(2-1)災害危険区域という広大な空き地は何かで埋めるのか
文:伊達美徳
「災害危険区域」は津波に襲われて大被災した区域であり、指定後は人の居住が制限される。この指定区域一覧表にある各自治体の指定面積を足してみたら12492.1ヘクタールになる。岩手県は、たぶん、これから指定する予定の自治体もたくさんあるだろうから、もっと広くなるだろう。
阪神大震災(1995年)では1市1地区1.59ヘクタール、新潟県中越地震(2004年)では2市14地区27.97ヘクタールの指定だったそうだから、今回はものすごい広大さである。
災害危険区域に住んでいた人々は、区域外の高台や他の新旧市街地などに移転する必要があるから、そのあとには広大な空地が発生する。すでに津波によって広大な空地ができている。今は避難していても、元に戻って家を建てて住むわけにはいかない。住宅以外なら立ててもよいが、実際のところは店舗や工場などが、どれほど建つだろうか。郊外型大型小売店舗ならべつにしても、人が住まない街で普通に商売するのは、なかなか難しいだろう。
問題は、住むことを禁止しても、商工業や農林水産業あるいは公園などに再利用することはできるということである。大ショッピングセンターができたり、大規模遊園地ができたら、住んでいるよりもはるかに多くの人がいることになる。住んでいて津波で被災することは防ぐことはできても、買い物や働きに、あるいは遊びに来た人の被災は防げないが、よいのだろうか。
更に心配は、東北の太平洋沿岸地域に、南北数百キロにわたってばらまかれたこの広大な空き地に、いったい何が立地するのだろうか。たとえば、宮城県山元町の災害危険区域は、行政区域の3割以上の広さを指定、津波前の可住地の8割以上が非可住地になったようだ。
津波で一切が失われた荒涼たる跡地は、いったい何がありうるのか。農業も田畑の塩害で簡単には立ち直れないだろう。草ぼうぼうの空き地ばかりとなるだろう。
空き地がなにかで埋まるのか。この「空き地を埋める」という言い方は、「開発」的な考えが基本にある。土地は何か人間の日々の生活のために利用しなければならない、という強迫観念のようなものが、20世紀的な開発の基本にありそうだ。
「復興」という言葉はまさにそれを一言で言い表している。震災復興、戦災復興、火災復興などどれもこれも、早く復興しなくては増える人口に間にあわない、産業の復興のためには広く開発していこう、そのためには公共投資をいとわない、復興さえすれば取り戻すことができる、これが近代の災害復興の思想であった。
戦後復興期のまっただなかの人口増加時代を生きてきたわたしには、それがよくわかる。
しかし、人口減少時代の今もそうなのか。
反対に、「空き地は空き地のままでよろしい」という考え方は、あるのだろうか。つまり、人間の日々の生活のためにどこもかしこも土地は使わなくてもよろしい、とするのである。だって、人口が減る、地域は縮退する、高齢化して生活圏は縮む、そのような世の中である。そんなに土地を利用しなくてもよいではないか。いや、利用したくても利用できないかもしれない。(2013/03/16)
(2-2)二股かけて復興まちづくりして虻蜂取らずになるかもしれない
悲観論ばかり言ってもしょうがないけれども、では、住宅移転してきた高台の街もできた、災害危険区域も店舗や工場がやってきて両立する街が復興できた、うまくいったとしよう。でも、どこの被災地でもこうはいくまい。わたしにはそれがどこかわからないが、それはかなり限られた都市になるだろう。
さてうまく両立した復興の街づくりができたとしよう。そこからの問題は、巨大都市を除いて、日本のどこも人口減少であることだ。いま、日本の都市・地域問題は、21世紀の人口減少社会の進行において、20世紀に人口増加を前提とした社会の構造、あるいは都市・地域の構造が耐えうるかということである。
そこで、いま流行しているのは、新たな人口減少に対応する都市と地域の構造として、拡大している20世紀の生活圏を、コンパクトな生活圏に再構成することである。いわゆるコンパクトシティである。
この点から見ると、高台にも街をつくり、元の街も再建したのでは、コンパクトタウン化の逆方向であることは確かだ。人口減少が避けられない時に、人口増加型の都市・地域をいまさらにつくっていいのだろうか。高台の街が、交通にも買い物にも働くにも便利で安全に、しかもコンパクトに整っているならばよい持続するだろう。
だが、単なる住宅地であるならば、そのうちに人々は便利な元の津波で被災した街に戻ることだろう。それを禁止しても、止めることはできないだろう。高台の街は衰える。
人間は忘れる動物である。忘れたころに津波はやってくる。二股かけた復興都市再生は、虻蜂取らずになるのだろうか。また悲観論になった。
そこで思うのだが、やっぱり、災害危険区域は単に住宅禁止ではなく、土地利用そのものを禁止するしかないだろう。都市計画では市街化調整区域に指定変更してはどうだろうか。
人口増加時代を前提とする現在の都市計画法は、都市の範囲を市街化区域と市街化調整区域に分けている。後者は人口増加で市街化の圧力が強い時代に、その抑制と計画的な開発を調整するという意味だが、一般に市街化予備区域としてとらられている。
なお、都市計画法を決める初めの検討では、4つの区域を考えていた。既成市街地、市街化区域、市街化調整区域、保存区域である。保存区域は開発を一切しない区域である。
災害危険区域を、この保存区域なみにしてしまうのである。もちろんそれには土地所有者からの公的買取請求を認めることになろう。それは現に防災集団移転事業では行っていることである。
このように、津波の危険区域は都市的土地利用をしないとしたら、どうなるのだろうか、考えてみたい。(2013/03/17)
参照:自然と人間はどこで折り合って持続する環境を維持できるのか
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru
参照:地震津波火事原発コラム一覧
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#jisin
(2-3)これまで人間が自然から借りていた土地をそろそろ返還する時期か
これまで人口増加と経済成長の20世紀では、住家も産業施設も増えるから、土地が必要だとばかりに、山を削り海を埋めてそれらのために土地をつくってきた。そしてかなりの範囲で無計画に街を拡大してきた。
だが、いまになって思うと、どうも土地を使いすぎたようだ。中心街から人が減って空き地空き家がいっぱいで来ている、郊外住宅地でも同じだし、郊外胃に移転した企業も撤退している。
現にしだいに街が空洞化しているし、更にこれから日本の人口が減少傾向は1世紀くらいは続くようだ。自然から人間が収奪してきた広大な土地が余る時代が来ている。
そこで話が災害危険区域に戻るが、そこになにか住宅以外の利用にしようと一生懸命に使わなくても、空き地のままでもよい時代が来たと、わたしは思う。災害危険区域全部を使わないと言っているのではなくて、どこもかしこも使う必要はない、ところによってはまったく使わなくすることもあるだろうと思うのだ。
土地を使わなくなるとどうなるか。使わない土地は、荒れ地になってそのうちに砂漠になる、きちんと維持管理しないと災害を招くと、言われることがある。
そんなことはない。日本の気候では、土地を放っておくとどんどんと草が生えてくる。初めは、例えば黄色の花が一面に咲くセイタカアワダチソウのような荒れ地好みの草が一面に生えてくる。これは大変だと思う人もいるが、実は次々と植生は交替して行って、落葉樹が生えて林になり、常緑樹が生えて森になって行く。これを自然遷移という。
現に今、山間地では過疎化が進み、放棄された田畑や人家などの跡地がどんどんと緑に覆われて、森に還りつつあるのは、日本中に見られることだ。日本の気候はそういう温暖なのだ。これなら維持管理費もかからない。
それではもったいないとするなら、用材になる樹種を植林するのもいいだろう。現在の日本の山々の生産林としての植林地は、土地が急峻だったり、利用する地域から遠隔地だったりして、木材利用のためにはコストがかかる。これが海岸部の平地林ならば、植林、保育、伐採、運搬などにコストが低廉になるだろう。もちろん生産林ばかりではなく、保養林にもなる多様な植生の森をつくるのもよい。バイオマスエネルギー原料にもなるだろう。市街地に近いとレクリエーションの場にもなるだろう。そしてなにより、海辺に近いのだから津波の防砂林、防潮林になる。
津波被災地で、いまだに津波に乗ってきた海水が居座ったままの地域も多いそうだ。そこはこれから埋め立てしてまた陸地に戻す計画だろう。その土は山を削るのだろう。高台をつくるときに発生する残土をもっていくのだろうか。
どこもかしこもそうしなくても、昔そうであったように、海に戻すという方法はどうだろうか。そのまま海にしておけば、自然干潟になってそれなりに有用であるような気がする。あるいは、積極的に浚渫して、漁港をつくる、養殖漁業海域にする、海浜レクリエーションの場にするなどの考えはどううだろうか。
要するに人口増加時代の人間が自然から借りて使っていた土地を、このたびの地震津波という自然からの手荒な返還催促に従って、もとに還すのである。どうも20世紀に無理な借財をしすぎたかもしれないし、そろそろ不要になったから、このへんでお返しするのである。
そう考えてはも差し支えない地域だってあるように思うのである。机上の寝言と言われればそれまでだが。でも、現地ではどうなんだろうかと、そちらに詳しい人に聞いてみたい。(3013/03/18)
(2-4)津波甚大被災土地を自然の森や海に戻す土地不利用政策は荒唐無稽か
津波で甚大な被災をした土地を、自然に返還するという論を勝手に思いついて、ここまで書いてきた。そのような考えが、今の復興現場にあるのだろうか、それともないのだろうか、現に震災復興にかかかわっている知人たちに聞いてみた。
まず、災害被災低地をどう利用するかの議論は、現地ではまだまだ進んでいないのが現実だそうである。その理由は、こんなことらしい。
今は高台整備、漁港復旧、防潮堤整備などの検討と調整の作業がいっぱいになっていることから、跡地利用まで手が付かないこと。
それらの仕事も行政の縦割りでいろいろな事業が進んでいるので、総合的判断をしにくい現状であること。
行政で用意している復興の事業メニューに、低地利用を進めるための手法がないこと。
そして被災者も行政もいまは住宅の再建での悩みがいっぱいあって、まだ跡地の低地利用のことを考える余裕がないこと。
その一方で、空き地となる低平地を自然に戻すとか農林地にしようとかの考えは、一部の地域の人たち、専門家、あるいは支援者などから、ひとつのアイデアとしては出ている。
しかし、実現手法の点、合意形成の点で進捗ははかばかしくないという。
復興は基本的に復興交付金事業の40事業メニューで進んでいる。そのなかに広大な土地を自然的土地利用に近いと言えるメニューは「都市公園事業」くらいなものである。公園事業には「都市林」というものもあるが、海にするというのはあるだろうか。これまで海面埋め立て事業というのはあったが、その逆に土地海面化事業なんてのが必要な時代になったような気もする。
公共事業として自然環境を復興事業としてやるのは、どうもできそうもないらしいのだ。そこには、日本の土地利用はいまも「経済の論理による開発の思想」で動いていることがある。
開発的な土地利用をやめて森林とか海などの自然に戻すとしたら、行政としては、それが市民の暮らしや産業の振興のために必要なことという「公共性」を求められる。しかし、その論理がまだ見いだせない段階では、行政が手を出せないという。開発をしない土地不利用事業には税金を投じないということである。
とにかく、事業手法がないからやれないのではなくて、こういう考えはありなのか、無しなのか、そこのところから考えてはどうか。
今の東北地方には、先進的な役人、優秀な研究者、有能なプランナーたちがおおぜい結集しているのだから、ぜひとも今のうちに何とかして、人間の土地から自然の土地への転換(還元)について論理、制度、手法を構築してもらいたいと思う。
明治三陸津波(1896年)の教訓は、昭和三陸津波(1933年)で生かされずに多くの死者をだし、その2度の教訓も生かされずに平成三陸津波(2011年)にはさらに多くの死者を出した。
それを繰り返さないなら、津波甚大被災土地を永久に使えないようにするしかない。それがこの思いつきの原点である。
と同時に、人口減少時代における生活圏のコンパクト化の動きへの対応の、ひとつの方法でもある。(2013/03/20)
参照
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html
http://datey.blogspot.jp/2012/02/588.html
●震災核災3年目(その3)へつづく
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