●2002/4/25
これは当時の旅の記録であり、現在の旅情報としては利用できません。
●4月25日の滞在
「カトマンドゥ」、旅程変更
●コースタイム・その他メモ
10:00 からトレッキング・エージェントH.S.A.代表のMr.BとホテルHARATIで打ち合わせ。
その後:ダルバール周辺散策。
■参照画像 ウ1:スークラ・パトで警戒に当たる兵士
●行動記録
事件発生か? ジュッダ・サリクは市内中心部のロータリー交差点で、東へ進めばニューロード、西へ向かえば「ダルバール広場」、北へ行けば「インドラ・チョーク」に至る。
そのインドラ・チョークへ続くスークラ・パト=「Sukra Path」の通りで事件があったようで、警戒態勢が敷かれている。
観光客や一般市民が標的にされることはないが、当時のネパール情勢は不安定で、空港やロイヤルパレスなどの要所には、ライフルや自動小銃を携えた兵士が警備にあたっていた。
計画変更 当初の計画ではこの日が、カトマンドゥから「ネパールガンジ」へフライトの予定日であった。
しかし、マオイストにより全国一斉ゼネストが、4月23日~27日の間呼びかけられており、ネパールガンジの空港が使用できない。
急遽、計画変更を余儀なくされた。
その調整にあたってくれたのが、H.S.A.代表の Mr.B である。
中背ながら筋骨たくましく、素晴らしい笑顔と羨ましい福耳の持ち主。
英語も堪能、日本在住の経歴もあり、日本語での会話は流暢で、意思の疎通には問題ない。
彼の提案を受け入れ、4月27日カトマンドゥから空路で「ラサ」へ入ることにした。
当初はネパール側からチベットへ徒歩で越境する予定であったが、計画を反転させ、まず空路でチベット入りし、カイラス・コルラを終えたのち、徒歩でチベットからネパールへ抜けることになる。
つまり、当初の計画とは逆方向から、同じコースをたどることになる。
この変更は、私たちを支える体制づくりから、手順の組み直し、航空機のチケット手配、チベット通行許可証のルート変更にいたるまで、短時間で次々と判断し処理しなければならず、経験豊富なエージェントにとっても、容易ではなかったはずだ。
チベット側のプラン=普蘭「普兰县」から峠越えでネパール側の「シミコット」へ抜けるルートは、偶然にも、この峠越えコースを計画するきっかけとなったピーター・サマヴィル・ラージ著『ネパール・チベット珍紀行』と、同じ方向をたどることになった。
★今日のクチコミ地
カトマンドゥのジュッダ・サリク=
※検索済みクチコミ地は星印などのリスト保存で迷子防止。
★次のクチコミ地
カトマンドゥのボダナート
※ボダナートは類似名称で複数登録あり要注意、空港の北約2.5km、航空写真で巨大な白いドームがボダナートです。
★前のクチコミ地
カトマンドゥのセト・マチェンドラナート寺院=
■参照画像
ウ1:スークラ・パトで警戒に当たる兵士
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