23.『理不尽について』

世の中には、理不尽なもの、

虚偽、欺瞞、嘘、虚構

無視、隠蔽、忘却、逃げ、横着

こだわり、誤解、思い込み、錯誤

はったり、扇動

圧力、威嚇、権威、横暴

諦め、萎縮、畏縮

それらがあり、世の中はそれらで動いているとさえ言える。

人には、三つの本能がある。

生存本能と種存本能と存在本能である。

これら三つの本能に基づく欲求において、

上記のような欺瞞などの理不尽がなされるのである。

生存本能に基づくものとしては、

その欲求は、持っているエネルギーで、

新たなエネルギーを得ることである。

そこに理不尽が発生する理由として、

人は、よく効率良くエネルギーを得るために、集団を組む。

社会を築き、社会生活を営む。

社会は、人々の安定な生活を目指す秩序社会であると同時に、

経済社会である。

経済活動とは、今の持つエネルギーを使って、

より大きなエネルギーを得ることを目的とする。

そしてエネルギーは、物質化して貯蓄することが出来る。

貯蓄は、人の生活に余裕を生むのである。

そのエネルギーの獲得には、秩序も必要だが、

技巧も必要である。

より大きなエネルギーを得るためには、

効率化が必要であり、

そのためには、ある面、技巧としての欺瞞が必要となる。

狩猟の時代において、獲物の習性を利用して、

それらを騙して、効率良く狩りをする。

農耕、牧畜においても、生物の習性を利用して、

それらを騙して、効率良く収穫するのである。

現在の、人に対する商売も同じである。

人の習性を利用して、人に妄想を抱かせるのである。

人は妄想によって、購買意欲が昂ぶらされる。

そして、より効率よく利潤が得られるのである。

そのために、欺瞞のような、上記の理不尽が利用されるのである。

種存本能においても、欺瞞などの理不尽がなされる。

配偶者を得るために、自分を現状以上に良く見せようとする。

存在本能においても、集団において、自分の存在価値を強くアピールする、

そのために、理不尽がなされるのである。

集団や社会においては、

より複雑な理由によって、理不尽がなされる。

社会には秩序が必要であり、

集団や組織で、その秩序を維持するためには、

メンバーへの強制力が必要である。

秩序を形作るルールは、論理的、整合的であるのが理想だが、

現実において、すべてのメンバーを納得させることは出来ない。

実施するにも、現状とバランスをとることも必要とされ、

ゆえに、その強制力を発するには、ある程度の理不尽が必要となる。

こうして上記の様々な理不尽が、社会的に許されることになる。

これが秩序の危険性であり、これが秩序を暴走させる。

すなわちルールを厳守することが最優先され、

理不尽が当然とされるのである。

あくまで秩序は、ものごとの効率化の手段であり、

手段が目的を無視してはいけない。

ものごとの効率化は、社会全体が幸福になることを

目的としていることを忘れてはいけないのだが、

いつのまにか手段と目的が入れ代わってしまうのである。

秩序維持に重要なのは、現状のフィードバック機能である。

秩序は絶えず本質に基づいて検証され、改善されなければならない。

しかし、そのフィードバックもあまりに頻繁だと、混乱する。

改善であっても変化が多いと、その秩序は不安定になる。

そこにもバランスが必要となる。

効率は、質(性能)、量(時間)、コスト(エネルギー)の要素に分かれる。

バランスは、それら要素の優先順位にもとづく調和である。

それらは、天秤のように単純なつり合いではなく、

互いに相乗効果や、相殺効果を生むため、

因果関係が複雑に絡み合ってのバランスでは、

全体を把握するのは難しい。

これを把握するのは、知性より感性となるかも知れない。

感性とは、経験的感覚である。

この感性が知性によって裏付けされたものが、

「知性の整合性」と言える。

「知性の整合性」の要は、「矛盾」の拒否である。

感性は違和感を気づかせ、知性は論理矛盾を拒否する。

「矛盾」を認めない思考が、世の中の理不尽を退けるのである。

どのような状況においても、理不尽は、なされないほうがいい。

それは事実をごまかし、間違った因果で、ものごとが判断されるからである。

それは多くは、社会を混乱させ、進歩を止め、後退を促す。

不幸を招く要因となるからである。

それは、社会に「幻想」や「妄想」を生む。

「幻想」や「妄想」は上で述べてきたような、

社会を扇動し、社会を動かす原動力にもなりうる。

社会の秩序維持に、役立つこともある。

しかし、いつわりはいつわり、虚構は虚構である。

「幻想」は集団に起こる、社会を巻き込むような虚構であり、

「妄想」は、個人に起こる、思い込みによる虚構であると考えられる。

これらは、自然に、または作為的に作られる。

そして人の欲望、感情を掻き立てる。

人々は、それらが虚構とは思っていない。

半信半疑、または事実として受け入れ、それらを認めている。

そしてそれらが実際に現実を動かし、

事実になることもある。

大きな社会現象を引き起こすこともある。

だが多くは、無為に無駄に、または損害や不利益を残して終わる。

世の中には、このような「幻想」や「妄想」が溢れている。

社会のおおよそ3分の1が、これで出来ているといってもいい。

政治、経済、勤労、

学問、科学、教育、

文化、常識、生活、

恋愛、嗜好など、

至るところに、それはある。

そしておおよそ3分の1は、「秩序(事実)」である。

残り3分の1は、「不明瞭」である。

秩序主義は、効率UPを目指す。

ものごとを明らかに、見やすく判りやすくすることを目的とする。

「幻想」や「妄想」に惑わされず、「不明瞭」を解き「事実」を見つけ出す。

理に従った社会の制御や発展が、やはり正しい、王道である。

秩序思考は、論理思考、システム思考、バランス思考、シンプル思考からなる。

それらを、「知性の整合性」をもって考慮する、

世の中の欺瞞や理不尽に対抗するには、

それしかないのである。

(2021.1.5)