29.『問題解決について(2)』
世の中は多くの因果の絡み合いから出来ている。
そして社会には、その因果の成り立ちに、
確実なもの、不確実なもの、虚偽なものが存在する。
確実なものとは、科学的法則や正しい論理に導かれた真実であり、
不確実なものとは、真実か虚偽か、今の時点では判明できないのに、
感覚や常識(生半可な知識)から、真実とされたものであり、
虚偽とは、幻想や妄想など、誤りが真実とされたものである。
これら三つの因果が、一つの現象に絡まっている。
問題解決は、因果の成り立ちを見極め、
その原因を絶つ、または変換させることによって、
その結果を、その状況にとって効率良くなるように導くことである。
そのためには、確実な因果に従って、判断することが望ましい。
確実な因果だけでも、大抵の場合は複雑に絡み合っており、
それを解きほぐすのは容易ではない。
しかしそこに、不確実な要素と虚偽がさらに絡まってくるのである。
確実なものと言えど、所詮は「仮説」である。
しかしそれは、明らかな反証のない「仮説」である。
ほぼ付け入る隙のない「仮説」である。
明らかな反証があれば、それは虚偽である。
不確かなものは、明らかな反証もないが、
十分な検証もされていない。
ここにも幻想や妄想は影響を及ぼす。
そして幻想や妄想は、虚偽を真実と見せかけるのである。
幻想とは、社会が個人に与える「思い込み」であり、
妄想とは、個人が本人に与える「思い込み」である。
そして厄介なことに、これら虚偽が、因果の原因になりうるのである。
たとえば、戦いにおいて、
勢力や能力、物量や知識量の勝る方が勝つ。
これは確実な因果である。
しかしそれでも、何か別の要因で負けることはある。
戦いの技量、これは不確実な因果である。
経験や歴史によって、勝つことが保証されているような錯覚を生む。
技量があっても、勝つこともあれば負けることもある。
そして、幻想や妄想である。
これは主に精神論や感情論で引き起こされる。
これによって勝つこともある。
しかし、戦いに勝つためには、
やはり確実な因果に従うのが、確率が高い。
問題解決には、まずその因果の三つの状態への見極め、
真の要因を見つけ出す、それが肝心である。
問題解決の方法として、
集団においても個人においても、論議が用いられる。
論議は言語によって行われる。
現状の問題は、空間の時間的変化によって発生している。
すなわち四次元で発生している。
しかし言語は一次元的である。
図や表や映像を用いれば、二次元的になるが、
四次元の現実を、把握し解明するのは難しい。
特に集団においては、
論議は空転し、不毛に終わることが多い。
しかし論議しか、問題解決の方法はない。
問題を解き明かす方法にも、
困難はある。
問題解決は、以上のような
混沌とした状況を、手探りで解を求めることとなる。
しかしそのことを承知していることこそ、肝心である。
科学的態度で、問題解決に立ち向かうことは重要だが、
私たちは科学者ではない。
それに費やす時間も能力も限られている。
時には、不十分な論議で結論をに導かなければならない。
「知性の整合性」によって、絶えずその因果の成り立ちを顧みながら、
問題解決に進むしかない。
《2021.10.1》