鄭子太極拳の創始者、鄭曼青の略歴!!

投稿日: Jan 20, 2020 6:7:36 AM

鄭曼青(1902年-1975年3月14日)は、浙江温州永嘉の出身。鄭子太極拳の創始人としても広く知られています。

鄭曼青は、「腕なし名人」または「無招勝万招(技がないが、多くの技に勝つ)の拳」と言われています。

鄭曼青の拳は敵の攻撃を受けた瞬間に弾き飛ばすような、技が不要の拳法であったようです。

鄭曼青は、元々体が弱かったこともあり、10代半ばに父親の勧めで叶大密から中架太極拳を学びます。

叶大密は楊澄甫の父である楊健侯の孫弟子です。

楊澄甫の弟子として有名ですが、楊澄甫の大架式と趣きが違う一因がこのためかもしれません。

また、20代前半、教鞭をとるチョークの粉が原因で肺病を患った事がきっかけで、中医学や漢方の勉強をはじめ、大学の教授や主任を兼任しながら漢方医としても活躍しました。

後に、楊家太極拳三代継承人・楊澄甫より太極拳を本格的に学びます。

後に楊澄甫から伝授を受けた伝統の楊家太極拳を、元来の精髄を損なわずに簡化して核心の部分だけを三十七式にまとめました。

それにより鄭子太極拳として世に出ることとなります。

この後、中央軍校拳擊教室教師になります。

この頃、陳微明と共に楊澄甫の『太極拳體用全書』を代筆したと言われています。

また、1938年には、湖南省国術館の館長を務めました。

当時は戦時でもあり国術館で拳法を学ぶ人数も多く、楊式のような100にも及ぶ動作を覚えるのは難しく、三十七式という短い套路(型)は初心者にはありがたかったようです。

鄭曼青の太極拳には、前述の叶大密中架の影響だけではなく、楊健侯の弟子でありながら、楊式太極拳を捨て、秘伝太極拳の伝人になった張欽霖の影響もあると言われています。

鄭曼青は、張欽霖から、秘伝太極拳と左家内功心法を学んだとも言われています。

この時、張欽霖の師匠である左莱蓬に“力由於骨、勁由於筋”の拳訣を得て勁力を悟ったとも言われています。

後に、共産党との内戦に敗れた国民党に従い台湾に渡り、時中太極拳学社を創立します。

この後しばらく鄭曼青は、民国政府の議員、漢方医、教授、詩書画の作品発表等で活躍しました。

政府関係の仕事から離れた頃、弟子からの誘いもあり、渡米して漢方と太極拳を紹介しながらアメリカ各地を遊歴しました。

一時、ニューヨークに移住し、太極拳を教授します。

海外、特にアメリカで鄭子太極拳の人口が多いのはこのためです。

嘘か本当かは分かりませんが、この時期にブルース・リーの入門を断ったという話があります。

また、鄭曼青の太極拳の、腕力とはまったく関係ないその神秘的な神技は、科学実証主義を第一とするアメリカ政府機関が、超能力、超常現象ではないかと驚嘆せしめ、本格的に実験の対象にしたと言われています。

鄭曼青は「夢の中で両手が折れたことで太極拳の奥義を悟った」という逸話が有名です。

また、鄭曼青は拳法以外でも高名な人物で、詩・書・画・医・ 拳の五芸において凌ぐものはないという意味で、五絶大師五絶老人と呼ばれました。

元々、鄭曼青の母方に芸術家が多く、詩・書・画の英才教育を受け、10代で北京の大学で詩や画を教えるまでになっていたと言われています。

中国文芸学院副院長として、四書五経、諸子百家を研究し、蘇恢元より、易経を学び、太極拳との関連性を見出しました。

太極拳に関しては、『太極十三篇』『自修新法』等の著書が有名です。

トップページ