13.07/12:辻本香子:都市の音楽と音をめぐる民族誌的研究の現在:香港の事例から

投稿日: 2012/05/31 9:13:41

辻本先生は今日が初めての「大学生相手の授業」だったそうです。中川は自分が初めて大学で授業をしたときのことを思い出し、うんうん最初はこういう感じだよな、と思いつつ、でも、最後にちょっとした盛り上がりを作っているのを見て、ああ上手いことまとめるもんだな、と思いました。

「どのようにして人は音を音楽として聞いているのか?」という大問題から出発し、西洋(芸術)音楽を主な対象とする音楽学的研究、聴取の感性学的な研究や音響テクノロジーに焦点を置く音響メディア論、そして文化人類学や民族音楽学といった研究のアプローチがあることを紹介し、最後の文化人類学滴研究の中にサウンドスケープ論という切り口を接合してみて、そのようなものとして自分の行なっている研究活動の大枠を位置づけていたのだと中川は理解しました。

このような方法論的問題の指摘などは学部生には難しかったかもしれませんが、しかし要するに、自文化のやり方ではなく、異文化の中に入り込んで異文化のやり方に従って音楽を学習して身に付けることで見出される様々なプロセスを研究する、という音楽と音をめぐる民族誌的研究のあり方があること、は納得できたのではないでしょうか。

辻本先生の場合、その異文化が、香港という年のサウンドスケープを構成する要素のひとつとしての龍舞(Dragon Dance)―横浜中華街でも見ることができるようです―だった、ということです。

いわゆる「プリミティヴな場所」ではなく香港という「都市」に入り込み、その「都市のサウンドスケープ」を構成するひとつである「龍舞」を、民族音楽学の研究対象としてとらえ、五線譜を使ったり教材を使ったりして「龍舞」の音楽を学ぶのではなく、現地で楽器や歌を学び、琉舞の団体に入り込み、龍舞の参加者たちと仲良くなり、龍舞を彼らのやり方で学ぶ、といった活動を行うことで、自分に慣れ親しんだ五線譜を介したやり方ではなく、彼らのやり方で音楽を学んだ、というのが大事だったということでしょう。

最後に、自分たちのやり方ではなく「彼らのやり方」で音楽を演奏してみる、ということを実際に経験するために、教室にいる人間で、実際に龍舞のリズムを演奏してみる、ということを行いました。

「パッパッカー チェチェ カチェ カー

カー チェチェ カチェ カー

カチェ カチェ カチェ カー

チェカ チェチェ カー カー」

というリズムで、これ自体は単純な八分音符だと思うのですが、実際に龍舞の演奏を学ぶ人たち(中学生くらいの年齢らしいです)は、これを決して八分音符としては学ばないそうです。

その後の二拍三連に聞こえるリズムも、二拍三連としてではなく、そのようなパターンとして学習するそうです。これを二拍三連として学習すると、龍舞の音楽を演奏する他のメンバーから、龍舞の音楽としてはちょっと違うと言われるそうです。つまり、自文化のやり方で学習しても通用せず異文化のやり方で学習するしかないということです。

ということなのでポイントは次のこととしておきましょう。つまり、「龍舞の音楽」の学習からも分かるように、音と音楽との認識上の境界線は、民族音楽学的アプローチから考えればその社会に生きる人々の共通認識にあると言える、ということだとしておきましょう。

この授業を展開発展させて「シラバス」を構想するのであれば、このポイントに関連する項目を必ず含めるようにしてください。

リズム
2012-1-聴覚文化論の射程-0712_辻本香子-横浜国立大.pptx