●2002/5/4
これは当時の旅の記録であり、現在の旅情報としては利用できません。
東の(シガツェ)から西の(ラツェ)まで、紫色のライン。
●行動記録
スピードに手加減なし 交通の要衝ラツェの町を目指してさらに西進する。
ランクル・ドライバー氏は陽気で楽しい男だ。
カセットデッキで芒洋たる平原を行くに似合いの曲を流し、口ずさむ。
彼はさすがの運転テクニックです。
所々にある道路の陥没を、遠くからいち早く見つけ対応する。
少しでも道路状態が良いと見れば、スピードに手加減はない。
ランクルは後塵を舞い上げ、チベットの大地を疾走します。
■参照画像 G1:沈黙の古城に懸かる下弦の月
沈黙の古城に懸かる下弦の月 (G1参照)ラツェに至る途中道路左側、岩山の上に古城(烽火台?)が見えた。
尋ねても語る人はだれもいない。
古堡臨岐路
荒峯照白暉
無人談往昔
弦月昼空微
【注】
この古城はシガツェ郊外、ラツェへ向かう途中の進行方向左(南側)の岩山上にあった。
この日の日付、月齢・月の仰角、廃墟の影方向からおよその撮影時刻を推定し、シカゼの出発時刻から距離を推定、全てにおいて整合的である。
ただし確証はなく、以下のGoogleマップ判読座標値は「おそらくこの付近」という推定にとどめたい(29 08 02.9N 88 38 38.3E)。
現在の地図では山腹に白い文字が描かれているが、2002年当時に通過した際、文字を見た記憶はない。
しかし改めて写真を精読すると、白い文字の一部のようなものが見える。
なお上記の漢詩について、現代の日本人には韻を踏む漢詩は難しく、AIの助けを借りて整えた。
多くの日本人は漢詩の高潔なる詩情を愛し、中国の古典文芸に深い敬意をいだいております。
■参照画像 G2:ラツェのダールチャムーチュー寺?
町はずれの寺 (G2参照)ラツェの町、西はずれまで歩くと塀に囲まれた寺があったが、内部は拝観しなかった
【注】
後年のGoogleマップ判読によれば「達爾査木曲寺/达尔查木曲寺」だったと思われる。
日本語読みすればダールチャムーチュー寺となるか?
低い塀に囲まれた佇まいは、当時の記憶とよく符合する。
交通の要衝ラツェ 小さなラツェの町ですが、さらに西方の「カイラス」方面に向かう道路と、南下してザンム「樟木口岸」から「コダリ」への峠越で、ネパールの「カトマンドゥ」へ続く中尼公路との分岐点であり、軍も駐留する要衝の地である。
冷えたマントォをギャミ茶(中国茶)で食べた。
飽食の国から来た身には、何とも味気ないものです。
野菜チャーハンも頼んだのですが25元と大変高い。
これから先の地では、食べ物の好き嫌いはいえない。
気を引き締めねばなりません。
当時、昼食をとったタシ第2餐庁の階上で、宿泊したラツェ・ホテルは、現在のGoogleマップで似た名称は見つかるものの、確証はありません。
中尼公路との三叉路付近より東へ約4kmの市街地だったように思います。
再建や修復の気配なし 車両の都合でたまたま立ち寄った、ラツェに至る途中の村だっただろうか?
冷静に考えると、この日であったのかどうかも、確信はない。
しかし、あの光景はあまりに強烈で、忘れることができないのです。
おぼろな記憶で、場所も方角も自信はないが、地元の子供たちに案内され、幹線道路山側にある小規模な寺院跡と思われる廃墟を訪れた。
廃墟は風化ではなく、人の手によって執拗に破壊されたように見えた。
壁面を飾っていたであろうヤクの角付きの頭骨が、多数散乱していた。
どのような寺院で、どのような経緯があったのか。
想像は浮かぶものの、確かなことは何ひとつ分からない。
再建や修復の気配はいっさいなく、案内してくれた子供たちも、どこか寂しそうに見えた。
★今日のクチコミ地
ラツェのダールチャムーチュー寺=
※検索済みクチコミ地は星印などのリスト保存で迷子防止。
※中国領内では航空写真と地図表示にずれがあり、Googleマップ検索では要注意。
★次の地点
★前のクチコミ地
シガツェのタシルンポ寺=
■参照画像
G1:沈黙の古城に懸かる下弦の月
G2:ラツェのダールチャムーチュー寺?
←目次へ
本日は5/4