国際公文書館会議定義によれば、記録とは、「機関や個人の活動の開始時、実施時、完了時に作成または受領され、その活動に証拠を与えるに足る内容、コンテクスト((背景・状況・環境)、構造から成る、記録された情報」と定義されています。
記録の起源は、古代エジプトやメソポタミヤに残る外交文書にさかのぼると言われています。当時の記録媒体は、まだ紙ではなく“粘土板”に本文とその文書の管理のためのメタデータ(記録を管理するためにデータに付けられたデータ)も記述されていました。また、古代ローマでは、元老院記録、国庫財産記録、十二表法(成文法典)などが保管されていました。これは文書管理の目的が、時の為政者による支配・統治の要として文書を作成し、保存・管理していたことを示唆します。
記録媒体が、“粘土板”でも文書かの疑問は、民事訴訟法・刑法による文書とは、「文字、その他の記号を使用して人間の思想、判断、認識、感情等の思想的意味を可視的状態に表示した有形物をいう」であり、文字とは日本語のみならず外国語も含み、その他記号とは、速記号、暗号、点字などをさします。思想的意味を可視的に表現するものであるから、図面、地図、写真、音声テープなどは文書ではありません。有形物とは、紙に限らず、木片、布地、金属、皮革、石、コンクリート、プラスティックなどであり、
当然粘土板(注)でもよいことになります。
本稿では「文書」と「記録」の表記 証拠性を意識した文書を強調する場合は【記録】と表記しますが、一般的な文書(文書と記録含む)の場合は、「文書」と「記録」とを厳密に使い分けせずに、【文書】の表記をします。
*(注)粘土板とは
粘土板とは古代メソポタミアおよびその周辺地帯から出土する粘土でできた板で、主に楔形文字を記しているものを指している。そこに書かれている文書は「粘土板文書」などと呼ばれています。
(粘土板は現代風に言うなら)文字の記録媒体文字を記録しやすく、携帯することも可能であったため、紀元前3000年以前から西暦紀元直後まで、さまざまな言語の記録に用いられていました。使用範囲・使用言語が多様であるばかりでなく、西暦1世紀~2世紀ころに廃用になるまでの前後3000年以上の長きにわたって用いられた材料であり、今までのところ発見されている粘土板だけでも40万枚になると言われていて、今後まだ多くが発見される可能性があります。
出土する粘土板は楔形文字だけが刻まれているものが圧倒的に多いが、なかには地図や図などが刻まれたものもあります。当時あまりに一般的な材料だったので、出土する文書の比率としては日常的でこまごましたもの、たとえば領収書や納税記録やメモ書きなどが多いが、そうしたものばかりでなく、出土する場所によってはもっと重要な文書、たとえば学術書、外交文書、歴史書などの割合が高くなります。
<主な用法>
● 国政のための様々なデータの保管
●土地の大きさから税金を決める、等
●商取引のための契約書
●国内での売買の契約書、貸借契約の契約書
●外交で条約などを締結するときの公文書
例えばバビロニアとエジプトの交わした合意文書などが残っており、それらはみな焼かれたものである
●図書館などに置く学術書、詩、等
知識の蓄積の目的で図書館が建てられ、その蔵書は粘土板で作られた
●粘土板に文字を書く勉強のための練習用ノート
●文字を書く技術を習得するための学校のような施設があり、生徒は粘土 板に書き取りをしていた(日本語でいう五十音の表やそれの書きかけのものも見つかっている)
●(貴族などの)持ち物の覚え書き
●粘土板から貴族や富豪の夫人が服を蒐集し、リストを作っていたことが分かった
●バビロニアの世界地図
古代メソポタミアの地図。紀元前6世紀頃に造られた
● バビロニア数学
●紀元前1800年頃に書かれたプリンプトン322にはピタゴラス数(Pythagorean triple)が記されている。
紀元前1033年の 土地の売買の契約書。(大英博物館所蔵)
一連の粘土板群の最初のページ。Mul-Apinには、天球の3つの区分、主要な星が昇る日付のリスト、グループで昇り沈む星々の日付のリスト、白道(天球上の月の見かけの道)が通る星座 などについて記述されている。左右2列のカラムに分けるようにして書かれている。星のデータから判断して、紀元前1000年ころに編纂されたもの
バビロニアの粘土板 (紀元前1800-1600年頃)
2の平方根の近似値は60進法で4桁、10進法では約6桁に相当する。1 + 24/60 + 51/602 + 10/603 = 1.41421296.