つかしんカルチャーで「おもしろ文学」という講座をやっています。
2013年4月から、尼崎市のつかしんカルチャーで「おもしろ文学講座」を始めました。ここでは絵本から児童文学、そしておとなの文学作品まで、幅広く扱うことにしています。毎月第2水曜10時半から90分。
2013年度
4月 絵本を読む①
5月 絵本を読む②
7月 夏目漱石「坊なちゃん」
9月 菊池寛「形」「入れ札」
10月 川端康成「伊豆の踊子」
11月 池谷信三郎「忠僕」
12月 志賀直哉「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」
2014年1月 中島敦「山月記」「名人伝」
2月 太宰治「カチカチ山(御伽草子)」
3月 谷崎潤一郎「春琴抄」
2014年度
四月 黒井千次「子供のいる駅」
五月 筒井康隆「北極王」
六月 椎名誠「岳物語」
七月 山田詠美「海の方の子」
八月 村上龍「料理小説集」
十月 石川淳「アルプスの少女」
十一月 安部公房「棒」
十二月 大江健三郎「不意の唖」
一月 川上弘美「センセイの鞄」
二月 堀江敏幸「スタンド・ドット」(『雪沼とその周辺』所収)
2015年度
4月 夏目漱石「夢十夜(第三夜)」(1908)
5月 横光利一「蠅」(1923)
6月 佐多稲子「水」(1962)
7月 木下順二「女工哀史」(1963)
8月 井上ひさし「ナイン」(1987)
9月 池澤夏樹「絵はがき屋さん」(『南の島のティオ』所収)(1992)
10月 水上勉「寺泊」1976 (短編)
11月 向田邦子「かわうそ」1955(短編)
12月 梨木香歩「西の魔女が死んだ」新潮文庫(各自で準備)
01月 伊集院静「朝顔」2005(短編)
02月 上橋菜穂子「精霊の守り人」新潮文庫(各自で準備)
03月 宮本輝「力道山の弟」1989(短編)
2016年度
04月 森絵都「風に舞いあがるビニールシート」(文春文庫)
05月 村田喜代子「望湖」(100年の名作第9巻)
06月 辻原登「塩山再訪」(100年の名作第9巻)
07月 江國香織「清水夫婦」(100年の名作第9巻)
08月 吉村昭「梅の香」(100年名作第9巻)
09月 津村節子「初天神」(100年名作第9巻)
10月 村上春樹「アイロンのある風景」(100年の名作第9巻)
11月 吉本ばなな「田所さん」(100年の名作第9巻)
12月 山本文緒「庭」(100年の名作第9巻)
01月 小池真理子「一角獣」(100年の名作第9巻)
02月 重松清「セッちゃん」(100年の名作第9巻)
03月 浅田次郎「ラブ・レター」(100年の名作第9巻)
2017年度
04月 北村薫「ものがたり」(100年の名作第8巻)
05月 阿川弘之「鮨」(100年の名作第8巻)
06月 中島らも「白いメリーさん」(100年の名作第8巻)
07月 開高健「掌のなかの海」(100年の名作第8巻)
08月 田辺聖子「薄情くじら」(100年の名作第8巻)
09月 高井有一「半日の放浪」(100年の名作第8巻)
10月 深沢七郎「極楽まくらおとし図」(100年の名作第8巻)
11月 小川洋子「バタフライ和文タイプ事務所」(100年の名作第10巻)
12月 桐野夏生「アンボス・ムンドス」(100年の名作第10巻)
01月 吉田修一「風来温泉」(100年の名作第10巻)
02月 恩田陸「かたつむり注意報」(100年の名作第10巻)
03月 三浦しおん「冬の一等星」(100年の名作第10巻)2013年度
絵本を読む ―小説へのプロローグ
絵本を読むためのヒント(小説を読むためのヒント)
別のジャンルの芸術・文化と比較すると、絵本を読むためのヒントが見えることがある。
絵本は、《絵画、巻物、マンガ、映画、小説》とどこが同じでどこが違うのだろうか。
例えば、人物をどの大きさで描いているか、どの位置・角度から描いているか。映画の画面の人物サイズ(フルショット、ミディアムショット、バストショット、クローズアップ)、カメラワーク、モンタージュ、などが参考になる。
基本形としての赤ちゃん絵本
・『いないいないばあ』1967、松谷みよ子/瀬川康男……コンビの仕事
①赤ちゃん絵本の絵の特徴
☆人物を正面から描く。
☆サイズを固定化して変化させない。(フルショット=全身を描く)
※違うページのものが同じものであることがわかる。
②ことばの繰り返し、内容の反復
☆次が予想でき、その予想が実現することの快感。(思った通りや、わかったで)
☆繰り返し・反復は変化を伴う(ねこ、くま、ねずみ、きつね、のんちゃん)
☆最後がそれまでの繰り返し・反復と違う。(このページが終わりになる)
③絵本の特徴は「めくる」ことにある。めくると別の世界が開ける。
④絵とことばの配置
☆この絵本では右と左に分けてある。ではそれぞれの人物はどちらのページにいたか?配置がリズムを生む。
⑴繰り返しという方法
昔話では繰り返しがよく出てくる。繰り返しは物語の大切な形式のひとつ。でも単純な繰り返しではあきるし、終わらない。繰り返しに変化を持たせ、きちんとした終わり(帰着点)が必要。
例a『てぶくろ』エウゲニー・M・ラチョフ絵、内田莉莎子(内田魯庵の孫)訳
b『でんしゃにのって』とよたかずひこ
c『コロちゃんはどこ?』エリック・ヒル……《仕掛け絵本の楽しさ》
d『わにさんどきっ はいしゃさんどきっ』五味太郎
……おなじことばを二人が繰り返す面白さ
e『どこへいくの?ともだちにあいに!』いわむらかずお/エリック・カール
……いぬ、ねこ、にわとり、やぎ、うさぎ、こどもの言うことが繰り返しであると同時に、これがいわむらかずおの絵本世界(右開き)とエリック・カールの絵本世界(左開き)で繰り返される。真ん中で二つの世界が出会い、一つにとけあう(仕掛け絵本でもある)。
絵本の文法
《右開きの本の進行方向は左、左開きの本の進行方向は右》
小説の場合も「繰り返し」という方法は、主題を示唆、強調する手段となる。
例えば、川端康成「伊豆の踊子」では《旅芸人に対する差別》が、茶店のお婆さん、宿のおかみさん、村の入り口の立て看板「物乞い旅芸人村に入るべからず」という具合に繰り返されている。
⑵ことばが語ること、絵が語ること、「ことばと絵の関係」が語ること
・『14ひきのひっこし』いわむらあきお
☆コード化されている登場人物たち。一人一人のキャラクターは、ことばで書いていなくても、絵が語っている
☆表紙とカバーの絵が違う。発見の喜び。→『かいけつゾロリ』も
絵本の場合、「ことばの語っているもの」と「絵の語っているもの」が同じでないことに大きな意味がある。
・『リリィのさんぽ』きたむらさとし
……リリィの見ている世界(穏やかでありふれた日常)と、犬のニッキーの見ている世界(恐いもの、無気味なものがいっぱい)が違う。ことばはもっぱらリリィに即して語られている。食事の場面、よく見るとトマトジュースのパックが、おとうさんの顔もなんとなく……
・『なみにきをつけて、シャーリー』ジョン・バーニンガム
……左のページ(浜辺の椅子で休む夫婦)と右のページ(海で海賊と戦い宝物を探す冒険/シャーリーの空想)が全く違う世界になっている。ことばは母親のシャーリーに対する口うるさい注意だけであるが、シャーリーが実際には何をしているかを示してもいる。表紙と裏表紙もまた二つの世界を示している。
絵本は「ことば+絵」でできている。
a ことばの線条性(時間の芸術)
……ことばは一度には読めない。音楽、映画、演劇、小説などは「時間の芸術」である。どの「順番」に語るが重要。絵本はほとんど一直線に語られる(過去に戻ったりすることは少ない)。
b 絵の現示性(空間の芸術)
……絵は一度に全体を見ることができる。そして部分に注目することもできる。どこに焦点をあわせるか、その「順番」は見る者にゆだねられている。
☆絵が出来事だけでなく、人物の心情、性格などを語っている場合もある。
☆「絵本」は一枚の絵とは違い、絵と次の絵で意味が生まれる(モンタージュ)
めくることで時間が生じ物語が生まれる。
c ことばが絵の意味をコントロールする
……絵だけなら見る者がいろいろ自由に意味づけできるが、ことばが加わると絵の意味が制限される。
d 絵がことば以上の意味を表わすことがある(絵の方が情報量が多い)
一枚の絵をことばで表現しようとしてもできない。
⑶同じテーマの絵本を比較してみる
・『おつかい』さとうわきこ、1974年
・「いやあよ」の繰り返しと帰着点。
・表紙、裏表紙にも意味がある。
・『はじめてのおつかい』筒井頼子/林明子、1975年
・主人公の気持ちへの同化。
・そっと隠されているものに気づいたときの楽しさ。……作者からの目配せ。
小説の場合も、同じテーマの作品を比較してみると、それぞれの特徴や問題が見えてくる。例えば、評論家斉藤美奈子は『妊娠小説』で明治から昭和までの「望まない妊娠」を扱った小説を集めて論じている。森鷗外「舞姫」、島崎藤村「新生」、石原新太郎「太陽の季節」、大江健三郎「われらの時代」、村上春樹「風の歌を聴け」など。
現実に起きた金閣寺放火事件を題材にして、三島由紀夫は『金閣寺』を書き、水上勉は『金閣炎上』を書いた。比べてみると、事件に対するとらえ方や作家としての資質の違いがよくわかる。
今日のおススメの本、『名作うしろ読み』斎藤美奈子(2013年、中央公論社)
⑷外国の絵本はどう翻訳されているか
・今江祥智はマイク・セイラー文/ロバート・グロスマン絵の作品を『ぼちぼちいこか』と関西弁で訳した。
・ジョン・バーニンガムの『Oi! Get Off Our Train』 1989の二つの訳
A『おーい、おりてよ』1989年、俵万智訳
B『いっしょにきしゃにのせてって』1995年、長田弘訳
☆この絵本のおもしろい点は、最後のページだろう。ファンタスティックな展開があっても、「夢でした」「空想でした」となって現実に戻るのが、一般的。ところがこの本では、眼が覚めても、夢の世界が現実にはみ出してきている。
☆絵を比較すると、二つ違いがある。一、Aでは列車の名前が書いてある。二、あるページの列車の進行方向が違う(絵が反転)。
☆訳を比較すると、AよりもBの方が、人間の責任(自然破壊、動物絶滅の)がはっきりとわかる。
☆この絵本にはいくつかのパラテクストがついている。
①献辞(ブラジルのチコ・メンデスに)ABとも
②作者からの謝辞A(JR西日本と蒸気機関車義経号への)
③訳者のあとがきA
④出版社からの内容紹介B
☆パラテクストというのは《表紙、カバー、献辞、まえがき、あとがき、帯、題名、目次、ふろく、解説など》、そのテクスト(本文)の周辺にあるもの。テクストの理解に役立つこともあるが、テクスト理解を方向づけてしまう(先入観を与えたり、読み方を規制したりする)こともある。
小説の場合も、翻訳によって作品の印象、読みやすさなどが変わってくる。最近は外国文学の新訳ブームで、例えばドストエフスキーの亀山郁夫訳が話題になった。またサリンジャーの野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』を、村上春樹が新しく『キャッチー・イン・ザ・ライ』として翻訳した。訳が複数ある場合は、ちょっと読み比べてみて、選んだ方がよい。
№2 絵本を読む ―小説へのプロローグ②
⑴絵本は、作家(ことば担当)と画家(絵担当)の二人の共同作業でできている。
作家と画家、それぞれの個性が、うまく相乗効果を生んだ場合には優れた作品が生まれる。ここでは、児童文学作家が絵本のことば(物語)を作った例を紹介する。
①梨木香歩(1959年~)
……『西の魔女が死んだ』(1994年)がベストセラーとなり、映画化(2008年)された。『裏庭』で日本フアンタジー大賞。大人向けの作品も書き始め『沼地のある森を抜けて』(紫式部文学賞)、『渡りの足跡』(読売文学賞)などを受賞。
梨木香歩は三人の画家と組んで、タイプの違う絵本を同時期に四作作っている。
『ペンキや』(2002年、)
『蟹塚縁起』(2003年、絵・木内達朗)
『マジョモリ』(2003年、絵・早川司寿乃)
『ワニ ジャングルの憂鬱草原の無関心』(2004年、絵・出久根育)
②森絵都(1968年~)
……『リズム』『宇宙のみなしご』『アーモンド入りチョコレートのワルツ』『つきのふね』『カラフル』『DIVE!!』などで各児童文学賞を獲得。大人向きの小説も書いていて『風に舞いあがるビニールシート』(2006年)で直木賞を受賞。
絵本としては『にんきもののひけつ』シリーズ(1998年~2001年、絵・武田美穂)がある。
⑵絵本作家は、一人で二人分(物語作家+画家)の仕事をする。
物語を作ることと、絵を描くことは、どちらが専門性が高いか、といえば、もちろん絵を描くことです。絵だけを描いていた人が、おはなしも書くようになる場合は時々あるが、その逆はあまり見かけない。
例えば林明子は、『はじめてのおつかい』(筒井頼子さく)や『おふろだいすき』(松岡享子・作)の絵を描いていたが、やがて自分の物語を紡ぎ、絵を描き、ベストセラーとなった名作『こんとあき』を生み出した。絵本作家の誕生。
⑶四人の絵本作家に即して
a モーリス・センダック(1928年~2012年)
初期三部作
・『かいじゅうたちのいるところ』(1964)
※世界中で2000万部以上売れた大ベストセラー。多くの研究書がある。映画化もされた。
・『まよなかのだいどころ』
・『まどのそとのそのまたむこう』(1982)
チェンジリング
ヨーロッパには、ゴブリン(小鬼)が子どもをさらっていき、その代わりに醜い子どもを置いていくという伝承がある。センダックの『まどのそとのそのまた向こう』はこの伝承に基づいている。
大江健三郎は友人であり義兄でもある伊丹十三(俳優・監督)の自殺を扱った小説を書いている。『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)で、その終章は「モーリス・センダックの絵本」というタイトル。この『まどのそとのそのまたむこう』が中心に据えられている。またクリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の『チェンジリング』2008年という映画もある。
b ジョン・バーニンガム(1936年~)
・『なみにきをつけて、シャーリー』1978年…前回取り上げた
・『ねえ、どれがいい?』1983年
・『いつもちこくのおとこのこージョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』1988年
・『ガンピーさんのふなあそび』1976年
☆一人また一人と増えて行く。繰り返し。その到着点(破局点)を経て元に戻る。
・『いっしょにきしゃにのせてって』1995年、長田弘訳…前回取り上げた
(『おーい、おりてよ』1989年俵万智訳)
・『ひみつだから!』
・『アルド・わたしだけのひみつのともだち』(谷川俊太郎訳、あとがき)
訳者あとがきより抜粋
主人公だけには見えて、他の人には見えない存在の物語は古今東西を問わず、他にもいろいろあります。とすると、この「アルド」という絵本も、作者であるバーニンガムの創作であると同時に、もっと普遍的な深い人間の心にその根をおろしていると言えるでしょう。…(略)…子どもには親にも兄弟姉妹にも友だちにも言えないことがあります、しかしそのようないわばその子だけの秘密が、子どもの心を大人へむけて深めるのだということは、多くの人が説くところです。その秘密をわかちあえる相手が子どもには必要なのです。広い意味では、本もマンガもペットもポケットのなかのがらくたも、そのような子どもの成長の秘密にかかわっていると思いますが、時にはこのアルドのような存在が子どもをとりまく世界からひととき子どもを守り、大人の社会への橋渡しの役割をはたすのではないでしょうか。
c きたむらさとし(1956年~)
1979年よりイギリスへ。特徴的な青い色、書き文字で《きたむらさとし》とすぐわかる。最初は絵を描いていたが、お話部分も書くようになり、絵本作家となった。
・『ぼくはおこった』(ハーウィン・オラム/きたむらさとし)
☆マザーグース賞(絵本の新人画家に贈られる)を受ける。
・『ふつうに学校にいくふつうの日』2005年
(コリン・マクノートン/柴田元幸訳/きたむらさとし)
・『リリィのさんぽ』2005年……前回取り上げた。
・『おんちのイゴール』2006年
・『パブロのてんらんかい』2007年
・『ミリーのすてきなぼうし』2009年
夢をどう描くか
『パブロのてんらんかい』で、スケッチに出かけた象のパブロはお弁当を食べたあとに昼寝をして不思議な夢を見ます。いろんな動物がやってきて、パブロの絵に手を加えていくのです。夢から覚めたパブロは、どう描けばいいかが分かったぞといって絵を完成させる。夢の中で《狼がどんな風に手を加えたか》は、読者に見えません。またパブロが、《狼が手を加えた絵》をヒントにして、実際にどんな絵を描いたかも読者にはわかりません。その二つが明らかになるのは、最後のページです。そして、そのページをよく見ると、……もう一つの驚きが待っています。
d 長谷川集平(1955年~)
映画監督浦山桐郎は母方の叔父にあたる。映画好きとしても有名で、『映画未満』という評論集もある。(スイスの映画監督アラン・タネールの『ジョナスは2000年に25才になる』についての言及あり)2002年から京都芸術造形大学客員教授。長崎市在住。奥さんのくんちゃんとチェロ・ギタバンドを組んでいる。
・『はせがわくんきらいや』1976年……デビュー作。
・『とんぼとりの日々』1977年
・『トリゴラス』1978年
・『とんぼとり』1994年(『とんぼとりの日々』リメイク版)
・『パイルドライバー』2004年
・『トリゴラスの逆襲』2010年(32年ぶりの続編)
3・11以後長谷川集平はそれまでの作品とは違った『小さなよっつの雪だるま』を作る。
・『小さなよっつの雪だるま』2011年
・『およぐひと』2013年
語っているのは誰か?
物語には必ず語り手がいるのだが、その語り手は作者とは限らない。作者が自分とは違うある人物を語り手として設定している場合もある。(性別、年齢を)
長谷川集平の『はせがわくんきらいや』の場合も、友だちを語り手に設定したことの意味・効果が大きい。もし、はせがわくん自身が語り手だったら、この作品は全く違った色彩のものになる。
武田美穂の『となりのせきのますだくん』は語り手を小学一年生のみほちゃんにしている。主観の世界だからこそ、ますだくんは怪獣として描かれている。作者は最後のページで、みほちゃんの視点から離れ、客観的な世界も提示している。
改稿、あるいはリメイクについて
小説の場合、本にする時に作者が元の原稿を作り変えることがある。芥川龍之介が「羅生門」のラストを「下人の行方は誰も知らない」と書きかえたことは有名。また長年教科書にも採られていた「山椒魚」を1985年に自選全集に入れる際、作者井伏鱒二がラストの部分を56年ぶりに削除・改稿したことは、野坂昭如をはじめ多くの人々から批判され、文学的な事件になった。
推理小説の高村薫は、単行本を文庫にするときに、かなり手を入れるので、作品の印象がかなり変わる。『レディ・ジョーカー』などは文庫版の方が明らかに優れている。
長谷川集平は自分の絵本『とんぼとりの日々』を、十七年後、『とんぼとり』にリメイクした。二つの絵本を読み比べてみれば、作家としての成長ぶりがわかる。
続編について
池波正太郎の鬼平犯科帳、東野圭吾の探偵ガリレオなど、エンターティンメント・娯楽作品の世界では、続編とかシリーズは当たり前のこと。絵本の世界でも、『ぐりとぐら』とか『『ノンタン』とか人気作品はシリーズに。児童文学の世界なら『赤毛のアン』『ドリトル先生』など。
純文学の世界でも、大江健三郎(『取り替え子』以降の作品では長江古義人もの)、中上健次(『岬』、『枯木灘』、『地の果て至上の時』などの秋幸もの)、村上春樹(『風の歌を聴け』、『一九七三年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の初期三部作)などは、同じ人物が登場する作品、続編を書いている。
長谷川集平の『トリゴラス』は少年の空想の世界(性的な関心と不安)を描き、読者から高い支持を得た。三十二年後の続編『トリゴラスの逆襲』続編では、〈少年の空想の世界〉は〈少女の夢の世界〉に取り込まれるという二重構造になっている。《トリゴラスに破壊される街を逃げ惑う人々》と《かおるちゃんと二人きりの世界》とに引き裂かれる少年が描かれていて、作品は主題的にも深化している。
宮沢賢治を読む -注文の多い料理店、銀河鉄道の夜-
1 宮沢賢治について
生前の宮沢賢治(1896年~1933年)が出版したのは、童話集『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』だけである。死後に残された原稿から、現在の全集が編集されている。
・1896 岩手県花巻市に生まれる。父は裕福な質屋で、熱心な浄土真宗信者。
・1918 盛岡高等農林学校卒業。土壌研究など、童話を書き始める。
・1920 日蓮宗国柱会に入会。⇒両親の改宗を
・1921 郡立稗貫農学校の教師となる。
・1922 妹トシ死去。⇒「永訣の朝」など
・1924 詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』出版。
・1926 農学校退職。羅須地人協会を設立。農業啓発運動に。無料で肥料設計などを。
・1933 死去(37歳)
《主な作品》
どんぐりと山猫、風の又三郎、なめとこ山の熊、セロ弾きのゴーシュ、よだかの星、グスコーブドリの伝記、など。
※科学者であることと、宗教者であること(浄土真宗と法華経との対立、菜食主義、性に対する禁欲)
※西洋文化への憧れ(レコード、音楽劇エスペラント語)と郷土に留まること(イーハトーブ/岩手)
※実家の商売(質屋、高利貸)に対する罪悪感、貧しい農民に対する同情、経済的に自立できない(実家に依存)
※「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術論綱要』)
※「雨ニモマケズ風ニモマケズ……」
2 注文の多い料理店
・二人の紳士はどのような人物として描かれているか。
・「ぜんたい、ここらの山はけしからんね。……」
・犬が死んで、「じつにぼくは、二千四百円の損害だ。」
・《風がどうと吹いてきて草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。》……オノマトペ(擬音語・擬態語)。これと同じ一文がもう一度出てくる。
・《その時ふとうしろを見ますと、立派な一見の西洋造りの家がありました。》看板がこの家の正体を暗示している。……本文の中では「山猫」という言葉は出てこない。
ここから先、二人は、扉に書かれた文字の意味を自己流に(自分勝手、自己中心的に)解釈していく。
①どなたもどうかおはいりください。決してご遠慮はありません。
・ただでごちそうするんだ。/ご遠慮はありませんということばづかいの誤りは?
②ことに太ったおかたや若いおかたは、大歓迎いたします。
☆どうしてこんなにたくさんの戸が?ロシア式だ(知ったかぶり)
③当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。
・はやってるんだ。⇒本当の意味に気づくのは最後
④注文はずいぶん多いでしょうがどうぞいちいちこらえてください。
・注文が多くて、したくに手間取るけれどもごめんください、ということだ。
……文を素直に読めば紳士のような解釈にはならない。
⑤お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。
・作法のきびしい家だ、きっとよほど偉い人たちが来るんだ。
……ブラシがかすんでなくなったり、風がどうっと吹く、不思議な現象。
⑥鉄砲と弾丸はここへ置いてください。
・~という法(やり方)はない、よほど偉い人が始終来ているんだ、と自己納得。
⑦どうぞ帽子と外套と靴をおとりください。
・しかたない。たしかによっぽど偉い人なんだ、奥に来ているのは。
☆二人はしきりに「偉い人」を口にしている。これは何を意味しているか?
⑧ネクタイピン、カフスボタン、めがね、さいふ、その他金物類、ことにとがったものは、みんなここに置いてください。
・何かの料理に電気を使うと見えるね。金けのものはあぶない、ことにとがったものは。
……ここでも知ったかぶり
⑨壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。
・外と部屋の中の温度差で、ひびがきれるから、と解釈。よほど偉い人が。
⑩クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか。
・ここの主人はじつに用意周到だね。よく気がつくよ。
⑪料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭にびんの中の香水をよく振りかけてください。
☆「たべられます」の意味の二重性
・へんに酢くさい。下女がかぜでもひいてまちがえて入れたんだ。……どこまでも
⑫いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだじゅうに、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。
……どうもおかしいぜ。やっと気づく。
⑬いや、わざわざご苦労です。たいへんけっこうにできました。さあさあおなかにおはいりください。
☆ここで扉の向こうの二人(山猫の子分)の会話に変わる。カメラ位置が変わる。
・二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙くずのようになり、
☆死んだはずの犬が飛び込んできて、山猫と格闘、はぐれていた猟師も現れる。
……どこから「山猫」の力で、幻を見ていたのか
☆最後の一文
《しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいってももうもとのとおりになおりませんでした。》この文の意味は?
☆命をもてあそぼうとし、自分の犬の命も金にしか換算できないような、成金の「紳士」たちに対する批判。
☆ことばの理解のズレ、知ったかぶりや自分勝手な解釈、冷静な判断のできぬ愚かしさ
「注文の多い料理店」絵本作品
画家
出版社
出版年
特徴
三浦幸子
福武書店
1984
水墨画的、山猫いっぱい
島田睦子
偕成社
1984
木版画、ウェイターやコックなど
池田浩彰
講談社
1985
絵本的、空間広くカラフル
ススギコージ
三起商行
1987
イラストレーター、
小林敏也
パロル舎
1989
単色的、扉の色鮮やか
飯野和好
くもん出版
1992
絵童話、
宮本忠夫
ひさかたチャイルド
2007
カラフル、マンガ的
・山猫は描かれるか?
・扉は、そして文字はどう描かれるか?
・二人の紳士の服装は?二人の描き分けは?
・二人はどこまで服を脱いでいるか?
・猟師は描かれているか?
・童話では言及されていない人物が描き込まれているか?
・最後はどの場面の絵で終わっているか?
★著作権は没後五十年まで。だから1984年以降は自由に発行できるようになった。
3 銀河鉄道の夜
未完成のテキスト「銀河鉄道の夜」
「銀河鉄道の夜」は1922年ごろから書きだされ、1933年の死の直前まで何度も推敲されて未完成のまま残されたテキストである。ノンブルが打ってない原稿があったり、別の紙の裏に書かれてあったりで、きちんと整理された形では残されていなかった。そのため長い間、何を「銀河鉄道の夜」とみなすかが確定していず、文学全集や文庫本でも別バージョンのものが出ていた。その後入沢康夫、天沢退二郎らの厳密なテキスト検討の結果、現在は次のように確定されている。
①初期形 第一次稿(海豚から)
②初期形 第二次稿(ジョバンニの切符から)
③初期形 第三次稿(ケンタウル祭から)……1924年大正13年ころまでに
④最終形……1931年昭和6年ころまでに成稿
※現在、この四つのバージョンは全文、鎌田東二の『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫、2001年)で読むことができる。
初期形と最終形はどこが違うのか
①「セロのような声」、ブルカニロ博士、実験といった設定・要素が最終形では消える。
※教導者がいなくなり、ジョバンニはいっそう孤独になる。
・第三次稿は、最終形の四章から九章にあたる部分から成る。つまり、一、二、三章は最終稿で初めて出てきた。(ブルカニロ博士が消えて教室の場面が生まれた)
②カンパネルラとジョバンニの境遇をことさら対比させていたのが、修正される。カンパネルラと友達になれたら、という思いは、最終形では友達だった、という形に変わる。
変わらぬ部分はどこなのか
・「ほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。」「僕はほんたうにつらい」は一次稿から最終形まで一貫している。
この同行者を求める思いは、逆に言えば「誰を失った」ことから来ているのだろうか。
つまり、カンパネルラは誰の影か。妹とし子(1921年死亡)か、親友保阪嘉内か。
☆最終形の構成
一 午後の授業 ←最終形で初めて出てきた部分
二 活版所 ←最終形で初めて出てきた部分
三 家 ←最終形で初めて出てきた部分
四 ケンタウル祭の夜
五 天気輪の柱
六 銀河ステーション
七 北十字とプリオシン海岸
八 鳥を捕る人
九 ジョバンニの切符 ←この部分が全体の半分を占める。
『銀河鉄道の夜』の話の骨組み
⑴いじめられるジョバンニ。父の行方不明、母の病気、貧しさゆえのアルバイト、友人からの孤立。
⑵ジョバンニは、銀河鉄道の列車に乗り、カンパネルラと会う。実はこれは死者の乗る列車だが、ジョバンニはそれを知らない。幻想的で美しいイメージの宇宙を旅しながら、ジョバンニは「本当のみんなの幸い」を求めてどこまでも行こうと決意するが、気が付くとカンパネルラは消えて、自分一人。(この部分・夢)
⑶現実に戻ったジョバンニは、川に落ちたザネリを救おうとしてカンパネルラが行方不明になったことを知る。カンパネルラの父から、ジョバンニの父が帰ってくることを知らされる。
この物語には、宮沢賢治の思想や生涯を理解するためキーワードがちりばめられている。宗教に関して言えば、父(浄土真宗)との対立、法華経への信仰(国柱会)さらにキリスト教に対する理解など。自己犠牲については、蠍のエピソード、タイタニックで遭難した姉弟と青年のエピソード
後世の人々に与えた影響
・銀河を鉄道列車が走るというイメージは人々に大きな影響を与えた。松本零士のマンガ『銀河鉄道999』(1977年~)など。
・アニメ版「銀河鉄道の夜」(1985年)監督杉井ギサブロー、脚本別役実、音楽細野晴臣、原案ますむらひろし
・井上ひさし『イーハトーボの劇列車』(1980年)
・別役実『ジョバンニの父への旅』(1988年)
・高橋源一郎『銀河鉄道の彼方に』(2013年)
別役実の『銀河鉄道の夜』解釈について
※別役実(1937~)
……60年代以降を代表する劇作家の一人。2003~2009年、兵庫ピッコロ劇団の代表を務める。最新作は『不条理・四谷怪談』(2013年6月上演)
『イーハトーボゆき軽便鉄道』(1990年、リプロポート)
・作品の構造とストーリーとの間にズレがある。
・これは、ジョバンニ、カンパネルラの物語ではなく、「町」の物語である。
・「不在の父親への探索」「母親の庇護からの独立」……分身たる母親、父親と何度も出会う体験
・「父親の分身」としての①カムパネルラ、②「鳥捕り」、③共同体における「父親」
・二つの三角関係
⑴「ジョバンニ/カンパネルラ/ザネリ」
⑵「ジョバンニ/カンパネルラ/かほる」
・ザネリは「愛される」タイプの少年、もっとも深くしっかりと共同体に植え込まれている、共同体の代弁者。
・カムパネルラは「ほめられる」タイプの少年、共同体を対象物として眺めている。
・ジョバンニは詩人タイプ。半分は母親の庇護のもとにある、半分は父親を探索し、共同体に対して半分半分。
※この三者の三角関係の最初の兆候としての「午後の授業」、その次「ラッコの上着が来るよ」
・あってしかるべき事件は何か
⑴ザネリがジョバンニをいじめる
⑵ジョバンニがザネリを川に突き落とす。
⑶カンパネルラが(ジョバンニを救おうとして)ザネリを助けようとする。
『ジョバンニの父への旅』(1988年、三一書房)
二十三年ぶりにふるさとにジョバンニが帰ってくる。ザネリがジョバンニにつらくあたるので、ジョバンニの父は自分がザネリを川に突き落としたのだと、カンパネルラの父はいう。今、同じ事件が起こり、ザネリは自分の息子をいじめていた子を川に突き落とした、という。死刑が天気輪の柱の所で行われるというので、みんなが集まる。
※二十三年前…《いじめるザネリ》 川に落ちる
《いじめられるジョバンニ》
《ジョバンニの父》 「私がつき落とした」と名乗り出る……監獄へ
(ジョバンニがザネリを突き落としたと思って)
今 …… 《いじめる子ども》 川に落ちる
《いじめられるザネリの息子》
《ザネリ》 ①「私がつき落とした」と自分が名乗り出て、
②息子に「僕がやった」と言わせて、
③息子を自分の手で処罰した。
※ジョバンニは自分はやってない。ザネリの息子もやってないと主張する。
夏目漱石を読む -坊ちゃん-
1 夏目漱石について
1867年 誕生。本名金之助。幼くして里子、養子に出される。
1888年 復籍。第一高等中学本科に進学、正岡子規(1867~1903)と知り合う。
1890年 東京帝国大学英文科入学
1895年 松山中学校に赴任。
1896年 熊本の第五高等学校に赴任。中根鏡子と結婚。
1900年 イギリスのロンドンに留学。
1903年 帰国。一高・東大の講師となる。(東大の前任者は小泉八雲)
1904年 「吾輩は猫である」を『ホトトギス』に発表。評判となり、続編連載。
1906年 「坊ちゃん」を『ホトトギス』に発表。
1907年 教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後専属作家として小説を書く。
※1907年(40歳)『虞美人草』以後、漱石の小説は朝日新聞に連載された。
1910年 胃潰瘍で入院、転地療養のため伊豆の修禅寺へ。大吐血で危篤となる。(修禅寺の大患)
1916年 胃潰瘍の悪化により死去。
主な作品
吾輩は猫である、坊ちゃん、草枕、虞美人草、夢十夜、三四郎、それから、門、彼岸過迄、行人、こころ、道草、明暗(未完)、
木曜会(門弟たちとの面会日を木曜日にしていた)
寺田寅彦……熊本五高以来の教え子、物理学者、随筆家。
森田草平……平塚らいてう(のちに『青鞜』を創刊)との心中未遂事件の顛末を、漱石の勧めで「煤塵」という小説にして作家デビュー。
小宮豊隆……のちに漱石全集を編集、漱石の研究書も。東北大学の図書館長となり、漱石の蔵書約3000冊はここにある。
鈴木三重吉……児童文学雑誌『赤い鳥』を創刊。
芥川龍之介……漱石晩年の弟子、
その他、野上弥生子、久米正雄、安倍能成、和辻哲郎、内田百閒、岩波茂雄など、若い人々が集まった。
2 『坊ちゃん』について
・1906(明治39)年 『ホトトギス』に発表。当時、『吾輩は猫である』を連載中で、同時に二作が載った。『坊ちゃん』は短期間に集中して執筆されたようで(原稿用紙二百十五枚を一週間~二十日内外)。
『坊ちゃん』のあらすじ
一 小学時代、無鉄砲、喧嘩、いたずら。母の死。兄との喧嘩。可愛がってくれる清。父の死。兄は九州へ。財産の分け前としての六百円で物理学校へ。卒業し四国の中学へ行くことになる。甥の世話になっている清を訪ねる。
二 松山に着く。山城屋という宿屋へ。茶代に五円を。中学で、校長の長談義。教員控所で十五人の教員に挨拶。あだなをつける。清に手紙を書く。山嵐の紹介で下宿へ。
三 授業開始。下宿で骨董を勧められる。町で天麩羅蕎麦を四杯食う。教場の黒板に天麩羅先生と書かれる。団子を食うと、翌日黒板に。赤手拭とも。
四 宿直の日。温泉の帰り、校長に会う。床にバッタを入れられる(バッタ事件)。二階で大勢が足踏み鳴らす騒動(吶喊事件)。
五 赤シャツに誘われ、野だと三人で船釣りに出かける。赤シャツと野だのこそこそ話、マドンナの話、山嵐、前任者の件など、ほのめかす。
六 山嵐に一銭五厘(氷代)をつっかえす。下宿の亭主からの苦情、山嵐から下宿を出ろと言われる。寄宿生の処分についての会議。穏便にという校長ら、反対する山嵐。
七 うらなり君(古賀)に下宿をあっせんしてもらう。おばあさんと話すうち、マドンナ、うらなり君、赤シャツ、山嵐の関係がわかってくる。清からの手紙。温泉に行くための停車場でうらなり君、マドンナ母子、赤シャツに会う。土手を散歩していて、赤シャツとマドンナに会う。
八 赤シャツから増給の話がある。下宿のお婆さんから、うらなり君延岡転勤の事情を知り、増給を断る。
九 うらなり君の送別会。山嵐と相談する。宴会の大騒ぎ。
十 祝勝会の引率。余興の土佐の踊りに感心する。師範学校と中学との喧嘩を止めようとして巻き込まれる。
十一 新聞に、二人が喧嘩を使嗾、指揮したと出る。山嵐と二人で、校長、教頭に事情を話す。校長から迫られ、山嵐は辞職。二人で赤シャツ退治のために温泉町の角屋を見張る。泊まって早朝帰る赤シャツと野だいこに制裁を加える。東京へ帰り、清と暮らす。
『坊ちゃん』の特徴と問題点
⑴名前をめぐる問題
・この小説の語り手であり主人公である男には名前がない。
①清が「坊ちゃん」と言う。主人筋の年若い者の意。(主従を意識して)
②野だいこが「勇み肌の坊ちゃん」と評する。世間知らずの若造の意。
・登場人物はあだなで呼ばれる。
赤シャツ(教頭、文学士)、野だいこ(吉川、画学)、山嵐(堀田、数学)、うらなり(古賀、英語)、狸(校長)、マドンナ(遠山のお嬢さん)
※野太鼓…無芸な幇間(ほうかん)を卑しめていう語
(吉原以外の幇間にて、そを卑しみて云ふ語。 幇間(たいこもち)を賤めていふ語。
本職の太鼓持(幇間)でも余り売れ子でない存在)
※フラット・キャラクター(扁平人物、単純な性格づけで描かれる)とラウンド・キャラクター(球体人物、立体的に描かれる)という分け方で言えば、『坊ちゃん』の登場人物は皆フラット・キャラクターだ。そしてその特徴があだなで示されている。
⑵主人公の造形
・親譲りの無鉄砲で
・いたずらは大分やった ・いたずらをしたって潔白なものだ。 ・せっかちで癇癪持ち
・おれは卑怯な人間ではない。臆病な男でもないが、惜しい事に胆力が欠けている。
・おれは江戸っ子で華奢に小作りにできているから、…押しが利かない。
・おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。
・あまり度胸の据わった男ではないのだが、思い切りは頗るいい人間である。
・正直に白状してしまうが、おれは勇気がある割合に智慧が足りない。
・単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。
・腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞ってしまう。
などなど、
☆この主人公(語り手)は、作者と同じではない。何よりも芸術に対する理解がない(俳句、書、活花、文学)。軽佻でそそっかしく、喧嘩っぱやく、知恵の足りない、世間知らずの若者。漱石は、このような主人公をわざと創り出している。そこが、告白中心の日本の私小説、自然主義と一線を画す点。
⑶悪態小説としての側面
・この小説は主人公の坊ちゃんが語るという体裁をとっているので、彼の意識がもろに出ている。松山の人に対する《田舎者》という蔑視。
・さまざまな悪態が出てくる。※川崎洋「悪態採録控」
・同時に悪態をついている「坊ちゃん」自身も、短慮であさはかな人物として描かれている。
⑷滑稽小説としての側面
・主人公であり、語り手でもある「坊ちゃん」の、思い込み、先入観、世間知らず、幼稚さ、短慮、興奮ぶり、威張り方などが、客観的な目で見れば、可笑しい。(坊ちゃんは漱石ではない。語り手と作者に距離がある。)
・主人公が心の中で切る威勢のいい啖呵は、すかっとするが、一方で非論理的な可笑しさがある。(そんな言い方はないやろ、と突っ込みたくなる)
・下宿のお婆さんとのやりとりは、まるで落語的なとぼけたやりとり。
・うらなり君の送別会は、スラプスティックコメディ(ドタバタ喜劇)
⑸学校小説としての側面
この小説は、坊ちゃんの眼で見た、田舎の中学校の教師生活に対する違和感を描いたもの。それは「体裁を取り繕う建前や裏表のある言動、卑怯な策謀」に対する「嘘の嫌いな、書生」流の腹立ち。
①校長の説く教育の精神……生徒の模範、一校の師表、学問以外に個人の徳化、など《そんなえらい人が月給四十円でこんな田舎にくるもんか。》
②辞令を出して挨拶……同じ所作を十五返繰り返している。《少しはひとの了見も察してみるがいい。》
③授業は一と通り済んだが、まだ帰れない。……《いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっくらをさせるなんて法があるものか。》
④天麩羅そば四杯、団子二皿、温泉で泳ぐ……黒板に書いてある。《なんだか生徒全体でおれ一人を探偵している様に思われた。》
⑤宿直……狸と赤シャツは例外。《月給は沢山とる、時間は少ない、それで宿直を逃れるなんて不公平があるものか。》
⑥いたずらで卑怯で下劣な中学生に……《よく先生が品切れにならない。余っ程辛抱強い朴念仁がなるんだろう。おれには到底やり切れない。》
⑦寄宿生の処分についての職員会議……狸に《こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎だとか、不徳だとか云う位なら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から免職になったらよさそうなもんだ。》赤シャツに《生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。》野だに《言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで訳が分らない。》
⑧うらなり君の送別会……狸や赤シャツの挨拶《こんな嘘をついて》、芸者を呼んで大騒ぎの宴会に《送別会なら送別会らしくするがいい。》
⑨祝勝会での師範学校と中学校との喧嘩に巻き込まれ、新聞に首謀者扇動者として書かれ、山嵐は辞職を迫られる。
⑹勧善懲悪小説としての側面
この小説の基本的な物語軸は、マドンナをめぐる(争奪戦)奸計にある。
狸(校長)
野だいこ
赤シャツの弟(手下)
マドンナ
赤シャツ
うらなり
山嵐
うらなりの母親
坊ちゃん
下宿のお婆さん(情報源)
うらなりは婚約者を奪われ、延岡へ転勤を強いられて、松山を去る。赤シャツは師範学校と中学校の喧嘩に山嵐を巻き込み、新聞で批判させ、山嵐免職に持ち込む。
その意味では、赤シャツの奸計は成功する。山嵐・坊ちゃんは理屈では勝てないと腕力で天誅を加える。(負け戦。江戸っ子・旗本、会津)
⑺比喩やいいまわしの宝庫としての側面(悪態もふくめて)
・マドンナだろうが、小旦那だろうが、
・ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝の写真師で、米のなる木が命の親だろう。
・バッタだろうが雪踏(せった)だろうが
・こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ。
・今に火事が氷って、石が豆腐になるかも知れない。
・ここばかり米が出来る訳でもあるまい。
・全く済みませんね。今日様どころか明日様にも明後日様にも済みっこありませんね。
・宿屋だけに手紙まで泊る積なんだろう。
・おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。
・天地に居候をしている様に、小さく構えているのが如何にも憐れに見えた
・何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみた様な心持ちがした。
・発句は芭蕉か髪結床の親方がやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶とられてたまるものか。
・大違いの勘五郎ぞなもし
・太宰権帥でさえ博多近辺で落ちついたものだ。河合又五郎だって相良でとまってるじやないか。
・おれを誰だと思うんだ。身長は小さくても喧嘩の本場で修業を積んだ兄さんだ
などなど
⑻金にまつわる小説としての側面
・清が三円ばかり貸してくれたことがある。10
・兄が六百円を出して、随意に使うがいい、と言った。15
・四国辺の中学、月給は四十円16
・汽車に乗ったら、たったの三銭20
・三十円を懐に入れて東京を出、まだ十四円ある。宿屋の茶代に五円を。22
・下宿の主人が、古道具をいろいろ持ってくる。みんなで三円、あなたなら十五円、35
・団子二皿七銭 39
・温泉は、上等で八銭 40
・山嵐におごられた氷代一銭五厘 71
・下宿料の十円や十五円は 77
・六百円を資本に牛乳屋でも始めればよかった 92
・清からの手紙、先達て坊ちゃんから貰った五十円から、為替で十円を送る 101
・住田まで上等が五銭で下等が三銭、汽車代 106
・教頭の家の家賃は九円五十銭だそうだ 112
・うらなりの母が月給の昇給を頼みに行ったため、延岡転勤に、五円。118
・坊ちゃんは、うらなりの事情を知って、増給を断る。125
・山嵐は、枡屋で八日分五円六十銭払う 172
・東京へ帰り、街鉄の技手に。月給は二十五円で家賃は六円だ 179
☆この小説では、坊ちゃんは金に関してのこだわりがある(それは世間知らずという面もあるが、金よりも大切なものがあるという心意気)。……宿屋の茶代に五円やる、氷代の一銭五厘、上等の汽車代でうらなり君と同じ下等に乗る、うらなり君の事情を知って自分の増給を断る。(不人情なことはできない)
※漱石の小説では、金銭のことが重要な要素として描かれている。『こころ』の場合でも先生は、人間は「金と恋」がエゴの中心であることを言う。自伝的小説『道草』でも、かつての養父が金の無心にくる。
⑼「清」という存在
・十年来の下女。もと由緒あるもの、瓦解(明治維新)のときに零落。
・おれを非常に可愛がり、ちやほやする。「あなたは真っ直ぐでよい御気性だ」
・元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから。贔屓目は恐ろしい。
・おれが独立したら一緒になる気でいる。
・あなたは欲が少なくって、心が奇麗だと褒めてくれる。
・昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従の様に考えていた。
・みやげは「越後の笹飴が食べたい」と。
・ついた宿で、清の夢を見る。
・清に奮発して長い手紙を書く。(これで長いのか!と突っ込みたくなる)
・寄宿舎の騒動の最中に、清のことを考える。《教育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊とい。…初めてあの親切がわかる。》《清はおれの事を慾がなくって、まっすぐな気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。》
・舟遊びの最中にも、清を思い出す。
・単純や真率を清は決して笑わない。《清の方が赤シャツより余っ程上等だ。》
・こうして田舎へ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立てのいい女は……
⑽実際に松山に赴任した漱石と『坊ちゃん』の違い
・松山中学ではその前に学校騒動があり、教頭、校長がいなかった。
・漱石は嘱託教員として、外国教師用の八十円の月給を。同支社大学出たての教員で二十円、校長事務取扱で八十円、山嵐のモデルで三十五円。
・赤シャツ・野だいこの制裁は「忠臣蔵」だ、という意見あり。
・漱石が松山中学へ赴任したのは、日清戦争後、坊ちゃんの世界は日露戦争・祝勝会。
・執筆当時、漱石は東京大学に勤務、教授会と喧嘩している。(入試採点辞退問題)
・前任のラッカディオ・ハーン小泉八雲を慕う学生たちから排斥運動にあっている。
※漱石は約十年前の自分の松山中学勤務体験を描いたというよりも、執筆当時の自分の憤懣等を書き込んだとみなされる。
3 『坊ちゃん』の広がり、展開
『坊ちゃん』という小説は、国民的な人気を持つ小説といえる。教科書にはその冒頭部分が紹介されていて、坊ちゃん、赤シャツ、山嵐、マドンナなどの名前は、みんなが知っている。現在も松山の観光の一翼を担っていて、坊ちゃん列車も走っている。何度も映画化(池部良、坂本九、中村雅俊らが主演)、テレビドラマ化(宍戸錠、高島忠夫、市川染五郎、津川雅彦、竹脇無我、柴俊夫、渡辺徹、本木雅弘、らが主演)、アニメ化、舞台・ミュージカル化されている。
小林信彦『うらなり』について
・2006年「文学界」2月号に発表、同年5月号に「創作ノート」発表。
・昭和九年、古賀(うらなり)と堀田(山嵐)が三十年ぶりに東京で再会するという設定。
・うらなりは、延岡で二年すごし、姫路へ転勤、母親を呼び寄せ、松山は引き払う。頼まれて随筆を書いたりし、ラジオにも出る。(それを聞いた大阪のマドンナから連絡があり二人は神戸で再会することになる)山嵐は東京で教師暮らしののち初歩の数学の参考書を書き、それが評判となり講演をしたりしている。
・松山での事件は『坊ちゃん』のプロットを変化させず、会話やセリフもほぼ原作を踏襲・引用している。
・しかし、語り手はうらなりで彼の視点からは『坊ちゃん』の事件が彼からはどう見えたかが語られる。
・この中でも坊ちゃんの名前は明かされていない。うらなりは彼を「五分刈り」というあだなで呼んでいる。
・その後の、うらなり君の人生、マドンナとの再会も描かれる。
「創作ノート」の中で
・『ハムレット』の脇役を主人公にした『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(トム・ストッパード、邦訳1968年)に言及。
漱石の小説で繰り返される男女の三角関係
漱石は「人間の我欲・エゴ」を追究した作家だが、エゴが最も現れるのは、「金」と「恋愛」。『こころ』の場合、「金におけるエゴ」は父の遺産をめぐる叔父の裏切りという形で描かれ、「恋愛におけるエゴ」は私(先生)とKとお嬢さんの三角関係という形で描かれる。
漱石は男女の三角関係を繰り返し描いている。『それから』1909年の場合、《代助、三千代、平岡》。『門』1910年の場合は《宗助、お米、安井》、『こころ』1914年の場合、《私、お嬢さん、K》。
高等遊民という生き方(当時のひきこもりか)。
姦通罪が存在した時代の不倫。
また「金をめぐる問題」は、漱石の自伝的小説である『道草』1915年で描かれる。
方法に自覚的な作家 漱石
・漱石は若い頃、建築家を志していた。当時、聖ニコライ堂(1891年完成)が建設中だった。1888(明治21)年、第一高等中学校予科から本科への進学にあたって、専攻に迷っていた。級友の米山保やす三郎さぶろうは「今の日本ではイギリスのセント・ポ-ル大寺院のような建築を後世に残すことはできない。それよりも文学に可能性がある」と説いた。衝撃を受けた漱石は進路を変え、文学を志すことになった。
・漱石には、小説を構造としてとらえる視点があったはず。「小説の加速度(アクセレレーション)」ということばも使っている。『こころ』は上には、いくつもの謎が伏線として張り巡らせてあり、また「先生の死」を「先説法」で示しながら、何が死の理由なのかという興味で読者をひっぱっていっている。下になると次第に小説は速度をあげ熱を帯び始
芥川龍之介を読む -鼻、藪の中-
1 芥川龍之介について
年譜
・1892(明治25)年 誕生。母フク発病のため、生後八ヶ月で、母の実家である芥川家に入り、母の実兄に育てられる。
・1902(明治35)年 母病死。
・1904(明治37)年 芥川家に入籍、養子となる。
・1915(大正04)年 「羅生門」を発表。漱石山房の「木曜会」に出席、以後漱石門下となる。
・1916(大正05)年 「鼻」を発表。漱石に激賞される。東京帝国大学文学部英文科を卒業。
横須賀の海軍機関学校の嘱託教官となる。(1919年まで)24歳
・1918(大正07)年 塚本文子と結婚。
・1921(大正10)年 中国、朝鮮へ旅行。
・1922(大正11)年 「藪の中」を発表。30歳。
・1927(昭和02)年 7月自殺。享年35歳。遺稿として「或る阿呆の一生」「歯車」など。
芥川龍之介のキーワード
・生育歴……母親が精神病を患い、両親が離婚し、親戚の元で育てられた。自分自身も精神病を発症するのではないかという危惧を抱いていた。
・新思潮……学生時代に菊池寛、久米正雄らと始めた文学雑誌。
・王朝物……芥川龍之介は今昔物語集や宇治拾遺物語などを材料にして、「羅生門」「芋粥」「地獄変」「好色」「偸盗」などの平安時代を舞台にした王朝物と呼ばれる短編を多く書いた。今回取り上げる「鼻」「藪の中」も王朝物である。
・児童文学……蜘蛛の糸、杜子春、など
・恋人……秀しげ子との関係を苦にしていた。(戦前まで日本には姦通罪が存在した。)妻の友人平松麻素子との心中計画。
・話らしい話のない小説……谷崎潤一郎との違い。欲望の肯定の違い。
・自伝的な小説……物語性の強い作品を作ることから出発した芥川は晩年になって、自分の悩みや苦悩をそのままに出す自伝的な小説を書くようになる。
・病気……神経性胃病、痔疾、不眠症、神経衰弱、睡眠薬中毒など
・芥川賞……友人の菊池寛が創設した新人を対象とする文学賞。純文学、短編小説が対象。
2 「鼻」について
・原典は『今昔物語集』巻第二十八、第二十「池尾禅珍内供鼻語(いけのをのぜんちないぐのはなのこと)」である。その話のあらましは以下の通り。
①内供の信心深さ、寺の賑わい、
②鼻が長い。かゆくなると茹でて踏んでもらうと白い小さな虫が毛穴から出るので、毛抜きで抜き、もう一度茹でると鼻は小さくしぼむ。二、三日すると元にもどる。
③食事の時には弟子の法師に板で鼻を持ち上げさせていた。
④その法師が体調を崩したときに、中童子が自分がやると申し出る。最初は上手にやっていたが、くしゃみをして、鼻を粥の椀におとしてしまう。内供が怒って、私ではなく高貴な方に仕えているときにこんなことをするか、と言った。中童子はこんな鼻の人が他にいるなら鼻を持ち上げもしようが、と言った。弟子たちも外に逃げ出して笑った。
☆今昔物語集では、この話は、珍しい鼻の話、「笑い話」として扱われている。
☆今昔物語集では、
A 「鼻を茹でて踏み、短くしようとする話」…②
B 「食事の時に鼻を持ち上げさせていて、誤って椀の中に鼻を落としてしまう話」…③④
という二つのエピソードが語られている。
芥川龍之介はどのように改変したか
大枠は今昔物語集の話に従いながら、芥川龍之介は次のような改変をしている。
⑴二つのエピソードの順序と扱いが違う。
「鼻」では、Bのエピソードがまず紹介されるが、その④の後半、《内供と中童子の言い合い、とそれを聞いた人々の笑いという部分》を芥川は切り落とした。(つまり笑い話としての側面をはずした)
次に、Aのエピソード「鼻を茹でて踏み、短くしようとする話」を小説の中心に据えた。
⑵物事を分析的に語るという方法を採った。
・鼻を持て余した理由は二つ……①食事の時など不便、
②自尊心が傷つけられた
・自尊心の毀損を恢復するために(消極的に)
……①短くみせる方法(鏡で見て角度を変え)
②たえず人の鼻を気にした(自分のような鼻はないか)
③書物の中に同じような鼻の持ち主がいないか探した
・積極的に鼻を短くする方法を試みた……烏瓜、鼠の尿など そして
⑶「茹でて踏んで短くする」←これが小説ではクローズアップされる
・まず弟子の僧(震旦つまり中国から来た)が、京の医者から教わってきたものである。ありがたそうな方法だが、効き目があるかどうか、
・この方法を勧める弟子と、口では心苦しいという内倶の策略、それを察知する弟子…心理的な攻防
・実際に茹でて足で踏む場面の細かな描写(滑稽)
⑷鼻が短くなってからの内倶の心理の変化
・又長くなりはしないかという不安
・以前として短いので、のびのびした気分に(煩わされていたことからの解放感)
・二三日たつうちに、意外な事実を発見。みんながつけつけと笑うようになった。
☆この事実に対して、語り手が解説してみせる。
人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。
・他人の不幸への同情 ⇔ その人が不幸から切り抜けると物足りないような心が。
同じ不幸に陥れてみたいような気
消極的な敵意
つまり、傍観者の利己主義
・内倶は、日ごとに機嫌が悪くなった。意地悪く叱りつける。弟子の陰口、中童子が犬を囃しながら。
・鼻が短くなったのが、かえって恨めしくなった。
⑸鼻が元のように長くなって、心境の変化
このように、芥川龍之介は「内供の自尊心」や「まわりの者の傍観者の利己主義」といった言葉を使いながら、この物語を「近代的な心理小説」に仕立て上げた。
3 「藪の中」について
・原典は『今昔物語集』巻第二十九、第二十三「具妻行丹波国男、於大江山被縛語(妻を具して丹波の国に行きし男、大江山にして縛られたる語)」
・そのあらましは次の通り
①京にいた男が、妻を連れて、妻の故郷の丹波へ行こうとしていた。男は弓と矢十本ほとを持っていた。大江山のあたりで、太刀を帯びた若い男と連れになる。
②若い男は、自分の太刀を見せて、男の弓との交換を申し出る。太刀がいいものなので欲しくなり、男は交換することにした。
③若い男は、弓だけを持っているのは、他人の眼からおかしく見える。山道を行く間、矢を二本貸してくれ、と言う。男はいい太刀を手に入れたのが嬉しく、若い男の言うのももっともだと思い、矢を二本渡す。
④昼飯を食べるために、藪の中に入ろうとすると、若い男は道のそばでは見苦しのでもう少し奥へ行こうと誘う。馬から妻を下していると、若い男は弓に矢をつがえて、脅す。夫婦はもっと山奥へ連れて行かれる。
⑤太刀を取り上げられ、木に縛られる。
⑥若い男は女の着物を奪おうとして近づけば、可愛くていい女だったので、気が変わり、女を抱こうとする。女は抵抗できなくて、若い男のいいなりになる。
⑦事果てて、若い男は馬に乗り、弓矢、太刀を身に着け、女に「お前を可愛いとは思うが、連れてはいけない。その男の命は助ける。馬は逃げるためにもらっていく」と言い残して去る。
⑧女は夫の縄をほどく。夫が茫然自失しているのを見て、「あなたは情けない。これから先もそんな風ではいいことはないだろう」と言うが、夫は言い返すこともできず、女を連れて丹波へ行った。
⑨(この話の語り手の評価)若い男の心はたいそう立派である。女の着物を奪えるのに、奪わなかった。それに引き替え、夫の心は情けない。山の中で見知らぬ男に弓と矢を渡すなんて、全く愚かなことだ。この男はその後、名を残すこともなく終わった、とか語り伝えられている。
芥川龍之介はどう作り変えたか
①目の前で妻を奪われた男が死ぬ、という結末にした。
②三人に名前を与えた。若い男(名高い盗人、多襄丸)、夫(金沢の武弘、26歳)、妻(真砂、19歳)
③七つの証言で構成した。
・木樵り、旅法師、放免、媼(女の母親)……これらは周辺情報、目撃情報で矛盾はない。
・多襄丸、女、死霊(死んだ男)……これは事件の当事者三人で、証言は矛盾する。
④三人の当事者の証言が食い違う。それぞれに、殺したのは自分だと主張。その理由も別々で、このどれが真実か、謎のままで終わる。
・アンブローズ・ビアスの「月明かりの道」からの影響もある。
※殺人事件があり、三人の語り手(息子、父(記憶喪失・行方不明)、母(死んでしまった幽霊)がそれぞれに殺人事件を語る。)
・研究者によれば、これ以外に西洋文学の十数作が、「藪の中」の材源とみなされている。そのポイントは二つあり、一つは「複数の証言があり、真相が定かでない」という点と、もう一つは「二人の男と一人の女(夫の前でレイプされる女)」という点である。
☆黒澤明『羅生門』は、芥川龍之介の「藪の中」を元としている。
・脚本家橋本忍が芥川の話を元にして脚本を書いた。(長くしてくれとの要請で、最初「羅生門」の下人が多襄丸になる話だったが、それは廃棄された。できあがったものは「雌雄」というタイトルだった)
・それを黒澤明が加筆して、現在の映画『羅生門』になった。
・映画『羅生門』は約九〇分の作品。その最初六〇分までは、芥川の原作を踏襲しているが、最後の三〇分は、全くのオリジナルで、謎は解決され、ヒューマニズムを謳いあげた、いかにも黒澤明らしい展開となる。
菊池寛を読む - 形、入れ札 - 元のページへ
1 菊池寛について
年譜
・1888(明治21)年 香川県高松市に生まれる。
・1910(明治43)年 第一高等学校に入学。22歳。
・1913(大正 2)年 親友佐野文夫の盗品マント質入れ事件の罪をかぶり、卒業3ケ月前に退学。成瀬正一の父の援助で京都帝国大学英文科に入学。上田敏に師事。
・1916(大正5)年 第四次新思潮同人に。戯曲「屋上の狂人」28歳
・1917(大正6)年 同郷の奥村包子と結婚。戯曲「父帰る」
・1918(大正7)年 「忠直卿行状記」などで文壇の地位を確立。
・1920(大正9)年 「真珠夫人」(新聞連載)
・1923(大正12)年 雑誌「文藝春秋」を創刊。(28頁、三千部)
・1948(昭和22)年 狭心症で死去。59歳
主な作品
・戯曲 屋上の狂人、父帰る、藤十郎の恋
・小説 忠直卿行状記、恩讐の彼方、藤十郎の恋、入れ札、真珠夫人
※戯曲と小説の両方にわたる作品がある。
菊池寛のキーワード
・貧しい少年時代。風貌に対するコンプレックス。だらしなさ。
・一高での友人……芥川龍之介、久米正雄
・マント事件……友人佐野文夫(のち共産党)、同性愛。
・第三、四次「新思潮」(東大)に参加。京都から。
・上田敏……「文学というのは作者と読者の共同作業である」に感銘。
・テーマ小説……初期の芥川龍之介とも相通じる所がある。
・「文藝春秋」創刊。やがて「文藝春秋社」を。多くの雑誌、出版物を。
・純文学から大衆文学(エンターテインメント)へ。『真珠夫人』が転機となり。
・新しい読者層としてのサラリーマンを意識した。
・「生活第一、芸術第二」という考え。
・「文筆婦人会」……学校出の女性に外国の大衆小説を読ませ、その筋を報告させ、小説に生かす。大衆小説のエンターテインメント性をそのように、翻案という形で。
・三十まで女嫌いという。女性好きで多くの愛人がいたことでも有名。関東大震災の時被災した愛人一家を自宅に同居させた。小森和子も愛人の一人だった。
・対談、座談会、文芸講座、文芸講演会などを企画……作家の経済的支援
・日本文芸家協会(職能団体、保険も)、日本著作権保護同盟を創設。
・芥川龍之介賞・直木三十五賞の創設(友人のために、文学者の経済的援助として)
・雑誌「オール読物」……さまざまな娯楽、ゴルフ、ダンス、麻雀、競馬、ボクシング、将棋などを紹介
・演劇、映画の世界でも活躍……大映社長にも。
2 「形」(1920年・大正九年)について
⑴「起承転結(起転承結かな?)のはっきりした構成
起・侍大将中村新兵衛、「槍中村」の評判、猩々緋の羽織と唐冠の兜
承・主君の側腹の若い士(守役として、わが子のように慈しみ育ててきた)の頼み
転・猩々緋の若武者の活躍ぶり
結・新兵衛の苦戦、兜や猩々緋を貸したことを後悔、敵の槍が彼を貫く
⑵形に対する若い士、敵の思い
⑶新兵衛の心理の変化
⑷形と中身の関係
☆テーマ小説として
3 「入れ札」(1921年・大正十年)について
⑴あらすじと構成
・赤城山に立て籠もっていた国定忠次一家は、山を下り、関所を抜けて信州へ向かっていた。付き従う子分十一人全員を連れていけない。二、三人は連れて行きたいが、自分が子分に甲乙をつけるのは忍びない。そこで、忠次は一人で落ちることを子分に告げる。
・ところが浅太郎は、何人かを名指してくれと言い、若い十蔵は「籤引き」を提案する。嘉助、喜蔵、忍松が意見を述べる。
・忠次は「自ら選ぶ事なくして、最も優秀な子分を選び得る方法」を思いつく。入れ札で多い者から三人だけ連れて行く。
・古くからの子分、九郎助は自分に人望のないことを知りつつ、ここで選ばれないことに耐えられず、弥助が入れてくれることを計算し、自分で自分の名前書く。
・入れ札の結果は、忠次の希望通り、浅太郎、喜蔵、嘉助の三人が上位を占める。そこで忠次はその三人を連れて落ちていく。
・一人落ちる九郎助を追ってきた弥助は、自分は九郎助に入れたと嘘を言う。九郎助は腹を立てるが、弥助の嘘を咎めるには、自分の卑劣な行為を打ちあけざるを得ない。
⑵九郎助の心の中はどのように動くか
⑶「入れ札」を書いた動機
《菊池寛自身が、この作品を書いた動機について述べています。大正九年(一九二〇年)に、大正文壇の中心的作家三十名ほどの作品を集めた『現代小説選集』を刊行することになった。二十人くらいまではすぐに決まったが、残りについての人選が難航した。議論のあげく、無記名投票で選ぶことになった。そのときの経験を、国定忠治の話に置き換えたのが『入れ札』だ、と菊池寛は書いています。》
(柄谷行人『日本精神分析』第三章入れ札と籤引きー菊池寛「入れ札」)
⑷小説を自分で戯曲に改作(別バージョン)
小説「入れ札」は1921・大正十年発表。
戯曲「入れ札」は1925年・大正十四年発表。
《菊池寛はこれを戯曲にしたとき、主人公九郎助に嘘をついた弥助を攻撃させると同時に、「自分の恥ずかしさを打ちあけ」て、土下座して懺悔するように変えているのです。九郎助が「わっとすすり泣く」ところで、戯曲は終わる。菊池自身が戯曲のようなことは確かです。》(柄谷行人『日本精神分析』)
4 テーマ小説について
・「形」も「入れ札」も、いわゆる時代小説、歴史小説ではない。「中村新兵衛」や「国定忠次」は作者の考えるテーマを展開するための《枠組み・舞台設定》にすぎない。
・舞台設定……摂津の松山新介と大和の筒井順慶の合戦
※筒井順慶は、本能寺の変のあと、秀吉・光秀の戦いで日和見をしたと伝承された。
・状況……守り役として育てた若武者が初陣に際して、「羽織と兜」を借りに来た。
・テーマ……「形」と「実力」の乖離。(敵も味方も自分自身も)
・舞台設定……国定忠次一家が、赤城の山に立て籠もった後、信州へ落ちのびる途中。
※国定忠次は、天保の飢饉で農民の味方となったとされ、講談、演劇、映画で有名。
・状況……十一人の子分を連れては逃げられないので、どうするか。
・テーマ……⑴忠次:どうすれば自分の希望通りのメンバーを選べるか。
⑵九郎助:古株の自分がどうすればメンバーに残れるか。(心の動き)
⑶嘘をつく弥助と、それを責められぬ九郎助の羞恥(卑しさの自覚)
☆このように、「時代物」の装いの下、現代的、知的な心理分析で、鮮やかにテーマを展開する菊池寛
川端康成を読む - 伊豆の踊子(1926) -
1 川端康成について
年譜
・1899年(明治32年)大阪市に生まれる。
1901父、1902母と、幼くして両親を亡くす(結核)。祖父母と暮らすが、1906祖母、1909姉(別居)、1914祖父を亡くし、天涯孤独の身となる。
・1912年(明治45年) 旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)に入学。寮生活。
・1917年(大正6年) 旧制第一高等学校入学
・1920年(大正9年) 東京帝国大学入学(英文科から国文科に転科)
・1924年(大正13年) 卒業。横光利一らと「文芸時代」(新感覚派)を創刊。
・1948年(昭和23年) 日本ペンクラブ会長(第4代)に就任。
・1957年(昭和32年) 国際ペンクラブ大会(東京)で活躍。
翌年、国際ペンクラブ副会長に。
・1968年(昭和43年) ノーベル文学賞を受賞
※1970年(昭和45年) 三島由紀夫割腹自殺。
・1972年(昭和47年) ガス自殺。
主な作品
・禽獣、浅草紅団、雪国、名人、千羽鶴、古都、山の音、眠れる美女、片腕、
2 「伊豆の踊子」をどう読むか
・「伊豆の踊子」(1926大正15年『文芸時代』1月号と2月号に発表)
※1月号に一から四までを。2月号に五から七までを「続伊豆の踊子」として。
Ⅰ 作家論的な読み方
作者の実人生での体験を参照して、作品をそこに還元しながら読んでいく。孤児体験、初恋(同性愛)、失恋事件などが、「伊豆の踊子」のどこに反映されているか、というような観点で読んでいく。
「小説は体験を昇華したものだ」
・家族の死(1901年父、02年母、06年祖母、09年姉、14年祖父)十六歳で孤児となる。
・茨木中学で寮生活。同性愛の恋人(清野)。
・1917大正6年秋、一高に進学。寮に入る。
・1918大正7年秋、伊豆に旅する。
・1919年大正8年伊藤初代(カフェの女給「ちよ」、七歳年下)と出会う。大正10年結婚を申し込み、承諾を得るが、1か月後に彼女より一方的に破棄される失恋事件。
・1922大正11年「湯ヶ島での思い出」執筆。ここに「伊豆の踊子」の原型がある。
・1926大正15年「伊豆の踊子」発表。
・1948昭和23年自伝的小説『少年』を執筆後、「湯ヶ島での思い出」は焼却された。
Ⅱ 作品分析的な読み方
①時代的、社会的背景(コンテクスト)を意識する。脱時代化して読むことを戒める
……旧制一高の学生と旅芸人の社会的位置
②「反復(繰り返されるもの)」を意識する。
……旅芸人に対する差別的な言辞
③「つながり、連鎖、対照」を意識する。
……売春の対象としての旅芸人(踊子)
④ストーリーとプロット(どの順に語るか)を区別する。
……旅に出た理由は「いい人はいいね」という踊子のことばの後で語られる。
⑤「思い込みの修正」≒「人物像の変容」……これが「伊豆の踊子」では重要
……踊子の年齢、旅芸人たちの人間関係など
⑥「始め」と「終わり」の語り方(各章の)
Ⅲ 原作と「異本」を比較して読む(他の人はどう読んでいるか)
①「削る」という読み方……あらすじ、ダイジェスト版、教科書
☆何が大切で、何が大切でないかという選択がそこではなされている。
②「再話(再創造)する」という読み方……映画、劇、マンガ、アニメ、翻訳など
☆「私は原作をこう読んだ、私ならこう描く」という批判を含む。創造的な読み。その再創造の過程では当然「削る」という過程も入ってくる。
Ⅳ 教科書との比較
教科書掲載の状況
《昭和25年度から平成6年度までのデータ》によれば、(昭和31年好学社が最初)、13社、38種類(実質的には20種類)。
昭和30年代、40年代は人気教材だったが、どれも編集(削除・改変)されている。昭和50年代半ば(国Ⅰ・国Ⅱ・現代文の時代)からは激減。平成15年現在、「伊豆の踊子」を載せているのは「大修館」「三省堂」の二社だけ。
平成12年発行の三省堂「現代文」が初めて全文を掲載した。
教科書が編集によって削った部分(隠そうとしたもの)
*教科書によって削り方はいろいろだが、概して言えば次のような点が削られる。
①旅芸人に対する差別
・「あんな者、どこで泊まるやら分るものでございます」という甚だしい軽蔑を含んだ婆さんの言葉。(一章)
・「純朴で親切らしい宿のおかみさんが、あんな者に御飯を出すのは勿体ないと言って、私に忠告した。」(四章)
・「途中、ところどころの村の入り口に立札があった。――物乞ひ旅芸人村に入るべからず」(五章)
②女性の自己卑下(女性に対する社会的差別の反映)
・山の清水……女の後は汚いだらうと思って(五章)
・下田での鳥鍋……女が箸を入れて汚いけれども、笑ひ話の種になりますよ(六章)
☆踊子の一連の言動やふるまいは私への好意の表れであるが、同時におふくろの言動に通じる「女性の謙譲」で、「私」はそれに対して何ら疑いを入れていない。
③老人・病人・貧者・醜い者
・茶店の爺さん(到底生き物と思えない山の怪異、と評されている)、紙屋、鳥屋が姿を消す。
④性的な存在としての踊子
・踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ、と思った。(一章)
・この意外な言葉で、~空想がぽきんと折れるのを感じた。(二章)
・踊子の今夜が汚れるのであらうかと悩ましかった。(二章)
・旅芸人たちの寝姿を見る場面(四章)
*これらがカットされることで、作品から「体臭」が消え、「脱時代化」されてしまう。
Ⅴ 英訳(サイデンステッッカー訳)との比較
参照テクスト
①『英和対照 伊豆の踊子』原書房(但し川端の原文も編集されているので注意)
②『The Izu Dancer and Other Stories』TUTTLE 1974年初版
☆E・サイデンステッカーの訳は、①②ともに「Atlantic Monthly No.1」1955年よりの転載。
☆年齢が満年齢であらわされているので、私は19、踊子は13となる。
☆固有の地名等は省略されている場合が多い。
☆省略が結構ある。(高校教科書と似ている)
例えば、登場人物として①茶店のお爺さん、②鳥屋さん、③お婆さん(汽船に乗る時に土方風の男から託された)は姿を消してしまう。
紺絣のエピソード、二階から金包みを投げたエピソード、部屋へ旅芸人たちが上がる場面の一部、杖にいいと篠竹を抜いてきたエピソード、下田で鳥鍋をつついているエピソード、等が省略されている。
教科書が隠そうとしたものを軸にしてみると、サイデンステッカー訳は
①旅芸人に対する差別…薄められている。「物乞い旅芸人」の「物乞い」が消えているので。
例・物乞ひ旅芸人村に入るべからず→Vagrant performers keep out.
②女性の自己卑下…わからなくなる。
例・清水の場面で「手を入れると濁るし、女の後は汚いだろうと思って」
→We didn’t think you would want to drink after we had stirred it up.
例・鳥鍋をすすめる場面は省略されているので「女が箸を入れて汚いけれど」というセリフは英訳の世界からは消える。
③老人・病人・貧者・醜い者…
茶店のお爺さん、鳥屋、下田港のお婆さんが全く出てこない。紙屋さんの登場場面も一部省略。鳥屋が消えるので、おふくろの「この子に触っておくれでないよ。生娘なんだからね」というセリフは英訳の世界から消えるし、学生が突然「水戸黄門漫遊記」を読み始めるという変な展開になる。
④性的な存在としての踊子…やや薄められている
例・踊子の今夜が汚れるのであらうかと悩ましかった。→What would she be doing、who would be with her the rest of the night?
☆「孤児根性」というのは、事実としての「孤児」を含みながら、僻みとか素直に相手に対応できないとかいうことを意味しているが、英訳では事実としての「孤児」は読み取れない。
I had come at nineteen to think of myself as a misanthrope, a lonely misfit, ……: misanthrope人間嫌い、misfit環境に順応しにくい人
Ⅵ 映画との比較
監督
主演
脚本
⑴1933年松竹
五所平之助
田中絹代/大日向伝
伏見晃
⑵1954年松竹
野村芳太郎
美空ひばり/石浜朗
伏見晃
⑶1960年松竹
川頭義郎
鰐渕晴子/津川雅彦
田中澄江
⑷1963年日活
西河克己
吉永小百合/高橋英樹
井手俊郎・西河克己
⑸1966年東宝
恩地日出夫
内藤洋子/黒沢年男
井手俊郎・恩地日出夫
⑹1974年東宝
西河克己
山口百恵/三浦友和
若杉光夫
☆⑷と⑸は元が同じ脚本。⑷と⑹は監督が同じ。そのためこの三作品は似ている点、違う点が比較しやすい。
映画は原作に何を付け加えようとしたか
①「死んでゆく娼婦」のエピソード(川端の「温泉宿」から)
②「風呂場での娼婦と女中たちの喧嘩」……⑷⑸のみ、⑹にはない。
③「何故活動にいけないのか」……特に⑸は一つの回答を出していて、原作に対する批判となっている。
④「東京の男にだまされ捨てられた女」…⑸のみ。《踊子・娼婦・捨てられた女》
☆「淡い思慕、幼い恋」を、エリートである一高生と被差別の旅芸人との「身分違いの悲恋」として強調する。
映画は原作の何を切り捨てたか
①「いい人はいいね」というセリフ及び孤児根性…
吉永版、山口版にはこのセリフがない。内藤版では学生に聞こえていない。おふくろの「いくらいい人が何百人いたってどうにもならないことだってあるんだよ」というセリフもある。しかも学生は孤児ではないという設定。
②別れの場面の後を映画はばっさり切り落とす。つまり「お婆さんと3人の子ども」を頼まれるエピソード、「船中で少年に親切にされる」エピソードは不要とされる。
☆「自分の性質が孤児根性で歪んでいるとの厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に」→「いい人はいいね」といわれ、有難かった→「ばあさんの世話をこころよく引き受けた」→少年に対して非常に素直に、親切を自然に受け入れられるという《旅芸人一行と旅をすることで自己再生を果たす》という流れ・つながりを全く重要視せずばっさりと切り落とす。逆に教科書はこれ流れを落とすことはない、
☆参考文献
『伊豆の踊子物語』西川克己(フィルムアート社、1994年)
池谷信三郎を読む - 忠僕 -
1 池谷信三郎について
年譜
1900年(明治33年) 10月15日、東京京橋区船松町15番地に生まれた。実家は大きな旧い質商。
*船松町は築地の河岸にあり、向かいは明石町の居留地。下町風とハイカラ好み
1918年(大正7年) 一中卒業後、腸チフスにかかりこの年一高受験できず。
1919年(大正8年) 一高に入学。二年の頃から校友雑誌に書き始める。
1922年(大正11年) 帝大英法に入学。6月休学し、ドイツに留学。ベルリン大学法科へ。芝居と音楽会に入り浸る。先輩村山知義と。
1923年(大正12年)関東大震災で実家は全焼。借金をしてシベリア経由で帰国、
(*1月文藝春秋創刊、同人誌3000部で)
1924年(大正13年) ベルリン生活を描いた「望郷」が「時事新報」の懸賞小説に当選。文筆生活に入る。(*10月文芸時代創刊。新感覚派)
1925年(大正14年) 村山知義、河原崎長十郎らと劇団「心座」を結成。旗揚げ公演の一つとして「三月三十二日」を上演。
1926年(大正15・昭和元年) 「鰊」「おらんだ人形」「忠僕」など。片岡鉄平、石濱金作、川端康成、横光利一らと逗子で共同生活
1927年(昭和2年) 「橋」など。9月秋田恵美子と結婚。目白文化村に暮らす。
1929年(昭和4年) 長男彬誕生。牛込若草町に引っ越す。(以下引っ越しは略)
1930年(昭和5年) 中村正常、舟橋聖二、小野松一、今日出海らと劇団「蝙蝠座」を
1931年(昭和6年) 9月突然喀血。肺結核を宣告される。(以後病状一進一退)
1932年(昭和7年) 3月から10月、房州千倉の菊池寛別邸に滞在、療養。
1933年(昭和8年) 10月慶応病院に。12月21日死去。
※没後1934年に全集(全一巻)が、改造社で刊行され、1936年には菊池寛が主宰する文藝春秋社により池谷信三郎賞(1942年まで)が設立された
著作
長編五編、中編九編、短編約三十五編、戯曲十八編、合計約四千二三百枚。
その他に随筆、感想、批評など約三百枚。娯楽雑誌の読物約二十編、三百枚。
翻訳、「一週間」(リベディンスキー)、「鼠」(ハウプトマン)、「憂愁夫人」(ズーダーマン)、「チェホフ短編集」「トーマス・マン半自叙伝」等、約千三四百枚。
『日本掌編小説秀作選2』大西巨人編(光文社)※「忠僕」を収録
『日本の文学 名作集三』(中央公論社)※「橋」を収録
『モダン都市文学Ⅰ モダン東京案内』(平凡社)※「おらんだ人形」を収録
『北海道文学全集第五巻』(立風書房)※「鰊」を収録
『現代日本戯曲選集5』(白水社)※「三月三十二日」を収録
2 「忠僕」を読む
Ⅰ 「忠僕」の第三章までを読んでみる(引っ掛かった点は何か)
Ⅱ 結末を予想して第四章を作ってみる
Ⅲ 原作の結末、第四章はどうなっているか(自分の予想と原作を比較してみる)
Ⅳ 「忠僕」を作品分析してみる
⑴登場人物をあげてみる
…久助、嘉吉、沼津の叔父、おしま、朋輩、小作人、雇人
⑵誰が誰をどう思っているか
……視点の転換について(久助から嘉吉へ、そして再び久助へ)
……作者は誰の心を語っているか…語り方をどう組み合わせているか
・小作人、雇人を…先代はどう遇していたか、嘉吉の対応は、久助の思いは
・嘉吉の叔父を…先代はどう遇していたか、嘉吉の対応は、久助の思いは
⑶盗みを働いた久助はどう描かれているか(何故盗みを)
⑷嘉吉は盗みを働いた久助をどう思っているか
⑸何故、嘉吉は久助に大切な要件を頼んだのか
⑹この小説で対立しているのは何か……二つの人間観
⑺題名「忠僕」に込められた意味
Ⅴ 時代背景と先行テクストについて
⑴時代の背景、文学的な位置関係
・大正時代の文学の流れ…真、善、美
・真……自然主義、私小説。
・善……白樺派1910年代を代表する。学習院出身。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎。
・美……芥川龍之介、谷崎潤一郎
・文藝春秋と文芸時代
・プロレタリア文学と新感覚派
※時代性について
・曖昧宿、草競馬ほか
⑵トルストイ(1828-1919)の「ポリクーシカ」(1860)について
・中村白葉訳トルストイ全集3初期作品集下(河出書房新社昭和48年刊)に収録
・あらすじ
ボクローフスコエから3人の壮丁を出すことになるが、3人目を誰にするか。管理人エゴール・ミハイロヴィチは、ドゥートロフ一家を憐み、家族持ち屋敷つきのポリクーシカを出したがり、女主人にその話をする。ドゥートロフの3人息子のうちの一人は実は兄の子、甥で結婚したばかり。金で身代わりの兵隊を買うこともできる。
女主人は、酔っ払いで五人の子持ち、時計を盗んだりしたが自分が説いてやってから、身持ちがよくなったポリクーシカを兵隊に差し出すことには反対する。
庭師の所へ千五百ルーブリ金をとりに行く役目を女主人はポリクーシカ(ポリケイ)に命じる。ポリケイの住居。貧しい生活。見よう見まねのいいかげんな馬医。
百姓の寄合で、どの家から兵隊を出すか、論議される。三人息子がいるということでドゥートロフ家の三人がくじを引き、甥のイリューシカ(イリヤ)が行くことに決まる。
ポリクーシカは、ありったけのものを着、破れた長靴をつくろい、馬車で出かける。金の入った封筒を受け取り泊まった宿に、ドゥートロフとイリューシカも来ていた。なぜ嫁を持たせた、自分の息子がかわいいのだろうし荒れて暴れるイリューシカ。金があれば、と嘆くドゥートロフ。
ポリケイはいたたまれず、夜の明けぬ前に出発する。金の入った封筒を帽子の中に押し込んで。
金を落としてしまい、探しまわるが見つからず、家に帰り、屋根裏で首を吊る。あかんぼうを湯あみしていた妻アクリーナは、その知らせに茫然として、あかんぼを湯の中におとし、あかんぼは溺死する。
ドゥートロフは、金を拾い届けに来るが、女主人はその金を嫌い、全部彼にやってしまう。ドウートロフは甥の代わりの男を金で買い、甥を兵隊にせずに済む。
※1922年に映画されている。初めて外国輸出されたソ連映画。日本では1927年に封切されている。ちなみにエイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』は1925年。
志賀直哉を読む - 小僧の神様、清兵衛と瓢箪 -
1 志賀直哉について
年譜
1883(明治16)年 宮城県で生まれる。祖父直道は相馬藩旧藩士、相馬家家令。父直温は第一銀行に勤務。のち一家は上京。
1889(明治22)年 学習院初等科に入学。以後、中等科、高等科と進む。
1906(明治39)年 東京帝国大学英文科に入学。(1910年退学)
1910(明治43)年 「白樺」創刊(同人は武者小路実篤、有島武郎、柳宗悦、里見弴ら)
1913(大正2)年 第一創作集を刊行。電車にはねられて重傷を負う。城崎温泉滞在。
1914(大正3)年 武者小路実篤の従妹康子と結婚。31歳。
1917(大正6)年 父と和解。
1937(昭和12)年 『暗夜行路』完成。(1921年から連載開始。)
1971(昭和46)年 死去。88歳。
代表作
網走まで、剃刀、大津順吉、正義派、クローディアスの日記、范の犯罪、城の崎にて、赤西蠣太、和解、暗夜行路など
キーワード
父との不和
・1901年、18歳、足尾銅山鉱毒問題の現地視察計画で(祖父は古河市兵衛とともに足尾銅山の開発を)
・1907年、24歳、女中との結婚の約束を。
・1914年、31歳、康子(一子あり)との結婚で。
私小説から心境小説へ……大津順吉、和解、などは女中千代との婚約を契機に生じた父との確執を描いている。
内村鑑三(キリスト教)の教えを受ける。……18歳から25歳まで。
宗教的な性的潔癖さと性欲との葛藤。
白樺派……ロダン、トルストイなどを信奉。ヨーロッパ芸術を紹介。
理想主義的・社会改革の試み:有島武郎(北海道の農地を解放)、武者小路実篤(新しき村の建設)
引っ越し(移動)……宮城、東京、尾道(父との不和)、城崎(療養)、松江、京都、鎌倉、赤城山、千葉県我孫子、京都、奈良、東京、熱海、東京
唯一の長編「暗夜行路」……16年間かけて、1937(昭和12)年に完結。54歳。
自分が祖父と母との間の子であること、妻が従兄と犯す過ちに悩む。などいわゆる「不貞」の問題が出てくる。
「小説の神様」と呼ばれた。
2 「清兵衛と瓢箪」(1913)を読む
⑴ あらすじ
・冒頭、先説法的(あらかじめ後の展開を予告する書き方)に、話の全体を俯瞰的に示す。
・爺さんの禿頭を瓢箪と見間違う
・大工の父と客の会話
・子供じゃけえ、瓢いうたら、こう云うんでなかにゃあ気に入らんもんと見える
・子供の癖に瓢いじりなぞをしおって
☆馬琴の瓢箪……面白うなかった。かさ張っとるだけじゃ。←父の怒り
・見慣れない場所に瓢箪……震いつきたいほどにいいのがあった。十銭で買う。
・学校へも持って行き、教員に見つかる。声を震わせて怒った。「将来見込みのある人間ではない」
・家に訪ねてきて、母に食ってかかる。「こう云う事は家庭で」
・父は散々に殴りつけ、柱の瓢箪を玄能で叩き割る。
・教員は取り上げた瓢箪を小使いにやってしまう。
・二ヵ月後、金に困った小使いは、瓢箪を骨董屋へ持っていく。
・骨董屋と小使いの駆け引き。五円→十円→五十円
・骨董屋はそれを六百円で地方の豪家に売る。
・清兵衛は絵を描く事に熱中、父はそれにも叱言を言い出してきた。(繰り返されることを暗示)
⑵すべてを知っている語り手/それを知らぬ人物……愚かさに対する皮肉
・瓢箪の行方…清兵衛(十銭で買う)⇒教員⇒小使い(わずかな金に困り、)⇒骨董屋(五十円/教員の給料四か月分)⇒地方の豪家(六百円)
⑶何故、清兵衛は叱られるのか。何故、大人は彼を叱るのか。
・瓢箪を売る……骨董屋、八百屋、荒物屋、駄菓子屋、専門に売る家
・「瓢いじり」「品評会」
・「この土地の人間が瓢箪に興味を持つ」ことが、よそから来ている教員は気に食わない。
☆こうした瓢を愛でる土地柄だが、子供がそれに興味を持つことは「子供の癖に」と言われている。
⑷簡潔な表現で
・それぞれの人物が見事に一筆書きで描かれている。
教員の狭量さ。身勝手さ(自分の趣味の浪曲には甘いのに)。
恐縮し泣き出し愚痴っぽい叱言を云う母親
力で抑えつける父親の乱暴さ。殴りつけ、玄能で瓢箪を叩き割る。
小使いの抜け目のなさ(しかし、結局は真価を見抜けていない)
・柱に下げた沢山の瓢箪
……すぐ後ろのそれに気づかず叱言を述べる教員
いつ気づくかヒヤヒヤしている清兵衛
気づいて叩き割る父親
・会話(方言)が見事に再現されている。
3 「小僧の神様」(1920)を読む
⑴「小僧の神様」は十の短い章で構成されている。
一 秤屋。番頭たちが鮨屋の話をしているのを小僧仙吉が耳にする。
二 使いの時わざと鮨屋の前を通る。帰り、電車賃四銭をうかせて、鮨屋の前を。屋台を発見。
三 若い貴族院議員のAは仲間のBから屋台の鮨の話を聞く。屋台へ入ってみた。そこへ小僧が入ってきて、鮨に摘んだが、六銭と言われて、戻すのを目撃。
四 AはBに目撃談を話す。可哀想だった。ご馳走してやればいい。冷汗ものだ。勇気がない。よそでならやれるかも。
五 Aは体重秤を買うため、偶然仙吉のいる店に。仙吉に運ばせる。出鱈目の住所姓名を書く。
六 車宿で荷物を積み移させ、仙吉にご馳走すると申し出る。店のおかみさんに頼んでAは立ち去る。仙吉は三人前の鮨を食う。お代は沢山頂いているから、また来てくれ。
七 Aは自分の寂しい気持ち。細君に話す。
八 仙吉の考え。屋台で恥をかいた。あの場にいた人だ。どうして自分のいる所を知ったのか。あの家は番頭たちが噂していた家だ。どうして、不思議だ。神様かも、仙人、お稲荷様かも。超自然なもの。
九 Aの寂しさは消えるが、店や鮨屋は避けた。俺のような気の小さい人間は軽々しくそんな事をするものじあ、ないよ。
十 仙吉の思い。ありがたい、想うだけで慰め、いつかまた思わぬ恵みを、と信じていた。
作者の言葉。小僧が住所を訪ねると稲荷の祠という筋は、少し残酷な気がして来た。それでその前のところで筆を擱く。
⑵この小説は、視点の切り替えがはっきりとしている。小僧仙吉、貴族議員A、二人の心理の推移が簡潔に鮮やかに描き出されている。
⑶貴族院議員Aの寂しい気持ちについて
・何だか可哀想、どうにかしてやりたい。
B「ご馳走してやればいい」⇒冷汗もの、勇気がない
・偶然再会した小僧にご馳走しようと思う。偽の住所氏名を書く。
・小僧に別れる、追いかけられるような気持ち、変に淋しい気。
この変に淋しい、いやな気持は何からくるのか。
人知れず悪い事をした後の気持ちに似通っている。
自分のした事が善事だと云う変な意識があって、それを本当の心から批判され、裏切られ、嘲られているのが、こうして淋しい感じで感ぜられるのか。
「俺のような気の小さい男は軽々しくそんなことをするものじゃないよ」
⑷この小説には明示していないが、貴族院議員と小僧とは身分的・階級的・経済的な差がある。例えば「屋台の鮨屋」というのは、貴族院議員が立ち寄るところとしては下賤な所であり、小僧にしてもまだ「分に過ぎた」ところということになる。
⑸何故、最後に作者が出てくるのか。
①もし、最初の構想通り書いたらどうなるか。
②十の半ば、仙吉の思いで終えていたらどうなるか。
③現在の形にしたことで、読者はどのような印象を持つか。
☆メタ・フィクションという手法
中島敦を読む - 山月記、名人伝 -
1 中島敦について
年譜
1909(明治42)年 東京に生まれる
1911年 父母の離婚により、2歳から6歳までを祖母のいる埼玉県で育つ
1915年 奈良県郡山町に移り住む。
1918年 静岡県立浜松尋常小学校に転入。
1920年 朝鮮京城市の小学校に転入。
1926年 京城中学校を卒業。上京し、第一高等学校に入学。
1933年 東京帝国大学国文学科を卒業。同大学大学院に進む。
1933年 私立横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)に国語と英語の教師として赴任。
1941年 教職を辞し、パラオ南洋庁へ教科書編纂掛として赴任。
1942(昭和17)年 戦争の激化により帰国。『古譚』、『光と風と夢』を『文學界』に発表。
12月4日 気管支喘息で死去(享年33)。
代表作
李陵、悟浄出世、悟浄歎異、弟子、名人伝、光と風と夢、ほか
キーワード
漢学…祖父は埼玉県で漢学塾「幸魂教舎」を開き、門弟は千数百人。伯父・叔父らも漢学者だった。父は漢文の中学教員、母は小学校教員。
海外地生活…父の転勤に伴って、朝鮮、満州へ。)
喘息…十代の終わり頃から喘息の発作。のち、1941年、転地療養のために南洋、パラオ、サイパンへ。
文壇デビュー…1942年、その年に死去。
中国古典に題材をとった作品
・論語……「弟子」(孔子の弟子、子路を主人公に)
・史記……「李陵」(匈奴に捕えられた将軍李陵を主人公に。司馬遷の事件も)
・西遊記……「悟浄歎異」「悟浄出世」(わが西遊記)
・列子……「幸福」(夢の中で現実が逆転する話を、南洋の島の伝説に置き換えて。)
2 山月記について
「山月記」のあらすじ
・李徴は若くして官吏登用試験に合格した。
・すぐに退官し、故郷に帰った。
・試作にふけったが、文名は容易に上がらなかった。
・妻子の衣食のために、再び官吏となる。
・発狂し、行方不明となる。
・監察御使の袁さん一行は、虎に襲われそうになる。
・虎になった李徴と、友人袁さんとの対話。
・李徴の告白①…変身、虎としての所業、人間の心が次第に消えていく。
・李徴の頼み①…詩の伝録
・袁「一流の作品となるのには、どこか欠ける所があるのではないか」
・李徴の自嘲、即興の詩
・李徴の告白②
・臆病な自尊心、尊大な羞恥心……これが虎だったのだ
・空費された才能、過去
・李徴の頼み②…妻子のこと
・李徴の自嘲「飢え凍えようとする妻子のことよりも、おのれの乏しい詩業を気にかけるような男だから、こんな獣に身をおとすのだ」
・二人の別れ
・月をあえいで、二声、三声咆哮。
「山月記」を読み深める
⑴李徴はどのような人物として設定されているか。
・「博学才穎」若くして科挙に合格し、役人となった。
・「性狷介」で、自分に自信があり、下級役人に満足せず。
⑵李徴が退官した理由
・下っ端役人として、俗悪な上官に仕えるのが嫌
・詩人として名を残そう
⑶李徴が再び役人になった理由
・貧窮のため
・自分の才能に絶望。
⑷李徴の心の中はどのようであったか。
・以前軽蔑していた連中の下で働く。自尊心が傷つく。
・「怏怏として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった」
⑸李徴が「進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」のは何故か。
⇒己の珠にあらざることを惧れる
⑹李徴が「俗物の間に伍することも潔しとしなかった」のは何故か。
⇒己の珠なるべきを半ば信ずる
⑺「共に、我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである」
……⑸⑹とも、李徴の屈折した心情を示す。優越感と劣等感の交じり合ったもの。
⑻憤悶(いきどおりもだえる)……自分を認めない世間に対する怒り…自尊心
慙恚(はじて恨み怒る)……世間に認められぬ自分に対するふがいなさ…羞恥心
⑼李徴の二つの願い
a 詩の伝録
・真摯な願い(死んでも死にきれない)
↓
・自嘲(今でも詩人になりたいという夢を捨てきれずにいる)
b 妻子の経済的援助
・真摯な願い(慟哭)
↓
・自嘲(ほんとうは詩の伝録よりもこのことを先にお願いすべきだった)
☆李徴の自嘲癖の意味するところ
・熱しきれずふとさめてしまう。裸の自分をさらせない、見えすぎる男の悲劇。
・自分が批判される前にあらかじめ自分で自分の非を指摘する、一種の自己防衛。
「人が虎に変身する話」の系譜
・中国には、人が虎に変身する話がいくつもあり、中でも李徴の話は有名である。それにもいくつのバージョンがある。
①『太平広記』所収の「李徴」
……「李徴が虎に変身した話」(岩波文庫『唐宋伝奇集』下)
②李景亮(りけいりょう)撰「人虎伝」
……これは①を元にして、「即興の詩」(「山月記」にも引用されている李徴の詩)などを付け足したものである。中島敦は、②を読んで「山月記」を書いた。一部、「李陵が虎に変身した話」(岩波文庫『唐宋伝奇集』下)の注に紹介されている。
☆「李徴」⇒「人虎伝」⇒「山月記」
「人虎伝」と「山月記」を比較してみる
①中島敦が削ったもの
・李徴は皇族の子である。楚の国で歓待を受ける。
・下僕への暴力。行方不明ののち、下僕は財を持ち逃げする。
・人食い虎としての所業。(婦人を食う。殊に甘美なるを)
・袁は食糧として、馬を贈ろうとするが、李徴は断る。そこで羊肉を渡す。
・寡婦(やもめ)との密通、放火によって一家を焼き殺す。(李徴の過去の罪)
・袁は、訪ねてきた李徴の子どもに、事実を話す。
②中島敦が加えたもの(あるいは変更したもの)
・李徴は詩人をめざしている。
・人間の心が次第に消えていくことの恐怖。
・李徴の即興の詩に対する袁の疑問。「どこか欠けるところがあるのでは」
・李徴の自嘲
・詩人としての悩み。「臆病な自尊心、尊大な羞恥心」
・虎になったことを李徴は自分なりに理由づけしようとする。
③中島敦が話の順序を変えたもの
「人虎伝」の場合:妻子のことを頼む⇒文の伝録を頼む
「山月記」の場合:文の伝録を頼む⇒妻子のことを頼む
☆人虎伝によりながらも「詩人の悲劇」という主題を大きく打ち出している。
☆李徴には、作者自身(才能が世間に認められる前に死去した)が投影されている。
3 名人伝について
弓の名人紀昌の伝記という体裁をとった、愉快なほら話。真面目くさった漢文体がユーモアを倍加する。
起:修行時代、瞬きせざることを学ぶ。
承:師匠飛衛との対決。
転:甘蠅老師を訪ねる。不射之射。
結:晩年、弓を手にとらぬ名人
太宰治を読む - お伽草子/カチカチ山 -
Ⅰ 太宰治について
年譜
太宰治(本名、津島修治)
1909・明治42年 青森県に生まれる。大地主の六男として。
1927・昭和2年 弘前高校入学、花柳界に入り浸る、芸妓紅子(小山初代)を知る。
1930・昭和5年 東大入学。共産党のシンパとして活動。小山初代上京、兄より義絶を条件に結婚を認められる。自殺未遂、相手の女給田部シメ子(19歳)は死亡。小山初代と結婚。
1936・昭和11年 『晩年』(処女作品集)刊行。パビナール中毒のため入院。
1937・昭和12年 初代の姦通事件を知り、初代と心中未遂。離婚。
1939・昭和14年 井伏鱒二の媒酌で石原美知子と結婚。
1948・昭和23年 愛人の山崎富栄と入水自殺。
太田静子…昭和22年に知り合う。「斜陽」のモデル。太宰の子、太田治子(昭和22年生まれ、のち作家に)を生む。
※作家津島祐子(本名、里子、昭和22年生まれ)は太宰治・美知子の次女。
山崎富栄……昭和22年に知り合う。富栄の部屋を仕事部屋とする。入水自殺の相手。
代表作
走れメロス、駆け込み訴え、富嶽百景、右大臣実朝、津軽、惜別、お伽草紙、ヴィヨンの妻、斜陽、人間失格、桜桃
キーワード
☆太宰治は、意外なくらい先行の作品をもとにして作品を作り出している。例「魚服記」、「走れメロス」(ギリシア神話とドイツのシラーの詩をもとに)、「惜別」(魯迅の「藤野先生」をもとに)など。
「水仙」(菊池寛「忠直卿行状記」に関する言及が冒頭に出てくる)もその一つ。但し、「水圏」は先行する作品に対する語りなおし・再話ではなく、解釈・変奏として作られている。
☆J・ジュネットの『パランプセスト』にいう所のイポテクスト(先行する作品)とイペルテクスト(派生した作品)
「忠直卿行状記」……「水仙」に先立つイポテクストhypotexte (下層テクスト・下位テクスト)
「水仙」……「忠直卿行状記」から派生したイペルテクスト(上層テクスト)
イペルテクスト性 hypertextualité
Ⅱ 「お伽草子/カチカチ山」について
・昭和20年10月25日刊行、筑摩書房、書き下ろし創作集
・瘤取り、浦島さん、カチカチ山、舌切り雀の四編を収める。
☆五大御伽噺……桃太郎、猿蟹合戦、舌切雀、花咲爺、かちかち山。
⑴「前書き」について
空襲警報が出た時に防空壕で娘をなだめるために昔話の絵本を読んでやる。
《……絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語が醞醸せられているのである。》
☆お伽噺をベースにして、全く別の味わいの小説を作り上げている。
⑵兎は少女、狸は兎の少女を恋している醜男、と見なして話を創作。
⑶昔話の「婆汁」を現行の絵本が書きかえている点について。
・娘の感想「狸さん、可哀想ね。」⇒私は、暗示を受ける。兎の仕打ちはひどすぎる、やりかたが汚い、男らしくない、不快。⇒兎は十六歳の処女だ
☆ギリシア神話、アルテミスへの脱線。残酷な美女。
⑷太宰版「カチカチ山」の構成
①プロローグ・カチカチ山に対する疑念
②物語を、逃げてきた狸が兎の所へやってくる場面から始める。(つまり、昔話の狸が爺さんにつかまる話、婆さんをだまして殺す話はすっとばす)
③芝刈りの場面
……狸のだめさ加減がいやほど強調される。(半狂乱に近いあさましい有様、聞えよがしの悲鳴、見てもらいたげの様子、お調子に乗った狂態、全く気を許してわがままいっぱいに振る舞い、年をごまかし、兄があったりなかったり)同時に兎の手管も示される。つまりここはほとんど「男女のやりとり」なのだ。読者は狸に太宰自身を見る思いがするはず。作者の自虐的な所。
④火傷にとうがらし
狸の勝手なおだ……おれほど不仕合せな男は無い。男ぶりがいいので、女が遠慮して近寄らない、上品に見える男は損だ、おれを高邁な理想主義者だと思って誘惑してくれない、おれは女が好きなんだ。(この狸は太宰か)
⑤泥の舟
・狸の不幸は一種の女難だ、野暮な女難。
・狸が兎を訪ねる場面……兎の嫌い方はクレッシェンド的な物言い(それよりひどい、それよりもなおひどい、それよりも、もっとひどい)
訪問をめぐる忠告(作者から読者への/メタフィクション性)
・やりとりは「男女」のかけひきそのもの。(わざとすねてみせて、わざと信じた振りをして、嘘泣き、歯の浮くような見え透いたお世辞、)
・作者の読者への語りかけ、つぶやき
……まことに無邪気と悪魔とは紙一重。「青春の純真」などという考えに対する八つ当たり、悪魔か低能。
⑥エピローグ・自作への言及
……これは、好色の戒め、忠告を匂わせた滑稽物語、礼儀作法の教科書、善悪よりも感覚の好き嫌いが優先するという笑い話か、という具合に自作を評してみせた上で、開き直り的に「惚れたが悪いか」という主題を宣言。
☆メタフィクション性が際立つ。作者が物語の表面に浮上してくる、読者に呼びかけてくる。【読者/作中人物/作者】の仕切を外してしまう。
☆読者への打ち明け話的なすり寄り方、自己を徹底的にだめ男(もてない男)に仕立て上げる、
Ⅲ 柳田國男『桃太郎の誕生』を参照する
『桃太郎の誕生』(角川文庫・解説関敬吾)
「桃太郎の誕生」「海神少童」「瓜子織姫」「田螺の長者」「隣の寝太郎」「絵姿女房」「狼と鍛冶屋の姥」「和泉式部の足袋」「米倉法師」の九編の論文。
※柳田國男(1875明治8年~1966昭和37年・享年88歳)
関敬吾解説より
「柳田先生は昔話、伝説の起源を神話に求める。」
「神話はもともと神聖なものである。定まった日に、定まった人が、定まった方式をもってこれを語り、聴く者がことごとくこれを信じ、信ぜざるものの聴くことを許されぬ説話で、……」
・伝説……⑴無形式。決まり文句がない、⑵場所、時、人物の規定がある。話に物があり、記憶に具体的な足場がある、⑶信じられることを自ら要求する。
・昔話……⑴特徴的な形式、語り方を持つ。(昔々、導入部分、移行の形式、叙述の形式、固有の語り方、結末の法則、結語など) ※幸福な結婚、富の獲得
⑵固有名詞の省略、そして固有の命名法(桃太郎、瓜子姫、ちから太郎など)
⑶内容の真偽は問題ではない。真実の報告でなく、娯楽のために語られる。
☆桃太郎と瓜子姫の対照性を柳田國男は指摘していた。
・川を流れてきた桃、瓜から小さな子ども(男/女)が生まれ、老夫婦が育てる。
・事業(鬼退治という武勇・男/機織りという技芸・女)
※織姫は神に仕える少女。嫁入りは神の妻に。東日本では瓜子姫は殺され、西日本では救い出される。アマノジャクが化けるのは「偽の花嫁」型
「桃太郎の誕生」を参考にして
・日本での口承文芸の童話化はそう古いことではない。元々子ども向けの話というのは村にはなかった。子どもにわかりやすいもの、叙述の省略、興味の移動などによって
☆庚申や日待ちの晩の「夜話」の衰退。→子ども向けのお伽話に
日待ちとは「近隣の仲間が集まって特定の日に徹夜してこもり明かし、日の出を拝む行事。正月、五月、九月などに行われ、しだいに酒宴を伴うようになった。
☆話者による話の接合、混交
☆話をすることを職業として旅した者の存在……法師、比丘尼、イタコ、門付の歌念仏、などなど(各地への広がりとバリエーション)
柳田國男は「かちかち山」についてこう述べている。
《それからまた「かちかち山、これは三種の昔話の継ぎ合わせということがほぼ証明しえられる。その中でも智謀に富む兎が愚直なる狸をあざむき苦しめるという一条は、世界共通の動物説話の、ことによく知られている部分で、ここではただ狸がそのようにまでひどい目に会わされる理由を、爺の名代の仇討とした点がちがっているのである。最初その狸が爺に捕えられた事情なども、近ごろはしごく手短に述べることになっているが、以前はこれがまたまとまった一つのお話であって、要点は石の上に餅をぬっておくのを知らず、いつものごとくその石の上に上って、爺婆を悪口しようとして失敗したことになっている。そういう愚かな狸が中途において婆をあざむき殺し、その婆に化けて爺の帰りを待ち受けていたなどということは、少し考えてみれば不調和は争えないが、この部分がまた北欧の赤頭巾物語と対照すべき、われわれの瓜子姫譚の骨子であった。ただかれには「糠屋の隅を見よ」ということを、家の鶏が鳴いて教えたに反して、これでは狸がみずからそういって逃げ去ったという点を異にするのみである。この三通りの昔話は、今でも独立して方々の田舎には行われている。「かちかち山」は単にこれを省略し、かつ語り合わせたという以上に、これという変化は加えていないのである。」
「かちかち山」の三つの話の骨子
①狸が爺に捕えられた事情
②婆をあざむき殺し、婆に化けて爺の帰りを待ち受ける
☆この部分が「赤頭巾」「瓜子姫」と相通ずる。
③兎が狸をあざむき苦しめる。爺の名代の仇討。
Ⅳ 絵本を比較してみる
☆方言性、あるいは口語性
☆リズミカルな繰り返し、掛け合い、印象的なことば
☆語り始めと結びの句
使用したサンプル
A おざわとしお/赤羽末吉、福音館、1988
B 川崎洋/梶原俊夫 フレーベル館、1998
C 松谷みよ子/瀬川康男 フレーベル館、2002
D 長谷川摂子/ささめやゆき 岩波書店、2004
E 広松由紀子/あべ弘士 岩崎書店、2010
狸の捕獲(第一エピソード)
A となえて豆まく爺に、馬鹿にしてはやす狸、爺が鍬を投げて狸を捕獲。(一日)
B 空豆の種うえ、狸が食べる。馬鹿にする狸。次の日、とりもちで狸を捕獲(二日)
C 朝から畑仕事、夜に食う狸。豆をまく爺、狸が歌う、夜食べられる。歌を歌いながらまく爺、馬鹿にして歌う狸、まつやにで狸を捕獲(三日間)
D 豆まき歌う爺、馬鹿にして歌い、豆を食う狸。鍬の柄でなぐり狸捕獲。(一日)
E 豆まき歌う爺、馬鹿にして歌う狸。捕まえようとしてしりもち、嘲笑う狸。歌を歌いながらまく爺、馬鹿にして歌う狸、とりもちで狸を捕獲。(二日)
※Bだけ爺と狸のとなえごと・歌の応答がない。
※ADはその日に捕えた。BEは次の日捕えた。Cは三日目に捕えた。
狸の脱出、婆殺し、婆汁(第二エピソード)
A 殺して着物を着て化けて、爺に婆汁を食わせる。汁が婆さまくさい。
B 殺して着物を着て化けて、爺に婆汁を食わせる。
C 婆汁は言葉のうえだけ。狸汁など誰なるべ、婆汁でも食ってござい、と囃すだけ。
D 婆汁は狸が食った。
E 殺して化けて、爺に婆汁を食わせ自分も食う。肉がかたい、匂う、うまいのやりとり
※婆を殴るだけで殺さない絵本もあるが、この五冊はすべて殺す。
※婆汁は、Cは言葉だけ、Dは狸が食った。ABEは爺に食わせる。
残酷度比較……C<D<A、B<E。うーん、Eが一番えぐいなあ、婆汁の味の品評も。
※流しの下の骨を見ろ、A、D、E
兎が狸をやっつける(第三エピソード)
A 冬が早く来る、それは大変俺の分も刈らせてくれ/火傷をなおす唐辛子/川へ魚とり
B かばやきで誘う。/薬売り、辛子を混ぜて/涼しい川遊び
C たちがや一本せんばがり、明日は長者の屋根がえだ~、自分の分も狸に背負わす/火傷の薬はないか、唐辛子みそを/木を切る兎、何を作る?舟を浮かべて魚とり
D 柴をかっちゃあ、ぽうりぽり~、煎り豆で誘う、柴と自分を背負わせる/蓼味噌を作る兎、何をこさえてる?火傷にきく薬、俺につけて/舟作り、鮭をとろうと
E 冬はこごえる、小屋の屋根、俺も入れてと手伝う/たでを摘む兎、どうする?火傷の薬を、俺の背中にも/木を切る兎、どうする?舟を作り冬に備えて魚を採る
☆兎が自分は先日の兎ではないと言う。かややまの兎はかややまの兎~
語り始め・結びの句
A むかし、あるところに、じいさまとばあさまがすんでいました。/~とさ。どんどはらい
B ずんずんずんずんずずんとむかし あるやまのなか、じさまとばさまがすんでいた。/「じさまばさまのかたきをとったぞ」これではいおしまい。
C むかし、あるところに、じいさまとばあさまがなかよくくらしていた。/~とさ。はいおしまい。
D とんとんむかしあったとさ。じいさまとばあさまがおったとさ。/~とさ。はなしはおしまい どんとはれ。
E いまはむかし。あるところに、おじいさんとおばあさんがなかよくくらしておりました。/~とさーおしまい
歌謡性(豆まき/船べり叩き)
A ・ひとつぶのまめせんつぶになあれ、~。じいのまめかたわれになあれ~。
・きのふねぽんこらしょ、つちぶねざっくらしょ。~
B なし(ふなべりを叩くことなく、とけてゆく)
C ・ひとつぶはせんつぶになあれ、ふたつぶはまんつぶになあれ。ひとつぶはひとつぶのまんまよ、よるになったらすっからかん。
・すぎのふねはぶんぐら、どろのふねはじゃっくら。~
D ・ひとつぶはせんつぶになあれ、ふたつぶはまんつぶになあれ。ひとつぶはーひとつぶ、ふたつぶはーふたつぶ。
・うさぎのふねはすっといけ。たぬきのふねはざっくりこわれろ、ばっくりこわれろ。~
E ・ひとつぶのまめ、せんつぶになーれ、せんつぶのまめ、まんつぶになーれ。ひとつぶのまめ、はんつぶになーれ、はんつぶのまめ、くさってきえろ。~
・木のふねざんぶりこ、どろのふねざっくりこ。~
表紙/裏表紙
A 狸のかやに火をつける兎、燃え上がるかや(本文中の絵と同じ)一枚絵
B 爺、婆、狸、兎の四人が/鍬持つ爺
C 笑う兎、くってかかる狸 一枚絵
D 狸の背中からとびおりた兎、燃えるしば(ほぼ同じ絵が本文にあり)/たで
E 狸(動物の絵)/裏表紙は兎半身(動物の絵) 本文と眼の表情が違う
絵の特徴
A ほぼ同サイズだが、数枚変化あり。右へ横移動。
B 一貫して同一サイズ。右へ横移動。木ととんぼの同一意匠の反復。
C 基本的には同サイズ、但し遠近法的、背景の書き込み・装飾性強く美術性高い
D 基本的には同サイズ、ウマヘタ絵風、右へ横移動。
E サイズは自在に変化。角度も変化。ページ分割。白黒の本文絵と枠の美しい色と装飾
Ⅴ 「かちかち山」の文学的転生・その一例
おとぎ話 吉原幸子
兎はいい方、タヌキはわるい方
タヌキがおばあさんを たべたから
親切ごかしに 辛子をぬったり
どろ舟にのせて だましうち
だまして、わらって、
兎は云った
〈お前のふねは どろの舟!〉
でも 兎はいい方、タヌキはわるい方
タヌキがおばあさんを たべたから
おばあさんをたべて、
タヌキは云った
〈ながしの下の 骨をみろ!〉
何といふおそろしさだったらう
硫黄のやうに煮え立った たぬき汁の匂いまでが
わたしには かげた
くちかけた流しの しめった木の色までが
わたしには 見えた
重くるしい夜
罪を犯したタヌキのやうに わたしはおびえた
花が咲いたり 魚がをどったりのなかに
ひとつだけ 青いうそつきの顔が立って
〈ながしの下の 骨をみろ!〉
〈お前のふねは どろの舟!〉
☆太宰治『御伽草子』(昭和二十年十月)に「カチカチ山」がある。兎を十六歳の処女、狸を三十七歳の中年男とみなして、語っていく。
谷崎潤一郎を読む - 春琴抄 -
1 谷崎潤一郎(1886~1965)について
年譜
1886・明治19年 東京日本橋に生まれる
1894・明治27年 明治東京地震に遭い、地震恐怖に。
1908・明治41年 東京帝国大学国文科に入学(1911年授業料未納のため退学処分)
1910・明治43年 「刺青」を発表
1915・大正4年 石川千代(最初の妻)と結婚。義妹せい子も同居。
1919・大正8年 佐藤春夫と親交始まる。
1921・大正10年 佐藤春夫と絶交。(千代を譲るとの前言を翻したため)
1923・大正12年 箱根で関東大震災に遭遇。一家を挙げて関西に移住。(苦楽園に)
1924・大正13年 「痴人の愛」の連載開始
1926・昭和元年 芥川龍之介が大阪に来る。谷崎、芥川は根津松子(当時25歳)と会う。
1927・昭和2年 芥川・谷崎の文学論争。芥川自殺。
1928・昭和3年 「卍」の連載開始。(大阪の女言葉での一人語り)
1930・昭和5年 千代と離婚。妻譲渡事件(佐藤春夫と連名の挨拶状)
1931・昭和6年 古川丁未子(文芸春秋社「婦人サロン」記者)と結婚。
1933・昭和8年 「春琴抄」
1934・昭和9年 丁未子と離婚。松子と同棲。
1935・昭和10年 森田(根津清太郎と離婚し旧姓に復していた)松子と結婚。源氏物語現代語訳にとりかかる。
1943・昭和18年 「細雪」連載開始。検察当局の弾圧により掲載禁止。
1948・昭和23年 「細雪」完成。
1962・昭和37年 「瘋癲老人日記」
1965・昭和40年 死去(79歳)
代表作
刺青、痴人の愛、卍、春琴抄、細雪、鍵、瘋癲老人日記
文章読本、陰翳礼讃
キーワード
・長寿で、生涯旺盛な創作意欲を持ち続けた。
・その文学的な傾向は「悪魔主義、モダニズム、日本回帰」と変遷していった。
・映画との関わり……大正活映株式会社顧問、葉山三千子(義妹石川せい子)デビュー
・細君譲渡事件(妻千代、佐藤春夫「秋刀魚の歌」)
……義妹せい子(のち女優葉山三千子、「痴人の愛」のナオミのモデル)との恋愛
・関東大震災を契機に関西移住。
・芥川龍之介との論争「文芸的に、余りに文芸的な」(芥川)/「饒舌録」(谷崎)
……小説において「話の筋というものが芸術的なものか」
・文学的な創作意欲の源泉としての「松子」夫人
……大阪の藤永田造船所の森田安松の四姉妹の次女。木綿問屋の豪商根津清太郎に嫁ぐ。妹たちも同居。(「細雪」のモデル)。のち根津家は没落、松子は清太郎と妹との関係に悩む。
・三度にわたる源氏物語訳
①昭和14年~16年、②昭和26年~29年、③昭和34年~35年
・女人崇拝
・「異常性愛」………レスビアニズム、フットフェティシズム、マゾヒズム、
Ⅱ 春琴抄について
⑴着想・イメージの源
・昭和2年、トマス・ハーディの「グリーン家のバーバラ」を翻訳。貴族の娘が美しい下層の青年と結婚。青年は顔に火傷をおう。娘は別れて別の男と結婚、12人の子どもを産む。
・根津松子夫人と出会うことで、谷崎は多くの作品(蘆刈、盲目物語など)を生むことができた。「春琴抄」もその一つ。
⑵あらすじ
全体は27の章から成る。
1 私は墓参りに行く。春琴の墓は六尺、佐助の墓は四尺。
2 「鵙屋春琴伝」という小冊子の紹介。作者からの批判、写真と主題の提示。
3 「春琴伝」より引用、眼疾、舞に天分があったのか
4 師匠春松検校の言葉、春琴の腕前
5 稽古に行く時、春琴(10歳)の手を引く佐助(14歳)
6 春琴の意を迎える佐助。「暑い」
7 佐助の一人稽古
8 母御寮人が曲を聞いた。春琴「聴いてやろう」
9 春琴が佐助に教える
10遊芸における体刑
11泣き虫佐助、親の説諭、春琴の怒り
12佐助は検校の弟子に、春琴の妊娠
13春琴二十歳、一戸を構えて看板を掲げる
14佐助の世話、厠、入浴、お洒落、爪きり
15春琴の肉体、足、フェティシズム
16小鳥道楽、鶯「天鼓」
17小鳥道楽、雲雀
18吝嗇、欲張り、付け届け・春琴の怒り
19父の死、兄の代、名人意識
20春琴37歳、第二の災難、利太郎、梅見の宴
21犯人の諸説、少女の父親、ほかの検校や女師匠たち
22事件についての「春琴伝」の記述
23佐助が語った事件、盲目になる
24佐助と春琴の語り、二人の喜び
25てる女について
26結婚しなかった理由
27二人の死
人物
鵙屋琴(春琴) 明治19年没(9歳で失明、37歳で火傷、享年58歳)
温井佐助(琴台) 明治40年没(41歳で失明、享年83歳)
鴫沢てる 明治7年12歳で春琴の内弟子として住み込む。明治23年まで佐助に仕える。
⑶文体の特徴
①全く改行がない。わざと句点(。)を省いて二文を連続したり、読点も抑えるなどしていて、全体として句読点が少ない。
②幾種類もの文体(漢文訓読体から大阪弁の話ことばまで)の混交。
例えば、春琴が自分をどう呼んでいるかに注目すれば、
・汝の熱心に愛でて以後は妾が教へて取らせん p30
・「佐助、わてそんなこと教せたか」 p32
・お蔭で私が叱られた p39
また11章の「わて」の口語(大阪弁)の語りと「妾」の文語体(漢文訓読体)の対比・違いがあまりにも凄い
《……あんた等知ったこッたゃない放ッといてと居丈高になって云ったわてほんまに教せてやってんねんで、遊びごッちゃないねん佐助のためを思やこそ一生懸命になってるねんどれくらい怒ったかていじめたかて稽古は稽古やないかいな、あんたら知らんのか。これを春琴伝は記して汝等妾を少女と侮り敢て芸道の神聖を冒さんとするや、たとい幼少なりとて苟くも人に教うる以上師たる者には師の道あり妾が佐助に技を授くるは素より一時の児戯にあらず、……》
※二重線部はいわば作者の語る地の文。
・地の文に語りや会話が溶け込む文体
⑷小説の方法
真実がどの辺りにあるのかを定めがたくする、重層的な構造をとる。
①「鵙屋春琴伝」
②鴫沢てるの証言
③てるの伝える「佐助の言葉」
④ある老芸人の証言
⑤噂、風聞
⑥作者の批判的な考察
⑦作者の想像による再現
これらが重なりあって「春琴と佐助」の「真実」がどこにあったかが、朦朧となる。
《現実の春琴》と《佐助の観念の中の美化された春琴》の間にいくつものフィルターが入っているので読者は真実を幻のようにしかとらえられない。
《春琴の火傷、佐助の失明の事件はどう語られているか》
22章、23章、24章の3つの章で繰り返してこのことが記述されているが、描き方が違っていて、興味深い。その違いを分析する。
22章……「春琴伝」の記述を紹介。「春琴伝」の目立つ内容は二つで、一つは春琴の火傷は軽微で美しさは変わらなかったと強調する点、もう一つはどういう因縁か佐助が白内障で失明したと述べる点。それに対して、作者が疑問を呈し、てる女の証言なども添えながら、批判検討を加えていく。但し、てる女も佐助の心情をおもんぱかって、春琴の「容貌の秘密」を語らない。
23章……春琴の死後十余年たって佐助が側近者に語った話。ここの章はいわゆる「小説」的な書き方になっている。つまり、まるで作者が春琴と佐助の会話を側で聞いていたかのような書き方である。そして所々で作者の感想が入る。
例《それにしても春琴が彼に求めたものは斯くの如きことであった乎》
24章……ほとんど春琴と佐助の言葉だけで、描いている。ここで佐助は針で目を突いたとは言わず、罰、祈願などの理由を挙げているが、「佐助痛くはなかったか」春琴は察している。
ここで、春琴は「ほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました」と言い佐助は「そのお言葉を伺いました嬉しさは両目を失うたぐらいは換えられませぬ」と言う。この辺りは作者が春琴・佐助になりきって語っている。人物への没入度が23章より高い。
⑸作品の主題
《一枚の写真と主題の提示》
・春琴37歳、事件前の写真、朦朧とした写真
……検校が此の世で最後に見た彼女の姿は此の映像に近いものであったかと思われる。すると晩年の検校が記憶の中に存していた彼女の姿も此の程度にぼやけたものではなかったであろうか。それとも次第にうすれ去る記憶を空想で補って行くうちに此れとは全然異なった一人の別の貴い女人を作り上げていたのであろうか。
《何故正式に結婚しなかったのか》
……若い頃は春琴が峻拒。自分は一生夫を持つ木はない殊に佐助などとは思いも寄らぬ。いかに不自由な体なればとて奉公人を婿に持とうと迄は思いませぬお腹の子の父親に対しても済まぬことでござります
……火傷事件以後は佐助が拒否。現実の春琴を以て観念の春琴を呼び起す媒介としたのであるから対等の関係を避けて主従の礼儀を守ったのみならず前よりも一層己れを卑下し……
☆マゾヒズム
☆フットフェティシズム
⑹「春琴抄」の派生テクスト(物語の転生)
映画化
・1935年「春琴抄 お琴と佐助」(制作:松竹蒲田、監督:島津保次郎)
春琴:田中絹代/佐助:高田浩吉
・1954年「春琴物語」(制作:大映、監督:伊藤大輔)
春琴:京マチ子/佐助:花柳喜章
・1961年「お琴と佐助」(制作:大映、監督:衣笠貞之助)
春琴:山本富士子/佐助:本郷功次郎
・1972年「讃歌」(制作:近代映画協会・日本アート・シアター・ギルド、監督:新藤兼人)
春琴:渡辺督子/佐助:河原崎次郎
・1976年「春琴抄」(配給:東宝、監督:西河克己)
春琴:山口百恵/佐助:三浦友和
・2008年 「春琴抄」 (配給:ビデオプランニング 監督:金田敬)
春琴:長澤奈央/佐助:斎藤工
舞台化
・宝塚では、1982年「愛限りなく」(宝塚歌劇団月組・宝塚大劇場公演)佐助:大地真央/春琴:春風ひとみ、を初めとして1995年、2002年、2008年に公演されている。
・2008年『春琴』(世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作、演出:Simon McBurney、芸術監督:野村萬斎) 佐助:チョウソンハ/春琴:深津絵里などがある。
大江健三郎「不意の唖」(1958年)
Ⅰ 大江健三郎について
1935年 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。
松山東高校時代の友人が、伊丹十三(監督・俳優)である。
1954年 東京大学に入学。のち仏文科渡辺一夫に師事。
1957年 「奇妙な仕事」が東大五月祭賞に入賞。荒正人、平野謙によって評価される。以後やつぎばやに短編を発表。
1958年 3月最初の短編集『死者の奢り』を刊行。
6月最初の長編小説『芽むしり仔撃ち』
「飼育」で第39回芥川賞を受賞。23歳
9月「不意の唖」。(第二短編集『見るまえに跳べ』(10月刊行)に収録)
1960年 伊丹万作(映画監督)の長女ゆかり(伊丹十三の妹)と結婚。
1961年 1月「セヴンティーン」、3月「セヴンティーン第二部・政治少年死す」
※1960年の右翼少年山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件をモデルとしている。右翼団体による脅迫を受ける。
※深沢七郎の「風流夢譚」事件
1964年 『個人的な体験』(新潮社文学賞) 29歳
1965年 『ヒロシマ・ノート』
1967年 『万延元年のフットボール』(谷崎潤一郎賞) 32歳
1070年 『沖縄ノート』
1973年 『同時代としての戦後』
『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞) 38歳
1979年 『同時代ゲーム』
1983年 『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞)
1985年 『河馬に噛まれる』(川端康成賞)
1989年 『人生の親戚』(伊藤整賞)
1993-1995年 『燃えあがる緑の木』(三部作)
1994年 ノーベル文学賞受賞 59歳
2000年 『取り換え子』
2007年 『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』
2009年 『水死』
2013年 『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』
キーワード
・戦後民主主義を体現し、戦後文学の継承者となる。
・若い頃はサルトルに影響を受ける。想像力の重視。
・現実の事件に対して
・『叫び声』……小松川女子高生殺人事件
・『洪水はわが魂に及び』……連合赤軍事件
・『河馬に噛まれる』……連合赤軍事件
・『宙返り』……オウム真理教事件
・繰り返される主題の原型は、『万延元年のフットボール』
《谷間の村への帰還、村の歴史・伝説の解釈と再演、共同体作りの試みとその挫折》
・父の死の意味づけ/天皇制
・女性の力(妹の力)
・1963年長男光の誕生、知的障害のある子供との共生⇒私小説的な側面×想像力
・ヒロシマ、沖縄のルポルタージュ、反核運動。
・九条の会(2004年設立)
井上ひさし(作家)、梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(憲法学者)、小田実(作家)、加藤周一(評論家)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、三木睦子(元内閣総理大臣である三木武夫の妻)が呼びかけ人に
・「さよなら原発」の呼びかけ……2011・9・19は6万人のデモに。
Ⅱ 「不意の唖」について
⑴「小説の語り(ナレーション)」の問題……小説をどの位置から語るか(小説の視点)。
・例えば、「紙包装の菓子」という表現は何故出てくるのか。
・この小説の場合、語り手は誰の眼に近いか、誰の心の中を語っているか。
……部落長の息子
※但し、「翌朝の場面」は語りの位置が、それまでとは違う。
⑵結局、通訳の靴はどうなったのか
☆小説の「死角」にあり、確定できない。
これを「決めつけてしまう」と解釈に無理が生じてしまう。
☆通訳はどう思ったか
☆外国兵は「通訳の靴がなくなった」ことをどう思っているか
⑶何故、部落長は死んだのか(事件をどうとらえるか)
事件はいくつもの層が複合して生じる。
・現象 通訳の靴がなくなった
・人間性 執拗にこだわる通訳の人間性
……なぜこだわったのか
☆外国兵/通訳/村人の関係
「外国兵たちが銃を胸に広場へ出てくると、それを背後の支えにして通訳は村の大人たちへ向きなおった。」
・大状況 占領下の日本(外国兵が村にやってきた)
・小状況(条件)村人たち、外国兵たちは通訳抜きでは意思疎通ができない
……コミュニケーションを独占する者としての通訳。
・場面 (細かく検証する)
「とまれ、泥棒、逃げるな」と通訳が叫んだ。そしてかれは外国語をそれにつづけて絶叫した。若い兵隊が銃を腰にかまえてとびだし、やはり外国語でどなった。父親がふりかえり、そして急に恐怖におそわれたように駆け出した。通訳が叫び、若い外国兵の銃が号音をひびかせ、父親が両腕をひろげて空へ跳びはねるように体をうかせ、そのまま地面へたおれた。
⑷何故、通訳殺しは無言の中で行われたのか
・
・少年の家に来た大人たちは黙ったまま少年を見つめた。
・少年は通訳に対して何もしゃべらない。
・通訳を水に沈める時、そして帰る時も黙ったままだった。
☆村人たちは相談したのだろうか。相談したのならいつどのように。してないのなら、何故こんな殺人が可能なのか。
☆霧の坂道を登ってくる村人たちは、歴史のかなたから現れたようだ。
⑸通訳殺しの特徴とその意味
・沈黙の中での殺人
・みんなで抱きついて殺す(共同責任において)
・水死……①事故死に見せかける
②水の中(非日常)という象徴性
⑹翌日、村人たちが外国兵に全く反応を示さないのは何故か。
・「しゃべれない」(無力さ)から「しゃべらない」(意志的な抵抗)へ
⑺コミュニケーションという主題
敗戦後まもない占領下の日本/近代以前の村落共同体
外国兵への通訳(翻訳)/以心伝心
⑻父親の死、母親からの離脱……少年期の終り
Ⅲ テキストをつなぐ
⑴現実の事件とつなぐ
・1992年10月17日、米ルイジアナ州で高校生留学生服部剛丈君がハロウィーン・パーティの訪問先を間違えて、不審者と誤解され射殺される。(1993年5月23日、ルイジアナ州地裁は、被告の正当防衛を認め、陪審員全員一致で無罪の評決)
・1995年沖縄で起きた、米兵による少女暴行事件。
・1995年10月6日付け毎日新聞。米占領軍資料により発見された事実。「1947年東京。神奈川の県境で米兵5人が日本人約20人を殺傷」
⑵授業の経験とつなぐ(1979年以降10回以上授業でとりあげた)
・通訳殺しの相談はあったのか、どうかで激論になったこともあった。
・どうしても、靴のゆくえが気になるようだ。
・通訳の人間性に事件の原因を見ようとする傾向がある。
⑶他の作品とつなぐ
・通訳の横暴という主題……五味川純平『人間の条件』
・村落共同体における殺人という主題……今村昌平『神々の深き欲望』
⑷大江健三郎の他の作品とつなぐ
《村落共同体における殺人という主題》
・『万延元年のフットボール』(1967)……償いとして殺されたS兄さん
・『洪水はわが魂に及び』(1973)……「鯨の木」の下での処刑
《父親の死、批判的な母親》
・「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(1972)
・『水死』(2009)
津村記久子「ポトスライムの舟」(2009)
Ⅰ 津村記久子について
略歴
1978年1月23日生まれ。大阪府出身。大阪府立今宮高等学校、大谷大学文学部国際文化学科卒業。新卒で印刷会社に就職。9月から1か月間飲料メーカーのライン工として働き、10月から女性上司の下でパワハラを受け、退職する。失業期間中(2001年1月末~10月)、入院中の祖母の世話をしながら、4月~6月再就職訓練(パソコン)を受け、商店街にある祖父の服屋で商売をする。(『八番街カウンシル』)9月に上級訓練を受け、その後ハローワークで見つけた会社に入り、仕事をしながら小説を執筆。十年半勤める。
主な小説(単行本、☆は文庫、*は表題以外の収録作品)
・『君は永遠にそいつらより若い』2005、太宰賞、☆
・『ミュージック・ブレス・ユー!!』2008、野間文芸新人賞、☆
・『ポトスライムの舟』2009、芥川龍之介賞、☆
*十二月の窓辺
・『ワーカーズ・ダイジェスト』2011、織田作之助賞
・「給水塔と亀」 川端康成文学賞、2013
・『ポースケ』2013……「ポトスライムの舟」から五年、ヨシカの店を舞台に綴る連作
☆『ポースケ』(2013年12月刊、書き下ろし)は、「ポトスライムの舟」から五年後を描く。ヨシカのやっているカフェが舞台になっていて、短編連作のような形式で、中心となる登場人物を変えながら、連環していく。作家的な力量が上がっていることが歴然とわかる。
・『エヴリシング・フロウズ』2014
Ⅱ 「ポトスライムの舟」 (2009、芥川賞受賞作)について
⑴《小説のアウトライン》
舞台は奈良、モラルハラスメントを受け退職した経験を持つ長瀬由紀子は、今工場で働き、友人ヨシカの喫茶店でバイトをし、老人相手のパソコン教室で講師をし、内職でデータ入力を。壊れかけた家で母と二人。世界一周のクルージングのポスター、費用一六三万円は一年分の給料に相当、貯めることを決心。大学の友人、そよ乃(教員志望だったが、不合格、すぐ結婚)、ヨシカ(総合職で五年間)、りつ子(幼稚園の娘がいる)、と四人、三宮で会う。りつ子は娘の恵奈を連れて家を出、ナガセの家へ。ナガセの母は恵奈を可愛がる。ナガセの家も母子家庭。同僚の岡田さんも悩みを抱えている。図鑑好きの恵奈。初詣で願い事をする。りつ子母子の引っ越し。五月風邪で仕事を休む。恵奈の自由研究「食べられる観葉植物」のコピーが送られてくる。あきらめかけていた貯金がたまる。岡田さんは離婚しないことを決断。
*主な登場人物とその配置
(大学時代の友人)
・ナガセ(/おかん)……パワハラにあい、一旦退職。現在は契約社員。
・りつ子(/恵奈)……働いていたが結婚を機に専業主婦に
・ヨシカ……総合職(五年間)として働き、カフェを経営。
・そよ乃……すぐに結婚、実家は金持ち
(職場の同僚)
・岡田さん
*章ごとの主な事件
一 世界一周の費用=一年間の賃金を、貯めようと決意する。
二 三宮で友人四人が会う。りつ子母子が家出して、ナガセの所へ。雨の休日、ナガセと恵奈は二人で留守番、ポトスの水差しを作る
三 ヨシカもいれて五人で初詣に行く。二月りつ子は仕事に付き、生駒に引っ越す。
四 五月、病気で仕事を休む。岡田さんの悩み(夫の浮気)をきく。
五 雨水タンクを買う。りつ子からの手紙、恵奈の絵。あきらめていたのに、お金が目標額に達していた。自転車で工場へ行く。岡田さんから、とりあえず離婚せず頑張る、ときく。
⑵「ポトスライムの舟」というタイトルの意味は
⑶名前と名詞(固有名詞やあまり知られていない名前)の問題
・何故、「長瀬由紀子」でなく「ナガセ」なのか
・ラインリーダー、クリーンルーム、ワイブクロス、アウトリガーカヌー、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニー、ステレオフォニックスのアルバム、シュガーバイン、ハイドロカルチャー、……
⑷文体の特徴
☆関西弁の持ち味
☆会話文が地の文にとけこむ所
・「家、出てきた」/ヨシカがこっちに来た時、しばらくナガセの家におったっていうのを思い出して、もしかしたらちょっとはおらせてもらえるかなと思って、りつ子は早口で続けた。P44 ※長嶋有の文体を参照
☆一人ぼけ・つっこみ・……ああいうの欲しいなあ、と思ったけど、そんなん買える立場なわけないやろぼけ自分、って、と答えた。P34 ⇒⑸へ続く
⑸ナガセの心の動かし方が「変」である。(文体とも関係する)これは三つの意味を持つ。
①彼女が前の仕事で、心理的な傷を負っていることに由来する
☆風邪を引いて仕事を休んだ時の心の動きが、この小説の要になる。
《この程度のことから一人で立ち直れない自分を認めたくなかった。……工場もヨシカの店も、土日のパソコン教室も皆勤だった。工場に勤めてから五年間、仕事と名のつくものを休んだことはなかった。休みたいとはしょっちゅう思っていたが、それで休んだら、自分が根本から変わってしまうのではないかといつも怯えていた。休みたかったのに、空いている時間が嫌で、仕事を増やした。……自分の時間がないことに安心していた。どの仕事も薄給だということが、ときどきナガセを追い詰めたが、それでも働かないよりはましだと思っていた。前の仕事をやめた後、何もしていなかった頃の焦燥を思い出すと、体は熱いのに身震いが起こる。》P90
②自分の中に複数の自分(感情的/理性的など)がいて(過去に由来するが、本来の気質もある)、すぐに反省したり、それでも抑制できずにやってしまったりする。それが文体的には複雑な屈折として現れる。
☆りつ子に新幹線代を貸すことを申し出るあたり。p47~48
・お金、貸すけど、と口走っていた。そんな余裕はまったくないにもかかわらず。世界一周が一歩遠のくのを、醒めた顔で承知しながら、自分はいったい何を言っているのだろうと思った。
・(気前が良すぎる?)約五日弱分の労働。ずっと寝ていて工場やカフェを休んでいたと考えれば良い。自分をだます。(りつ子なら返してくれる。やっぱり気前が良すぎる?)
☆初めて「くじ」を買い、後悔する。P52
・……自分はいったい何をしているのだ。ラインで一つのことを考え始めると、大したことでなくても頭の中で膨張してしまい、ほとんど呪縛のようになってくるというのは重々承知していたはずなのに。
③彼女の気質・人格の特性が良く出ている。この点は作者自身の価値観に由来する。つまり、津村記久子の小説の主人公に共通の部分。
……一番の例は、初詣で興福寺の一言観音に行き、「せかいいっしゅうが、と頭の中で言いかけ、やめた。代わりに、ヨシカとりつ子と恵奈ちゃんとおかんの願いが叶いますように、と願って」という箇所だ。P76
⑹笑える所と泣ける所
⑺何故、「一六三万円」を貯めようとしたのか《決心する場面を読みなおす》
・「ヨシカが示した考えからある種の猶予のようなものがはっきりと浮かび上がってくるのをじっと待っていた。」p26
・「いけない、と思う。しかし、何がいけないのかもうまく説明できない。」p27
・「そんなことゆうて腕にタトゥー入れたいとかいうのはどうしたん。」p27
*ヨシカの目から見れば、タトゥーも世界一周も、同じようなナガセの突飛な考え。
・「よもやクルージングに行きたいと本気で願い始めたわけではなかったが、工場での時間がそのままそっくり世界一周に移行されるということが頭から離れなかった。」p28
・自転車のブレーキがきかず、自動車に轢かれかけ、電柱に激突。「わかった。貯めよう。」
・次々と計画が頭をもたげてくるのは気持ちがよかった。ひさしぶりに、生きているという気分になった。P31
⑻夢の場面(p95~96)をどう読むか
・その直前、ミネラルウォーターのラベルを読み、「一リットル購入のたびに、アフリカに十リトッルの水が生まれる」。雨のある国に住んでいるだけでも幸せなのかもしれない、と思う。若い女医にその話をしたいと思う。
《 若い女医 > ナガセ > アフリカ(水が貴重) 》
・夢の中であちこちの島にポトスの水差しを配る。水だけで増えるってすごくないですか。島の人は大して喜ばない、水がないからと断られる。ポトスのたくましさ、でも食べられない⇒全部捨てようとカヌーを揺らす、でもナガセが疲れるだけ、本気でなかったのかも。わたしはまだまだだ。漕ぐのをやめる。舟は流されて自宅へ。うつむいたまま、それでも仕事に行くつもりだった。
※「本気でなかったのかも、わたしはまだまだだ」という感情は、「世界一周の費用・一六三万円」を貯めようとすることにも重なる。
⑼いくつかの主題
・女性の生き方(四人の友人、仕事+恋愛+結婚+家族)
・そよ乃や若い女医とナガセやりつ子(貧富)
・りつ子の結婚・離婚に現れている問題
・岡田さんの夫の浮気問題
《相手も家庭のある人みたい。どうなんやろう、どう思う?旦那が同僚に、あいつを見てもなんも思わん、結婚してぶくぶく太ってきたし、おれはときめきが欲しいねん、って言ってるっていうのも、同僚の奥さんからきいてん、なんやろう、なんなんそれ?/そんなもん市井の人間にあるもんか、あほかそのおっさん死ねよ、そう言ったつもりだったが、言葉にはならなかった。代わりに、よりひどく咳き込んだナガセは、……》p89
⑽病後小説としての「ポトスライムの舟」
この小説は「病後小説」であり、その点を見落とすとナガセの行動、言動、感情の動きを読み違える。 ※絲山秋子の「イッツ・オンリー・トーク」も病後小説。
病気を抱えるというのは自分の中にもう一人の自分を持つこと。「自分の馴れていた健康な自分」とは違う「病気の自分」が重なって存在することを意識せざるを得ない。
・タトゥーを入れたくなる・世界一周の金を貯めよう・ポトスの食べ方などなど。恐怖、怯えが基底にある。
☆呪縛からの解放へ向かって《病気になって会社を休む》
・雨水タンクを買う
・もういい、と書きかけたが、やはりそれはやめておいて、……p98△
・積乱雲について考える。
・りつ子からの手紙、恵奈の絵、すぐ返事を書いてしまうのはもったいないp102
・……不安だったが、辛いと感じればうまく手を抜けばいいと気軽に思った。今までそんなふうに考えたことは一度もなかった。P103
・これだけ自分の身体が動くという感覚を思い出したのは、おそらく数年ぶりのことだった。P108
・カバンに入れている手帳を開こうとしてやめた。/代わりにまたサドルに座り、ナガセは走り出した。P108△
※手帳に書き込むということが重要な意義を持つその転機二つ△
⑾冒頭とラスト
冒頭部……二枚のポスター(世界一周、軽うつ病患者)の象徴性。二つは表裏の関係にあり、本当の主題はむしろ軽うつ病患者の方にあった。
終結部……また会おう、とナガセは呟いた。ポスターの中の男の子が手を振ったような気がした。