇役が、映画ではめちゃくちゃ魅力的だった。増村保造やるやんか。また行こう、何本観れるかな。
バルテュス展に行ってきました(8月28日)
東京でやっていた時から、興味があったのだけど、京都でもやるというので、待っていました。暑い日はいやだなあ、雨の日はやめとこう、と思っているうちに展覧会も終わりそうなので、よし、と気合を入れて、京都市立美術館まででかけていきました。
やっぱり、絵は実物を見ないとだめだなあと痛感。ポスターや写真やネットの画像と全然違う。絵柄では「地中海の猫」がいいなあと思っていたけれど、色合いが思い描いていたよりもずっと淡いものだった。個人的には「トランプ遊びをする人々」も好きです。ポスターでよく見かける「夢見るテレーズ」は実物が圧倒的に良かった。色や質感が見事でした。
あと「嵐が丘」の挿絵も参考になりました。
全体的には、バルテュスは「奇妙な不均衡さ」が魅力でした。
郡山先生を囲む会に行ってきました(8月23日)
県立伊丹高校で一緒だった英語科の郡山敦子先生が、この春退職されました。その祝いの会をやりますので、とお誘いがあり、阪急ターミナルビル17階の会場へ。37回生は去年の正月に学年同窓会をしたので、1年半ぶりの顔も。郡山先生とは、かれこれ20年以上会ってなかったけれど、まったくあの頃のままで懐かしかったです。郡山先生の「きつい」言い方も、卒業生の話も面白くて、久しぶりによく笑いました。こんな風に再会できるのは幸せなことで、教職といういい仕事に就かせてもらったなあと思います。
夜は、妻と二人で、伊丹の花火大会へ。伊丹へ引っ越してきて、もう25年になりますが、花火見物はこれが2度目。今日はパーティ+花火見物で合計3時間以上立ちっぱなしで、ちょっと脚にきました。
大阪健康福祉短期大学に行ってきました(8月22日)
今週のはじめに1通のメールが届きました。大阪健康福祉短期大学の図書館から、高山先生の寄贈図書を整理しましたという連絡で、図書館に配架できないもので、書き込みなどのない本についてはリサイクルしたい、本に挟み込まれていた手紙や写真もあります。ということで、何はともあれ、堺まで出かけていきました。
日和佐の高山先生のおうちには、書庫があり、智津子先生の本と藤三さんの本とが収められていました。「藤の木文庫」と名付けられていました。お二人が亡くなられて、この蔵書をどうするか、という問題が起こった時、とりあえず全部引き取ってくれたのが、大阪健康福祉短期大学でした。わざわざ日和佐までやってきて、トラックで運び出してくれたそうです。絵本などは現在図書館に配架されていますが、一般の単行本については、配架の予定なしということで、今回のリサイクル会になったようです。
で、行ってみるとダンボール箱四〇箱、約二〇〇〇冊が並べられていました。その中に、僕の本(絶版)もありましたので、貰って帰りました。
もう一度、出かけて、研究所の方で引き取れるものは、持って帰ろうと思っています。
『リオ・ブラボー』やら『子猫をお願い』やらビデオをいっぱい(8月13日)
金井美恵子の世界にどっぷりつかってしまって、抜け出せそうにない。「読書のトレッキング」て゜『文章教室』のことを書いていて、このままでは原稿用紙百枚でも終わらないだろう。それにエッセイが面白くてとうとう『目白雑録』は五巻まで全部読んだ。
で、金井美恵子、蓮實重彦、山田宏一らの映画に関するエッセイを読んでは、ビデオを借りに行く日々が続いている。
ハワード・ホークスの西部劇『リオ・ブラボー』は名前だけは知っていたが、初めて観て、こんなに面白かったのかと、大感激。ジョン・ウェインがチャーミングなのも納得。マキノ雅弘は、これを任侠映画に転用したのかな。でも絶対『リオ・ブラボー』の方がいい、明るくて、笑いがいっぱい。
チョン・ジェウン監督『子猫をお願い』に大感激。金井美恵子が、この映画の良さのわからぬ若い娘に苛立っていたが、絶対に金井美恵子が正しい。商業高校を卒業した五人の女の子を描いた韓国映画だが、これだけの高水準の青春映画は、邦画では久しく観たことがない。ペ・ドゥナは観たことあったけど、すっかりファンになりました。
やっぱり、「先達はあらまほしきものなり」だよなあ。この人の誉めている映画なら、きっと面白いに違いないといえる、批評家を何人か知っておくことは大事だよね。今、シネコンにかかっている映画だけ観て、面白い映画が少ないなんて言っていたらダメだし、ミニシアター公開されている映画やビデオは数限りないのだから。
『グランド・ブタペスト・ホテル』を観ました(8月7日)
川西図書館へ、ジョンバーニンガムの絵本を借りに行ったついでに、大江健三郎と岩城けい(『さよなら、オレンジ』の作者)の対談が載っているので『群像』を借りて帰った。ページをめくっていくと、蓮實重彦の映画時評があって、そこで『グランド・ブタペスト・ホテル』が紹介されていた。インターネットで予告編を見て、これは面白いに違いないと、翌日すぐに梅田テアトルに出かけていきました。
始まってすぐに、これは傑作と確信、観ていて何度も声を出して笑いました。が、しかし、七割ほど入った客席からは、笑い声は聞こえてこず、僕だけが浮いた感じで、客の反応の鈍さに、おまえら笑えよ、とイラっときました。さすがに終わり近くなってくると、どうやらこれは笑っていい映画だと安心したのか、あちこちで小さな笑い声が聞こえてきましたが。
そういえば、三十年以上前に、神戸でスピルバーグの『1941』を藤原洋次郎さんと観に行った時も、声をあげて笑っていたのは僕たち二人と、外国人の人たちだけだったなあ。日本人の観客はおとなしすぎる。
面白かったので、もう一度観に行く予定です。
マルコ・ベロッキオを観ました(8月3日)
イタリアの監督マルコ・ベロッキオの特集のことをインターネットで知り、予告編を見て、これはぜひ観てみたいと思いました。東京へ行くしかないかなと思っていたら、大阪のシネ・ヌーヴオ(九条)でも7月12日から、同じ特集(5本)をやっていました。でも僕が気がついたのが遅くて、もう二本しか見ることができません。まず8月1日に、デビュー作『ポケットの中の握り拳』(1965年製作)を。予想にたがわぬ素晴らしい作品だったので、3日にも出かけて行って『エンリコ四世』(1984年製作、日本初公開)も。やっぱり、こまめに情報をキャッチして、あちこち出かけて行こうと思いました。
でも、『エンリコ四世』は「シネ・ヌーヴオX」でやっていたのです。あるのは知っていたけれど、劇場の二階の小ホールで、座席は二〇数席、今回初めて足を踏み入れました。夜の七時五〇分始まりで、客は三人。マルチェロ・マストロヤンニ、とピアソラの音楽、贅沢で、無気味で、忘れられない体験になりました。
劇工房綺想舎人魚亭の最終公演を観てきました(7月21日)
長谷川俊夫先生から、お便りをいただき、劇工房綺想舎人魚亭の第66回公演「日曜日の憂鬱」をピッコロシアターへ観に行ってきました。良く練れていて、面白い舞台でした。僕が最初にこの劇団の公演を観たのは2012年の「最後の美貌の都」、今回で二回目です。
全然知らなかったのだけれど、この劇団は1977年から活動を続けていて、今回が最終公演でした。神戸新聞にその記事が載っていたことを、ネットで知りました。これまでの演目一覧を観ても、別役実、唐十郎、つかこうへい、清水邦夫、宮本研など、僕のような演劇の素人でも知っている同時代の劇作家たちの作品を構成し直し、書き直して上演してきたようです。演目を見るだけでも、強い同時代性を感じます。もっと早く知っていれば、もっと観に行ったのにと、少し残念です。
清教学園に行ってきました(7月18日)
片岡先生から、一度いらっしゃいませんかとのお誘いを受けて、河内長野の清教学園に行ってきました。探究科の授業(高校3年)を、2時間連続で見学し、そのあと、リブラリア(図書館)のスタッフ5人と、歓談しました。
授業は、コンピューターを使ってこんな風にできるのかと、感心しました。この日が一万字の原稿の提出日で、授業の最後に各自が自分のパソコンから、メインコンピューターのファイルに次々と転送、スクリーン上で誰が提出し、それがどのくらいの分量か一目で確認できました。生徒は四万字の論文の作成に向けて、この夏にはフィールドワークに出かけるとか。そのテーマ一覧も見せてもらいましたが、そのテーマの多彩さにも驚きました。
図書館スタッフとの話し合いでは、僕のこれまでの著作をみんなで回し読みして、準備をしてくれていました。『読むこと、書くこと 大人への回路』の「良い子からの七通の手紙」を読んで泣いてしまったと、発言される方もいたり、私りぼんの付録を今でも持っていますとか、この前、僕、田渕由美子さんと会ったんですよ、などと、話のはずむことはずむこと、一時半から始めて五時まで、あれこれ、僕も「読書の記録」を国語科全員で作ったことなど、いろんなことを思い出しながら、楽しい時間を過ごすことができました。
「現代詩の授業」の報告を作りました(6月29日))
深谷先生から、6月8日の話の報告を書いてもらえないかという、依頼があったので、まとめました。報告はここにあります。
カキナーレ塾で、現代詩の授業について話しました(6月8日)
京都の深谷先生のお宅で開いている「カキナーレ塾」で、若い先生相手に、「現代詩の授業」について話してきました。
この日のために、これまで授業で使ってきたプリントの数々を、OCRで読み取って、ワードに変換してという作業をして、「授業のための現代詩アンソロジー(70編)」を作りました。全部で66ページ。コピー、製本の手間を考えて、インターネットで見つけた小冊子製本工房に依頼してみました。これが早くて安くて便利、大正解でした。
古いビデオは自分でDVDに変換し、複数コピーしました。吉永小百合の原爆詩朗読、詩のボクシング(ねじめ正一VS谷川俊太郎)、現代詩はよみがえるか(石垣りん、町田康らの朗読あり))、東淵修の自作朗読、などこれまで僕が授業で使ってきた、思い出深い、大切なものたちばかりです。このDVDも一部分観てもらったりして、欲しい人にはあげるよ、と言うとあっという間になくなりました。良かった、良かった。
教育実践の「形見分け」と、自分で名づけたのですが、自分が集めたもの、使ってきた資料など、若い人に手渡せるものは、どんどん手渡していこうと思っています。
昼の一時半から話始めて、六時すぎまでやって、さらに七時まで、話は続きました。実質六時間ほどの長時間の講義・報告・模擬授業で、肉体的には参加者も大変だったと思います。でも来てよかったという声が多くて、やってよかったと思いました。(まだ話したりないのだけど。)
なっちゃんとかずくんと3人で新幹線に乗って伊丹に(6月6日)
娘の夫の中国単身赴任が6月中頃には終りそうで、僕の横浜行きも終わることになりました。たぶん最後になる定期的な「横浜・家事手伝い」のついでに、なっちゃんとかずくんは僕と一緒に伊丹に遊びに来ることになりました。京都から悠介も帰ってきて、しっかり叔父さんしていました。久しぶりににぎやかな夕食のひとときを持てました。
舞子高校2回生の同窓会に行ってきました(5月24日)
僕が最初に赴任した舞子高校は、出来て2年目の新設校でした。僕の赴任と同時に入学してきたのが、2回生で、彼ら彼女らも現在55歳。40年の歳月が流れたことになります。僕はこの学年の担任ではなかったのですが、声をかけてもらい、同窓会に出かけました。大きくて明るい会場でやる「一般的な同窓会」とは違い、自由にあちらこちらで会話がはずむ、というもので、それはそれでおもしろかったです。かつての同僚だった体育の小林先生や数学の三島先生ともゆっくり話すことができました。
妻が帰って来ました。(4月21日)
3年半の単身赴任を終えて、横浜から妻が帰って来ました。この1週間は引っ越し荷物の片付けで、バタバタしていました。「もう引っ越しはいやや」と言っていました。今日から、大阪の元の職場に出勤。「地下鉄混みすぎ」「やっぱり食べ物が安くてうまい」など、いろいろ横浜と比較して感想を述べています。
高校の同窓会に行ってきました、他。(4月6日)
昨日、星陵高校22回生の同期会に行ってきました。卒業以来44年ぶりに顔を合わせた同窓生も多く、本当に「お久しぶりです」という感じでした。それでも一年前にあった中学の同窓会の時よりも、覚えている顔が多く、何人もの人に声をかけてもらいました。亡くなった方の紹介もあり、中山くんや福島さんのことも思い出しました。あの頃は、高校生であることに充足していて、今のような時間感覚(自分の一生のパースペクティブを感じる)は想像もつきませんでした。
去年の今頃は、何かせきたてられるように、あちこち桜見物に行きましたが、今年は何故か、まあいいか、とどこにも花見に行かず、のんびりしています。これはたぶん、毎月横浜に二往復していることと関係あるのかも。あ、先週、横浜の三ツ沢公園に、なっちゃんとかずきと三人で、花見に行ったっけ。まだ五分咲きだったけど。
京都・カキナーレ庵へ行って、若い先生に話をしてきました(3月9日)
京都の深谷先生のお宅「カキナーレ庵」で、新しく「カキナーレ塾」を開くことになり、第1回として話をさせてもらいました。若い先生からの要望で「羅生門、山月記、こころ」について授業のヒントになるようなことを話しました(レジメはここにあります)。野村萬斎・作演出の「敦 山月記 名人伝」のビデオも少し上映。1975年からの僕の手書きのノートも見てもらいました。そのあとも鍋や料理を囲んで、参加者全員がいろいろ話をして、1時半開始だったのに、終わりは8時を過ぎていました。深谷先生ご夫妻には大変お世話になりました。
河内長野・清教学園に行ってきました(3月8日)
ちょうど「研究発表会」があったので、清教学園に行ってきました。南海高野線で河内長野へ、そこからタクシーで。中学・高校共通の図書館リプラリアを見学。そのあと。司書教諭の南さん、司書の山根さん、平井さん、リブラリア館長・探究科の片岡さん、4人の報告を聞きました。「入学時からはじめる読書生活の習慣化」というテーマなので、中学生の話が中心でしたが、「すくど文庫(新入生のための書架、2400冊)」「おためし読書」などユニークでよく考えられた試みが、とても興味深かったです。
あの田渕由美子さんに会いました(2月22日)
70年代の『りぼん』で「乙女ちっく」漫画と言われた作家たちがいて、その一人が『フランス窓だより』の田渕由美子さん。僕はよく知りもしないで、自分の本の中で紹介、表紙やイラストを引用した過去があります。まさか、あの一時代を代表する田渕さんに会えるなんて。普段の恥ずかしがりでシャイな藤本なら、遠慮するのですが、なにせ今年の目標は「人に会う」です。先輩の中西さんの紹介で、池田市の小林一三記念館の中のレストランでお会いして、会食をともにしました。
平山母娘来訪(2月21日)
県立伊丹高校で担任した平山(旧姓寺井)さんが大学生の娘さんを連れて僕の家まで遊びにきてくれました。三十年を隔てて、思いがけなく「3者面談」実現。娘さんは学校の先生になろうと考えているそうで、その動機や考えを聞いていると、本当にいまどき珍しい、素朴で無垢な子だと感じられました。
教育の世界はだんだん息苦しくなり、あまりよい職場環境とは言えないけれど、そんな悲観的なことをいくら語ってもだめだと、ここ半年ほどの間に考え方を変えてきたのですが、平山(娘)さんと話して一層その思いを強くしました。若い先生や教師志望の学生にもっと会って、夢と希望を語りたい、託したいと考えています。スローガンは「教育実践の形見わけ」「教育実践の遺産相続」どっちがいいかな。
久しぶりに垂水に行ってきました(2月7日)
中学・高校の頃の友達、下薗(旧姓高田)くんに会うために、かつて暮らした町、垂水に行ってきました。あの頃ほとんど毎日、高下駄をはいて通っていた「文進堂」がまだあった。この本屋さんは、筒井康隆のエッセイに出てくるんだぜ。
「ペコロスの母に会いに行く」を観ました(2月3日)
今年は億劫がらずに、映画館に出ていこうと思って、「ブランカニエベス」「鑑定士と顔のない依頼人」「エレニの帰郷」と観てきて、今日は「ペコロスの母に会いに行く」を観に行った。良かった、さすが森崎東、と感心した。映画の文法のこと、物語の神話性など、いろいろ思うことがあった。詳しい感想はこちら。
朗読会に行ってきました(2月2日)
京都の深谷先生に会いたいと思って電話をかけると、ちょうど明日中之島で朗読会があってそれに出かけるとのこと、それなら僕もそこに行きますと返事をした。中之島の中央公会堂は何度か出かけたことのある思い出の場所、吉増剛造さんと東渕修さんの詩の朗読もここで聞いた。「スリーK朗読ライブ」という催しで、「藪の中」「花さき山」「伊勢物語・梓弓」などわりと本文になじみのある朗読ばかりだった。立ち見もでるほどの盛会だった。
終了後、深谷先生たちと食事して、3月に国語教育について話す会をひらくことを決めた。今年の「目標」は人と会うことだが、先送りにせずにすぐに動くことが大事だな、と自分に言い聞かす。
清教学園との出会い(1月20日)
昨年の夏、清教学園の3年生の岩井さんから取材申し込みがありました。彼女は卒業論文として「スポーツ小説」の面白さとはなにか」というテーマを立てたそうで、先生から、僕の『人気のひみつ、魅力のありか』を勧められて、興味を持ったというのだ。
彼女は奈良から、伊丹までやってきて、僕にインタビューをして帰りました。で、昨年末に、完成した論文のコピーを送ってくれました。これが130枚ほどの大作で、彼女なりによく考えて書き上げた労作でした。高校生がこんな論文を書くなんてと感心しました。
で、つい先日、清教学園の担当の先生から、岩井さんの論文が「図書館を使った調べる学習コンクール」で優良賞を受賞したという連絡をいただきました。
いやすごいなあ、とひとしきり感心。
清教学園の取り組みについて、一度話を聞きに行こうと思っています。
今年の目標の一つに「人と会うこと」をあげましたが、見知らぬ誰かが訪ねてきてくれる、見知らぬ誰かを訪ねていく、というのも、なかなか面白いものです。
池澤夏樹さんの講演会に行ってきました(1月18日)
宝塚市立図書館主催の池澤夏樹さんの講演会に行ってきました。丸谷才一が始め、池澤さんが引き継いだ毎日新聞の書評欄の話、芥川賞の選考委員をやっていた時の話、河出書房で個人で世界文学全集を作った話などは、とっても刺激になりました。質疑応答の時も、率直で丁寧な答え方で、良かったです。
今年の目標は「文章をまとめること」と「人に会うこと」(1月7日)
2013年の暮れに舞子高校剣道部4回生の集まりに呼んでもらいました。三十数年ぶりに会った子もいて、懐かしくて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。彼ら彼女たちも既に五十歳を超えていて、さまざまな人生を歩んでいることもわかりました。
2014年の目標は何かと、家人に問われて、うーん、と考え込んでしまいました。退職して約2年、健康を保つこと、娘の家事・育児の手伝いをすること、大人の人に小説の話をすること、などを生活の中心にしてきたので、目標と言われてもなあ。
目標というからには、「達成する」ことを念頭において「努力」しないとなあ。
ちょっと、まだ目算は立たないけれど゛、あちこちで話してきた内容を、まとまった文章にすること(まずは、新しい個人誌の発行かな)、これが一つ。もう一つは久しく会っていない友人・知人に積極的に会うこと。
とりあえず、今年はこの二つを目標にします。
2013年
いずみワクワク講座が終わりました(12月3日)
和泉市男女共同参画センターの「いずみワクワク講座」全三回が終わりました。阪急、地下鉄、南海と乗り継いで泉北高速鉄道の和泉中央駅まで一時間半以上かかります。朝の通勤客に交じって出かけるのは、ひさびさのことでした。満員電車で僕のまわりの全員が携帯をいじっていたのは、ちょっと怖かったなあ。
講座は毎週火曜で、梨木香歩、絲山秋子、津村記久子について話しました。今回のために作品紹介パワーポイントも作ったんだぜ。やればできる。
川上未映子講演会に行ってきました
今年の谷崎潤一郎賞受賞記念の講演会が芦屋のルナホールでありました。『物語と「前の日」』というタイトルで、受賞作『愛の夢とか』と東北大震災とのことが語られました。途中と最後に質疑応答が入って、面白い講演スタイルでした。川上未映子って、率直で真面目で早口で理屈っぽい子だなという印象でした。
井上光晴が長崎の被爆を描くために、その原爆投下の前日を描いた『明日』を頭に置きながら、話を聞きました。
久々に「追い詰められ」感を体験
現役教師時代は、新学期直前には、いつも次の教材を何にするか迷う、迷いに迷って追い詰められる。それを久々に味わった。NHK文化センター2014年前期の教材案を11月末までに提出されたしとの要請あり。「教科書」がないのは自由だが、自分で選ばなければならないのが大変。何か「縛り」を自分で作らなければ考えがあちこちに飛び、まとまらなくなる。
⑴今文庫本で手に入る作品、⑵これまであまり触れていない作家、⑶参加者にある程度評価してもらえるもの、⑷長すぎないもの、⑸2000年以前70年代ぐらいまで、そして何より僕が今読んでもおもしろいもの、などなど、いくつか条件を考える。具体的な作品は……悩みに悩んで決めたのが以下のラインナップ。
4月 山田詠美 『A2Z』講談社文庫467円
5月 村上龍 『料理小説集』講談社文庫467円
6月 池澤夏樹 『スティル・ライフ』中公文庫476円
7月 金井美恵子『文章教室』河出文庫819円
8月 黒井千次 『群棲』講談社文芸文庫1470円
9月 開高健 『夏の闇』新潮文庫476円
計画ができて、ほっとしている。来年からこれに向けて準備しなければ。
二代目パソコンが瀕死の重傷 (11月23日)
僕がパソコンを買ったのは、宝塚良元に勤め始めてからだから、かれこれ10年以上になる。それまではワープロで、長い間二つを併用していた。初代パソコンはほとんど引退・隠居したのだが、今横浜に置いて、向こうで原稿の手直しをすることだけに使っている。伊丹の家にある二代目は、これまでの経緯もあり、メール用に使っている。それで、ネット検索や原稿作成、ホームページの作成、デジカメ写真の印刷、ネット販売の注文、映画館の予約などは。三代目が引き受けている。
ところが、11月半ばから2代目の様子がおかしい。なかなか動かない。思い余って「パソコン工房」で簡易診断をしてもらうと、が壊れているとのこと。うわあどうしよう。と言っても、原稿はたいていUSBに保存しているから大丈夫。まあ、メールをどうするかやね。僕は頻繁に使うわけではないし、なければないでやっていけないわけじゃないが、やっぱり使えるに越したことはない。この苦境をどう乗り切るか。次回に続く。まあ、そういうわけなので、メール届かないかもね、届いても、返事に時間かかるかも。
「市民のための現代文学講座」連続2回をやりました。
宝塚市立中央図書館で、「田辺聖子の評伝小説」「丸谷才一とモダニズム文学」と二日間、講演会をやりました。申し込みが48名だったと聞きました。二時間以上喋ると、最後のあたりでは発熱してきて、終わるとぐったり。先日の研究所主催「秋の文学講座」の時もそうでした。もうこれからは、90分以内にしようと決心しました。アドレナリン全開は、血圧に悪いよなあ。
研究所の方にも、図書館の方にも、40代なかばの卒業生が来てくれました。お互いにあの頃は若かったよなあ、という感慨ひとしお。
NHK文化センター・西宮ガーデンズ教室12月の作品を変更
センターの事務局から、鷺沢萠『ウェルカムホーム!』文庫本が絶版のため入手困難です、との連絡を受けて、あわててそれに代わる作品を探しました。森絵都『風に舞いあがるビニールシート』(文春文庫)を選びました。それにしても、本が絶版になるスピードが速すぎる!逆に新しい本の出版量が多すぎる!小説家も書きすぎる人が多いと思う。いい本をじっくり時間をかけて作り、長く売り続けてほしいものだ。
宝塚市立中央図書館で文学講座をやることになりました
一つ前のTOPICSで各文学講座の予定を挙げましたが、その後宝塚市立中央図書館から依頼があり、引き受けることにしました。
「市民のための現代文学講座」
第一回 10月31日(木)10時15分~12時30分
「田辺聖子の評伝小説~『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』を中心に~」
第二回 11月3日(日)14時~16時30分
「丸谷才一とモダニズム文学~『笹まくら』を中心i~」
10月以降の文学講座の予定が決まりました(8月11日)
今年の秋から来年にかけて、半年分の予定がだいたい決まりました。一部これまで話した内容の再演もあるけれど、大半は初めて話すことばかりです。「小説を読み深める」というやり方と、「小説を読み広げる」というやり方の違いが少しわかってきたので、もう少し頑張ってみるつもりです。
「現代文学は働く女性をどう描いているか 絲山秋子と津村記久子」
⑵NHK文化センター・西宮ガーデンズ教室「小説を読む」(第3木曜日)
①川上弘美「センセイの鞄」 10月
②堀江敏幸「雪沼の周辺」 11月
③鷺沢萠「ウェルカムホーム!」 12月
④津村記久子「君は永遠にそいつらより若い」 2014年1月
⑤絲山秋子「沖で待つ」 2月
⑥長嶋有「夕子ちゃんの近道」 3月
⑶つかしんカルチャー「おもしろ文学講座」(第2水曜日)
(⑥菊池寛「形」「入れ札」 9月11日)
⑦川端康成「伊豆の踊子」 10月
⑧池谷信三郎「忠僕」 11月
⑨志賀直哉「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」 12月
⑩中島敦「山月記」「名人伝」 2014年1月
⑪太宰治「カチカチ山(お伽草子)」 2月
⑫谷崎潤一郎「春琴抄」 3月
⑷和泉市・男女共同参画センター「文学講座」(3週連続)
①梨木香歩を読む 11月19日(火)
②絲山秋子を読む 11月26日(火)
③津村記久子を読む 12月3日(火)
世田谷文学館で鹿島茂の講演をきく 6月30日
横浜へ娘の家事・育児の手伝いに行ったついでに、東京で何か講演会をと探していたら、世田谷文学館が「書物の達人 丸谷才一」という三週間かけて五回連続の講座を開いていた。全部ききたいくらいだが、日程の都合で一つだけ、鹿島茂の「官能的なものへの寛容な知識人」という講演を聞いた。個人的なつきあいがあって、その話はそれなりに面白かったが、全体としては散漫で、予定時間内で終わって、ちょっと準備不足じゃないかと思った。期待していっただけに、ちょっと残念だった。
講演の始まる前に、県立伊丹高校の教え子、映画研究部のさっかんに会って、ランチ。アメリカ暮らしのあれこれを聞いた
NHK文化センター梅田教室で『嵐が丘』の講義を聴きました、6月21日
この4月から3回連続で、廣野由美子さん(京大)の『嵐が丘』の講義を聴きました。以前に、廣野さんの『「嵐が丘」の謎を解く』を読んだことがあり、なかなか優秀な人だなと関心を持っていたのですが、梅田教室で講義をしていると知って、僕も8月9月に水村美苗の『本格小説』の話をする予定もあり、参考になるかなと、とことこと出かけて行きました。実は廣野さんは僕の妻の同級生だということがわかったのですが……。
別役実の新作『不条理・四谷怪談』を観に行きました
ピッコロシアター(尼崎市)で別役実の新作劇『不条理・四谷怪談』を上演するという記事を新聞で読んで、チケットを買いに走りました。で、6月11日(火)に観てきました。1時間半ほどのコンパクトにまとまったもので、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』なら10時間かかるそうですが、それをうまく圧縮した感がありました。映画では深作欣二の『忠臣蔵外伝・四谷怪談』もなかなかよかったなあと、思い出しました。
愛知子どもと本と文化の会で講演をしました
6月8日(土)に愛知県豊田市で「かいけつゾロリ徹底分析」という講演をしました。参加者は図書館司書、読みきかせボランティア、小中学校の先生などで、100人を超えて大盛況、よく笑ってくれました。この日のために改良したパワーポイントを使って、二時間半、ゾロリの魅力を話しました。講演会の後で事務局の人たち十数人と会食しながら話しましたが、ゾロリに対する見方が変わったと大好評で、遠くまで出かけた甲斐がありました。久しぶりに大人数の人に向かって長時間話したのでさすがに身体も興奮し、新幹線の中でクールダウンするのに時間がかかりました。梅田まで帰ってもまだ身体が火照るので、大丈夫かなと心配したら、若い女の子が何人も扇子を使っていたので、気温と湿気が高かったのだとわかりました。
横浜で育児の手伝いをする
横浜に住んでいる娘はこの四月後半から職場復帰、東京まで一時間半かけて通いながら、頑張っている。息子(僕の孫)も四月から保育園に通い始めて、いよいよ新しい生活のペースがスタート。その矢先、娘の夫に突然の単身赴任命令。しかも行先は中国。これはどうする。ということで、とりあえず娘の手伝いのため横浜へ。保育園の送り迎えを手伝ったり、買い物や掃除、洗濯、食事の準備などをしたり。でも子どもが発熱で保育園へ行けなくて、病院に連れて行ったり、ずっと一緒に過ごしたり、乗り馴れぬオデッセイを運転したり、最後の日には激しい下痢、嘔吐に襲われてダウン。這うようにして伊丹に帰ってきました。でもまた行きます。これから月の半分くらいは横浜暮らしかも。
NHK文化センター「小説を読む」第1回
4月18日(木)「小説を読む」第1回をやりました。今月は丸谷才一『笹まくら』を読み深めました。「笹まくら①」のレジメはここにあります。来月は読み広げる予定です。
つかしんカルチャー「おもしろ文学講座」第1回
4月10日(水)「おもしろ文学講座」第1回をやりました。「絵本を読む その①」のレジメはここにあります。これから1年間の予定はここにあります。
続・桜三昧の日々
4月5日(金)に万博公園にお花見に出かけた。天気予報で、この週末は台風並みの暴風になりそうで、桜は散ってしまうでしょうとのこと。今日は朝から晴天、絶好のお花見日和なので、よし行こうと決心。大きなおにぎりを作って、JR、阪急、モノレールと乗り継いで万博公園へ。ここは昔、家族4人で車で花見に来たが、駐車場がいっぱいで、あきらめて、周りをぐるっと走って帰ったという苦い思い出の場所。桜は満開、店も出てるし、アベック、家族連れ、学生仲間、老人会、車椅子の人たち、乳母車のお母さんたち、いろいろ人も来ていて、大道芸もやってるし、陶器市もある。広い芝生では子どもが走り回ってるし、空間的に開放感がある。桜の名所、お花見スポットといってもいろいろタイプがあるなあとしみじみ感じた。帰るころには桜吹雪も見れたので満足。今年の花見もこれでおしまいだろうなあ。ひょっとしたら、「新・桜三昧の日々」があったりして。
桜三昧の日々
4月1日(月)に、思い立って、一人で夙川へ桜を見に行った。何年か前に来た時にはいっぱいあった屋台がない。桜は満開で、花びらがほとんど散らない。何となく欲求不満が残る。風に散る桜をながめながら、子どもに屋台で焼きそばやたこやきを買ってやるのが、春の楽しみだったのに。4月4日(木)、よし夜桜見物に行こうと思ったが、昼飯を食ってすぐに出ると、夜桜のライトアップまでの時間をもてあましてしまう。それで急に、昨日テレビで見た淀の背割堤の桜のトンネルを見に行くことにした。あまり乗ったことのない京阪電車で、八幡市まで行く。石清水八幡宮があるところだった。宇治川と木津川にはさまれた堤にぎっしりと桜が満開。ちょっとこれは見たことのないほどの光景。しかもちらちらと散り始めた桜のはなびら。よしよし。1キロ余りの堤をゆっくりと往復。宇治川と木津川の流れの速さと水の色が違い、堤までの距離も違うので、右を見た時と左を見た時の印象が別。堤の上から、ななめ下に長く下がった桜の枝も風情があり、天高く伸びた枝も良かった。満足。(家に帰ったら、毎日新聞の夕刊一面にこの桜のトンネルの航空写真が載っていた。今日見てきたもんね。)京阪で京橋まで帰り、桜ノ宮へ。夜桜はまた格別。屋台が出ていて、宴会している人も多くて、こうじゃなくちゃという気になった。それにしても今日はよく歩いた。8キロはいったと思う。
NHK文化センターの講座、一期分(半年間)終了
これまで宝塚良元校でやってきた「文学講座」の中から、短編を中心にもう一度講義しなおせばいいかと思って始めたが、結果的には各回とも調べなおしたり、整理しなおしたりして、とても自分の勉強になった。「作品を読み深め、読み広げていく」という道筋も少しつかめたような気がする。来期(次の半年)もやれそうなので、これまであまりきちんと扱ったことのない長編を中心にやろうと新しいプランを決めた。丸谷才一『笹まくら』、田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』、水村美苗『本格小説』。話せる機会があって、そのために自分で自由に勉強できるというのは、なかなかいいなあと思いながら、そういえば高山先生から「なんでもいいから、今藤本くんが興味のあることを話して」というアバウトな講演依頼を何度もされたなあと思い出した。あれが結果的に、僕を育ててくれたんだろう。
和泉市の文学講座のラインナップを決定しました。
10月中旬から11月初旬にかけて、3回連続の講座の案を3つ考えたのですが、相談の結果、一番新しい作品をやることにしました。
①梨木香歩
②絲山秋子
③津村紀久子
この講座は、読んでいない人でも参加できるようにということで、作者や作品の紹介が主になりそうですが、絲山秋子や津村紀久子についてはまだどこでも喋ったことがないので、これから半年ほどかけて、じっくり準備するつもりです。、
自分の中学の学年同窓会に行ってきました。
3月23日(土)に、垂水中学の同窓会がありました。ほとんどが46年ぶりに会う人で、当時の記憶も定かではないのですが、、それでも生徒会長だった有岡くんや副会長だった野田さんと再会できて、それこそ夢のようでした。
舞子高校の生徒会OB会に行ってきました。
3月10日(日)に舞子高校の生徒会OB会(2回生、3回生あわせて10名)がありました。2回生は僕が38年前に一番最初に教えた生徒です。退職してからの、この1年間に昔の卒業生と久しぶりに会う機会がずいぶんありました。なんだか故郷に帰ってきた旅人のような気分です。
原ゆたかさん、原京子さんにお目にかかりました。
2月18日(月)に東京で原ゆたかさん、奥さんの原京子さんにお目にかかりました。僕も原さんも映画ファンなので、延々と映画の話をしました。もちろん、かいけつゾロリの話も。
原ゆたかさんの講演会に行ってきました。
1月26日(土)に大阪府立図書館で原ゆたかさんの講演会がありました。久しぶりに大阪府立図書館にきたので、ついでに「夢十夜」関係の本や「嵐が丘」関係の本を借りました。原さんの講演会の内容は「ひみつ」ですが、イシシ・ノシシが「助さん・格さん」だったとは!」とちょっとうなりました。
2013年の仕事の予定(とりあえず今現在の)
①NHK文化センター・西宮ガーデンズ教室(毎月第3木曜)、「小説を読む」
2月「夢十夜」、3月「バースデイ・ガール」
4・5月「笹まくら」、6・7月「花衣ぬぐやまつわる」、8・9月「本格小説」
②つかしんカルチャーセンター(毎月第2水曜)……4月から(内容未定)
③愛知子どもと本と文化の会 6月8日 「かいけつゾロリ」徹底分析
④和泉市 10月、11月 連続3回の文学講座(詳細は未定)
退職記念の会をしてもらいました。
1月20日(日)、県立伊丹高校34回生が退職記念の会を開いてくれました。1時間半ほど、特別授業をして、2次会は延々と10時過ぎまで続きました。メッセージ集をもらいましたが、その中に女房や娘息子の分もあってびっくり。年末に千香ちゃんが、しきりに女房に会いたがっていた理由がやっと判明。女子会うんぬんとごまかされましたが、こんなたくらみがあったとは。
中島みゆきコンサートに行ってきました。
1月18日(金)、東京有楽町の東京国際フォーラムのホールで開催された中島みゆきコンサートに行ってきました。5000人ほど入る大ホールの、前から2列目の真ん中の席!!ちょっと信じられないくらいの幸せで、これでこれから先10年分の幸運を全部使ったかもと思いました。中島みゆきのコンサートチケットを手に入れるために、ファンクラブに入って、もう20年以上。コンサートも十回ほどは行きました。今回は前半で3回、後半で3回泣いてしまい、年をとって涙腺がゆるくなってきているのね、と一緒に行った女房に笑われましたが、でも中島みゆきの歌唱力は圧倒的で、声の響きとゆらぎに心を揺さぶれました。
県立伊丹高37回生同窓会に行ってきました。
2013年1月2日(水)に、37回生の学年同窓会がありました。この学年は学年同窓会を初めて開くので、幹事さんたちはいろいろ苦労したようですが、当日は大盛会。高校卒業後、28年ぶりに顔を見た元生徒に驚くこともいっぱいでした。
2012年
舞子高校剣道部OB会を開きました。
年の瀬も押し詰まった12月30日(日)にホテルトアロードで、舞子高校剣道部のOB会を開きました。舞子高校は僕が最初に赴任した高校で、開校2年目から5年間勤務し、剣道部の顧問として、毎日生徒と一緒に練習していました。数年前に病気で亡くなった一回生のキャプテン浦戸君を偲ぶために、僕が音頭をとって、久しぶりにOB会を開催したのですが、1回生から4回生まで24名の卒業生が参加してくれました。
県伊丹高34回生同窓会で特別授業をしました。
11月24日(土)に県立伊丹高校34回生の同窓会があり、全体会の前に1時間、特別授業をやりました。内容は「十二支のはじまり、中身あてクイズ、いちのへや、小さなよっつの雪だるま」の四章です。中旬頃から体調が良くなかったので、できるだけ無理なくやれるようにと、パワーポイントを中心に教材を作りました。「十二支のはじまり」や「小さなよっつの雪だるま」はデジカメで撮影して、使いました。「いちのへや」は東淵修さんの朗読DVDを紹介。絵本の朗読は吉田(新田)さんに頼んで、極力省力化を計画。でもやっているうちに、だんだん話に力が入って、最後は全力ダッシュ、という次第でした。ビデオ撮影してくれた日下君から、「当日参加できなかった卒業生から希望があるので、ダビングしたものを配布してもいいか」との連絡もありました。
長崎へ行ってきました。
10月8日から2泊3日で長崎へ行ってきました。長崎くんちを見に行くのが第一目的でしたが、グラバー園も、出島も、稲佐山からの夕暮れ時の海の風景も、朝からの軍艦島クルーズもみんな良かった。市内のいたる所で、庭先回り(くんちの演目を街中でちょっとやって見せてくれる)や、修学旅行生に出くわし、気分は一人修学旅行でした。平和公園では小学生の平和行事に偶然出くわし、ちょっと胸がじーんときました。1日乗車券で路面電車にも何度も乗り、すっかり路線にも詳しくなりました。
NHK文化センター西宮ガーテーンズ教室で「小説を読む」講座をやります
10月18日(木)から、毎月第3木曜の10:00~12:00、全6回で、受講料は15750円。
詳しい内容や申し込み方法については、 NHK文化センター西宮ガーテーンズ教室のHPを見てください
宝塚市立中央図書館で「大人のための児童文学講座」をやります。
第一回 10月27日(土) 「かいけつゾロリ」徹底分析
第二回 11月3日(土) 児童文学はスポーツをどう描いたか
時間は14:00~15:30
参加費 無料 定員70名(先着)
申し込みは電話または窓口にて
宝塚市立中央図書館(0797-84-6121)
「授業をつくる」の原稿が一応完成しました。
9月15日(土)、37年間をふりかえっての「授業をつくる」という原稿がやっと最後までいきました。6月末から着手して約3か月。高校時代、浪人時代もちょっと加筆。
『最後の美貌の都』を観てきました。
昨日(7月15日)尼崎のピッコロシアター中ホールで、劇工房綺想舎人魚亭の64回公演『最後の美貌の都』を観てきました。島尾敏雄「死の棘」、山崎哲「大菩薩峠」、矢代静一「宮城野」を原作にしてそれらを構成したものらしい。構成・演出は小林千夜詞、主演萩ゆき。
宝塚良元校での文学講座のダイジェスト版(36回分)を載せました。ここをクリック。
『藪原検校』を観てきました。
昨日(七夕の日)、兵庫県立芸術文化センター(西宮)で井上ひさし脚本、栗山民也演出、野村萬斎主演の『藪原検校』を観てきました。いやあ、凄かった。演劇的な面白さ満載。堪能しました。家に帰ってくると、ちょうどこの日の毎日新聞夕刊にこの劇の記事が載っていました。
僕の新しい原稿「授業をつくる」も快調に進んでいます。県立伊丹高校時代まで完了しました。
新しい原稿書きに着手しました。6月27日
京都の土曜日の会で報告したことを元にして、「37年間の授業実践のまとめ」をしようと原稿書きを始めました。書き方のスタイルをどうするか迷って、二転三転、やっぱり講演口調でわかりやすく、よみやすく、脱線もありという風に書くことに決めました。録音してないので、思い出しながら、喋ってないことも付け加えて。現在進行形、未完成、書きかけの原稿はここにあります。
『海辺のカフカ』を観てきました。
先日、蜷川幸雄演出の『海辺のカフカ』の公演が大阪であると知って、あわててローソンチケットで購入。6月21日、一階の最後の列で観ました。休憩をはさんで四時間。椅子に座りっぱなしも、結構疲れる。田中裕子がとても魅力的でした(オペラグラスを持っていったので顔の表情もわかった。)劇と小説はもちろん単純に比較すべきではないけど、村上春樹の小説の魅力を再確認しました。来月は野村萬斎主演の『薮原検校』(井上ひさし作)を観に行きます。今度は最後の列のその後、補助椅子です。またオペラグラスを持っていこう、と。
荒川弘を読んでます。
マンガ『銀の匙』を読んで荒川弘(あらかわひろむ、女性)に関心を持ちました。(離任式でも話題にしました。)横浜の娘の家に行くたびに、『鋼の錬金術師』を少しずつ読み、ついに全27巻読破。いやあ面白かった。女房に勧められて『百姓貴族』第1巻も読みました。荒川弘がちょっとしたマイブーム。
その6 図書新聞にインタビュー記事が載りました
図書新聞3065号(2012年6月9日)の「ポートレート」という欄に「児童文学三部作が完結した 藤本英二氏」という記事が写真入りで掲載されました。新聞の四分の一ページほどで結構大きな扱いで、しかも隣のページは別役実さん(劇作家)の連載記事があり、びっくり。五月の連休明けに娘と娘の子どもを横浜まで送っていって、そのついでに東京でインタビューを受けました。一時間半くらいしゃべったかな。
その5 講義を三つしました。
①退職を祝う会(3月20日、川西高校宝塚良元校の同僚、元同僚に対して、約一時間)
②退職を祝う会(4月29日、県立伊丹高校37回生に対して、約一時間)
③京都「土曜日の会」5月例会で(5月12日、約4時間)
この三つの講義・報告をすることで、これまでの自分の仕事を振り返り、今何を大切に思っているかが、自分でもはっきりしました。今は「白く燃え尽きた」というところでしょうか。気力が戻れば、この内容を原稿に起こしたいと思いますが。ちょっと今は、ゆっくり、のんびりしたいなあ、と怠惰の海にひたっています。
その4 定年退職しました。37年間、兵庫県の高校で国語の教師として働いてきましたが、なんとか最後まで頑張れました。4月からは、完全にフリーの身です。
その3 3月24日(土)に絵本の勉強会をやります。15時からおさなご保育園で。報告者藤本。
その2 2月8日神戸新聞、9日朝日新聞(阪神版)で文学講座が紹介されました。
その1 学校で 「文学講座」をやります
☆文学講座最終回の写真です。
12月11日(日)
ZOOM練習会2日目を終えて、家で復習。バーチャル背景に昆陽池の写真を入れてみた。出来た、出来た。どこかで実際にやってみたいけれど、相手がいないなあ。国語サークルひらどの次の例会は来年1月末だし。
12月10日(土)
ZOOM練習会というのが、伊丹市の市民まちづくりプラザ(スワンホール)で開かれると市報で知って、申し込み、今日行ってきました。
どうやら、前にもやっていて、今回は「ホスト編」とか。ZOOMミーティングを主催したい人のためのものだが、とにかくZOOMが少しでもわかるようになれば、と参加。定員は9名で、無料だったが、スタッフも結構いて、気軽にわからないことが聞けたので、良かった。
明日もある。マスターしたら、ZOOMミーティングを主催しようかな。
12月5日(月)
『高校生と文学作品を読む』の新刊案内のチラシを作り、あちこちに配っている。
全教高教組19支部に送った所、富山県支部から返事があった。それで見本として『高校生と文学作品を読む』を送った。教文担当の黒田さんと、何度かメールのやりとりをしているうちに、すっかり知り合いのような気分になった。黒田さんは『藤本卓教育論集』まで、アマゾンで購入してくれたらしい。ありがたいことだ。僕の国語教育関係の旧著何冊かを寄贈した。
10年ぶりに本を出して、それまで全然知らなかった人と連絡をとるようになるとは、思ってもいなかった。千葉、長崎、富山、…。
ジュンク堂新潟店からも反応があった。
11月27日(日)
「国語サークルひらど」の例会に行ってきました。ZOOMで参加、最初はちゃんとつながっていたのに、途中からこちらからの声が届かなくなって、もっぱら聞くばかりになりました。報告は清岡卓行の「手の変幻」でした。今回は森さん以外は女性3人(もう一人いたかも)。久しぶりに、高校現場の先生の声が二時間聞けてよかったです。報告者は壱岐の島から。みんな離島にいるらしい。こんな時にはZOOMは便利。でも尼崎の産業郷土会館で兵庫文学教育の会をやっていた時は、報告以外、あれこれ無駄話や脱線話、井上先生がポットで持ってきたコーヒーをいただいたり、その他の交流が結構あったなあ、と昔を思い出しました。
11月26日(土)
宝塚市立図書館の「市民のための現代文学講座」最終回、「伊藤比呂美の世界」をやりました。2012年から始めたこの講座、全部で20数回になる。こんなに続くとは思わなかった。1年目のかいけつゾロリ、スポーツ児童文学、はちょっと別にすると、2年目からは現代文学作家を取り上げた。田辺聖子、丸谷才一/上橋菜穂子、水村美苗/川上弘美、村上春樹/森絵都、村田喜代子、津村記久子/谷崎潤一郎、開高健、梨木香歩/井上ひさし、中上健次、川上未映子/筒井康隆、金井美恵子、長嶋有/大江健三郎/堀江敏幸、絲山秋子、伊藤比呂美、で合計22人。
人に聞いてもらうために、再読し、考えをまとめる、という作業を繰り返してきました。毎年3カ月以上は、この講座のための準備に費やしていた。パワーポイントも使えるようになった。ユーチューブを録画して、映せるようにもなった。やっぱり、人に聞いてもらおうとすると、新しい事にもチャレンジできる。
今年は、司会の大畠さんにも途中で参加してもらい、会場からの発言も、交えて、少し立体的にやれたかと思う。
元気なうちにやめようと思っていたので、無事に最終回を迎えられて、良かった。
これからは、この講座を元にして、ブリコラージュ通信の「市民のための現代文学講座」を書いていく予定です。元々2年半で、10号分出すつもりが、10年たって7号分しか出せてない。あと3号はなんとしてでも出したいものだ。
ところで、館長さんたちと相談して、来年は、同じ時期に「ブック・トーク」の会を3カ月やろうか、という話も出ていて、その手伝いもすることになりそうです。
11月13日(日)
「国語サークルひらど」の例会を覗いてみませんか、と誘われたので、覗いてみることに決めたのだが、ZOOMは一度しか使ったことがないので、いささか心もとない。ちょっと練習しようと思って、アプリを開こうとしたら、二つアイコンがあった。あれ、こんなのあったっけ、と思いながら、それをクリックすると、ZOOMが消えてしまった。なんたることか、あれはアンインストールするものだったのか。
仕方がないので、一から始めることにした。ネットにはいろいろ初心者向けの情報があるので、それを見ながらZOOMをインストールし、アカウント登録もし、なんだかんだで、どうやらやれそうな感じにはなった。ZOOMミーティングのIDやパスワードも、教えてもらっているので、ちょっと実験。たぶん、これでできるはず。実際にはまだミーティングは行われてないから、画面は自分しかうつらないが。
まあ、それでも、こういうのは、実際の必要が生じないと、自分では手を出さないから、今回挑戦してみて、少しだけ賢くなった(はず)。
11月2日(水)
伊藤比呂美の詩集『河原荒草』(高見順賞受賞)を読んでみたいと思ったのだが、古本だと1万円近くする。図書館で横断検索をかけて、どこにあるか調べてみて、大阪市立図書館、神戸中央図書館、尼崎中央図書館などが候補に挙がった。今日は天気もいいし、久しぶりに神戸中央図書館に行くというのも、悪くはない。50年以上前、浪人中は予備校の帰りに、神戸駅で降り、楠神社の横の坂を上って、図書館へ行き、夕方まで受験勉強に励んだものだ。
と懐旧の情に浸っていては、いけない。往復2時間かけて行って、図書館で読み切らねばならない。借りたとしたら、返すのにまた往復2時間かかる。
ここはやはり、借りて帰って、返しに行くのが、一番楽な所を選ぶべき。そこで、尼崎中央図書館へ行くことにした。この図書館は、定時制の卓球大会などで城内高校に行くたびに前を通ったが、本を借りたことはなかった。武庫之荘の教員住宅に住んでいた30代の頃は、もっぱら近くの尼崎北図書館を利用していた。
尼崎中央図書館は阪神尼崎駅の東に尼崎城があり、その構内にあるのだ。行きました。すぐに書庫から『河原荒草』を出してもらい、利用カードを更新して、借り出した。往復1時間の遠足だった。
10月24日(月)
22日(土)に宝塚市立図書館で「市民のための現代文学講座」をやった。絲山秋子の「逃亡くそたわけ」と「まっとうな人生」を取り上げて、話したが、パワーポイントで九州、富山の観光地の紹介もやったので、ちょっと時間オーバーした。県立伊丹高校の時の同僚、河野さん、郡山さん、鈴木さんも来てくれて、一緒に写真を撮った。おさなご保育園の小西さん、市枝さんは、先月に引き続ききてくれて、終了後、喫茶店でおしゃべりした。おさなご保育園は、創立40周年になるそうで、いろいろ企画をしているとか、とても忙しそう。
10年続けたこの講座も来月で終了。「閉店セール」と同じで、最終回とうたうと、みんなが来てくれるようで、来月は定員50人に達したそうだ。
もうひとふんばり、今日も朝から、伊藤比呂美を読んでいる。
10月17日(月)
『高校生と文学作品を読む』をあちこちに寄贈しているのだが、長崎から返事が来た。全教のHPを見ていて、長崎支部の所に「国語サークルひらど」というのがあり、例会を行っていることを知った。それで長崎支部経由で送った所、代表の森文明さんから、手紙と著書『詩集 夜のカナリアたち』、「『坊つちやん』への旅」をいただいた。
森さんは1952年生まれ、1975年から公立高校に勤務し、最後は夜間定時制で15年間勤務、とまるで僕とそっくり。もう一人の自分が長崎にいたのかと思った。全教主催の全国教育研究会の共同研究者を25年勤めてこられたとか。京都でひらかれた第1回の研究会に、僕は兵庫県代表として参加・発表したので、ひょっとして会場で森さんとすれ違っていたかも。
10月8日(土)
『高校生と文学作品を読む』は、いくつか思いがけない反応を引き起こしている。千葉の和田さんからは本の感想の手紙と、和田敏男さんの著書『奔走子』及びいくつか資料をいただいた。これまで接点のなかった方だったので、ちょっとびっくりした。高生研国語の会の方のようで、いただいた本を、今読んでいる。
卒業生の三浦さんからは、著作一覧の中にある「書くことで自分探しを」という原稿を読みたいというリクエストが来た。これは月刊生徒指導の1999年7月号に掲載したもの。早速書庫を探したが、ない!裏の倉庫にしまったか、と雨の中探しに行ったが、ない!書斎も見まわしたが、ない!原稿掲載の雑誌はまとめて段ボール箱に詰めていたから、どこかにはあるはず。あちこち探して、ブリコラージュ通信2号に再録しておいたことを発見。それをPDFにして三浦さんに送り、一段落。
しかし、あの段ボール箱はどこに行ったのだろう。
10月6日(木)
息子の所に第二子が誕生したので、奥さんと二人で北九州市まで行ってきた。旅籠屋に二泊。ケイちゃんが、おばあちゃんとお風呂に入る、と言ってくれたので、奥さん大喜び。どうやらケイちゃんなりの「おもてなし」らしい。
お母さんと赤ちゃんが退院してくるのを待って、みんなでお昼ご飯を食べて、すぐに我々は帰った。奥さんはその後、特急ソニックに乗って別府へ。僕は新幹線さくらで大阪へ。
家に帰ると、郵便受けの蓋が開き、いまにも新聞、郵便物、回覧板が落ちそうになっていた。
9月6日(火)
『高校生と文学作品を読む』は結構、私的なことも書いてあるのだが、自分の子どもが小さかった頃のことも出てくる。それで、ペプシコーラを求めて車で自販機を探してまわった話の所(91頁)に付箋をつけて、二人にも送ったのだが、北九州からは、覚えてない、それは姉ちゃんだけを車に乗せて行ったのを、お父さんが勘違いしているのではないか、などというメール。この原稿は今書いたものではなく、1996年に書いたものだから、直近の出来事で、勘違いするわけがない、とメールする。まあ、小学校に入るか入らないかの頃だから、忘れててもしようがないか、と寛大な心でいると、横浜から、私も覚えてない、お父さんの勘違いではとメールが来る。「ブルータス、おまえもか」
9月4日(日)
先月の29日に、予定通り『高校生と文学作品を読む』が届いた。想像していたよりも、ずっしりとした重みで、254頁。これまで出した本の中では一番ページ数がある。
200部引き取ったのだが、あちこち寄贈していくと、半分以上なくなった。半年後に大学への寄贈を開始しようと思っていたけど、足りるかな。
8月23日(火)
カズキのクッキー作り、プリン作り、ケイタロウを連れての昆虫館、三田人と自然の博物館見学、とビデオ撮影の日々が続いた。去年の暮に買ったばかりのハンディカムは、さすがに画質がいい。
で、撮った動画をパソコンに取り込もうとしたが、うまくできない。年末・年始の動画はうまくとり込めたのに、どこか故障したか?
で、わからぬ時には、さっさと相談に行くことと思い、パソコン工房に持って行く。故障診断・相談料は500円とあった。パソコンの状態を全部調べても、問題なし。ビデオと接続しようとして、わかった!コードが違う、接続場所が違う。
テレビにつなぐためのコード(出力用)と、パソコンにつなぐためのコード(取り込み用)と二種類あったのだ(家に帰って探してみたら、カメラの箱の中に紛れ込んでいた)。
パソコン工房の人にお礼を言って、料金を払おうとしたら、何もしてないからタダです、と言われた。それはそれで、ちょっと恥ずかしい。あまりにも初歩的なミスに向こうも呆れたことだろう。うーん、ちゃんと「500円」払いたかったのに。
家に帰って、つないで、動画を取り込み、静止画も切り出し、DVDも作成。やっているうちに、思い出したり、あれこれ触っているうちにできたり、いやあ、よいオモチャです。やればできる。
8月14日(日)
8月に入って大忙しの毎日。
4日は立命館中学・高校で「世界をつなぐ国語科実践研究会」で講演。対面とオンラインの併用で、初めての体験。今度の本の内容もちょっと入れて話した。
6日は、映画研究部のプチ同窓会、行ってみると「古稀のお祝い」を兼ねていて、びっくり。この日、横浜から娘と孫二人が来る。カズキだけ連泊し、お菓子づくりとトンポーロー作りにチャレンジ。トンポーローの指導をする。
9日はカズキを横浜まで連れて行き、なっちゃんに渡して、そのまま池袋へ。10日は埼玉の東松山へ行き、卓さんのお墓参り。その夕方に伊丹に帰宅。
13日から、今度は北九州から、ケイちゃんとお父さんがやって来る。近々、三田の人と自然の博物館へ行く予定。
うーん、フル稼働。
7月18日(月)
15日には、舞子高校の剣道部の卒業生・筒井さんと面談。西宮北口で待ち合わせたが、お互いに、相手をさっとは見つけられなかった。マスクをしていることもあるが、まさか着物を着てくるとは思わなかったのだ。
22日(金)には、県伊丹で同僚だった池田さんと面談の予定、何年ぶりだろう。そして同じ日の夕方には、舞子の同僚だった藤原さんと会う予定。本の表紙について打ち合わせをする。
なんだか、今年の夏は、人と会うことが増えたような気がする。
7月11日(火)
鳥影社から再校ゲラが届く。今回はこれまでとは違い、ざっと前回チェックした所が直っているかを調べ、次に虚心で読み直し、さらにもう一度虚心で読み直し、と3回、眼を通すことにした。結果、見落としをいくつも発見。
7月7日(木)
立命館中学・高校へ出かけ、国語科の先生5人と話をする。8月4日に研究会があり、そこで講演をすることになっているので、その前段階としてどんな話をすればいいか、現場の若い人の声を聞きたかったのだ。
現場を離れて10年、教育の話をするのは久しぶりで、あれもこれも言いたいと思い喋っていると、あっという間に、2時間。でも、なんとなく、特に自分の話したいことが自分でもわかったので、帰ってから長いレジメを短く作り直した。
6月27日(月)
25日、急な連絡があり、急遽、明石まで自動車で行くことになった。午後5時半。阪神高速に乗るために西宮まで行くのだが、国道43号にたどり着くまで、渋滞、渋滞。いつものルートではない道を選び、やっと43号線、高速への誘導路があったので、そこへ。ふと見ると、名神高速?これでは京都へ行ってしまうではないか。あわてて、そこから43号へ下りる。あぶないところであった(by李徴)。とにかく阪神高速へ乗った。そこそこ混んでいるので、流れに乗らねば。でも制限60キロの道をみんな○○以上で走っている。それにあわせるのに、疲れた。普段は伊丹市内を50キロで走ってるんだぜ。〇〇キロなんて何年ぶりか。
帰りは、明石から2号線で、神戸のあたりまで地道を走り、柳原から阪神高速へ。家に帰りついたのは、午後9時。こんなに走ったのは久しぶり。
翌日、パンネルへパンを買いに、車を走らせると、気のせいか、いつもよりスピードが出ているような。
6月22日(水)
宝塚市立図書館での「市民のための現代文学講座」の日程が決定。
9月24日(土)堀江敏幸の世界─『雪沼とその周辺』と『なずな』、10月22日(土)絲山秋子の世界─コロナの中の『まっとうな人生』、11月26日(土)伊藤比呂美の世界─『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を中心に、とざっこんな風。先日、17日担当の大畠さんと打ち合わせ。会場でユーチューブを使えないか、相談。電波が弱くて無理のようだ。家に帰ってあれこれやっているうちに、自分のパソコンに保存する方法を見つけて、三日ほど試行錯誤の末、できました!また一つ賢くなった。伊藤比呂美の講演、堀江敏幸のインタビューの動画を保存。コツはあせらないこと、ちょっとずつ前に進むこと。(自分に言い聞かせている)
鳥影社の原稿第一校は校正して返送した。二校を待っている所。
6月12日(日)
『通信№12』は120部、予定より早く、3日(金)に届いた。早速発送。気がつくと、足りない!そこで30部追加発注。ちゃんと送り先をカウントしないから、こうなる。だいたい、はあかんな、と反省。
今回は切手を貼って出すことにする。奥さんが古い切手を大量に持っているので、それを買い取り、使っている。種類がいろいろあるので、人によって「源氏物語絵巻」が行ったり、「黒田清輝」が行ったり。
鳥影社から一校のゲラが9日(木)に届く。そこから校正スタート。連日、朝からやっているが、2時ごろには、スタミナがきれる。体力、気力の衰えを感じる今日この頃である。
それでも、昔の原稿を改めて読み直すと、なかなかいいではないか、と自画自賛。ひょっとすると、これはベストセラーになるのでは、そうしたら何をしようか、と夢想している、午後3時。
5月25日(水)
鳥影社へ契約書を送り、出版作業はスタート。5月末には一校が来るはず。『ブリコラージュ通信№12』の原稿も、京都の製本工房へ送り、6月7日に納品されるはず。それで今は時間ができたので、『通信№13』の原稿書きを始めた。〈川上弘美『センセイの鞄』を読む〉はできるだけ短く書くつもり。
5月22日(日)
夜、「鎌倉殿の13人」「マイ・ファミリー」とテレビドラマを見て、風呂に入る。湯に浸かりながら、ふう、昨日の工事はあれくらいですんでよかった、台所の床を全部剥がさなければならないかと心配したが、さすがプロ、あれくらい壁をこわしただけで、漏れている所を見つけ出すなんて、すごいなあ、…などと思っていたら、何やら水音が!気のせいか?いや確かにしている。ポタン、ポタンと、窓の外。気になりだすと、いやにくっきりと聞こえてくる。まるで、軒下の雨だれのように、はっきりと聞こえる。一箇所直すと、別の所も傷んでくるのです、と昨日小西さんも言っていた。
これは確かめねば、と急いで風呂から上がり、携帯ランタンを持ち出して、雨戸をあけて、一歩外に出たら、パタ、パタ、パタ、?雨が降ってるじゃないか。なあんだ、「雨だれのように」ではなく、「雨だれ」だったのか。
疑心暗鬼とはこのことか。奥さんに話すと、さっき雷もなり始めたやんか、気つかなかったん?と笑われた。
5月21日(土)
1週間前から、うちの奥さんが「水滴の音がする」と言い出して、最初は気のせいじゃないのか、と思っていた。ところが、毎日その気で耳をすましていると、ぼくの耳にも日に日に音がはっきり聞こえてきた。ポタン、ポタン……
「困った時の小西さん頼み」と連絡し、まず水道屋さんの山本さんに来てもらう。洗面所の床を切って、下をのぞくと、水がたまっていた!
小西さんも駆け付けて、一体どこが漏れているのか、台所の水道のあたりの壁を壊し、調べて、漏れを発見、そこを直しても、まだ水が漏れている。さらに壁を壊し、下の水道管を調べると、そこも漏れていた。
朝の9時から夜の7時すぎまで、大がかりな修復工事になった。
20年もたつと水道管も劣化します、地震で揺れると水道管のつなぎ目の部分が捻れたりしてそこがやられます、……
いやあ、一時はどうなることかと心配したが、早く発見、修理できて良かった。人間の身体が経年劣化することは最近実感していたが、家も劣化していくのだと思い知った。
4月14日(木)
『高校生と文学作品を読む』は鳥影社から出版することにした。教科書会社など、国語関係の出版社に打診したけれど、どうも埒があかないので、自費出版で出すことにした。12日には、原稿のプリントアウトしたものとデータの入ったUSBを送った。
これからの日程の予想のために、『藤本卓教育論集』の日程を調べて見た。最初にデータを送ってから、ゲラが届くまで19日、そこから三校を送り返すまで58日。普通なら、これで印刷にかかるのだが、六校までやったから、さらに30日。本が出来て届くまで20日。データを送ってから本になるまで127日だった。
今回は三校で終わるはずだから、こんなにはかかるまい。なにしろ、註なし、ドイツ語・ギリシア語・フランス語・ロシア語なし、数種類のカッコの使い分けなし、なんだから。僕の予想では97日くらいかな。7月末にはできるかな。
1月5日(木)
今年は手持ちのデータをコピーして、保存しようと思い、まずカセットテープに着手。
最初に、猪野健二先生の最終講義(1975年2月5日・水)に取り組む。90分の講義、先生は若干風邪気味だが、国木田独歩について語られていた。USBに移し、パソコンに取り込む。まあ、音質は悪いが、47年前だから仕方なかろう。
続けて、島田勇雄先生の最終講義(1975年2月8日・土)に取り組む。120分のテープの、前60分、後30分は猪野先生、そのあとに島田先生のを入れてある。まず30分、完了。そして120分テープはもう1本あり、その前面に島田先生➁が入っており、後面に島田先生③が入っている。一体何分の講義だったのかな、と思いながら、前面60分をコピー、これで合計90分。よし、裏返し、何分くらい入っているのか確かめようと、早送りして、聞くというのを何度か繰り返していて、急に声が変になった。あわてて止めたが、今度はカセットレコーダーのふたが開かなくなった!! ピンチ。
11月25日(土)
西宮神社で古本市があるという新聞記事を読んで、23日(木)の昼過ぎに行ってきた。家から車で塚口まで、そこから阪急西宮北口まで二駅乗って、今津線に乗り換え、二駅乗って、そこで阪神今津駅に乗り換え一駅乗って阪神西宮駅へ。短い区間の乗り換え、乗り換え。阪神今津駅で、電車を待っていると、何故かホームの端に人だかり。見れば三脚を立てている人もいる。手に手にカメラ、これはいわゆる「撮り鉄」か?気づくと、向いのホームでもスマホを構えている人が、??すると神戸方面から、特急列車が何故かスピードを落としてゆっくりと近づいてきた。???車体が見えると、何人もの野球選手の全身写真が描かれている。ああ、阪神の優勝記念の電車か。駅近くでゆっくりと走っているのは、お客さんへのサービスだね。
西宮神社では、20店ほどの古本屋さんが、テントを張って、商売中。お客さんも結構出て、賑わっていた。ただ、一店舗の出品している本の数が少ないので、自分の欲しい純文学関係の研究書なんかはあまりなかった。地方史とか、戦記とか、古い映画雑誌とか、マンガ、DVD、レコード、CD、……、文庫本は、背表紙の文字をたどるのが辛いし。それにしても、岡山や兵庫県の北から来ている店もあり、変色した古い箱入りの本を眺めていると、こんな専門的な古本は、お店に持って帰っても、買うようなお客さんは、過疎の地元にはいないんじゃないかな、と思った。世の中には、本当にいろんな本が出版されているけど、結局売れる本、読み継がれていく本は一握りで、多くは売れ残り、やがて消えていくんだなと、他人事とは思えず、本の運命に思いをはせた。
七五三のお参りに来ている家族連れも結構多かった。晴天で暖かくてよかったのだけど、そのうち暑くなってきて、毛糸の帽子やダウンベストは脱いで、それでも暑いので、手袋、ウインドブレーカーも脱いで、リュックに入れたら、何が入ってるのというくらい膨らんだ。これだけ脱いでも、ユニクロのヒートテックの威力か、それとも二日前に買ったワークマンの防寒ズボン(雪山でも歩けるらしい)の威力か、暑くて暑くて、阪神西宮駅のホームの自販機で抹茶味のグリコのアイスクリームを買って食べたほどだった。
11月21日(火)
昨日は一日、検査。前立腺癌の疑いがあるので、生検をしてはどうかと勧められて、そろそろやるかと考えて、いいですよ、と返事したら、生検の前にいろんな検査が必要になった。血液、レントゲン、腰部レントゲン、口腔内検査、それでマウスピースの型どり、心電図、肺活量の検査、心エコー、MRI、朝の10時半から、途中休憩で家で昼ご飯食べて、再出動で、午後の検査、全部終わったのは16時すぎ。疲れはしなかったと思っているけど、やっぱり疲れたのかも。暗い部屋での心エコー検査のあと、血圧はかったら170。普段は130台から140台なのに。やっぱり緊張したのか。その前にやった肺活量の検査が結構きつかったからか。最後のMRI、ベッドも振動していた。年代物やと思う。
検査結果次第だが、予定では来年1月10日入院。生検の結果次第で、癌治療が必要かも。まあ、こっちは、心筋梗塞で緊急手術した経験もあるから、そんなにあわてることはない。選択肢は3つあるけど、担当の先生は手術を推してたなあ。来年の春は活動制限ありかも。宝塚の読書会も終わったので、来年はのんびりできるはずだし。
11月20日(月)
うちの奥さんはステンドグラスを習いに週一度、三田まで通っている。昨日の朝、突然、作品展で入賞したので、連れて行って、と頼まれた。元々、この日ガラス工芸館の催しがあって、作品展もやるとは聞いていて、一度行ってみてもいいかな、と話していたのだが、「別にいいわ」と言っていた。ところが朝、入賞の知らせがメールで届いたらしい。表彰式は午後一時から。そこで二人で中国縦貫道を西北へ走り、神戸三田ICで下りて、一般道をたどり、50分ほどで現地到着。本当に田舎の山の中だ。クリーンセンターの駐車場が工芸館臨時駐車場になっていた。車がびっしり。街中からここまで車がなければたどり着けない。奥さんはいつも三田駅から送迎車で送り迎えしてもらっているらしい。
会場の中庭にはキッチンカーがいくつか並び、なかなかの賑わい。工芸館の一階は、ガラス細工を始め、おしゃれなアクセサリーや小物のお店があり、なかでも一番の人気は「飴細工」。見てみるとこれは芸術品と言える、凝った意匠の細工(長い尾の鳥とか)が目の前で作られて行く。親子連れが並んでいる。「10人待ちなら2時間ほどかかります」の貼り紙があった。
作品展会場は二階にあった。工芸館の生徒さんたちの作品がずらりと並べられている。うちの奥さんの作品(メキシコで買ったガラス細工を元にして三角柱のフロアランプにしたもの、毎晩僕が点灯している、館長さんにあれやこれや手伝ってもらってやっと完成した)もあった。作品展賞という札があった。館長賞、三田市ガラス工芸館賞、神戸新聞社賞など10ほどの賞があるらしい。奥さんがそっと近づいて来て、「ごめん、表彰式は来週の日曜日らしい」。メールをあわてて読み、日にちを勘違いしたようだ。中庭でたこ焼きとピザを食べて、171号線で伊丹に帰った。天気もよくて、久しぶりの遠足だった。
11月17日(金)
宝塚市立中央図書館の読書会が14日(火)にあった。課題本は森絵都の『みかづき』。参加者は全部で11名、読書会にはちょうどいいくらいの人数だった。僕はファシリティターということで、司会をやったが、できるだけ自分は喋らないように「努力」した。でもやや否定的な意見が続いたので、少しだけは、ここが良かった、このセリフに胸が…熱くなって…などと話した。時間的にどうするか、気にしながら運営。最後に参加者の感想を聞くと、みんな好意的、積極的で、来年も続けてほしいという声が多く、僕としては、講演会から読書会への橋渡しができたので、良かった。県立伊丹の元同僚の郡山先生からは「藤本先生は淀川長治さんみたい」と「お誉めのことば(たぶん)」を貰った。最後に「またお会いしましょう、さよなら、さよなら」と挨拶すれば良かった、と後で思った。
11月13日(月)
去年からZOOMミーティングをやり出し、長崎の平戸や富山へ出かけて一年近くになる。長崎の場合は、有料(主催者)のを使わせてもらっているので、時間制限なし。富山の場合は、無料で40分という時間制限があった。やはり40分は短いので、何か手はないかなと考えて、思いついた。僕はいつも招待されて参加するだけ。ここは一つ、自分が会議を主催して、相手を招待できるようになればいい。テキストで調べて、「①ミーティングを予約し、➁招待状を出し、③会議を開始」というのを富山の黒田くんに練習台になってもらって、やってみた。できた。1時間目は黒田くんの招待で僕が富山に行き、次いで2時間目は僕の招待で黒田くんが兵庫に来るというふうに、計80分ミーティングできることになった。
これからは、自分でZOOMミーティングを開ける。どこの人とも会議ができるぞ。
11月1日(水)
この2週間ほどは毎日、同窓会のビデオ編集をしていた。ここはちょっと長いからカットしようとか、撮影していた自分が写ってないから、家でパソコンで編集している所を撮影して、最後に入れようとしたり、とにかく何バージョンも作った。こういう作業は楽しいので、熱中してしまい、切りがない。一種の中毒状態で、もうちょっと、もうちょっと、と手直しを繰り返してしまうのだ。
昨日は、卒業生の新田夫妻に来てもらい、試しに作っておいた29分版ビデオ(自分の登場なし)を見てもらった。ああ、これ誰やったかな、とか、この人と私ずっと喋ってたんやけど名前が出てけえへん、とか、しばしば画面を止めて、この人物は誰かを、卒業アルバムも見比べながら、三人でわいわい確かめながら見た。
当初、DVDを90枚ほど作り、卒業生に送るつもりでいたが、いろいろ二人から意見を聞いて、クラウドにアップして見てもらうのがいいのではないか、という線に落ち着いた。具体的な作業は幹事会で担当者を決めてもらうことにし、新田夫妻にDVDを託し、一段落。なんだか、ビデオ編集の憑き物が落ちたようだ。
広島教販からの「論理国語」13冊が揃い、東京書籍から読み始めている。全部読み切った「文学国語」については、資料を作り、冊子にするための原稿を書いている。水村美苗『本格小説』を読む〉の原稿の仕上げもしなければならず、11月は結構忙しくなりそうだ。
10月29日(日)
「文学国語」11冊を全部読了。(山月記、こころ、舞姫は改めて再読しなかったが、それ以外は既に読んでいたものもすべて読み返した)。それで、次に何を購入するか、ちょっと迷ったが、「文学国語」の対になっている「論理国語」に決めて、広島教販に「論理国語」全13冊を注文した所だ。
届くまで、読むべき教科書が家にないので、24日(火)久しぶりにセンターに出かけた。
国語表現、古典探究をざっと眺めようと考えたのだ。
ちょっと見るだけのつもりで、東京書籍・国表702を開いてみると、「6 話し合う力をつけよう ファシリテーション」という章があった。実は宝塚図書館主催で9、10、11月に「語る!現代文学部」というブックトークと読書会の行事をやっていて、僕はファシリテーター(初めて聞いた言葉だ)ということになっている。
それで東京書籍・国表702の6章を熟読。ファシリテーションのポイントは「参加者一人一人から丁寧に、公平に、意見・考えを引き出し、考えや立場の違いや対立があっても、互いの理解と内容を深めながら、話し合いを円滑に進める働きや技法。」らしい。
その説明の下に小さな文字で「Facilitate(ファシリテート)には、仕事や物事を、楽に進める、容易にする、促進する、円滑に進めるという意味がある。」と書いてあった。なるほど、こういうことか。
そのあと「共有、拡散、収束・合意形成・確認」など話し合いの基本原則や、「ファシリテーターの心得」などが述べられ、実践例として豪雨による避難指示が発令され。地域の高齢者が避難所に大きな犬を連れて避難してきた、避難住民の中には犬嫌い、犬好きの人もいるという設定で、避難所運営スタッフも含めて6人の話し合いのシナリオが載っている。これを読んで、「ファシリテーションが機能した話し合いになるように展開を書き換えてみよう。」という課題が出されている。ううん、シナリオの書き換えか。
「古典探究」はそんなに変わった所はないだろうと軽く考えていたのだが、文英堂の古探712を開いてみて、これは買う必要あるかも、と思った。
まず何より驚いたのは、漢文編第二部の「6 未来を思いえがく 伝記小説─二人の李徴」。この章は李景亮の「人虎伝」が送り仮名・返り点付きの漢文で14頁にわたり載っていて。その後ろに参考として中島敦「山月記」(13頁)、加藤徹「人が虎になる時」(3頁)が続いているのだ。
今回の指導要領の改定、「現代文」が「文学国語」「論理国語」に分けられるのが、大きな話題となった。受験校では「論理国語」を選択するだろうと予想され、そうすると中島敦「山月記」や夏目漱石「こころ」を授業できない、と現場の先生は案じていた。この文英堂・古探712は、いわば逆発想で漢文の参考教材として「山月記」を収録。(多くの受験校で古典探究はとるはずだから)実は、文英堂は、文学国語の教科書は出していない。
そのつもりで見ると、文英堂は参考の形でいろいろ文学教材を入れている。芥川龍之介「竜」、田辺聖子「少女と物語」(『文車日記』)、蜂飼耳「移動の可能性と鴨長明」(『方丈記』の解説)、渋沢栄一「論語と算盤」、土井晩翠「星落秋風五丈原」(詩)、湯川秀樹「科学者のこころ」、ほかにも「古事記 須佐之男命の大蛇退治」の読み比べとして、アポロドーロス/高津春繁訳「ギリシア神話 ヘラクレスのヒュドラ―退治」、漢文「畏饅頭」(『笑府』)との比較として落語「饅頭こわい」(『古典落語体系第二巻』)、などバラエティに富んだ教材が入っている。これは「文学国語」と「古典探究」の融合か?新しい試みだと思う。
10月27日(金)
同窓会のビデオ編集完了。15分程度にと思っていたが、何のことはない、倍の30分になってしまった。
90人ほどの出席者を、できるだけ全員映っているように、と考えると、ついついこのシーンも、このシーンももったいなくてカットできなくなる。75カットをもとに、切ったり繋いだり、何度も繰り返したので、SONYの編集用アプリの使い方にもかなり習熟した。やはり多人数、長時間の宴の撮影は、みんなの表情も豊かで、撮ってても、編集してても、楽しい。
22日(日)には県立伊丹高校へ行き、校門、築山、中庭などを撮影。ファーストシーン、ラストシーン、区切りのシーンなどに使う。
10月18日(水)
14日(土)に県立伊丹高校34回生の同窓会があった。ファイナル同窓会だというので、出かけて行った。みんな還暦を迎えるとか。時の流れは早い。もうこんな機会はなかろうと思って、ビデオを持って行き、せっせと撮った。参加卒業生88名、元教師4名、3時間超の会だったが、クイズあり、有志のダンス(ピンクレディのUFO)あり、60歳のバースディケーキカットあり、校歌、応援歌の合唱あり、という盛沢山の会だった。卒業以来、42年ぶりに会って、ゆっくり話をした卒業生も多かった。
家に帰ってビデオを見直すと、75カット、撮影時間48分。会場に来ていた卒業生の顔・姿は、全員とらえられたはず。これを15分程度に編集しようと、作業を始めた所。出来上がったら、幹事さんに渡すつもりです。貴重な映像になると思う。
10月11日(水)
昨日は宝塚図書館の「語る!現代文学部」の第二回目、7人の参加者+スタッフ4人。参加者の方が、結構喋って下さって、いい雰囲気。僕は「事件と文学」というテーマで30分。事前に長い間出版されなかった「セブンティーン第二部・政治少年死す」を、『全小説』で再読して臨んだのだが、その内容を喋る時間は、やっぱりなかった。
で、今日は、『怪物』を観に、宝塚シネ・ピピアへ出かけた。映画館へ行くのは、2021年11月以来だから、ほぼ2年ぶり。俳優は、安藤さくらも、田中裕子も、なかなか良かったけど、脚本の作為性が中途半端で、乗れなかった。神戸とも長崎とも違う、湖(諏訪湖かな)の夜景(黒い円を縁取るような街の明かり)はとても印象的だった。
口直しに、TVerで『何曜日に生まれたの』を、もう一回観た。このドラマ、放送している時に観て、数日後にはTVerで観て、全話二度ずつ観たことになる。野島伸司の脚本も随分トリッキーで作為性が強いが、軽さがあって素直にそれを楽しめたし、何より飯豊まりえの表情が繊細で素晴らしかった。
10月5日(木)
この間までは、結構テレビドラマを見ていたのだが、ほとんどが終了。次の番組は、予告を見ても、もうひとつ惹かれないし、ちょうど今はいろいろスポーツ中継が重なっているし、……。そこで久しぶりにレンタルビデオ屋に出かけ、邦画を五本借りて来た。一週間で五本はなかなかきついけど、頑張りました。選んだ作品(理由)は、『沈黙のパレード』(ガリレオシリーズ、娯楽性)、『冬薔薇』(阪本順治監督)、『友罪』(少年A事件との関係)、『流浪の月』(松阪桃李、広瀬すず主演、李相日監督)、『スパイの妻』(黒沢清監督、神戸ロケ)。で、一番感心し、堪能したのは『冬薔薇』だった。
今、現役の監督で一番好きなのは、やっぱり阪本順治だ。『どついたるねん』『王手』『大鹿村騒動記』『半世界』『一度も撃ってません』どれも傑作。
9月24日(日)
先日「在りし日の映画館を探して」というイベントに参加した時、昔、柳原の金毘羅神社が映画のロケに使われたと案内された。赤木圭一郎主演の『紅の拳銃』。そこで映画配信サービスで探して見てみた。1961年制作。見ていると、三宮駅や諏訪山公園、生田警察署などは確認できたが、柳原の金毘羅神社は出てこなかった。案内人の勘違いか。
それでインターネットで「神戸ロケ地めぐり」で検索すると、神戸で撮影された映画が一杯出て来た。こんなに映画のロケに使われていたのか、とびっくり。但し、昔の分は、情報が少ない。その中で吉永小百合主演の『青春の嵐』では神戸外大が出てくるというので、同じ映画配信サービスで見ようとしたが、どうしても行きあたらない。あれこれ手を尽くしているうちに『青春の風』という作品があることに気づき、念のためにざっと見てみた。これだった。ネットの情報は便利だけど、人間がやっていることなので、ちょっとした間違いはあるものだ。嵐と風、まあ似てるけどね。で、奥さんを呼んで一緒にラスト(神戸外大らしき建物が映っている)を見た。全但バスの停留所「上山手」というのもあった。1968年頃の風景だ。
というわけで、思いがけず、古い日活映画を二本続けて見てしまった。
9月14日(木)
新開地アートひろば主催の「在りし日の映画館を探して」というイベントに出かけて行った。10時から17時、前半は講義、後半は街歩きというスケジュール。定員は20名だが、スタッフも入れると25名以上だった。戦前新開地は神戸の繁華街の中心で、映画館や劇場が多くあったことは知識としては知っていた。また父が新開地で氷・薪炭の小売業を営んでいたので、小学校の3年~6年の頃(1960年代の前半)、新開地は馴染みの町だった。その頃、憶えているだけでも、20近い映画館があった。
懐かしさもあり、このイベントに参加した。
前半は神戸映画資料館の田中晋平さんが、古い写真や実際の映像を紹介しながら、新開地や映画館の歴史の話をしてくれた。午後からは森本アリさん、安田謙一さんの案内で、新開地の街歩き。新開地アートひろばのすぐ近くの古い細い路地を歩いたが、そこは小学生の僕がいつも通っていた道だ。父のやっていた店は、とっくの昔になくなっていたはずで、今はマンションになっていた。現在、新開地にはシネマ1・2(昔の新劇)、パルシネマ(湊川公園の地下)、福原国際東映(子どもの頃毎週土曜日、親子で出かけた三番館。ある時期の東映時代劇はほとんど見た。今は建物も変わり、ポルノ上映館になっている。)の三館だけだった。街歩きは、ふるい地図を手に、昔映画館のあった場所をめぐるもので、案内者が実際の映画館を知らない場合が多いので、昔実際に見た者(70過ぎの古老)にとっては、ちょっと物足りなかった。参加者は男女半々、意外と若い人も多かった。半日歩いて、汗びっしょり。帰って万歩計をみると、9700歩。昆陽池一周の約3倍あった。
9月11日(月)
明日は宝塚市立中央図書館で「語る!現代文学部」という行事が始まる。ブックトークと読書会。9、10、11月の第二火曜。僕は明日は30分、「夢と文学」というテーマで話す予定。
で、必要な本が書庫にあるはずだけれど、表から見ただけではみつからない。どうしょうかと思いながら、今日になってしまい、「よし!」と決心して、書庫の中の片付けをした。
午前中一時間余り、ごそごそとラックを動かし、全集などを詰めた箱を移動し、本棚の隙間に本を積み上げ、空の段ボール箱を本棚の上に放り上げ、あれこれ整理していたら、汗がじっとり。見つかりました。鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』と、埴谷雄高編『夢』。いやあ、絶対あると思ってたんや。良かった、良かった。
9月6日(水)
教科書を買って良かったことの一つは、デジタルコンテンツを確認できることだ。
昔は考えられなかったが、今回の新課程から、教科書会社はデジタルコンテンツを用意するようになった。目次の辺りにQRコードがあり、そこからデジタルコンテンツ一覧ページへ行くことができる。
僕はスマホを持ってない。それでパソコンにQRコードリーダーをダウンロードして使っている。教科書センターでは、パソコンがWifiに接続できないから、これは使えない。コピーをとれないから、QRコードだけを持ち帰ることもできない。
土曜日に、残りの分も届いたので、「文学国語」の教科書11点が全部手元にある。なにか無敵の感じだ。何でも調べるぞ、何でも比較するぞ、という気になる。
で、昨日から、せっせと各教科書会社のデジタルコンテンツの内容を見て回っている。わかったことの一覧は改めてまとめるとして、全体の印象を簡単に言うとこうだ。
各社の力の入れ方に大きな差がある。明治書院はデジタルコンテンツに見向きもしない。これも一つの在り方か。朗読音声、作者へのインタビューなど、独自に制作したものもあるが、NHKの高校講座にリンクを張ったり、いろいろ工夫しているが、まだまだ手探りの感がある。
最も充実しているのは筑摩書房だった。ざっと紹介すると
独自ファイル:人虎伝(書き下し文)テキスト、変身物語の名作(本の紹介)
青空文庫(全文)へのリンク;こころ、私の個人主義、夏の花、李陵、弟子、遠野物語、陰翳礼賛、たけくらべ、忠直卿行状記、惜別、
リンク先:日本近代文学館、齋藤陽道HP、青空文庫、文科省、NHK100分で名著、公益社団法人能楽協会、室生犀星記念館、中原中也記念館、花巻市、斎藤茂吉記念館、高知県立文学館(寺田寅彦記念室あり)、沖縄市(沖縄市民平和の日より)、文京区立森鷗外記念館、メキシコ国立美術館、舞鶴引揚記念館(シベリア抑留)、日本俳句研究会、東北大学史料館(魯迅と東北大学)
書籍紹介のリンク先(出版社):朝日新聞出版、講談社、新潮社、岩波書店、白水社、講談社、筑摩書房。中央公論新社、幻冬舎、河出書房新社、CHEKCCORI BOOK HOUSE、早川書房、リトルモア、東京大学)
これを見て回ると面白い。ただ、これでわかるのは、独自のコンテンツは少なく、リンクを張っているものがほとんどで、他社がこれを真似るのは容易く、時間とともに差がなくなるだろう。
高校の現場では、こうしたデジタルコンテンツをどう使うのだろうか。各先生はどんな風に自分なりのデジタルコンテンツを用意するのだろうか。
定時制勤務の頃は、いろいろビデオ教材を探したが、あれは探している時が楽しいんだよね。沢木耕太郎「鉄塔を登る男」をやる時は、大阪府立図書館まで、「プロジェクトX 恋人たちの東京タワー」のビデオを借りに行った。家でビデオを見直して、この場面!使える!と嬉しくなったのを、昨日のことのように覚えている。
9月2日(土)
「文学国語」を10冊注文したら、在庫のないものがあり、取り寄せるので1~2週間待ってください、という返事。とりあえず在庫のあるものを第一便で送ってもらう。東京書籍701、大修館705、第一学習社710、桐原書店711の4冊が届き、この一週間で701、705を読了。今710を読んでいる。二週間あれば四冊読める。とりあえず送ってもらったのが、大正解。
やはり、買って手元においておくと何かと便利。701には、井上ひさし「父と暮らせば」が載っていて、改めて読んで感動したが、でも何かひっかかる。そこで、書庫から『父と暮らせば』を引っ張り出し、教科書と並べて比較。かなりの箇所、省略や改編を発見。広島女専の昔話研究会や、父のラブレター、エプロン劇場、木下青年からの岩手の実家への同行の誘い(求婚)、宮沢賢治、などが消えていて、立体感が損なわれていた。やはり、原作にあたることは必要だなあ、と再認識。
こんな比較は、家だからできた。教科書に直接、ここ省略あり、と書き込めるのも、自分のものだから。教科書センターではコピーもできないからなあ。
8月24日(木)
連日の猛暑に、自衛のため、教科書センター通いを休んでいるが、このままではいつ再開できるかわからない。そこで、広島教販から教科書をいくらか取り寄せることにした。どれをどのくらいと、いろいろ考えて、アンソロジーとしても読めて面白いものを、と「文学国語」をまとめて10冊注文。
昼からは西宮のジュンク堂へ。井上ひさしの『芝居の面白さ、教えます 日本編』、金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』、『教師の仕事がブラック化する本当の理由』の3冊を購入。
8月15日(火)
台風が近畿を直撃しそうだという予報なので、昨日は午前中に二日分の食料買い出しに出かけた。関西スーパーに行って、びっくり、人、人、人。大晦日以上の混雑で、レジの列が、見たこともないほどの長さだった。
10日(木)から、ゆうすけ一家が帰省しているので、食料も前持って買い込んでいたのだが。
今日は一日、おこもりの日だった。けいちゃんとゆうすけと三人でオセロをやった。けいちゃんが優勝。けいちゃんは夏休みの宿題を持って来ていて、それをやっていたが、なんと「あいうえお」をタブレット(学校からの貸与)で練習していた。
8月10日(木)
昨日から、『高校生と文学作品を読む』の大学への寄贈を始めた。二年前に『藤本卓教育論集』を寄贈した時の資料をもとにして、コツコツ一校ずつ寄贈の問い合わせメールを送っている。メールを送って、30分もしないうちに、受け入れます、と返事をくれる所もあり、昨日四校、今日四校に郵送した。
二年前の対応も見て、問い合わせ先を絞っているし、このペースなら、8月中に予定の範囲をカバーできそうだ。
毎日、天気予報で35℃以上が続くので、8月中は教科書センター通いは中断することにし、目次をもとにして、作家作品別一覧を仕上げつつある。もうすぐ、詩人が完了する。結構地味な作業なんだよね。
8月6日(日)
藤原洋次郎さんから招待状を貰ったので、「藤原さん家展覧会10回記念 ザ・ゲスト 招待作家展」を見に、兵庫県立美術館原田の森ギャラリーまで行ってきた。塚口、9時30分で既に34℃。阪急王子公園駅から美術館までの7、8分がつらい、暑い。日ざしを避けて、傘もさして、会場まで歩く。
藤原さんの画風はまた変わっていて、なかなか良かった。二階で県展をやっていたので、それも見て回ったが、絵はもう一つ、写真におもしろいものがあった。
せっかくだから、三宮まで足を伸ばして、ジュンク堂へでも行こうかと思っていたが、危険な暑さなので、王子公園駅構内の自販機でアイスクリームを買い、ホームで食べて、一服。さっさと帰ることにした。
7月31日(月)
29日(土)に武庫川女子大に行ってきた。「論究の会」というグループに招かれて、『高校生と文学作品を読む』に対する質問に答えるためだ。まあ、質問の中心は「ブリコラージュ」という概念についてだろうと思うので、自分でも少し真面目に考えることにした。レヴィ=ストロースの『野生の思考』を引っ張り出してきて、資料作りをした。いい機会だから、ついでにこれまで単行本に収録していなかった原稿を集めて『授業のアルバム─高校国語教育実践アラカルト─』という冊子も作ることにした。ブリコラージュ通信№13もお土産用に持って行った。
行く前から心配していたが、外は34、35℃の猛暑、部屋はエアコンがきいていて、若い頃なら、「ああ涼しい」ですむのだが、もうこの年ではヒート・ショックが心配。デジタル温度計(無印良品で購入)を持参したが、どんどん室温が下がっていく。ついに22℃、もう危険領域だ。
午後1時から5時まで、4時間、そのあと懇親会という日程、大丈夫かと心配していたが、大丈夫ではなかった。
メンバー8名は全員、元高校教師で、兵教大の院出身者。年齢は僕とどっこいどっこいだから、ざっと平均70歳か。でもみんな元気だった。へたっているのは僕だけか。
2時間半ほど、冷やされて、(途中エアコン温度を上げていたが)、話し始めはエンジンがぬくもるのに時間がかかった。でも喋っているうちに体温上昇、気分高揚、あれこれしっかり喋った(と思う)。
懇親会はちょっと失礼して、先に帰らせてもらった。一時はどうなることかと思ったが、なんとか無事に帰り着き、体調も戻った、気分は家康伊賀越えか。僕の身代わりに旅行用の簡易スーツケース(布製・父親の唯一の遺品)が、討ち死に。もう20年ほど使っていて、何かの会合があるたびに、資料や本をいっぱい入れて、あちこち引きずり回したからなあ。
7月21日(金)
暑い日が続くので、温度差に気を付けている。急激な温度差、例えば7度の温度差に対して交感神経が過剰反応を示して、血圧が乱れるようだ。確かに、心当たりがある。これから1週間は34、35℃が続くので、エアコンはあまり冷えすぎないように気を付けたい。これまで25℃なんて設定にしていたけど、27℃か28℃にしようと思っている。
その27℃~28℃の部屋でコツコツ作業をし、ついに今日「現代の国語」の作家別教材一覧が完成。17冊の「現代の国語」の目次を整理し、それを使って集計した。これをもう少し整えれば、現場の先生の参考になるかな。
わかったことは、改めて書くが、一番の人気作は、山崎正和「水の東西」で、なんと12点。これは僕が高校生の時にも習ったように思うので、半世紀以上、教材として読まれ続けている。で、一社だけ「水の東西」ではない教材を載せている所がある。桐原書店は、「サイボーグとクローン人間 」を採っている。合計13点、山崎正和。
載せていない4点は、現国702(東京書籍・精選現代の国語) 、現国711(明治書院・精選現代の国語) 、現国712(筑摩書房・現代の国語) 、現国716(第一学習社・高等学校新編現代の国語 )。但し、三種類出している東京書籍は701、703には入れている。また四種類出している第一学習社は713、714、715には入れている。つまり、山崎正和を入れてないのは、明治書院、筑摩書房だけ。桐原は「水の東西」以外を入れた。
こんなことも一覧表にしてわかった。だから、どうだと言われると、困るけど。このことは改めて論じることにする。
7月19日(水)
三連休に、なっちゃん、かずき、げんきが帰省してきた。げんちゃんは教科書の「おむすびころりん」が上手に音読できた。かずきは68×35の計算ができた。暑い日が続くので、晩御飯を食べてから、三人で近所を散歩に出かけた。クジラ公園で、げんちゃんはセミの抜け穴やキノコを発見、かずきは拾ったスコップで砂場を掘っていた。
なっちゃんは職場の仲間と休み時間に縄跳びをしているらしい。
7月11日(火)
昨日は富山の黒田さんと二度目のZOOMミーティング。授業における「あど(あいづち)」のことを話したりした。読みきかせのことも少し話したので、そのあと久しぶりに高山先生のDVDを見直してみた。
大学生に公開授業する日、「わたしのワンピース」を読みきかせしながら、うさぎさんになったつもりで「わたしに似合うかしら」と読むと、前に坐ってた一人が「似合わへん」といったものだから、そのあと「似合うかしら」の度に「似合わへん」の子供の声が増え、最後は合唱のようになったという、何度も聞いた話。高山先生のあわてぶりが想像できて、やはり面白かった。
7月7日(金)
いつものように昆陽池散歩に出かけたら、天神川でヌートリア発見。大きなねずみかと思ったが、しっぽがまっすぐ一直線でとがって見えた。携帯で写真を撮ったけど、小さくて全然わからない。ガラケーの限界を感じた。
家の近くの「赤い中華」の解体工事が何日も続いている。松ヶ丘に引っ越して以来、ずっと前を通っていた店で、タクシーでも、言えばすぐにわかる建物だったのに、寂しい限りだ。
7月5日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行く。教科書の展示会は月曜日までだったようだ。係の松浦さんに聞くと、高校の先生は一人も来なかったとか。まあ、そうだろうなあ。だから、この資料室の新しい高校国語教科書を読んでいるのは僕だけということになる。考えようでは、ここは僕の第二の書斎みたいで、贅沢、贅沢。
夜20時から、富山の黒田圭さんとZOOMをやる。『高校生と文学作品を読む』の最初の「あどがたりとブリコラージュ」の感想や質問から、話はどんどん転がって、大江健三郎の「セブンティーン」真木悠介の話にもなった。真面目な話をこんなにしたのは、久しぶりだ。黒田さんの希望で、これから『高校生と文学作品を読む』を前から順に一つずつ、話し合おうということになった。
6月27日(火)
今日はあらかじめ2つ課題を設定して、尼崎市立教育総合センターへ行った。一つは数研出版の3種類の「現代の国語」のグラフ、図表の比較。もう一つは「論理国語」に載っている本居宣長、福沢諭吉、中江兆民の文章を読んでみること。そのほか、気になる教材を読んでメモをとっていると、あっという間に、3時間半過ぎた。
夕方、何か体調がおかしいので、血圧を測ってみると190あった!やはりクーラーのあたりすぎか。資料室はよく冷えていたからなあ。これも一種のヒートショック(夏バージョン)らしい。でも、布団をかぶって静かに寝ていると、6時ごろには130台に下がって、夕食も食べられた。これから暑くなるので、くれぐれも冷房に注意。寝る前の温度設定も、こころもち上げて、風量も静かにしておいた。
6月24日(土)
教科書に掲載されている作家・作品別一覧を作っている。これまでに「言語文化」(詩歌、古典は除く)、「文学国語」(詩歌は除く)をやってきた。
今日、ようやく「論理国語」を完成。これが大変な作業だった。A4で13枚。この一覧があれば、人気作家、作品は一目瞭然。で、速報として発表。「論理国語」13点の教科書を調べて。野矢茂樹11、鷲田清一11、丸山真男10、内田樹8、清岡卓行8、岩井克人7、大澤真幸7、宇野常寛6、河野哲也6、長谷川真理子6、若林幹夫6、高階秀爾5、夏目漱石5、以上が5点以上でした。
まあ、これは点数だけなので、例えば丸山真男は「であることとすることと」、清岡卓行は「ミロのヴィーナス(手の変幻)」、夏目漱石は「現代日本の開化」に集中しているが、それ以外の著者は、作品がばらけている。(つまりまだ定番教材にはなっていない)
それにしても、教科書の収録作品数が多いので(これは短いものが多いということでもあるが)、集計するのが一仕事。
次は「現代の国語」に取り掛かる予定だ。ふう~。
6月22日(木)
望月さんからの連絡については少し訂正。相良先生が今度の学会で発表するのは、別のテーマらしい。従って卓さんが国際的に有名になるということは、まだなさそうだ。でも、相良先生が卓さんに強い関心を持っていることは確かなので、『大学生を育てる』や『藤本卓コレクション』など、手元にある資料は全部望月さんに託して、オーストラリアに運んでもらうことにした。
尼崎市立教育総合センターでは、今教科書の公開展示会が開かれている。係の方から、高校国語で今年度一冊だけ新しいものが加わりました、と教えてもらった。東京書籍の「国語表現」(国表702)だ。早速読んでみたら、なかなか意欲的で新しい試みもあった。例えば、インタビューのやり方なども、立体的に書かれていて、具体的なインタビューの例も二つ載っていた。YOASOBIと高梨沙羅。なんだか教科書というより、雑誌のような感じだ。
ユーチューブでYOASOBIの曲を何曲か聞いてみた。現代風で悪くはないが、おじさんとしては、中島みゆき、吉田拓郎、前川清、八代亜紀かな、やっぱり。あ、あいみょんも贔屓です。
6月17日(土)
先日、高生研の望月さんから、メールが来た。オーストラリアのシドニーで教師教育学会があり、そこのシンポジウムで、相良先生が竹内常一先生と藤本卓さんのことを紹介してくれるらしい。相良先生は『藤本卓教育論集』を丁寧に読んでくださったらしい。編集者としては、嬉しい話だ。卓さんの写真も何枚か送っておいた。卓さんが国際的に有名になって、編集者としてのコメントを求められたらどうしよう。英語でスピーチはできないしなあ……(まあ、杞憂か)
6月12日(月)
今日は、長谷川さんと西宮北口で待ち合わせ、ジュンク堂の奥の喫茶店で、静かな声でいろいろ話した。わりと前から組合関係の席で顔を会せていたし、宝塚図書館の講演会にも何度も来てくれたし、主宰していた劇団の最終公演の前ぐらいから、案内をいただいて、ピッコロシアターに観に行ったり、長い付き合いのような気がしているが、直接二人で時間をかけて話すのは、今回が初めてだった。ついつい大学時代のことから始めて、あのことこのこと喋って、楽しいひとときを過ごした。トレーを返しに行ったときに、店員さんに何か聞いているので、何かと思うと、この店は、「一時間半以内」という制限があるらしい。長谷川さんはそのことに気づいていて、超過タイムのことを気にしていたようだが、僕は全く気がついていなかった。呑気坊主の本領発揮か。
そういえば、梅田七番街の喫茶店で、池田先生と久しぶりに再会して話し込んだ時には、お店の人がもう2時間たちました、と告げに来た。その店は2時間制だったらしい。それも全然気づいてなかった。
今日は帰りにつかぐちのローゲンマイヤーで、塩バターチョコクロワッサンを買って帰ったら、大好評だった。
6月10日(土)
ブリコラージュ通信の注文が3冊きて(こんなことは初めてだが)、手元の残りが4冊しかなかったので、ここは思い切って20冊増刷することにして、京都の製本工房に10営業日コースで注文した。予定では15日に届くはずだったのに、今日届いた。おまけに1冊おまけが入っていた。そんなに急ぐ必要はなかったし、その後3冊宛先不明でかえってきていたのだ。でもまあ、よしとするか。問題はこの手元の25冊をどうするかだ。まあ何冊かは寄贈先のあてはあるのだが、7月に帰省してくる娘と孫にやるという手もあるか。
6月8日(木)
昨日は人影すくない山奥へ行ったが、今日は満員の通勤電車を一本見送って、塚口から梅田へ出た。梅田から地下鉄御堂筋線でなんばへ、そこから千日前線に乗り換えて二駅。西長堀駅で下車。大阪市立図書館へ行く。行ってみると、人が間を開けて並んでいる。どうやらまだ開館前らしい。でもすぐに開いた。9時15分。自宅からここまで、ざっと一時間。
読書会は10時からだから、ちょっとOPACを使って本を探す。教科書を調べている関係で、出典の本を手に取って見たかったのだ。小熊英二の本を発見、教科書に載っていたグラフは、元の本にはなく、教科書会社がつけたものだと確認できた。
読書会の課題本は司馬遼太郎の『梟の城』。今回は特に発言することもないか、と思っていたが、主人公の葛籠重蔵は秀吉の寝所まで忍び込みながら、何故秀吉を殺さなかったのかについて、また熱く語ってしまった。絶対血圧が上がったに違いない。司書さんが、映画で、女忍者の木さるが途中で殺されるのが、…と話していたので、会が終わってから、やっばり葉月里緒菜を殺すのは納得がいかんよね、と言って大いに賛同された。
6月7日(水)
妹と一緒に、北摂の山の中にある池田メモリアルパークへ行く。
30年以上音信不通だった父親がなくなったとの知らせを受け、遺体を病院に引き取りに行き、葬儀社を手配し、妹と二人だけで骨あげまではした。それが2004年のことだ。その後10年ほどは、骨壺を裏の別荘(ライゼボックス)に置いていた。2014年に一人で手続きをして、ここの合葬墓に遺骨を納めた。この場所は僕以外、誰も知らないので、まあ妹ぐらいには知らせておこうかと思ったのだ。ほぼ10年ぶりに来たが、ずいぶんお墓が増えていた。洋風、和風、いろんな形の墓があって、樹木葬もあり、なんともふしぎな風景だった。会ったのは女の人一人だけ。静かで、人気のない場所だった。
5月31日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行く。いつも二階の事務室に一声かけてから三階の資料室にあがるのだが、今日は資料室で係の方といろいろ話しこんだ。毎週一度は来ることにしていて、でもなかなか作業ははかどらず、……。そのうちに、こんな面白い教材を見つけたとか、「現代の国語」という新しい教科書の特徴はとか、教材の所にQRコードがついていてそのリンク先にはこんなものがあってとか、喋り始めると、あれも言いたい、これも聞いてもらいたい、と気がつくと小一時間も喋っていた。
今日は、次に教科書を買うとしたら、何を買おうかと考え、筑摩の「文学国語」「論理国語」、三省堂の「新論理国語」「精選論理国語」などをざっと眺めた。
筑摩の「論理国語」(論国710)の「死の恐怖について」エリザベス・キューブラー=ロス/鈴木晶訳(新訳版『死ぬ瞬間』所収)を読んでみた。なかなか面白かった。 これは日本では1969年刊行の本で、当時ベストセラーになったものだ。今では、家族とともに暮らしながら家で死ぬことがますます難しくなっている。ロスは、自分が子どもの頃の体験を語りながら、次のように述べている。《子どもにしても、不幸があった家にいさせてもらえ、会話や議論や恐怖の仲間に入れてもらえさえすれば、悲しみのときでもひとりぼっちではないという気持ちになれるし、責任を分担し、共に悲しむことで慰めが得られる。そのことで徐々に心の準備ができ、死もまた人生の一部なのだということを学んでいく。これは彼らの成長・成熟にとって貴重な体験である。》
筑摩の「文学国語」(文国708)には、懐かしい、良い教材、例えば寺田寅彦「化け物の進化」、藤田省三「隠れん坊の精神史」、太宰治「水仙」などが入っている。この中に新しく入った津村記久子の「王国」(2020年『サキの忘れ物』所収)を改めて読んでみた。幼稚園児のソノミの想像を語った物語で、最後の一文「あなたがわたしの存在を信じている限り、わたしは現れる。」は感動的ではあるが、これは梨木香歩の初期短篇にも通ずるものがあり、津村記久子ならもっといいのがあるんじゃないかな、とも思った。具体的には何かなあ。
本当は、今日の課題は、「現代の国語」17点を全部見まわして、グラフを利用した教材にどんなものがあるかを一覧表にすることだったのだが、結局そこまでたどり着けなかった。こんなペースでいくと、一年、二年では終わらず、三年、四年かかるかも。
帰りに、つかしんのミニクロワッサンの店に寄る。うちの奥さんは、ここのカヌレを絶賛するが、そのおいしさが僕にはピンとこない。まあ、好みは人それぞれか。
つかしんの一階は、お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さんが並んでいて、市場の雰囲気、賑わいがある。今日は、特設コーナーに全国の道の駅のお土産が並んでいたり、刑務所受刑者制作品が販売されていたり、いろいろ小さな催しもある。見て回ると、なんとなく心が動き、浮き立つ。
5月25日(木)
ついひと月ほど前に電動自転車を買った。もっぱら奥さんが乗るためだが、今日はビバホームに買い物に行くために、初めて乗ってみた。自転車に乗るのは、一体何年ぶりだろう。伊丹は平坦な土地であまり坂はないから、電動自転車の力を感じるほどではなかった。
ビバホームで布の粘着テープを買って帰り、せっせとブリコラージュ通信の荷づくりをして、郵便局へ出しに行った。ざっと言えば、昨日20部、今日午前40部、午後40部で、全部で100部ほど送った。古い記念切手を、奥さんから買い、それを貼ったのだが、写楽から鉄腕アトムまでいろいろあって、なかなかにぎやか。郵便局の人から、きちんときれいに貼って下さって、と言われた。でも、さすがに奥さんの古い切手(50円、100円)は、これでほぼなくなった。
5月20日(土)
日本児童文学学会関西例会に参加するために、大阪府立図書館へ出かけて行った。『児童文学の境界へ』(2009)を準備していた頃、つまり夜間定時制高校で働いていた頃、よくこの図書館を利用した。
もう高速道路を走るのはきついので、塚口、梅田、本町、荒本と、阪急電車と地下鉄を乗り継いで行ったのだが、荒本の駅を出て、びっくり。東大阪市役所と大阪府立図書館の東側の広い一帯が更地になっていた。ここには商業施設があり、中に関西では珍しかったカルフールもあって、その商品の物量に感心したものだった。いつ消えたのか、隔世の感あり。
図書館へ寄贈をして、食堂でカツ丼を食べる。
併設の国際児童文学館を覗く。昔、万博の敷地内にあった頃、何度か行ったことがあったが、規模が全然違う。
学会は二階の多目的室であった。この部屋は、確か視聴覚ライブラリーの部屋だったはず。授業で使うために、「プロジェクトX」「注文の多い料理店」「わんぱく王子の大蛇退治」など何度か借りに来たことがある。でももう、視聴覚ライブラリーの時代ではないのかも。
学会では、「19世紀半ばから20世紀初頭における欧米の挿絵本に見られる花の擬人化表現」と「富安陽子作品における伝承と開発」という二つの研究発表と、畠山兆子先生(梅花女子大名誉教授)の「子どもの文学・文化研究に携わって」という講演があった。参加者は60人ほど、男性は4名だった。
畠山先生は、長い間関西学会の会長をされていて、例会も梅花女子大で開かれていた。その関係もあり、何度か梅花女子大に足を運んだことがある。
5月15日(月)
昨日は、伊丹で開催された春風亭一之輔の独演会に、奥さんと二人で行ってきた。800人ほどの大ホールで、右耳が悪いこともあって、七割くらいしか聴き取れないのが残念だった。でも、一之輔の古典落語の膨らませ方がよくわかった。「天狗裁き」について言えば、やっぱり桂米朝さんの演じ方の方が僕は好きです。休憩時間に河野先生と会った。
5月11日(木)
大阪市立中央図書館の「読書会」に出席。今日は見学のつもりで、あまり喋らないこと、と自戒していたが、……。終わってから、司書の人に読書会について、いろいろ質問。どうやって課題本を決めているのか、本はどうやって集めているのか、司会、書記は順番か、いつ頃から読書会をやっているのか、参加人数は、他の市立図書館でも読書会をやっているのか、…。天王寺図書館では、児童文学、長編、など読書会のグループが三つあるらしい。
5月9日(火)
ブリコラージュ通信の原稿作りが一段落したので、7日(日)には、大阪市立中央図書館へ出かけて行った。HPに読書会の事が載っていたので、参考にしようと思ったのと、この機会に寄贈しようと考えたのだ。
今月の課題本は今村夏子『星の子』だそうだ。参加申し込みをすると、課題本を貸してくれた。大阪市立阿倍野図書館のラベルが貼ってあった。大阪市立図書館は数が多いから、きっとあちこちからかき集めて、参加者に貸しているのだろう。
帰りに難波へまわって、ジュンク難波店へ行ったら、ドン・キホーテに変わっていた。何か既視感があった。そうだ、何年か前にも、ここに来て、ああジュンクがドンキに変わっている!と驚いたことがあった。その驚いたことを忘れて、また同じことをしている。
昔は、難波にも時々来ていた。道具屋筋へ、もちつきの道具一式(臼、杵、餅箱)を買いにきたり、電器街で何やかや買ったり、ついでにジュンクにもよく行ったものだ。
5月6日(土)
ブリコラージュ通信の原稿を宅配便で送った。ようやく13号完成。
昨日、5月5日に、あとがきを書いたのだ。一部公開。
《……と、ここまで書いてきて、新聞を見ると、こんな記事が載っていた。
「川上弘美さんに仏芸術文化勲章
作家の川上弘美さんが3月31日、フランスの芸術文化勲章「オフィシエ」を受賞したと在日大使館が発表した。
川上さんは1958年生まれ。94年にデビューし、96年に「蛇を踏む」で芥川賞、以降、多くの作品を発表し、約10作がフランス語に翻訳されている。とりわけ、谷崎潤一郎賞を受けた「センセイの鞄」(2001年)は谷口ジローさんによる漫画版とともに親しまれているという。」(朝日新聞)2023年5月5日朝刊
あまりのタイミングにちょっとびっくり。『センセイの鞄』について話してくださいと、フランス大使館から依頼がきたら、どうしよう。》
5月5日の偶然!!
ちなみに13号のタイトルは《『センセイの鞄』の中を覗いてみると》です。
4月21日(木)
宝塚市立図書館の大畠さんから連絡が来て、来週新しい行事の打ち合わせに行くことになった。10年続けてきた「市民のための現代文学講座」を終了したあと、読書会、ブックトークのようなものをやりたいという館長さんの意向で、少し手伝うことにしたのだ。でもどんなことができるかな。
ブリコラージュ通信№13の見通しが立った。全部で200頁ほど、5月のGW明けに発注して下旬には出来上がり。これから、原稿を推敲して、削る作業をするつもり。
4月7日(金)
藤原さんの二人展があるので、三宮に出かけて行った。ちょうど今日は、文芸雑誌の発売日なので、駅前のジュンク堂まで足を伸ばし、四誌購入。どれも大江健三郎の追悼特集をしているので。
展覧会にことよせて、舞子高校時代の同僚数人に声をかけたら、船曳くんが来てくれた。三人で、香港茶楼で夕食、飲み会を。45年前に戻ったようだった。
元町から三宮まで高架下を歩いたら、随分様子が変わって、おしゃれな店が増えていた。
3月31日(金)
28日(火)に、「世界をつなぐ国語科実践研究会」に参加するために、立命館高校へ出かけて行った。
講演は立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所の後藤文男さんの「白川文字学と漢字教育」で、これは話がめっぽう面白かった。「飛」という漢字の元のものが、鳥を上から見た形で、しかも頭の所は横から見たもの、つまり一つの文字の中に別の角度から見たものが組み合わされていた。「飛」は鳥をピカソ的に捉えたものだったのか!(この翻訳は藤本)しかも鳥が飛ぶ木造りのおもちゃまで見せて下さった。
一番前の右の辺りで、しきりにうなづいて聞いていたので、(つまり「あどを打っていた」ので)、先生もどんどん話に力が加わり、実にいい雰囲気だった。話慣れた話ぶりで、話芸の域に達していた。あんな風な語り方に憧れるが、僕の場合はたいてい一回切りの話だからなあ。
報告①の「扇の的」の群読の授業報告は、実際の中学生の群読の様子をビデオで三つ見せてくれたが、生き生きとしていて、今風で感心した。6、7人が途中で高くなったり、低くなったり(かがみ込んだり)、あるいは並び方を変えたりしながら、群読するのだ。まさかフォーメーションを変えながら、パフォーマンスするとは思いもしなかった。報告の先生の話では、生徒たち自身のアイデアのようだ。
報告➁の「クアッド」、やっぱり川合先生は演劇部の顧問で、オンラインでの報告だった。これはまだ授業ではやってなくて、どうしようかと思案中で、今日は演劇部の生徒の協力でパフォーマンスをやる、という。45分前に台本を渡し、部員たちはそれを読んでどう演じるかを考え、やってみる、というもの。一体どうなるのか、という緊張感、臨場感はあった。やったあとの部員にインタビューをしたりしていて、面白かったが、ちょっと食い足りなかったので、ついつい質疑応答で長々と喋ってしまった。血が騒いでの発言だったが、たぶん血圧も上がったことだろう。健康のためには良くなかったかも。川合先生とはゆっくりと話したかった。予習もしたし、公園で実際に歩いたりして、身体で経験しようとしたんだぜ。
3月30日(木)
今日は天気もいいし、サクラも満開。ビデオカメラを片手に撮影に出かけた。天神川沿いを西へ歩き、橋を渡って、あそか苑の満開の桜を撮り、東へ東へ、土手の菜の花もカメラにおさめ、いろいろ構図に凝ってあれこれ撮った。昆陽池公園の散歩道も収め、池のカモも。とにかく、いつもの散歩コースを撮りまくり、サクラに飽きたらも花壇の花も、…。久しぶりに映画好きの心が騒いだ。それにしても、改めて音のうるささに閉口した。車、飛行機、道行くおばさんの話声、普段はあまり気にしないが、カメラのファインダーをのぞくと、音が聞こえてくる。画像を再生した時のことを想像すると、騒音は避けたい。やっぱりね、きれいなサクラ、静かに眺めたいじゃないですか、みなさん。
3月26日(日)
今日はZOOMでひらどへ。
壱岐の先生から転勤が決まった先生を見送りにいく、という話を聞き、「離島」なんだ、と思った。長崎の先生は、一度は離島を経験するそうで、昔は5年とか7年とか。でも段々、生徒数減等で、それも崩れてきているらしい。
あと、最初の授業で何をするか、「授業びらき」も話題になった。自分は何をしたかな、と考えたが、あまり意識的な「授業びらき」はやらなかった、ように思う。
そうそう、「君は何か国語を話せるか」と問いかけることはやったなあ。そのあと、世界には何種類くらい言語があるか、というクイズにつないでいった。文字は何種類?
3月23日(木)
先週の土曜日から、北九州の息子一家が伊丹に帰ってきている。けいちゃんは今は「仮面ライダー」にはまっていて、今日も「ライダー図鑑」を見ながら絵を描いたり、ライダーの曲で踊ったり……。鉄道から興味が移ったようで、一時はこのまま大人になっても電車を追いかけて日本各地をまわるようになるのではと思っていたが、そうはならないようだ。
でも、昨日は尼崎市立教育総合センターに行くついでに、JR塚口駅へ、けいちゃん父子を連れて行った。そこからJR伊丹駅まで二駅、福知山線の電車に乗るのだそうだ。まあ、鉄道好きのしっぽはまだ残っているみたい。
3月18日(土)
広島教販から、旧課程の教科書14冊(12点)を取り寄せた。新しい教科書の変化を探るためには、旧課程の教科書との比較も必要だなと思ったからだ。尼崎市立教育センターの係の方にたずねると、古い教科書は別の建物で保管していて、言っていただければ用意します、とのことだったが、それはちょっと気が引けるので、とりあえず自分で何冊か買うことにした。
ネットで見つけた教科書販売会社広島教販に、現在も入手できるものを注文。
それにしても教科書は安い。国語表現は409円、国語総合は932円。しかもどこの教科書会社のものも同一価格なのだ。
毎晩、フォークナーを読む前に、軽く教科書の二、三編を読んでいる。昨日は、柳澤桂子の「命はだれのものか」と内田樹の「なぜ私たちは労働するのか」のあと、『アブサロム、アブサロム』(下巻)Ⅷ章を読んだ。『ポータブル・フォークナー』のおかげで、フォークナーが無理なく読めるようになっている。
3月11日(土)
立命館高校の内田先生から「世界をつなぐ国語科実践研究会」の案内が届いた。発表の中に、「ベケット『クワッド』を使った授業への挑戦の報告」というのがあり、これは何だろう、と思った。
そこで伊丹の図書館で、新訳ベケット戯曲全集を借りてきて、『クワッド』を読んでみたら、セリフなんか一つもなくて、「各プレーヤー(1、2、3、4)は決められたエリア内に特定のコースを辿って歩行する。エリア 各辺の長さが六歩分の正方形。」とあって、正方形には二本の対角線が引いてある。それぞれの登場人物の歩く順が指示してあり(一人で、二人で、三人で)、ライトやパーカッションについても注文がついている。これは一体何なのだ。
動きのプログラムなのか、今ならコンピューターで、四つの点の動きを指示通り描くことができるだろうけどなあ。
とにかく、これを教材にどんな授業をやったんだろう。
発表者は関東第一高等学校の河合智さん。それでネットで検索してみると、演劇部が作ったという「学校紹介」にヒットした。17分ほど、劇仕立てにしてあり、なかなか面白い。最後まで見て、エンドロールで脚本河合智と出て来て、そうか、演劇部の顧問の先生なんだとわかった。そういえば、部室の教室の床にベケットの正方形が書いてあったような気がする。
報告を聞くのが、ちょっと楽しみ。
3月8日(水)
尼崎市立教育総合センター通いは続く。今日は「現代の国語」を読もうと、棚から出してきて、八社十七冊の「現代の国語」を机に並べた。東京書籍は701「新編現代の国語」、702「精選現代の国語」、703「現代の国語」の3点を出している。
現国703は、大きく2つの部分に分けることができる。
⑴読解編+付録1教材編…これは評論中心の現代文
⑵探求編+付録2資料編…これは国語表現+便覧
これで見る限り、「現代の国語」には国語表現が流れ込んでいるという、僕の推理は証明されたようだ。
3時間ほど資料室に籠って、一時過ぎに帰ろうと外に出ると、何やら華やか。色とりどりの着物がざっと三、四十。なにごとかと思ってよく見ると、はかま姿で、どうやら卒業式らしい。このセンターの敷地内には、いくつも建物があり、立看板によると、医療看護専門学校の卒業式があるらしく、みんなが一つの建物から、別の建物への移動中だった。
さっきまで、教科書に掲載された「移動等円滑化のために必要な特定公園施設の設置に関する基準を定める省令(平成十八年国土交通省令第百十五号)」 なんて灰色の文章を粛々と読んでいたので、解放感に満ちた別の世界に触れ、他人事ながらこっちもほっとして、ああ春だなあ、と思った。
2月28日(火)
今日は、朝から宝塚のパンネル中山寺で食パン1本、ブドウパン半本、ゴマパン一袋を買い、昼からは伊丹市立図書館でフォークナーを借り、尼崎市立総合教育センターで教科書を読み、帰りにつかしんで八百屋さんとミニクロワッサン屋さんで買い物をし、帰ってから風呂を洗い、夕食にチキンカツを作り、なかなか忙しかった。車がなかったら、これだけ動き回れないよなあ、と思った。
暖かくなって、久しぶりに窓を開けて車を走らせた。もうすぐ春だ。
2月26日(日)
長崎県平戸市へ行ってきました。と言っても、ZOOMでだけど。前回12月は、途中からこちらの音声が届かなくなって、聞くだけだったが、今回は最初怪しかったけど、何とか触っているうちにちゃんと声が届くようになった。
今日は国立大学の二次試験の日で、参加できない人もいたようで、僕を入れて3人の会になった。主宰者の森さんは、映像が映らなくって、声だけの参加になったが、まあ、話はできた。
最近、漢文不要論などが、あちこちで出ているようだが、それにどう答えるか、思い思いに話した。数学でも微分積分なんか、習っても使わないやんか、という話も出て、役に立つとか、何のためにこの教科をやるのかとか、今の高校生自身はあまりきいてこない(疑問に思わない)とか。途中からは、単元学習の話になり、僕からは今新しい教科書を全部読もうとしている(まあ趣味で)のだが、教科書会社もいろいろ工夫をしたり、新しい作品を探したりしていて、いろんな教科書を見ると勉強になるという話を出した。源氏物語でも、原文、与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、角田光代訳、橋本治の翻案などを並べている教科書もあり、僕は現役の頃、与謝野、谷崎、円地訳を比較する授業をしたことがある、「ようやく時代が僕に追いついて来たようだ」という話をした。
最近、授業の話なんかする機会がなかったので、楽しかった。会が終わってから、森さんとは二人で30分ほど話した。このサークルができた経緯とかも聞いた。森さんは、作詞作曲もやり歌手活動もしていて、今もライブ活動をしているとか。(昔、作詞作曲したものがレコードになったようだ。)
2月22日(水)
毎晩、寝床でフォークナーを読んでいる。『ポータブル・フォークナー』は本当にいい本だ。フォークナーという作家の凄さがわかる、いい編集になっている。短篇中心、長編の一部掲載、小説舞台の時代順、これが学生時代にあったら、たぶんフォークナーの長編をきちんと読めただろう。八部編成の七部の終りまできたが、読み終わるのが勿体ない。
先週、尼崎市立教育総合センターに『高校生と文学作品を読む』を寄贈したら、早速、貸し出せる手続きをして、入口の一番目立つ所に、新着本として飾っていてくれた。
今日読んだ中では筑摩現代の国語のブレイディみかこ「誰かの靴を履いてみること」、数研言語文化の田宮虎彦「沖縄の手記から」が面白かった。
新しい教科書の目次は全部集めたが、旧課程の教科書の目次を見なければ、比較できないなあ、と考えて、手に入るだけのものを集めた。でも、旧課程の教科書の資料をもう載せてない会社もあるので、完全ではない。
デジタルカタログは、スクリーンショットを使い、それをコピーしたうえで編集して、印刷。必要があって、初めて技術は身に着く。(忘れていたけど、何度もやっていて思い出した)
「現代の国語」には「国語表現」の内容が流入しているようだが、「プレゼンテーションをしよう」とか「ミニ討論会をしよう」とか「ショートスピーチをしよう」とか急に言われても、高校生は困るだろうなあ。
2月15日(水)
尼崎市立教育総合センターへ行ったら、はしご車が建物の屋上付近まではしごをのばしていた。一体何事かと思って近づくと、消防隊員が二十人ほどいる。車も数台。
二階の受付に行くと、今日は防災訓練の「準備」の日とのこと。お昼前にベルが鳴るけど、訓練の前の確認だから、心配しないでください、と言われた。
三階の資料室に籠り、「現代の国語」「言語文化」などの教科書をチエックしていると、放送が入り、これからベルが鳴りますが、これは訓練のためのものですから、と断りが入った。ベルはちゃんと鳴った。めでたし、めでたし。訓練の訓練が必要なんだ。??
今日読んだ中で、多和田葉子の「月の誤訳」(三省堂精選言語文化)というエッセイが、短いけれどなかなか面白かった。奥の細道の冒頭「月日は百代の過客にして…」とか「雨月物語」という題名をドイツ語の翻訳本でどう訳しているかを紹介しながら、言葉の孕むイメージについて語っていた。そうだよね、「月日」を《時間》と訳したのでは落ちてしまうものがあるよね。
三崎亜紀の「公園」(第一学習社高等学校標準言語文化)という短篇小説も面白かった。子どもの死亡事故があってから、公園の管理がどんどん厳しくなって、今では一つしか残っていなくて、そこに入るには誓約書を書かなくてはならない、というなんとも不条理な世界。安部公房の現代版のようだった。
それにしても、現代の国語17点、言語文化17点、論理国語13点、文学国語11点、合計58点の教科書を全部読破するのは、ひょっとすると六甲全山縦走よりも大変なことかもしれない、と思う今日この頃。
2月14日(火)
ブリコラージュ通信№13に、宝塚図書館での文学講座10年を振り返って、という原稿を載せようと思って、思い出しながら書いている。開高健の話をした時に、パワーポイントで開高健の写真を映したけど、参加者の中にそのポスターを作った人がいて、挨拶されて驚いた。あれは、どんな写真だったか、確かめようとして、ファイルを探したが、見つからない。
そこで、ポンコツの四代目パソコンの中になら、残っているかもと思い、探してみた。立ち上げるのに時間がかかったが、見つかった。「大阪市立大学創立130周年記念 生誕80年 開高健展」というものだった。パワーポイントを見てみたら、開高健記念館も出てきたりして、よくできている。我ながら感心した。
ついでに、宝塚の講座で作ったパワーポイントのファイルを整理して、USB、五代目、ポータブルディスクの三か所に同じものを残した。この作業でこれまでの仕事をちゃんと整理することの大切さがよくわかった。いつも、その場かぎりで、作業していて、あとで見かえすことを考えてなかった。
探している途中は、あれ?津村記久子の回の分がない(これはポータブルディスクのいずみわくわく講座の中にあった)とか、どうしようこの前やったばかりの、堀江敏幸、絲山秋子、伊藤比呂美がない!!とか、探しまくったが、結局10年分、24回分、全部あった。
せっかく作ったパワーポイントのスライド、どこかで上映会でもするか。
2月8日(水)
教科書を常設展示している尼ヶ崎市立教育総合センターへ出かけた。産業道路を南に下り、JR塚口駅、ピッコロシアターあたりで、東へ曲がり、JR線を超えて、東へ向かう。
三階の教育資料室は、電気はついているが、誰もいない。一応月曜日に電話はいれておいたので、部屋に入り、ぐるっと見て回る。教育関係の図書も結構ある。教科書を置いてある場所を見つけたが、小・中だけ。ここにもないのか、とがっかり。まあ、挨拶はして帰ろうと思って二階へ。担当の方に挨拶をすると、改めて案内してくれて、高校の教科書は別の場所においてあるとわかった。早とちりして、帰らなくてよかった。
好きなだけ見てください、ということで、暖房もつけてくださった。宝の山に入った感じだ。平成5年度から使用する「文学国語」(2・3年選択)を中心にチェックしていったが、おもしろくて、あっという間に、2時間たった。
どんなことがわかったか、については改めてちゃんとまとめるつもりだが、数研、三省堂、大修館などはカラーページ、ビジュアル化、読書案内の試み、など、まるで「国語便覧」かと思った。三省堂は池田理代子のマンガ竹取物語が3頁分ある。数研は、源氏物語の現代語訳3人分(与謝野晶子、谷崎潤一郎、角田光代)+原文+「窯変源氏物語」(橋本治)という「源氏三昧」ぶり。
つかしんでミニクロワッサンを買って、家に帰ると、奥さんが何やら興奮している。なんでも、伊丹市の企画に応募して子ども用机(3万円相当)が当たったとか。地域振興の一環で、5000円分のレシートを写真で送ればいいらしい。で、ビールを買って、写メールで送ったら、机があたった。先日は、ビールを買って、応募したら、A賞(ZOOMでどこか案内してもらうらしい)、B賞(ビール詰め合わせ)、連続で当選したとか。
あたるとは思わなかったといいながら、あちこちこまめに応募している。これで運を使いはたしたかなあ、などと言っているが…。
何せ、昔、お米屋さんに貰ったお米券で、スペイン旅行を当てたこともある人だからなあ、強運というか、なんというか。
2月4日(土)
古いテープの話(続き)
テープからUSBへの録音作業は5分の3終わった。あと90分。この時の中高部会は、午前中にオリエンテーションと尾崎先生からの報告・提議があり、午後から討議だったようだ。司会者が、午後4時を目途に、と言っているから、たぶん1時から3時間、テープ180分、計算が合う。
で、午後の会場からの質疑・意見が始まって、最初に発言しているのが、どうも僕のようだ。テープの声が比較的聴き取りやすい。これはぼくが自分の机の上にカセットテープ機を置いて喋っているからだろう。話している内容も、いかにもぼくの言いそうなことだ。(今なら、もうちょっと違う角度から言うんだけどなあ)
なんだか、昔の場面(若い自分の姿)を覗いているようで、「タイムトンネル」(子どもの頃にそういうSF・TVがあったなあ)を思い出した。
司会が、『季刊文学教育10号』に云々と言っているので、たぶん報告の骨子が文学教育連盟の機関誌に載っているのだろう、と判断。一度見てみたいと思い、国立国会図書館へ入って、検索をかけた。でもこの号は保管されてなかった。大阪府立図書館の横断検索でも、ヒットしない。それなら、古書で探すか、と検索すると、名古屋の古本屋さんにあった。1000円。注文し、お金も振り込んだ。たぶん、月曜か火曜には届くだろう。便利な時代になったものだ、と思った。
ところが、ところが、今日、自分の原稿が掲載されている『季刊文学教育』が、あると思っていた押し入れの古い雑誌箱の中にないので、裏のライゼボックスへ探しに行った。すると、そこに『季刊文学教育』のバックナンバー数冊があった。その中に10号もあった。1976年8月発行。第19回文学教育研究全国大会のものだ。報告者は尾崎洋右さん(千葉県立水産高等学校/本会常任委員)とある。たぶん、前年の授業(市立習志野高校)の報告で、この年転勤したのだろう。
ぼくは1975年に舞子高校で勤めはじめ、その夏、この全国大会(神戸)の手伝いをした。須磨の国民宿舎で宿舎係をした。中高の分科会では金井直の詩「木琴」の報告をした。今USBに移しているのは、その翌年の1976年録音のテープだったのだ。念のために古い授業ノートを見てみると、1976年4月に石川淳「アルプスの少女」の授業をしている。(テープ表面の録音はこの時か)
それにしても、また自分に言い聞かせるしかないなあ。
「ちょっと待て、この本(雑誌も)、家にあるのでは」
2月3日(金)
古いカセットテープの話。
舞子高校で「アルプスの少女」(石川淳)の授業の最後に、石川先生と太田垣先生にゲストで来てもらったことがある。その時のテープがあったので、見てみると、裏面については何も書いてない。それで何が入っているのかと聞いてみると、文学教育連盟(文教連)の夏の集会、中高部会のテープだった。習志野高校の尾崎先生(推定30代前半)が「不意の唖」の授業報告をしている。
『高校生と文学作品を読む』のあとがきに、《誰も実践していない作品が中心で》と書き、「不意の唖」も挙げている。ああ、これは完全に書き間違い(というか記憶の剥落)だった。何でこの作品を教材として使ったのか、自分でもよく覚えていなかったが、このテープを聞くと、尾崎先生の報告に刺激を受けて、自分もやってみようと思ったのだった、とわかった。テープは他にも2本あって、全部で、225分ある。今途中までUSBにおとしたが、聞きにくいこと甚だしい。夏休みの小学校が会場だったようで、子どもの遊ぶ声が入っている。たぶん1978年のこと。
2月2日(木)
自分で「高校国語教科書を探査する」というテーマを立て、あれこれ試行している。『高校生と文学作品を読む』を出したことの、後処理のようなものだ。
「伊豆の踊子」「バースディ・ガール」は新しい教科書でどうなっているか。ちょっと気になるじゃないですか。
「伊豆の踊子」は大修館の文学国語(文国704)に入っている。「バースディ・ガール」、中学の教科書から消えたようで心配していたが、三省堂の新文学国語(文国703)で高校教科書に採られている。
まず各教科書会社のHPから、目次を取り出し、それを改めて、リストにしていき(ワードで打ち込み)、教科書の実際の変化を探ろうとしているのだが、1年必修の言語文化(17点)、2年選択の文学国語(11点)がほぼ完了する。
目次だけではわからないから、いつかは実際の教科書を見てみなければ、と思っていた。
そこで、今日、宝塚総合教育センターへ出かけて行った。ここには、教科書の常設展示がある、とネットにあった。家から車で10分ほど。受付の人に聞くと、奥の方の部屋に案内してくれた。見て回ると、小学校と中学校の教科書はあるが、高校の教科書はない!!せっかく来たのだからと、宝塚市の中学校が使っている国語教科書(三省堂)をパラパラとめくってみた。
まあ、趣味でやっているようなものだから、いいんだけど。
1月28日(土)
卒業生の河村くんが自転車に乗って遊びに来た。最初うちの奥さんが自転車の置き場所など、対応していた。河村くん曰く、「娘さんかと思いました」。この一言で奥さんの喜ぶこと、喜ぶこと。
いろいろ話を聞いたが、大学時代に50日ほどかけて、アメリカを西海岸から東海岸まで一人で自転車で横断したらしい。
この後、同窓会の幹事会があるらしいが、そのあと飲み会があるとか。みんな、この4月以降順次、還暦を迎えることになる。教えていた頃は、みんなティーンエイジャーだったのになあ。
1月26日(木)
昨日は10年に一度の寒波とか、雪で鉄道、道路も止まったそうだ。今日は大丈夫そうなので、梅田の丸善&ジュンク堂へ出かける。
①『ポータブル・フォークナー』➁『編集者ディドロ』③『作家の証言』④『国語教育は文学をどう扱ってきたか』⑤『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』⑥『わたしのベスト3』の六冊を購入(合計二万七七七〇円)。
①については昨日書いた。
毎日新聞の年末の「2022年この3冊」という欄は自分の知らない分野の本を見つけるのに、とても信頼している書評欄だ。➁はこの欄で複数の人があげていた。ただこの『編集者ディドロ─仲間と歩く『百科全書』の森』は全八九六頁、五二八〇円、さすがにちょっと躊躇した。それで書店で実物を手にして、考えようと思った。手に取ると重い、あまりの分厚さに、ちょっとびびってしまった。これは寝床で寝ながら読めないかも。それでも、「はじめに」や、第一章冒頭を読んでみると、これは面白いに違いないと感じた。何より、著者鷲見洋一(すみよういち)氏の書きぶり、文体が、魅力的だ。
「本書はあえて「ですます調」を採用し、脚注なども一切付けませんでした。ディドロと『百科全書』に関するお堅い学術書ではなく、ディドロが愛した「対話」や「座談」の雰囲気を残す語り口でお付き合いいただきたいと願ったからなのです。長い道程になりますが、どうぞ宜しくお願いします。」
それで長い道程を付いていくことにしました。
③『作家の証言─四畳半襖下張裁判(完全版)』は、野坂昭如が被告人となり、丸谷才一が特別弁護人になった、文学をめぐる裁判で、証人として、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、中村光夫、金井美恵子、石川淳、田村隆一、有吉佐和子などが登場する。元になった本は、丸谷才一について書くために、伊丹市立図書館で借りて、部分的に読んでいたが、新しい版で出るのなら、と購入することにした。
それにしても、これから長丁場の読書になりそうだ。何しろ、①は850頁、➁は896頁だからね。でもこの2冊、実は厚さが随分違う。①はほぼ4センチ、➁はほぼ6センチ。頁数から考えて、これは紙の厚さの違いだろう。
1月25日(水)
『ポータブル・フォークナー』が面白い。フォークナーは何度も読もうとしては、挫折してきた。中上健次も影響を受けたというので、どうしても読まねばと意気込むのだが、ダメ。家に、何冊か文庫本があるが、どれもずっと寝ている。
『ポータブル・フォークナー』という本が出版されたことを知って、気になった。訳者は池澤夏樹、小野正嗣、桐山大介、柴田元幸、850頁を超える大著、6490円(税込)、買おうかどうか迷って、とりあえず、伊丹市立図書館にリクエストした。入りましたという知らせが来て、早速借りに行く。
読みやすい。解説がわかりやすい。あのややこしい、込み入った人間関係(家系図)が、無理なくわかるような、短篇のコレクションになっている。しかも描かれている時代順に並べてあるので、無理なく頭に入る。毎晩、一編ずつ読んでいて、第一部昔の人たち、四編を読了。特に「都庁舎」、「昔あった話」は声をあげて笑った。
これなら、たぶん850頁を読み切れるだろうと思い、自分で買うことに決めた。
1月19日(木)
昨日は歯科で、型どりをする。下の奥歯を抜くと、上の歯が伸びてくるらしい。それを止めるために奥の歯二本にかぶせものをする、とか。ほんまに、上の歯が伸びてくるのか、半信半疑で、やってもらう。
昼から、西宮のジュンク堂へ出かける。『謎解き「サリンジャー」』という本がおもしろそうなので、冒頭を読むと面白い。冒頭で「バナナフィッシュにはうってつけの日」に言及してあるので、これは読んだことがあるが、買わねばと思い、短篇集『ナインストーリーズ』を購入。他二冊、合わせて四冊、六千円にはちょっとだけ足りず。(三千円ごとに駐車場代が三十分無料になる)
エレベーターに乗って、地下へ下りながら、ふと、まてよ『ナインストーリーズ』、家に有ったのでは、と疑念がよぎる。
家に帰って確かめると、やっぱり、あった。昨日の今日で、もう!!「ちょっと待て、この本、家にあるのでは」これを、今年の標語にしよう、と思う。
1月18日(水)
昨日は眼科の定期健診日。駅前の眼科まで歩いて行った。約3キロ、35分。
家を出る時、待ち時間に何か読もうと、本を探した。ブリコラージュ通信№13のために《『センセイの鞄』を読む》という原稿を書いているのだが、なかなか書けない。書けない理由は、この作品の分析をしたのが、もう随分前だからだ。レジメも作って何度か講演もした。それがかえって書けない理由。論の骨子はあるのだが、やっばり読み直す必要がある。眼科には『センセイの鞄』の文庫本を持って行くことにした。で、書庫を探すと、なんと四冊あった!!分析用には元の平凡社版を使っていたのだが、文春文庫二冊、新潮文庫二冊、すべてブックオフの値札がついている。まあ、同じ本を買ってしまうことはたまにあるが、これはちょっといささか行き過ぎ。今、うちには『センセイの鞄』が五冊ある。
なんの気なしに、横を見ると、同じ所に川上弘美の『ゆっくりさよならをとなえる』の文庫本が二冊(どちらもブックオフの値札あり)ならんでいる。これは川上弘美の呪いか?それともブックオフの呪いか?
1月15日(日)
古いカセットテープを整理していて、名前のないのがあった。聞いてみたら、弾き語りの歌が入っていた。「朝起きたら、男の態度が変わってた」という冒頭、聞いたことがある。ネットで調べてみたら、歌っていたのは小林万里子さん。文学部で「ドストエフスキー連続講座」(7回)を実施した時の、下級生メンバーだった!そうか、歌手デビューしたばかりの頃に、知って録音したものか(?)その後どうしているのか、ネットで検索してみたら、今もあちこちで歌手活動をしているようだ。ライブ映像がユーチューブにいくつもあった。
ほぼ50年を経て、ネットで小林さんの活躍を知るとは思わなかった。まあ、これも古いカセット整理のご利益か。
1月12日(木)
古いビデオテープをDVDにする作業の新しい仕事。昔授業で使ったものや使おうと思って録画していたものの中で、若い人に紹介したいものをDVDにしようと思った。まあ、これも一種の形見分け。
で、まず吉永小百合が原爆詩を朗読しているドキュメンタリー「祈るように語り続けたい」(120分)とその続編「祈るように語り続けたいⅡ」(90分)をDVD化した。前者はヒロシマの被曝者たちの十二編の詩を日本で、後者はそれをアメリカで朗読するのをドキュメンタリーにしている。前者は一部を授業で使ったことがある。後者は録画したままで、今回初めて見たのではないかな(観たのを忘れているのかも)。
とにかく一日一つずつ、ダビングしながら二つを見た。改めて、志のある、いいドキュメンタリーだと思った。1997年、1999年制作。
1月9日(月)
古いカセットテープのコピー作業、今度はドストエフスキー研究会の連続講座にとりかかる。まず野口武彦先生の「悪霊及び悪霊ノート」の回。音が悪い。これは元々オープンリールの録音機でとって、数年後に、それをカセットにダビングしたもの。それを考えると仕方ないか。この回の最後の質疑応答で、司会のぼくが質問し、結構長く喋っている。でも音が悪い。
そこで考え直した。今回のプロジェクト(自分でたてた)では、一旦USBにおとして、それをCD化するつもりだった。でも音が悪いので、CD化はやめて、USB止まり、とする。それで、もし誰かにあげる時にはそこでCDにする。
で、とりあえず、カセットテープのコピー作業はここで一旦停止。次の仕事にかかることにする。
1月7日(土)
このグーグルサイトは、更新しようとして、下書きを書いていると時々、折り畳めなくなりました、と通告してくる。ちょっとした、タイプミスでなるのだと思うが、昨日もなった。折り畳めなくなった部分は、このページの一番下に移動。それを修復するのに、コピー、ペーストを繰り返す。昨日の場合は、2023年のページの最初の分だけだったので、まだよかった。
気をとりなおして、カセットテープの事故の報告を。ふたが開かなくなり、どうしてくれよう、とカッとなったが、CDラジカセをひっくり返すと、ねじがある。たぶん、これをはずせば、なんとかなるはず、と思い、左右二個のねじをはずす。正解でした。ふたをはずすことができた。問題はカセットテープを取り出すことだが、とにかく外に出した。予想通り、テープが機械に絡まっている。テープを切る。軸に巻き付いているテープをはずそうとするが、手が入らない。いろいろ角度を変えて、CDラジカセをひっくり返して、膝の上に抱きかかえるような形で、隙間から手を入れる。テープの端を指でつまみ、そろりそろりとひっぱる。どんどん軸からテープがはずれてくる。どこまで巻き込んでいるのか。慎重な作業の末、完全に取り除くことに成功。ねじを戻し、ふたの具合を確認。別のカセットを入れて、動かしてみる。異常なし。やった、成功。ふん、やればできる。昔、オープンリールの頃も時々、テープを巻き込んだことを思い出す。
で、結果元のカセットテープは使い物にならなくなり、島田先生の講義の最後の部分は結局、ダビングできないままに終わった。まあ、仕方ないか。47年前の声が90分は復元できたのだから、よしとしよう。
1月5日(木)
今年は手持ちのデータをコピーして、保存しようと思い、まずカセットテープに着手。
最初に、猪野健二先生の最終講義(1975年2月5日・水)に取り組む。90分の講義、先生は若干風邪気味だが、国木田独歩について語られていた。USBに移し、パソコンに取り込む。まあ、音質は悪いが、47年前だから仕方なかろう。
続けて、島田勇雄先生の最終講義(1975年2月8日・土)に取り組む。120分のテープの、前60分、後30分は猪野先生、そのあとに島田先生のを入れてある。まず30分、完了。そして120分テープはもう1本あり、その前面に島田先生➁が入っており、後面に島田先生③が入っている。一体何分の講義だったのかな、と思いながら、前面60分をコピー、これで合計90分。よし、裏返し、何分くらい入っているのか確かめようと、早送りして、聞くというのを何度か繰り返していて、急に声が変になった。あわてて止めたが、今度はカセットレコーダーのふたが開かなくなった!! ピンチ。