04.『運行について』

ヒトは4つの指令に従って行動すると述べた。

1つ目は、今までの習慣に従って、出来るだけで思考せず、

省エネモードで行動するようにする、自動制御に基づく指令である。

2つ目は、本能から発せされる、何かをしたい、またはしたくないと言う、

生きる動機を生み出すことにつながる、欲望に基づく指令である。

3つ目は、群れを維持し、群れからはじき出されるのを恐れる、

命や種族を守ろうとすることにつながる、感情に基づく指令である。

4つ目は、知識や知能によって、事態の解決を成し遂げようとする、

意識に基づく指令である。

そしてこれが、唯一、ヒトが思考によって発せられる指令であった。

これら4つの指令は、それぞれが別人格のように発せられる。

どれも、生きる上で必要とされた指令である。

だから衝突して、葛藤を生む。

意思の整合から生まれる、「理性」により、

すべての指令を制御することを理想とする。

それらの指令を無視するのではない、また無視出来るものではない。

ただ、知性で出来る限り制御する、

4つの指令に振り回されない立場を構築するのが、

この「秩序主義」である。

「意思」の中の、何ものにも影響されない、

「純粋な知性」によってのみ思考する領域(スペース)、

そこが「理性」である。

「理性」は尊重される。

それは、人が「幸福」を望むからである。

「幸福」とは、人が「豊か」で「安定」していながら、

「楽しい」状態にあることである。

ただ自分だけが「楽しい」状態にあるだけでは、

それは「幸福」とは言えない。

まわりを取り巻く環境もまた、出来る限り「幸福」でないと、

人は、真の「楽しさ」を得られない。

「楽しさ」は、「快楽」である。

だが、その場限りの刹那の「快楽」ではいけない。

一部の群れだけが感じる「快楽」でもいけない。

まわりの環境も心地よさを感じる「爽快」でなくてはいけない。

後に続く「爽快」でなくてはいけない。

「自分のこと」だけでなく、「環境」のことも考える、

それが客観的な「理性」の働きである。

「理性」は「秩序」を尊重する。

それは「秩序」が「論理」を明確にするからである。

「論理」は、ものごとの因果を解いて、問題を解決する。

そしてそれは、現状の「秩序」の整備をさらに必要とする。

それが「理性」を成長させることに繋がる。

「秩序」は「論理」に基づくが、

短絡的、一方的視点を望まない。

全体的、大局的に見る「システマチック」な立場を望む。

それは抜本的な解決、または構築を望むからである。

そして「秩序」は、極端を嫌って「バランス」、

複雑を嫌って「シンプル」を望む。

これらの方向性を思考としてまとめると、以下のようになる。

秩序思考―ロジック思考

システム思考

バランス思考

シンプル思考

第一から第三のどの指令に従おうと、人はそれぞれの程度の快感に満たされる。

それは、指令に従った褒美である。

しかしそれは、目先の褒美である。

第四指令の意識指令においても、それは同じである。

脳は快感を与えられる。

意識野においてそれは、新たな欲求を生み出した。

それが前に述べた、「達成欲求」「秩序欲求」である。

ものごとを達成するためには、整った環境、すなわち秩序が必要であり、

達成され、さらに次の目標に進む場合、もしくは達成が不十分であった場合、

秩序は再構築されて、より洗練されなければならない。

その秩序の再構築がまた、達成の目標ともなる。

「秩序の再構築」には、優れた客観性が必要である。

それは「理性」から生まれる。

それが「理性」で新たに生まれた欲求、「成長欲求」である。

「達成欲求」「秩序欲求」「成長欲求」

これら三つの欲求は、互いに影響し合って、サイクルとして回る。

互いの欲求を効率よく満たせるように働くが、

「欲求」がすべて叶うとは限らない。

そのとき「理性」は、そのサイクルの回転をあえて抑えるようにも働く。

それが「理性」の「成長欲求」の、もう一つの働きだ。

ものごとは当然、ずべて達成出来るわけではない。

秩序もまた、なかなか完全とはなりえない。

「理性」は、その時、次の方法をとる。

無理なことを把握して、今の方法での達成を諦める。

次に、現状の秩序を壊して、新たな状況を作り出す。

または改善して、新たな達成の道を探る。

それは自分の能力や性質を客観的に把握して、

欲求や感情、意識からの4つの指令を無視しなければならない。

すなわち、自分に対して我慢する、つまり制御する。

それが、自分の成長に繋がるのである。

自分を制御するとは、

自分の持つ動物性、習性、依存性、人間性を押さえつけることである。

自分が今までに経験して築いてきたものを破壊することでもある。

現状の殻を破ることが、成長に繋がるということである。

自分を守ろうとして、意識は自分の殻を壊されることを嫌がる。

しかし意識の、そんな思いを押さえつけて無視する。

そして、現状での達成が、どうしても不可能なとき、

理性は断念も判断する。

無理な達成を断念することもまた、成長の一端である。

「理性」は完全を目指して成長を望みつづけるが、

「理性」は自らが完全でないことを知っている。

それが「理性」の客観性である。

完全ではない「理性」の判断には誤りがあること、

また、完全ではない「理性」は全体の状況を把握できないことから、

「理性」は最終判断の結果を「成り行き」に任せ、後悔しない。

「成り行き」は、因果であり偶然でもある。

この「成り行き」は、人の側から見れば「運行」である。

この「運行」を知ることも、「理性」の働きである。

「理性」は、かっての「運行」の因果を探り、

「理性」は、先の「運行」を知ろうとする。

そして「理性」は、「運行」を知りつくせないことも知っている。

「理性」は「運行」に従う。

「秩序主義」は「理性」に重きを置くが、

「理性」の確かさと不確かさを知っている。

だから「運行」という観念を取り入れる。

これがこの「秩序主義」の思考である。

(2009・6・15)