.『思考について



 真実を求めるには、論理が重要である。

論理とは、「ものごとと、ものごとの関わりを示す思考形式」のことである。

しかしすべてが論理で推し量れるわけではない。

不明や不明確なことが多い。

また、一つの現象には、いくつかの論理が混在し、

それらは互いに関わり合っている。

分析し、推察し、創造し、

その現象の論理構造を解明する必要がある。



 論理は、大きく三つの構造からなる。

 一つは、「演算の論理」である。

部分の和は全体となる。

数式で表わせるものである。

機械の構造など、物理学の法則に基づく

 一つは、「集合の論理」である。

これは物事の所属、定義に用いられる。

言葉によって表わされる。

 一つは、「確率の論理」である。

これは、複雑な要因が引き起こす結果を

全体的な傾向で表わしたものである。

自然界や社会現象の把握に使われる。


 この論理を証明するには、科学的方法が用いられる。

この論理を「仮説」として、実験によってデータを集積し、

その確実性を実証するのである。

そのためには、その実験やデータ集積は、

その論理を構成する基本的な要素からなるよう、

混合、複合的にならないように、

綿密に管理されなければならない。

しかし、その点において、実験者らの意向の影響を少なからず受ける。

ゆえに、この方法も100%正確であるとは言えない。

他の実験者による検証が繰り返されることによって、

その論理が、より「真」に近づいていくという方法である。


 100%の保証をするものではないが、

この科学的方法をとるのが、

論理の確実性を示す唯一の方法である。

その論理の確実性がより精密に実証されたならば、

それは限りなく「真」に近いものとなる。

「真」が保証されたならば、

それは「定理」として扱われる。

しかし多くは、数学の定理のように厳密ではない、

程度の差があるが、「近似的定理」と言える。


 また、この科学的方法がとれない論理は、

論理として成立しないことになる。

たとえば「人は考える葦である」は、

喩え(象徴・表象)であり、

真偽を問う「命題(論理構造の表現)」とはならない。

すなわち論理として成立しないのである。

これら喩え(象徴・表象)は、思考上に意義はあるが、

「論理」ではない、「疑似論理」である。

これらが「論理」に混ざってくるため、

真実の追求を惑わせるのである。


 人は真を求めるために、論理を用いる。

しかしそれは、是非に真を探究したいからではない。

起った問題を解決したいからである。

検証が省略できる「定理」や「近似的定理」を組み合わせて、

さらに論理を構築し展開する。

そのさらに構築された論理が正しいかどうかを確かめるのに、

時間や手間のかかる科学的方法はとりにくい。

その思考の道筋に誤りがないかを見るために

反証的方法を用いる。


 反証的方法と、立てられた論理の、

それにに反すること、矛盾することが認められないという

その反証が成り立たないということである。

反証がなければ、それは一応「真」である。

「真」を保証するものではない。

今ある現状での「真」を保証する。

いつか覆される可能性もあるということである。

現時点で、その仮説が成立していると言うである。

このことを承知して、この方法も、

慎重に扱わなければならない。


 反証的方法において述べる。 

 上で述べた「演算の論理」では、

反証として、部分の合計と全体が合わない例があれば、

この論理は成り立たなくなる

電球の回路で、どこかに断線があれば点灯しないということである。

 「集合の論理」では。

反証として、属さないまたは属す例があれば

この論理成り立たない。

カラスは黒いという論理に、白いカラスが発見されれば

この論理は成立しないということである


 しかし「確率の論理」では。

この「反証方法」による真偽の判定は容易ではない

「確率の論理」とは、「そうなることが多い」と言うことであって、

「ならない」こともあるからである。

この「確率の論理」には、曖昧さがある。

例えば「サイコロを振れば必ずどれかの目が出る」という論理は、

絶対に正しいとは言えない。

「バランスよく角で立つ」ことがないとは言えないからである。

しかし確率的には、この論理は成り立つ。

逆に、「サイコロを6回振れば、1の目が1回出る」

これは論理的に正しいが、必ずそうなるわけではない。

しかし、サイコロを振る数を増やしていけば、

「6回に1回」は限りなく事実に近づいていく。

論理的(確率的)に正しくなっていく。

 因果は単純ではない。

大抵は、いくつかの因果が重なって一つの結果を生む。

多くは、主の原因があって、

それに影響を与える原因がいくつか存在する。

この付属する原因が、確率を変化させるのである。

ゆえに「確率の論理」には、その成立の条件から曖昧さが発生する。

因果を繰り返せば、その条件の違いが均され、その曖昧さが打ち消されていくのである。

サイコロを振る数を増やしば、確率に近づいて行くと言うことである。

 その条件を厳密に設定すれば、「演算の論理」となる。

つまり「確率の論理」は、「演算の論理」の複合したもの、

複合したものを総体的に把握しようとしたものである。

例えば「サイコロを振れば、同じ目が出る」

これはデータとして、なかなか起こりにくいものであるが、

論理としては、真である。

まったく同じ環境、同じ設定なら、確実に可能である(「演算の論理」)

振る条件がまったく同じなら、「サイコロの同じ目を出し続ける」ことが出来るからである。

この、まったく同じ環境、同じ設定で、成り立たないのであれば、

これは反証となり、この論理を否定できることになる。

 しかし現実は、「演算の論理」が複合して互いに影響し合っている。

複雑な因果からできている現象単純に割り切ることは出来ない。

ゆえに問題解決のための方法に「確率の論理」を用いる

そして確率の高い結果が選ばれる。

反証には、確率的に低いことが選ばれる。

しかしそれは、上で述べたように絶対の反証とはなりきれない。

偶然起きないことも、偶然起きうることもある、

より慎重に扱われなければならない方法である。



 問題解決のための、論理の構築、

そしてそのための、科学的方法や反証的方法、

それらの知識や経験を用いて、

その論理の正しさを確実にする。

この思考が、「知性の整合性」である。

その思考は十分に、また慎重に行わなければならない。

絶対ではないこと、データに偏りが発生しやすいこと、

思い込みによる誤りが含みやすいこと、

それらを承知していなければならない。

そのためには、時空列から多角的に見る「システム思考」

思考が複雑化して混乱しないようにする「シンプル思考」

理屈だけが先行してい極論になるのを防ぐ「バランス思考」

これらが必要となる。

これらが「論理思考」をフォローする。

この四つの思考をまとめて、「秩序思考」と呼ぼう。

「秩序思考」が「知性の整合性」を支えるのである。



 問題解決の具体的な例を挙げよう。

「おいしいチャーハンを作りたい」と言う問題があるとする。

①問題を整理するために、定義を明らかにする。

「チャーハン」とは何か?

「そのおいしい」とは何か、誰にとってか?

「作る」ことの、条件は何か?環境(材料、設備の設定)は?

②限られた条件の中での、目指すべき目的(解答)を明らかにする。

「パラパラでふっくらとしたチャーハンを作る」

「中華飯店の味を家庭で再現する」

③出来るだけデータを集める。

データが論理を構想できるほど十分か

「人気や有名レシピのみの選択」

データに偏向や思い込みはないか、

「中華四千年の極意、町中華の職人技」

データの集計に恣意性や意図性がないか

「宣伝による印象、売り上げ人気の影響」

いくつかの条件(因果関係)の中から、主となる要因、

また影響を及ぼす要因を導き出し、

仮説(仮論理)を構想する。

「飯:炊き立て」「油:ラード」

「火力:鍋を振らない」

「調味料:科学調味料」

⑤その仮説に基づいて実験を行う。

実験は正当か(再現性があるか)を検証する。

⑥論理構造を確立する。

⑦結果から、問題が十分に解決されない場合は、

論理構造を見直す。

全体から見て(システム性)、無理無駄ムラがなく(バランス性)、

複雑煩雑になっていないか(シンプル性)を検証する。


《2022.2.5