投稿日: Apr 28, 2018 10:23:16 AM
太極拳には、色々な種類の門派(流派)があります。
当教室で練習している太極拳は、伝統的な楊式太極拳です。
この太極拳では、無駄な力をぬく事(リラックス)を重視し、一部の伝統太極拳や武術太極拳のような、激しい動作はなく、柔軟な動きを重視します。
太極拳は、元々、武術として生まれました。
もちろん、初期の太極拳や一部の太極拳の門派には、激しい動作や技があります。
しかし、近年の太極拳には、このような激しい動作などを練習する門派は、少なくなっています。
太極拳を武術として使う場合、中核となる技術は、推手の技術となります。
しかし、推手の技術が高いとしても、戦闘で勝つ事はできません。
推手の技術は、基本的には、相手と接触した状態からでしか運用できません。
また、現代の推手では、相手の重心を崩したり、押し飛ばす事が多いと言えます。
当然の話しですが、それだけでは、相手を倒す事はできません。
つまり、現代の太極拳を武術として考えた場合、太極拳の戦闘を行う中核となる技術である、推手が使える状態にするための技術と、推手で相手の重心を崩した後、相手を戦闘不能にする技術が、存在しないという事です。
これは、近年の太極拳が、当時の中国において、貴族階級や文人(知識人層)に広く伝わったからだと言われています。
彼らにとって、太極拳は、戦闘の技術ではなく、心身を鍛えるツールであり、推手での崩し合いなどのゲーム性を楽しむツールであり、太極論のような哲学的な知識を学ぶツールだったのだと思われます。
そのため、本来の戦闘における技術や、相手を必要以上に傷つける技術は、必要なかったのです。
実際に、太極拳の推手を使い、戦闘を行う事を前提にするならば、次のようなプロセスが必要になります。
第一に、推手の技術が使える、相手と接触した状態を作る技術。
第二に、推手の技術により、相手を崩す技術。
第三に、崩れた状態の相手を戦闘不能にする技術です。
もちろん、上記の3つのプロセスには、それぞれに、多くの方法論と技術があります。
また、太極拳の門派や系統によっても変わってきます。
基本的には、第一のプロセスでは、太極拳の用架と呼ばれる技術によって練習します。
第二のプロセスは、太極拳を練習した人にはおなじみの、套路(型)や推手によって練習します。
このような技術を行架とも言います。
第三のプロセスは、炮捶と呼ばれる套路(型)によって練習することが多いと言えます。
しかし、制定拳も含む、楊式太極拳以後に形成された太極拳には、第一のプロセスと第三のプロセスを練習する用架と炮捶が存在しません。
厳密には、古伝の楊式太極拳には、存在したようですが、現代で練習されている太極拳には、陳式太極拳や、一部の太極拳門派を除いて、ほとんどの太極拳で失伝してしまっているようです。
当流の太極拳でも、用架や炮捶の技術は、一部を除いて、あまり伝わっていないと言えます。
というよりも、当流では、太極拳以外にも複数の武術が伝わっているため、あまり必要がなかったとも言えます。
しかし、当流では、太極拳の戦闘や推手の技術を構成する技術は伝わっていますが、当教室で練習する太極拳では、全ての技術の練習を行いません。
基本的には、第二のプロセスの技術である、行架の技術のみ練習します。
つまり、套路(型)と推手を中心とした練習で、武術としての太極拳の技術の一部のみを強調して練習するという事です。
この練習では、前述したように、極めて柔軟でリラックスした状態を強調します。
このような練習体系が、結果的に相手の重心を崩す技術を身につかせ、推手の技術を高めます。
また、このような技術を練習する事で、知覚能力の向上と、神経感覚の向上が期待できます。
もちろん、運動効果も高く、足腰の筋力の向上と下半身の安定が得られ、結果的には、養生効果や健康促進、ダイエットやフィットネス効果も得る事ができます。
では、武術として考えた場合、このような太極拳の一部分の練習に意味があるのでしょうか。
当然の話しですが、意味はあります。
太極拳の技術は、本来の技術を練習し、ある程度使えれば、相手と接触した、限定した状態において、極めて高い技術力を持ちます。
つまり、この太極拳の推手の特性を理解し、応用させる事ができれば、武術としても、また、護身術としても有効だという事です。
当教室では、上記の行架と呼ばれる技術を中心に練習し、上記の養生効果や健康促進、ダイエットやフィットネス効果を得るための練習が中心ですが、この練習を上手く利用し、応用させる事ができれば、武術にも有効だと考えます。