11.『思い遣りについて』

「秩序主義」とは利己主義である。

自分が幸福になるための思考手段である。

しかし自分が幸福であるためには、

自分の回りの環境も出来るだけ幸福でなければならない。

そうでなければ、自分の幸福は非常に不安定なものとなってしまう。

自分のために環境を思うのである。

環境のために、他者を思うのである。

たえず全体の幸福を思う。

「秩序主義」はたえず環境との調和、

他者との協調を目指す。

不幸は回りが見えないことから起こる。

思わぬ異変が起こることを知らない。

今の状況がわからない、

先が見えない、

知識や経験がないからわからない、

そして今の自分がわからないから、

異常、異変が避けられず、不幸に見舞われる。

「秩序主義」は、出来るだけあたりを見やすくするためにある。

整理整頓することによって見やすくする。

ルールを明確にすることによって混乱を避ける。

それは起こりつつある不幸を止める、または避けるためである。

それが幸福になる条件でもある。

「秩序主義」は「秩序正しくすること」が目的ではない。

「秩序正しくして、ものごとをわかりやすくすること」が目的である。

ものごとがわかりやすくなれば、効率が良くなる。

それは不幸を避けやすくなり、より快適な状態を生み出しやすくなる。

しかし何がわかりやすいのかは、人によって違う。

そのために秩序正しくするのは良いが、どの程度までするのか、

厳格にし過ぎて、逆に効率が悪くなる場合もある。

そのために「秩序」の程度は、その属する集団によって、

ルールによって決められる。

そしてそのルールはたとえ多少の不自由があっても守らなければならないが、

しかしあまりに現状に合わない場合、無理がある場合は、

改善されなければならない。

その集団に属する者は、上のことを理解して、

協調する。

「秩序」を守るための、その本意を理解し、

ルールを守り、またその仕組みを守ることが求められる。

自己の利益を優先せず、

協調の果てに、自分に利益が持たされることを知っていなければならない。

そう言う協調の精神から生み出されるのが、「思い遣り」である。

「思い遣り」は、状況の「円滑化」である。

「円滑化」は、状況を「秩序正しくして、ものごとをわかりやすくする」。

「思い遣り」とは、相手の状態を理解し、

相手がより効率よく進むようにすべきとがあればそれをするように、

また自分が相手の妨げになる場合はそれを避けるように、

振る舞うことである。

相手に「譲る」だけでなく「優先する」ことも、時には必要である。

「思い遣り」は、他者の利を思うことであるが、

それは結局、自分の利を思うことになるのである。

社会には、「思い遣り」の思いに乏しい人も多い。

なぜ彼らは、その思いに乏しいのか?

一つは、相手の状態を理解していないからである。

相手の立場に立つ知識や経験、想像力がないために、

すべきことに気づかないのである。

一つは、そのために得る相手の優位や利益、

または自分が受ける劣位や不利益が許容できないからである。

気づいているが、あえて行わないのである。

人への思い遣りが、やがて自分に戻ってくることを

知らない人である。

一つは、悪意からである。

他者のものごとが上手くいかなければ、

それで相手を貶めることが出来、自分が優位に立てる。

「競争主義者」は、理由なく相手に勝ちたがる、

それが喜びであるからである。

「秩序主義者」は「協調主義者」であるから、

「競争主義者」は、それらと相反し、

多くは「秩序」を乱す立場である。

一つは、表面的には「思い遣り」のない態度に見えるが、

相手に手を貸さないことが、やがては相手のためになるとして、

何もしない、または試練を与えることである。

これは先を考えての「思い遣り」と捉えられる。

(2017.6.1)