ゼミなどで使う文献リスト

ゼミなどで使う文献リストです。

主題分けとか数字分けは便宜的なものです。

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1.ポピュラー音楽

1.1.ジャンル論

ヒュー・デフェランティ(Hugh de Ferranti) 2010 「オーストラリアにおける和太鼓の受容と土着化ーハイブリッドのオーストラリア太鼓音楽への道ー」 井上貴子(編著) 『アジアのポピュラー音楽 グローバルとローカルの相克』 東京:勁草書房:170-194。

木本玲一 2009 『グローバリゼーションと音楽文化』 東京:勁草書房。 より 序章、一章、二章

菊地成孔 2008 『服は何故音楽を必要とするのか?―「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召還された音楽達について』 東京:INFASパブリケーションズ。 の 序文(と連載一回目)

小川博司 2007 「「癒しの音楽」とは何か」 小西潤子・仲万美子・志村哲(編) 2007 『音楽文化学のすすめ―いま、ここにある音楽を理解するために』 京都:ナカニシヤ出版:147-159。

大和田俊之 2010 「反復と制御―ポピュラー音楽における<黒さ>について」 片山杜秀(責任編集)『別冊「本」 ラチオ スペシャル・イシュー 思想としての音楽』:50-75。

---. 2011 『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』 講談社選書メチエ 東京:講談社。 より 「第一章 黒と白の弁証法―偽装するミンストレル・ショウ」「第十章 音楽の標本化とポストモダニズム―ディスコ、パンク、ヒップホップ」 ヒップホップの章(と第一章?)

輪島裕介 2008 「7.演歌の誕生」 東谷護(編) 2008 『双書 音楽文化の現在I 拡散する音楽文化をどうとらえるか』 東京:勁草書房:165-198。

輪島裕介 2005 「第6章 クラシック音楽の語られ方 ハイソ・癒し・J回帰」 渡辺裕/増田聡(ほか) 2005 『クラシック音楽の政治学』 東京:青弓社:175-211。

若林幹夫 2005 「第7章 距離と反復 クラシック音楽の生態学」 渡辺裕/増田聡(ほか) 2005 『クラシック音楽の政治学』 東京:青弓社:213-242。

1.2.JPOP論、音楽産業論

阿部勘一 2008 「現代社会における音楽産業と消費者としての聴衆‐アドルノを手がかりに」 東谷護(編)『拡散する音楽文化をどうとらえるか』 東京:勁草書房:47-77。

マイケル・ボーダッシュ 2012 「第5章 ニューミュージックの否定の否定」 『さよならアメリカ、さよならニッポン』 奥田裕士(訳) 東京:白夜書房:223-271。

円堂都司昭(えんどう・としあき) 2013 「第3章 『バンド』という『つながり』の物語」 『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』 東京:青土社:124-164。

井手口彰典 2009 「音楽聴取における「いま・ここ」性」 『ネットワーク・ミュージッキングー「参照の時代」の音楽文化』 東京:勁草書房:159-181。

増渕敏之 2012 「第1章 都市論でのバックストリート」 『路地裏が文化を生む!細街路とその界隈の変容』 東京:青弓社:15-49。

増田聡 2005 「第五章 音楽著作権の布置」 『その音楽の作者とは誰か』 東京:みすず書房:101-124。

リチャード・ミドルトン 2011 「第21章 人々とは誰か?」 マーティン・クレイトンほか(編) 2011 『音楽のカルチュラル・スタディーズ』 若尾裕ほか(訳) 東京:アルテスパブリッシング:288-302。

津田大介 2004 「3 違法コピーとファイル交換」 『だれが「音楽」を殺すのか?』 東京:翔泳社:179-262。

烏賀陽(うがや)弘道 2005 『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』 東京:岩波書店。 より「第一章 「J」の時代のポピュラー音楽」(1-24)

山田晴通 2003 「第1章 ポピュラー音楽の複雑性」 東谷護(編) 2003 『ポピュラー音楽へのまなざし 売る・読む・楽しむ』 東京:勁草書房:3-26。

八木良太 2007 「第2章 音楽配信は音楽産業をどうかえるのか」 『日本の音楽産業はどう変わるのか ‐ポストiPod時代の新展開』 東京:東洋経済新報社:45-68。

1.3.美的考察

増田聡 2005a 「IX 「パクリ」再考―美学的分析の試み」 三井徹他(監修) 2005 『ポピュラー音楽とアカデミズム』 東京:音楽之友社:229-252。

---. 2008a 「1.音楽のデジタル化がもたらすもの」 東谷護(編) 2008 『双書 音楽文化の現在I 拡散する音楽文化をどうとらえるか』 東京:勁草書房:3-23。

---. 2008b 「電子楽器の身体性 テクノ・ミュージックと身体の布置」 山田陽一(編) 2008 『音楽する身体―<わたし>へと広がる響き』 京都:昭和堂:113-136。

渡辺裕 2004 「《春の海》はなぜ「日本的」なのか――「日本音楽」表象の音楽社会学の試み――」 根岸一美・三浦信一郎(編) 2004 『音楽学を学ぶ人のために』 京都:世界思想社:264-280。

1.4.レコードを中心とした音響メディア論

ベラミー「顧みれば」(1886) 月尾嘉男、浜野保樹、武邑光裕(編) 2001 『原典メディア環境 1851‐2000』 東京:東京大学出版会:117-123。

エジソン「フォノグラフとその未来」(1878) 月尾嘉男、浜野保樹、武邑光裕(編) 2001 『原典メディア環境 1851‐2000』 東京:東京大学出版会:81-88。

マーシャル・マクルーハン 1987(1964) 『メディア論 人間の拡張の諸相』 栗原裕・河本仲聖(訳) 東京:みすず書房。 より 「第一部 1 メディアはメッセージである」「第一部 2 熱いメディアと冷たいメディア」「27.電話」「28.蓄音機」「30.ラジオ」

増田聡・谷口文和 2005 「第2章 レコードの20世紀」 『音楽未来形』 東京:洋泉社:47-99。

---. 2005 「第6章 オリジナリティと音楽の経済」 『音楽未来形』 東京:洋泉社:208-263。

谷口文和 2010 「レコード音楽がもたらす空間―音のメディア表現論」 片山杜秀(責任編集)『別冊「本」 ラチオ スペシャル・イシュー 思想としての音楽』:240-265。

寺田寅彦「蓄音機」(1922) 安野光雅(あんのみつまさ)(ほか)編 1988 『機械のある世界 ちくま文学の森. 11』 東京:筑摩書房:393-413。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2446_10267.html

渡辺裕 1997 『音楽機械劇場』 東京:新書館。 より 第8-11章(137-204)

---. 1997 「蓄音機と「機械音楽」」 『音楽機械劇場』 東京:新書館:189-204。

2.ゲンダイオンガクとSA

2.1.ゲンダイオンガク>電子音響音楽

ジョン・ケージ「実験的音楽」(1957)庄野進(訳) ジョン・ケージ 2009 『ジョン・ケージ著作選』 小沼純一(編) ちくま学芸文庫 東京:筑摩書房:52-65。

松平頼暁 1995 「6 テクノロジーへの賛歌」 『現代音楽のパサージュ―20・5世紀の音楽(増補版)』 東京:青土社:66-86。

三輪眞弘 2011 「中部電力芸術宣言 - IAMAS」(http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/ElectricArt.html

ピエール・シェフェール 1998 「インタヴュー ドレミの外では何もできない 聞き手 ティム・ホジキンスン」 小林善美(訳) 『ユリイカ 特集・解体する「音楽」』 第30巻第4号(1998年3月号):86-97。

白石美雪 1996 「第11章 20世紀(1)」「第12章 20世紀(2)」 片桐功(他) 1996 『はじめての音楽史―古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 東京:音楽之友社:105-126ページ。

シュトックハウゼン 1999 「作業報告一九五三―電子音楽の成立」 『シュトックハウゼン音楽論集』 清水穣(訳) 東京:現代思潮社:36-43。

2.2.サウンド・アート

ダグラス・カーン 1993 「ひとつの音、すべての音 サウンド・アートというパラダイム」 鈴木圭介(訳) 『MUSIC TODAY 特集 サウンド・アート』 第19号(1993) 東京:リブロポート社:2-9。

---. 1994 「未聞の器官学」 鈴木圭介(訳) 『Intercommunication No.9 特集 音=楽テクノロジー』 東京:NTT出版:122-126ページ。

アラン・リクト 2010 『SOUND ART ──音楽の向こう側、耳と目の間』 ジム・オルーク(序文)、恩田晃(日本語版特別寄稿) 荏開津広、西原尚(訳) 木幡和枝(監訳) 東京:フィルムアート社。 より「part1 サウンドアートとは何か?」

中川真 2007 「序章/サウンドアートへの誘い」 『サウンドアートのトポス―アートマネジメントの記録から』 京都:昭和堂:1-31。

ジョン・オズワルド 1998 「プランダーフォニックス あるいは作曲特権としての音響海賊行為」 小林善美(訳) 『ユリイカ 特集:解体する[音楽]』30.4(1998年3月): 180-193。

2.3.サウンドスケープ

マーシャル・マクルーハン、ブルース・R・パワーズ 2003(1989) 「第3章 視覚的な空間と聴覚的な空間」 『グローバル・ヴィレッジ 21世紀の生徒メディアの転換』 浅見克彦(訳) 東京:青弓社:67-82。

中川真 2004 「5サウンドスケープ論」 根岸一美・三浦信一郎(編)『音楽学を学ぶ人のために』 京都:世界思想社:250-263。

マリー・シェーファー 2006(1977) 『世界の調律 サウンドスケープとは何か』 平凡社ライブラリー 鳥越けい子・小川博司・庄野泰子・田中直子・若尾裕(訳) 東京:平凡社。 より 序章と第一章(24-79)

3.映像と音楽

ロラン・バルト「映画における意味作用の問題」(1960)(ロラン・バルト 1998 『ロラン・バルト映画論集』 諸田和治(編訳) ちくま学芸文庫 東京:筑摩書房:53-70。

ミシェル・シオン 1993 『映画にとって音とはなにか』 川竹英克、J.ピノン(訳) 東京:勁草書房。 より 第一部の「II三つの境界」(22-60)と「III聴取点」(61-72)

---. 2002 『映画の音楽』 小沼純一・北村真澄(監訳)、伊藤制子・二本木かおり(訳) 東京:みすず書房(原著1995年)。 より 第二部映画における三つの側面:第5章「要素としての音楽、手段としての音楽」(165-214)、第6章(215-236)第7章(237-271)

長門洋平 2014 『映画音響論 溝口健二映画を聴く』 東京:みすず書房。 より、:序章と「第一章 音の場所」

平倉圭 2010 『ゴダール的方法』 東京:インスクリプト。 より 「序章 新たなる視聴」(8-24)、「第2章 問いと非応答 1.ミキシング」(67-93)