●2002/5/13
これは当時の旅の記録であり、現在の旅情報としては利用できません。
北西の家形マーク(プラン)から、南東のテント形マーク(ヒルサ)まで、赤紫色のライン。
■参照画像 Q1:早朝、招待所から南南西方向
●行動記録
国境の尾根、早朝に浮かぶ (Q1参照)早朝、プランの招待所から南南西方向を望む。
中印国境のリプレク・ラ「Lipulekh Pass」から南南東へ延びる山脈は、やがて中尼国境となる。
その付近の尾根上に連なる峰々ではないだろうか。
なおリプレク・ラの北西側一帯はネパールも領有権を主張している印・尼の係争地。
【注】
画像範囲は幅約5kmの範囲でGoogleマップの判読から以下を比定。
左:弓状尾根の山塊(30 06 11.8N 81 06 34.1E)、中央:鋭鋒ピーク(30 05 59.9N 81 04 50.0E)、右:稜線上の重なるピーク群(30 08 08.5N 81 04 56.1E)。
画面右外側、約10kmにリプレク・ラ「Lipulekh Pass」。
出国手順は医務室から さて昨夜のチベット・ガイド氏と軍の友人との話合いについてだが、彼の報告は否定的なものだった。
ボーダーの閉鎖は変更できないとのこと。
チベット・ガイド氏の提案はこうでした。
「もしも誰かが病気であれば、特別な配慮が得られるかもしれない」。
実際、妻は体調不良が続いており、結果的にその提案が現実味を帯びることになった。
表通りに辺検站と並んで、小さな医務室がある。
まずチベット・ガイド氏とランクルのドライバー氏が入っていきましたが、すぐに戻ってきた。
ランクルのドライバー氏は、なぜかその場の雰囲気にそぐわない苦笑いを浮かべています。
陽気で頑健な彼に、病人は似合いません。
次に妻が、チベット・ガイド氏と医務室へ。
手招きされて、私とT君も医務室に入る。
そこは一室が仕切られ、医局兼薬局と診察室兼ベッド3台の病室になっていた。
医師も関係者も丁寧な対応 彼女はすでにベッドの上で、いささか不安そうです。
ちょうど何か投薬があったところだった。
白衣の男性医師が、「…Blood pressure…Pulse…」と言いながら、160、80とメモ用紙に書き示す。
どうやら高山病との診断です。
事実ここまでの彼女の体調は、良好と言えるものでは無かった。
ラサ到着の日から体調は優れず、カイラスのコルラでも4,800mで引き返さざるを得なかったほどでした。
直ちに点滴が始まる。
日語を話す軍人 今度は片言の日本語が話せる優しそうな軍人が現れ、彼女に、「頭は痛くないか」など、問診の通訳をしています。
今度は酸素吸入が始まる。
私たちに「いつ頃からこのような症状が出始めたのか?」
「持病はあるか?」と聞いてきた。
「もう2~3日前からだ」。
「私達は病弱な彼女を大変心配している」。
「カトマンドゥのホスピタルでの治療を望んでいる」。
「昨日カトマンドゥと電話連絡を取った」。
「我々を出国できるようにして欲しい」。
筆談を交えてのやり取りでした。
優しそうな軍人は医師と何やら話していましたが、“我々願出国”の文字にうなずいてくれます。
現場確認にインテリ軍人 日本語が話せる優しそうな軍人と入れ替わりに、英語を話す2人の若い軍人が現れました。
2人とも繊細そうな細面で、1人は金縁メガネ、戦闘服ではなく詰襟の制服で、将校クラスでしょうか。
「…Pass water…?」えっ、パス・ウォーターって何のこと。
身振りから、排尿のことだと理解できた。
高山病の場合、排尿の有無が問題です。
チベット・ガイド氏も早期に出国できるようにと、側から話しかけます。
2人のインテリ軍人は、「数日間ここで休養すべきだが、あなた方の希望を考慮し、すぐに出国できるように手続きします」、そう言い残して去りました。
妻は点滴や利尿剤が効いてきたようです。
その事を医師に告げると、ホーローの洗面器が差し出されました。
もちろん旅友T君と私も席を外すのは当然です。
その後も再度の投薬と血圧測定があり、処置は終始丁寧であった。
医師、軍、公安、出国審査 医師に医療費を尋ねるが話が通じません。
中国経験のある旅友T君が「確か"多少銭"のはずだが」。
筆談でただちに理解してもらえた。
しばらくして、提示されたのはなぜか切れ良い100美元。
レシートは発行されませんでしたが、当時の辺境では、制度が現在ほど整備されておらず、こうした簡易な会計処理は珍しくなかったようです。
医師から正式な診断がなされ、昨日の迷彩服の軍人が現れ、チベット・ガイド氏と話し合い、軍の出国許可が出たようです。
続いて公安(警察)による事情聴取があった。
私たちの素性や通過ルートを聞き、パスポートの顔写真が似ていないと、クレームを付けられたが、なんとかOKです。
■参照画像 Q2:中国辺防検査、普蘭出の印
■参照画像 Q3:カルナリ対岸南側
(Q3参照)プランからシェラの村まで一時間半は、自動車道路としてこれ以上はないほどの悪路でした。
カルナリ河の対岸の山並みです。
出国は当局の裁量が大きい 昨日のいきさつから、私たちが出国を望んでいることは、辺検站の軍人たちにも明らかだったはずだ。
チベット・ガイド氏は、昨夜会った軍の友人から、健康上の理由で、いわゆる“人道的配慮”がなされた事例があったと耳にしたのかもしれない。
当時のチベットでは、外国人旅行者に関わる許可や手続きが、必ずしも一律に運用されているわけではなく、現場判断の余地が大きいように感じられた。
察するに、チベット・ガイド氏や辺検站の担当者にも、彼らなりの事情と苦労があったのだろう。
中国側旅行社の許可証 許可証の「ザンム→コダリ」という記載は、 特別な理由があったわけではなく、 当時もっともチベット域内を通行しやすい“定型の書式”が使われただけだ。
私たちの通過ルートが変則的でも、 許可申請は手慣れた形を選ぶのが簡明だったのだろう。
出国地での処遇は、最終的に当局の判断と慣行に委ねる以外ない。
いま思えば、それはごく自然な成り行きだったと分かる。
シェラからネパールのヒルサへ シェラの中国国境検問所の施設が自動車道路の終点だった。
※当時の検問所はシェラ村を過ぎたところだったように思う。
トラックに積んでいた荷物も総て降ろし、全荷物の検査を受けた。
ここで今までのスタッフと別れ、残るは私たち3人とネパール・シェルパ2人だけとなった。
ここから先は徒歩で、人力だけが頼りだ。
ネパール側のヒルサまで荷運びに3往復、ネパール・シェルパたちは5往復もしてくれた。
◉ヒルサ幕営地GPS測定値
(30 09 07.5N 81 20 04.7E)標高⟦3,660m⟧
※( )括弧内座標値コピペでGoogleマップ検索できる。
※測地系はGoogleマップと同じWGS84適用、標高は国内のテストで±30~50mの誤差があった。
★今日のクチコミ地
ネパールのヒルサ、カルナリ河のつり橋
【Hilsa-Karnali Suspension Bridge/हिल्सा–कर्णाली झोलुङ्गे पुल】
※検索済みクチコミ地は星印などのリスト保存で迷子防止。
※中国領内では航空写真と地図表示にずれがあり、Googleマップ検索では要注意。
★次のクチコミ地
ネパールのヤリ・バザール=
★前の地点
プラン=普蘭
【プランの招待所】
■参照画像
Q1:早朝、招待所から南南西方向
Q2:中国辺防検査、普蘭出の印
Q3:カルナリ対岸南側
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本日は5/13