20.『自己について』
人には欲求がある。
それは「生存本能」「種存本能」「存在本能」に基づくものである。
その欲求を満たすために、人は他者と協調し、また競争する。
群れで生きる人は、「存在本能」に基づく欲求が強い。
それは人にプライドを生み出す。
プライドは、自己の価値の主張である。
本来はそのために、自己を研鑚して能力を高めるのだが、
プライドを守り、自己の存在をアピールするために、
容易な方法として、人は自己を正当化し、
虚構に優等化または尊大化するか、
他者を不当化し、縮小化または蔑視化する。
他者との協調を重んじるタイプは、その傾向が弱く、
他者との競争を重んじるタイプは、その傾向が強い。
自己を正当化し、他者を不当化する方法としては、
①嘘や言い訳で、強引に理屈をこじつける。
②自分の利点や功績を挙げて、優越意識をもつ。
③相手の欠点や過ちをあげつらい、劣等意識をもたせる。
④嫌がらせや意地悪で、相手を不快にする。
⑤横柄、横暴、脅し、恫喝にて、相手を威嚇する。
⑥横着、大雑把にて、問題を縮小化する。
⑦相手の感情や思い、または存在そのものを無視する。
⑧仲間を集めて多勢とし、相手を孤立化する。
⑨権力や権威を利用して、相手を抑制する。
⑩常識論や観念論で、相手を非難する。
⑪開き直り、またはふてくさったり拗ねて、相手を受け入れない。
⑫わざとらしいへりくだりや自己否定、自虐で、問題を縮小化する。
⑬相手を錯乱し、混乱させる。
などである。
人は協調性と競争性の両方を持っている。
人は命を守る(生存本能)。
生きるために人は、群れとして協調して仕事をする。
協調した方が、効率がいいからである。
しかしその協調は同等ではない。
安楽な仕事もあれば、過酷な仕事もある。
出来るだけ楽な仕事をしよう、
出来るだけ多くの利を得ようと、
群れの中で競争が始まる。
そして種族を継続しようとする(種存本能)。
優れた遺伝子を求めて、
そして子孫を守ろうとして競争が始まる。
だがたえず競争していたら時間のムダである。
それで自分は強いこと、価値があること、
優位であることをアピールする(存在本能)。
こうして人は、群れの中で、
協調と競争を繰り返し、
懸命に自己の存在を訴えることに、
日々とらわれて生きる。
自己が本能に振り回されて生きるのは、
動物としては、効率が良い方法かもしれないが、
理性を持つ人としては、より良い方法とは言えない。
上に列挙したように、人は存在アピールに走るあまり、
理不尽な行為にいたりがちである。
理性は幸福を目指す。
そして秩序は、幸福を目指す手段である。
そして秩序の最大の障害は理不尽である。
人は動物であるが、
動物の本能にのみ従って生きるのをやめた。
高い木の上の果物が届かないからといって、
無意味に跳んだり、足掻いたりしない。
しかし簡単に諦めたりもしない。
いろいろ工夫して、その実を採ろうとする。
それが知恵であり、知性である。
果物を欲しがるのは本能だが、
それを効率良く実現するために働く機能が、
理性である。
それは、プライドが傷ついたときも同じである。
傷つくのは本能の働きだが、
だからといってただ感情的になって
怒ったり、落ち込んだりしても仕方がない。
なぜそのような状況になったのか、
防ぐことは出来たのか、
今後、どのように対応していくか、
など理性的に考える。
本能は猛獣である。
理性は猛獣使いである。
ムチと褒美で、猛獣を操るのである。
または、本能は機械である。
理性はそのオペレーターである。
オペレーターの技術によって、
機械は、すばらしい仕事をする。
そして理性は秩序思考を用いるのである。
(2020.5.13)