.『問題解決について(2)』

 世の中は多くの因果の絡み合いから出来ている。

そして社会には、その因果の成り立ちに、

確実なもの、不確実なもの、虚偽なものが存在する。

確実なものとは、科学的法則や正しい論理に導かれた真実であり、

不確実なものとは、真実か虚偽か、今の時点では判明できないのに、

感覚や常識(生半可な知識)から、真実とされたものであり、

虚偽とは、幻想や妄想など、誤りが真実とされたものである。

これら三つの因果が、一つの現象に絡まっている。


 問題解決は、因果の成り立ちを見極め、

その原因を絶つ、または変換させることによって、

その結果を、その状況にとって効率良くなるように導くことである。

そのためには、確実な因果に従って、判断することが望ましい。

確実な因果だけでも、大抵の場合は複雑に絡み合っており、

それを解きほぐすのは容易ではない。

しかしそこに、不確実な要素と虚偽がさらに絡まってくるのである。


 確実なものと言えど、所詮は「仮説」である。

しかしそれは、明らかな反証のない「仮説」である。

ほぼ付け入る隙のない「仮説」である。

明らかな反証があれば、それは虚偽である。

不確かなものは、明らかな反証もないが、

十分な検証もされていない。

ここにも幻想や妄想は影響を及ぼす。

そして幻想や妄想は、虚偽を真実と見せかけるのである。

幻想とは、社会が個人に与える「思い込み」であり、

妄想とは、個人が本人に与える「思い込み」である。

そして厄介なことに、これら虚偽が、因果の原因になりうるのである。


 たとえば、戦いにおいて、

勢力や能力、物量や知識量の勝る方が勝つ。

これは確実な因果である。

しかしそれでも、何か別の要因で負けることはある。

戦いの技量、これは不確実な因果である。

経験や歴史によって、勝つことが保証されているような錯覚を生む。

技量があっても、勝つこともあれば負けることもある。

そして、幻想や妄想である。

これは主に精神論や感情論で引き起こされる。

これによって勝つこともある。

しかし、戦いに勝つためには、

やはり確実な因果に従うのが、確率が高い。

問題解決には、まずその因果の三つの状態への見極め、

真の要因を見つけ出す、それが肝心である。


 問題解決の方法として、

集団においても個人においても、論議が用いられる。

論議は言語によって行われる。

現状の問題は、空間の時間的変化によって発生している。

すなわち四次元で発生している。

しかし言語は一次元的である。

図や表や映像を用いれば、二次元的になるが、

四次元の現実を、把握し解明するのは難しい。

特に集団においては、

論議は空転し、不毛に終わることが多い。

しかし論議しか、問題解決の方法はない。

問題を解き明かす方法にも、

困難はある。


 問題解決は、以上のような

混沌とした状況を、手探りで解を求めることとなる。

しかしそのことを承知していることこそ、肝心である。

科学的態度で、問題解決に立ち向かうことは重要だが、

私たちは科学者ではない。

それに費やす時間も能力も限られている。

時には、不十分な論議で結論をに導かなければならない。

「知性の整合性」によって、絶えずその因果の成り立ちを顧みながら、

問題解決に進むしかない。


2021.10.1