14.07/19:津野宏:歴史の彼方の音楽演奏―録音された公演
投稿日: 2012/05/31 9:14:02
0.「聴覚文化論の射程」最後の講義は、学校教育で化学を教えている津野先生にご登壇お願いしました。
知らなかったのですが、津野先生は「録音」と「録音物」にかなり詳しい方で、どうやらある種のクラシック音楽―EJSというプライベート・レコード―などの収集に関してはかなりのもののようです。自宅にはSPレコード・プレイヤーからオープンリールからDATから、もうかなりの種類の音響記録複製機器もあるし、実際にクラシックの録音エンジニアをしたこともあるようだし、少し話を聞いているとなんだかクラクラしてくるのだけど、でも、津野先生は化学の先生なのです(博士の学位は農学ですが、専門外のことなのでよく分かりません、すみません)。
不思議な立ち位置だなあ、どんな話になるのかなあ、と思っていたのですが、実況録音と商業録音の違いを、実際に様々な実況録音を聞きながら検証する、という内容でした。
WWII以前のSPレコード時代の商業録音と実況録音の比較など聞いたことがありませんでしたし、興味深いモノを聞くことができて面白かったです。
1.
テーマのひとつは、「音楽演奏は、どこで作られて、誰が受け取っているのか?」ということだそうです。
つまりおそらく、生演奏としての音楽を受け取る聞き方もあるし、そもそも記録されることを目的とする録音(=商業録音)を介して音楽を受け取る聞き方もある、[中川:どちらがホンモノとか優れているとかいうこととは別に]ふたつは違うことを意識しておく必要がある、だから商業録音と実況録音を比較することでその違いを意識しておこう、ということなのではないかと思います。商業録音においてなくなるものは何か(あるいは商業録音だからこそ可能となるものは何か)といったことを確認しておこう、ということを目指した授業だった。と、とりあえずはそのように、中川は受け止めました。
2.
なので、実況録音と商業録音を比較して、「商業録音」では「演奏」が変化していることを確認していったわけです。明確に違うものとなっていたのが面白かったですね。というよりも、「商業録音」に慣れている人間としては、「実況録音」とこんなにも違うものであることを知ったのが驚きでした。「商業録音」で失われていたものは、例えば「のびのびとした歌い方の放棄」だったり「演奏時間」だったり「演奏のテンポ」だったり「(聴衆を)熱狂させる声」だったり「フェルマータ」だったりするわけですが、それらは、難しく分析しなくてもかなり明瞭に違うのが分かるのが面白かったですね。
ポイントはここですね。「商業録音」は「実際の生演奏≒実況録音」とは異なるものとして記録されていること、ですね。具体的にどのように異なるか、を、いくつか説明できるようにしておいてください。個々の事例については当日の配布資料を参照しておいてください。
3.その他に面白かったトピック
面白かったトピックです。メモしておきます。
The Mapleson Cylinders - Program Notes
:Lionel S. Maplesonという人が行った最古の実況録音というものを初めて聞きました。
◯マーラーの終曲
:1939年10月5日オランダ、アムステルダムで、ドイツでは演奏禁止になったグスタフ・マーラーの作品をドイツ人指揮者シューリヒトが演奏したもの。
:途中でヤジのようなもの―"Deutschland über alles, Herr Schuricht!" (世界に冠たるドイツですね、シューリヒトさん)―が入るのが記録されていました。
:これは有名な事例のようですが、知らなかったので、この授業の流れの中で紹介されて面白かったです。
:参考:http://blogs.yahoo.co.jp/masahirosatake2000/2321438.html