03.04/26:平倉圭:「思考」する映画―ゴダールのソニマージュ(音+映 像)

投稿日: 2012/04/16 6:46:36

http://hirakr.tumblr.com/

(教員の都合で、小宮先生と交代しました。)

ジャン・リュック・ゴダールの映画を見ているとワケがわからなくなって寝てしまうことがよくある、それを「ゴダール現象」と呼ぶのだ、というちょっとした冗談から始まった講義でした。とはいえ「ゴダール現象」が起こるのは自分にとって理解できない現象(=ゴダールの映画)に接しているから起こるわけで、つまり「ゴダール現象」が起こるのはゴダール映画が「別の言語」を使っているから起こるからだと言えます。ならばその「別の言語」の一端を明らかにしてみよう、という授業でした。

すごく単純化すると、

1.トーキー登場以後、音と映像を組み合わせることで、現実には存在していない出来事を作ることができるようになった。

2.ゴダールによれば映画とを「思考するフォルム」である。

3.ゴダールの映画も、音と映像を組み合わせることで、人間が経験したことのないものを作ろうとしている映画である。それは、音「と」映像とか、映像「と」映像の間に”裂け目”を導入するもの、と言える(これは、ドゥルーズ『シネマ』(1985)以降のゴダール理解の基本となった)。

とまとめられるかもしれません。

中川も頻繁にゴダール現象に襲われるのですが、正直ゴダール映画の面白さはよく分からないところが残りましたが、平倉先生の映画分析のやり方は面白かったです。緻密に作品を観察して分析する、というのは、ああいう身振りなんでしょうね。

ゴダール映画は「ゴダール現象」を引き起こす、しかしそれは「別の言語」を用いる映画だからで、それは音「と」映像とか、映像「と」映像の間に”裂け目”を導入する「と」の内部構造を持つ映画だ、とまとめられるかもしれません。

◯『蒸気船ウィリー』(1928):木琴として歯を叩くシーンなど

◯ジャック・タチ『僕のおじさん』(1958)より、台所のシーン:音のギャグなど

◯『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1966)

◯『新ドイツ零年』(1991)

分析のためのダイアグラム(『右側に気をつけろ』(ゴダール監督、1987))