投稿日: Jul 14, 2020 5:16:53 AM
中国武術において、近現代で決定的な影響を及ぼしたのは王向斉の創始した意拳と、孫禄堂の孫家拳ではないでしょうか。
当道場で練習している八極拳などの拳法では、馬歩椿功(站椿功)を、初期より重要視しています。
ここで言う、馬歩椿功(站椿功)とは、両足を左右に開き立ち、両足の体重、重心を左右均等にして立つ椿功の全てを総称しています。
当然、門派(流派)によって、歩幅や腰の高さ、要求は異なりますが、一括に馬歩椿功(站椿功)と称します。
そのため、意拳の立禅はもちろん、馬歩と呼ばれる形態において、椿功をしたもの全てを、ここでは、馬歩椿功(站椿功)と称します。
太極拳で良く練習する、太極椿や無極椿もこれに属します。
この馬歩椿功(站椿功)と呼ばれる練習法は、かつては基礎訓練とのみ考えられており、馬歩椿功(站椿功)が重要な練功法と見なされるようになったのは、当道場の八極拳などの一部を除いて、意拳の影響だと言えます。
実際、八卦掌などでは「走をもって主となす」と歌訣にあり、円周上を歩く基本功を最も重要としてきました。
また形意拳では一般的には馬歩椿功(站椿功)を練習しません。
太極拳では套路の一つ一つの動作を一定時間止める練習を楊健侯が指導しましたが、馬歩椿功(站椿功)を長く練ったということはいわれていません。
しかし、現在では馬歩椿功(站椿功)を重要な練功法と教えています。
孫禄堂の影響は、形意拳、八卦掌、太極拳をともに練習するという考えを生んだところにあると言えます。
本来、これらの武術は、全く別物であり、近代以前には三拳を合わせて学ばれるということはありませんでした。
孫禄堂は最初、形意拳を修めていましたが、体格が小さかったため、八卦掌も学びました。
形意拳は、直線的に動く傾向が強く、真っ直ぐ踏み込む技術が強い武術だと言えます。
そのため、ある程度の体格があった方が運用しやすい部分があると言えます。
特に古伝の形意拳は、この傾向が強いかもしれません。
体格的に恵まれなかった孫禄堂は、そうした形意拳の体格の問題を解決するために、八卦掌を学んだようです。
太極拳は、郝為真が旅にあって病気にかかったのを看病したことが機縁で、学んだとされています。
孫禄堂は、三拳合一の考えを当初から持っていたわけではないようです。
しかし、今では、形意拳、八卦掌、太極拳の三拳は、ともに学ぶ事が普通と思われている部分があります。
しかし、実際的には、形意拳と形意拳系の八卦掌、楊式太極拳が一部で弊習されているだけで、三拳合一を実践する、孫禄堂の考えは、本当の意味で、実践されてはいないと言えます。
これは意拳も同じで、馬歩椿功(站椿功)の多くは、形は意拳でのやり方と似てはいますが、意拳の伝えるものではありません。
意拳では馬歩の姿勢をとっての意識の使い方を重視します。
当道場で練習している八極拳や太極拳などの拳法でも、同様に意識の使い方や、意識の置きどころに秘訣がありますが、意拳と同じ内容ではありません。
また、一般の馬歩椿功(站椿功)では、ただ「静」「柔」であれば良いとされます。
こうした原因は、孫家拳も意拳もその後、目立った名人が出なかったことにあるのかもしれません。
これは、意拳や孫家拳が、明確なシステム化がされず、そのメカニズムが、上手く機能しなかったからではないでしょうか。
しかし、現在においては、馬歩椿功(站椿功)や三拳合一の練習法や考えが、一般的な普遍の練習法や考えとして、中国武術界に定着してしまっていると言えるのではないでしょうか。