●2002/5/2
これは当時の旅の記録であり、現在の旅情報としては利用できません。
北東の(ラサ)から南西の(ギャンツェ)まで、朱色のライン。
●5月2日の行程
ラサ「拉薩」→ギャンツェ=江孜「宗山公園」
●コースタイム・その他メモ
4:30 起床
KANGLI・INTERNET: 友人宛にメール
7:30 朝食
8:50 出発
11:00 ガンバ・ラ「甘巴拉/Ganbala」着(4,800m)
12:20 昼食 ナンカルツェ「浪卡子鎮 」にて(4,500m)
13:30 カロー・ラ「卡若拉冰川」 着(5,020m)⟪5,052 m⟫
14:30 ツァミ・ラ着、峠に4,330mの標識あり(SUUNTO-80m校正) 推定Googleマップ判読座標値(28°51'00.3"N 89°50'00.7"E)
15:20 ギャンツェホテル着(4,020m)⟪3,977m⟫
参拝:「白居寺」、パンコル・チョルテン
18:00 夕食 ホテル向かいの正宗川味
21:00 ホテル着
夕刻:軍人20人ほどが我々の横の通りを、駆け足で通過、何かの訓練か。
■参照画像 E1:カロー・ラ、氷河迫り小雪舞う(許可を得て撮影)
●行動記録
一路平安 私たち3名にチベットガイド氏、ランドクルーザーのドライバー氏、以上5名でラサを後にして進路は西。
一路カイラス「冈仁波齐峰」を目指す。
今も心残り (E1参照)氷河が間近に迫るカロー・ラ(峠)「卡若拉氷川」、雪もちらついているし、寒気が身にしみる。
標高(5,020m)ともなると、さすがに息苦しく感じられる。
(3,700m)のラサで幾日か過ごし、通常の行動ならさしつかえない程度に高所順化したつもりだったが、標高が600~700m上がるごとに再度、高山病の症状が現れるようだ。
父親に引かれてヤクに乗る民族衣装のけなげな少女、カメラのモデルを務めていた。
モデル代5元と言うが、思わず値切ってしまい、つまらぬことをしたと今も心残りです。
■参照画像 E2:苦難ギャンツェ・ゾンと旧市街
苦難の古城 (E2参照)街に近づくにつれ、岩山にそびえ立つギャンツェ・ゾンの姿が迫ってくる。
20世紀初頭、河口慧海師が慌ただしくチベットから「シッキム」へ去った翌1903年、同じルートを英領印度から北上してきたヤング・ハズバンド大佐率いる英軍がこの地を攻め、1904年ギャンツェ・ゾンは砲撃を受け陥落した。
英軍と伝統的武器のチベット側との戦力差は大きく、英軍はラサへ進軍し、チベット政府に不平等条約を結ばせた。
【注】
英軍は戦闘員3,000人、後方支援7,000人の部隊。
おりからの曇り空も、チベット苦難の歴史を秘めたる古城にふさわしく、能弁なチベットガイド氏さえ、その多くを語らず。
異形の尊像 「白居寺」のパンコル・チョルテンは多層をなす大きな建物の上に、さらに巨大な仏塔を載せた造りである。
寺院では多くの僧侶たちが修行を重ねており、観光目的で覗くのが憚られるほどの雰囲気があった。
金色の仏像や、見慣れぬ異形の尊像・壁画が数多く並び、見て歩くだけでもチベット仏教の奥深さに触れる思いがした。
★今日のクチコミ地
ギャンツェ・ゾン
※検索済みクチコミ地は星印などのリスト保存で迷子防止。
※中国領内では航空写真と地図表示にずれがあり、Google マップ検索では要注意。
★次のクチコミ地
シガツェ=「日喀則」のタシルンポ寺=
★前のクチコミ地
ラサのジョカン
■参照画像
E1:カロー・ラ、氷河迫り小雪舞う
E2:苦難ギャンツェ・ゾンと旧市街
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本日は5/2