●2002/5/18
これは当時の旅の記録であり、現在の旅情報としては利用できません。
北西のテント形マーク(ケルミ)から、南東の家形マーク(シミコット)まで、黄色のライン。
●5月18日の行程
ケルミ=「Kermi」→シミコット=「Simikot」
●コースタイム・その他メモ
4:10 出発
9:00 茶屋
11:00~12:10 ダラポリ「Dharapori」 マオイストに遭遇
13:15 昼食 旧テレホンサービス(マオイスト焼き討ち跡、MATHAGAUNマサガウン?S氏談)
15:30 峠「Lagna」
16:45 シミコット着(ネパール・ツーリスト・ゲスト・ハウス泊)ビール170R/1
■参照画像 V1:ケルミ村を振り返る右側に幕営地が見える
●行動記録
今日も険路は続く (V1参照)ケルミ村の東はずれ、飯屋兼宿屋脇の幕営地から歩き始める。
谷へ下る斜面には、麦畑が黄緑色の棚田ように広がっている。
■参照画像 V2:ケルミ対岸の岩壁
(V2参照)谷を隔てた対岸は切り立った岩壁で、谷川岳なら登攀対象になりそうな壁です。
よく見ると壁の下部にトラバース道が見えています。
昨夜その道を通過する懐中電灯らしき明かりがチラチラと見えたが、こちら左岸よりさらに険しい道でしょう。
今日も深い峡谷が続きます。
■参照画像 V3:ケルミ→シミコット(推定)撮影地不詳
(V3参照)道は岩壁を穿ち、石を積み上げ築かれています。
マオイスト現る 当時のネパール西部は政府の統制が十分に及ばず、地域によってはマオイスト勢力が実効支配していました。
マオイストは、ダラポリの村はずれで待ち構えていた。
欧州人のトレッカー達から、すれ違うごとに、通行料徴収のようすは聞いていたので、さほど驚きませんでした。
彼らは古い単発式小銃を三丁持っており、リーダーは30代半ばほど。
残りの二人は中学生か高校生の年齢に見える。
その周囲には自称通訳を名乗る男や、見物に来た村人らしき者も混じり、総勢二十人ほど、誰がマオイストで誰がただの村人なのか区別がつかない。
外国人ツーリストからは一人100$、ネパール・シェルパからは一人6,000Rを徴収するとのことです。
銃で脅して金銭を要求するのは、山賊的違法行為で、もし私たちを傷つけることがあれば、国際的にも大問題になる行為だ。
本来は、そう言って説き伏せたいところだが、そんな複雑な英文を口にして説得できるなら、苦労はありません。
パスポートを強引にひったくる ネパール・シェルパS氏はマオイストが通行料金をいくら要求してくるかなどの情報を、ケルミ村で聞いていたらしく、妻にルピーを預かってくれと、事前に手渡していました。
妻は自分がなぜ金を預かるのか、その理由をよく理解していなかったようだ。
ネパール・シェルパS氏は妻に預けてあったルピーを支払わせ、「あなたたちも支払ってやれ」とうながしてきた。
客の安全第一のシェルパとしては当然で、彼の言うようにすれば間違いはないのです。
ネパール・シェルパS氏の通訳によれば、
「支払わなければ、マオイストのオフィスまで連行する」という。
マオイストのオフィスとはカルナリ河対岸のずっと奥にあるのだそうです。
「ジャパニーズであるなら、パスポートを見せろ」。
彼らの狙いは明らかだ。
大切なパスポートなので、しっかり掴んで注意していたのだが、一瞬の隙をつかれ、脇から強引にひったくられた。
「コラッ そんなに引っ張ったら千切れるって、やめろっ」。
若いマオイストは得意顔である。
「パスポートは100$と引き換えだ」。
小突きあいとなりかけたそのとき、マオイストのリーダーが小銃に手をかけた。
ネパール・シェルパS氏が割って入る。
私が折れた。
パスポートと引き換えに支払いに応じ、その場をおさめるほかなかった。
■参照画像 V4:並んだ5人の顔写真とは
領収書に並んだ5人の顔写真 (V4参照)彼らは領収書を発行したが、領収書に並んだ顔写真は左からマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東です。
これらの顔写真は、マオイストの思想的背景を誇示し、自己正当化の象徴なのでしょうか 。
我々の後方から、ヤリ村で雇った6人のポーターが来ているはずです。
マオイストは遅れて現れた地元のポーターには、当然ながら請求しなかった。
■参照画像 V5:手前に小銃が見える
(V5参照)写真は妻がT君の影に隠れて撮影しました。
白い帽子をかぶり、口の辺りに手をやっているのが、シミコットからチベットに向かうインド人です。
彼は執拗に支払いを拒んでいました。
それにしても国家とは何でしょうか。
強大な軍事力を背景に、隅々まで統制する体制もあれば、国内でありながら政府の権限が及ばず、他の勢力が支配する地域もある。
島国日本人の国家に対する感覚や常識が通用しない地域は、世界にはいくらでもある。
この旅でそれを目の当たりにしました。
■参照画像 V6:レグナの峠「Lagna」
ナマステと声をかけても返事はない (V6参照)シミコットを見下ろす峠、レグナ「Lagna」。
頂部は針葉樹がわずかに残り、見晴らしがよい。
数軒の山小屋のような建物があるが、畑もなければ女性の姿もなく、洗濯物もタルチョも見当たらない。
どう見ても集落とは思えない。
焚火で温まりたくて私たちも小屋の中へ入ったが、愛想はなく、ナマステと声をかけても返事はない。
3~4人の男たちの目つきは鋭く、警戒を一瞬たりとも解いていない様子だった。
おそらく、この峠がマオイストの掌握下にあったのだろう。
■参照画像 V7:シミコット空港が見えた
これで帰れると (V7参照)峠から見下ろすと、シミコットの町と飛行場が見えた。
その光景が、ずいぶん有難く心強く感じられ、ああ、これで帰れると正直ほっとしました。
【注】当時マオイストは武装反政府組織であったが、その後和平プロセスを経て政治団体として合法化され、連立政権の一角を担うまでになった。現在では、党内分裂や汚職をめぐる批判も報道されつつ、ネパール政治の一部として存続している。
◉シミコットのゲスト・ハウスGPS測定値
(29 58 25.0N 81 49 06.7E)標高⟦2,770m⟧
※( )括弧内座標値コピペでGoogleマップ検索できる。
※測地系はGoogleマップと同じWGS84適用、標高は国内のテストで±30~50mの誤差があった。
★今日のクチコミ地
ネパールのシミコット空港=
※実際の宿泊地は空港の北約200mのゲスト・ハウス
※検索済みクチコミ地は星印などのリスト保存で迷子防止。
★次のクチコミ地
カトマンドゥ、タメルのビクラムシラー大僧院=【Bikramshila Mahavihar/ भगवान बहाल】
★前の地点
ネパールのケルミ=「Kermi」
■参照画像
V1:ケルミ村を振り返る右側に幕営地
V2:ケルミ対岸の岩壁
V3:ケルミ→シミコット(推定)撮影地不詳
V4:並んだ5人の顔写真とは
V5:手前に小銃が見える
V6:レグナの峠「Lagna」
V7:シミコット空港が見えた
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本日は5/18