パイロット版『藤本卓教育論集』全4巻が完成
編集工房では、正式な『藤本卓教育論集』を作るための前段階のものとして、簡易な形のパイロット版(試行版)を4巻作りました。
書き残した原稿は人に読まれてこそ、意味を持つものです。読みたいという方には無料で差し上げますので、まわりの友人、知人、卒業生の方々にぜひご紹介ください。独りでも多く方が手に取り、生前の藤本卓氏の姿、声を思い出してくださればと思います。
参考として、以下に各巻の解題を再録しておきます。
【各巻の解題】
『藤本卓教育論集 《〈教育〉〈学習〉の並行シェーマ》へと向かう六つの論稿』
この小冊子に収めた六編の論稿(2008年~2019年)は、すべて大東文化大学の紀要に掲載されたものである。ただし発行部署には異同がある。執筆時期(紀要発行年)の順に並べ、番号を付した。前半三編については、本人の書いた概要が残っていたので、それを掲載し、後半三編の概要は、編集者が新たに作成した。
⑴ 悦ばしき”学び”、か?
─柳田國男における「マナブ」と「オボエル」の対照のトポスについて─
大東文化大学紀要 第46号 <人文科学> 2008年3月
[わが国の民俗学の創始者・柳田國男には、教育論にかかわって、これまでほとんど回避されてきた議論が存在する。通有の「マナブ」と「オボエル」の価値づけを逆転させ、近代教育/学校における「マナビ」の瀰漫を批判した議論である。本論文は、この柳田の議論を正面から検討し直し、その核心的論点を救抜して教育課程の全体構造論に取り入れることを企図している。]
⑵ ”パストラル・ケア"、その叢生と褪色
─英国公教育に"生活指導" の似姿を垣間見る─
大東文化大学紀要 社会科学 (47)、2009年3月
[教育認識の概念としての「生活指導」は、移植概念ではなく、日本の教育界に根生いの概念であるが、英国には類似のものとして“Pastoral care” という概念が存在する。”生活指導概念“ と同様に、学校現場での実践的必要から生まれ、一時期は広範な使用が見られるとともに、その名を冠した学会も誕生したが、概念としての安定を得られぬまま近年ではその使用も下火となっている。本論文は、この”パストラル・ケア”概念の英国公教育での叢生と褪色のプロセスを検討しており、後に企図する「生活指導」概念との比較に備えている。]
⑶〈教え〉と〈育て〉のメタ・カリキュラムに向けて
─戦後教育基礎論を"柳田國男"で賦活する─
大東文化大学紀要 人文科学 (48)、2010年3月
[2008年3月の同紀要論文「悦ばしき “学び” 、か?」に接続する論稿である。柳田は「マナブ」と「オボエル」の二つを区別し、対照さるべき学習様式を指すべきものとした。一方、戦後教育基礎論には教育様式の二区分枠組みが存在する。なかでも城丸章夫のそれは「教育的はたらきかけ」の様式を明確に二つに区分するもので、筆者はその城丸の区分枠組みを通有口語における「教える」と「育てる」の対比に引き寄せて把握する。こうして、城丸の論と柳田の着眼を左右から対照させると教育課程の基礎構造をなす骨格枠組みが捉え直されると本稿は主張する。]
⑷ フランス語に「学習」という言葉は存在するか?
─Apprendre/Apprentissageという語の理解について
教育学研究紀要 (4), 2013年3月
大東文化大学大学院文学研究科教育学専攻
【表題に掲げた問題を、フランスの教育学者O.ルブールをひもときながら、考察した論稿。
apprendreという動詞は、「知る」「覚える」「学習する/勉強する」と三つの意味があり、行為を示す名詞は、それぞれ「information」「apprentissage(徒弟修業に由来する)」「etude」となる。ルブールのいう《apprendre》の第2類型の名詞《apprentissage》は、その概念内容において柳田のいう《〈覚える方式〉の学習》にほぼ重なる。こう論じて、藤本はルブールの《見習い修行のパラドックス》から、柳田國男由来の新しい用語《習い覚えのパラドックス》を作りだした。】
☆見習い修行のパラドックスとは、「人は鉄を鍛えてこそ鍛冶屋になる。しかし、まだ鍛冶屋でないのに、どうやって鉄を鍛えるというのであろうか」というパラドックス。O.ルブールは、アリストテレスに言及しながら、そう語っている。
⑸ "懐かしい言葉"になり逝くか?
─教育学〈術語〉としての「生活指導」の向後について─
教職課程センター紀要、2017年12月
大東文化大学教職課程センター事務室
【戦後の生活指導運動のリーダー、竹内常一の新著『ケアと自治/学びと参加 新・生活指導の理論』の末尾に記された「…「生活指導」ということばはなつかしいことばとして残るだけでいい…」という表現に強く刺激され、教育学〈術語〉としての「生活指導」を擁護するために書かれた論稿。同じ言葉が社会福祉分野でも使われているが、教育学固有の概念である「生活指導」は、日本の根生い(オリジナル)のものであり、決して「集団づくり論」で代表さるべきものでなく、“学級という制度”を問い直し、現代的な捉え直しがなされるべきである。教育は〈大人と子どもの関係行為〉であり、城丸章夫の《教育的働きかけには、相手の認識活動や思考活動に直接働きかける方法と、相手の行動に働きかけて、行動の中で並行的に形成されるものを望ましいものにしようとする方法の二つがあります。》という考えが、「生活指導」を「教科指導」と対照的なものとして、教育課程の中に位置付ける根拠となる、と藤本はしている。なお城丸テーゼは《⑶〈教え〉と〈育て〉のメタ・カリキュラムに向けて》においても詳しく論じられている。】
⑹ 「憶える」と「覚える」の区分について
─”オボエル”という語の漢字交じり表記に関するメモランダム─
大東文化大学 教育学研究紀要 第10号 2019年9月
【藤本は、柳田國男から〈マナブ〉と〈オボエル〉という対照的な学習方式を導き出していた。ところが、柳田は「オボエル」の漢字表記を、記憶・暗記の語義なら「憶える」(これはマナブに通じる)、“実際の経験(の累積)を自らの内に確かに認める(身につける)“という語義なら「覚える」と区分すべきとも主張している。(編集者の考えでは、〈オボエル〉に残るのは〈覚える〉だけになり、〈憶える〉はむしろ〈マナブ〉の方に入ることになる。つまり、図式の修正が必要。)そこで、天声人語、林家小三治、飯嶋和一、『窓ぎわのトットちゃん』を例に、「オボエル」の漢字表記を吟味した論稿。】
『藤本卓教育論集 第2巻〈制作ポイエーシス〉と〈実践プラクシス〉、そして〈教育のレトリック〉』
《〈制作ポイエーシス〉と〈実践プラクシス〉》(三回)、《断章〈教育のレトリック〉のために》(四回)の二つの連載論文を収録した。すべて『高校生活指導』に掲載されたものである。
各論文について、本人の書いた概要があったので、それを[ ]に引用する。
〈制作ポイエーシス〉と〈実践プラクシス〉―その㈠―
『高校生活指導』№86一九八六年七月
[生活指導論のパラダイム転換を目指して、まず「集団づくり」論の理論的性格を確定する準備作業を行った。その際、引照されたのは、政治学における「社会制作」という概念である。社会をさえ「制作」するという構えは、すぐれて近代的な政治姿勢であるが、「集団づくり」は、教育論としては珍しく自覚的に「制作」的な構えをとるところにその特徴がある、と考える。]
〈制作ポイエーシス〉と〈実践プラクシス〉―その㈡―
『高校生活指導』№91一九八七年七月
[上にいう「社会制作」の発想を西洋政治思想史の流れのなかに捉え返すとき、可能性と同時にその限定性もあきらかになる。ここで筆者は,直接にはハバーマスに導かれているのだが、かつてハンナ・アーレントが古典ギリシア思想を読解することから引き出した「制作(ポイエーシス)」と「実践(プラクシス)」の範疇的区別に着目するならば、かの近代的な「社会制作」の立場は決定的に相対化されることになる。]
〈制作ポイエーシス〉と〈実践プラクシス〉―その㈢―
『高校生活指導』№92一九八七年十月
[事実この日本にあっても、今日の社会的変貌は「制作」的な社会観の限界を表面化させてきており、新たなアプローチが求められている。それは、教育方法の基礎論にあっても同様である。その新たなパラダイムは、アーレントのいう狭義の「実践」範疇を今日的に彫琢し直す方向に探られるべきだろう。そこに、「レトリック=説得術」の伝統を教育方法の問題として採りあげる、という研究関心が浮上してくる。]
断章〈教育のレトリック〉のために⑴の①─久野収」の着眼を起点として
『高校生活指導』№129一九九六年五月
[竹内の「教育=レトリック」論の今日的な読みひらきを目指して、筆者自身、竹内の参照している久野収・三木清らの「レトリック(修辞学)」論の検討に着手した。三木・久野にあって、「レトリック」を単なる美文術としてでなく問題にする姿勢は、彼らの近代批判の志向に通底していることが確認された。]
断章〈教育のレトリック〉のために⑴の②─もう一つの『思考の仕方』
『高校生活指導』№130一九九六年八月
[三木・久野にとって「レトリック」とは、ある質量をもつ「もう一つの『思考の仕方』であり、もう一つの『論理』」である。人は、試行するとき、単に計算(論理演算)を行なうだけではない。むしろそうした「思考」こそ、特殊なものであって、それのみが表通りを跋扈する西洋近代以降の社会の在り方は、今日にあっては再検討の対象とさるべきことが主張される。]
断章〈教育のレトリック〉のために⑴の③─レトリックと『相互説得』
『高校生活指導』№131一九九六年十二月
[「レトリック」が「もう一つの『論理』」と言われるとき、それは端的には「『相互説得』の論理」を指している。それは、論理学で純化されてきた「三段論法」との対比で言うなら、「省略三段論法(エンチュメーマ)」をこそむしろ常態とする。だがそれは、完全に展開されたいわゆる「三段論法」の退化形ではない、という点への着眼が行われる。]
断章〈教育のレトリック〉のために⑴の④─『生活の言葉』とレトリック
『高校生活指導』№132一九九七年三月、
[そもそも「エンチュメーマ」とは何か。それは、思考の模範としての「三段論法」を省略したものではない。むしろ、それこそが人の思考の、ただし、常に他者と渉りあう存在としての人の思考の「細胞」なのだ。三木の「レトリック」論の読みひらきは、バフチーンの「生活の言葉」論と接合することが示される。ここから筆者の「レトリック」論は、久野や竹内とも、そして彼らの依拠していたコードウェルともやや距離をとることになる。]
付記
この二つの連載の間で、藤本卓は『竹内常一 教育のしごと 第1巻生活指導論』(一九九五年、青木書店)の解説として《教育のレトリックの方へ─「竹内=生活指導論」の誘い》を書いている。
『藤本卓教育論集 第3巻〈現代社会論〉から〈教育実践論〉へ』
……八編の論稿(1986年~1991年)を収録。
各論稿には本人の書いた概要が残っていたので、それを[ ]で掲載する。
現代の思春期葛藤と教育の課題
『教育学研究』53巻1号、日本教育学会 一九八六年三月
[学会の課題研究「現代社会における発達と教育」の総括シンポジウムへの口頭報告をもとに、それを要約文章化したもの。現代消費社会の表層をあてどなく漂うように見える少女の振る舞いを「パフォーマンスとしての人生論的探求」と把握し、それへの教育的介入の方途を演劇論的アプローチに探ろうとした。]
「私的トラブルへの幽閉」を深く越える(上)─今日の日本社会をどうとらえるか─
『生活指導』№374(明治図書)一九八六年九月
[近年の教育の困難は対処療法によっては打開されない。今日の社会変動のなかで、子ども・青年の発達問題はどのような質的変容を被っているか、こそが探られねばならない。そこに接近するため、まず、その地盤となるいわゆる「社会問題」一般の質的変貌の検討の必要性を指摘した。]
「私的トラブルへの幽閉」を深く越える(中)─今日の日本社会をどうとらえるか─
『生活指導』№375(明治図書)一九八六年一〇月
[主に社会学や政治学に依拠して行なったその検討の結果は、おおよそ以下のようにまとめられよう。戦後日本社会は70年代中葉に構造的変貌を経過しており、そこに生起してくる「社会問題」の主要な様態も質的に変化した。それにともない、その「社会問題」に対処すべき方策にも質的な更新が求められている。「脱・産業社会論」や「新中間大衆社会論」のもつ、一面での正しさを無視してはならない。]
「私的トラブルへの幽閉」を深く越える(下)─今日の日本社会をどうとらえるか─
『生活指導』№376(明治図書)一九八六年一一月
[右の分析から次のような見取り図を描いた。かつて「公的争点(パブリック・イシュー)」としての解決が図られていた社会問題が後景に退き、今日主要な社会問題は、むしろもっぱら「私的悶着(プライベート・トラブル)」としての性格を深めている。それらへもなお「公共的」に対処してゆくためには、「共同課題(コミューナル・マター)」として問題を深く捉える視野を開かなければならない。教育における「登校拒否」問題などは、まさにそうである。」
生活指導実践は『学校』を問う
『高校生活指導』№99 一九八九年三月
[新たな質をもつ教育問題に応接する回路を探るとき、これまでの生活指導実践論のなかからあらためて汲み直すべき遺産は何か。筆者はその端緒を、60年代に行なわれた「生活指導の学校論的把握」に見出す。本来の生活指導実践は、「学校」の隠しもつヒドゥン・カリキュラムの反転へと迫りうるというところにこそ固有の意義がある、と主張される。]
共同の世界に自治と集団の新生をみる
─〈公〉でも〈私〉でもない〈共〉と〈協〉について
『高校生活指導』№104 一九九〇年五月
[先に導入された〈公〉と〈共〉と〈私〉の三区分論をさらに展開し、それを生活指導の新たな実践構想へとつなぐことを試みた。そのさい実践構想のラディックスとして参照されるのは、さまざまな「新しい社会運動」、わけても「コミューナル・マター」を集団的自助・相互扶助によって自前で解決してゆこうとする「協同(ゲノッセンシャフト)型」の社会運動である。]
日本語にモラルという言葉はあるか!─教育の”道徳”化の動向について
『ひと』№209 太郎次郎社 一九九〇年五月
[89年の指導要領改定にともなう「日の丸・君が代」の強制の問題への批評に絡めて、戦後社会の深部に生じてきている個的自立への希求の教育論的可能性について論じた。そのさい、明治の内村鑑三の生き方と近年の小説(干刈あがた『黄色い髪』)の主人公の思いとの間に通いあうものの存在を指摘している。]
「この子はとりあえず私の子です」のふぃろそふぃあ
『学校が変わる・先生が変わる』(〔ひと〕文庫・太郎次郎社刊)一九九一年六月
[『学校が変わる・先生が変わる』(太郎次郎社刊)所収の解説小論文。〈公・共・私〉の三分説の展開を含む。]
【付記】
八〇年代後半、藤本卓は、「集団づくり」論(六〇年代)とは違う、新しい生活指導論の構築を模索し、並行して、二種類の原稿を連載している。
《現代生活指導論・探求のための準備ノート⑴〈制作〉と〈実践〉》は、政治学的アプローチを試みたもの。藤田省三、丸山真男、マキアベリ、ホッブス、アリストテレス、ハーバマス、ハンナ・アーレント、と古今東西の政治学の世界を渉猟し、最後はシクロフスキー、ブレヒトを経由して〈異化〉の概念にたどり着く。(『高校生活指導』八六年七月、八七年七月、一〇月の三回連載。『藤本卓教育論集第2巻』に収録)
《現代生活指導論・探求のための準備ノート⑵「私的トラブルへの幽閉」を深く越える》は社会学的アプローチを試みたもの。「今日の日本社会をどうとらえるか」という副題の通り、社会学的なデータや知見をもとに現代日本の特徴を捉え、問題点とその解決の方向をさぐったもの。特にライト・ミルズを参照しながら、〈社会的ソーシヤルコンフリクト(矛盾)〉、〈私的トラブル(紛糾)〉、〈公的イシュー(争点)〉という概念を駆使している。(『生活指導』八七年九月、一〇月、一一月の三回連載。本巻に収録)
《日本語にモラルという言葉はあるか!─教育の”道徳”化の動向について 》《「この子はとりあえず私の子です」のふぃろそふぃあ 》は、ともに「日の丸・君が代」の強制問題に直面する学校現場の友人(高校のO君、小学校のN君)にあてた手紙という体裁で書かれている。内村鑑三や干刈あがたなど、同じ話題が繰り返されていて、連続した原稿(あるいは同じテーマのヴァリエーション)として読むことができる。
『藤本卓教育論集 第4巻〈世代の自治〉の再発見へ』
ⅠとⅡに分かれる。Ⅰには、藤本卓が提起していた〈世代の自治〉に関する三つの論稿、及び高生研第35大会の基調討論を収めた。Ⅱには、劇評、映画評、書評、エッセイなどを収めた。各論稿には本人の書いた概要が残っていたので、それを[ ]で掲載する。
子ども・青年の自治権を本気に考える
『高校生活指導』№133 一九九七年夏
[全国高校生活指導研究協議会、第35回大会の基調討論発題として執筆。近年のいわゆる「いじめ」問題の語られ方への違和の表明から出発し、「80年代非行」への取り組みの経験から学ぶべき教訓を振り返ったとき、今何よりも強調されなければならないのは、子ども・若者世界の尊重である。子ども・若者には、大人の侵襲を免れた自律的世界を確保すべきある種の「自治権」が存在するとして、その着眼を「世代の自治」という造語で表現した。]
子ども・青年の自治権を本気に考える(高生研第35回大会基調討論・発題)
『高校生活指導』№134 一九九七年秋
第35回大会当日の記録で、藤本の発題、四人のパネリストからの発言、藤本からの付け加えなどからなる。付け加えの中で、開放系の訓練論、閉鎖系の訓練論というのが藤本の造語であることが語られている。
〈世代の自治〉の再発見へ
『高校生活指導』№135 一九九八年冬
[前項の問題意識を、教育基礎論としての「世代間関係」論の視野まで素光して、再度考究した。「子ども・若者を明確に大人と区別しつつ、嘘でなく大人扱いする」という教育姿勢にこそ「訓練論」の要諦があり、未成年世代を自治権をもつ集団として遇することが、その矛盾を生きたものにする途であると主張する。前近代の「若者組」の習俗から学ぶと同時に、アソシエーション型の「世代の自治」を構想することが今後の課題と指摘した。]
教育と世代間の問題
『日本の科学者』35(3)、二〇〇〇年三月 日本科学者会議
[この間主唱してきた「世代の自治」論を、本稿ではさらに広い視野のなかに位置づけ、戦後教育学における「世代間関係視点」の脆弱化の問題を自覚するべく論じている。したがって、「世代の自治」に向けて取り組み課題も、学校教育実践ばかりでなく、年齢に関わる法制度など全社会的な成人システムという広がりで考えるべきことを指摘している。]
時代にかかげる〈鏡〉の角度─『教員室』をめぐって─
『生活指導』№352 一九八六年三月
[山田太一作、地人会公演『教員室』の劇評]
奴に逢ったら 自由空間─私のブレヒト
『新日本文学』一九八六年九月
岡安伸治「世仁下よにげ乃一座」にふれたエッセイ。ちなみに、藤本は『高校生活指導』で「現代を聴く」と題した六回連続のインタビューを行っている。岡安を対談相手に選んた回(№98一九八九年二月)のタイトルは「社会を刺し、時代を哄う現代演劇」である。
劇評「こまつ座『黙阿弥オペラ』」
『演劇と教育』(晩声書房)№470 一九九五年四月
[劇評]
映画評「音のない世界で」
『演劇と教育』(晩声書房)№475 一九九五年八月
[映画評]
生命(こども)への畏敬
『演劇と教育』(晩声書房)№562 二〇〇四年三月
[特集「心の教育ってなんだ」に寄せた巻頭エッセイ]
書評「都市をどう生きるか」
『生活指導』№339 一九八五年四月
[宮本著(小学館刊)の書評]
書評 〈畑〉は〈森〉にどうつながるか─里見実著『学校でこそできることとは、なんだろうか』 『國學院雑誌』№1189 二〇〇六年五月
[里見実著『学校でこそできることとは、なんだろうか』(太郎次郎社エディタス)への書評]
学びの窓・断章をめぐって
『ひとネットワーク』№3(太郎次郎社) 一九九八年八月
[谷川俊太郎「見えないこども」に触れた巻頭コラム]
以上。