37.『言葉について』
人々は言葉を発明した。
おそらく初めは、それぞれの物を差し示す発音に差をつけ、
その区別を明確にして、誰もが共通に判るようにしたのであろう。
いわゆる名称付けである。
こうして言葉は、物事のもつイメージを限定するようになった。
例えば「拳大の硬くて赤い酸っぱい果物」に対して「リンゴ」と名称付けたことで、
リンゴと聞けば、「酸っぱい」というイメージを持つてしまう。
酸っぱくないリンゴに対してでもである。
これが言葉の力である。
名付けるとは、物事をそのイメージもひっくるめて、
名称という「箱」に入れることと例えられる。
その入れるイメージには、当然、個人差がある。
ほとんどの言葉は、辞典などによって明確に定義されるが、
人々は、自分の知識、経験、常識、感覚によって、
そのイメージを自分なりに作り出している。
これは物体を持たないものにも同じである。
抽象的な物に対しては、まさにイメージそのものである。
実体を持たないために、または実体があやふやなために、
これらのイメージは、他から影響されやすく、
拡大や縮小解釈、妄想や虚構になってしまうことも多い。
そしてこれらは、昔からある使い慣れた用語より、
まだイメージが確立していない、
新たな、聞き覚えのない用語に起こりやすい。
あまり使われなくなった古い用語に対して、
新たな意味を持たせて、新らしい用語のように使う場合も、
イメージが一般的でない難解な用語を引っ張り出してきて使う場合も、
同様である。
新しい用語が作られるのは、今ある用語では不十分な、
以下の条件が満たされるからである。
①より状況に合ったように説明出来る。
イメージやニアンスが合う。
②時代の風潮や流行に合う。
③新鮮さ,斬新さを感じる。インパクトを与える。
④新たな用語を使う優越意識を得る。
またはその用語を知らない相手に対して、混乱、劣等を引き起こす。
⑤イメージがまだ固定されていないため、使用の許容が広い。
人々は、以下のことを望む。
ⅰ)状況をより正しく詳しく知りたい。
ⅱ)最新の情報を知りたい。
ⅲ)他者と共通の理解、認識を持ちたい。それを知らせたい。
ⅳ)他者よりさらに優越の知識を持っていることを知らせたい。
以上の理由から、人は新たな用語を好んで使う。
こうして、人類の言葉はどんどんと作られ、増えてきた。
言葉の持つイメージは、古くなるほど、
使い古されるほど、より限定化され、固定化されていく。
時代に合わなくなった用語の一部は消えて行くが、
多くは基本となり、共通のイメージとして、揺るぎないものになっていく。
問題なのは、上に述べた「新しい用語」や「古い用語」ではなく、
その過渡にある用語である。
上で述べたように、生まれたての「新しい用語」は、まだイメージが確立していない。
ゆえに、人に与える影響はまだ小さい。
「古い用語」は、イメージが固定されている。
これもまた、人に与える影響は少ない。
イメージが確立しかかっている、
または、ある種の人々にとってのみイメージが確立している、
過渡にある用語が、拡大や縮小解釈、妄想や虚構に侵されやすいのである。
自分の言葉に、「絶対感」「威圧感」「信用感」「真実感」を持たせたい者は、
このイメージが一般に確立していない用語を使って、
そのように感じるよう、錯覚を起こさせようとする。
外来語、専門用語、最先端用語、難解語を多く含んで話す者は、
これらの意図がある。
例えば教授が授業に、これらの用語を用いる傾向にあるのは、
自分の講義内容が、「深い知識が必要」「高い知能が必要」「疑いもなき真実」
「自分は十分に判っている」などの雰囲気,空気感を、生徒に与えるためである。
もちろん簡単な用語ばかりで噛み砕いてばかりいては、
講義に時間がかかりすぎる。
しかしあまりにこれらの用語を多用することは、
その意図があるのである。
教授に限らず、知名なジャーナリストや業界のトップや、
最先端を行くと思われてる人などが、耳に新しい用語を使うのも同じである。
一般人は、その用語をおおよその不明瞭なイメージのまま神格化してしまう。
真実とは、その命題が正しいと言うことである。
命題が正しいとは、それが成立する論理が正しいということである。
論理が正しいかどうかは、一般的な基本的な思考でおおよそ判断できる。
その命題を示すのに、イメージの定まっていない用語、難解な用語を用いては、
人は、それのもつ論理構造まで、たどり着けないのである。
そのたどり着けないことを利用するのが、上記に述べた人々である。
以上をまとめると、
言葉のイメージは人の思考を固定化させてしまう、
すなわち思い込ませる恐れがある。
初めに述べた、リンゴと言えば甘酸っぱい味を思い浮かべる例である。
言葉には、そのイメージを強烈にアピールする。
疑いを容易に挟み込ませない限定感がある。
例えば「正しい行い」と言う言葉より「正義」と言った方が、
厳格で崇高なイメージがあり、
それを厳守しなければならない論理性があるかのように見える。
イメージがまだ確定されていない、過渡期の新用語は、
それを使う者のイメージ戦略に利用しやすい、
それを聞く者の、過剰解釈を生みやすい。
例えば、「差別化」という言葉がある。
「差別」はネガティブな用語である。
その言葉には忌まわしい、陰湿、憎悪を感じるイメージと同時に、
厳格、こだわり、頑固のイメージもある。
その「差別」という用語をマーケティングに用いて、
ネガティブのイメージでインパクトを与え、
他と差を付けることに、こだわりを感じさせる、
そういう戦略で、「差別化」という用語を作り出したと考えられる。
そしてその用語は、やがて定着し、
元の「差別」という用語の持っていたネガティブなイメージを薄めてしまう、
そのようなことも起こりえている。
現実社会は,四次元で出来ている。
そして言葉は二次元である。
二次元で四次元を表現するのには、当然無理がある。
しかし二次元の言葉は、大量の情報を扱うのに、容易に使いやすい。
言葉が,用語、文章を含めて、イメージ操作、イメージ戦略に使われることは多い。
いつのまにか人は、その思惑に操られてしまう。
すべてを防ぐことは出来ないが、
言葉によって、誤った行為に導かれる恐れがあることを、
十分承知していなければならない。
(23.10.6)